PR
キーワードサーチ
コメント新着
原作は小樽出身の作家、山中恒さんが1960年に書いた
児童小説『サムライの子』
つのだじろうさんが漫画にもされています。
1963年には今村昌平監督の手で映画化となりました。
撮影は小樽。花園小学校の体育館に主人公の家がセットされ、6年2組の生徒がエキストラで出演したことから、「あの映画を再び!」ということで盛り上がり、日活から映画を借りて、故郷への帰省者が多い、お盆の13日に上映の運びとなりました。
実に43年振りということです。
「サムライ」とは、当時、廃品(くず)を拾い売って暮らす貧しい生活をしている人たちを指していた差別用語だと聞き、どんな映画なのかが非常に気になってしまい、図書館で原作本を取り寄せてもらいました。
まずは、原作の内容から。
長いので、読み飽きたら適当に休んで下さいね。^_^;
主人公は小学生の田島ユミ。
サムライ部落に越してきて、新しい学校に通うようになったユミは、父からも、姉のように親切にしてくれる石川恵子からも、そして担任の先生からも、自分の境遇を隠すように言われます。
最初は「臭いぞ!」といじめられるユミですが、それを気にしていた石川恵子が、父(医者)の病院でユミをきれいに消毒し、新しい洋服を着せてくれます。その洋服からは香水の匂いがします。
とたんに、子供たちはユミが金持ちの子なのだと勘違いし、皆と仲良く遊べるようになりました。
しかし、安泰もつかの間、サムライ部落が騒がしくなりました。
部落内にある空き棟に「ノブシ」と言われる人たちがやってくると言うのです。
サムライ部落の住人は、廃品拾いをしているから汚れるものの、細々でも全うに暮らしている人々です。
ですが「ノブシ」は、働く意欲も無く、生きる(食べる)ためなら泥棒や犯罪を平気で犯す人たちでした。
部落は町から少し離れているので、食べる物がすぐに見つかりません。ノブシが生活していくには住みづらい場所なので、長居はしないだろうという考えもありましたが、当面の間は「家にはカギが必要になるな…」とか、ノブシの方が人数が多いので、「ここがノブシ部落と言われ、自分たちまでもがノブシと思われては困る」と心配しました。
サムライにはサムライのプライドがあったのです。
サムライの子のユミと違って、ノブシの子供たちは学校に通うことが出来ません。学校の存在すらしらない上に、いつもあだ名で呼びあっているため、自分の本当の名前や年もわからない有様です。
自分よりもひどい暮らしをしている子供たちを見て、ユミは心が痛みます。そこに自分と同い年と思われる「ミヨシ」という子が、「学校では何を教えてくれる?」と聞いてきたので、ユミは歌を教えてあげました。
ミヨシはユミのように学校に行きたいと言い出します。
学校へ行くのにもついていこうとします。
ミヨシがついてくると、ユミがサムライの子であることがばれてしまいます。なんとか振り切って学校についたユミですが、ミヨシのことが気がかりでなりません。そして、とうとうこのことを担任の先生に相談し、委ねることにしました。
ミヨシの父は、当たり屋(車にわざと当たって、治療費をせしめる)をしていました。乱暴もので、学校へ行きたいと言うミヨシに殴る蹴るの暴力を奮います。母親は病気で寝たきりのため、何もすることが出来ません。
ある日、ミヨシの父は、当たり屋の仕事でいつものように当たろうとした車に避けられ、後ろから来たバスに轢かれて命を落とします。
それは偶然にもユミが乗っていたバスでした。
悲しむユミをよそに、ミヨシは実にあっけらかんとしています。
病気で何も出来ない母だけでは、学校へ通うことなど無理だと考えたユミは、皆で(子供たちだけで)お金を稼ぐことを考えます。
そしてセメント工場にあるセメント袋がいいお金になると聞いて、皆で潜入します。忙しい工員さんに「もらってもいいか」と聞くと、「好きなだけ持って行っていい」と言われました。
嬉々としてセメント袋を集めまくり、日も暮れたので運ぼうとしたら、セメント袋が重すぎて持ち上げることが出来ません。
そうこうしているうちにユミたちのまわりに次第に人が集まってきてしまいました。集まった人ゴミの中に、セメント会社の社長がいて、「どうしたのか、なにをしているのか」と事情を聞かれました。
「どうしても学校へ行きたいので、自分たちでお金を稼いでいる」という話しをすると、社長はいたく感動し、トラックの運転手に家までセメント袋を運ぶよう指示しました。
さらには、近くにいた新聞記者を呼びとめ、自分と一緒にユミの写真を撮らせ、この美談を新聞に載せるように言いました。
実は、社長にはもう一つの思惑がありました。
近々、選挙があるので自分に目を向けさせるとともに、自分の印象を上げておきたかったのでした。
新聞の効果は絶大です。
ユミは一躍有名人になりました。その変わり、サムライの子と言う素性もバレてしまいました。世間の反応は、必ずしもいいものばかりではありませんでしたが、ユミはこれでもう誰に隠しだてをしなくてもいいということに、とても晴れ晴れしい気分になりました。
ミヨシは、ユミと同じ学校へ通えることになりましたが、新聞に載った記事を見た旭川の親戚の人が名乗りを上げ、面倒を見てくれることになり、旭川へ引っ越すことになりました。
ミヨシは一気にユミよりも裕福な暮らしができるようになりますが、ここで築かれた二人の友情は厚いです。
そしてユミは、相変わらずサムライの子のままですが、「父と二人、誰に恥じることもなく生きて行けばいい!」と強い意志を抱きながら屈託なく笑うのでした。
原作では、ユミの父親は実直であり、いつもユミのことを思っています。部落の外でユミが同級生と取っ組み合いの喧嘩をしている時にも、男の子を追い払い、転んでいるユミのところへ行って「お譲ちゃん怪我はなかったかい」と、他人のふりをして声を掛け、去って行きます。
それを見ていた友達が、「あの人は優しいサムライなんだね」と言ってくれました。
サムライの子と悟られまいと気遣う父と、サムライの父を優しいと言ってくれた友達、そしてそこで「お父さん」と言えなかった自分への悔しさで、涙が止まらないユミ。
醜い物や汚い物から目を背けずに、また必要以上に世間の目を気にすることなく、気持ちの赴くまま、こころ動かされるままに、自然に言葉を発し、行動する子供たち。
この作品では、ユミと関わる大人たちが
「これは教科書に書いていない大切な勉強なんだ」とか
「学校では習わぬ勉強」という言葉をつぶやきます。
ユミは、おばあちゃんのもとに預けられていた時に、自分がいじめていた女の子を思いだします。
「いじめられる子には、いじめられるだけの理由があるのだ」と思っていたユミですが、自分ではどうすることもできない境遇におかれた時に、初めて自分がひどいことをしていたと気付きます。
引っ越してきて一番に手紙を出すのはその子と決めたユミでした。
「人は人によって傷つくこともあるけれど、その傷を癒してくれるのもまた人である」ということを忘れてはなりません。
そしてまた、「人は人によって磨かれてゆく」ものなのです。
原作者の山中氏には当時サムライ部落に住んでいた親類がいたそうです。サムライ部落に住む住民は、仕事や身なりから、差別や偏見の目で見られていました。そこに、自分の境遇を選べずに生まれ、小さな胸を痛めている子供たちがいること、そして、ひっそりとでも逞しく生きている人々がいるという現実を、一般の人にも知って欲しかったのかも知れません。
私はこの原作を読んでからは、一体どんな役者さんが演じるのかと、気になってしまい、ネットで検索しました。
すると、映画のあらすじが載っているページがありました。
http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD20748/story.html
どうです? 内容がかなり違うでしょう。^_^;
ユミには新しいお母さんと弟がいて、父は、競輪に手をだすようなギャンブル好き。そして父も母ものん兵衛です。
二人の家庭をもとうと同じ部落に住む、ユミをよく可愛がってくれている、マキタとヒロ子の存在も原作とちょっと違います。
まさか、人物の設定から違うとは、思っても見ませんでした。
「あらら~^_^; 原作、読まなきゃよかったなぁ」とちょっぴり後悔。
でも、母役の南田洋子(当時29歳)が、この映画でブルーリボン助演女優賞を受賞しているのです。
それを知り、また心がはやりました。(^^ゞ
他のページで映画の批評を見て見ると、
差別と言うテーマを扱いながら、全編を通してユーモアに溢れてて力強い作品。父親役の小沢昭一がいつもながら達者だし、少し頭が足りないが優しい継母役の南田洋子が好演。子役の田中鈴子も堂々とした演技で良い。
とありました。
で、映画を見まして、さらに設定の違いがいくつかありましたが、そんなことどうでも良くなるくらい、母役の南田洋子と、子役の田中鈴子、マキタ役の浜田光夫にグッと来てしまいました。
最初意地悪していた男の子も、途中から心根の優しい子に変わり、「いいぞ、いいぞ」と嬉しくなりました。
批評どおり、全編を通して暗いイメージを払拭するように、笑える場面が多々あり、見終わったあと、心地よい感動が広がった映画でした。なぜか、宇野千代さんの「生きてゆく私」という言葉が浮かんできました。
再上映を小樽だけで終わらせるのはもったいない映画だと思いました。また、今のベテラン俳優さんの若い頃とその演技も見物です。
昔の映画にもこんなにいいのものがあるのだったら、もっともっと見て見たいと思いました。(^_^)