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11月28日、母が高熱を出し熱は下がったものの、多剤耐性出てるからそろそろかと覚悟し迎えた私一人の夜シフト。 卒業生きのこAくん、現役きのこYちゃんが心配して駆けつけてくれました。 どうせ眠れない夜だからとシザーハンズをベッド囲んで見てたら、 急に目がいつもと違う止まり方をしました。 「淑子さん、映画飽きたっすか?サウンドオブミュージックのほうがいいっすか?」 の呼びかけに再び目を動かし、 姉や近しい人に連絡をしました。 JJは車を飛ばして帰宅し、姉も駆けつけて、きのこ創設したHちゃんも来てくれました。 姉が9ヶ月でお腹はるので今日は帰るねと後ろ髪引かれながら帰宅し、 せっかく集まったから宴会しよう!とベッドを一番低くして、 ビールで乾杯しました。Aくんが、ボイルなのにソーセージをギザギザカットして ケチャップに粗塩添えて、みんな爆笑。 結局、うちのホームビデオをみんなで見ました。 サーチも、聴診器も、血圧計も使えない中、 首の脈だけはとれて、50あるから今は大丈夫だねと、 私が風呂に入って五分くらいで脈が取れなくなりました。 呼ばれて慌てて飛び出るとその時は少し脈が取れたのだけど、 唇の色が変わり、完全にとれなくなってから先生を呼びました。 母が一番好きな優しい先生でした。 その前に駆けつけてくれた娘みたいな近所の幼馴染も同席して、 呼吸器を止めて、聴診器とペンライトで確認、 11月29日3時3分、死亡確認してもらいました。 腹水を抜き、カニューレを外し、ラインを抜き、止血をし、縫うところまでみんなでやりました。そのあと何時もの看護師さんたちに連絡して、何時ものように清拭をしました。 いつもと違ったのは綿を入れたことと、私が化粧をしたことでした。 結婚式のときの服を着せて、最後に白い布をかけました。 あれ?目を閉じたのいつだっけ。確かHちゃんが閉じてくれたね。それでヘルパーしてくれてる患者さんの娘3姉妹の長女も来て掃除祭り。 葬儀屋に連絡して喪主になって …ここまでもドラマだけどここからもドラマでした。 ママの心の恋人、カナダのボブからは花がきてて、ALS48からも花がきてて、 このブログでずっと応援しあってきたわくさんがきてくれて、 葬儀屋も泣いてたし、 母のふざけだビデオ上映して笑ったし、 とにかく母の最後はこんなにぎやかな感じでした。 さぞかしサクライヨーコはさみしく過してると心配の方、 それが朝は近所のおばちゃんがダンゴ持ってきてくれて起され、 韓国の両親を空港に送って、帰ったら掃除してくれた長女さんと幼馴染のヘルパー、 二人キムチで飯食ってましたwww 掃除してくれて助かった。 すっかり養われていてまったく申し訳ない。 でも人が作ってくれるご飯、超うまい…。 母の遺した財産は縁。これからもここで生きて行く。 メールくださった皆さんありがとう。 最期まで自分の手で出来たから私、後悔してないよ! これからもママの言う通り、always keep smiling。
2013.12.11
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前回の日記の続き介護なんてまた立て直せばいい、「来週にも退院できますよ」と言われて嬉しくてまだ具体的じゃないけどこういう話が出ているとケアマネに連絡した。「ええ!!??いつですか!?」と反応に驚いてしまった。死ぬと思ってたってこと?ケアマネはヘルパーが怖がっている、家族はどれほどかかわるのか、もっとかかわるのか、お姉さんも芙美さんも こんな状態で人に介護させて後悔はしないのかと聞かれた。毎日欠かさず通って、頭に禿ができて、口の周りにぶつぶつできて、それでも毎日通って応援し続けての退院だというのになんでそんなこと言うんですか。まずはよかったですねだろうがー!!!!!!!!とぶち切れ。往診の先生に泣きついて、翌日にミーティングをしてもらう。介護の社会化、家族に介護の負担を負わせない。それが介護保険であるし、我々医療従事者、介護従事者の仕事である。それがプロである。この理念から始まった。できませんじゃない、やるんです。三号研修受けている事業所は50か所以上(リスト化してケアマネへ入院、他の先生にお願いしよう。3カ月は伸ばせるかもしれない。その間に介護体制どこまで立てられるか新規の開拓、ヘルパーの仕事、ケア、看護師医師の仕事、医療のすみわけ逸脱しないこと余裕のあるプランからはじめて何とかまた二週間後にミーティングすることになる。はい、でもなければやります、でもなかった。でもやめるとは言わなかった。先生も協力すると言ってくれたし何とかなるかもしれない…と思ったらまたしても急変する。今度は人工透析、全然外せませんでした。原因は足かもと言われて、足切るかどうかもう一度問われる。原因が足なら切ったほうがいいけど、ママはどうなんだろう。すごく悩んで悩んで、母に尋ねた。母は「する」にYesをしてくれた6回も確認して6回はいと言ってくれた。私に決めさせないでくれた。ところがまたしても「やっぱりできません」と言われた。リスクが高すぎて、できない。傷口がふさがらないかも。こんなに悩ませてできないなら最初から聞くなと思った。ここで打つ手がなくなった。今のままでは1月の姉の出産には間に合わず、透析を外せば2日で意識がなくなり、5日で心臓停止。人工透析は24時間365日。尿は出ない。転院すれば通常透析。これはこれは血圧が急降下する可能性があるので一か八か。在宅では工事が必要でできないし、研修に2か月かかる。と、ここまで書いたところで20日から絶賛介護中です。24時間他人介護の最後は介護させてもらおうと思います。母は腹膜透析をして帰ってきました。往診の先生のご尽力です。病院からは猛反対されました。二度も病院に掛け合ってくれて、今は腹膜透析は私の仕事です。ケアマネージャーも初期にお世話になった方に変更しました。家までがゴールで、そこから先はおまけだと思っていたのに今日で一週間です。毎日浸出液が全身から出る母の体を洗い、88年からのホームビデオを見て大学時代にギター片手に歌った音楽を聴きながら頭をなでたりして、ゆったり過ごしています。きのこの卒業生や現役生たちが退院初日からすっと集まってくれてシフトに入ってくれました。3カ月の入院ですっかり穴だらけになったシフトですが「寝たら死ぬぞ!」の介護ではなくちゃんと寝せてもらえています。1か月早いクリスマス会もやりました。家じゅうクリスマス飾りをして、母の結婚前から今までの写真を母が見えるところに飾りやりたいことがだいたいできました。この介護をはじめた25歳の時から母を看取るのは私だと思ってました。そしてこのブログで私も母も人生が大幅に変わりました。応援してくださった皆様や、ここで知り合った方々、美女会のみんな本当に本当にありがとう。私らしく母らしく、にぎやかに送るよ!
2013.11.26
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またまたスーパーご無沙汰しています。サクライヨーコです。私の記録用にしばらくまたブログをつけてみることにしました。覚書なので時系列がめちゃくちゃだったり支離滅裂だったりするかもしれませんが書くことに意義があると思うので書いてみます。今年の春、前回のブログでもお話しましたとおり母が心不全で入院せずに在宅治療しておりました。学生は撤退し、夜のヘルパーが決まり夏には私は放送大学の期末試験を受けていつ流しそうめんやろうか、学生の撤退は8月だからその前に…母の体調不良のはっきりした原因がわからず体はどんどんむくみ、無駄な入院をさせたくないので7月にCTを取りに日帰りで病院へ行き、でもその結果が1週間たっても特に話がなく…という時に、母のSPO2が80まで下がりました。そして、急に右足が変色し始め、「先生、本当にお母さん大丈夫なの?」と電話して翌日、往診に出向きました。電話では大丈夫だよとお話していたのですが、院長は本当にお忙しくて、翌日ちゃんと検討して「お母さん、危ないかもしれない。 君の家は積極的に治療しない方向なんだよね?」え?そんなことは一言も言ってないんだけど…っていうか入院しても同じ治療だったら無駄な入院をしても仕方ないからだから入院しなかっただけなんだけど…往診に来ている先生は3人ほどいてどういう話の流れかそういうことになっていた。私がはっきり言わなかったせいなんだろうか。迷ったからなんだろうか。「僕はあきらめないタイプだから積極的に治療したい医者なんだよね。 もちろんこれはいつでも変えられる意見だけど、君はどうしたい?」言った言わないの話したってどうしようもないことはよくわかっていた。「入院させてください」と言って翌日、8月8日救急に入院しました。振り返ってみると悔しいことは悔しい。できれば分岐点に立っていることを教えてほしかった。ここから先は緩和か、それとも積極的な治療なのかだってもっと早く先生に電話していたらこんなことにはならなかったかもしれない。しなきゃと思いながら私は試験を優先させて後回しにしたのだからというとJJは家族が直談判しないと死ぬっておかしいだろ!と怒った。でもこのレスパイトなしの在宅生活を始めた時から淑子さんも私も、何かあったら寿命って言いながら誰のせいでもない私の命は私の責任と思って生きてきた。レスパイトをしないということは複数の医療機関にかからないということでもある。だからリスクを承知での在宅生活なのだから。先生のことが責められるわけではないのだと思っている。もちろんここから往診の先生にはとってもとってもお世話になって拾った命があって今家に母が帰ってこれたのでこれを読んだ方がびっくりしないでいただきたい。入院先の病院では「淑子さんの家に研修医の時に実習に行きました。 