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2005年11月30日
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カテゴリ: 日常(日々の泡)
 30日の午後9時です。 

 咳がちょっと止まらないので、少しでも
 早く寝ようと今日は考えている
 ところで。

 今日の昼間は、予告していた通りで
 舞台「阪神淡路大震災」を見るために
 神戸は元町海側、メリケンパークにある
 海洋博物館へ行ってきました。



 一つには、自分があの時(95年1月17日)、
 神戸に住み、この災害のそばにいた、という
 事実。にもかかわらず、山一つのおかげで
 大きな災害にはあわず(マンションは2割損壊
 で済んだ。耐震基準もきちんと守られて作られて
 たのは証明されていて、私は13階建てのマンション
 の8階部に住んでいたので、昨今の騒ぎとなって
 いるような建物に住んでいたらこの世にいなかった
 のは確実でしょう)、交通網が寸断された
 関係で会社に行くことも免除され、と
 むしろ楽をさせてもらえた部分もあって。


 半ばから4月にかけてだったと思う、食料の確保
 なども、それなりに工夫をしないとダメでしたが、
 そんなもの、山一つ向こうに住んでいた人々に比べたら
 屁みたいなもんで(イチローもそういうことを
 言ってた。彼のいたオリックスの合宿所から私の


 だから、この舞台に描かれていたような、直下型の
 災害は僕には起こってなくて。ただ、自分が記者
 だったのに、地震が起こった直後に、車に乗って
 外に出(全く車は周辺で走ってなかった。信号が
 すべて止まってたのは不気味でしたが)、被害の大
 きかった地域と逆の方(垂水区の方)へ走って
 「人は外に出てないけど、大したことないのか」と
 思った事実は未だに痛恨で。

  舞台にも出てきたAM神戸(ラジオ関西)の放送
 で「もう死んでる」「誰がですか?」「息子や(だった
 と僕は思うのですが、違ってたらすみません)」と、
 いう被災者と取材者(女性)のやり取りを聞いていて、
 “え?どこのことや”と思ったのも否定出来ず、で。
 朝の6時半ごろ、車の中で聞いた放送やった。取材者が
 「もう死んでる」という意味が把握出来ずに、何度も
 聞きなおしていたのも覚えています。

  事実を事実としてなかなか捉えられないのが、
 災害からほんの少し逸れただけの人にも起こる、って
 いうのは僕だけのことじゃなかったのは、この
 AM神戸の取材者の放送でも窺えた記憶があります。

 いざ、揺れたら何も出来ない、と舞台では告げて
 ましたが、これはその通りだと思います。揺れた瞬間。
 最初にドーン、と立て揺れが来て飛び起きたのですが
 その直後の問題の横揺れには全く対応出来ませんでした。
 布団から一歩も動けなかった。
 別の部屋にあった熱帯魚の水槽とかが割れる音が響き、
 ものが倒れる気配は感じてましたが、本当に動けなかった。
 寝ていた部屋に本棚をはじめ、何も置いてなかった
 のが幸運でした。下敷きになるものもなかったん
 ですから。

 揺れてる瞬間、考えていたのは人生を振り返る走馬灯
 じゃなく“ここは神戸だ。東京じゃない。これは地震じゃ
 ない”-だったのも情けない話で。90年から94年まで
 4年間、東京に住んでいて小さな揺れは再三経験して
 ましたが、神戸で地震、なんて、それこそ想定外で。

 ただ、“ここは8階だから、倒れたら死ぬな”と
 覚悟を揺れてる間のどの地点でか、したのも確か
 でした。車で外へ出たのは、揺れがとんでもないの
 を実感して周辺の様子を見るためだったのですが、
 実際の被害と反対の判断を僕は午前7時前にはく
 だしてました。

 だから、電気が戻ってきた午前9時半。テレビに
 映し出された神戸の様子の一部でびっくりした口
 です。停電してたり、ガスが止まった時点で気が付く
 べきなのに。

 長々となんの話をしてるんやろ。
 舞台「阪神大震災」を見て、考えた一番のことは
 こういうそのときの状況でなく、“オレはなんで
 何もせんかったんやろ?”で。
 取材者としてもイチローの動向を見守っただけだし、
 ただの人として考えたら救出活動にも参加してない。
 大体、当日か翌日に、神戸の繁華街に向かう
 努力をした記憶がない。

 同じ神戸でも山一つで大違い。
 20日には学園都市のパチンコ屋は再開して
 たの覚えているし、外食に頼れば垂水区
 名谷地区はなんとかなった。

 取材者としては、約一週間後に、会社の要請を
 受けて(電話も通じていた証拠ですが)、神戸総局
 に出向き、ようやく震災取材にあたりましたが、
 遅い。遅すぎましたね。

 僕の取材にあたった場所は、舞台に描かれていたような
 人々の生活でもなかったし。実際には見てるに
 違いない(西宮ー三宮間を何度も歩いてるから)
 のに、覚えているのは壊れかけた家から飛び出してる
 カーテンやボロ、家具、雑誌などが散らばってる
 光景ばかり。

 公演が行われたメリケンパークの取材にしても
 液状化現象でぐにゃぐにゃになった上に、砂まみれ、
 みたいな感じの時に、それでも集まってくるスケボー
 少年グループを取材した明るい調子の原稿を提出
 した記憶が。

 結局、被災地にいながら、自分も罹災証明(2割損壊)
 をもらいながら、被災の現実を見なかった、ということ
 なのか。

 別に後悔やざんげをしてる訳でなく。
 かっこのいいことなんか一つもしてない
 上に、状況判断も甘かった。って
 いうのを再認識はしましたが。

 不肖があの鷹取のピアノの写真を撮ったのが
 1月18日と聞いてます。昨日、講演の前に
 初めてカラーバージョンのピアノの写真を
 見せてもらいましたが、現場にいた、っていう
 のはそういう“証拠”を残してるケースの
 ことを言うので。

 阪神淡路大震災の時、僕は現場近くにはいました。
 それは間違いない。しかし、現場にはいなかった。
 不在だった。

 舞台「阪神淡路大震災」を見て確認できたことが
 その事実だったのは間違いありません。

 ps・毎日放送(MBS)の「VOICE」(午後6時
 15分から放映)の放送予定日が急遽、今日(1日)
 の予定から明日(2日)に変わりました。ご注意下さい。

 (下)演出者の岡本貴也さんが約束を守ってくれた
 証拠。海洋博物館大ホール、公演会場の入り口
 扉に舞台のポスターとともに貼られていた「不肖・
 宮嶋 報道写真展IN明石」のポスター。劇の
 トーンともマッチしたいい写真、という形になって
 ました、不肖の写真。「めっちゃピンぼけ」の
 表紙に使わせてもらえたのが今更ながら、光栄
 だったな、と思っています。ありがとう、岡本さん。
 ありがとう、不肖。





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最終更新日  2005年12月01日 09時22分28秒
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