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よるドラ 植物男子ベランダー2018年4月7日土曜日-2018年8月4日土曜日第1話から第13話までの再放送、ビデオも録画して見ました。初回放送は、下記のとおり。↓第1話 2014年4月2日 ハードボイルド・リターンズ(Episode1 春を待つもの/Episode2 美しすぎる諍い女) 大橋トリオ「アネモネが鳴いた」 第2話 2014年4月9日 盆栽ぎりぎり 大橋トリオ「世界で一番幸せ者になれ」 第3話 2014年4月16日 不条理な陽光(Episode1 ハーブの楽園/Episode2 ワスレナグサを忘れない) 大橋トリオfeat.矢野顕子「窓」 第4話 2014年5月7日 フラワー・ラブ(Episode1 復活の鉢/Episode2 窓際の豹) 大橋トリオ「Happy Trail」 第5話 2014年5月28日 植物女子、現る 大橋トリオ「Honey」 第6話 2014年6月4日 風船と赤い金魚 大橋トリオ「贈る言葉」 第7話 2014年6月25日 初夏のパノラマ(Episode1 仁義なきニチニチとの戦い/Episode2 狂喜の植木市) 大橋トリオ「Baumkuchen」 第8話 2014年7月23日 恋の冷凍保存 大橋トリオ「赤い傘」 第9話 2014年8月13日 サマータイム・ブルース 大橋トリオ「マチルダ」 第10話 2014年9月3日 パニック・ルーム! 大橋トリオ「Seven Days」 第11話 2014年9月10日 遠い日の花火 大橋トリオ「生まれた日」 第12話 2014年9月17日 植物たちの挽歌(Episode1 影ヲ慕ヒテ/Episode2 水草が欲しかっただけ) 大橋トリオ「ラブリー」 第13話 2014年9月24日 そして俺は途方に暮れる 大橋トリオ「アネモネが鳴いた」 ボタニカル・ライフ 植物生活 (新潮文庫) [ いとうせいこう ]
2018年08月11日
ブラック化する保育ブラック化する保育 大川えみる/著 出版社名かもがわ出版発売日 2016年06月10日本の内容change.org「保育士給与増額署名」で、28000人の賛同!元保育園長・大川えみるが「保育業界の闇」を問う。人手不足の保育施設で、何が行われているのか?園長や保育士の事件は、どのようにして起こるのか?いつも笑顔の保育士たち、その裏側で…。目次第1章 保育施設の事故・事件は構造的な問題―マスコミも取り上げる保育事故・事件の背景とは第2章 増える保育施設でのトラブル―背景に見える保育の現実第3章 たいへんすぎる保育労働―保育士不足の原因は?第4章 運営法人と保育制度―家族経営による不祥事、行政とのなれあい第5章 保育者の人間模様(1)―マイルドヤンキーとゆとり世代第6章 保育者の人間模様(2)―問題をかかえる保育者第7章 養成校で起こっていること―保育の未来がここにあるとしたら第8章 日本の保育の近未来―国産の保育はぜいたく品に?おわりに―理想の保育を求めて・保育者年収データなども、・・・。
2017年04月06日
2009年7月27日放送 テレビ大阪・22:00~22:54「カンブリア宮殿」昨日の放送ですが、ビデオに撮ってみました。この番組、時々みていますが、なかなかよかったです。この会社は、「三星食品」の株主になっていたので知りました。いつも、「林原グループだが、事業は独立独歩」と書かれていました。ゴリラの研究、以前、NHKで、放映されていたものが、ここのことだったのでしょうか? ・・・・・・・・・・・・・・・・「地方発!世界と闘う同族企業~オンリーワンのススメ~」ゲスト:林原グループ社長 林原 健世界の食品、医薬品メーカーが注目するバイオ企業が岡山県にあります。林原グループ、同族経営の非上場企業です。この会社の商品は「トレハロース」。デンプンからつくられる、天然由来の“糖”です。「素材の鮮度を保つ」「食感を高める」「保水性を高める」などの特性に企業が注目しています。