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ようこそスタッフ日記へ2009年耕せにっぽんホームページをリニューアルいたしました。↓またお野菜を購入できるショッピングサイトも現場のようすを見ていただけるスタッフ日記も別の場所で更新してゆきます。どうぞご覧下さいこれからもどうぞよろしくお願いします
2009.03.09
耕せにっぽんのブログをご愛読の皆様事務局長のアゴアゴマン(東野)です。いよいよ2008年 第四期も修了を迎えました今年は 前年度の5倍の畑にチャレンジし手探りでしたが ピンチになると農家の方からのアドバイスを頂きなんとかかんとか 収獲&出荷も無事終わりました。これもご支援頂いた皆様のおかげです本当に本当にありがとうございました。来年またパワーアップして次のステップにチャレンジしますのでどうぞご期待下さい。そして10/26日は修了式を行いましたガイア農場の皆様や近隣の農家の皆様一般参加でお手伝い頂いた皆さま等ご出席頂いた皆様は総勢45名も参加していただけました。メンバーには 修了証 と 夢貯金が授与されます。修了証の文章は 文昭さんと東野2人で考えましたメンバーの写真を見ながら 読んでいただけると修了式の雰囲気が伝わると思います。まずは 第四期 耕し隊 リーダー松島祐太殿(オタマ)貴方は第四期耕し隊リーダーとして東野昭彦のムチャ振りや中村文昭の暴力以上に激しい言葉に号泣させられつつもドM魂を発揮し数々の難問をネタに変えリーダーとして悩み迷いながらも輝かしい実績を残しましたその功績を讃えここに第四期耕し隊リーダー修了証を授与致します。来年も続く…続いて森昭仁殿(名人)貴方は平成十八年五月の入隊以来引きこもり日本代表として中村文昭や東野昭彦の期待にこたえ真摯に農業に取り組み誰も真似の出来ないひきこもりギャグで皆を和ませ現場の雰囲気作りに大いに貢献しましたよってここに修了証を贈るとともに今後とも日本の農業の為に活躍されることを期待します続いて金子友洋殿(ボンジュール)貴方は平成二十年五月の入隊以来大人としての仕事っぷりやリーダーオタマとのバトルにもめげずその優柔不断な性格を乗り越え前人未踏のマイ箸袋一ヶ月二八〇〇枚を作成する等耕し隊の影の支配者として予測を上回る実績を残しましたその功績を讃えここに第四期耕し隊修了証を贈るとともに今後とも大いに日本の農業の為に活躍されることを期待します続いて平山大輔殿(秀一)平山秀一殿貴方は以前耕し隊に所属していた平山大輔とは違いウソをつかず誰よりも仕事を率先して行い朝早く掃除をし 物を大切に扱い メンバーや周囲の信頼を得てすばらしい実績を残しましたその功績を讃えここに第四期耕し隊修了証を授与致しますそして秀一の心を忘れなければ貴方の未来は明るいでしょう頑張れ 大輔続いて大里裕也殿貴方は平成二十年六月の入隊以来大好きな電車に乗れないのもあってかとてもだらしない生活態度でしたが少しずつ変わろうとしている貴方の姿は耕し隊に希望をあたえそして誰の悪口も言わない姿勢は耕し隊の心の支えになりムードメーカーとして輝かしい実績を残しましたその功績を讃えここに第四期耕し隊修了証を授与致します続いて肥川真理子殿感謝状貴方は第4期耕し隊サポートスタッフとして常に持ち前の明るさとエロさと ひわいさといいかげんさと大きな愛を積み重ねおいしい手料理でスイッチオンハウスの友好な環境作りに多大な貢献をされましたよってその功績をたたえ感謝状をお贈り致します続いて研修 修了証の授与小林哲也殿貴方は香取孝信に無理矢理放り込まれたにも関わらず二ヶ月間耕し隊として農業を通じまた他のメンバーと向き合い耕せにっぽん流自分探しの研修を修了しました第四期耕し隊修了証を贈るとともに今後とも大いにチャラチャラキャラも売りになるぐらいの信念をもって活躍されることを期待します続いて田口達洋殿貴方は二ヶ月間耕し隊として農業を通じまた他のメンバーと向き合い耕せにっぽん流自分探しの研修を修了しました第四期耕し隊修了証を贈るとともに今後とも警察のお世話等にならず大いに活躍されることを期待します・・・・こんな感じで修了証と夢貯金の授与が終わりそれぞれメンバーが仲間に送る言葉を伝え皆 感謝と号泣でした。特に、ポッポのお母さんが「高校中退で卒業式見れなかったから」と内緒で当日出席してくれました。ぽっぽ号泣・・・さらに 真理さんから耕し隊への手紙はやばかったですそして サプライズで耕し隊からサポートスタッフのユカさんや会長や皆さまにお礼のメッセージDVDと感謝言葉を頂きました、家宝にします。みんな僕に「ありがとう」と言ってくれたけど逆に「最後までいてくれてありがとう」です。僕は立場上 耕し隊から何度も現場の人間関係や悩みを相談を受けたり もっと根深い自分の生い立ちや心の相談され「もう帰ります」なんて言われたことがありましたがその度に”修了式を迎えることが大事や最後は全部スッキリするから・・・”って 言い続けてきました。僕はみんながやり遂げてスッキリして最後は全ての出来事が感謝に変わった表情を見てほんまに感無量です。イヤー 終わってみるとうれしかったことも問題もケンカも最後まで解決しなかった事も全部 いい思い出になるから修了式って サイコーです。この仕事やめられまへんわ~最後はハメをはずして 農家の皆さんと大宴会しました酔っ払ってて ほとんど記憶がありませんでも 楽しかったのは覚えていますそんなこんなで 10/26日は大感動でした。そして次号では耕し隊から今期の感想をこのブログでご披露しますどうぞチェックしてみてください。ちなみに今(10/29日現在)3名(オタマ・大輔・じゃが兄)はママチャリで東京に向かっています。予定していた ポッポは足を怪我しムネキンはこの後の仕事の関係で時間が取れず 2名は今回のチャレンジは断念して応援隊になりました。11/9に東京に到着予定です、ほんまにアホですね~~~
2008.10.29
そういえば・・・去年の修了式が終ってから 第4期の準備で大変やったな~・・・・特に11月くらいは、新しい農地を借りるのに色々飛び回ってたもんな~・・・・・・・・と 言い訳からで 失礼します・・・・なんと7ヵ月後のブログでの報告になって大変申しわけございませんが・・・先日こんな心温まるものが届きました。昨年11月12日に行われた・・・・「耕せにっぽん!IN岡崎」のイベント後のアンケートの集計とスタッフ皆様からの寄せ書き・・・ありがとうございます。涙がチョチョギレました・・・・またジャストタイミン グ~ で最近とってもいい言葉をいいただきました。「夢は一人で叶えたと錯覚しているだけでその影で必ず支えてくれた人がいる」と・・・耕せにっぽん現場責任者として僕は文昭さんの(ムチャ振りな)イメージについていけるように必死で突っ走ってきました。最近やっと「耕せにっぽんもいい形になってきてきたよな~~~」なんて自分を誉めてあげたい気分になっていたのですが「影で支えてくれた人????」って言葉を聞いて・・・・ふと振り返った時にこれまで耕せにっぽんのイベントを企画していただきたくさんの皆さんの前で発表させて頂く機会をあたえてもらい応援してくださる全国各地の皆様にあらためて感謝します。頂いたアンケートを拝見させていただきました。アンケートの中には「勇気が出ました」と書いてくださる方が多いのですがそう言ってもらえることで 逆に現場がめちゃめちゃ励まされているんです。僕達が農業をしていることをただ一方的に発表しているのではなくて共感頂いた時に力がわいてくるんですよね~~~いや~モチベーションは皆さんの励ましの言葉です ありごとうございます!このアンケートは僕たちの宝物にします。また主催者の福の種をまこう&PARAISO(パライソ)の皆さんが自然体だったのでとてもイベントの雰囲気がいいんです主催者の皆さんに会った瞬間思いました「あっ本物や」ってイベントは参加した皆さんとスタッフが空気を作るんですよね~~~司会をしててとっても話しやすかったです・・・改めて 岡崎のスタッフのみなさん 本当にありがとうございました~~~~機会があれば北海道にもぜひ遊びに来てくださいね~~~~最後にイベントでの書き下ろし をご覧下さい。てんつく兄さんええこと言うね~~~しかもこのイラストサイコ~
2008.06.20
種まき祭り第2弾 5月23日に開催いたしました平日にも関わらずのどかな 千歳の田舎に こんなにたくさんの方々が集まりましたとっても手前味噌な感想ですがむちゃくちゃ面白かったです。なにが面白かったって????農業×野外ライブ×青空×芝生×文ちゃんトーク×お酒=最高!!!!皆酔っ払ってベロベロでしたが文昭さんも僕も ここ数年の中のイベントの中で確実にベスト5に入るくらい楽しい内容でした。やっぱり しっかり汗を流した後は大自然の中でおいしいご飯食べて酒飲んで歌って踊るこれに 勝る演出はないですね・・・田植えも 皆楽しそうでしたしとうもろこしもガンガンまきました車のステレオを使って中村の講演会CDもとうもろこしたちに聞かせ前向きな トウモロコシになるよう願いを込めてライブは最初から最後までカチャーシー東野はちょっと失礼して・・・・この後の記憶はございませんなんか 文昭さんプチ講演してたそうです。参加者はもちろん 文昭さん自身も涙ぐみながら話していたそうです・・・・僕も横で司会をしていて泣いていたそうです。(あとから聞きました)でも僕は文昭さんの話もまーちゃんの歌もうっすらとした記憶をたどると 最高に良かったんですが一番うれしいのは農業しているときに皆さんが笑顔で楽しんでくれていることが やっぱり一番うれしいんですみてください ええ顔してるでしょ~そしてそんな皆さんの笑顔を見て耕し隊の皆が 元気になって さらにうれしくなるんです都会では色んな意味で孤独だった彼らが「農」を通じて世の中とつながることが出来る事がほんまうれしいんです~おたまが 個人的にブログhttp://ameblo.jp/waai-waai/page-1.htmlを書いているのですがええこと書いてたので紹介します「5月頭に蒔いたジャガイモやとうもろこしもみんなスクスク育っていますそんな作物を見ていると僕たちが育てている。っていう一方通行で押しつけな想いはあんまり浮かびません僕も育ててもらっている感謝して感謝されての繰り返し最近、毎朝、数万本になるとうもろこしと約2反分の苗と田んぼと3反分のジャガイモと家にいる苗達や自給用の畑の野菜たちにあほみたいに大声で「元気か~ありがとう~」って叫んでいます。そんな声かけで作物ができるとかできないとかまったくわからんけど、毎朝、感謝という気持ちをくれることは確かでそれだけで僕は心に栄養をもらえてます農な生き方は最高の遊びやと思います今日もありがとう 」なかなか 深いねオタマ・・・僕は紙幣絶対主義の競争社会最前列で戦う経済人は否定しませんがすべての物に感謝し分かち合える生き方も男前な生き方やな~と思う今日この頃です・・・ありがとう 耕し隊!また皆さんもイベント以外でも参加してくださいね~ちなみに 土日はどちらか必ず 札幌から千歳(畑)に向かいますので送迎希望の方は 御連絡ください!090-3462-6123(東野)又車の無い方はJR追分駅まで来てくだされば耕し隊が迎えにいきますよ。その場合も 事前に東野まで ご連絡ください。番外編「カエル先生」ちなみにイベント後 5/30日にまたまた寒波が北海道にやってきて「霜が降りるかも?」と言う情報が入り皆めちゃめちゃ心配して なんか予防策はないか色んな農家の方々に聞きました。そしたら農家Aさん「う~~~ん祈るしかないね~」農家Bさん「昔はタイヤを焼いて 煙で霜を防いだんだけど今は禁止されてるからね~」なんて 聞けば聞くほど不安になったのですがその中で一番 心強かったアドバイスが農家Cさん「あ~~明日ね~~霜降りないと思うよ。だって今日カエルがタマゴ産んでたから」でした何気ない一言で笑い話のように聞こえるかもしれませんが僕は密かに感動していました人間は産業革命以降経済社会の中で生きて 人間の都合で自然を破壊したり時には自然の摂理に 反して生きてきましたそんな中 やっと今環境を守ろうとがんばっています。でも こんなちっちゃな出来事 なんですがやはり人間の都合は自然には通用しないんだと感じたしそんな一番大切な情報を知っているのは人間以外の生き物なんやな~ってカエル先生は 命がけで 自然と共存することをしってるんですよ霜が降りたら自分の産んだ子供が全滅するんですから・・・カエル先生ありがとう!そんな訳で おかげさまで霜は降りませんでした チャンチャン!
