7日の余震、
私とJJはせっかくホルモン屋でホルモン食べたのに
険悪ムード。
喧嘩ギリギリのところで
彼が一人でシャワーしていた時に
アパートが揺れ始めました。
今度は縦揺れ。
3月11日の地震では大丈夫だったのに
水槽がジャンプ。
JJが素っ裸で飛び出してきて
「大丈夫?大丈夫?」
電気が消えて、また食器が割れて、冷蔵庫が倒れ、洗濯機も倒れ
治まった。
もう嫌、もう嫌だ。
水槽が飛んだ。お母さんの箪笥が倒れたらお母さん死んじゃう。
お母さんとこ行こう、お母さんとこ行こう・・
「分かった!お母さんの部屋、ベースキャンプにしよう!」
とJJがおもむろに登山用の頭にセットする懐中電灯をセット。
素っ裸だけどセット。(笑
その明かりで出口を作ってくれて、服を適当につかんで着替える。
韓国のご両親が心配だったので、電話をした。
「大きな地震があったけど大丈夫。お母さんの家に行きます。
お父さん、愛してるよ」
JJにははじめての巨大地震だった。
外に出るとJJがアパートの隣の部屋を全部ノックして
「大丈夫ですか!」と声をかけた。
外に出れなくなっている人がいて、何とかドアを開けた。
「行こう」
初心者原付の後ろにJJを乗せて走った。
道路がぼこぼこ。ガスのにおいがする。
あれほど濡れたマンホールが怖かったのに
水があふれる道路を行く。
警察も見逃してくれた。。
「ヨーコ、あそこ電気ついてる」
ホントだ!
お母さんの家は大丈夫かもしれない。
残念ながら道路を渡ったら電気は消えていた。
家についたら、幼馴染ヘルパーちゃんが来てくれて
往診の先生からもらったシガーソケットで電源を取る機械を
車から引いてくれていました。
11日の地震でバッテリーを使いはたしていたので
電気が切れたときに、人工呼吸器の内圧が上がらなかった。
だから、学生たちが幼馴染のヘルパーちゃんがくるまで
ずっとアンビューしていました。
よかった、来てくれて。
水が止まるぞ~~!!と
急いで赤い水をお風呂にためて
浄水器からの水も、ペットボトルにも鍋にも全部ためた。
近所の人たちがみんな来てくれて
なんだか忙しかったけどうれしかった。
30分置きに車のガソリンをチェックした。
うとうとな3時、外の電灯が点いていることに気付いた。
電気復活~~~!!!
そのまま、そこで寝ました。
翌日、職場の電気が復活していなかったので
休ませていただきました。
そこでJJと1時間並びDIYショップで
水のタンク(売り切れにつき灯油用を)
ガスボンベ、電気のポット、濡れてもOKな延長コードなどなど購入。
おひとり様1点限りでもJJがいるから2点いっちゃう。
そのあとはカー用品屋へ行って、バッテリーの充電機、ジャンプケーブルゲット。
ついでに携帯の充電器もゲットしたら、携帯が壊れた。
そう言えば水槽の水をじかに受けてました。
家でおっかなびっくりはじめての充電。。
いろいろ難しかったので
JJと後でブログにマニュアルをUPします。
土曜日はヨドバシで
26型のテレビを3万円台でゲットー。
テレビなんか持ってませんでしたけどゲットー。
iphone買おうと思ってヨドバシ行ったのに
震災のために水没、破損した携帯はタダで機種変できました。
じゅうたんもコインランドリーで洗濯。
アパートも二人で地震前以上にきれいになりました。
地震が来るたび、JJがテレビ押さえてくれるようになりました。
そんな感じで、準備はOKです。
この地震でわたしは本当に恵まれているけど
いろんな縁で共同通信の方や
東京大学の福島智先生と交流を持たせてもらいました。
物資のことで相談した先生も、科が違うのに電話をくれた。
少しずつつなげていけたらいいな。
もっと大きな団体や大きな組織ではなくて
私が小学生の時にあった連絡網みたいに
シンプルで、簡単で、みんなにできて
安否を確認できて、困っていることが分かるようにできたらいいのに。
個人情報の壁で見つからない。法律ってなんだろう。
工場が津波でやられてしまって
日本にエンシュアがないので、台湾のALS協会が送ってくれた約1.5トンの
エンシュアが、税関で薬事法により返還されてしまった。
法律って、本当に私たちを守ってくれるんだろうか。
こんなときに。
とても悔しい。
JJも「俺悔しい!」って言うんだ。
でも変だな。
イスラエルの医療団が被災地に入っていて
そこの薬が強すぎてうちの先生たちや、MRさんが動いて
日本の薬をなんとかゲットしていたぞ?
その薬は薬事法でどうなんですかいな。
おかしいな。