スナック菓子やカップ麺から美容液、さらには、クールビズシャツにまで利用され、いまや取引企業は7000社、アイテム数は1万以上を数えます。このトレハロース、実は19世紀初頭に存在が発見されて以来、世界各国で学者たちの研究の的となってきましたが、人為的に作り出すことは不可能というのが、学会の常識でした。そんな“夢の糖質”を、創業126年の歴史を持つ、林原が世界で初めて、大量生産を成功させました。いったいなぜ、世界レベルの研究開発を、地方の中小企業がやってのけたのでしょうか?そこには、同族非上場ならではの、独創的な経営術がありました。がん治療薬「インターフェロン」などの医薬分野にまで研究の幅を広げ、オンリーワンの特許を生み出し続ける“林原”の秘密に迫ります。林原 健(はやしばら けん)氏林原グループ社長 金言1:「百社あれば百通りの経営があっていい」金言2:「一度始めたら とことんやれ」金言3:「基礎研究は成功すればすべて自分のものになる」
2009年07月28日
毎週金曜日、サンテレビ 22:45~ 23:00 の番組。9月19日の放送で、『加藤産業』が採り上げられていました。●こちらデスクです 「食品卸の加藤産業が中国事業を強化へ」 藤井 洋一・加藤産業(西宮市) 食品卸業界では大手(全国4位)・2007年 中国の食品卸会社に10%資本参加 (住友商事グループと共同)・来年早々に別の卸会社に40%資本参加 (住友商事と共同役員の派遣も)・兵庫県内のお菓子・酒・食品メーカーには 大きなビジネスチャンス!中国では、食品だけでなく、卸売業が発展していないようです。これまでは、中国で、卸売り業のノウハウを伝えていくことを考えていたようですが、これからは、加藤産業が日本の食品を卸していこうということのようです。加藤産業の株をもっているので、頑張ってほしいと思います。・・・この番組、ごくまれにプレゼントがあります。去年は、風月堂のゴーフルセットが当たりました。
2008年09月20日
7月21日(月)放送「桂吉弥」(落語家)の再放送は… 7月26日(土)25:35 ということで、再放送で見ました。落語家 桂吉弥上方落語界の若手ホープ。本格派でありながら、どこかポップな印象の高座は、東京でも立見が出るほどの人気。1998年「NHK新人演芸大賞」新人賞、2005年「第42回なにわ芸術祭」新人賞を受賞。最近では俳優としても才能をいかんなく発揮し、2004年大河ドラマ「新選組」、2007年朝の連続テレビ小説「ちりとてちん」に出演。「落語は噺家の表現力と聞き手の想像力の幸せなコラボ」と語る桂吉弥の情熱の源に迫る。 ▽ちりとて秘話 【司会】箭内道彦,SHIHO,【語り】海老原由佳・リアルさの秘密・手ぬぐいで“焼き芋”・古典落語は共有財産・人対人で伝わる落語・個性は“出てくる”もの・落語家が演じる“落語家”・徒然亭草原≠桂吉弥・追体験した師匠との別れ・桂吉朝の衝撃・偽りの芝居見物・二人の“師匠”に学んだこと・トリをとる ということこの人を知ったのは、『ちりとてちん』ではなくて、ラジオ番組「征平・吉弥の土曜も全開!!」ですが、今、最も注目している落語家さんであり、役者さんです。
2008年07月27日
「スセソとデカセギ~日系ブラジル移住100年~」 (2回シリーズ)■16日(金) 第1回 新経済大国の成功者たち■23日(金) 第2回 デカセギ ~2つの国を行き交う人生~・先週に続き、2回目。 今年でブラジル移住100年、冒頭、旧移住センターから スタート。 ・現在は、逆に出稼ぎで日本にやってきている。 「DEKASEGI」という言葉はそのまま使われている らしいが・・・・悲喜こもごも、いろいろな家族が描かれていた。・今は、日本へのデカセギ希望者も減っているとか。 学生のアルバイトとして一定の人気があるらしい。・豊かになったブラジル、日本からの仕送りも、かえって ブラジルが豊かになった分、金額が目減りしているのは皮肉。・番組の中では、一流大学を卒業し一流会社に就職が決定し しながらも、日本のことが知りたいと退職した三世の女性・ デカセギから、日本で勉強し日本の企業の管理職になった 男性・働けど働けど貧しく、一家でデカセギ、70才前の老婆 がいまだに行商する家族・父のあとを継ぎ、日本でデカセギ後 薬草の会社で成功した男性・・・・・前回に続き、渡辺篤史さんのナレーションがせつせつと ひびいてきて、とてもよかった。
