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2017年03月13日
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カテゴリ: 休日の過ごし方
 春日神社と言えば、奈良時代初めに創建された日本でも古い神社の一つ。

 明治維新で、廃仏毀釈により、神社と仏閣は別になり仏教は大弾圧を受けた。

 古来より、為政者は国体護持のために宗教を利用すると同時に、また弾圧をしてきた。

 国体護持のために仏閣を作り、密教の時代は国家鎮護のために護摩を焚いてきたし、その宗派に帰依したりしてきた一方、儒教を習い、中国の中央集権国家のありようをまねて「国家」を維持しようとしてきた。

 現在教育勅語について、いろいろなニュースが流れているが、教育勅語の何が悪いか、ごくごく当たり前の人間の在り方を説いているにすぎないという反論もある。11項までは、ユダヤ教や仏教と同じような人間社会で生きるための徳目を説いている。しかし12項は、「臣民」は天皇のために、国家存亡な危機の時には命を落とせという内容。

 春日大社の神様は茨城の鹿島神宮から鹿に乗って神様が春日野に降り立ったという話で。仏教が広まるにつれて、神様にはそれぞれ仏がその姿を表しているという。もともと紙には姿がないと言いながら、神の鹿(神鹿 しんろく)に載っている男性はその時代の官吏とも思える少し小太りの男性。この男性に仏が宿っていた??

 宗教は伝来してその風土の中でまた形を変えていくのは人間社会でその神が創建され信じられれば、姿を変えていくのは当然かもしれない。日本の神が仏だったというのは、その時代に仏教の知識があって、神様をも否定できない誰かが神お告げなどという体験により、アタタな物語を持ちそれが語られ信じられたのではないかとも思う。

 もし、仏教よりキリスト教の伝来が早かったら日本の神社は他の形になっていたのかもしれない。





 文化というものは新たなものが、その土地にあった元来の文化と融合してまた新しいものがつくられるのかもしれない。

 だとしたら、国家神道なるものが、古来から日本固有のものであるという理屈は信じられない。

 日本の国家神道は、明治までに日本に伝来した諸宗教や哲学のいいとこどりをして、明治政府が新しくかじ取りをするために都合よく作り出したものであるということを実感した。

 春日大社の神様は、新しく清浄な建物で存分に神の力を発揮してもらうために、20年に一度造替するのだという。これだって、木や紙など燃えやすい建材しかない風土で、20年以上経過すれば古くなってしまって神様にふさわしくないという考えなどと思う。寺院はこのような考え方をしない。仏は場所を選ばないのではないか。そして日本宇治神様で、その住まいが定期的に建て替えられているのは大規模神社でしかない。

 日本各地の氏神様が、その社が古くなったと言って、お仕事を怠けてしまって地域が大変な目にあっているという話も聞かない。

 春日大社展を観に行って、国家神道なるものが本当に怪しいものである感触を新たにした。





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最終更新日  2017年03月13日 06時57分40秒
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