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4 月の選挙に関して、知ってる人の名前が取りざたされて、同時に「遠くまで来たな」と改めて思っています。
辰巳拓郎さんがその人。
大阪の知事選出馬を打診された(断ったそうです)が報じられてました。
辰巳さんは、京大から発した劇団「そとばこまち」におられたのですが、私と接点があった 1983 年夏ごろは「つみつくろう」と名乗られてました。私は、当時、作家の沢木耕太郎氏に強く影響を受け「ルポライターになるんだ」と、意気込んでいた大学生でした。そして、のちに「リング」などを発表し、日本の映画プロデューサーの一人者となる一瀬隆重氏製作、植岡喜晴監督の自主映画「夢で逢いましょう」の撮影に、取材も兼ねて「手伝わせてほしい」とお願いしたのです。
いろいろ、ありましたが、結果はルポは書けず。ただ、ずっと手伝っていたため、車両係として今も映画にクレジットは残っています。同時に、「(背丈以外)辰巳拓郎さんに似ている」とのことで、数カット、辰巳さんがおられなかったシーンで、代役を務めました。
そして今。
当時、辰巳さんや手塚治虫さんの息子さんである手塚眞さんらのいた撮影現場で、「越えられない壁」を実感したのも確かで。恵まれた環境の人に、そうでない一般人が対抗できるのは、簡単には無理だ、というもの。才能を含め僕ら、一般人は、やはり、一般人だ、という劣等感でした。同時に、コツコツの積み重ねの努力しか僕にはない、と実感しました。
さて。
それから
35
年を経て。幸運にも、自信があった「ペン」を生かせて、スポーツ新聞社からスタートして、通信社の編集委員や作家の端くれ、そして政治家もやった今の僕の状況。コツコツと積み上げた人生の決算になるような年齢になってみて。
辰巳さん、手塚さんらは当然として、プロデューサーとして紆余曲折のあった一瀬氏、らと比してみても、検索してみると、情けないを通り越して。何がいやか、といって、起訴されたことも、有罪判決を受けたこともないのに、犯罪者扱いされいることです。
僕は「犯罪者」ではないです。
街のため、人のために頑張ってやってきただけですよ。特に、京都市西京区の方は、身近でしたから、よくわかってるはずです。メディアが、作った事件です。はっきり、明言します。メディアを、利用した人らももちろんですが、マスコミが、しっかり対応してれば、起こらなかった。
なんやねん、これ。絶対に、報道を許さないし、ネットに流した連中も、順番に出来るだけ刑事罰に問うていく。それしか、出来ないです。政務活動費のことも、チェックミスと報じられたことの裏側、理解している報道関係者も多いはずです。ロス疑惑の亡くなった三浦氏が、報道被害の名誉毀損で勝ち続けた理由。僕は刑事事件で証明していきます。
一度出てる限り、名誉は返ってこないし、信用も戻らない。それでもやらないと。
悔しいです。
35 年前。それこそ、夢をもって、映画の撮影現場に立ち会った、僕の今の終結点。ほんまに、「犯罪者」より、悪いんやろな、マスコミさん。証明してみろよ。事件の本質をきちんと、取材して報じてください。
と、心の中で、叫ぶのは許していただきたいです。
( 1 月 25 日の報道被害(朝日放送および関西テレビの偏向報道)での名誉棄損(京都地検、およびBPO=放送倫理・番組向上機構=に提訴済み)に関して、テレビ局 2 局と協議を続けており、こちらにいい方向で解決次第、改めて姿勢を表明する予定でおります。
写真の多くは、今回の事件の深層です。おびただしい数の留守番電話がすべてを語っています。これをきちんと取材出来るメディアが現在までいなかった、のがすべて。私が、あれだけの騒ぎになりながら、議会から「辞職勧告決議案」など出されなかったのは、ギリギリのところで、議会や多くの議員さん、議会事務局の方が気づいたからです。ほんとうに、ギリギリでした。そういう意味で、気が付いた多くの方に感謝しています。ほんとうに、本心から)