普通の人と同じに接します」と最初の主治医の先生。ラッキー!って思った。そのあとの検査で、いろいろ原因が明らかになった多剤耐性緑膿菌の検出、バシラス菌の検出何チャラばくたーも出た。そういうわけで敗血症。それでカンジタ菌の感染性心内膜炎。心臓のひだに真菌(カンジタ)の塊があって、いつそれが飛んでもおかしくないこと。そのとんだ塊で血栓ができ、足が壊死していること。脳にも血栓ができていること。栄養状態が不良なこと。心臓のひだの塊は、手術が必要だと思われること。「心臓の手術をするかどうか本人に確認とってください。」心臓を止めて、人工心臓に変えてさらに弁を移植する手術。でも脳に血栓ができていて脳の委縮もあると。痴呆の人に手術はしないので、本人にコミュニケーション能力がないなら手術はできない方針だという。そういわれたので姉とJJと話し合った。もちろん家族は積極的に治療してほしいと返答した。母とも頑張ってコミュニケーションが…取れたような取れてないようなごり押ししたような…。だけど心臓外科の総意は「人工呼吸器をつけたALS患者に心臓手術をした症例がない。 莫大な税金をかけて生きてきた患者にさらに莫大な税金をかけて手術することが 社会的にいいかどうかわからない。よって総意として手術することはできない。」とのこと。でも治療停止ではなく、内服治療で真菌を抑えることはできるとのこと。なぁんだよ!母に「ママが痴呆だったら治療止められるかもよ!ふん!」と言ったら「痴呆じゃないわよ失礼ね!」で瞬きをしたw今度は急変して、尿が出なくなった。人工透析をしたら在宅に戻れないかもしれないがどうするかと聞かれる。「じゃあ、やめて家に帰ったほうがいいんでしょうか?」と聞くと「いや、まだ打つ手あるので、離脱できることもあるし、だめになってからでも遅くないと思います」と先生。「次女さんが毎日来ていて、負担になっていませんか?淑子さんはそれが一番嫌だったんじゃないんですか?看護師からも不安の声が上がっています」と言われた。でも病院嫌いの母だからできれば毎日きたい。今度は主治医が異動、別な主治医に変わったと思ったら次は足。足が壊死していて、ここから感染症になる恐れがあると。また今度は「切断するかどうか本人に確認とってください。ご家族で話し合ってください」母に聞いても、ほとんどコミュニケーションが取れない、コミュニケーションができない人に外科的手術は…と言われてしまう。痴呆だと思われたら治療してもらえないの?親戚に聞いて、姉に聞いて、JJと話し合ってでも切っても死ぬかも切らなくても死ぬかもっていう微妙な話でどうしていいかわからない。母とのコミュニケーションに格闘しつつ「足切る?」と聞いた時に泣かれたような気がして祖母が大叔母が亡くなる前に足を切ったことをすごく恨んでたと聞きそれはやめてくださいという。緑膿菌のために窓もなにもない個室に隔離されたので母にMp3プレイヤーを買って、70年代の音楽やサウンドオブミュージック、サイモンとガーファンクル、70年代、60年代ヒット曲やフォークソングを入れる。と、「まさかラジオ聞きたい?」の一言に瞬き…ww私とJJの結婚記念日でしたが「お母さんは高いラジオを使う権利があります!」とJJがママにラジオをプレゼントwママの大学の友達がそれを知って母とギターで歌った曲のリストを送ってくれました。すぐにデータにして病院へ持って行きました。ほとんど目が開いてない状態を叩き起こして、手紙を読んであげて、音楽をかけると、また、Дな顔したかと思ったら、泣き出した。続く
2013.11.21
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2007年5月12日、初めて学生がサクライ家に来ました。「明日から入れます!」と一人の女学生が言ってくれて、そのあと、私を起こすために夜週一回入ってくれるようになりました。彼女はマイクを持って、後輩の授業が終わるときにチラシを配りほかの学生たちを集めてくれました。一人から始まったこの動きはどんどん大きな集まりになり玄関には靴が置けないほどの学生が顔合わせで集まりました。サークル「スマイルきのこ隊」結成。社会人1名(元職場の先輩が正社員になるまでw)を含む看護学生たちが、東京や岩手に資格を取りに行き、有償ボランティアのヘルパーとして、ママの夜と私の生活を支えてくれました。そして私は家を出て、母は独居になり、24時間他人介護ができるまでになりました。それから6年、母の心不全やコミュニケーションの難しさ、そしてなかなかメンバーが集まらないことなどいろんな理由が重なって、学生たちが撤退することとなりました。先日、夜間を担当してくれるヘルパーが決まり、文字通り、24時間他人介護を継続できることになりました。 スマイルきのこ隊の学生たち、OB、OGのみんな、ほんとにありがとう。こんな風に介護の人生、闘病の人生に彩りを添えてくれたのは紛れもないあなたたち。主介護者になって、頼れる身内もそんないるわけでもない中でも私は孤独じゃなかったし、毎日とても楽しかった。家族がたくさんいるようだった。ご飯一緒に作ったり、作ってくれたり、具合悪い時も寝ててください!なんて言ってくれたり、JJの誕生日をWebカメラで一緒に祝ってくれたり、震災の時に駆けつけてくれたり、ママを病院から出してくれたり、心不全になってもちゃんとそばにいてくれたり、結婚式を盛り上げてくれたり、とにかく楽しかった。孤独になりがちな介護生活で、こんなに毎日をお祭りのように過ごせてなんて恵まれているんだろうと心から思った。 こんな幸せな介護者はいないと思う。本当にありがとう。 6年だよ、6年!小学生が卒業するくらいの長い間、ママを、私を支えてくれた子たち。君たち一人一人が私の恩人です。 そんにゃわけでwwwwwこのままでは終わらないサクライヨーコとスマイルきのこ隊。今年の夏は 流しそうめんとスイカが私たちを呼んでいる! こうでなくっちゃ!流しそうめん!やってみたかったんだー!ALSなんて嫌な病気はこんなノリじゃないとやっていけないっしょ!いや、こんなノリでなくっちゃね!!
2013.06.16
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勉強にあきて深夜の更新。 どうも最近頻繁に更新しているサクライヨーコです。 実家で今月末提出の課題をやっちょります。 だんだん目の調子が悪くなってきたママンは一年くらい前から マクトスの練習を始めました。 HALシステムが発表になるちょっと前にマクトスを買ってしまいました。 でもなかなか思うようにできません。だんだん文字盤もできなくなって来ました。 そんな時、かわいい息子(笑)JJの研究室に脳波の専門家であるベトナム人のチーさんがやってきました。ちょっと小太りで笑顔がかわいく子煩悩で私の1個下の兄ちゃん。 私とJJで駅まで迎えに行って、寮を案内したり買い物の仕方を教えたりしました。 ある飲み会の席でJJはチーさんに母の話をしました。 するとチーさん、P300(脳波の名前らしい)で電子文字盤をやったらどうかと言ってくれました。 P300の文字盤↓ 「お母さん文字盤できるようになるよ!」と意気揚々と電話をしてきたJJ。 でも私はなんだか心に何か詰まったような変な感じを覚えました。 JJ、ごめんね。とっても嬉しいんだけど、いつもチャレンジしては挫折してを繰り返してきて、期待してがっかりするのが嫌なんだ。声がだめになって、筆談がだめになって、スイッチがだめになって、次は文字盤なんだ。まただめになって新しいことにチャレンジするのってエネルギーがいるんだよね。 JJはわかった!でも大丈夫!と言ってくれました。 チーさんは、花束を持ってうちにも来てくれました。母と、スイッチのボランティアの人たちとマクトスについて確認。 マクトスでも生のデータを手に入れられれば、P300の文字盤はできるんじゃないかと マクトスの社長さんに連絡を取ってみたりもしました。 そんで今回の心不全で眼球ストップ。この計画も水に流れてしまいました。 その眼球ストップを聞いて母のもとへ駆けつけたところ 往診のK先生がいました。 せっかく脳波で文字盤やろうと思ってたのに、ついに唐揚げの調味料一個聞きそびれてしまったとがっかりしていたところ 「旦那さんとそのチーさんと僕と会議しない?」とK先生。 K先生の病院ですごい面子で会議が行われました。 チーさんが寝ないで調べてくれた論文がこれ。 患者さんにもテストを行って80パーセントの回答率を得ている LEDをメガネの右と左に着けて別々の周波数で点滅させる。 YESなら右、NOなら左といった具合で意識してもらう。 YESなら右の周波数の脳波がNOなら左の周波数の脳波が拾える。 それでYES、NOを判別する仕組み。 脳波装置はホントにシャレにならないくらい高いのだけどK先生がほかの患者さんにも必要だからと 「買ってあげるから、やって! だって誰もやってくれないから!いいよ、やって!できなかったらそれでもいいから」 と、安い買い物じゃないのに私たちを信じて買ってくれることになりました。 そして、JJとろくにデートもせず部品屋へ行く日々(笑 はんだごて臭い、新婚家庭。 そして…JJシステム、プロトタイプ完成!! (なぜか車の中(笑)就職活動と卒業研究そっちのけで研究したJJ。今日、家に自分が学校で使っている脳波の装置をこっそり持ってきてくれました。私とJJの脳波で実験。「あなたは結婚していますか?」「あなたは10代ですか?」「あなたは妻を愛してますか?ブフフ!!」などの質問でやってみたところYESのヘルツの脳波とNOのヘルツの脳波がほぼ100パーセント取れました!!次の脳波の装置を買って次の段階へ進みます。「やっと俺、お母さんに役に立つね」なんてかわいいこと言ってくれちゃって。こんなことしてくれる旦那さん、ほかにいませんよ!
