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何故か増えているアクセス数が、ついに17万を越えました。ありがとうございます。16万の感謝を伝えたのが、12月2日。52日で1万アクセスをクリアできました。四方八方に散らかり放題の方向性に、いったい何を求めてご来訪いただいているのかわかりませんが、これからも未来につながる今日の一歩を重ねていきたいと思います。さて、「駄歌凡歌」ですが、年明けでもありますので(ちょっと遅まきですが)、新年の抱負をしたためようと思ったのですが・・・ 新春に 何を誓うか 夢算段 かくなりたしと 思うは執着今年こそ などと勇んで 誓っても 瞬きの間に 来年の今日一年の 速さを嘆き 日が暮れる 十年ならば 形となるやも残された 時間のなさを 嘆くより 今を生きてる 喜びを知るひとつづつ 積み重ねれば 見えてくる 今できること これから見る夢前向きに 生きるということ なるように なると解れば 無理もしないで健康は 病から逃げる だけでなく 病に勝る 体とこころ欲しがりが 欲深き故の 枯渇感 損得の枷 囚われの人正義とか 経済効果を 秤(はかり)とし 失うものの 大きさを見ず千年の 風雪に耐える 信念を 抱かんとして 宇宙に感謝 毎日、毎月の時の流れが、日々速くなっていくようで、何かの準備は半年前に始めなければ間に合わない気がします。時が速く感じるのは、記憶力が低下しているせいで、脳の中がコマ落とし状態なのです。とはいえそれは誰しもあることで、生まれた時から組み込まれている仕組みです。なるようにしかならないけど、なるようにはなるのです。身体の成長は、とっくに停止しましたが、心の充実は、自身が求める限り一生続きます。宇宙の法則にしたがって、楽しく精進に励みましょう。
2015年01月23日
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パートナーの作品の中で、人気の高いものです。全長7センチの小っちゃいサイズで作ってみました。 原画はこちら。 原画には、「ぼく、どこにいるの?」というキャプションが付いています。天界から落とされたばかりの、まだ状況がつかめていないビギナーの堕天使のようです。 「堕天使」というのは、天界から追放された(堕落した)天使のことで、下界において悪魔のグループに引き込まれていきます。何故彼らが天界から追放されたのかというと、”傲慢”と”嫉妬”が原因ということらしいです。だから、傲慢と嫉妬に満ち溢れた、僕も君も堕天使の仲間です。なんとなく親近感を抱くのは、そういう訳だから。「ぼく、どこにいるの?」は、人が一生問いかける命題でもあるわけです。
2015年01月20日
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昨年11月に公開予定だったアメリカ・ソニーピクチャーズエンターテイメントの映画『The Inerview』が、北朝鮮のものと思われるサイバー攻撃に合い、上映を中止する事件がありました。北朝鮮が、「完全なる現実の歪曲とおかしな想像でつくられた謀略映画の上映は、尊厳高いわが共和国に対する極悪な挑発行為であり、正義の人民に対する耐え難い冒瀆」と非難声明を出し、製作者側に対し「われわれの断固たる懲罰を受ける必要がある」と脅したために、上映館側が上映を回避し、配給元も中止に追い込まれたということです。これに対しオバマ大統領は、「(ソニーが)直面した問題については同情の気持ちを感じる。しかしそれではあっても、結論が間違っていることは間違いない。われわれはアメリカにて、どこかの国の独裁者が検閲を課すような状況を看過することはできない。アメリカ国民も、そしてアメリカという国自体も、そうした状況を許すことはできないと考えている。」とわざわざ公式会見で意見を述べました。アメリカはテロと戦う国なのだと言いたかったのでしょうが、肝心の映画の方は見ていないと思われます。もし見ていたら、こんな発言にはならなかっただろうと思われるからです。映画を見た、評論家の町山智弘氏の解説をお聞きください。 この映画は”バカ映画”で、真面目に話題にするようなものではない。そもそもサイバー攻撃(ソニーのコンピューターに侵入して、未発表映画のシナリオを公開するなど)をしたのが、北朝鮮なのかも疑わしい。というものです。 という情報を得てから、ネットでこの映画を見てみました(たまたまあったので)。確かに、ほとんどが下ネタの、絶対デートとか家族では見に行けないような内容でした。変態向けの映画なのですが、僕はそこそこ面白く見ました。