バックパッカーの旅Ⅰ(東京~アテネ)

バックパッカーの旅Ⅰ(東京~アテネ)

三者三様のチケット



   土曜日で、銀行が閉まっているという事に気づき、闇屋を探す事にした。
 今日から、朝食をぬく事にしよう。
 日本に居た時から、ずっと一日二食を通してきたのだけど、この旅は体力を使うのだろう、旅に出てから一日三食の習慣がついてしまっている。

   近くの毛皮屋へ入る。
 両替を頼む。
 1$≒16.5TL
 銀行より、少し良いレートで、30$ばかりを両替する事にした。
 30$≒495TL≒11,140円

   両替を済ませた後、グンゴー・ホテルで新保君を暫く待つが、なかなか姿を見せない。
 政雄と二人で、バス・ガレージまで、バス・チケットを購入する為に行動を起こした。
 Bus、NO92に乗り込む。
 車掌が、後部扉の近くに座っていて、我々がバスに乗り込むと、すぐ切符を切ってくれた。
 距離によって、料金が違うのだろう。
 いろんな種類の切符を手に持っていた。

   ガレージの手前で下車。
 こ交差点は、イスタンブールに初めて到着して、グンゴー・ホテルが何処にあるのかも知らず、不安そうにトボトボと歩いていた、なつかしの場所である。
 トプカピ・ガレージに入ると、大きな看板が処せましと建物に掛けられているのが見える。
 色とりどりの大きな看板だ。
 見ても、どの看板がバス会社の看板なのか、まるで分らない。

   何処でも良いのだ。
 何処のバス会社でも、同じなのだから。
 建物に近づくと、早速客引きが近づいてきた。
 広場に半円を描くようにして、オフィスが並んでいて、中央にあるオフィスに入った。

   事務所の中は実に簡素で、チケットを扱うカウンターと、少しばかりのイスが並べられているだけだ。
 待合室を通り抜け、突き当りのドアを開けると、バス・ステーションがあって、バスはオフィスに横付けされているようだ。
 早速、十月十一日分の、イスタンブール~Izmir間のチケットを購入した。

       受付「朝、九時スタートだ。8時半までに、このガレージまで来い!」

   朝がきつい。
 Istanbul~Izmir間、実に十二時間のバスの旅なのだ。
 朝出れば、夜Izmirに到着するはずだ。
 地中海の東を、北から南へとトルコを縦断するのだ。
 素晴らしい景色が広がっているに違いない。
 この時は、淡い期待で膨らんでいた。
 この旅始まって以来と言う地獄が待っているとは、この時はまだ知る由もなかった。

   政雄は、Istanbulを西に直接、ギリシャに入るという。
 国境の町”イプサラ”までのチケットを、別のオフィスで購入していた。
 25TL≒560円
 バス・ステーションの周りには、露店なども数多く出店していて、かなりの賑わいを見せている。

   新保君は、もうすでにアテネまでのチケットを購入済みとかで、ここからダイレクトでゴールであるアテネに向かうつもりなのだ。
 Istanbulで合流した3人。
 三者三様、別のルートでアテネを目指す事となった。
 これは後で聞いた話ではあるが、政雄と新保は国境で再会する事になるという。
 それはこうだ。

                  *

    ”国境からヒッチハイクをしようと、イプサラでバスを降りた政雄が歩いている処へ、新保君を乗せたアテネ行きのダイレクト・バスが通りかかったのだという。政雄が歩いている姿を、バスの中の新保君が見つけて、「僕、降ります!」ととっさに車掌に告げていたというのだ。本文を忘れていた新保君は、歩いている政雄を見つけて本文を思い出したのだ。新保君は、政雄と一緒にヒッチハイクをやる事にしたのだ。
バスを途中下車した彼らには、過酷なことが待ち受けていた。四日間で進んだ距離は200キロに過ぎなかったというのだ。その間、耕運機で一日三キロしか進まなかったり、雨の夜峠をトボトボと歩いたり、峠で野宿をしたり、それは散々だったそうです。彼らは、我が連盟が出版した本の中に書かれてあった「ギリシャからは、ヒッチがし易いので、是非やるべし!」と言う文章を書いた人を、本気で恨んだそうです。
あまりにもヒッチが出来ず、時間がかかり過ぎるので、テサロニキから大金をはたいて、アテネまで飛行機で飛ぶ事にしたというのだ。”