2008.05.30
田んぼの準備畑の準備この孤独な作業も全ては種まきの為に・・・・さぁ~さぁ~さぁ~~~~~2008年第4期もいよいよ 種まきの季節をむかえました今年は「夢の種まき祭り」と題して文昭さんが北海道にいる時に一般参加の皆さんにお集まりいただいて種まき&農作業をお手伝いいただきました。当たり前のことなのですがほんの5ミリ程度の種が大地と太陽のエネルギーを受けて大きく大きく育つ様子を見ると自然って偉大やな~~~~って感心します。ありがとう 地球!子供も犬もヤギも豚もウシも全て自然の一部やね~循環させましょ人間だけ独り占めしたら あかんよ~ゴールデンウィーク最終日5月6日でしたが結構たくさんの方が参加してくださいましたありがとうございます。広さも半端じゃないので「ぎぶあっぷ~」なんて言いながらでも まじめに最後まで種まきをしてくださいましたでも 終わった後の達成感は格別です。種まき班 全員で マル!!そして 腕っ節のいい男性の方々には田んぼを人力でおこしていただきましたこれが結構足腰に来るんですよ~~~東野は一瞬で筋肉痛でした…そして 耕し隊 と言うと先日まで 選別していた タネイモ この日は天気予報は雨だったのですが当日晴れたので急遽植えることになりました。トラクターの後ろにのってこんな感じで・・・もちろんトラクターは近隣の農家の方にボランティアで協力いただいてますありがとうございます。そして中村文昭といえば耕せにっぽん スタート当時からいつも言い続けていた 念願の「炭焼き」に挑戦していました「炭作って 夕方のバーベキューに使うねん!」って目をキラキラさせていましたが・・・結局2回やって2回とも失敗してましたでも 文昭さんのええ所は 絶対にあきらめない 所ですずっ~~~~~~~と アホみたいに・・・いえいえずっと前向きに頑張っていました。親分これからも ついて行きまっせ!!!!そして昼飯抜きで頑張って15時に作業終了して 待ちに待ったBBQもちろん買ってきた炭で・・・みんな 腹ペコすぎて 写真も撮る間もなく新鮮なブタのモツ や旬のウドのてんぷら 黒米や玄米のおにぎりブタ汁 等など差し入れの カレイを焼いたりして腹いっぱい食べました。今年のスタートの記念撮影と思ったのですが夕暮れになっても イモの種まきが終わらなかったのでフルメンバーで撮影できませんでした・・・これで勘弁してな オタマ&だいすけ&マスターなにはともあれ第一回目夢の種まき祭り 無事完了!!!「楽しそうだな~~~~~」と思っているあなたに朗報!!!実は5月20日~5月24日にまたまた中村文昭氏が北海道にきているので5/23日に第2回目夢の種まき祭りを実施します。このイベントはさらに盛り上りそうです 中村文昭と共にとうもろこしの種まき&なんと田植えをして THE百姓のあとは うまい おにぎりと うまい酒 うまいBBQ で 盛り上りまくりましょう! なんといっても目玉は 『南ぬ風人まーちゃんバンド』!!! 大自然の中でマーちゃんの歌を聞けば みんなエレクトすること間違いなし イベント会場は ちょいと 札幌からは遠いですがぜひ足を運んでくださいませ!!!! 集合場所:現地畑(千歳市協和1914:ガイア動物病院 内駐車場) 集合時間:10:00~ 作業終了予定:15:00まで 持ち物:汚れてもいい格好/長靴/昼食(各自持参) &マイ箸※ちなみに当日は昼食用として玄米や 黒米のおにぎり等も格安で販売しています。 また 作業終了後豊作を願って まーちゃんライヴ焼肉パーティーもします。 こちらは 参加費2000円必要となります。 (中学生まで無料) 前日までにご予約をお願いします 担当 090-8898-6566(佐々木) 090-8709-2428(和田) 道案内人 耕し隊 080-6081-8880(森くん) ではでは たくさんのご参加お待ちしております。
2008.05.16
みなさまいよいよはじまりましたぞ!耕せにっぽん 第4期!お久しぶりです事務局長の東野です!今年は昨年までの なんと5倍の畑にチャレンジします。まずは衛星写真でごらんください白でかこっている部分ですよくわからないですよね。去年と比較していただくと分かりやすいかも去年はこんな感じでこれくらいそしてもう一度同じ縮尺で今年はこれくらいう~~~~ん きっつ~~~~~中村を筆頭にみなドMですからハードルを高くしました。ネタつくりネタつくり。しかしここまで準備が出来たのも千歳市ガイア動物病院の皆様のおかげです。ほんとうにありがとうございます思い返せば 昨年10月 第3期が終わると同時に第4期の準備が始まりました。あれこれガイアさんに相談していくうちにアドバイスを頂き、今年はガイアさんの農地で研修しいよいよ地域の農家の皆様のご支援で「耕せにっぽん」は新規就農者として認めていただき本格的な農業をめざしはじめました。まだ打合せ段階の話が多くて 正式に発表できないのが残念です決まったことから少しずつ皆様にはご案内してゆきますね。そしてここ数日のようすですがまず、3/26日には今期の耕し隊のリーダーとなる森 名人そして 期待のホープ 髪型がおたまじゃくしみたいなので「オタマ」もともと普通の丸坊主だったのですが・・ジュン先生が手がけると・・・・芸術とは凡人には理解しづらいものなのです・・・・彼は24歳で去年まで人力で農業をしてきました。去年の秋には 東京から奈良まで 11日かけてゴミをひらいながら1日平均45キロほど歩いたそうです江戸時代の人でももう少しゆっくり歩くそうですよ・・・着いた当日は僕から今年の構想について少し話をして札幌でまず挨拶しに行くなら・・・ジュン先生と言うことで ついでにカットしていただきました。サウナでカンパイ!そして翌日3/27は千歳空港でみなで待ち合わせダイスケと箸袋を作るのが得意な鹿児島出身の24歳「マスター」※箸袋つくりをマスターしたので 「マスター」です。そして着いて早速 失礼のないようまずはガイアさんにご挨拶と思っていたら逆に歓迎パーティーをして頂きました。超~新鮮なブタさんのモツ焼きやガチョウのタマゴ等 都会で普通には食べれないものばかりでした。そして翌日は部屋の準備を整え3/29は札幌でサポートスタッフの和田さんの講演会で 早速「マスター」のお箸を販売させていただきました。生まれて初めて サイン もねだられて普通に自分名前を書いていましたが・・・いいのでしょうか?サインぽくしなくて・・・次の日は技術指導を頂く 農家の皆様にご挨拶をして現地の畑を自分たちの目で見に行きました「オタマ」は特に土に触れることが大好きなのでず~~~~と興奮気味でした。今年はブタの世話を手伝わせていただいてソーセージなんかもチャレンジできればとみんなワクワクしています。近所にお住まいのAさんも晩御飯を作りにきていただいたりして本当に感謝しています。なにもお返しができないのでみんなで かわりばんこに肩たたきなんかさせて いただきました。なんかほのぼのしますね~今年はどんなドラマが待ってるのでしょうほんとうにゾクゾクしてます。次回は第4期「耕し隊」のメンバーの紹介です。おたのしみに~
2008.04.01
2007年10月に感動の修了式を終え北海道は長い冬を迎えました・・・2008年 耕せにっぽんは大きく進化します・・・3/26日いよいよメンバーが集まってきました見た顔から新メンバーどこの国の人か わかりますか?・・・・実は日本人です。耕せにっぽん 第4期はじまりはじまり~さ~~~~~~準備が大変だった分2008年はすごいよ~~~~
2008.03.28
耕し隊 第3期 修了式をおこないました9月の末に文昭さんとミーティングをしたときに決めましたみな正装して 笑いなしで ちゃんとやろうと耕し隊が帰郷する前日10月19日(金)16:30~の開式となり、平日にも関わらず一般参加の方やサポートスタッフも参加していただき中村も僕も いつもより少しまじめな感じで・・・「第3期耕し隊入場!」今期もいろんな事件がありました…事務局と現場にも色々な葛藤があり衝突もしました。お互い真剣に関わってるからこそ本当にいろんな想いがこみ上げてきます。正直 事務局としても 腹の立つことも、やるせない気持ちになるときもありました。でもそれは耕し隊も同じで彼らも孤独を感じたり、周りの人たちに言いたいこともたくさんあったとおもいます。でも…最終日が近くなると全部ひっくるめて「お疲れ様 ようがんばったな」しか言葉が出てこないんです。なんか 参加者ほとんど号泣の 修了式でしたがその中 森名人と大輔だけが 泣いていませんでした。なんでやねん!!!!さらに 一ヶ月がんばってくれた橋爪店長からのお手紙で式も盛り上がりそして 事務局で去年の10月から約1年間がんばってくれた千恵ちゃんも 10/20で事務局を卒業することになりました。今まで本当にありがとう、僕や文昭さんの 思いつきの指示を 実直にこなしてくれて感謝しています。そしてサプライズで僕にも感謝状を彼らが用意してくれて森名人と大輔からの感謝状は涙をこらえれましたが真理さんからの感謝状は 号泣しましただってこんな内容ですもん文昭さんと真理さんの作戦だったみたいですまんまとやられました・・・そして事務局並みに現場でサポートしてくださった和田さん会長そして後ろでふざけている真理さん あなたは太陽です明るくあたたかくいつも「耕せ」を照らしてくれてありがとうございます。最後の晩餐はお酒も入り松山千春の「大空と大地の下で」を大合唱しました。そしてスイッチに帰って真理さんがかねてより熱望していたタラバガニを皆でたらふくたべましたご満悦いや~~今年もがんばったね!お疲れさん!!!!!それでは最後に耕し隊から耕せにっぽんをサポートしてくださった皆様&ブログをご愛読くださった皆様に感謝状を授与したいとおもいます。ほんとうにありがとうございました。
2007.10.23
10月20日第三期終了を控え 耕し隊は掃除やあと片付をせっせとしておりますそんな中「一度スイッチオンハウスに行ってみたかった…」と一般参加の方が先日の日曜日に来てくださいました包丁と研ぎの名人 Oコーチさらに ご友人2名「せっかくだからお世話になった人の包丁集めておいてくれたら何本でも研いであげるし、みんなに研ぎ方教えてあげるよ」となかなかプロの仕事は見れないので教えていただくことにしました。実は東野けっこう包丁研ぎ好きなんです。でも プロに教わると「なるほど~~~」と知らなかったことが山ほどあります研ぐ石は3種類(荒砥石・中砥石・仕上げ砥石)で一番荒い 「荒砥石」で80%仕上がるそうなんです以下、Oコーチの説明「荒砥石はキズが付いてしまうのではないかと敬遠されがちですがこの荒砥石を掛けないと切れ味がでないのです短時間で刃を減らすことができるので刃が丸くならず(マルッ刃)薄く鋭い刃を付けることができる砥石なのです。」と言うことで 東野今度お店に行って購入してきます。森名人もなんか包丁を研ぐ姿が寡黙な職人といった感じで なんかハマってましたダイスケも楽しそうに教えてもらってましたよなにより、包丁の研ぎ方やハサミの研ぎ方を学べたことはこれからも彼らの役に立つでしょう・・・Oコーチありがとうございました!そして夜は早速 その包丁を使って真理さんにギョウザを作っていただきました。東野もギョウザはよく作るので真理さんの生地の作り方や具のレシピを勉強させていただきました。★真理姫 ギョウザの極意★ その1「しょうがは大量に入れるべし!」★真理姫 ギョウザの極意★ その2「水餃子の皮は2時間以上寝かせるべし」以上!やっぱりギョウザは手作りよ・・・むちゃくちゃ うまかったっす!その日は久々に僕もスイッチオンハウスに泊まりました夜は森名人と酒を飲んで ソッコー寝てしまいました・・・本当はみんなでちょっと耕せについて語り明かそうかと思ったのですがお酒がおいしかったもんで つい・・・・次の日の休日は 真理さん・森名人をつれて札幌に向かい真理さんは映画で森名人は第1期のときに僕がプレゼントしたメガネを(これこれ)沖縄の海で落としてしまい昔のメガネを使っていたのですが昔のだとやっぱり地味なのでこんな感じのメガネをプレゼントしました。まぁまぁ 似合ってるとおもいません????こんな感じの週末でした そして10/19は卒業式です、一般参加OKですからよければどうぞ詳しくはこちら
2007.10.11
ご無沙汰しておりますアゴアゴマンです。最近は ダイスケがブログ書くのが楽しいらしくほぼ毎日更新しておりますが…わたくし アゴアゴマンも負けじとマメにブログ書くようにしますまずはシゲ9情報~8/31日にシゲ9が故郷(神戸)に帰りました「帰ったらアルバイトをして、親に迷惑かけないようにします」と僕には言い残したのですがヤツのことやから、また引きこもってるんじゃないかな~と思い 昨日の夜に電話してみましたすると 元気よく 電話にでてくれてなんと うれしいことに ちゃんと アルバイトをしているみたいです宅配センターの仕分けの仕事みたいです作業のスピードが人より遅く上司に怒られているようですがちゃんと自分で見つけて続けているみたいですよいいね~しげ9応援してます がんばれ がんばれ し・げ・や・まそして、うれしいことにこのブログもちゃんとチェックしているみたいです。こちらも 相変わらず 耕してるよ~仕事やめんなよ~余談ですが真理さんの言いつけを守ってカップラーメンも食べないようにしていると言ってました…ほんまか~。続いてタッシー情報~短期参加のタッシーが帰りました。トウキビの収穫ラストスパートとかぼちゃの収穫のお手伝いと芋ほりも大変な時期でとっても 人手が足りないときにさんざん コキ使わせてもらいましたこの旅行の感想を最後に聞いたら「こんなはずじゃなかった…」とボヤいてましたありがとうタッシー駅までみんなで見送りに行きましたまた忙しい時に三森を連れて遊びに来てくださいおいしい野菜とたのしい重労働を用意してまってます。沖縄でいっしょだった森名人と真理さんはすこし寂しそうでしたがまた どこかで会えるでしょう・・・でもこうやって卒業生?と言うかなんと言うかタッシーにしろアヤカにしろナッパにしろ過去のメンバーが遊びにきてくれることはうれしいことですねそのうち 同窓会が出来るかも…そして9月9日の日曜日朝9時~昼頃まで芋ほりをしたのですが9月だと言うのに めちゃめちゃ暑く正直 バテました去年まではお盆を過ぎれば涼しかったんですけどね~やっぱり異常気象やね北海道も残暑が厳しいですなので9月11日の畑仕事は日中はさけて朝から芋ほりをしようとトウキビに続き朝6時に札幌を出発し畑に向かいました。ちなみに トウキビの収穫のときは朝4時に札幌を出発するんですよ~アホでしょでも朝の畑の景色はサイコ~です朝もやがかかってて雲の上をドライブしているみたいなんですなんか景色に癒されます…畑に着いたら重労働やけどね…今度 もっといい写真が取れたらアップしますねではまた ごきげんよう!