まあ誰しも秘密裡には変態なわけで、ひとりで見るには良識の囲いは外せるものです。という一部のニーズに合致したこともあり、宣伝効果抜群のこの映画は結局、オンデマンドやインターネット配信で37億円の売り上げを記録したそうです(7日前のニューヨークタイムズ)。世界中で話題にしてくれたおかげで、災い転じて福となりました(もしこれが計画されていた作戦だったとしたらすごい)。内容は公表されているように、アメリカのインタビュアーが金正恩にインタビューする機会を得て(金正恩が彼のファンだった)、美人CIAから暗殺を依頼されるが、会ってみたら意気投合して・・・というものですが、クライマックスのインタビューシーンでは真面目に北朝鮮の虚像をはがし、独裁者に国民の窮状を見るように諭す場面もあります。きっと企画の段階では、ここが強調された良質の映画だったのでしょう。下ネタのシーンをカットすれば、どうかなとも思いますが、そうすると長さが5分の1ぐらいになっちゃうだろうなあ。ところどころ名作映画のパロディも含まれていて、問題となった金正恩の頭が吹っ飛ぶシーンは『インディージョーンズ』のラストを彷彿させます。映画的には、この程度のパロディ映画は存在していましたし、北朝鮮と金正恩は実名ではなく架空の設定にするのがこれまでのルールだったような気がします。いくらコメディでも、現存する人物を貶めるのは限度を持つべきです。日本人だって、天皇陛下が侮辱されたり殺されたりしたら憤慨する気持ちは理解できます。チャップリンの『独裁者』は、トメニア国のヒンケルとしてドイツのヒトラーを批判しました。1940年の制作で、まだアメリカは大戦に参戦する前でしたので、完全に独裁者を風刺するための作品でした(国威高揚のためではなく)。思い出しついでに、あの名場面を 映画とはかくあるべきです。 そして、現在世界中で抗議の渦が巻き起こった、イスラム過激派の「フランスの新聞社襲撃事件」について。事件は、新年1月7日、フランス・パリにある風刺週刊誌を発行している「シャルリー・エブド」本社に覆面をした複数の武装した犯人が押し入り職員を襲撃、警官2人、編集長、風刺漫画の担当記者ら合わせて、12人が死亡したというものです。1月7日発売のシャルリー・エブドには、イスラム過激組織を挑発するようなムハンマド(マホメッド)のイラスト」が掲載されていました。以前にも2006年、2012年に「ムハンマド」を題材にした漫画を掲載して、イスラム団体から批判を受け、デモに発展していたという経緯もありました。2006年のムハンマド風刺画掲載後から、シャルリー・エブド関係者は絶えず殺害すると脅迫され、警察の警護対象になっており、2011年には同紙編集部に火炎瓶が投げ込まれて全焼する事件が発生、2012年のムハンマド風刺画掲載前にはフランス政府から同紙に風刺画掲載の自粛要請が行われていました。世界の論調は、「イスラム過激派テロと戦う」というものに、「表現の自由を守る」という二つの正義が交錯し、燃え上がりました。11日には、パリで追悼・反テロ集会が行われ、370万人がデモに参加しました。先頭には、フランス・オランド大統領と並びドイツ・メルケル首相、イギリス・キャメロン首相、スペイン・ラホイ首相、その他各国首脳が駆けつけました。その中には驚くべきことにイスラエル・メタニヤフ首相と、敵対するパレスチナ・アッバス議長も輪に加わっており、両首脳はこの場で初めて対面する機会を得ました。 僕も、”反テロ””反殺人”は当然同じ気持ちで支持しますが、デモで見かけられた「私はシャルリー」というプラカードを掲げる気にはなれません。僕も自由主義圏の人間ですから、”表現の自由”は守られるべきものだと考えますが、人の尊厳を傷つけることも含む「何でも自由だ」という論には賛成しません。シャルリーが最初にイスラムに抗議を受けた時に、相手の考え方も理解するべきでした。世界中が自分と同じ考えになればいいのだ、と思っているのかもしれませんが、そうではないのです。イスラムでは、偶像崇拝は禁じられており(厳密にはキリスト教でもそうなのですが)、予言者ムハンマドの絵を描くことすら禁じられています。イスラムの教えでは、人は死ぬと天国か地獄かどちらかに行くことになります(宗教によって死後の世界は異なることをまず知ってください)。その選別はコーランを守るかどうかで決まります(よいことをしたかどうかではなく)。教えでは、自分が預言者の絵を描かないことはもとより、絵を描いた人間を見逃すことも罪になり、地獄へ落とされてしまいます。そう考える人間が、現実にいて抗議しているのですから、少しは斟酌するべきでした。しかも文化の違いと言ってしまえばそれまでですが、フランスの風刺画は、風刺というより相手を侮辱しているだけのものも多くあります。日本人に対しても、福島被災者に対する侮辱的な風刺画を描いていました。 シャルリー・エブドは14日の最新号で、またムハンマドの風刺画を表紙にして発売しました。「私はシャルリー」というプラカードを持って涙するムハンマドの絵に、「すべては許される」という表題が付いています。通常6万部の発行数だった雑誌を300万部刷って、その日のうちに売り切れになり、さらに追加印刷をして500万部にするとか。売れれば何をしてもいいとの考えのようです。おバカ映画があるように、おバカ雑誌があるのです。それに過剰反応する人や国があるのだから、すこしは配慮するのが利口だと思いますが。
