パープルレッド

2002.04.02 YUKI in ZEPP札幌

■zepp札幌の悲劇



2002年の春、暇を持て余していた私はYUKIのライブチケットをなんとか入手し初めてのzepp札幌へ行ったのでした。
初めてだったそのあにはzeppがどこにあるのかすら分からず、ちょっと首を右にさえ振ればzeppがあるのにコンビニで場所を訊ねては店員さんの失笑を買ってみたりと、とにかく初めてだったのだ。
ライブの数時間前に着いた私は、とりあえずツアーバスを見ようと裏口へ回って見たのはいいが写真を撮り忘れるという、いかにもな失敗もしてしまったのだ。

入場のために席を確認してみると、私の席は一階席のCブロック。
ブロック席ってことは勝手に動いて前の方に行ってもいいんだなーとか、当初はとってもはた迷惑な事を考えていたそのあでしたがいざ入場してみるとそれどころじゃありません。

人の流れに身を任せるというのはこのことなのか、 とまで思ってしまうほどそれはそれはな大渋滞。
韓国の民族移動もびっくらなほど、まぁ動けるっちゃー動けるし前にも進めるんだけど新参者にはそこまでできませんでした。
なんとなく周りを見回してみればブロック中真ん中に居たようでした。


そしてライブが始まり(大雑把過ぎる文章構成だな)、オープニング曲が 【呪い】
いやいや、ちょっと待ってくれよ。

生YUKI見たばっかで感動してるウリを早速呪い葬ろうとでもいうのか!

いやいやしかし、このオープニングはステージの構成上とてもよかったなぁと今思えば思っています。
しかし当時リアルにzeppでYUKI姉さんからの呪い光線を浴びていたそのあにしてみれば、とてつもなく悪雲が立ち込めてきたような気がしていたのです。

こんなにもすんげぇ密集地に居る自分が不思議で、むしろなんで私はここに居るのかふと考えちまったくらい、そのあの思考回路は逆回りしてみたりとてんてこまいでした。
思い起こせばチケットゲットの幸せに包まれてここまで来たんでした、それだけが心の支えでした。(嘘つけ)

ライブはぶっ飛び、とりあえず本編終了した頃でしたか、徐々に外見にもその異常さが現れ始めまして。
汗がだらだら流れてて暑いんだか寒いんだかよく分かんなくて、しかしそれでもアンコールでYUKIが出てくるのを待っていた私に隣に居た見知らぬ女性二人組が「大丈夫ですか?」と声をかけてくれたのでした。

しかし、私はまだ生YUKIが見たかった。
アルバム一枚分のライブしかしないんだから、せめて全曲アンコールまで聴いて帰りたいんじゃ!

だから「大丈夫です」と、 絶対嘘!そんな今にも死にそうな顔してるのに大丈夫なんてありえない! とか反論されるの覚悟で答えてみましたが、寂しいことに「そうですか」と言われて終わりました。

ライブは終わり、生YUKI姉さんはさっさとステージを去っていきました。
そしてそれから、人の波がうねりをあげるようにして出口へ殺到し始め、そろそろ呪いの効果が現れ始めるのだ。

まず、その場から動けなくなる。
歩き出す一歩も出なくなるくらい、姉さんのパワーは強烈できっとそれでYO-KINGさんを射止めたに違いない。(何)
とりあえず人が出ていくまでそこで待ってることにしたんですが、やはり人の波に流されてあっという間に廊下へ出されてしまいますた。
だから廊下で迷惑にも座り込んで人が少なくなるのを待っていたのですが、きっと迷惑だったんだろうな。

あのときのみなさま、すいません。(こんなところでなんですが)

そんな瀕死状態のそのあはzeppスタッフの皆さんにも伝わったらしく、冷たいタオルとお水をいただきました。
気持ちよかったっす、あれほど水を含んだただのタオルが気分を変えようとは、それまで思いもしませんでした。
しかし、きっと迷惑だったと(以下同文。

会場閉めなきゃいけないからと申し訳なさそうに言ってくるスタッフの方を背にホテルに戻ろうとしたそのあでしたが、見事なまでに脱力しておりました。
足はがくがく、ツアーパンフレットやらTシャツやらの荷物を持つ腕もがくがく、目は虚ろ。
ちょっと間違えるととてつもなく逮捕されそうな人と思われそうでした、まだ汗流れてたし。

そういえば帰りの地下鉄の切符を買っていた私。
しかし、そうやって妙に気の利いた日は必ず裏目に出ると数々の裏付けが証明していただけあって、今回もやっぱ使うことなく無駄に終わってしまったこの切符。
どう考えても地下鉄には乗れそうもなく、ふらふらと人を求めて近くの店に入ってみるとなにやら怪しげなスーツを着た男の人複数人が入口に立っておりました。(別にスーツが怪しい訳じゃない)

そんな私の第一声。
「み、水をください…」

水くらい数メートル先のコンビニで買えやっ!!

