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2015年03月11日
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カテゴリ: 骨折のその後
両腕の親指の付け根の痛みは今年の一月下旬ころより感じ始めていた。

骨折していてもテーピングと鎮痛剤の併用で、骨折していたのに捻挫と誤信して働き続けたり、右腕の50肩を経験後の間もなく左も50肩になってしまったり。親指の腱鞘炎で整形外科医の腱への注射で痛みが治まったら、体の使い方を変えることなく両側の腱鞘炎をまた起こしたり。

極めつけは、抗鬱剤のサインバルタで肩凝りが治まったものだから、ストレッチとかをすっかりしなくなっていたところ、今度の両側第一指の腱鞘炎。

肩凝りから首の凝り、頭痛がひどかった時期は、鬱の症状もひどかったのだけど、週何回も整骨院でマッサージを受け続けていたのに、鬱が改善して抗鬱剤の効果もあって、肩凝りがあっても自覚できず、整骨院通いもせず、「痛みさえなければ大丈夫」という安易な自分の身体への対処方法。

仕事柄一日の何十回となく手を洗ったり、速乾式消毒剤で手を清潔にしなくてはいけないので、整形外科で痛みを訴えればまた注射で痛みを治してもらえると、わざわざお休みをとって受診したものの、医師は注射を続けることは危険という。マッサージやストレッチ、指の使い方を変えたり、半身浴で体を温めるなどの努力をすれば自然治癒することもあるので、努力をするように促されて、やむを得ず近くの整骨院を受診。

痛みの閾値は人それぞれで、柔道整復士に言わせると骨折しても仕事をしていたような過去がある私は、痛みに強い、言いかえれば痛みに鈍感、らしいのだ。

柔道整復士の触診で痛みの部位や範囲が明確になると、痛みへの意識が高まることもあるが、急に痛みが深刻なものと認識出来るようになり、どこがどう痛み痛みの質がどんなふうに部位によって異なるか、一日のなかでどのように変化するか、痛みを感じる時間は何時かなど、昨日までとは打って変わったように自分の感覚が鋭敏になる。

一人で自己対話を繰り返すだけでは、気がつかない自分という存在のあり方が見えてきた。


鎮痛剤を定期的に服用しなければいけないような痛みなのに、自分一人の感覚に頼っているだけではその痛みの本質もつかめない。



とりあえず、痛みで不自由を感じている私は、痛みを治める方法を実践して自由な私を取り戻さなければならないのだけれど、この痛みに対する行動を変えることで自分を変える機会となることができたら、腱鞘炎という怪我はまた新しい自分作り始める好機といってよいのかもしれない。

他者を介することで、自己像が露になり、そこを出発点にして、変化を遂げていく。

人が生きて行くことは、圧倒的に他者とのかかわりの連続とも言えるが、そのかかわりの意味が毎日毎日新しい自分をつくっていくことになるものだと、整骨院のベッドに横たわりながら考えたのでした。





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最終更新日  2015年03月11日 22時35分56秒
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