2015年01月16日
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羊毛フェルトアートは、”観賞”を目的とし、手で触れることを前提としていません。針の先で微妙な凹凸を付けるので、触られると形が崩れたり、毛が抜けてしまうからです。でも、作り手としては、触ってもらいたいと思う気持ちもあります。それで、「ハートベア・シリーズ」は、固く刺して多少触ってもいいようにして、愛玩物としての機能も持たせました。 どうせならと、キーホルダー用の小っちゃいサイズのものも作りました。 すると、この小っちゃいサイズが売れました。 ということで、干支シリーズ(まだシリーズになっていませんが)も試しにキーホルダーサイズを作ってみました。 前の晩に作って、翌朝が早番だったのでパートナーには何も告げず、店に置いておいたら・・・ お手ごろな大きさのセットです。お玄関とかデスク周りに飾ってください。きっと幸運を呼び込みます。ということで、注文制作で販売も致します。2015年お年玉価格です!! 親子セット(台付き価格) 10000YEN 注文締め切りは、1月末まで。 2月末までにお届けします。ちなみに、小さいほうのひつじさんのマスコット、ボールチェーン付きは、3500YEN。こちらもご希望の方はご注文ください。woodypapaterrace@yahoo.co.jpと”親子”になって売り出されていました。素早いー。 詳しくは、パートナーのブログでhttp://plaza.rakuten.co.jp/teddybearterrace/diary/
2015年01月13日
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年の初めの「読書日記」は、やはり”幸せのひろいかた”の研究として、「幸せとは何か」を求めて、アラン著『幸福論』。アラン(本名エミール=オーギュスト・シャルチェ)は、1868年生まれ(1951年没)のフランスの哲学者。『幸福論』は、”幸福”というより、”生きる知恵”を集めたエッセイ集で、苦しみ悩みからうまく身をかわし、自分をコントロールする術が述べられています。エッセイと言いながら、哲学者の表現法は少々堅苦しく、難解でありました。例えば、今回取り上げた文章の最初にある部分は、集英社文庫版(白井健三郎訳)ではこうなっています。【 用心深いことに対して用心深くなるためには、恐怖心の働きがおのずから病気を悪化するということに思い至る必要がある。眠れないことを心配する人は、眠るに適した状態にはないし、胃の心配をする人は、消化に適した状態にはない。したがって、病気のまねをするよりは、健康のまねをすべきであろう。こういう体操のことは詳しく知られていない。しかし、健康のしるしとは健康にふさわしい運動にほかならないという定理に従って、礼儀正しい、また親切な身の振る舞いが健康に結びつくものであることは、断言できる。】原文の格調高さを重んじた訳なのかもしれませんが、読んだ日本語を、頭の中でもう一度翻訳し直す必要があります。今回見つけた幻冬舎(田中裕子訳)のものは、硬い表現も柔らかくほぐされて、すんなり吸収できるように料理されていました。やさしく書いてくれれば、なるほどと思うこともたくさんありました。93の項目の中から、このブログに合うようなものを抽出します。翻訳の違いもお楽しみください。いつものように〔 〕内は僕の補足です。 アラン著 『幸福論』恐怖心は、長く続くと本当の病気を引き起こします。かといって、病気になることを用心深くなりすぎるのも考え物です。考えすぎるとかえって病気になってしまうからです。眠れないのを心配する人ほど不眠症になりやすく、胃の調子を心配する人ほど胃腸を壊してしまいがちです。だから健康であるには、自分は病気だと思い込むのをやめて、まずは健康であるふりをすればいいのです。では、健康であるふりというのは、具体的にどうすればいいのでしょう?詳しいことはあまり知られていませんが、これだけは言えます。