2007.09.11
いやいやいや 収穫なんとか乗り切りました写真がたっぷりたまっているのでごらんください!いよいよ耕し隊だけで スタート芽が出たぞ~シゲ9種まき間引きはやっぱり 大変でした腰くらいの高さに成長!!!花が咲き始めとうもろこしのお花畑ええ感じに成長してきたで~やばいそみんな!秘密兵器きゅうりネット監視員橋爪店長参戦親分も販売してくださいました北海道では珍しく連日真夏日短期 耕し隊 参戦一ヶ月 ハシツメさんありがとうお別れのプレゼント!もちろんマイ箸お別れパーティー シゲ 熱唱次の日からは 毎朝5時から収穫ご注文ありがとう…ヒィーけっこうムズイ!いってらっしゃーいこんな感じでした。まぁ~~~~~~~あっと言う間の2ヶ月でした。その間にはハッシー参戦収穫開始非常識力 講演会にCD発売収穫祭にしげ9卒業きつかったけど 楽しませていただきました支援者の皆様のおかげでとうもろこしも余すことなく完売しました皆様ほんとにありがとうございます。感謝感激アメアラレラストスパート スタッフ一同がんばります引き続き ジャガイモの注文も承っておりますご希望の方はぜひぜひご注文くださいませ。
2007.09.04
札幌市目標86万部 栄光への道いや~~~~~~我ながら、がんばりましたこの「豪快な号外」の企画を聞いたのは 2月10日三重県の「耕せにっぽん」のイベントの楽屋で言いだしっぺのてんつくマンから 直接 聞いて動き始めた 4ヶ月前 !!!!!当初 てんつくから「北海道リーダーなってくれへんか?」と直接頼まれましたが・・・実際 耕せにっぽんの責任者とTEAMGOGO 北海道リーダー 掛け持ちなんて無理だと思い安請け合いせず「今、俺はできないから募金は200万集めるけど号外配布リーダーは誰か探すわ」と言って 北海道リーダーを 佐々木(はげだもの)さんに無理を言ってお願いしました。そしてまず僕は、普通に募金を集めても200万円ってハードルが高いので商品と交換の募金の方法をとりました募金用の号外記念箸袋を皆様の協力で作っていただき販売して募金を集めたんです。。。今となっては、なんかなつかしい…そんな中 4月は 沖縄から耕し隊の引越し・・・黒糖販売5月は、耕せ北海道編の立ち上げ農地と家の準備に加え5月18日のイベントの準備沖縄のスタッフさんやゲストさんの北海道入り何とかかんとか「耕せにっぽん」の責任者としての任務と 200万(番長)募金を結局5月中旬までかかり、皆さんのご協力で乗り越えそして やっと、一息ついたのが 5月25日ぐらいでした。そして あと一ヶ月でキャンドルナイトだと言うのに佐々木さんにリーダーを任せた張本人がさらに耕せの活動や募金を集めるのも佐々木さんにめちゃめちゃ手伝っていただいていて一緒になってTEAMGOGOの準備を後回しにしていました…気がつけば札幌86万世帯の号外の配布の段取りがほとんどできていないことが判明!!!!全体ミーティングもしていない 札幌各区のリーダーもいないどう動くかも 決まっていない!メンバーの人数も 全く足りていない!200万円募金を集めたのにちゃんと 配付できないなんて・・・・・キラ~~~~ンアゴが光りました。5月までに募金を集めることであとは、人任せだった札幌TEAMGOGOの本部スタッフを号外が届く18日前に参戦しました。6/15~22までの8日間に86万部を配布するなら一日で配付する部数を平均すると札幌市で一日約10万部・・・・・とにかく 一人でどれだけできるかやってみないことには作戦は立てれません・・・生まれて初めて ポスティングをしました・・・結果はマンションばっかり狙って 一人2時間で600部・・・・生まれて初めて街頭で「号外~」と叫んでみました200部まくのに結構苦労することも体験しました一人で一日中がんばったら朝6時からのポスティング 2時間 600部朝8時からの街頭配布 1時間 200部午前中のポスティング 2時間 600部午後のポスティング 2時間 600部夕方の街頭配付 1時間 200部夜のポスティング 2時間 600部フルに稼動して 2800部 そんなパワフルな人が10人いても 28000部でもそんな気さくな人が40人いたら 11万部8日間で 88万部 いけるや~~~ん・・・・・・・・8日間 号外を配付し続ける人が40人いたらね・・・・・・とにかく 人の手が必要だ!!!!まずはボランティアスタッフの受入体制を整えましたはじめての人でも スグに問い合わせできるように札幌事務局のプリペードの携帯電話を設置そして豊平区リーダー のアイデアでモバイルHPを立ち上げ誰でも情報を取り出しやすくしました。そして情報が伝わっていない方のためにマスコミにもアプローチそして、まずは本部メンバーが豪快じゃない号外を使って配布の予行練習した上で最初で最後の全体ミーティングを実施したのが6/1日でした6/15日に号外が届くまでにできることはメンバー集めと 模擬練習だと思い仮号外にスタッフの募集のチラシをホチキスして「仮号外を各区で配布して、スタッフを集めリーダーを中心にして計画を立てて下さい」と説明はしましたが・・・・今思うと、突っ込みどころ満載の無謀な計画をみなさん真剣に聞いてくださり本当にありがとうございました。実は打合せまで「こんな計画で大丈夫か?」不安で不安で 苦しかったのですが・・・打合せが終わった時に本当に開き直って いました開き直った人間のパワーはすごいですよ~~~~~ここまでが準備編 続いて 「号外が届いた日」
2007.07.09
これがはじめて号外が届いた日6/15 初ポスティングスタートの写真です。このときは笑えてました・・・そして地獄が・・・いえ 天国が待っていました6/15~6/22までの1週間 人間らしい生活はしていませんでした・・・とにかく写真が残ってませんと言うか 取る暇が無いくらい配りまくりました。早朝6時から ポスティング気合の入っている地域は朝3時から ポスティングさらに早朝の街頭配付を2時間一人でして 3枚しか受け取ってもらえなかった リーダー腹痛で救急車で運ばれるリーダーはいるわ6/18の中間ミーティングでまだ10%しか配布していない地域があったりでも祈ると助っ人が現われました北海道大学!!! の学生朝から晩までがんばってくれました。そして6/21の最終日前日に集計を取ったら北海道81万部 の内 あと 10万部配布すれば完全配布!!!でもあと10万部1日で 10万部の壁はデカイ!!! メンバー全員クタクタでしたから配布してくださる店舗を皆で探しましたそしたら 一店舗3万部配りたいと申し出てくださる お店が出現!!!勢いに乗って みんな各地域最後の力を振り絞り 配布して キャンドルナイト3時間前の午後5時にはもう残すところ 1500部で終了!!!あとは余裕で皆で楽しみながら街頭配付と・・・・・・・・思ってたんです。でも 神様は素敵なプレゼントを残してくれました。17時になって 皆で札幌駅にちょうど出かける寸前に8000部 配布できていない号外が本部に届きました。欲しいといっていた店舗の分が少し足りなかったのでそれを引いてもあと4000部わざと残してあった号外とあわせて5500部 街頭配付 しかもあと3時間・・・本当にすばらしいプレゼントでした・・・・。しかし最終日の街頭配付はメンバーが思ったよりも集り30~40名は集まってくれたと思います札幌駅の周辺で「号外~~~~」と叫びました余裕の街頭配付(1500部)のはずが5500部・・・20時までに配ろうと必死でした。そして19時頃奇跡的に やっと配りきれそうだと 思った瞬間なんと さらに 1500部が到着もう 神様 って おちゃめですね本気で コケましたもう半泣きでした。でも・・・・・・やっぱり がんばった人にはちゃんとご褒美が用意されているものです。17時からはじめた 街頭配付合計7000部 全部配りきったのは19時50分・・・キャンドルナイト 10分前に配りきるなんてしかも最高のプレゼントが待ってました。20時を知らせる 札幌駅の大時計の音と共に札幌駅の明かりが消えていったのです・・・・・・・・・・・・・・・・・このために号外が7000部用意されてたんやねにくいね~~~この~~~!!!!久々に涙がでました・・・札幌GOGOメンバー本当にがんばったと思います。しかも 「地球温暖化防止の号外を配付する」と言う目的の為にぜんぜんに知らないもの同士があんなに団結することができるんだと本当にうれしく思いました・・・てんつくマンの行き当たりバッタリの企画でしたが温暖化を止めるきっかけになったかどうかわかりませんが、参加した人は確実に意識は変わったはずですそんな人が札幌だけではなく日本中にいたと思うと…すごいですよね…改めて 言いだしっぺのてんつくマンかなり アホですが・・・やっぱりただ者ではないよあの チョンマゲちゃん長い 長い ブログでしたが 最後まで読んでいただいてありがとうございます。最後の最後に後日 帯広の中学生から届いたメールを紹介します…「帯広の中学生からのメール」学校で号外をもらい隅から隅まで読みました。今の地球の状況がよくわかりました。今まで、地球のために何かしなくては…との思いだけで、何もできずにいました。でも号外を見て、改めて今の状態の重大さがわかりまず自分にできることから努力していきます。周りの人にも呼びかけて一人一人の意識を切り替えていきたいです。平和で、住み心地の良い地球になることを望んでいます。号外、感動しました。ありがとうございましたほんまにうれしいですね~「地球温暖化が止まりますように」祈りをこめて真っ暗なテレビ塔を皆様にプレゼントします・・・・TEAMGOGOに関わった皆様に幸せが訪れますように・・・・
2007.07.09
北海道にお住まいの皆様に めちゃめちゃお願いします リンク大歓迎!!!! 豪快な号外いよいよクライマックスです 札幌世帯数86万部配る(全国合計3000万部)ギネスに 一緒に挑戦してくれる人を探しています。 号外のテーマは「地球温暖化」 みなさん温暖化がやばいのはわかっていると思いますが 「自分は何をしていいのかわからない!だから何もしない」 とお考えの方 ぜひ号外を一枚でもいいので配ってください。 環境に関心のなかった人 わかってても何もできなかった人 すべての日本人にみていただきたい と あごあごまんは真剣におもっています この号外で意識が変わるはずです。 「すこし動けばええんや」と思ってもらえるはずです 今の環境を作ったのは 我々です。 国でも企業でも戦争でもなく 僕たちのライフスタイルがこんなボロボロの地球にしました 自分のケツは自分で拭きましょう。 号外の内容は→ http://kibou.main.jp/gogo.html 号外配布協力 参加方法は簡単!!!! 北海道の人限定!!! 携帯でバーコードリーダーで読み取ってみてください。今の北海道の状況がわかります。 URLはこちら↓ http://k.excite.co.jp/hp/u/gougai/ 動かない善 より 動く偽善 偽善の中から 本当の善が見える
2007.06.05
おかげさまで 耕せにっぽん 第3期 なんとか 問題もなくスタートしました でも新しいスイッチオンハウスは傾いています畑はでかい!!!!! 詳しくはこちら だれか 僕をねぎらって~~~~~ アゴアゴマン 頑張ったよ~~~~~~ え~~ん え~~~ん
2007.05.25
沖縄編 おかげ様で 無事任務完了いたしました ご支援いただいた皆様のおかげでございます 感謝・感激・ひでき感激!!!! 僕は今回サポート側にいたので、畑はしてませんが けっこうきつかったみたいですよ。 そしていよいよ 北海道 耕せ 第3期5/20 スタートです。 イベント終了しだい 全部お見せします。 それまでは 内緒・・・ でもちょこっとだけお見せしますなんか ええかんじでしょ~楽しみにしててくださいいしししし
2007.05.13
こんなことをてんつくが やると言い出しましたそれを聞いた耕せにっぽん の言いだしっぺ中村文昭は 一億円番長になるといいました。そしてその話にのった耕せにっぽんスタッフは一億円の内200万を担当する200万番長になりました。ですが 募金で200万!!!!口で言うのは簡単ですがやってみるとこれが大変!!!そこで考えました!皆さんにエコ活動に参加していただきながら思い出に残る募金にしていただく方法を・・・名づけて「号外記念マイ箸」1本2000円也号外記念マイ箸って こんなんです中村文昭のサイン入りですしかも世界でたった1500本箸袋の裏に「2007.6.22耕せにっぽん 号外記念中村文昭」って入ってます「あの号外に寄付した記念だ!!!」って自慢してください。このお箸に関してはスイッチハウスの耕し隊が作ったのではなく号外に賛同くださった耕せにっぽん 支援者の皆さんに作っていただいたものです。もちろんボランティアで・・・ありがたいことです。又、通常800円で販売しているお箸を2000円で販売しますので一本に付 1200円を TEAM:GOGO 2007 に寄付させて頂きます。この 号外記念マイ箸にご賛同頂ける方は011-209-9886(FAX)に1)申し込み数量2)送り先の住所・名前・電話番号を明記の上FAXしてください。代引きにて 事務局より発送いたします送料と手数料は事務局が負担いたします。そして できましたらご友人にも勧めていただきたいので10本 20本・・・・100本とまとめ買い など大歓迎ですその 号外の趣旨を書いたチラシも添付してお届けいたしますなにとぞなにとぞなにとぞよろしくお願い申し上げます。皆さんの力をぜひ貸して下さい。
