殿上人日記

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2008年05月27日
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カテゴリ: 長野、山梨の旅

諏訪大社本宮15

  実の話、諏訪大社が4つもあるとは
  御柱祭を取り上げたテレビ番組で
  以前から知ってはいたが、上社が
  どこにあるのかは知らなかった


諏訪大社本宮4

  下社とは、諏訪湖の対岸に位置する
  諏訪上社本宮に、今回は是非とも
  参拝をしてみたいとひとっ走りした

  これが「本宮一之御柱」なのかぁ~
  立派なものだ


諏訪退社本宮9

  樅(もみ)の巨樹の御柱が、上社本宮
  上社前宮、下社秋宮、下社春宮の
  それぞれの社殿の四隅に建てられて
  おり、七年目ごと御柱を更新する際の
  御柱祭は勇壮で、全国にも名高い


諏訪退社本宮6

  古事記によれば、出雲の大国主命は
  天孫の瓊瓊杵尊に国譲りを承諾したが
  息子の建御名方命は反対をし、軍神の
  建御雷神に力くらべを申し出たそうだ

  その力比べこそが、日本の国技の相撲の
  起源ともいわれている


諏訪退社本宮7

  軍神の建御雷神の手を掴んだ途端に
  その手が氷や剣に変化したのを恐れ
  建御名方命は逃げ出し、州羽の海
  (諏訪湖)で追い詰められて、もう
  この地から出ないことを誓って許され
  その結界として、四隅を仕切ったのが
  御柱の始まりだそうだ


諏訪大社本宮5

  境内には信州出身の江戸時代の最強の
  大関、雷電爲右エ門の銅像もたっていた

  江戸本場所36場所通算で黒星がわずか
  10。勝率は9割2分2厘だったそうで
  既に当時は横綱免許があったのに、雷電が
  なぜ横綱になれなかったのかは謎である

  身長197センチ、体重172キロの
  巨漢で、今の把瑠都と同じくらいらしい


諏訪大社本宮3

  諏訪明神(建御名方命)が、愛用された
  といと伝わる明神湯は、やはり温泉だ

  一時は敗れはした諏訪明神だが、奮起し
  信濃国の国造りを成し遂げたそうだ
  勇猛な軍神としても武門の信仰は厚く
  元寇の際には、龍神としてあらわれて
  「神風」を引き起こし蒙古軍を蹴散らした
  とも言われている


諏訪退社本宮10

  江戸時代までは、最高位の祀官にあたる
  大祝だけが、床に布を敷いて渡っていた
  為に「布橋」と呼ばれる長い回廊


諏訪大社本宮14

  御神体は標高1650メートルの守屋山で
  あり、昔から観天望気(自然現象や生物の
  行動の様子などから天気を予想する事)や
  雨乞い祈願の山として崇められてきたそうだ


諏訪大社本宮12

  こちらでも、人生の晴れの日を集いて
  祝う姿が華やいでいた。うちの甥!
  姪! 誰か披露宴に私を連れてって~ 


諏訪大社本宮2

  5月も下旬であるというのに、信州の
  標高千メートル近い有賀峠では、桜も
  まだ残っていた。もっとも諏訪湖でも
  標高は、759メートルもあるそうだ


諏訪大社本宮1

        平成20年5月18日に信州、諏訪で撮影





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最終更新日  2008年05月27日 17時15分38秒 コメント(95) | コメントを書く


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