礼儀正しく、思いやりのこもった行動をすることです。よく言われるように、健康的な行いこそが健康の印なのです。〔今年も「健康コラム」の看板を掲げ、健康長寿を目指します。”身体の健康=心の健康=幸せになる考え方”です〕 不機嫌は「想像力の病」です。「想像力の」といっても、実際に存在しないという意味ではありません。本当の病気です。「想像力の」というただし書きがつくのは、自分が不機嫌になっている原因は自分の外側にあると思いながらも、実際にその状態を維持しているのは自分の心の動きのせいだからです。自分から好んで不機嫌になっているように見える人、あなたの周りにいませんか?ある種の精神疾患をもつ人に特にそういう傾向があるようです。不機嫌は治せない病気ではありません。笑顔をつくり、微笑むだけで不機嫌は治るはずです。想像力がもたらす病が本物であるのと同じように、想像力による治癒力もまた本物なのです。〔不機嫌を演じて得ることは何もありません。まわりに気を遣わせても、自分が偉くなったわけではありません。ただ迷惑な厄介者になるだけです。〕 私たちが幸せに生きるには、何よりもまず、自分が決めたことや自分が今している仕事について不平を言わないことです。文句を言わずにきちんとやっていくことです。私たちは、自分で選んだのではなく、他から与えられたことについて、「不運だけど仕方がない、これも宿命だ」と考えたがります。でも自分で選べなかったといって、よくない道ということはありません。不運などありません。私たちがそうしようと思えば、どんな道でも幸運に変えられます。〔目の前の景色に”色”を付けるのは、自分の脳です。自分が美しく色づけすれば、どんな景色も素晴らしい絶景に映るのです。〕 子どもは、試練を乗り越えながらいろいろなことを考えるべきです。よくないことをしたらすぐに謝り、どこが悪かったかを考え、心の底から申し訳なく思う・・・こういう子どもが私は好きです。その一方で、間違えるとすぐに言い訳をしたり、周りの人やもののせいにしたりする困った人もいます。自分の間違いをまわりやもののせいにする人は、決して幸せになれません。反対に、間違いを素直に認め、自分が悪かったと言える人は、そうした経験のおかげで強い人間になれ、楽しく生きていけるでしょう。〔人は死ぬまで成長できます。加齢による肉体の衰えはありますが、それを補うわざもあります。失敗や間違いは、心を磨く試金石です。失敗から学ぶということは、経験値を高めることで、嫌な気分を引きずることではありません。すべてを受け止め、貴重な経験を活かしましょう。〕 強制的に働かされるのを好む人などいません。いきなり災いが降りかかって喜ぶ人もいませんし、しかたなく何かをやってうれしい人もいません。でも、私たちは、自分で選んだことならどんなことでも喜んでやります。私がこういう文章を趣味で書いていると知ると、プロの文筆家は「ご苦労なことだね」といいます。でも私は誰かに強いられたわけではなく、自分の意志で、自分のために書いています。だから楽しいのです、いえ、むしろ幸せと言っていいでしょう。〔人の行動の重要度は、それがどれくらいお金になるかどうかではありません。お金のために、嫌々辛い仕事をしても、心身が壊れていくだけです。贅沢なことはできなくても、夢中になってできることに時間を費やすのは幸せなことです。〕 言葉はそれ自体が大きな力を持っています。口から発せられた言葉は、悲しみをあおり、あらゆる物事を覆いつくします。こうして、結果は原因となるのです。友達にライオンやクマに変装するように命じておきながら、変装した姿を見て本当にこわくなってしまったようなものです。不機嫌にまかせて、他人のことを悪く言ったり、世間を批判したりすれば、今度はその悪口や批判が自分に返ってきてさらに憂鬱になります。頭がいい人ほど、そういった過ちを犯しがちです。こういう人は大げさな口調で話したがり、周りもそれが当然だとおもうからです。さらによくないことに、悪口や批判は病気のように伝染します。まるで心のコレラです。〔悪口陰口が楽しいのは、その場のグループの共通認識に安心を求めるからです。当然グループが変われば認識も変わるので、真理にはなりえません。その場限りの、泡のような話でも、繰り返せば習慣となり、心に轍が生まれます。轍にはまって動けなくなる前に、心を常に平らにする注意をするべきです。〕 人間は怒りにとらわれると、まるでスポットライトを浴びて舞台に立っている役者のように、たった一人で悲劇を演じます。憎い相手のよくないところ、ずる賢いところ、策略的なところ、人を軽蔑する態度、これからしでかそうとしている企みなどを、モノローグでとうとうと語ります。怒りにまかせて演じているので、いっそう怒りが激しくなります。