と突っ込まれそうなこと請け合いな事をのたまっていた事に、今、平常心の今だからこそそう気づける。(遅)
この時は生きるのに必死だったんだよ、少しでも生YUKIの感動を長く保っていたかったんだよ…。

しかし素敵な殿方は苦にもせずそのあにお水をくださいました。
そのうえ、「大丈夫?」「具合悪いの?」とか色々と心配までしてくださったのでした。
そのうえ、夜間でも診療している病院を探してタクシーを呼んでくれて行き先の病院名を運転手さんに伝えてくれてあとは私が乗るだけ、という素敵な配慮もしてくださりました。

あのときの不思議で素敵な男性の皆さま、ありがとうございました。(こんなところで)
おかげで今となってはぴんぴんのばりばり元気で味スタに行っても元気にしております。
ところであのお店は一体どんなお店だったのでしょう、すっかり謎のままです。
ホストっぽかったようにも思いますが、果たして。


タクシーに揺られ連れられたところは、ちょっと古めな夜間診療も行ってる病院。
しかしここで旅先ならではの問題が発生。

保険証を持っていないというだけの理由から全額医療費払ってください、と受付で言われる。

そりゃ持ってねーすよ、だってまだ未成年だもの。(開き直るな)
仕方ないか…と思い受付を済ませ診察を待っていると、やっぱそれは困るよなと自分の財布を眺めてみる。
明らかに大金大枚は見当たらず、不安の色が濃くなる。
そもそもいくらくらい取られるのかすら分からなくて、あんな薄っぺらい紙も偉大な存在であると実感させられ、迷惑にも 違う病院に行きたいから紹介してくれと看護婦さんに訴えてみた。

そのあの体調を心配しつつも看護婦さんに書いてもらった別の病院の住所をタクシーに乗って目指しながら、ここでも保険証の心配しかしていない。

しかし行った先の病院では、FAXで保険証のコピーを送ってもらえれば大丈夫ですとなんとも頼もしい言葉に泣きそうでした。
そして家に電話してもらってコピーを送ってもらって、なんとかこの件は無事に終わりました。よかった。

診察を終えて(といってもここまでの経緯を答えて薬の処方しかしてない)、ロビーで静かーに帰りのタクシー代を計算していると、診察してもらった先生から「後は帰るだけだから大丈夫だよ、もう安心して」なんて優しい言葉をかけてもらって更に涙。

帰りのタクシーの中で、どうやらGLAYファンの息子を持つ運転手の親父さんと意気投合、いやぁあんな大人数の集まるところに行くなんてすごいパワーだよねぇとそのあを慰めてくれる親父。
GLAYの2001年カウントダウンライブに親父の奥様と息子さんが行ったらしく親父はその運転手役をタダでやらされたと聞かされ、なんとも和む話で盛り上がる。(盛り上がれないって)

しかも親父はタクシー代を40円おまけしてくれるという、すごく素敵な親父でした。
すいません…そのあが小銭を出すのが遅かったばっかりに…。


そんな感じで宿泊先のホテルに着くことができて、なんとか家にも帰れて、そのあの現在があるのでした。(省略しすぎ)
ちなみにこれがあってからというもの、保険証のコピーは常に持ち歩き予定にないタクシー代も持ち歩くようにしております。
その前に人混みに飛び込んでいくような事はしないように心がけております。

今となっては記念物語でしかないですが、もうzeppには行かないと思う。

頼むからzeppでライブだけはしないでくれ>紫雨林。


思い出の一枚。
PRISMIC そんな愛すべき姉さんの1stアルバム。絶品。
YUKI bag ライブに行く前日にラジオ番組プレゼントで当選した、PRISMIC仕様バッグ。
しかし届いたのがライブから帰ってきた日だったので、これを持ってライブに行くことはできなかった。しょぼーん。


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