2013.05.23
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日本全国、このままサクライヨーコが何もしないで看取るわけがない信者の皆様長らくお待たせいたしました。今日往診の先生に会ってきました。「お母さんはね。終末期ではありません。 ただ普通の人の心不全より少しだけ突然死する可能性が高いだけです。」と、院長先生。というわけで母は、大丈夫です。とりあえず、今は胃瘻ができません。だから今のまま水分だけで何もしないなら、もう十分生きました、何もしないでくださいと私が言ったなら、3か月の命ということになります。そこで中心静脈栄養でカロリーを摂取することになります。前回失敗した、鼠蹊部からの点滴を明日別なツールでやってくれるそうです。在宅でもレントゲンが取れるので鎖骨からレントゲンを撮ってやるんだろうな。それがだめだったら、入院して3日間、あたしが付き添ってレントゲン映像とりながらやる。もちろん鎖骨から管を通すことにリスクはある。肺を傷つけることもあるし、でもそれを言ったら胃瘻だってリスクがゼロじゃないし、尿のフォーレだってゼロじゃないし人工呼吸器だってゼロじゃないだろうさ。私もまったく覚悟してないわけじゃないので親はいつか自分よりは早く死ぬ。いつかはきっと看取るときがくる。これから先、ママがどれだけ生きるだろうということも考えながらどうやって願いをかなえて行ったらいいかということそして自分の生活をすり合わせて、どれだけできるだろうかということそういうことを考えながらできることをできるくらいにやりながら生きていきます。医療の話はこれで終わり。んで次、介護のこと。学生撤退を受けて先生はとーっても悔しそうでした。なんてったって介護保険始まる前から家族や患者支えてきてやっとこういううちみたいのが出てきてそれが破たんしちゃうんだから先生にとっても悔しいことみたいです。そして、ほんと、看護学生を今まで使ってきたことでどれほど勉強になってきたかということもすごく評価してくれた。とはいえ、今のきのこの大学ではサークルとしては夜勤活動はもうできないので、個人でやりたいと耳打ちしてくれた学生や今入ってくれているみんなといろんなことを話し合いながら私は福祉系の大学にビラを配ってみます。そして、先生は、別な看護学部にアポをとってくれることになりました。それから、うちはケアマネが新人なので今までいたケアマネージャーにサポートをお願いしてみようと思います。もう一回立て直すぞ!!!え?JJ?就職活動手伝ってくれて当たり前だと思ってる夫なんか、ムカ着火ファイヤーの激おこぷんぷん丸だ!!!ふん!!!!
2013.05.20
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前回どこまでお話ししましたっけ?サクライヨーコです。ママンの心不全ですが、ぜーんぜん良くなってません。私が週2回、姉の旦那が週1回立ち会っています。顔はすっきりして笑顔もわかるし泣き顔もわかるのですが瞬きは今はちょっとわかりにくいです。目も閉じるようになったしね。体の状態の割にはにやにやしたり、感動して泣いたり、毎朝、あまちゃん欠かさず見たりしてるんですが。でも点滴を外すとまた血中ナトリウムが下がり元の木阿弥。体がむくんでいて、むくみの中にはナトリウムが多くあって血中には少ない。それを補うために末端から点滴してるわけだけど完全に絶食なので栄養が足りない。胃瘻から入れても、腸が機能してないので吸収されないよって、眠剤も効かない。高カロリー点滴をしたいけど、それに耐えられる太い血管が見つからない。エコノミー症候群になりやすいので血栓ができてるのだろうとのこと。つまりは太い血管も細くなってたり流れてなかったりして使えないとこが多い。結局腎臓とかの機能も弱ってるわけなのです。そんで緩和医療担当の先生にもうよくならないよ的な話されてヨーコちゃんショックwww老衰でなくなる人と同じ数値をたどってるとかはっきり言いすぎる先生だけどちょっとちょっと!5年10年はないってどういうこと!?姉に連絡したら2人目ご懐妊でホルモンバランス悪くて大丈夫?動揺してない?落ち着いて!どころか「あんたの言い方が悪い!その説明じゃわからない!こう言え!」的な昔の姉を彷彿とさせる懐かしい感じでやられましたwwwそしてJJ、就職活動難航中。まあこればっかりはね。んで9月にきのこ撤退。ヨーコちゃん大学生・・今月中にレポート7科目wwwそういう八方塞がりな事態。・・・かのように思われたんだけど、ALSのことやってると不思議なことが起きるんです。むかーし、新聞の意見欄で募集したボランティア覚えていますか?それで入ってくれるようになっていたボランティアさんがいるんだけどその人の旦那さんがWeb制作会社の社長で、JJに会いたいっていうんです。そして、JJの研究室に今月いっぱいいるベトナム人の研究員と相談しながらJJは脳波のYESNOスイッチの作成に取り掛かっています。往診の先生が、融資してくれています。んで、介護体制も含めて、月曜日に往診の先生とちょっと密談してきます。だって往診の先生毎回違うしどれぐらい点滴だけで生きられるんですか?って胃瘻に戻ることもあるんですか?って聞いてもどれだけ生きるなんてことはわからないって言われるし胃瘻に戻ったら下痢してまた元の状態に戻るんじゃない?って言われるしもうママ先が短いみたいな言われようだし当然看護師からもそういう言い方でもう、ヨーコちゃん、お母さんのところに時間あるときはずっといたほうがいいよと余計なひと言をもらうしでじゃあ実家に帰ろうかななんて考えてたわけなんですよ。そしたら往診の先生が「いや、アルバイト募集、じゃんじゃんやっちゃいなよ」とかいうわけ。医療行為を学生がやることでホント、みんなビビッてて人が集まらないんですけどしかも心不全です!どうぞ!なんて言ったらドン引きして誰もやってくれないよ!っていうと 先生は 「点滴より人工呼吸器ついてるほうがドン引きだから大丈夫♥」「危なくないってことはお医者さんが説明することだから」って言ってくれた。週二回の帰宅では学生たちと3時まで語り合ってます…。最近は母の様子をFacebookで知って卒業生がお見舞いに来てくれます。間もなく結婚だっていうYちゃんに夫婦円満の秘訣を聞かれた。(新婚だっつーの)「いつも仲好さそうなんですけど、喧嘩とかするんですか?」「するするー激しくするよー!! 夫婦喧嘩の99パーセントは意味のない内容だから ヒートアップしたらお互いに「激おこぷんぷん丸!」っていうことにしてる」「え?にこにこぷんぷん丸?」「あとねー。小言を言い始めるようになったらお互い「モンゴモンゴ!」で会話する」「モンゴモンゴ!?」「たとえば、「靴下その辺に置きっぱなしにしないでよ!そういえばトイレにもパンツあったよ!? 洗濯機にちゃんと入れておいてよ!拾って歩くの嫌なんだけど!なんなの!?」「モンゴモンゴ!」「モンゴモンゴ!」「モンゴモンゴモンゴモンゴー!」「モンゴモンゴモンゴ!It's not my sandwiches!!」って感じ?ばからしくなって喧嘩終わるよ?」「…それ頂きます」元ネタはアメリカかどっかのハナモゲラ語コントだったような気がします・・・。そんなわけで、バカップルで今日も前向きに戦ってます。母の日にママと。あ、美肌加工済。
2013.05.16
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結婚のアルバム作成ナウです。スーパー久しぶりのサクライヨーコです。やっとパソコンを新調しまして。やっぱりiPhoneではブログかけるタイプじゃないみたいです。すごい外国からの宣伝の嵐ですがもう面倒なので消すのはやめてしまいましたわwwJJは就職活動。私は放送大学と主婦してたんですが新聞に48が載ったり、週刊朝日さんの取材を受けた時の記事が載ったりお祭り騒ぎしておりました。先月、うちの夜間介護をしてくれていたきのこ隊から夜間介護撤退の知らせを受けこれから学生アルバイトか一般求人かで頭を悩ませていたところ突然母の目が動かなくなることが増えてきました。右上でロック。閉じない瞼。なぜかむくんでいく背中。そして先週、急に正面を向いた状態で止まってしまいました。反応もなし。歯をずらしてお知らせしてくれることは時々。ヘルパーからの連絡で行ってみると血圧が160。たまたま往診の先生とばったり会って血液検査をしてもらいました。ナトリウム、カリウム、クロール不足のため意識障害の恐れがあるとのこと。そしてそれは、心不全ではないかとのこと。ヨーコちゃんショックwwww今でこそ笑えるけど血圧160の日から毎日泣いて過ごしてました。だって、唐揚げの下ごしらえの調味料、残りの一つがわからないままで言ってほしいことたくさんあってそして、周りから「最後はご家族が」って死ぬほど聞かされてうちのママは最後なんかじゃないって怒ったところだったんだもの。学生がまだ入ってる週3日は私と姉の旦那様で入ることになりました。カンファも何とか姉が出てくれていろいろあったけどやっと姉を引っ張り出すことができた。これからコミュニケーションの問題で家族が判断しなければいけないものが出てくる。それは二人でやっていかないと・・・ヘルパーから淑子さんは「ヨーコに負担をかけたくない」と最後まで言ってましたと聞かされた。ママは本当に全然わかっていない。負担はかけないでくれw私たちは他人介護を目指してきたけど、他人になろうなんて少しも思っちゃいない。この一週間で母は顎なし星人からだいぶ人間に戻ってw尿量も増えて、ナトリウム数値も上がってきたように見える。でも先生からはALSですよね?ALSは筋肉の病気ですよね?と言われた。心臓は影響しないと何度も聞いてきたけど原因も治療法もわからない病気だから関係がないとはたぶん言えないんだろう。だから予断を許さない状態なのだろう。母がコミュニケーションが取れなくなってみていろんなとこでコミュニケーションできる人たちが暗黒の世界だの、生きてる価値だの話してきたけどなーに、ALSなんて不便なだけ。そばにいてみたらわかる。今までと変わらず話しかけてくるヘルパー、看護師、学生たち。友達、ボランティア、そしてうるさい私やJJ、姉、姉の旦那、親戚。人なんて所詮、動くとか動かないかとかより、周りにどれだけ笑顔があるか、どれだけの人が声をかけてくれるか、そんなことなんだな。暗黒の世界とか生きる価値とか、語る理由すらないよ。早くママの調子がよくなりますように。明日はJJとJJの研究室の脳波のスペシャリストとドクターやスイッチの先生たちと悪巧みするぞ!ママのスイッチ、作ってみよ!!!!
2013.04.27
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ごぶさたーんです。サクライヨーコです!48ブログに韓国での結婚写真アップしました!落ち着いたらこっちも更新したいよー!!なんでiPhoneから画像のせられないんだ…。月末に初めての試験です!試験前になるとなんか書いちゃうよね…。キッチンも綺麗になるし、小ネギも植えちゃったよ。うわーん!頑張ります!48ブログはこちらっ!
