2002年10月14日
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類
「文学のこみち」には、その他に柳原白蓮の

「ちゝ母の声かときこゆ瀬戸海に
     み寺の鐘のなりひびくとき」

金田一京助

「かげともの をのみちの やどの こよなきに
たびのつかれを わすれて いこへり」

正岡子規

「のどかさや小山つづきに塔二つ」

などの句碑がある。その中でtetywestが一番気に入ったのは、


        光る孔雀の尾の道の沖」

だった。tetywestがロープウェイから降りたとき感じた尾道と海との関わりを、軽妙な和歌で見事に表していた。作者は誰だかお判りだろうか?

有名な弥次郎兵衛、喜多八を主人公とした「東海道中膝栗毛」の作者、十辺舎一九。山陽道漫遊中の作なのだそうだ。

「文学のこみち」を下ってくると、そのまま千光寺の境内に入る。大きな岩に囲まれた寺は、全体が清水の舞台のように山からせり出している。境内はとても狭くて、鐘楼と本堂は大きな岩で遮られた別々の場所に建てられていた。この鐘楼が「文学のこみち」でも何度も見かけた有名な「千光寺の鐘」なのだ。しかし鐘楼は鎖で囲ってあって、勝手に鐘を鳴らすことは出来ない。

ここからの眺めはまさに絶景だった。千光寺の鐘が有名になったのは、その音色ではなくて、そのロケーションが大きな要因だったのだろう。

zk16

千光寺を抜けても「文学のこみち」はまだ続いていた。最後にあったのは、自然石の岩肌に彫られた頼山陽の漢詩だった。

「磐石坐す可く松據る可し 松翠缺くる處海光露わる
 六年重ねて来たる千光寺 山紫水明指顧に在り
萬瓦半ば暗くして帆影斜めなり 相傳う残杯未だ傾け去らず
 首を回らして苦に諸少年に嘱す 記取せよ先生曽て酔いし處と」

もちろん岩に彫られた漢詩に「ひらがな」は送ってない。これは「広島県竹原市の人、『日本外史』『日本政記』などを著わし、明治維新の大業成就に寄与したところのは大なるものがあった。尾道には文雅の友も多く、度々来遊したが、この詩は、文政十二年、千光寺山に登ったときの作である。」という説明文に書かれていたものを丸写ししたものだ。

「(社)尾道観光協会」 です。






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2002年10月14日 11時20分42秒
コメント(0) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

×

カレンダー

キーワードサーチ

▼キーワード検索

コメント新着

鶴亀彰@ Re:50年前のビデオ(2)(08/08) 突然のメールで失礼致します。私はカリフ…

バックナンバー

2026年09月
2026年08月
2026年07月
2026年06月
2026年05月

© Rakuten Group, Inc.
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: