SV2004~スポーツボランティア

SV2004~スポーツボランティア

2005年04月09日
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本ホームページを担当しているSV2004担当理事の本業は環境にも近いので、ちょっとだけ感想を書いてみる。

紙コップをリサイクルしてトイレットペーパーにする、
という文章は実は明らかにおかしい。リサイクルというのは、本当は元に戻って、少なくとも1周以上しないといけないのだ。
だから、この場合は紙コップは紙コップに戻らないと、リサイクルとは言わない。
いったんトイレットペーパーになってしまうと、もうリサイクルすることはできない。理由は、お分かりですね?

同じようにビルの鉄骨がまたビルの鉄骨にはそのまま戻らないように、多くの「リサイクル」は実はリサイクルではない。
本当に例外的にアルミ缶はアルミ缶に戻る(らしい)。

ではなぜ人はリサイクルしないけど、リサイクルを進めるのか。

理由は簡単だ。

そういう意味では、ビール瓶などはリターナルボトルといわれ、環境に優しい優等生だ。洗浄するだけでリサイクルできるからだ。

では分別をなぜしないといけないのか。
分別するというのは面倒である。
この面倒をあえてするところに、最大のポイントがある。
ゴミというのは本来面倒なものなのだ。
だから、人はゴミをできるだけ減らしてきた。

昔はゴミの収集がなかったところもあったので、ゴミを出さないように生活していた。生ゴミはできるだけ出ないようにするが、仮に出た場合には、畑の肥料になるような工夫をしたし(今でもその試みはあるが)、紙も自分で焼いていたものだ。
プラスチックが主流となって事情が変わってきた。

紙と新聞紙でまかれた肉や魚は、パックの中に移動した。
野菜や果物はひとつひとつを買うよりも切られたものとなって、パックの中に移動した。

ポリスチレン容器にポリエチレンなどの透明なフィルムをまかれて、衛生的に出てくるわけである。

これでは石油化学製品のゴミを増やしているだけであるのだが、衛生的、というまるで水戸黄門の印籠のようなもので、正当化されているのである。
パックが衛生的、と、誰が判断したのだろうか。
たとえば、野菜は畑でとれるが、それをパックに入れただけで、きれいで清潔になるのだろうか。

パックの中身がきれいそうだ、とは思うが、確証はないのである。
全ては売る側と買う側の信頼感にのみ依存している。

これもひとえに、信頼性の上下が響いているのだ。

さて、話が脱線したが、弁当屋における無駄なポリ袋の配布は何を意味しているのだろうか。ポリ袋に入れるということ自体で、買う側に安心感が出ているのである。輸送の便利さよりも、輸送途中の清潔性に視点がいっている。

冬、焼き芋を買うと、まだ新聞紙にくるんでくれるところがある。
妙に安心してしまうのは私だけではあるまい。
熱いのに強いポリ袋もあるのだが、それでは安心できない。熱いものをポリ袋で包むとなんとなくポリから変なものが焼き芋に移ったり変なガスが出たりしそうな、そんな気がするだけである。
別段科学的な理由はないわけだ。
同様にどこのポリ袋でも例外なく清潔である保証もないのである。

かように、消費者というのは脆弱な安心感の上に成り立っている感じがする。

清潔性の追求とゴミを減らす努力は決して、相対するものではない。

ここまで書いてきて、私たちは食べ物の賞味期限を自分で決めることができなくなっているのでは、と、ふと思った。
そんなことが、ポリ袋清潔論につながっている感じもする。





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最終更新日  2005年04月09日 17時37分53秒
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