2013.01.17
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またしても48ブログ更新のお知らせ。48メンバーの中には仙台の子もいて、48になる前からうちにきてくれたりしたのです!そんな48、レモンちゃんとこに行ってきました。そんなブログはこちら
2012.12.06
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結婚式したのに実はまだ独身のサクライヨーコです。いやね、書こう書こうと思ってんだけどいざ書こうと思うと、過去日記読んじゃって号泣。。。。そんな気持ちをまた48のブログに書かせてもらっちゃいました。とりあえずはそちらを・・(笑こっちもちゃんと続けて行こうと思ってるからね!!そんな介護アイドルブログはこちら
2012.10.10
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結婚式しました。サクライヨーコです。更新遅れてですんません。先にALS48ブログアップしちゃいました。後日さらに詳細、ここでアップします。とりあえず、48ブログはこちら
2012.09.17
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ちょっと、結婚式挙げてきます。 サクライヨーコ
2012.08.25
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こんにちは。サクライヨーコです。今日はALSグローバルデー!各国のALSの患者団体では世界で一斉に啓発広報する日を決めて、様々な活動をしているそうです。そんなわけで、私含む介護系アイドル ALSの親を持つ娘たちALS48が15日からブログでアイコンの配布を行ってました。できれば一人でも多くの人に知ってもらいたいこの病気。まだアイコンを配布してますのでこちらのブログをご覧くださいませ!!よろしくでーす!!
2012.07.20
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こんばんは。サクライヨーコです。昨日お知らせした、ALS48ブログにアホな記事を更新したのでお知らせしまーす。ラマンの方も更新しないとね。ちなみに今日は小物合わせしてきました。くる人もいるので写真はアップできないけどママンがJJは抜き紋じゃないとダメっていうので紺色の紋付に仙台平の袴をチョイス。私は豪華な相良刺繍の白無垢です。憧れの赤い比翼も、ちょっとだけ。ドレスは茶色が良かったんだけど、やっぱりママンが華やかなものがいい!って言うしいろんな人に再婚の時に茶色着ればいいじゃんと言われたので(笑)サーモンピンクのふりっふりにしました。式までしばしお待ちを。更新ブログはこちら。7月20日はALSグローバルデーだよ!
2012.07.15
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こんにちは。サクライヨーコです。現在、介護系アイドル集団ALS48(笑)として暗躍中です。同じALSの親を持つ娘達が集うブログでふーの名前でブログ書いてます。今月20日がALSグローバルデーにちなみメンバーが作ったアイコンを配布中です。ぜひ是非見に来てください!ALS48の愉快なブログはこちらこの病気をもっとメジャーなものにしよう!!
2012.07.15
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引っ越しました。サクライヨーコ(無職32歳)です。入籍はまだしていません。というのも、これ以上記念日を増やさないために10月14日に入籍できないだろうかと考えておるのです。それまでは無所属で生きたいと思います。結婚してもサクライヨーコです。夫婦別姓です。なんでか、無職になったのに仕事してた時より忙しいです。さて、震災の時に福島のともみんさんと、流動食のエレンタールやお酒や懐中電灯を送りあって、東京で一緒に座談会もさせてもらったわけなんですがななな、なんと、ともみんさんが座談会で一緒だったケアマネのシオリンさん(男性)と結婚することとなったのです!!JJ「だから言ったでしょー。あの二人はらぶらぶだってー」そんなわけで、ALSとゆかいな仲間たちが東京に集って、みんなで結婚のお祝いをすることになりました。JJはゼミのため欠席です。独身最後の夜遊びイエー!みんなでフェイスブックで何着る~で大盛り上がり。おめかししよう!↓ドレスコードは着ぐるみ↓コスプレしない?新郎はガンダム好きだし↓ドラえもんメイド服あるよ↓それだ!ドラミちゃんメイド買うわ(これは私)↓シスターあるよ。神父カビはえた↓AKBもあるよ。↓カピパラ帽子届かない。グンマーにロフトない。↓ドンキ行けよ。グンマー。グンマーの民族衣装着ればいいじゃねえか。…そんなこんなで「何かやりませんか?」とメッセージが来たのはなんと前日の午前1時。EXILEのアレをやろうってことで早めにホテルに行くことになった。あたしはドラミのメイドコスプレを準備してJJをお出迎えしてドン引きされたりレイヤーや、ゴスロリの友達に相談したりしてもうワクワク!!どうやってともみんさんを爆笑させてやろうか、イッヒッヒッヒ……の、はずだった。例の如く、大都会東京に降りたったところ会場であるホテルはシャングリラ東京。そんな、夢でkisskisskissなホテルは仙台にはないのでどんなすごいホテルかなんて知らないわけですよ。とりあえず一服(まだやめてない)しようと思ってたら「こちらでございます。どうぞごゆっくり。」ごゆっくり・・・ってできるか!!!!ごゆっくり!!!!そんなわけで、会場へ行ってみた、ら、そこはsweetでsuiteなス、ススス、スイートルーム!!!!テレビで見たことあるレベルのスイートルーム。一生世話になるこたあねえな、と思っていたスイートルーム。ちょっと待て、ここでEXILEすんのか?おかしいだろう!明らかに雰囲気ぶち壊しじゃないか!!!そこで美しくメイクする、ともみんさんが!!キャー新婦きれい!!!触りたい~!(?)そこへ相変わらず、7年間歳をとらないaji姉様が「あ、ともちゃんいるから紹介するわね」…ともちゃん?ともみんさん以外にともちゃんって誰だっけ?…って思ったら何でここに華原朋美さんがいらっしゃるんですか!!!!さりげなく、写真を撮ってくれていた人が今回のパーティのためにいろいろ準備してくださった下河原さん。朋ちゃんのお兄さんだったので、一緒についてきてくれたということなのです。「仙台から来たの?大変だったでしょ?」ともう、小さくてかわいくて、せっせとみんなのために動いてくれて…私は膝ががくがくですのよ。…わ、私の初めての彼氏のプレゼントは朋ちゃんのCDだったんですよー!応援してます!待ってますー!!などとありきたりなことしか言えない私の脳裏には「本物の私の青春のアイドルの前で、私はあの、ドラミのコスプレでEXILEをやるなんて…黒歴史!!!」頭の中飽和状態になってる中千葉のカヨ姉さんにスイートルームの馬鹿でかいトイレに拉致られる。「AKBの衣装なんだけどさー!どうどう?」と、試着会スタート。そしていちいちトイレのセンサーに反応されてしまう偽アイドルなドラミ。aji姉さんには、何かが壊れるわよ、とコスプレ参加を拒否られてしまった。ほんとにやるのか?本当に…!!!っていうか、この集団、おかしい!!何かがおかしい!!そうこうしてる間に、パーティがスタート。東京のドン、操さんもドレスで参加。ポンちゃんもご無沙汰ー。すっげえおいしいお赤飯や、シャンパンとか生春巻きなんかもいただいて私食ってばかりでございましたが…新郎は白いバラをマイクにいろいろ話してくれてともみんさんはほんとにきれいで震災というホントに大きな出来事の後、宝物のように出会えた二人の幸せな姿を見れたこと私は本当に幸せ者だなと思って、家に帰ったらJJに優しくしようと思った。(さっそく喧嘩するんだけど、それをきっかけにちゃんと話し合えて ここんとこずっと喧嘩してない。うふ。)ほとんどが会ったことある人やFacebookやtwitterでつながりのある人だったのだけど私が母の介護をスタートして、出会えた人たちっていうのは本当に素敵で、奇跡みたいなことをやってのけちゃう人たち。介護っていうのはホントに地味で閉鎖されてて外から風が吹き抜けてくれなくて、小さくて、「こういうものだ」って思ってしまうことのほうが多い。それを「そうじゃないよ。できるよ」と言ってくれて、何よりあったかい。ともみんさんに出会えて、私がここにいるということもましてや好きに東京まで出てくることができるということも奇跡だし私しか介護ができないはずの我が家で、誰も死なずに私が今、カナダで出会って母の告知があってそのまま8年付き合ってきたJJと一緒に暮らしていることも奇跡だ。結婚なんて本当に奇跡だ。そんなエネルギーを分けてくれた人たち。共有してくれる人たち。私は本当に幸せだなと心から思った。ALSは憎い病気だけれどALSによって得たものや出会えた人があまりにも多くて両手で抱えても零れ落ちそうなくらい多くて感謝する時間はあれど何かを犠牲にしている物を数えることも嘆いている時間もない。むしろこの病気に感謝すら覚える。なんだろうね。この気持ち。さて、宴も酣ではございますがそんな愉快な仲間たちはこっそりパーティの隣で練習。世にも禍々しい48、YMC48!!こんなこと絶対やらなそうな男性陣も、女性陣の勢いに負けてズボンを脱がなければいけない事態…!!ここはスイートルームである!!繰り返す!ここはスイートルームである!!! 私ももう同じアホなのでドラミになってやったさ!太って見えるって?パニエのせいさ!!うわあああん! EXILEの後にプレゼントと新郎にレインボーなアフロをかぶせに二人で登場したさ!そのあとドラ2人で春巻きくったさ!朋ちゃんにもかわいいって言ってもらえたさ!ともみんさんにもかわいいって言ってもらえたさ!ダブルともちゃんださ!もう怖いものなんかないさ! 夢のような一日が終わって翌日 私は新郎新婦を襲撃すべく、再び夢の部屋へ。…飲みっぱなしでごめんなさい状態(笑でもどうしてもやっておきたかったの新婦のコスプレ!!!だってこのドラミ着てコーヒー入れてくれるんだぜ?新郎は興味なさそうだったけどあたしは萌~~~~~~~~!!荷物運びくらい手伝おうかなと、チェックアウトまでいろいろ話してさてチェックアウト…って思ったらさロビーに、従業員と、シェフが挨拶に来ていた。 東北からきた3人はエレベーターが閉じるまで 呼吸ができなかった!!!(笑 チン☆「下河原さん…タダものじゃない!!!」「要人だ!要人!」「ジーパンを履いたVIP!!」と3人で東京駅までウキウキ帰りました。次は私の番ですね。ともみんさん、シオリンさん待っててね。8月までしっかり体調管理してよ!日本式でも韓国式でもないけど、笑顔いっぱいの結婚式にするからね!