そういうときは、冷静になってよく考え、情念の嘘を見抜き、まんまとまるめこまれないよう気をつけましょう。「われながらこんなに興奮していたら、ものの見方や考え方がおかしくなってしまう。それじゃまるで、自分自身に向かって大げさな口調でモノローグを語る悲劇役者じゃないか」と、自分にいいきかせるのです。〔”怒り”の根源は、自分の個人的な”正義”です。しかし、”正義”とは多様なもので、絶対なものではありません。そんな狭い判断基準で、脳を興奮させても、毒が体に回るだけです。心の平穏こそ、健康の源です。〕 幸せについて、「幸せとはこういうものだ」と理屈をつっけたり、「幸せとはきっとこういうものだろう」と予想したりすることはできません。今、あなたが幸せであるかどうか、それがすべてです。幸せになれそうな気がする、とあなたが思ったとします。よく考えてみてください。あなたはすでに、幸せなのです。幸せは、見返りなど期待していなかった人に授けられる報酬です。〔現在の自分は、過去から引き継いだものです。しかし、過去に縛られるものではありません。過去がいかに不遇だったか(あるいは幸運だったか)を、現在の気分に反映させる必要はありません。大切なのは現在の自分が、幸せであるかということです。自分の手の中にある幸せを、しっかり認識することが大切です。〕 悲観主義は気分によるものです。楽観主義は意思の力によるものです。どんな幸せも、意思の力によってつくられます。幸せになるには、自分で自分の心を支配する必要があります。どんなに理屈をこねても無駄なのです。理屈はすべて気分の言いなりですから。奇妙に思われるかもしれませんが、幸せになることをまずは自分に誓わなくてはいけません。悲しい考えが浮かんだら、それは自分を陥れる罠に違いないと思いましょう。私たちは何もしないでいるとすぐに不幸せになってしまいます。何もしないでいると退屈が忍び寄り、退屈が不幸せをもたらします。〔幸せになるには、努力が必要です。それは悪魔の誘惑に耳を貸さない、という努力です。人は皆、幸せになるべく生まれてきました。神様が全部準備してくれました。素直な心で、自分という謎を解いていけば、必ず幸せになれるのです。〕
2015年01月08日
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一昨年の作品で、自分的には傑作の「ミーボン」。今まではこういう姿でした。 でも、原画をよく見ると、踏み台の上に立っていました。 それで、踏み台を作りました。 だから作品としては、踏み台(スツール)です。 ちなみにこの踏み台は、実物があります。10年前ぐらいに作って、結構便利に使っています。 それから、この子は、パートナーのYumiさんの絵を立体化したものです。 今年は、このキャラクターを全部立体化する予定ですが・・・。
2015年01月08日
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今年の初作品。毎年、干支の動物を作ることにしました。思い立ったのは去年でしたが、すっかり忘れていて、昨日慌てて作りました。急いで作った割には、かわいいかな?
2015年01月04日
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明けましておめでとうございます。昨年中はお世話になりました。本年も、よろしくお願いいたします。”健康ブログ”として書き始めたこのブログでしたが、時を重ねて紆余曲折、映画、読書、昭和話、サッカーと好き勝手な内容を書き連ねてまいりました。通りすがりの閲覧者様には、なんだかわからない怪しげな店にも見えるかもしれません。最終的には、「自分を知る」ということを目的としていますので、その日の自分の中から湧き出るものを書いています。その中で、今年は日常も開示したいと考え、創作記録も残そうと思っています。例えばこんな 羊毛フェルトの作品です。2年前から始めています。お店(テディベアテラス)ではこんなふうに 昨年はこれが人気でした それからこんな こちらは木工作品。カントリー木工家具が流行った10数年前ぐらいからやっています。 こんな感じでした。今も注文受け付けています。も、制作するのは暖かくなってからですので、ご注文済みのお客様、もうしばらくお待ちください。とりあえず構想だけはできていますから。 そんなこんなで、50代最後の年でもありますので、次のステップへ向けて、しっかり足場を固める一年にしたいと思っています。
2015年01月01日
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