2008年05月23日
NHKかんさい特集 午後8:00~8:43スセソとデカセギ~日系ブラジル移住100年~ 第1回 新経済大国の成功者たち*他地域は、この時間「ご近所の底力」一部の日系人は成功者「スセソ」といわれるらしい・・・前の番組で、神戸市出身のNHK大阪、住田功一アナウンサーが、メリケンパークより中継で、コメントしてスタート。ナレーション:渡辺篤史二世の航空機メーカー、サトシ・横田さん石油会社、オズバルド・川上さんが主に、成功者として描かれていた。話す言葉は違っても、顔かたちは日本人、どうしても親しみがわきますし、興味を持ちます。成功者は、一世が苦労して子供を学校に通わせ、大学で優秀な成績をとった人たちのようだ。今年は、ブラジル移住100周年で、こういう番組に特に興味がわきます。第2回放送は、スセソとデカセギ~日系ブラジル移住100年~ 第2回 “デカセギ” 出稼ぎから正社員へ(仮)来週のようです。【スセソとデカセギ~日系ブラジル移住100年~」 (2回シリーズ)】■16日(金) 第1回 新経済大国の成功者たち■23日(金) 第2回 “デカセギ” 出稼ぎから正社員へ(仮) 1908年4月。一隻の船が781人の日本人を乗せて、神戸港を出航したブラジルに向けた初の移民船「笠戸丸」。それから100年の間に、全国から25万人を超える人々が「大金を儲(もう)けて日本に帰る」夢を抱き、海を渡った。しかし「輝ける希望の大地」で彼らを待っていたのは、食料・衣服にも事欠く悪条件の中、未開の地を切 り開く、奴隷のような労働だった。 そして現在、ブラジルは世界で最も多い140万人の日系人が生きる。新興経済大国BRICsの一員として世界の注目を集めるこの国で、一部の日系人は成功者「スセソ」と尊敬され エリート集団として、政治・経済などあらゆる分野で社会をリードする。技術立国として、そして戦略的に世界での台頭を虎視眈々(たんたん)と狙うブラジルのいわば「頭脳」が移住者の子孫なのだ。 その一方、日本企業の貴重な「労働力」として膨大な日系人が日本に「逆流」している。その数は30万人。「デカセギ」と呼ばれる彼らは、日本語が理解でき勤勉な日系人は工場労働者として重宝され、いまや企業に無くてはならない存在だ。そんな彼らの一部は正社員として迎えられ日本での「定住」を決意し、また再びブラジルへ戻り 進出日本企業へ再就職する者も少なくない。 今年、ブラジル全土は「移住100年」の記念日に沸く。笠戸丸が入港した6月下旬の日に合わせ、国中で盛大な式典が展開される。この国にとって日本人とは、日本人にとってブラジルとは、皆がそれぞれの立場で思いを巡らせる。 閉ざされた島国で、同じ民族が暮らしてきた日本。歴史上、ブラジル移民ほどの日本人の大移動はない。世界で日本人は生きていけるのか。移住者たちの旅は、その壮大な実験だったと言える。 このシリーズでは、日本人がブラジルに移住を始めて100年、両国に生きる子孫の“日系人”の今を追う。労働力を求め日本からブラジルへ、そしてブラジルから再び日本へ。ブラジルに同化し、経済大国を支える存在となり大企業群をリードする日系成功者たち。父祖の国に出稼ぎで訪れ、「雇用の調整弁」から「貴重な労働力」へと変貌(ぼう)を遂げている「デカセギ」。時代に揺り動かされ、あるいは翻弄(ほんろう)されてきたそれぞれの人生を見つめ、日本人とは何かを考える。
2008年05月16日