2012.06.16
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アニョハセヨ。サクライヨーコです結婚の準備、ちょっとずつ進めております。 韓国と日本の違いなのか、育ちの違いなのか戸惑うことの連続で、マリッジブルーになってましたがJJの誕生日に、急に笑いの神様が降りてきて仮面ライダーフォーゼのケーキを買ったらなんだかすっと治まりました。当たり前といえば当たり前だけど今まで7.5畳1Kのアパートで5年間一人で暮らしてきた私が急に二人になって、結婚するとなって、無職になって、「働かないで休みなさい」と言われ、「勉強しなさい」と言われ短大卒業して10年。自分のお金でやってきたのに、急に学生に養われてはやっぱり、不安も出てくるわけです。世の中空前の円高で、円が稼げる身としてはもったいない!!と思ってしまう。介護も仕事もしないで生きることなど、介護して仕事してきた私には空虚なものに思えてました。韓国では、家具を一新して、新婚生活を迎えるものだそうで私が気に入って買ったラブソファーを、買い換えよう!またはL字にしよう!!といわれたり、ご両親に一升炊きの炊飯器を買っていただいたり、目玉商品、7万円の冷蔵庫より、ラップが要らないタッチで開く高性能冷蔵庫に目を輝かせているJJを見たり、家具屋でテレビ台、ソファ、テーブルのインテリア展示に「全部買ったらいくらにしますか?」と値下げ交渉しているのを見ると何であるもので何とかしないんだろう・・・と思ってしまうのであります。さすがに「新車を買う!」といわれたときは、実家の車を持ってくることにしました。 ご両親はどう考えてるんだろう・・・と思うと、アボジさえも「お母さんの命に必要な電気を作れる車を息子だなんて お母さんに失礼なんじゃないのか?」といったり「息子をかわいがってくれてありがとうございます!!」とオモニがママにパジャマ2着と、ランコムのメイク道具一式、ボディローション石鹸、基礎化粧品一式を買ってきてくれたり。 「お金はケチケチ生きて、かっこよく使うものだ!お金は使うところに戻ってくるんだ」というけど、金持ちの思想なんじゃねえのか・・・?私はケチケチ生きるのはできるがかっこよく使ったことは留学したことくらいで自家用車すら、ママが他の車欲しさに7万で売りつけてきて、車検までついてきたものだ。 最近は、なんだか開き直ってきちゃって、お金がなくなったら何しても働けるから、いいやって思えるようになってきちゃった。お互いがお互いにストップしたり促したりすることが二人で生きることだしな。何でも怖い怖い言ってたら楽しいことも楽しめない。入籍は、仲間内で太陽のリング婚の話が出ていたけど大使館にJJの書類を取り寄せ中です。大使館から、郵便局にばれないように500円玉を貼り付けて郵送してくださいといわれたらしく、さすがのJJも「本当に大丈夫ですか?!」と聞きなおしたらしい。いい加減だなあ。もう記念日がいつとかその辺はどうでもいいので早く入籍して自分の立場を明らかにしたいのよ。JJが「記念日の10月14日にしようよ!!」って言うけどそこまで悠長じゃないので、どっかの14日でいいんじゃないかな・・・ 留学生活はというと、日本語が話せるようになっても、読み書きができないJJにとっては奨学金の情報を得たり、レポートの出題範囲を確認したりましてや、英語の論文を日本語に訳すなどというレポートが出た日にゃ大学院に日本人の友達もいないので、頼れるところは私だけのようで・・・いやー、国立大学の日本語訳レポート、死ぬ!!!!!!英語から日本語、JJが訳した韓国語から日本語の両方で訳してるんだけど英語は英語で読むもんだろうが!!!!!と言い訳したくなる内容。動詞小詞結合なんて聞いたことないよー!!(英語科卒なのに・・・) その科目の教授に相談したそうなのだけど「ここまで日本語が話せるなら大丈夫だよ!!」といわれてしまったらしい。ラーメンをうーめんと読む男、JJ。大丈夫か? そういえば、停電対策の車やバッテリーから電気を引くインバータですが先日ヘルパーさんがテストしたら作動せず、呼吸器と勝手につなげたことでナースは怒り壊したと思って学生は凹み、なにやらサクライ家では大変なことになってて方々から電話。方々に電話。ママは「別にいいのよー気にしないでねー」と相変わらず。作動しないのはヒューズが飛んだんだからだよ。ヒューズが入っているということも知らないよね。やっぱ。私も車にヒューズがいっぱいついてることも知らなかった。 そもそも、往診から緊急用に無料でいただいたインバータをずーっと頼りにしてるのもどうなのかと思って、イエローハットへ行ってきたわさ。そしたら震災以降、やっぱり同様のお客さんが増えて、医療関係者が大量に買っていったインバータを教えてもらいました。3万くらいするけど、安心と命には代えられません。電気には波があって「正弦波」というものが比較的機器をいためないそうだ。そういう理由でそちらを購入。基本的にバッテリーの充電や、緊急時のことは私とJJでやるし、引っ越しても、何かあれば歩いても何しても予備電源が落ちるまでには絶対帰るしそれで死んだら寿命です、と言っておきました。 まだ仙台は晴れたり曇ったりだけど、竜巻きたらどうしようね。電気は値上がりしないでほしいけど、命をつなぐ血液だもの。頼むよ。電力会社さん。
2012.05.09
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お久しぶりです。サクライヨーコです。ずいぶん経ってしまいました。この原因はiphoneです(笑FBやmixiやツイッターやらにはまり、mixiでALSの介護をしている娘たちと戯れ、介護系アイドルALS48なるものを結成し、会ったりiphoneでくっちゃべったり娘らしいことをしております。ここを見ているのは身内が多いのであんまり報告もいらないかなと思いつつJJがあれからどうなったか、というと2月に入試を受けて、3月に無事合格しました。今はめでたく1年生です。入学式にはオモニ、アボジが来てくれて感動の旅行になりました。そして、3月末、私は秘書を雇い止めで解雇になりました。最後の仕事が教授就任祝賀会、兼、歓送迎会。挨拶を飛ばされてラッキーと思ったらかわいい女医先生が司会の医局長に言って、「忘れてました」「忘れられました」と爆笑。秘書になれたことで私や母の人生がいっぺんしたこと本当に皆さんのおかげですと涙ながらに挨拶しました。もちろん雇い止めなんですけど。無職になるタイミングで、特にプロポーズなんかはないのですが(期待していた方、もうしわけねえ。でもそれが韓国人男性の真実です(笑JJが母に挨拶してくれました。どこで覚えたのかわからないのだけど「誠意を持って、ヨーコさんを幸せにします」と強風の中でっかい花束もって母に挨拶してくれました。祖母にも花を買って、挨拶に一緒に行ってくれました。祖母はがんが転移していて、調子のいいとき以外は寝ているような状況で母を何とか連れて行こうと、その2週間後に母を実家に帰そう作戦をみんなで立てました。ところが、その1週間前に、祖母が静かに息を引き取りました。母は「大変だから。疲れるから」と葬儀にも参列しないつもりでいました。病気になる前も、病気になってからも「大変だから。疲れるから。無理だから」の連発。そうやって会えなくて後悔したことは山ほどあるはずなのにぜんぜん学習していない!!!それでいて、誰かが強引に推し進めると「だって誰それが~」っていういいわけ!叔母さんがわざわざ母のために、車椅子の入れる会場を準備してくれて後は母だけ。「わたしはいいわよ!あなたが行こうがいかまいが!あなたの問題でしょ?行かないなら行かないでグジグジそこで泣いたりしないでよね!どうすんの?自分で決めて!」というとそういうのを見たことがないボランティアさん絶句。「うわさには聞いていたけど、娘からそんなこと言われたら泣いちゃう~!!!」母は「そういうと思った」わかってんじゃん。結局、急遽、母の実家へ行くことにした。家族のようなヘルパー2名とJJと私で。エアマットももって、いつでも休憩できるように。火葬場まで行くと、みんなに囲まれて「会いたかった」「元気そうだ」「変わらない」「きれいじゃない」(そりゃそうだ。JJのオモニからいただいたランコムのメイク道具一式使ってます)みこしの若衆たちが母が見える高さまで棺を下げてくれた。行ってよかった。本当によかった。間に合わなかったけど、それでもあえて良かった。できないなんて勝手に決めたらだめなんだ。そんで、最近の話なのですが結婚式、決めちゃいました。日本でやります。着物で神前式します。場所と時間以外はなーーーーーーーーんにも決まっていません。そして引越し先、決めちゃいました。大学の近くになります。母からはちょっと遠くなるけどまた地震が来ても、バッテリーが切れる前に家に帰れます。入籍だけど、これはまだです。とりあえず大使館の書類が来るのを待って今度はそれを日本語に訳して、役所に持ってかなきゃいけない。(1個目の記念日…そんで、さらに2週間後に発行できる新しい戸籍や、婚姻証明書を今度は韓国語に訳して、領事館へもって行かなきゃいけない(2つ目の記念日んで、全部また書類を揃えて、入局管理局にいかなきゃいけない(3つryああ、たぶんもう二度とやりたくないと思う結婚だろうな(笑いつ妻になれるんですかね。ここ数日、結婚式や、引越し、韓国式でいろいろ揃えたり、お金のことだったりもう不安で不安でしょうがなくて、できれば直接オモニと話したいくらい・・・そんな中「お前は何でもっと幸せそうにしない!!」と怒られたりなんで食器を運んでくれないんだ!