2007.04.09
エエ感じになってきました… 前回の「原発ってどんなものかしってほしい」 の内容に対して「あの文章は???かもしれませんよ」 と丁寧に教えて下さる方がいました。 ありがとうございます。 正直 あの書類が真実か偽者か 僕にはわかりませんが 初めて 私のような人間でも また今まで 知ろうとしなかった人も 「議論すべきだ」と思えるようになったことが とてもいいことだと思うのです そして僕が原発問題に対して思うことは 原発の真実は 公の場所(めだつ場所)では 議論されていないと強く感じました 事故データの改ざんなども もっと追求すべきことで 知らないから わからないから むずかしいから 私は 言わない かかわらない 動かないでは 何か変だ?と感じる自分に ウソをついてるような気がするので 僕は やっぱり まだ「原発って信用できない」です 「知らないくせに」とバカにされてもいいんです 今までさんざん 恥をかいてきましたから でも自分が「なんか変や?」って感じることは 鼻ほじって 大声でまわりに聞いてみようと思います 原発ってほんまに大丈夫なんか?ほんまに!と… 頭で考えるのではなく「なんか変や?」で 十分やと思います。 皆が興味を持つことで未来に対して正しい選択が みえてくるのではないでしょうか? (なんか 小難しくなってきたので この辺で終了) そして↓ちょっと知ろうとしたらこんなんも見つかりました http://promotion.yahoo.co.jp/charger/200704/contents05/theme05.php 偽記事かもよ! でも原発の占める割合って 少ないんやね! 号外をきっかけに 「なんか変や」がなくなることを願って アゴアゴマンより
2007.04.06
号外のメーリングでてんつく兄さんからこんな書類が送られてきました。 昨日はショックでなかなか寝付けませんでした。 「原発反対!!?」 なんて深く知ろうともせず 思ってた自分が恥ずかしいです。 原発の不都合な真実です。 ぜひ平井憲夫さんの供養だとおもって 最後まで読んであげてください。 読み終わって「事実を伝えよう」と思った方は この文章添付して 大切な方に知らせてください 私は原発反対運動家ではありません。 二○年間、原子力発電所の現場で働いていた者です。原発については賛成だとか、危険だとか、安全だとかいろんな論争がありますが、私は「原発とはこういうものですよ」と、ほとんどの人が知らない原発の中のお話をします。そして、最後まで読んでいただくと、原発がみなさんが思っていらっしゃるようなものではなく、毎日、被曝者を生み、大変な差別をつくっているものでもあることがよく分かると思います。 はじめて聞かれる話も多いと思います。どうか、最後まで読んで、それから、原発をどうしたらいいか、みなさんで考えられたらいいと思います。原発について、設計の話をする人はたくさんいますが、私のように施工、造る話をする人がいないのです。しかし、現場を知らないと、原発の本当のことは分かりません。 私はプラント、大きな化学製造工場などの配管が専門です。二○代の終わりごろに、日本に原発を造るというのでスカウトされて、原発に行きました。一作業負だったら、何十年いても分かりませんが、現場監督として長く働きましたから、原発の中のことはほとんど知っていす。 「安全」は机上の話 去年(一九九五年)の一月一七日に阪神大震災が起きて、国民の中から「地震で原発が壊れたりしないか」という不安の声が高くなりました。原発は地震で本当に大丈夫かと。しかし、決して大丈夫ではありません。国や電力会社は、耐震設計を考え、固い岩盤の上に建設されているので安全だと強調していますが、これは机上の話です。この地震の次の日、私は神戸に行ってみて、余りにも原発との共通点の多さに、改めて考えさせられました。まさか、新幹線の線路が落下したり、高速道路が横倒しになるとは、それまで国民のだれ1人考えてもみかったと思います。 世間一般に、原発や新幹線、高速道路などは官庁検査によって、きびしい検査が行われていると思われています。しかし、新幹線の橋脚部のコンクリートの中には型枠の木片が入っていたし、高速道路の支柱の鉄骨の溶接は溶け込み不良でした。一見、溶接がされているように見えていても、溶接そのものがなされていなくて、溶接部が全部はずれてしまっていました。なぜ、このような事が起きてしまったのでしょうか。その根本は、余りにも机上の設計ばかりに重点を置いていて、現場の施工、管理を怠ったためです。それが直接の原因ではなくても、このような事故が起きてしまうのです。 素人が造る原発 原発でも、原子炉の中に針金が入っていたり、配管の中に道具や工具を入れたまま配管をつないでしまったり、いわゆる人が間違える事故、ヒューマンエラーがあまりにも多すぎます。それは現場にブロの職人が少なく、いくら設計が立派でも、設計通りには造られていないからです。机上の設計の議論は、最高の技量を持った職人が施工することが絶対条件です。しかし、原発を造る人がどんな技量を持った人であるのか、現場がどうなっているのかという議論は1度もされたことがありません。 原発にしろ、建設現場にしろ、作業者から検査官まで総素人によって造られているのが現実ですから、原発や新幹線、高速道路がいつ大事故を起こしても、不思議ではないのです。日本の原発の設計も優秀で、二重、三重に多重防護されていて、どこかで故障が起きるとちゃんと止まるようになっています。しかし、これは設計の段階までです。施工、造る段階でおかしくなってしまっているのです。 仮に、自分の家を建てる時に、立派な一級建築士に設計をしてもらっても、大工や左官屋の腕が悪かったら、雨漏りはする、建具は合わなくなったりしますが、残念ながら、これが日本の原発なのです。 ひとむかし前までは、現場作業には、棒心(ぼうしん)と呼ばれる職人、現場の若い監督以上の経験を積んだ職人が班長として必ずいました。職人は自分の仕事にプライドを持っていて、事故や手抜きは恥だと考えていましたし、事故の恐ろしさもよく知っていました。それが十年くらい前から、現場に職人がいなくなりました。 全くの素人を経験不問という形で募集しています。素人の人は事故の怖さを知らない、なにが不正工事やら手抜きかも、全く知らないで作業しています。それが今の原発の実情です。 例えば、東京電力の福島原発では、針金を原子炉の中に落としたまま運転していて、1歩間違えば、世界中を巻き込むような大事故になっていたところでした。本人は針金を落としたことは知っていたのに、それがどれだけの大事故につながるかの認識は全然なかったのです。そういう意味では老朽化した原発も危ないのですが、新しい原発も素人が造るという意味で危ないのは同じです。 現場に職人が少なくなってから、素人でも造れるように、工事がマニュアル化されるようになりました。マニュアル化というのは図面を見て作るのではなく、工場である程度組み立てた物を持ってきて、現場で1番と1番、2番と2番というように、ただ積木を積み重ねるようにして合わせていくんです。そうすると、今、自分が何をしているのか、どれほど重要なことをしているのか、全く分からないままに造っていくことになるのです。こういうことも、事故や故障がひんぱんに起こるようになった原因のひとつです。 また、原発には放射能の被曝の問題があって後継者を育てることが出来ない職場なのです。原発の作業現場は暗くて暑いし、防護マスクも付けていて、互いに話をすることも出来ないような所ですから、身振り手振りなんです。これではちゃんとした技術を教えることができません。それに、いわゆる腕のいい人ほど、年間の許容線量を先に使ってしまって、中に入れなくなります。だから、よけいに素人でもいいということになってしまうんです。 また、例えば、溶接の職人ですと、目がやられます。30歳すぎたらもうだめで、細かい仕事が出来なくなります。そうすると、細かい仕事が多い石油プラントなどでは使いものになりませんから、だったら、まあ、日当が安くても、原発の方にでも行こうかなあということになります。 皆さんは何か勘違いしていて、原発というのはとても技術的に高度なものだと思い込んでいるかも知れないけれど、そんな高級なものではないのです。ですから、素人が造る原発ということで、原発はこれから先、本当にどうしようもなくなってきます。 名ばかりの検査・検査官 原発を造る職人がいなくなっても、検査をきっちりやればいいという人がいます。しかし、その検査体制が問題なのです。出来上がったものを見るのが日本の検査ですから、それではダメなのです。検査は施工の過程を見ることが重要なのです。 検査官が溶接なら溶接を、「そうではない。よく見ていなさい。このようにするんだ」と自分でやって見せる技量がないと本当の検査にはなりません。そういう技量の無い検査官にまともな検査が出来るわけがないのです。メーカーや施主の説明を聞き、書類さえ整っていれば合格とする、これが今の官庁検査の実態です。 原発の事故があまりにもひんぱんに起き出したころに、運転管理専門官を各原発に置くことが閣議で決まりました。原発の新設や定検(定期検査)のあとの運転の許可を出す役人です。私もその役人が素人だとは知っていましたが、ここまでひどいとは知らなかったです。 というのは、水戸で講演をしていた時、会場から「実は恥ずかしいんですが、まるっきり素人です」と、科技庁(科学技術庁)の者だとはっきり名乗って発言した人がいました。その人は「自分たちの職場の職員は、被爆するから絶対に現場に出さなかった。折から行政改革で農水省の役人が余っているというので、昨日まで養蚕の指導をしていた人やハマチの養殖の指導をしていた人を、次の日には専門検査官として赴任させた。そういう何にも知らない人が原発の専門検査官として運転許可を出した。美浜原発にいた専門官は三か月前までは、お米の検査をしていた人だった」と、その人たちの実名を挙げて話してくれました。このようにまったくの素人が出す原発の運転許可を信用できますか。 東京電力の福島原発で、緊急炉心冷却装置(ECCS)が作動した大事故が起きたとき、読売新聞が「現地専門官カヤの外」と報道していましたが、その人は、自分の担当している原発で大事故が起きたことを、次の日の新聞で知ったのです。なぜ、専門官が何も知らなかったのか。それは、電力会社の人は専門官がまったくの素人であることを知っていますから、火事場のような騒ぎの中で、子どもに教えるように、いちいち説明する時間がなかったので、その人を現場にも入れないで放って置いたのです。だから何も知らなかったのです。 そんないい加減な人の下に原子力検査協会の人がいます。この人がどんな人かというと、この協会は通産省を定年退職した人の天下り先ですから、全然畑違いの人です。この人が原発の工事のあらゆる検査の権限を持っていて、この人の0Kが出ないと仕事が進まないのですが、検査のことはなにも知りません。ですから、検査と言ってもただ見に行くだけです。けれども大変な権限を持っています。この協会の下に電力会社があり、その下に原子炉メーカーの日立・東芝・三菱の三社があります。私は日立にいましたが、このメーカーの下に工事会社があるんです。つまり、メーカーから上も素人、その下の工事会社もほとんど素人ということになります。だから、原発の事故のことも電力会社ではなく、メー力-でないと、詳しいことは分からないのです。 私は現役のころも、辞めてからも、ずっと言っていますが、天下りや特殊法人ではなく、本当の第三者的な機関、通産省は原発を推進しているところですから、そういう所と全く関係のない機関を作って、その機関が検査をする。そして、検査官は配管のことなど経験を積んだ人、現場のたたき上げの職人が検査と指導を行えば、溶接の不具合や手抜き工事も見抜けるからと、一生懸命に言ってきましたが、いまだに何も変わっていません。このように、日本の原発行政は、余りにも無責任でお粗末なものなんです
2007.04.03
いいかげんな原発の耐震設計 阪神大震災後に、慌ただしく日本中の原発の耐震設計を見直して、その結果を九月に発表しましたが、「どの原発も、どんな地震が起きても大丈夫」というあきれたものでした。私が関わった限り、初めのころの原発では、地震のことなど真面目に考えていなかったのです。それを新しいのも古いのも一緒くたにして、大丈夫だなんて、とんでもないことです。1993年に、女川原発の一号機が震度4くらいの地震で出力が急上昇して、自動停止したことがありましたが、この事故は大変な事故でした。なぜ大変だったかというと、この原発では、1984年に震度5で止まるような工事をしているのですが、それが震度5ではないのに止まったんです。わかりやすく言うと、高速道路を運転中、ブレーキを踏まないのに、突然、急ブレーキがかかって止まったと同じことなんです。これは、東北電力が言うように、止まったからよかった、というような簡単なことではありません。5で止まるように設計されているものが4で止まったということは、5では止まらない可能性もあるということなんです。つまり、いろんなことが設計通りにいかないということの現れなんです。 こういう地震で異常な止まり方をした原発は、1987年に福島原発でも起きていますが、同じ型の原発が全国で10もあります。これは地震と原発のことを考えるとき、非常に恐ろしいことではないでしょうか。 定期点検工事も素人が原発は1年くらい運転すると、必ず止めて検査をすることになっていて、定期検査、定検といっています。原子炉には70気圧とか、150気圧とかいうものすごい圧力がかけられていて、配管の中には水が、水といっても300℃もある熱湯ですが、水や水蒸気がすごい勢いで通っていますから、配管の厚さが半分くらいに薄くなってしまう所もあるのです。そういう配管とかバルブとかを、定検でどうしても取り替えなくてはならないのですが、この作業に必ず被曝が伴うわけです。愿発は一回動かすと、中は放射能、放射線でいっぱいになりますから、その中で人間が放射線を浴びながら働いているのです。そういう現場へ行くのには、自分の服を全部脱いで、防護服に着替えて入ります。防護服というと、放射能から体を守る服のように聞こえますが、そうではないんですよ。放射線の量を計るアラ-ムメーターは防護服の中のチョッキに付けているんですから。つまり、防護服は放射能を外に持ち出さないための単なる作業着です。作業している人を放射能から守るものではないのです。だから、作業が終わって外に出る時には、パンツー枚になって、被曝していないかどうか検査をするんです。体の表面に放射能がついている、いわゆる外部被曝ですと、シャワーで洗うと大体流せますから、放射能がゼロになるまで徹底的に洗ってから、やっと出られます。 また、安全靴といって、備付けの靴に履き替えますが、この靴もサイズが自分の足にきちっと合うものはありませんから、大事な働く足元がちゃんと定まりません。それに放射能を吸わないように全面マスクを付けたりします。そういうかっこうで現場に入り、放射能の心配をしながら働くわけですから、実際、原発の中ではいい仕事は絶対に出来ません。普通の職場とはまったく違うのです。そういう仕事をする人が95%以上まるっきりの素人です。お百姓や漁師の人が自分の仕事が暇な冬場などにやります。言葉は悪いのですが、いわゆる出稼ぎの人です。そういう経験のない人が、怖さを全く知らないで作業をするわけです。 例えば、ボルトをネジで締める作業をするとき、「対角線に締めなさい、締めないと漏れるよ」と教えますが、作業する現場は放射線管理区域ですから、放射能がいっぱいあって最悪な所です。作業現場に入る時はアラームメーターをつけて入りますが、現場は場所によって放射線の量が違いますから、作業の出来る時間が違います。分刻みです。現場に入る前にその日の作業と時間、時間というのは、その日に浴びてよい放射能の量で時間が決まるわけですが、その現場が20分間作業ができる所だとすると、20分経つとアラ-ムメーターが鳴るようにしてある。だから、「アラームメーターが鳴ったら現場から出なさいよ」と指示します。でも現場には時計がありません。時計を持って入ると、時計が放射能で汚染されますから腹時計です。そうやって、現場に行きます。 そこでは、ボルトをネジで締めながら、もう10分は過ぎたかな、15分は過ぎたかなと、頭はそっちの方にばかり行きます。アラームメーターが鳴るのが怖いですから。アラームメーターというのはビーッととんでもない音がしますので、初めての人はその音が鳴ると、顔から血の気が引くくらい怖いものです。これは経験した者でないと分かりません。ビーッと鳴ると、レントゲンなら何十枚もいっぺんに写したくらいの放射線の量に当たります。ですからネジを対角線に締めなさいと言っても、言われた通りには出来なくて、ただ締めればいいと、どうしてもいい加滅になってしまうのです。すると、どうなりますか。 放射能垂れ流しの海 冬に定検工事をすることが多いのですが、定検が終わると、海に放射能を含んだ水が何十トンも流れてしまうのです。はっきり言って、今、日本列島で取れる魚で、安心して食べられる魚はほとんどありません。日本の海が放射能で汚染されてしまっているのです。 海に放射能で汚れた水をたれ流すのは、定検の時だけではありません。原発はすごい熱を出すので、日本では海水で冷やして、その水を海に捨てていますが、これが放射能を含んだ温排水で、一分間に何十トンにもなります。 原発の事故があっても、県などがあわてて安全宣言を出しますし、電力会社はそれ以上に隠そうとします。それに、国民もほとんど無関心ですから、日本の海は汚れっぱなしです。 防護服には放射性物質がいっぱいついていますから、それを最初は水洗いして、全部海に流しています。排水口で放射線の量を計ると、すごい量です。こういう所で魚の養殖をしています。安全な食べ物を求めている人たちは、こういうことも知って、原発にもっと関心をもって欲しいものです。このままでは、放射能に汚染されていないものを選べなくなると思いますよ。 数年前の石川県の志賀原発の差止め裁判の報告会で、八十歳近い行商をしているおばあさんが、こんな話をしました。「私はいままで原発のことを知らなかった。今日、昆布とわかめをお得意さんに持っていったら、そこの若奥さんに「悪いけどもう買えないよ、今日で終わりね、志賀原発が運転に入ったから」って言われた。原発のことは何も分からないけど、初めて実感として原発のことが分かった。どうしたらいいのか」って途方にくれていました。みなさんの知らないところで、日本の海が放射能で汚染され続けています。 内部被爆が一番怖い 原発の建屋の中は、全部の物が放射性物質に変わってきます。物がすべて放射性物質になって、放射線を出すようになるのです。どんなに厚い鉄でも放射線が突き抜けるからです。体の外から浴びる外部被曝も怖いですが、一番怖いのは内部被曝です。 ホコリ、どこにでもあるチリとかホコリ。原発の中ではこのホコリが放射能をあびて放射性物質となって飛んでいます。この放射能をおびたホコリが口や鼻から入ると、それが内部被曝になります。原発の作業では片付けや掃除で一番内部被曝をしますが、この体の中から放射線を浴びる内部被曝の方が外部被曝よりもずっと危険なのです。体の中から直接放射線を浴びるわけですから。 体の中に入った放射能は、通常は、三日くらいで汗や小便と一緒に出てしまいますが、三日なら三日、放射能を体の中に置いたままになります。また、体から出るといっても、人間が勝手に決めた基準ですから、決してゼロにはなりません。これが非常に怖いのです。どんなに微量でも、体の中に蓄積されていきますから。 原発を見学した人なら分かると思いますが、一般の人が見学できるところは、とてもきれいにしてあって、職員も「きれいでしょう」と自慢そうに言っていますが、それは当たり前なのです。きれいにしておかないと放射能のホコリが飛んで危険ですから。 私はその内部被曝を百回以上もして、癌になってしまいました。癌の宣告を受けたとき、本当に死ぬのが怖くて怖くてどうしようかと考えました。でも、私の母が何時も言っていたのですが、「死ぬより大きいことはないよ」と。じゃ死ぬ前になにかやろうと。原発のことで、私が知っていることをすべて明るみに出そうと思ったのです。
2007.04.03
普通の職場環境とは全く違う 放射能というのは蓄積します。いくら徴量でも十年なら十年分が蓄積します。これが怖いのです。日本の放射線管理というのは、年間50ミリシーベルトを守ればいい、それを越えなければいいという姿勢です。 例えば、定検工事ですと三ケ月くらいかかりますから、それで割ると一日分が出ます。でも、放射線量が高いところですと、一日に五分から七分間しか作業が出来ないところもあります。しかし、それでは全く仕事になりませんから、三日分とか、一週間分をいっぺんに浴びせながら作業をさせるのです。これは絶対にやってはいけない方法ですが、そうやって10分間なり20分間なりの作業ができるのです。そんなことをすると白血病とかガンになると知ってくれていると、まだいいのですが……。電力会社はこういうことを一切教えません。 稼動中の原発で、機械に付いている大きなネジが一本緩んだことがありました。動いている原発は放射能の量が物凄いですから、その一本のネジを締めるのに働く人三十人を用意しました。一列に並んで、ヨーイドンで七メートルくらい先にあるネジまで走って行きます。行って、一、二、三と数えるくらいで、もうアラームメーターがビーッと鳴る。中には走って行って、ネジを締めるスパナはどこにあるんだ?といったら、もう終わりの人もいる。ネジをたった一山、二山、三山締めるだけで百六十人分、金額で四百万円くらいかかりました。 なぜ、原発を止めて修理しないのかと疑問に思われるかもしれませんが、原発を一日止めると、何億円もの損になりますから、電力会社は出来るだけ止めないのです。放射能というのは非常に危険なものですが、企業というものは、人の命よりもお金なのです。 絶対安全」だと五時間の洗脳教育 原発など、放射能のある職場で働く人を放射線従事者といいます。日本の放射線従事者は今までに約二七万人ですが、そのほとんどが原発作業者です。今も九万人くらいの人が原発で働いています。その人たちが年一回行われる原発の定検工事などを、毎日、毎日、被曝しながら支えているのです。 原発で初めて働く作業者に対し、放射線管理教育を約五時間かけて行います。この教育の最大の目的は、不安の解消のためです。原発が危険だとは一切教えません。国の被曝線量で管理しているので、絶対大丈夫なので安心して働きなさい、世間で原発反対の人たちが、放射能でガンや白血病に冒されると言っているが、あれは“マッカナ、オオウソ”である、国が決めたことを守っていれば絶対に大丈夫だと、五時間かけて洗脳します。 こういう「原発安全」の洗脳を、電力会社は地域の人にも行っています。有名人を呼んで講演会を開いたり、文化サークルで料理教室をしたり、カラー印刷の立派なチラシを新聞折り込みしたりして。だから、事故があって、ちょっと不安に思ったとしても、そういう安全宣伝にすぐに洗脳されてしまって、「原発がなくなったたら、電気がなくなって困る」 と思い込むようになるのです。 私自身が二〇年近く、現場の責任者として、働く人にオウムの麻原以上のマインド・コントロール、「洗脳教育」をやって来ました。何人殺したかわかりません。みなさんから現場で働く人は不安に思っていないのかとよく聞かれますが、放射能の危険や被曝のことは一切知らされていませんから、不安だとは大半の人は思っていません。体の具合が悪くなっても、それが原発のせいだとは全然考えもしないのです。作業者全員が毎日被曝をする。それをいかに本人や外部に知られないように処理するかが責任者の仕事です。本人や外部に被曝の問題が漏れるようでは、現場責任者は失格なのです。これが原発の現場です。 私はこのような仕事を長くやっていて、毎日がいたたまれない日も多く、夜は酒の力をかり、酒量が日毎に増していきました。そうした自分自身に、問いかけることも多くなっていました。一体なんのために、誰のために、このようなウソの毎日を過ごさねばならないのかと。気がついたら、二〇年の原発労働で、私の体も被曝でぼろぼろになっていました。 だれが助けるのか また、東京電力の福島原発で現場作業員がグラインダーで額(ひたい)を切って、大怪我をしたことがありました。血が吹き出ていて、一刻を争う大怪我でしたから、直ぐに救急車を呼んで運び出しました。ところが、その怪我人は放射能まみれだったのです。でも、電力会社もあわてていたので、防護服を脱がせたり、体を洗ったりする除洗をしなかった。救急隊員にも放射能汚染の知識が全くなかったので、その怪我人は放射能の除洗をしないままに、病院に運ばれてしまったんです。だから、その怪我人を触った救急隊員が汚染される、救急車も汚染される、医者も看護婦さんも、その看護婦さんが触った他の患者さんも汚染される、その患者さんが外へ出て、また汚染が広がるというふうに、町中がパニックになるほどの大変な事態になってしまいました。みんなが大怪我をして出血のひどい人を何とか助けたいと思って必死だっただけで、放射能は全く見えませんから、その人が放射能で汚染されていることなんか、だれも気が付かなかったんですよ。 一人でもこんなに大変なんです。それが仮に大事故が起きて大勢の住民が放射能で汚染された時、一体どうなるのでしょうか。想像できますか。人ごとではないのです。この国の人、みんなの問題です。 びっくりした美浜原発細管破断事故! 