NHK教育テレビ 22:25~22:50放送人生の歩き方 玄侑宗久『なりゆき』を生きる第4回「あはひ」に立ち、「あはひ」を描くその2 (つづき)・「老い」と「認知症」 介護のしようによって、 老いの中にとどまることも出来れば 一気に別世界に行ってしまうことも出来る 「陸上競技のトラックって、どこの国も、 左廻りでしょ。《中略》 人間って、左足で体重を支えて、 右足で方向を決めるんですって。 だから、呆けるって、《中略》自然に還ること じゃないかしら」 『龍の棲む家』より・・・『課外授業ようこそ先輩』 2002年1月放送 ・・・いやだな、と思ったことも、別の見方を知ったら 不幸じゃなくなるかも知れない・・・・「龍」は自然の象徴 (龍)は、人間の思う通りにならないものの象徴 痴呆症の人たちを龍と表す・・・ 思わぬことで過ごす時間を我々は久しく忘れている。 それを、思い出せよ、と言われている。 どこに行き着くかは、わからない。 わからないところに向かって生きていくというのが人生 ・「なりゆき」を決然と生きる 船と川・・・ どうこぐかで、波はかわる 自分でこぐが、舵をとれる範囲ではとっていく。 流れを変えることはできない、どこに着くかわからない。 けれども、決然と、主体的にこいでゆく。これで四回の放送終了。なかなか、いい内容の四回だった。
2007年11月29日
「人生の歩き方 玄侑宗久『なりゆき』を生きる 昨日、11月28日 NHK教育テレビ 22:25~22:50放送人生の歩き方 玄侑宗久『なりゆき』を生きる4回シリーズ、第4回「あはひ」に立ち、「あはひ」を描く受賞後、玄侑さんは、義母や知人など、身近な人々の病や死をモチーフに執筆。作品の発表ごとに電話や手紙、寺を訪れる人々から、相談が多く持ち込まれるようになった。「あの世」と「この世」の間(あはひ)、「病気」と「元気」の間(あはひ)。悩んでいる人、苦しんでいる人と同じ間(あはひ)に立って見る。その境地から新たに見えてくる生の様相。心の救済を求めて模索する玄侑さんの心情を聞く。 小説 アミターバ・無量光明・・・初めて死者の目線で書いた物語。肝臓ガンにかかった義母がモデル。「そろそろお迎えが来るやろか?」・僧侶としての悔い 「そろそろかも知れませんね」と答えるべきだった。 現実には、弱気にならないで下さいと・・・ 終末期の時間をたちあげるべきだった。「お母さん、極楽浄土では、 自分の望んだとおりの美しい形が 現れるらしいですよ。 音楽を聴きたいと望めば聞こえるし、 いい香りがかぎたいと思えばかげる っていうんです。」 なんとも不思議な気分だった。 《中略》 その話は極端に言えば死ぬことが 楽しみになるような内容だった。 《中略》 なんだか突然、自分の死が近いことを 初めて素直に認める気分になっていった。 ・・・・・・「アミターバ・無量光明」より・・・阿弥陀さまのこと・・・アミターバ・アミターユス・アミターバと阿弥陀如来 死の体験、光との出会い。「私はどうやら光の強い方へ進んで いくようだった。 ときどき光の中に凝集する三原色が、 見え、そのたびにそれは死んだ母親に なったり、都々逸と格言の好きだった 父親になったり、 あるいはすでに亡くなった町内会の人々に なったりした。」 ・・・・・・「アミターバ・無量光明」より・・・不立文字(ふりゅうもんじ) 禅宗では言葉で表現できない境地を重視する。・死後の世界をイメージする。 最新作『龍の棲む家』・・・老いがテーマの小説・「老い」と「認知症」第1回:11月7日 第2回:11月14日 第3回:11月21日 第4回:11月28日
2007年11月29日
人生の歩き方 玄侑宗久『なりゆき』を生きる 昨日、11月21日 NHK教育テレビ 22:25~22:50放送人生の歩き方 玄侑宗久『なりゆき』を生きる4回シリーズ、第3回「此れあるとき彼あり」3年の修行の後、福島へ帰郷した玄侑さんは副住職となる。しかし41歳の時、再び小説を書き始める。たった数文字の短い戒名では死者を弔う気持ちが表せない。その思いが筆を取らせた。そして3作目の小説『水の舳先』が芥川賞候補にノミネート。玄侑さんは再び作家への道を歩むこととなる。そして2001年『中陰の花』で第125回芥川賞を受賞。僧侶になったために作家になることができたという人生の不思議さを語る。文殊堂・・・寺に図書室をつくる。 