弁当水につけるくらいしろ!と怒ったり毎日大きな波が行ったり来たりの日々でした。でもなんかちょっとすっきりした。たぶん、私は覚悟が足りないのだと自覚したのです。JJも英語ならまだしも、日本語でぜんぜんわからない授業を受けながら自分の研究も決めて、不安だらけだと思うんだよね。不安同士で喧嘩しても馬鹿馬鹿しいよね。今無職で、すぐに仕事をすることも考えたのだけどJJのオモニからちょっと休みなさいと言われていてアボジからは10年後20年後考えて勉強しなさいと言われていて秋から通信大学に行くことを考えています。私は短大卒なので、大卒でないと、もし韓国に行くことになったら仕事が難しくなるからです。もちろん学生結婚だからケチケチ生活するけどね。年齢は・・・キャリアは・・・なんて不安になってたけどいつでも仕事はできる。あきらめてない。ママはALS、旦那は韓国人、たぶん楽をしようと思ったら、もっと楽な人生もあったかもしれない。でも、私は敢えて面倒なところに飛び込んでいくタイプの人間なようだから(たぶんJJも)面倒なら面倒で、楽しくやればいいと思うんだよ。誰かをうらやんだり、うらやましがったりして毒を吐いても、やっぱり何もないし、楽しんで生きていたらそのうち、そんな気持ちは忘れてしまうと思うんだよね。腹をくくってちゃんと覚悟決めたら、することは決まってるんだし。これからはマメに更新できたらいいな。すっかり文章を書かなくなってへたくそになってます。書くことが、自分を客観的に理解することなんだよなと改めて感じました。ではでは、皆様またこんど。
2012.05.01
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結婚ってなんだべな。 ALSのこと、いくつか。 6月に東京で震災の座談会をやってきました。編集さんが本当に頑張ってくれて「在宅看護と介護」という雑誌に掲載されました。緊急搬送時の申し送りカードをみんなで作ってウェブで配布しています。ほんとに、編集の方が頑張ってくれたんだよ~。よかったら見てくださいね。http://igs-kankan.com/article/2011/08/000474/ それから、母校での講演だけど 学校から学生全員の感想文をいただきました。泣けました。DVDもいただいてみてみたけど話すの早すぎ(笑昼間のケアから何人か学生たちが来てくれることになりました。 mixiで知り合った患者さんの娘さんやその患者さんであるお母さんうちに来てくれてママといろいろ話したりして結構充実した時間を過ごせました。患者さんからは私も学ぶことが多い。元気をもらえました。 12月の役所の申請もとおって夜ヘルパーさんが2人態勢になった。人が足りないのでしばらくは私も週一シフトに入ることになるけどそれでも、今母との対話は私には必要なことだと思うんだよね。 ちょっとトラブルがあって、本当にALSになっても、そうでなくても人間なんでも微調整や、いろんな人の助けがあって生かされているのだと思う日々。トラブルについては、ちょっとここでは書かないでおくわ。頭痛いとこだけどさ。 んで、今日ママに会ってきました。JJとの結婚の話もいろいろ。ママはもちろん、収入がない彼に嫁ぐことは不安なんだろうなと言う感じ。そしてJJが自分の意思で結婚を進めているわけでもないことも一つ。 ママはニンマリして言った。 「ここの大学院受からなかったら、結婚は認めないわ」 JJはほかの大学の大学院も併願するけどそっちは? 「併願するのはいいけど、だめ」 ニヤニヤ、ニヤニヤする。 それぐらいの覚悟を持って結婚してほしいもんだよね? ニヤニヤ、ニヤニヤ。 うちの叔父さん、結婚するときに大嫌いなニンジンを食べさせられたんだよね。食べれなかったら結婚認めない、なんちゃって★っていうお母さんのいたずらで。 うちのママも同じことしようとしてるんだってわかった。 それをJJにさっそく伝えてみる。「それは・・ダメだったら別れるってこと?」 やっぱりそういう返事すか。 そういうことじゃないことや、ママを誤解しないでほしいことをくどくど話してJJは言った。 「こんなこと言いたくはなかったんだけど俺、7年も待たせて、いつまで待つかわからないのに待たせて今も、経済力もなくて、遅くて不安にさせて 思いやりが足りなかったこと、悪かったと思ってる。 こんなタイミングは嫌だ。俺が遅かったのは俺が悪かった。でも、来月にでも写真どりしてこのまま年内に結婚式をあげたら俺はまた準備できなくて受からない。俺はそれを何度も言ったけど家族は全然聞いてくれなかった。俺のことわかってたのはなんだよ、ヨーコのお母さんだけだった。お母さんに助けられた。俺たちのスタートなんだ。俺たちが始めるんだ。 最初は別々でもいい。俺は今すぐ勉強がしたい。」 これからJJの家族に話すって言ってたけどさて、どうかな。お葬式みたいになっちゃうかな。でも、なんだかすっとしたわ。 JJは「お母さんを家族が誤解しないように俺サンドバッグになるけど間に立つから大丈夫かな・・」 娘のいる家族だから、大丈夫だよ。 そして今日もJJの電話を待つ。
2011.09.17
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お久しぶりです。サクライヨーコです。 まずJJですが、先月末、試験のために来日しました。研究室の教授が最後までプレゼンを見てくれて筆記も相当難しかったらしく「俺・・広瀬川にダイブする!!」と、言ったかと思ったら「全部できたー!!!」とニコニコ帰ってきたり 結局、プレゼンで半分も発表ができなかったみたいで結果は残念ながら不合格。4月入学に向けて、彼は準備中です。 んで、韓国へ行ってきたわけです。3日ほど済州島で遊びました。潜水艦乗ったり、滝を見たり3月11日以来、初めて揺れている気がしない日でした。 楽しく幸せに過ごしてJJの実家へ行きました。 お母さんもチューしてくれて(笑妹とも英語で話ししたり一緒に買い物に行ったりした。 んで、恐怖の秋夕。お嫁さんが鬱になると言う噂の秋夕。 料理のお手伝いをしに金浦近くのクンアボジのおうちへ行きました。 エプロン持って張り切って行った私。最初は料理手伝ってたんだけどお嫁さんの子供が、まだ小さくて私はほとんどその小さいソヨンちゃんと遊んでました。 ・・・こんなことでいいんだろうか・・・・。 疲れたでしょう?大丈夫?少し休みなさいなんて言われるような状態。 翌日、秋夕当日。ちょっとちゃんとした服を着て、車で出発。クンアボジ、クンオモニ、従兄たち、その子供たちと会ってさらにまたそのアボジの兄弟たち(3人ほんとは5人兄弟)に会って結局、お祈り(クリスチャンだから)うまいもの食ってテレビ見て、オモニと妹のヨンジュと散歩した。 ヨンジュは英語が話せるのでオモニの通訳をしてくれたり自分の気持ちを話してくれた。「お兄ちゃんは、何でも遅い。あなたが外国人で、こんなことするのは失礼だってわかってるけどこのままお兄ちゃんのペースに合わせていたらあなたはずっと結婚できない。あなたがゆくゆくは結婚したいと思っているなら私たちが協力するから!」 「私の知ってる限り、あなたはお兄ちゃんの初めての彼女だよね。私は10年くらい前、お兄ちゃんに彼女なんか一生出来ないんじゃないかと思った。オモニもそう思ってたの。知ってるでしょう?お兄ちゃんの昔のこと。出来たとしても、変な人が来るんじゃないかって。 だからカナダで彼女が出来たと 聞いたときにありがとう!万歳!って思ったの!お兄ちゃんはいい人だけど、自分の人生に関わることは本当に何もかも遅い。だから親が何でも介入してきた。今回、日本に留学するって言ったのは初めて自分で決断したことなの。お兄ちゃんは軍隊へ行ってドラマチックに変化してあなたに出会ってドラマチックに変化した。それまでのお兄ちゃんは家族のdisaster(災害)だった。本当にみんな感謝してる。絶対結婚してほしい。」と、言われた。JJが自分で頑張ったことなんだけどなあ。 なんだかんだで楽しく過ごした秋夕。うちは母の実家が染め物職人なのでこんな風に家族が集まってご飯を食べることはうちでは年に何度もあった。懐かしかった。子供たちを見ていて、自分の子供時代を見ているようだった。 家に帰って明日私だけ帰国と言う時にまたあの時間がやってきた。家族会議。みんなもれなく「大災害で生きてくれて、元気でいてくれてよかった、ありがとう」と言ってくれた(笑 私も出来うる限りいろんな言葉で感謝の言葉を述べた。 本題。結婚である。 JJは私に一切通訳しないという反抗に出た。でもあたしも20%くらいわかるんだよね。 JJはお母さんと言いあいになってた。お父さんは私が逃げるんじゃないだろうかと思ったのだと思うしこんなに長い間待たせてけじめをつけろと言っていたようだった。でも第三者の目でみてこれは強制しようとしているのではないとあたしは思った。すぐに結婚してほしいというのも、意見だからだ。結局、本人が動かなければ無理だからだ。 「ヨーコも何か話せることあるよね?」と言われたので話した。 結婚について話せることは2つあります。ひとつは母と結婚の話をしたこと。それから 私がどんなに家族同然の扱いを受けても 秋夕で結婚する人だと紹介されても家族じゃありません。来年も、再来年も「結婚する人だ」で私はただの彼女で、毎年ホームステイしに来てるわけじゃない。逆もまた然り。 そしたらJJは私の手を取って「わかった!わかった!ごめんね!」 と、言った。 とりあえず話はここで終わった。アイス食べて、JJは煙草を吸いに外に出た。 オモニに「オモニ。気持ちがよかったです。私言ってしまいました」と韓国語で言ったらヨンジュもアボジもオモニもびっくりして大笑いした。 自分で家族を養いたい。自分で式を挙げたい。そう思う人だって知ってる。でもあと一カ月で私たちは7年目の記念日を迎える。ここまでしてもらって同じではいるのは問題だ。 新しく懐かしいJJの家族が大好きだ。JJは今までの私を支えてくれたしすべて受け入れてくれた。 ほかの人と結婚するっていうことはちょっと考えられそうにない。 だから今回は、JJの家族のほうに乗っかってみることにした。 結婚がしたいか?正直めんどくさい。国際結婚だもん。しかも、将来も見えないし、学生結婚。 自分の結婚を祝福してほしい人が3人も天国へ行ってしまったからもうそういうのだけは嫌だなあ。 そろそろ真剣に向き合ってみようと思った。そんな自分もスローだと思った。(笑 答えはまだ、なし。