   この後、陸路をヒッチで向かった仲間達は皆、全てこのような数奇な運命を辿る事になるのだ。
 俺もその中の一人である事に、間違いはない。
 六年前のガイド(第十回大会、全日本ヒッチハイク競技大会)しか持たない我々は、このように話とは随分と違う体験をする事になったのだ。
 この旅に出る前は、何度となく開いたものの、あまりにも酷い体験が書かれていて、不安に駆られるばかりなので、それ以来目も通さずバッグの奥深くに仕舞い込んだままだった。

   そんな運命が待っているとも知らず、政雄君と新保君の二人は、最後のヒッチハイクだと言って感激し、期待に胸膨らませているようなのだ。


                   *
   グンゴー・ホテルのロビーへ戻ってからは、政雄達を引き連れてブッティング・ショップへ行くことにした。
 昼食を取った後、バザールで見つけていた、皮のバッグを120TL(≒2700円)で購入。
 170TL(≒3825円)の値札がついていたのだが・・・・。
 その他、小物入れを含むと、US10$の出費となってしまった。
 なかなか、思うようには負けてくれない。
 値段があって、値段がないようなものだから・・・、欲しいと思ったら、どうしようもない。
 購入した物をホテルに置いてまた、街へ出かける事にした。

   ガラタ橋の袂で海に浮かぶ船でフライにした魚を食する。
 今日はこのガラタ橋を渡ることにしよう。
 坂の多い街だ。

       俺 「この辺に、高級娼婦街があるはずなんだがナー!」

   辺りを見渡すが、それらしい女が立っているという様子もない。
 もちろん今は昼間なのだが・・・・。
 石畳で出来た、真っ直ぐな坂道を登っていくと、正面にイスタンブールで一番高い建築物と思われる、タワーが空に向かって延びている。
 新保君の話では、このタワーの9階で有名な「ベリーダンス(臍踊り)」が見られるらしい。

   昼間なのでやっていないだろうと思いながらも、登ってみる事にした。
 何段も階段を上ると、受付があった。
 有料で、一人5TL(≒112円)。
 エレベーターで七階まで、そこからは回り階段を自分の足で、8階・・・9階へと上る。
 途中、喫茶室やレストランがあるが、高そうだ。

   展望室なんてのはなくて、レストランにあるベランダから、イスタンブールの街を360度眺望できるようになっている。
 さぞ夜景は奇麗だろうに。
 ここからは、アジア側のイスタンブール、そして海の景色が落日に輝き美しい。
 まさに荘厳な美しさだ。

   急斜面にひしめき合って建ち並ぶ石造りの家々。
 その間を縫うようにして流れる青く輝く川と海・・・そして、見上げるような橋。
 川には、大小の船が白い軌跡を残して、縦横に滑っていく。
 目の前に、今まさに広がっているヨーロッパとアジアの接点を実感している。

                 *

   タワーを後にして、子供達が遊ぶ石畳の路地を抜けて、ガラタ橋まで戻ってきた。
 海には小船が、波に翻弄されている。
 そんな小船の中で、漁師が取って来たばかりの魚を両手に持って、威勢良く声を張り上げている。
 その勇ましい声に、足を止めた婦人達が今夜の夕食にとお金を差し出す。
 波に揺られながら、漁師とご婦人達の商談が続いている。

   そんな横で、釣りをしている子供達は、落日を忘れてしまっているようだ。
 せわしなく人の波が、橋を往来していく。
 モスクの丸いドームが夕日に輝いている。
 もう日が沈もうとしている。
 イスタンブールの町に灯が灯りだすのも、この頃からだ。

       俺 「おっさん!フライ、一つ頂戴!」

   揚げた手の魚のフライを5TL(≒112円)で買った。
 ここへ来ると、これを食べない訳にはいかないようだ。
 明日も明後日も、我々がイスタンブールを去った後も、相変わらず大きな丸い鉄板の中で、揚げられている魚の”ジュ―!ジュジュ―!”と言う音がいつまでも続いている事だろう。

   粋な食べ物。
 ここには、なくてはならない食材なのでしょう。
 後一週間でゴールであるアテネに到着するでしょう。
 つかの間の安らぎなのです。
 夜の帳が今、このガラタ橋の上に静かに下りようとしている。
 夜はこれから。
 そう、これからなんです。



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