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稲葉忍

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Feb 8, 2022
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カテゴリ: テレビ番組
The・プロファイラーのお題はピョートル大帝(ピョートル1世)。(2/3放送)
ロシア近代化を推し進め、ロシアを強国に育てた皇帝を分析する

ピョートルはロマノフ朝のアレクセイ帝と彼の2番めの后・ナタリアの息子として1672年に誕生。父が亡くなると先妻の子・フョードルがツァーリーになったが、すぐに死去。ピョートルが10歳でツァーリーとなったが、それが面白くないのが先妻の実家と腹違いの姉・ソフィア。クーデターを起こされて、ピョートルとナタリアは追放されてしまう。モスクワ郊外のプレオブラジェンスコエに移り住んだピョートルは近所の外国人村に出入りし外国人と交流して語学などを学び、気の合う友人とともに「戦争ごっこ」に勤しんでた。
この「戦争ごっこ」はかなり本格的で、実弾を持ち込み死傷者が出るほどで後に「遊戯連隊」の面々はピョートルの親衛隊になっていく。これについて荒俣宏は「ただの遊びじゃなかった」と評価。
ピョートルが追放処分だけで済んだのは研究者曰く、当時のロシアは男子しか王位継承権がなかったので万が一皇帝が死んだ場合の保険とするためだったこと、ソフィアが目指していたのが実権を握る目的だけとコメント
16になったピョートルは母の勧めで結婚。結婚することは成人したと見做さされていたとのこと。
「遊戯連隊」を率いてソフィアを追放するとピョートルはツァーリーに復帰。まず取り掛かったのはアゾフ要塞の攻略。自ら軍を率いて要塞の攻略に成功。
共同統治者だったイワン5世が死去すると単独統治を開始。・・・と思いきや、西ヨーロッパに使節を派遣し、ピョートルも偽名を使い使節団と一緒に西ヨーロッパへ。造船技術、美術館・博物館、学校制度などを学んだが、2mもの巨漢だったため周囲にはバレバレ。子供の頃から好奇心旺盛だったからお忍びで留学って・・・国を空けても大丈夫だったのかな?
 イギリスでは海軍を見学。関係者を質問攻めにしたほど


髭禁止令について西村和彦は「なんで髭なんだろう」と首を傾げてたし、髭禁止令に対して荒俣さんは「明治維新の時の丁髷を切るのと一緒だ」と評価。
服装をヨーロッパ式に改めたことってこれも明治維新での政府高官や明治天皇がしていた西洋化政策と一緒ですよね。「髷や着物姿のまんまだったら未開人扱いされてしまう」って思ったのと。(頑なに髷で通した人もいたが)
髭禁止令を出したもののそれでも髭を生やしたかったら髭税を取り立てたが「柔軟性があったのでは?」と西村は評価。
ピョートルの趣味として歯科学を学んだので家臣の虫歯を抜く・・・ってことをしたが、荒俣さん曰く、言うことを聞かない家臣に対する脅しだったのでは?と分析

<スウェーデンとの戦争・サンクトペテルブルクの建設>
歴代皇帝の課題の一つだったのは「不凍港の獲得」。ピョートルはスウェーデンを相手にバルト海の獲得に乗り出した。「不凍港の獲得」ってのは後のエカテリーナ2世の時も課題として残ってて何度か不凍港獲得のための戦争を起こしていた程だからなぁ。
最初の戦いではスウェーデンに完敗してしまう。スウェーデンはロシアに進軍かと思われたが、ポーランドに侵攻。その隙き突いたピョートルはスウェーデン領に侵攻して対スウェーデンの足がかりに。
サンクトペテルブルグは元は要塞が発展したもので今でこそモスクワに並ぶ大都市であるサンクトペテルブルクだが、ピョートルが整備する前は沼地だらけの場所・・・ってのは家康が整備する前の江戸と状況が似てますねぇ。
荒俣さんが2002年にサンクトペテルブルグを訪れたときの映像からおすすめスポットを紹介
ヨーロッパ各国の特徴を持つ建物、ロシア初の博物館、虫歯コレクションが登場

<息子の死>

エウドキヤと別れたピョートルは農民の娘・マルタ(エカテリーナ)と結婚。しかし、男児には恵まれず成人したのは女子のみ(後のロシア皇帝アンナとエリザヴェータ女帝)。アレクセイは父からヨーロッパ式の教育を受けるが、アレクセイはそれを受け入れることが出来ない・・・修道院に入りたいと言い出したりオーストリアに逃亡。そこでピョートルはカール6世(マリア・テレジアの父)にアレクセイを送り返してもらう。ピョートルは王子が政府転覆の意思を持っていたと信じ込み、彼の支持者を粛清した上でアレクセイの継承権を奪った。アレクセイは1718年に死刑を宣告され、その直後に獄死してしまう。
息子と折り合いが悪かったってところ、フランツ・ヨーゼフ1世とルドルフ皇太子の確執を思わせるな。

<その死>
1724年11月頃、ピョートルはネヴァ川河口の砂州に乗り上げた船の救出作業に親臨して真冬の海に飛び込んだことが原因で、体調を崩して重い膀胱炎を患い、翌1725年1月28日に崩御。跡継ぎを決めなかったため後を継いだのは後妻のエカテリーナ1世だった。
真冬の海に飛び込んで人命救助にあたったが、それが祟って死去・・・ということについてはある意味本望ではないかと西村さんは分析していた。






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最終更新日  Feb 10, 2022 09:06:49 AM
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