「杉の花粉」の独断と偏見に満ちた愛読書紹介コーナー

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15 こころ・の・やすらぎ



すこおし前の日記 で。
「フルトヴェングラー」指揮「ウラニアのエロイカ(CD復刻版)」
ボロクソ 書いた

は。
30年ほど前 にも。
「フルトヴェングラー」指揮「エロイカ」のレコード 買った ことがある。
1952年12月8日「べるりん・ふぃる」定期公演の録音版 である。
 だから。
「観客(おっちゃん)の咳払い」 なんかが ・・シッカリ入ってた
 それに。
「モノラル」盤だ・・し

「音楽」 なんて
「ステレオ録音が当たり前っ!」 って思ってた 「こーこーせい」の私 は。
そんなモン
碌に聴きもせず・・放って置いた

「くらしっく・まにあ」垂涎の的 (すいぜん・の・まと)として
一時期、最高値では20数万円で取り引きされてたらしい「ウラニアのエロイカ」 (1944年12月16日~18日:うぃーん・ふぃる:スタジオ録音) 「復刻版CD」を入手 して。
ワクワク しながら 聴いた ・・先の日記の評価 である。

「捨てる」のも勿体ない ので。
 せっかく 「れこーど・ぷれいやー」も買った のだから。
「試し」 聴き比べてみるかっ!・・ 思い立った

 すると。
うぅ~ん。ぜぇーんぜん。違うっ!
 って 正直・・驚かされた

ヤッパリ有名な「ウラニアのエロイカ」が良かったんだろう!・・って?

 いんや。
「レコード盤」の方が・・遥かに心地良かった のだから。

高校時代 ゾンザイに扱ったため
「酷い『キズ』が付いていた」 にも関わらず
30年前の「レコード」 は、 落ち着いた、滑らかな音色 紡ぎ出す
 それに 比べ
「ウラニアのエロイカ(CD)」の荒々しいことっ!
「音楽」 って云うよりは
最早・・「暴力」である

は。
「べるりん・ふぃる」 には、 酷く金属的で硬質な「精密機械的イメージ」
「うぃーん・ふぃる」 には、 とても柔らかな木質的な「牧歌的イメージ」 持っていた
「からやん」なんか
聞き比べたのが「間違いだった」のかも知れない のだけれど。

とても優しい音色の「レコード」 ・・「べるりん・ふぃる」の公演録音
騒音の洪水「CD」 ・・「うぃーん・ふぃる」のスタジオ録音

う~ん
「逆」じゃないのかしら?

 でも。
「解説」を読んで・・すこおし納得した

有名な「ウラニアのエロイカ」 は、 1944年12月 録音された
それ は。
第2次世界大戦末期 「ナチス・ドイツ」 から 「フルトヴェングラー」が亡命する1ヶ月前 こと
 だから。
訳知り顔の「解説者」 「オタク」 ・・「壮絶な緊迫感のある名演奏っ!」
 なんて ・・有り難がってる

それに比べ て。
「べるりん・ふぃる」定期公演版 は、 戦後、世の中が落ち着きを取り戻しつつある1952年12月「フルトヴェングラー」 復帰してからの公演 である。

こんなモン 比べる方 ・・如何かしていたのだ

「ウラニアのエロイカ(CD)」第1楽章の最後 小刻み 段階的に音を引き出す「手法」
「べるりん・ふぃる定期公演(レコード)」の第4楽章 同じ「手法」 なので 多分、両方共に「フルトヴェングラー」指揮なのだろう
 ただ。
 そーいった 「彼の指揮による演奏」
「伝説」になる程「大したもの」なのか如何かなんて・・素人の私 には 判らない

 でも。
戦時下 精神的に限界まで追い詰められた「彼の指揮」 を、 「壮絶な緊迫感のある名演奏」なんて讃える気持ち には 絶対になれない
あの「うぃーん・ふぃる」 「暴力的」に鳴らした「彼の指揮」 なんて、 絶対に認められない

そんなモン 比べりゃ
戦後の「べるりん・ふぃる定期公演」どころ
「我が国のオーケストラ」を聴いてた方が・・未だマシ ある

「戦争」
「精神的に限界まで追い詰められた時の人間」
如何「屁理屈を付けようが構わない」のだけれど

そんなモン を。
「絶対に評価なんかしちゃいけない」
 って ・・私 考えている


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