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May 9, 2007
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カテゴリ: 暗闘
    「郡上藩凌霜隊(りょうそうたい)始末記」

         (隊結成)
  慶応三年十月十四日、徳川幕府は大政奉還の上表を朝廷に提出した。

同月二十四日、徳川慶喜は将軍職を辞職。こうして三百年来つづいた徳川幕府

は終焉をむかえ、十二月九日には王政復古の命がくだり、徳川家にかわる新政

府が産声をあげた。これを不満とした徳川家直臣と恩顧の大名が、鳥羽伏見で

戦端をひらいたが、錦旗(きんき)のまえに敗れ慶応四年(明治元年)一月三日に

大阪城に兵をひいた。こうした沸騰した時代のなか、雪深い美濃郡上藩は騒然

とした空気につつまれていた。



  藩兵の一部は旧幕軍の要請で大阪城で足止めをくい、帰国する気配もない。

さらに四万八千石の郡上藩を差配する、青山家の当主である青山幸宣(ゆきの

ぶ)は、十四才の若年で折悪しく江戸上府の身であった。

  郡上八幡城では国許の重臣らが鶴首(かくしゅ)対策を練っていた。

「いかがいたす」  国家老の鈴木兵左衛門が一座をみわたした。

「この城は八幡山の南山麓を吉田川が、西には小駄川が流れ飛騨、美濃、越前

を扼(やく)す要衝の地にございます。京にも近く朝廷が狙うわけにございます」

  中老が、賢(さか)しげな意見を述べた。

「言われなくとも分かっておる。上方の藩兵がもどらぬ今、朝廷のご使者が参っ

たら、申しひらきが出来ぬ」

  こうした評定が行われている一月末、雪を掻きわけ京より勅使の、九条道孝



「朝廷のご意向により貴藩に、軍用金と兵の供出を命ずるものなり」

  勅使の九条道孝は衣冠束帯(いかんそくたい)に身をあらため、寒そうに上座

に座り、傍らの長州軍監の杉山荘一が否と言わせぬ口調で命じた。

「国家老を勤めおります、鈴木兵左衛門にございます。我が殿は江戸上府中に

ございますれば、暫しのご猶予を賜りとうございます」



「なんと貴藩は御上のご用向きに応じられぬと申されるのか」

  朝廷の威をかり杉山荘一が怒声をあげ恫喝した。

「けっして左様なことは申しておりませぬ、早速にも早馬を江戸に差し向け、ご

内意にそうべくご返答つかまつります」

  鈴木兵左衛門が、真冬の寒気の中で冷汗を滴らせていた。

「郡上藩の内情はあい判った。目出度い年明けに無粋なこととは存じておる。

まろから岩倉卿にその旨、申し添えておこう」

  九条道孝が、甲高い声で了解した。

「勅使のお言葉にござる、かまえて怠りのないよう頼みますぞ」

「我等田舎侍にも、尊王の志は誰にも劣る者ではございませぬ。良きご返答をい

たす所存にございまする」 鈴木兵左衛門が杉山荘一に平伏した。

  勅使一行は数日、手厚い饗応をうけ満足して京にもどって行った。

「ご家老、殿は了解なされますか?」

「我が藩は京に近い、御上の申し出を断るわけにはゆくまい」

  鈴木兵左衛門が苦々しい顔つきで答えた。あの長州の軍監なんぞ長州藩の

下級藩士じゃ、そう感ずると薩長の横暴な振る舞いに、憤りが湧いてくる。

「ご家老は不服にござるか、我が藩は徳川の譜代の家とは存じておりますが、

時勢が変わったのです。御上に恭順することには賛成にございます」

  末席家老の天方刑部左衛門が賛意を示している。

(馬鹿者め、それではあまりにも能がなさすぎる。御上を担ぎ出した薩長等が、

徳川家に勝てるものか。江戸では徳川の洋式軍が満を持し、日本一の海軍も

健在じゃ。さらに会津藩は一藩をあげ抗戦の気運に充ち、東北諸藩は徳川より

と聞いておる、ここは慎重にせねば藩が潰れる。だが御上の申し出には従わず

ばなるまい)

  老獪な鈴木兵左衛門は藩存続の秘策を胸に秘めていた。江戸づめの藩士

は徳川びいきじゃ、わしの言い分は判ってくれよう。

  彼は新政府軍と旧幕軍の双方に兵を出し、どちらが勝っても藩の存続を図る

腹づもりであった。

  国許からは新政府軍に、江戸藩邸からは旧幕軍に兵を出す、これが小藩の

生き残りの策と考えていたのだ。

  彼の考えの根底には藩政を牛耳る布石があった。江戸家老の朝比奈藤兵衛

との確執もあり、旧幕軍が敗れた場合は江戸家老の独断として口を拭う積もり

であった。





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Last updated  May 9, 2007 09:05:13 AM
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