2011.09.15
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11年前に卒業した母校に行ってまいりましたー!・・・カメラ忘れて写真はないどす。 今回は学生ボランティアを増やす目的とALSについてちょっと知ってもらおうということでたまたま知り合った福祉系の大学の先生が私が卒業した(もう短大ないけど・・)大学の先生だったわけです。私が学んだ学び舎は老朽化してもう新しい建物に変わっていたし食堂も、何ここ、カフェテリアじゃない!って感じ。先生に隠れて喫煙した屋上も立ち入り禁止になってるそうです(恥ママと「高い授業料払っただけのことはあったな・・・」と爆笑。今回もベテランヘルパーさんとキノコが4名、授業がないので一緒に来てくれました。前回のICTの講演が15分。今回何と一コマもらってしまったので90分。そんなに盛れるわけないだろー!!とりあえず、頑張って4枚の原稿を11枚に。パワーポイントも写真ばかり37枚に増やしました。 懐かしいチャイムが響いて、授業が始まってみると1年生の若さが漂ってました。若い。雑誌開いたみたいなカラフルオシャレっ子が多い。教壇で震える足を隠しつつ、卒業してから今までのこと、ママがALSになってから今までのこと、学生たちを受け入れた経緯、学生たちに望むことなどを話して後、簡単に震災の話。震災ついでに、今年のママンの誕生日パーティの様子を写真を交えて話してきました。いやー、男の先生が笑ってくれてだいぶ救われたよー。なかなか恥ずかしがって質問とか出来ないんだけど手を挙げた学生が泣いてて、びっくり。いやーピュアだなあー・・・。文字盤でのコミュニケーションもやりました。 エレベータで降りたら10人以上の学生が待ってて、すっかりAKBの握手会。かわいかったー。ママも良く笑ってた。学生たちとの交流はいいねー。きのこも増殖しそうです。暑いので、そろそろきのこ隊そうめん大会しようかって話をしてたらきのこが「すいか割りしましょう!」っていうもんで間違って「それ、呼吸器~!」とか間違って、「それママンのスイカー!」とかならないようにしないとね(笑 あ、JJは韓国で超勉強してます。私も邪魔にならないようにハガキを毎日書いてます。来週になったら届くかなー。8月末、試験です。私はひと山越えたので明日と土曜日は飲み会です。ぐふふ。
2011.06.29
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今日は大いにのろけるから。(笑 3月11日、夕方4時「私は大丈夫。しばらく連絡できなくても心配しないで。ここガスのにおいがひどい!余震もあって怖い。お母さんのとこへ行く」の電話を最後に、初めて丸3日間連絡ができなかった私たち。JJはその後、ひたすら日本のニュースを見て過ごした。ヨーコがそこにいるかもしれない。あの電話が最後だったかもしれない。生きていると思う。でも怪我したのかもしれない。ゾンビみたいに、次々チャンネルを変えて、私を探した。寝ることもなく、おなかがすいたら出前を取って。ときどきかかってくる友達や家族からの電話を、ヨーコが電話するかもしれないから電話しないでとあしらった。友達のチンゴンさんがやってきて彼を外に引きずりだした。「あそこに行くなら準備しないと」このまま連絡がないなら、何としてもそこに行かなければ。 俺が行かなければ。お母さんの家は木造だから倒壊したかもしれない。逃げられなくて介護してるかもしれない。彼は、登山の用品店へ行って固形燃料やほっかいろ、コンパス、フィルター付き水筒、山用の靴を買った。行っても荷物になるかもしれないから、10日分の食料も用意した。自分が一人でも10日生きられるように。そして、日本語の私からのメールが届いた。「電気がないので避難入院しました。無事です。」病院の位置を確認した。山形から笹谷峠を越えればいい。ヒッチハイクしてもいいし、軍隊の時より大変じゃない。足でも行ける。日本人の友達が止めても聞かなかった。留守電には「俺が行くから、心配しなくてね。サランヘ」と聞いたことないような声が入っていた。 そして月曜日。病院から初めて電話した。「来なくていいから。ホワイトデーのプレゼント待ってるね」あるんだよ!俺ちゃんとあるんだよ!福島経由で行くからと言われたもののその時は本当に原発が怖くて絶対に来ないでほしいといった。 それから4月2日に彼はやってきた。白馬じゃなくて白いタクシーでアパートまでやってきた。私はすっかり震災で変になっていてずいぶんひどいことも言ったしひどい喧嘩もした。うなされてひどい寝汗をかいて飛び起きる私を彼は朝まで見守った。熱が出たら、自転車で拙い日本語で薬を買ってきてくれた。 ママンのために文字盤を作って非常電源のマニュアルも作って大きな余震の準備もした。 いや、ほんっとにひどい彼女だったと思う。週に一度くらい荒れてた。 そんな私を少しでも助けようと努力してくれた。本当に感謝してる。 頑張って二人で願書も書いた。約束通り、こっちの大学の試験のためにJJは帰国しました。昨日、近くの公園に秘密のルートで忍び込み蛍を見た。「俺に試験の力をー!」って言ったら一匹の蛍がJJに向かって飛んできた。奇跡みたいだった。二人で感動した。ママンは「早く帰ってらっしゃい!」と言った。息子か。(笑 「みんな俺の人生はドラマだっていうけどもうおなかいっぱいです。彼女のお母さんがALSになって、彼女の住んでいる町が被災した。もう充分です。」じゃああとはいいことしか起きないね。これはきっとサクセスストーリーのドラマでしょ?韓国ドラマじゃないでしょ?韓国ドラマなら次は・・・・と想像して二人で笑った。試験は八月。あと2カ月。たったの2カ月。7年も繰り返してきたのに今でも別れはとっても辛い。 「毎回こんなにつらいのはもう嫌だ。もう充分充分だよ」「ヨーコはちゃんと自分を大事に生活してね」と言って彼は今、日本海の上です。次の未来のために、ちょっとだけ離れる。今まで一人でどうやって過ごしてきたんだろう。母を介護して、学生やヘルパーや近所の人に囲まれて生活するのはとても素敵なのだけど私はたいして強くもないのに強いふりをする。でもやっぱり、本当は今でも小さな余震すら怖い。黄色い札が貼られた古いビルで仕事するのもまた来るかもしれない大きな余震に震えるのも。 もう今日はめそめそして過ごします。 大学の授業準備しないとなー。。。
2011.06.20
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こんばんわ。サクライヨーコです。地震、落ち着きましたか?とよく聞かれます。震災、被災地、津波関連のニュースを見るのをやめたら元気になりましたが余震のうわさなどを聞くと、夜にめそめそしたりします。もう少し、って感じだなー。でも眠れるようになったし、元気になってからほんと、いいことしか起きない。 さて、4月1日に来日したJJですが8月末の大学院博士前期課程(修士)の試験を受けることになりました。ボランティアに行っている福祉系大学のM先生と相談して彼が選んだ研究室は、ALSのインターフェイスも作れる研究室でした。お母さんのインターフェイスを作って論文にしたいそうです。研究室代表のメールにメールしても1週間返信が来なかったのでどうしようどうしようと悩んでいたところ、うちの研究室の中国人留学生が「電話したらいいよ」と私の背中を押してくれたので電話してみました。どうせ秘書が出るだろうと思ったら教授が直接電話取ってるよ!!!メールしたことを伝えると「それは申し訳ないことをしたね」と1時間後にはJJにメールを返信してくれました。そして、M先生と、JJと二人で研究室へ会いに行ったところ「一定の学力が認められれば、研究室においで」と研究室もいろいろ見せてもらったようです。震災の影響とビザの問題で受けられなかったTOEICの試験も教授の一声で、韓国で受けた結果でも提出していいことになりました。試験は8月の29日~31日。筆記が4問と10分程度のプレゼン。 これからが正念場です。明日、また教授にお会いして、日本語能力証明書を作ってもらうそうです。いったん、韓国に帰国して戦略を練って試験前に再来日します。 彼が今まで勉強してきたことって、携帯電話の世界で、ALSとは全く関係がなかったのに なんだか本当にこれが運命なのではないか?と思うほど「お母さんのインターフェイスを作る」って泣かせる話じゃん。 私は29日、母校でALSの授業します。JJが帰らないと準備できまへえええん。 「いいなー女子大か・・女子大で授業するとフェロモンで失神しそうになるよね・・・」とうちの先生。おっさんじゃないか。 そんなわけで、二人で着実に一歩ずつ進んでいこうと思います。なんだかわからないけど、絶対大丈夫な気がする。引き寄せの法則で絶対大丈夫!