皆さんが知らないのか、無関心なのか、日本の原発はびっくりするような大事故を度々起こしています。スリーマイル島とかチェルノブイリに匹敵する大事故です。一九八九年に、東京電力の福島第二原発で再循環ポンプがバラバラになった大事故も、世界で初めての事故でした。 そして、一九九一年二月に、関西電力の美浜原発で細管が破断した事故は、放射能を直接に大気中や海へ大量に放出した大事故でした。 チェルノブイリの事故の時には、私はあまり驚かなかったんですよ。原発を造っていて、そういう事故が必ず起こると分かっていましたから。だから、ああ、たまたまチェルノブイリで起きたと、たまたま日本ではなかったと思ったんです。しかし、美浜の事故の時はもうびっくりして、足がガクガクふるえて椅子から立ち上がれない程でした。 この事故はECCS(緊急炉心冷却装置)を手動で動かして原発を止めたという意味で、重大な事故だったんです。ECCSというのは、原発の安全を守るための最後の砦に当たります。これが効かなかったらお終りです。だから、ECCSを動かした美浜の事故というのは、一億数千万人の人を乗せたバスが高速道路を一〇〇キロのスピードで走っているのに、ブレーキもきかない、サイドブレーキもきかない、崖にぶつけてやっと止めたというような大事故だったんです。 原子炉の中の放射能を含んだ水が海へ流れ出て、炉が空焚きになる寸前だったのです。日本が誇る多重防護の安全弁が次々と効かなくて、あと〇・七秒でチェルノブイリになるところだった。それも、土曜日だったのですが、たまたまベテランの職員が来ていて、自動停止するはずが停止しなくて、その人がとっさの判断で手動で止めて、世界を巻き込むような大事故に至らなかったのです。日本中の人が、いや世界中の人が本当に運がよかったのですよ。 この事故は、二ミリくらいの細い配管についている触れ止め金具、何千本もある細管が振動で触れ合わないようにしてある金具が設計通りに入っていなかったのが原因でした。施工ミスです。そのことが二十年近い何回もの定検でも見つからなかったんですから、定検のいい加減さがばれた事故でもあった。入らなければ切って捨てる、合わなければ引っ張るという、設計者がまさかと思うようなことが、現場では当たり前に行われているということが分かった事故でもあったんです。 もんじゅの大事故 去年(一九九五年)の十二月八日に、福井県の敦賀にある動燃(動力炉・核燃料開発事業団)のもんじゅでナトリウム漏れの大事故を起こしました。もんじゅの事故はこれが初めてではなく、それまでにも度々事故を起こしていて、私は建設中に六回も呼ばれて行きました。というのは、所長とか監督とか職人とか、元の部下だった人たちがもんじゅの担当もしているので、何か困ったことがあると私を呼ぶんですね。もう会社を辞めていましたが、原発だけは事故が起きたら取り返しがつきませんから、放っては置けないので行くのです。 ある時、電話がかかって、「配管がどうしても合わないから来てくれ」という。行って見ますと、特別に作った配管も既製品の配管もすべて図面どおり、寸法通りになっている。でも、合わない。どうして合わないのか、いろいろ考えましたが、なかなか分からなかった。一晩考えてようやく分かりました。もんじゅは、日立、東芝、三菱、富士電機などの寄せ集めのメーカーで造ったもので、それぞれの会社の設計基準が違っていたのです。 図面を引くときに、私が居た日立は〇・五mm切り捨て、東芝と三菱は〇・五mm切上げ、日本原研は〇・五mm 切り下げなんです。たった〇・五mmですが、百カ所も集まると大変な違いになるのです。だから、数字も線も合っているのに合わなかったのですね。 これではダメだということで、みんな作り直させました。何しろ国の威信がかかっていますから、お金は掛けるんです。 どうしてそういうことになるかというと、それぞれのノウ・ハウ、企業秘密ということがあって、全体で話し合いをして、この〇・五mmについて、切り上げるか、切り下げるか、どちらかに統一しようというような話し合いをしていなかったのです。今回のもんじゅの事故の原因となった温度センサーにしても、メーカー同士での話し合いもされていなかったんではないでしょうか。どんなプラントの配管にも、あのような温度計がついていますが、私はあんなに長いのは見たことがありません。おそらく施工した時に危ないと分かっていた人がいたはずなんですね。でも、よその会社のことだからほっとけばいい、自分の会社の責任ではないと。 動燃自体が電力会社からの出向で出来た寄せ集めですが、メーカーも寄せ集めなんです。これでは事故は起こるべくして起こる、事故が起きないほうが不思議なんで、起こって当たり前なんです。 しかし、こんな重大事故でも、国は「事故」と言いません。美浜原発の大事故の時と同じように「事象があった」と言っていました。私は事故の後、直ぐに福井県の議会から呼ばれて行きました。あそこには十五基も原発がありますが、誘致したのは自民党の議員さんなんですね。だから、私はそういう人に何時も、「事故が起きたらあなた方のせいだよ、反対していた人には責任はないよ」と言ってきました。この度、の議員さんたちに呼ばれたのです。「今回は腹を据えて動燃とケンカする、どうしたらよいか教えてほしい」と相談を受けたのです。 それで、私がまず最初に言ったことは、「これは事故なんです、事故。事象というような言葉に誤魔化されちゃあだめだよ」と言いました。県議会で動燃が「今回の事象は……」と説明を始めたら、「事故だろ! 事故!」と議員が叫んでいたのが、テレビで写っていましたが、あれも、黙っていたら、軽い「事象」ということにされていたんです。地元の人たちだけではなく、私たちも、向こうの言う「事象」というような軽い言葉に誤魔化されてはいけないんです。普通の人にとって、「事故」というのと「事象」というのとでは、とらえ方がまったく違います。この国が事故を事象などと言い換えるような姑息なことをしているので、日本人には原発の事故の危機感がほとんどないのです。
2007.04.03
日本のプルトニウムがフランスの核兵器に? もんじゅに使われているプルトニウムは、日本がフランスに再処理を依頼して抽出したものです。再処理というのは、原発で燃やしてしまったウラン燃料の中に出来たプルトニウムを取り出すことですが、プルトニウムはそういうふうに人工的にしか作れないものです。 そのプルトニウムがもんじゅには約一・四トンも使われています。長崎の原爆は約八キロだったそうですが、一体、もんじゅのプルトニウムでどのくらいの原爆ができますか。それに、どんなに微量でも肺ガンを起こす猛毒物質です。半減期が二万四千年もあるので、永久に放射能を出し続けます。だから、その名前がプルートー、地獄の王という名前からつけられたように、プルトニウムはこの世で一番危険なものといわれるわけですよ。 しかし、日本のプルトニウムが去年(一九九五年)南太平洋でフランスが行った核実験に使われた可能性が大きいことを知っている人は、余りいません。フランスの再処理工場では、プルトニウムを作るのに核兵器用も原発用も区別がないのです。だから、日本のプルトニウムが、この時の核実験に使われてしまったことはほとんど間違いありません。 日本がこの核実験に反対をきっちり言えなかったのには、そういう理由があるからです。もし、日本政府が本気でフランスの核実験を止めさせたかったら、簡単だったのです。つまり、再処理の契約を止めればよかったんです。でも、それをしなかった。 日本とフランスの貿易額で二番目に多いのは、この再処理のお金なんですよ。国民はそんなことも知らないで、いくら「核実験に反対、反対」といっても仕方がないんじゃないでしょうか。それに、唯一の被爆国といいながら、日本のプルトニウムがタヒチの人々を被爆させ、きれいな海を放射能で汚してしまったに違いありません。 世界中が諦めたのに、日本だけはまだこんなもので電気を作ろうとしているんです。普通の原発で、ウランとプルトニウムを混ぜた燃料(MOX燃料)を燃やす、いわゆるプルサーマルをやろうとしています。しかし、これは非常に危険です。分かりやすくいうと、石油ストーブでガソリンを燃やすようなことなんです。原発の元々の設計がプルトニウムを燃すようになっていません。プルトニウムは核分裂の力がウランとはケタ違いに大きいんです。だから原爆の材料にしているわけですから。 いくら資源がない国だからといっても、あまりに酷すぎるんじゃないでしょうか。早く原発を止めて、プルトニウムを使うなんてことも止めなければ、あちこちで被曝者が増えていくばかりです。 日本には途中でやめる勇気がない 世界では原発の時代は終わりです。原発の先進国のアメリカでは、二月(一九九六年)に二〇一五年までに原発を半分にすると発表しました。それに、プルトニウムの研究も大統領命令で止めています。あんなに怖い物,研究さえ止めました。 もんじゅのようにプルトニウムを使う原発、高速増殖炉も、アメリカはもちろんイギリスもドイツも止めました。ドイツは出来上がったのを止めて、リゾートパークにしてしまいました。世界の国がプルトニウムで発電するのは不可能だと分かって止めたんです。日本政府も今度のもんじゅの事故で「失敗した」と思っているでしょう。でも、まだ止めない。これからもやると言っています。 どうして日本が止めないかというと、日本にはいったん決めたことを途中で止める勇気がないからで、この国が途中で止める勇気がないというのは非常に怖いです。みなさんもそんな例は山ほどご存じでしょう。 とにかく日本の原子力政策はいい加減なのです。日本は原発を始める時から、後のことは何にも考えていなかった。その内に何とかなるだろうと。そんないい加減なことでやってきたんです。そうやって何十年もたった。でも、廃棄物一つのことさえ、どうにもできないんです。 もう一つ、大変なことは、いままでは大学に原子力工学科があって、それなりに学生がいましたが、今は若い人たちが原子力から離れてしまい、東大をはじめほとんどの大学からなくなってしまいました。机の上で研究する大学生さえいなくなったのです。 また、日立と東芝にある原子力部門の人も三分の一に減って、コ・ジェネレーション(電気とお湯を同時に作る効率のよい発電設備)のガス・タービンの方へ行きました。メーカーでさえ、原子力はもう終わりだと思っているのです。 原子力局長をやっていた島村武久さんという人が退官して、『原子力談義』という本で、「日本政府がやっているのは、ただのつじつま合わせに過ぎない、電気が足りないのでも何でもない。あまりに無計画にウランとかプルトニウムを持ちすぎてしまったことが原因です。はっきりノーといわないから持たされてしまったのです。そして日本はそれらで核兵器を作るんじゃないかと世界の国々から見られる、その疑惑を否定するために核の平和利用、つまり、原発をもっともっと造ろうということになるのです」と書いていますが、これもこの国の姿なんです。 廃炉も解体も出来ない原発 一九六六年に、日本で初めてイギリスから輸入した十六万キロワットの営業用原子炉が茨城県の東海村で稼動しました。その後はアメリカから輸入した原発で、途中で自前で造るようになりましたが、今では、この狭い日本に一三五万キロワットというような巨大な原発を含めて五一の原発が運転されています。 具体的な廃炉・解体や廃棄物のことなど考えないままに動かし始めた原発ですが、厚い鉄でできた原子炉も大量の放射能をあびるとボロボロになるんです。だから、最初、耐用年数は十年だと言っていて、十年で廃炉、解体する予定でいました。しかし、一九八一年に十年たった東京電力の福島原発の一号機で、当初考えていたような廃炉・解体が全然出来ないことが分かりました。このことは国会でも原子炉は核反応に耐えられないと、問題になりました。 この時、私も加わってこの原子炉の廃炉、解体についてどうするか、毎日のように、ああでもない、こうでもないと検討をしたのですが、放射能だらけの原発を無理やりに廃炉、解体しようとしても、造るときの何倍ものお金がかかることや、どうしても大量の被曝が避けられないことなど、どうしようもないことが分かったのです。原子炉のすぐ下の方では、決められた線量を守ろうとすると、たった十数秒くらいしかいられないんですから。 机の上では、何でもできますが、実際には人の手でやらなければならないのですから、とんでもない被曝を伴うわけです。ですから、放射能がゼロにならないと、何にもできないのです。放射能がある限り廃炉、解体は不可能なのです。人間にできなければロボットでという人もいます。でも、研究はしていますが、ロボットが放射能で狂ってしまって使えないのです。 結局、福島の原発では、廃炉にすることができないというので、原発を売り込んだアメリカのメーカーが自分の国から作業者を送り込み、日本では到底考えられない程の大量の被曝をさせて、原子炉の修理をしたのです。今でもその原発は動いています。 最初に耐用年数が十年といわれていた原発が、もう三〇年近く動いています。そんな原発が十一もある。くたびれてヨタヨタになっても動かし続けていて、私は心配でたまりません。 