蔵書を利用してほしい。貸し出し可。・黄色の車を乗り回す・・・積極的に檀家さんをまわる。 1995年 『胡弓よ、わが思いを語れ』 コンサートを開く・僧侶の仕事は面白い・・・施設をつくることもあるが、 墓地の地図をつくる。家族構成、死因の割合・・・ 坊さんというのは何をやっても坊さんの仕事になる35才で結婚・・・檀家さん、こちらはたくさんでも、むこうに とってはひとり。 本気でやらないといけないこより・・・檀家さんの包装紙でこよりをつくる。(奥さん) ・小説執筆再開の理由・・・戒名に対する思い・執筆再開 43才。『水の舳先』・・・主人公の僧侶、末期患者に通常死後に行う 「湯かん」を生きているうちにしてほしいと頼まれる。 「芥川賞」にノミネートされる。 ・・玄山は丁寧に丁寧にお湯を注ぎながら 掌指を這わせていった。 久美子が水だけに包まれる感触を、 掌もいつしか目指していた。・・「水の舳先」より・「湯かん」で看取る・・・ある種の恍惚感を助長させてやれ ないか・・・ 『中陰の花』・・・自分たちの子供を流産させてしまった僧侶 とその妻。現実主義者で懐疑的な僧侶とあの世を信じて いる妻。 妻「人は死んだらどうなんの?」 僧侶「知らん。死んだことない。」・「成仏」とは何か?・・・お通夜か2つ、位牌を間違ったことが、 お葬式の晩から変なことが起こるとの苦情 成仏していないのでは? ある儀式を行ったところ、変なことがおきなくなった。 ・・「私らが目指してるのもたぶん、故人の成仏じゃなくて、 残った家族の心の成仏じゃないかなあ。」 ・・「中陰の花」より お経をあげる・・すると本堂一杯に飾られたこよりが、 読経に反応するように動き、夫婦はわが子の成仏 を感じる。・僧侶の仕事が生んだ作家への道・・・壁があったら 横に行ってみよう。 此れあるとき彼あり ということらしい。 第1回:11月7日 第2回:11月14日 第3回:11月21日 第4回:11月28日
2007年11月22日
人生の歩き方 玄侑宗久『なりゆき』を生きる 昨日、11月14日 NHK教育テレビ 22:25~22:50放送人生の歩き方 玄侑宗久『なりゆき』を生きる4回シリーズ、第2回「飲みこむまでの苦さかな」作家として芽が出ないまま玄侑さんは25歳になっていた。周囲の仲間は次々と就職する中父親から「作家修行は27歳まで」と期限を宣告される。26歳で小説を書き上げたものの、掲載誌が廃刊になるという悲運を味わう。夢破れた玄侑さんは、京都・天龍寺の修行道場へ。しかしこの修行こそ、玄侑さんを救う場となる。作務、坐禅、読経、托鉢…。ただ目の前の事をこなす“予断を持たない”生活。それが玄侑さんの内面に新しい扉を開く。人生の極意を得た瞬間を語る。・作家修行 焦りと不安の日々・・・いやな、しんどい記憶は 消してゆく・寝れば 悪夢の日々・・・髪の毛の限らず、体中から毛が生える夢、 首・顔からも・・・ 友だちに言わせると「頭をそるのがいやだっただけだろう」・ようやく書き上げた小説・・・自分をモデルにしたような作品・閉ざされた作家への道・・・「百花金泥」 作家デビューのチャンスも、 出版社の倒産 哲学者 星清氏より、僧侶と作家 両方やってみればいい・友人との別れ・・・10年ぐらいの別れか・・ 友人を集めて、何泊かしてもらい語らう(4日間)・托鉢 歩く速度・・・時速八キロぐらい? 「オー・・オー」・鍋いっぱいのカレーが・・・ 食べ物の施しは残さず食べること 鍋を洗った水を一番新入りの雲水が飲む・9日間続く座禅・・・極限までの修行 予断を裏切ってくれる 3日で限界だろうと思うと3日で限界になる 思いを変えれば 体はついてくるあらためて、托鉢について考えた。そういうと、今でも時々、「オー・・オー」と、早足でかけていく、修行僧をみかける。雲水・・・行脚(あんぎや)僧。〔特に、禅宗の僧についていう〕 第1回:11月7日 第2回:11月14日 第3回:11月21日 第4回:11月28日
2007年11月15日
