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2007.01.09
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1)真心をこめて、自分の心を観察する

  →雑念(偽りの欲望、習慣化されたプログラム)を解き放つ
  =宇宙の創造的な叡智に触れる

2)「私は大いなる心に耳を傾けているか、それとも
  自分の小さな心がまだ話し続けているか?」自問自答する。
  →自然な心(ナチュラルマインド)の状態にする
    イ)座って背中をまっすぐにする
      (=目覚め。呼吸を意識する)

      (考えを、吐く息と共に手放す=考えの途切れた状態←ナチュラルマインドの状態)
    ハ)手のひらを下にして、手を膝の上にリラックスして置く
    ニ)この姿勢で、自分が本来持っている精神を感じる。

3)ホモサピエンスからホモヌースフェリックへと進化する  


スピチュアリティ===努力なくしては本物の霊的宝(霊的成長)は得られない===
信仰は、熱心さ・純粋さと盲信性が表裏一体。
その盲目性は“信仰の情熱”となって通常ではできないことを可能にしたり、小さな自我の殻を破る力となる。

スピチュアリティの4本柱===
1)「生活のすべてを霊優位の状態にする」=日々の生活の中で霊的コントロールをして、霊的存在としての最低ラインである物欲や本能に流されないような生活を送る。
2)「利他的行為(無償のサービス)」=他人のために自分自身を役立てる。
3)「霊的真理の伝道」=霊的真理を1人でも多くの人々に伝える。



高い目標に向けての努力こそが、魂を成長さる。
スピリチュアリズムは結果よりも、高い目標に向けて努力する姿勢を問題にする=「動機の純粋さ」を重視する。
地上世界は失敗から学び成長する所。失敗を恐れずに、自分の良心に照らして善かれと思うこと、人のためになると確信することを積極的に実行する。
そして、魂の成長に関するすべて(自らの選択した行為の結果)について、自分自身ですべて責任を負う。

スピリチュアリズムは、神や他人が自分を救ってくれるという“他力救済”の考えを一切否定する。「自分で自分を救う」=「自力救済」の道以外は存在しない。「霊的成長」は、最終的に、すべて一人一人の問題となる。


“信仰”とは、神などの信仰対象を絶対的に信じ、これにすべてを捧げる生き方・絶対帰依する生き方。神を全面的に信頼し、そのために人生のすべてを捧げ尽くすという生き方。

真に信仰的な人は、神の前に徹底して自分の内面と行為を正そうとする。他人の目や評価を気にせず、ひたすら神の前に正しくありたいと願い、神と自分の良心の声に忠実に従おうとする。そして日常生活において、真理の遵守を心がけます。

なぜなら、スピリチュアリズムの「霊的真理」によって、霊界人の目を意識するようになるから。
霊界人は、地上人の心の内を残らず見通し、心の動機と目的を見抜いている。そしてその動機の純粋さに応じて、霊界からの援助や指導・働きかけをするようになる。霊界人は、地上人の心の底に巣くい隠されている利己心やエゴの思い・虚栄心・傲慢さのすべてを知っている。霊の前には嘘や隠し事は一切通用しない。霊的真理の理解が深まるにつれて、こうした事実がはっきりと分かるようになる。そうなると、大半の人々は自分の考え方や行為を正しいものにしようと努めるようになり、霊的真理にそったものにしようと心がけるようになる。

そして、霊的視野を持てば、すべての出来事を、自分の霊的成長にとって善いものと受け止められるようになる。将来に訪れる出来事は、すべて自分の霊的成長にとってふさわしいものであり、ベストの道が展開していくのだと考え、悠然と人生に臨むことができるようになる。


霊界の良き道具となって多くの霊たちの協力を得られるようになれば、自分一人でなす何十・何百倍もの人類への奉仕が可能となる。

「どのようにしたら霊界の良き道具となれるのか?」
霊界の道具となるためには、何よりも霊の側が魅力を感じるような、喜んで働きかけたいと思えるような内容を地上人が備えていなければならない。厳しい内面性が要求される。その内容とは――「スピリチュアリズムの歴史的使命を正しく理解し、そのために高級霊が一丸となって働きかけている事実を知っていること」「自らの我欲を捨て去り、ひたすら人類全体の救いのために働きたいとの純粋な奉仕精神と利他愛を持っていること」「人類の幸福のために自分を最大限に役立てたいと願い、そのために喜んで犠牲を引き受ける覚悟を持っていること」です。

こうした奉仕精神と犠牲精神があるならば、霊たちは喜んでその人間を道具として用いようとする。霊界の道具としての内面的資質が高まれば高まるほど、いっそう多くの霊の援助を引き出し、スピリチュアリズムと人類全体への貢献の可能性が拡大していくことになる。口先でいくら奇麗事を並べても、霊は心の内をすべて見通しています。「奉仕精神と犠牲精神のともなった純粋な道具意識」――スピリチュアリストには、常にこうした内容が期待されている。

道具意識の素晴らしさは、自分の力を超えた人類への奉仕・利他愛の実践が可能になるということだけではない。道具意識は、私たちの心を徹底して謙虚にしてくれる。“謙虚さ”は、霊的成長にとって不可欠な要素。世の中の大半の人々は自我を大切にし自己主張に走りますが、それが結局、本人の心にエゴと利己心を増幅させることになっている。道具意識は謙虚さをもたらし、心から醜い利己性や低俗な自己主張を取り除いてくれる。そして霊的成長をスムーズに促してくれる。「純粋な道具意識」は、地上人に大きな霊的恩恵をもたらしてくれる。

祈りによって「霊的成長が促される」=祈りや瞑想は、地上人を支配している肉体意識・物質的意識を一時的に中断させ、霊的意識を取り戻させる=霊主体従の状態=高次からのインスピレーションが湧きやすくなる。

祈りの実践を続けることによって、地上人は肉体を持ちながらも短時間に高い心境に至ることができるようになり、日常生活における霊的コントロールが容易になる。霊的エネルギーを必要に応じて取り入れられるようになり、利他愛実践の意欲を常に保てるようになる。

祈りによって霊界の霊との関係が密接になり、より多くのエネルギーと導き・援助が得られるようになる。結果、霊の道具として、さらに大きな働き・貢献の場が与えられることになる。


祈りの対象は、唯一の神、大霊に。そして、神に向けての祈りの言葉が、摂理と真理に合致したものに。

祈りは、最も純粋な霊的行為・信仰実践の1つ。霊的な親である神の前に心を解き放ち、最も深い霊的次元で触れ合う厳粛な一時です。なので、祈りには、常に最高の誠意が要求される。その誠意があってこそ、神の前に出ても恥ずかしくないということになる。そうして初めて“祈る資格”が与えられることになる。

その誠意とは、常日頃から霊的真理にそった実践を心がけているということ。そうであってこそ、神の前に「もっと自分の心を高めてください」と祈ることができる。常に醜い自分の心との闘いをしている人だけが、「もっと自分の心を清めてください」と祈ることができる。苦しみや困難から逃げることなく正面から堂々と立ち向かう人であってこそ、「耐える力を与えてください」と祈ることが許される。絶えず他人や人類への奉仕を心がける人であってこそ、神に向かって「もっともっと奉仕のチャンスを与えてください」と願い出ることができるようになる。


21世紀、現在のスピリチュアリズムは、これまでの心霊現象から「霊的教訓」へ、好奇心から「純粋な信仰実践」へという新たな時代に入ろうとしている。





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Last updated  2007.01.09 12:30:21
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