また、神奈川県の川崎にある武蔵工大の原子炉はたった一〇〇キロワットの研究炉ですが、これも放射能漏れを起こして止まっています。机上の計算では、修理に二〇億円、廃炉にするには六〇億円もかかるそうですが、大学の年間予算に相当するお金をかけても廃炉にはできないのです。まず停止して放射能がなくなるまで管理するしかないのです。それが一〇〇万キロワットというような大きな原発ですと、本当にどうしようもありません。 「閉鎖」して、監視・管理 なぜ、原発は廃炉や解体ができないのでしょうか。それは、原発は水と蒸気で運転されているものなので、運転を止めてそのままに放置しておくと、すぐサビが来てボロボロになって、穴が開いて放射能が漏れてくるからです。原発は核燃料を入れて一回でも運転すると、放射能だらけになって、止めたままにしておくことも、廃炉、解体することもできないものになってしまうのです。 先進各国で、閉鎖した原発は数多くあります。廃炉、解体ができないので、みんな「閉鎖」なんです。閉鎖とは発電を止めて、核燃料を取り出しておくことですが、ここからが大変です。 放射能まみれになってしまった原発は、発電している時と同じように、水を入れて動かし続けなければなりません。水の圧力で配管が薄くなったり、部品の具合が悪くなったりしますから、定検もしてそういう所の補修をし、放射能が外に漏れださないようにしなければなりません。放射能が無くなるまで、発電しているときと同じように監視し、管理をし続けなければならないのです。 今、運転中が五一、建設中が三、全部で五四の原発が日本列島を取り巻いています。これ以上運転を続ける、余りにも危険な原発もいくつかあります。この他に大学や会社の研究用の原子炉もありますから、日本には今、小さいのは一〇〇キロワット、大きいのは一三五万キロワット、大小合わせて七六もの原子炉があることになります。 しかし、日本の電力会社が、電気を作らない、金儲けにならない閉鎖した原発を本気で監視し続けるか大変疑問です。それなのに、さらに、新規立地や増設を行おうとしています。その中には、東海地震のことで心配な浜岡に五機目の増設をしようとしていたり、福島ではサッカー場と引換えにした増設もあります。新設では新潟の巻町や三重の芦浜、山口の上関、石川の珠洲、青森の大間や東通などいくつもあります。それで、二〇一〇年には七〇~八〇基にしようと。実際、言葉は悪いですが、この国は狂っているとしか思えません。これから先、必ずやってくる原発の閉鎖、これは本当に大変深刻な問題です。近い将来、閉鎖された原発が日本国中いたるところに出現する。これは不安というより、不気味です。ゾーとするのは、私だけでしょうか。
2007.04.03
どうしようもない放射性廃棄物 それから、原発を運転すると必ず出る核のゴミ、毎日、出ています。低レベル放射性廃棄物、名前は低レベルですが、中にはこのドラム缶の側に五時間もいたら、致死量の被曝をするようなものもあります。そんなものが全国の原発で約八〇万本以上溜まっています。 日本が原発を始めてから一九六九年までは、どこの原発でも核のゴミはドラム缶に詰めて、近くの海に捨てていました。その頃はそれが当たり前だったのです。私が茨城県の東海原発にいた時、業者はドラム缶をトラックで運んでから、船に乗せて、千葉の沖に捨てに行っていました。 しかし、私が原発はちょっとおかしいぞと思ったのは、このことからでした。海に捨てたドラム缶は一年も経つと腐ってしまうのに、中の放射性のゴミはどうなるのだろうか、魚はどうなるのだろうかと思ったのがはじめでした。 現在は原発のゴミは、青森の六ケ所村へ持って行っています。全部で三百万本のドラム缶をこれから三百年間管理すると言っていますが、一体、三百年ももつドラム缶があるのか、廃棄物業者が三百年間も続くのかどうか。どうなりますか。 もう一つの高レベル廃棄物、これは使用済み核燃料を再処理してプルトニウムを取り出した後に残った放射性廃棄物です。日本はイギリスとフランスの会社に再処理を頼んでいます。去年(一九九五年)フランスから、二八本の高レベル廃棄物として返ってきました。これはどろどろの高レベル廃棄物をガラスと一緒に固めて、金属容器に入れたものです。この容器の側に二分間いると死んでしまうほどの放射線を出すそうですが、これを一時的に青森県の六ケ所村に置いて、三〇年から五〇年間くらい冷やし続け、その後、どこか他の場所に持って行って、地中深く埋める予定だといっていますが、予定地は全く決まっていません。余所の国でも計画だけはあっても、実際にこの高レベル廃棄物を処分した国はありません。みんな困っています。 原発自体についても、国は止めてから五年か十年間、密閉管理してから、粉々にくだいてドラム缶に入れて、原発の敷地内に埋めるなどとのんきなことを言っていますが、それでも一基で数万トンくらいの放射能まみれの廃材が出るんですよ。生活のゴミでさえ、捨てる所がないのに、一体どうしようというんでしょうか。とにか日本中が核のゴミだらけになる事は目に見えています。早くなんとかしないといけないんじゃないでしょうか。 それには一日も早く、原発を止めるしかなんですよ。私が五年程前に、北海道で話をしていた時、「放射能のゴミを五〇年、三百年監視続ける」と言ったら、中学生の女の子が、手を挙げて、「お聞きしていいですか。今、廃棄物を五〇年、三百年監視するといいましたが、今の大人がするんですか? そうじゃないでしょう。次の私たちの世代、また、その次の世代がするんじゃないんですか。だけど、私たちはいやだ」と叫ぶように言いました。この子に返事の出来る大人はいますか。 それに、五〇年とか三百年とかいうと、それだけ経てばいいんだというふうに聞こえますが、そうじゃありません。原発が動いている限り、終わりのない永遠の五〇年であり、三百年だということです。 住民の被曝と恐ろしい差別 日本の原発は今までは放射能を一切出していませんと、何十年もウソをついてきた。でもそういうウソがつけなくなったのです。原発にある高い排気塔からは、放射能が出ています。出ているんではなくて、出しているんですが、二四時間放射能を出していますから、その周辺に住んでいる人たちは、一日中、放射能をあびて被曝しているのです。 ある女性から手紙が来ました。二三歳です。便箋に涙の跡がにじんでいました。「東京で就職して恋愛し、結婚が決まって、結納も交わしました。ところが突然相手から婚約を解消されてしまったのです。相手の人は、君には何にも悪い所はない、自分も一緒になりたいと思っている。でも、親たちから、あなたが福井県の敦賀で十数年間育っている。原発の周辺では白血病の子どもが生まれる確率が高いという。白血病の孫の顔はふびんで見たくない。だから結婚するのはやめてくれ、といわれたからと。私が何か悪いことしましたか」と書いてありました。この娘さんに何の罪がありますか。こういう話が方々で起きています。 この話は原発現地の話ではない、東京で起きた話なんですよ、東京で。皆さんは、原発で働いていた男性と自分の娘とか、この女性のように、原発の近くで育った娘さんと自分の息子とかの結婚を心から喜べますか。若い人も、そういう人と恋愛するかも知れないですから、まったく人ごとではないんです。 こういう差別の話は、言えば差別になる。でも言わなければ分からないことなんです。原発に反対している人も、原発は事故や故障が怖いだけではない、こういうことが起きるから原発はいやなんだと言って欲しいと思います。原発は事故だけではなしに、人の心まで壊しているのですから。 私、子ども生んでも大丈夫ですか。たとえ電気がなくなってもいいから、私は原発はいやだ。 最後に、私自身が大変ショックを受けた話ですが、北海道の泊原発の隣の共和町で、教職員組合主催の講演をしていた時のお話をします。どこへ行っても、必ずこのお話はしています。あとの話は全部忘れてくださっても結構ですが、この話だけはぜひ覚えておいてください。 その講演会は夜の集まりでしたが、父母と教職員が半々くらいで、およそ三百人くらいの人が来ていました。その中には中学生や高校生もいました。原発は今の大人の問題ではない、私たち子どもの問題だからと聞きに来ていたのです。 話が一通り終わったので、私が質問はありませんかというと、中学二年の女の子が泣きながら手を挙げて、こういうことを言いました。 今夜この会場に集まっている大人たちは、大ウソつきのええかっこしばっかりだ。私はその顔を見に来たんだ。どんな顔をして来ているのかと。今の大人たち、特にここにいる大人たちは農薬問題、ゴルフ場問題、原発問題、何かと言えば子どもたちのためにと言って、運動するふりばかりしている。私は泊原発のすぐ近くの共和町に住んで、二四時間被曝している。原子力発電所の周辺、イギリスのセラフィールドで白血病の子どもが生まれる確率が高いというのは、本を読んで知っている。私も女の子です。年頃になったら結婚もするでしょう。私、子ども生んでも大丈夫なんですか?」と、泣きながら三百人の大人たちに聞いているのです。でも、誰も答えてあげられない。 「原発がそんなに大変なものなら、今頃でなくて、なぜ最初に造るときに一生懸命反対してくれなかったのか。まして、ここに来ている大人たちは、二号機も造らせたじゃないのか。たとえ電気がなくなってもいいから、私は原発はいやだ」と。ちょうど、泊原発の二号機が試運転に入った時だったんです。「何で、今になってこういう集会しているのか分からない。私が大人で子どもがいたら、命懸けで体を張ってでも原発を止めている」と言う。 「二基目が出来て、今までの倍私は放射能を浴びている。でも私は北海道から逃げない」って、泣きながら訴えました。 私が「そういう悩みをお母さんや先生に話したことがあるの」と聞きましたら、「この会場には先生やお母さんも来ている、でも、話したことはない」と言います。「女の子同志ではいつもその話をしている。結婚もできない、子どもも産めない」って。 担任の先生たちも、今の生徒たちがそういう悩みを抱えていることを少しも知らなかったそうです。これは決して、原子力防災の八キロとか十キロの問題ではない、五十キロ、一〇〇キロ圏でそういうことがいっぱい起きているのです。そういう悩みを今の中学生、高校生が持っていることを絶えず知っていてほしいのです。 原発がある限り、安心できない みなさんには、ここまでのことから、原発がどんなものか分かってもらえたと思います。 チェルノブイリで原発の大事故が起きて、原発は怖いなーと思った人も多かったと思います。でも、「原発が止まったら、電気が無くなって困る」と、特に都会の人は原発から遠いですから、少々怖くても仕方がないと、そう考えている人は多いんじゃないでしょうか。 でも、それは国や電力会社が「原発は核の平和利用です」「日本の原発は絶対に事故を起こしません。安全だから安心しなさい」「日本には資源がないから、原発は絶対に必要なんですよ」と、大金をかけて宣伝をしている結果なんです。もんじゅの事故のように、本当のことはずーっと隠しています。 原発は確かに電気を作っています。しかし、私が二〇年間働いて、この目で見たり、この体で経験したことは、原発は働く人を絶対に被曝させなければ動かないものだということです。それに、原発を造るときから、地域の人達は賛成だ、反対だと割れて、心をズタズタにされる。出来たら出来たで、被曝させられ、何の罪もないのに差別されて苦しんでいるんですみなさんは、原発が事故を起こしたら怖いのは知っている。だったら、事故さえ起こさなければいいのか。平和利用なのかと。そうじゃないでしょう。私のような話、働く人が被曝して死んでいったり、地域の人が苦しんでいる限り、原発は平和利用なんかではないんです。それに、安全なことと安心だということは違うんです。原発がある限り安心できないのですから。 それから、今は電気を作っているように見えても、何万年も管理しなければならない核のゴミに、膨大な電気や石油がいるのです。それは、今作っている以上のエネルギーになることは間違いないんですよ。それに、その核のゴミや閉鎖した原発を管理するのは、私たちの子孫なのです。 そんな原発が、どうして平和利用だなんて言えますか。だから、私は何度も言いますが、原発は絶対に核の平和利用ではありません。 だから、私はお願いしたい。朝、必ず自分のお子さんの顔やお孫さんの顔をしっかりと見てほしいと。果たしてこのまま日本だけが原子力発電所をどんどん造って大丈夫なのかどうか、事故だけでなく、地震で壊れる心配もあって、このままでは本当に取り返しのつかないことが起きてしまうと。これをどうしても知って欲しいのです。 ですから、私はこれ以上原発を増やしてはいけない、原発の増設は絶対に反対だという信念でやっています。そして稼働している原発も、着実に止めなければならないと思っています。 原発がある限り、世界に本当の平和はこないのですから。 -------------------------------- 筆者「平井憲夫さん」について: 1997年1月逝去。 1級プラント配管技能士、原発事故調査国民会議顧問、原発被曝労働者救済センター代表、北陸電力能登(現・志賀)原発差し止め裁判原告特別補佐人、東北電力女川原発差し止め裁判原告特別補佐人、福島第2原発3号機運転差し止め訴訟原告証人。 「原発被曝労働者救済センター」は後継者がなく、閉鎖されました。