昨日、11月7日 NHK教育テレビ 22:25~22:50放送人生の歩き方 玄侑宗久『なりゆき』を生きる4回シリーズの第1回、「やおよろず」への興味録画してあったのを、今日見ました。玄侑宗久さんとは?1956年、福島県三春町生まれ。作家・臨済宗僧侶。慶応大学卒。さまざまな仕事を経験した後、27歳で京都・天龍寺専門道場に入門。現在は臨済宗妙心寺派福聚寺副住職。2000年、「新潮」 に『水の舳先』を発表し、作家としてデビュー。翌年『中陰の花』で上半期の芥川賞を受賞。生と死、人の精神、老いなど、実感しにくい世界を見つめた独特の玄侑ワールドを小説で展開する一方、対談、エッセイ、時事批評、往復書簡、仏教や禅の解説書など、幅広いジャンルで著作活動を行っている。人生の歩き方芥川賞作家で僧侶の玄侑宗久さん。家出や転職を繰り返し人生の針路に悩んでいた玄侑さんが得た信条は、人生の「なりゆき」を見据えながら「決然」と生きる事。作家と僧侶、二足の草鞋を履く玄侑宗久さんが人生の歩き方を語る。第1回「やおよろず」への興味福島県にある古刹の長男として生まれた玄侑さんは、跡継ぎとして期待されていた。しかし宗教への不信や父親への不満から悩み、家出を繰り返す。そんな中、玄侑さんに芽生えたのは「作家」への夢。大学受験をきっかけに上京。同人誌に参加し小説を書く一方、社会を知らなければならないと、土木工事やナイトクラブ、ごみ焼却所など、様々な職業を体験する。様々なこと「やおよろず」を模索した心のうちを語る。芥川賞を受賞されてから、本もいろいろ読みましたし、瀬戸内寂聴さん、岸本葉子さん・・・との対談、各誌に掲載のコラムもよく読んでいます。今回、あまり語られなかった、少年時代のこと、とても興味深かったです。・・・「死」についても、常識的で、考え方に共感します。・小学校時代のあだ名・・・「坊主」、みんなに言われて坊主頭に、 みんなにうけたらしい・・・・寺への反発・・・お布施を生活費にあてていいのか? 不幸ごとによってうちの経済は支えられている。・家出をくり返したころ・・・家出先はお寺 中学二年の時に来られた、高僧、臨済宗妙心寺派管長 山田無文老師(1900年~1988年)への質問 玄侑少年 「いただいたお布施を自分たちの生活費に使う のは、おかしくないですか。」 老師 「入ってくるものはな 仕方がないんだ。」・新興宗教への興味・・・あれって洗脳だったのか・ナイトクラブでの経験・・・混沌の時代・小説を書くということ・・・自分自身をまとめる 小説「長すぎた春」 第1回:11月7日 第2回:11月14日 第3回:11月21日 第4回:11月28日 http://www.nhk.or.jp/shiruraku/200711/wednesday.html
2007年11月08日
NHK土曜ドラマ 「ジャッジ・島の裁判官奮闘記」を見ました。今日が、第1回「新天地」で、全5回。今日のNHK土曜スタジオパークに、主演の西島秀俊さんが生出演していたのをきっかけで見ましたが。この人、去年もスタジオパークに出演されていましたが、なかなか、好感のもてる俳優さんだと思います。奥さん役の戸田菜穂さんは、確か、去年の今頃放送されていた同じ、土曜ドラマ「ウォーカーズ」にも出演されていたと思いますが、それ以来、四国遍路にも興味を持ちました。内容ですが、以前、仕事の関係で、神戸・大阪他十数か所の裁判所に行ったこともあり、裁判・裁判所にも興味があります。先月は、「地方裁判デー」にも行ってきましたが・・・今回は、娘がいじめられるところで終わりましたが、次回からの展開が楽しみになってきました。
2007年10月06日
土曜ドラマ「ハゲタカ」最終回見終えました。この時間帯、去年の「魂萌え!」から「ウォーカーズ」・・・と見ています。一応、ハッピーエンドでしたが、・・・今までになかったタイプのドラマで、見ごたえがありました。一度原作を読んでみたいとは、思いました。しかし、柴田恭兵は老けましたねえ。松田龍平は、だんだん父親に似てきました。
2007年03月24日
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