2007.04.03
もう百万あずけちゃった番長の東野です。 遅ればせながら 朝日新聞の記事です。 遅ればせながら 号外のHPです http://www.teamgogo.net/ てんつく兄さんの3/10のブログめっちゃ共感できました。 http://tentsuku.com/ うんうん!!そうなんですわ! 僕はほんまに「かんきょうもんだい?しょくりょうじきゅうりつ?」なんか 正直、誰かがなんとかしてくれるやろう と思ってたほうでした。 最初は面白そうな人がやってるから興味本位で参加してましたが… それから一年半 今は実行委員会の代表をしちゃってます・・・ でも最初から今のテンションじゃなかったんですよ。 はじめのうちは環境の話や農業の話を伝えているのに 食べ残しするのか、とか タバコすってるのか、とか ゴミ分別適当、とか 箸を平気で割ってる、とか 他人の行動を責めないまでも 行動をチェックしていたように思うのです。 でも途中から人を責めるのやめました。 そして自分も責めるのやめました。 意味ないから。 自分が気がついた時に無理なく 楽しそうに環境に配慮できれば それがGOOD! 他人もそれを見て まねて 楽しみながら一緒に行ければBETTER! 温暖化ストップブームが来て 日本中が楽しそうに かわれれば BEST!! 恐怖心をあおっても一瞬だけ! 正義感や責任感にうったえかけても 孤独で苦しいだけ! さらに義務感だけでは息切れします ↑これはすでに僕は超えました。 ではなぜ続けられるか・・・ それは大きな問題にチャレンジしていることが 楽しいからです。 個々が「こんな環境にやさしい私って好き!」なんて 生き方を楽しめれば、ええやん! レジ袋断って… 「もしかして俺ってカッコエエん ちゃうん」 ってエエ格好しい でもOK! 環境に対する 意識が高かろうが低かろうが それが正しいか 正しくないかなんて 責めたところで 結局 変わらないし つながらないように思うのです。 逆に本当に温暖化を止めようとするなら 自分を変えることを楽しまなければ そんな楽しさで人と人がつながれば 日本って本当に変わるかもしれませんね ・・・・・・・・・・・ 「そんなこと一生懸命しても何もかわらないよ 東野君」 って否定されたら 笑いながら 「絶対かわらない言われるから 燃えるんですわ~」 って答えます。 ほんまに6/22を境に 大きな動きがあって その大きな波の源にいたとしたら こんな自慢できるネタはありません 棺桶入るまで子供たちにしゃべりまくります。 「自分ひとりでやろうとするな。 でも、自分ひとりでもやってやるという、 気持ちを忘れるな」 ↑これほんまに大事! 最後まで自分を信じてやることです。 耕せにっぽんの活動を いろいろ手伝ってくだっさってるみなさん 本当にありがとうございます。 これからもよろしくお願いします。 また 僕のいい加減対応で 活動から離れていった皆様 本当にごめんなさい。 でも僕は反省はしますが 自分を責めずに楽しくやってきます。 読んでいただいてありがとうございます。 耕せにっぽん実行委員会 代表 東野昭彦
2007.03.13
いったい私はどこに行くのでしょう・・・トンネルを抜ければ・・・めんそ~れ~あごあごまんは新人2名を引きつれ 沖縄に行って来ました左:ニート副代表 ナッパ(23歳)右:不登校代表 あや姫(17歳)札幌から直行便で3時間 沖縄に着いたら26℃ 気温差 約30度ウキウキ気分で でまずは 沖縄国際通りに~ゴーヤのベンチでにっこりその日の夕食は(本人はいませんが…)文昭さんのおごりで沖縄名物 大盛りステーキを食べに・・・ご馳走様でしたここまでは普通の沖縄観光ですが僕たちは「耕し」にきましたから次の日はまずは聞くより自分で体験しようと毎日スタッフが欠かさずしているヤギのエサやりを新人3名で体験してきましたけっこう 重労働です 9時半から約2時間 オカラ運んで 食べさせて草刈って 運んで 食べさせて耕し隊は毎日やってるんですjから たいしたもんですそしてこの日は ゴーヤを植えようとツルをからませる サクを立てましたごきげんさんで 記念ポーズで写真をとっていたら「ハブだ あぶない!」 って誰かが叫んだと思ったら空から「ヘビ」が降ってきました。またまた~ ゴムのヘビでしょ~って・・・・・・・生きてるやん!!!!!本物やん!!!!!!うぎゃ~ どりゃ~ なんじゃこりゃ~リーダー タカフミさんの軽いジョーク毒の無いペットのヘビ ですってはははははは ジョーク!!ジョーク!!って アホ!!!沖縄のジョークは むちゃくちゃです心臓の悪い人は ショック死しますよ。まぁ~本当は 面白かったけどね…で~~~さらに この日はご寄付いただいたイプサムの贈呈式もありました詳しくはこちら今回の沖縄訪問で改めて思いましたがこの耕せ活動にかかわっている沖縄の皆さんはおおらかで やさしいく 懐の深い明るい人たちばかりです。本当に見習わなければいけませんね~そして 次の日は 感動のマラソン大会マリさんが感動して泣いていました。マラソンの結果はこちらで~次の日は疲れた体を癒すために現地のスタッフの方に頼んで海に向かいましたやっぱり 南国はええね~で・・・・次の日はマイナス6度仕事もたまりまくってましたただいま23時 残業中・・・・月末やん!ブログ書いてる場合じゃない!!!!
2007.02.27
伊勢に行って たくさんの侍に会ってきました。お迎えは 文ちゃんマネージャー 案浦きつい仕事と快楽が大好きな「変態侍」ハゲてるのは札幌出身のりょう君はじめて会う人に自分の名前を言う前に「ハゲてません」とハゲを ネタにするので引かずに のってあげて下さい「ハゲ侍」彼はしんくんです。日本で僕の次にスベルことを生きがいにしています。なれてくると意味不明なギャグを飛ばしますすべってるのに フォローもせず無言で去ったりします。わけがわかりませんが、何も考えていない分気を使わない男です。「スベリ侍」右から料理長のハマちゃんなんか俺と気が合います。僕に捨てるケーキをタダで食べさせてくれました。エコな人です「もったいない侍」真ん中 タケシくん大阪の耕せにっぽんのイベント見て修行に来た変わり者です「修行侍」ひだり ヒロちゃん元ヤンキーです 今や絶滅の危機さらされている純潔なヤンキーなので子分肌の僕は彼に惹かれます「ヤンキー侍」そして、店長の橋爪さん ホクロのように見えますが鼻の下にスイッチがついてます押しても おもしろいリアクションは期待できませんがとってもやさしくて親切な「スイッチオン侍」クロフネに行った時は記念に必ずスイッチ押してくださいそしてスイッチが入ったと言えば義典兄さん てんつくマンに ハマったみたいです。伊勢で 朝4時までサシ飲みにしましたがてんつくの話ばっかりしてました、まるで恋人の自慢話でした。今回も映像をつくるのに4日間ほぼ徹夜だったようですてんつくを感動させるために・・・本気モードのお兄さんがどんな行動に出るか楽しみです「本気侍」そしてこのお方が文昭さんのお母さん予想を上回ってました「母ちゃん侍」初めてあった気がしませんでしたできれば 入魂ビンタ してもらいたっかったです。実は東野イベントの夜とその次の日も文昭家に泊まらせて頂きました。お母さんもジュニアの子守に来てて僕の布団を用意していただいて朝ごはんも作っていただいて 漬物も食べさせてもらってたわいもない話を1時間か2時間ぐらいして お礼を言って帰ってきましたが 親切な母さんとは聞いていましたが予想を上回っていたのはなんか親切が自然に沸いて出てくる母さんなんです一緒にいて すっごい あったかい気分になりました。うれしかったです。ふと考えると初めて会う方にこんなによくしてもらったのは生まれてはじめてかも・・・人のつながりって大切ですね~では又来週~~~~って いつもはこの辺で終わるところですが。久々のブログなので 書いちゃいます。(※うっとおしいぐらい長いのでこの先は暇な方 限定です)僕は25歳の時に自分に自信がなくてとにかく環境を変えたくて大阪から見ず知らずの土地(北海道)に来てわかりやすい結果がほしくて今の会社を27歳のときに作りました。最初は「自分の力でやった!」なんて勘違いしてましたが真実はいろんな人にケツ持ち上げてもらってなんとか生きてきたのです。しかも たいしたことは一切してません事業も大成功を収めているわけでもありません飲み代ワリカンが大好きです車も中古で4年のってます、新車は買ったことがありません人から尊敬される人物でもありませんおっぱいも大好きです仕事で ほめてもらったことも あまりありませんでも幸せなんです。僕がそう感じる理由はアホ丸出しの頃に「心」のある人たちに 支えてもらって「心」を育ててもらったから 今 幸せなんだと感じるのです。あったかくて親切な きもちのいい 人たちを発見して感じれるのは そのおかげなんです。お金を追いかけた時期もありました本に書いてある理想の経営者らしきものをマネした 時期もありました経済を学んで頭のいいフリをしよう と思った時期もありました偶然小金をつかんで 天狗になった時期も ありましたひとまわりして 元の自分のままの「心」が感じるように生きることが幸せだと・・・決して幸せはお金の量ではないアホ侍2人を見てそう思えたのです。もし昔の僕のように若い世代の人たちが「夢や感動が無くて楽しくない」と感じているなら「夢なんか 今 無くてもええよ人と関わって 楽しませて 役に立っていればほっといても 幸せとか夢とか感動とかやってくるって!」って 文昭さんが 言ってたで~と 無責任に力強く 伝えたいのですそして「日本が 多くの大人がまだ結果を出せない若者達や常識の枠から外れた子供達を否定せず他人でも優しく手を差し伸べ 受け入れ包み込む母親のようにやさしい そんなあったかい日本にしようぜ!」って てんつくがよく 言っているので深く考えないように 真剣にその気持ちを若者につなげたいのです。恩を返すのではなく 次に送れますように・・・そして願わくば 今の子供達の世代が大人になったとき僕達が恨まれないように逆に 子孫に自慢されるような生き方を残したいものですそんな センチメンタルな夢物語をしゃくれながら考える私はの名前は「アゴ侍」です。おあとが よろしいようで・・・
2007.02.22
「2007年夏至、日本から世界が変わる」。そんなかけ声で、日本のほぼ全世帯分の「号外」4900万部を全国の街頭で一斉に配り、地球温暖化などの環境問題を伝えてライフスタイルの見直しを呼びかける計画が動き始めた。元芸人や飲食店主らを中心にした草の根運動。夏至の6月22日を決行日と定め、協力者を募っている。 発案者は、吉本興業の元お笑い芸人、てんつくマン=本名・軌保(のりやす)博光(39)。路上詩人として大阪で注目を集め、中国での植林や、カンボジアでの奨学金制度づくり、映画制作など多彩な活動で知られる。 昨春、温暖化による降雨などの影響で体温調節が出来ず死にゆく赤ちゃんペンギンをテレビで見て衝撃を受けた。自分に何ができるのか。出した結論は、まず一人でも多くに現状を伝えること。興味を引くように、号外形式で配ることにした。 号外はタブロイド判で8ページ。温暖化の現状を伝え、消費電力や二酸化炭素排出量を減らす身近な取り組みを紹介する。また、ろうそくの明かりですごす営業日が人気を集めたカフェや、客の「マイはし」を店で預かることでリピーターを増やした居酒屋など、楽しく実を結んだエコ活動も紹介する予定だ。 問題は、印刷費用1億4000万円の調達と、全国の1834市区町村で号外を配るボランティアの確保だ。 3月1日、てんつくマンの友人、三重県伊勢市のレストラン経営者中村文昭さん(38)の呼びかけで、居酒屋チェーンの経営者やコンサルタントら約30人が東京都内の居酒屋に集まった。電話による募金の仕組みづくりや、ロゴの作製、各地の取り組みが一覧できるインターネットサイトづくりなどが提案された。 その一人、居酒屋てっぺん代表の大嶋啓介さん(33)は「世界が変わることを想像してワクワクした。力になりたい」。 すでに、美容室や居酒屋の店長ら40人が、100万円の募金集めに1人で責任を持つ「百万番長」に名乗りを上げており、支援の輪は徐々に広がっている。 てんつくマンは「環境問題の原因は一人ひとりにあり、未来もまたそれぞれの手の中にある。ちょっと動けば状況を変えられることを共に感じたい」と話している。 問い合わせは「TEAM GOGO!2007事務局」(0879・82・5567)へ
2007.02.22
モバイル 用として今後使用します。
2007.02.22
北海道写真バーテンカクテルブタソーセージ師匠の席耕せウインナーじゃがいも手持ち箱全体比較
2006.04.05
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