2011.06.14
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震災以降、歩いて帰れないところに行けずGWも家で過ごしてしまった私。東京の師匠aji姉さまと、医学出版社の編集さんに呼ばれてTwitterで仲良しの福島のともみんさんとケアマネ兄ちゃんと緊急震災座談会をしに東京まで行ってきた。JJもつれて。(笑 新幹線で地震にあったらどうしようなんて思いつつ(びょーきだいぶ東京に召集されるのも慣れて乗り換えも楽々。(ほんとだってば)素敵なオフィスにやってまいりました。ずっと会いたかったんだーともみんさん。ママのご飯、エレンンタールが工場被災で困っていたら、会津から送ってくれたんだよ。余ったスペースにはまた酒が入っていた(笑 こっちも負けじと、韓国から送られてきた懐中電灯を送った。感動のはじめまして!なんというかエレガーントなお嬢さんだった!頼もしいなー!ノンフィクション作家でヘルパーの方や介護で本を出されている方などなんでここに私とJJがいるんだろうという顔ぶれ。写真まで撮られて、ドキドキ。「もっと笑って!」とか「自然に」とかもープロのカメラマンさんそっち側、歯がないんですけど。矯正具を前歯にも取り付けられてカツゼツが悪くてすんません。 じっくり震災話してきました。意外なことに驚かれたりしてこっちがびっくり。aji姉さんがいきなりJJに話を振って(やっぱり別れると思っていたんですね、姉さん(笑)その話を聞いた編集さんが泣いていた(笑この東京大都会で、こんなピュアな人がいるなんて!!福島での患者さんの東京への避難の話、すごかった・・。二人ともすごい!頑張ったよ!あたしなんか全然だ。 そんなこんなでとっても充実した座談会になりました。 9月号だそうなので、まだまだ先ですが、出来上がりが楽しみです。そのあと「後楽園遊園地で僕たちと握手」でおなじみの後楽園遊園地でみんなで飲みました。そっちも一冊本が書けそうなくらい濃い飲み会だった。また会いたいな。福島ズ。福島で、仙台で、東北でお酒でも飲みたいな。 翌日は、浅草観光してきました。もんじゃうまかった!人力車も乗っちゃった!だいぶ元気になったどー! 家に帰ったら、また余震でちょっとへこんだけどちょっとずつ普通を取り戻しています。やれることやりまーす! 来週は、呼吸器装着前の患者さんとご家族に会うしおばあちゃんもひ孫に会いに来ます。イベント盛りだくさん。疲れないようにがんばりますー。
2011.06.07
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ここんとこ調子が悪くて今まで自分は無縁だと思っていたけどそれこそ心療内科に通ったほうがいいんじゃないかと思うほど。寝汗がひどくて悪夢を見たわけでもないのにとびおきたり体が緊張するのか、全身肩こり見たいになって、眠れなかったり何もできなかったり、楽しいはずのことが楽しくない。それで喧嘩になったりして。先が見えない不安や、毎日報道される地震や、被災地、原発のニュース、知らず知らずのうちに影響されていたみたい。 幾度もの喧嘩のあと、JJとよくよく話し合ってテレビを消してニュースを見るのをやめた。 そんなときに、講演でお世話になったM先生にJJが進路相談をするために入った韓国料理屋で流れた音楽が韓国のテレビの歌だった。「たばこ屋のお嬢さん」というタイトルだった。私好みの歌だったのでJJに後から見せてもらった。「私は歌手だ」というタイトルの番組で7人のベテラン歌手が昔の歌をアレンジして10代20代30代40代50代以上の観客が各100人ずつ投票し7位の人が脱落するサバイバルゲーム。 今までKPOPもずいぶん聞いたような気がするけど初めて韓国の歌手のファンになった。 韓国で伝説、神様と言われてきたロック(ヘビメタル?)の歌手が突然表舞台から姿を消した。原因は鬱で、6年もの間、歌うこともなく、何もせず何もせず、カラオケなどの印税で10万~15万程度の収入で家族3人で生活してきた。支えてきた奥さんは癌になった(らしい)。その人がこの番組に現れた。イムジェボムさん。会議でこの人を採用するにあたって「私は歌手だ」じゃなくて「私だけ歌手だ」になってしまうといわれてた。その人が盲腸になっても出演して1位になった歌を聞いたらもう、泣けて泣けて。この人の昔の歌は全然わからないけど言葉もよくわからないけど、すっげえ感動した。 とりあえず訳。昔の歌だそうだ。「ヨロブン(みなさん)」あなたがもしもつらい時なら 僕が慰めてあげるあなたがもしも悲しい時なら 僕が涙になろう暗い夜、荒れた道を歩くとき、僕が、僕が僕が、あなたの灯りになろうむなしくてさみしい時、僕があなたの心の友になろう僕はあなたの永遠の兄弟だよ僕はあなたの友達だよ僕はあなたの永遠の歌だよ僕は、僕は僕は僕はあなたの喜びだ。「僕がもしもさみしい時なら誰が僕を慰めてくれるだろう」「まさに、みなさん」僕はあなたの永遠の兄弟だ僕はあなたの友達だ僕はあなたの永遠の歌だ「まさに、みなさん」↓オリジナルはこれだった↓昔の歌の感じがあるよね。 いやー、おっさん(名前覚えられない)かっこいい。好きだわこの人。初めてファンになった。バックグラウンドをわかったから余計に応援してしまうんだとも思うけどこの人に歌があって本当に良かったわ。感動して泣いたらなんかすっきりした。元気になっちゃった。歌の力ってすごいね。
2011.05.29
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お久しぶりです。サクライヨーコです。JJと二人で7畳半のアパートで生活(?)を初めて1カ月がたちました。1週間に一回くらい喧嘩しますが毎日1時間ほどジョギングしたりして仲良く過ごしています。JJですが、大学院留学に向けて、動き始めました。後は別の大学で脳性まひの学生にサーバーの作り方を教えたりアスペルガーの学生に韓国語を教えたりしています。 そんな中でJJは母の文字盤を新調してくれました。JJが作った文字盤はこれ プラスチック板に印刷した透明シールを張り付けて超A型完璧主義のJJは気泡が入ったことが許せないみたいだけどママンやヘルパーさんには好評。薄く印字されたので文字が透けて母の顔が見えるのでやりやすいです。 そして停電時用のマニュアルを作成しました。マニュアルはこれ車から電源を引く方法とバッテリーから引く方法。いろいろ改善点はあると思うけど今回の地震で医療メーカーも頼れなかったし実際にそれで乗り切ったので、残しておきました。やっぱり完璧主義なJJはミリ単位で格闘していました。(笑 再来週、地震座談会で東京へ行きます。来月、私が卒業した大学できのこ募集の講義やってきます。忙しいなあ・・・。がんばるお!
2011.05.23
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JJと停電時の呼吸器マニュアル作ってます。日記滞っててすみません。職場の人に「よく無事だったな」と言われて3/11からすっかり忘れていたけど上司に自分のデスクの写真を貰ったから地震のブログにのせよーって思って開けてみたらほんと無事だったことがラッキーだったなと思った。 赤丸が私の椅子。横から見た図。 そもそも危ないと思っていたのであらかじめ地震が来たら席を立つことにしてました。 さすが9F。職場は被害総額が700億だそうで、この建物の工事はまだまだ先になりそうです。説明会があったとかで、上司が行ってきたけど「大丈夫」というだけの会だったそうだ。崩れるとしても3階からだそうで・・。崩れたら逃げられないじゃんねえ・・。避難した部署もあるし、秘書が辞めた部署もあるけど昨日やっと水が出て、みんなで感動しました。それまではなぜかお湯だけ出てました。 普通に戻れる人から普通に戻りましょうって何かに書いてあった。地震が来るたび、ドキドキするし、かばんも肩に下げてスニーカーで仕事してるけど少しずつ普通に戻ろうね。 JJとマニュアル作ったらちゃんとここで公表するからね。
2011.04.23
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7日の余震、私とJJはせっかくホルモン屋でホルモン食べたのに険悪ムード。喧嘩ギリギリのところで彼が一人でシャワーしていた時にアパートが揺れ始めました。今度は縦揺れ。3月11日の地震では大丈夫だったのに水槽がジャンプ。JJが素っ裸で飛び出してきて「大丈夫?大丈夫?」電気が消えて、また食器が割れて、冷蔵庫が倒れ、洗濯機も倒れ治まった。もう嫌、もう嫌だ。水槽が飛んだ。お母さんの箪笥が倒れたらお母さん死んじゃう。お母さんとこ行こう、お母さんとこ行こう・・「分かった!お母さんの部屋、ベースキャンプにしよう!」とJJがおもむろに登山用の頭にセットする懐中電灯をセット。素っ裸だけどセット。(笑その明かりで出口を作ってくれて、服を適当につかんで着替える。韓国のご両親が心配だったので、電話をした。「大きな地震があったけど大丈夫。お母さんの家に行きます。お父さん、愛してるよ」JJにははじめての巨大地震だった。外に出るとJJがアパートの隣の部屋を全部ノックして「大丈夫ですか!」と声をかけた。外に出れなくなっている人がいて、何とかドアを開けた。「行こう」初心者原付の後ろにJJを乗せて走った。道路がぼこぼこ。ガスのにおいがする。あれほど濡れたマンホールが怖かったのに水があふれる道路を行く。警察も見逃してくれた。。「ヨーコ、あそこ電気ついてる」ホントだ!お母さんの家は大丈夫かもしれない。残念ながら道路を渡ったら電気は消えていた。家についたら、幼馴染ヘルパーちゃんが来てくれて往診の先生からもらったシガーソケットで電源を取る機械を車から引いてくれていました。11日の地震でバッテリーを使いはたしていたので電気が切れたときに、人工呼吸器の内圧が上がらなかった。だから、学生たちが幼馴染のヘルパーちゃんがくるまでずっとアンビューしていました。 よかった、来てくれて。 水が止まるぞ~~!!と急いで赤い水をお風呂にためて浄水器からの水も、ペットボトルにも鍋にも全部ためた。近所の人たちがみんな来てくれてなんだか忙しかったけどうれしかった。30分置きに車のガソリンをチェックした。うとうとな3時、外の電灯が点いていることに気付いた。電気復活~~~!!! そのまま、そこで寝ました。翌日、職場の電気が復活していなかったので休ませていただきました。そこでJJと1時間並びDIYショップで水のタンク(売り切れにつき灯油用を)ガスボンベ、電気のポット、濡れてもOKな延長コードなどなど購入。おひとり様1点限りでもJJがいるから2点いっちゃう。そのあとはカー用品屋へ行って、バッテリーの充電機、ジャンプケーブルゲット。ついでに携帯の充電器もゲットしたら、携帯が壊れた。そう言えば水槽の水をじかに受けてました。家でおっかなびっくりはじめての充電。。いろいろ難しかったのでJJと後でブログにマニュアルをUPします。 土曜日はヨドバシで26型のテレビを3万円台でゲットー。テレビなんか持ってませんでしたけどゲットー。iphone買おうと思ってヨドバシ行ったのに震災のために水没、破損した携帯はタダで機種変できました。じゅうたんもコインランドリーで洗濯。アパートも二人で地震前以上にきれいになりました。地震が来るたび、JJがテレビ押さえてくれるようになりました。 そんな感じで、準備はOKです。 この地震でわたしは本当に恵まれているけどいろんな縁で共同通信の方や東京大学の福島智先生と交流を持たせてもらいました。物資のことで相談した先生も、科が違うのに電話をくれた。少しずつつなげていけたらいいな。もっと大きな団体や大きな組織ではなくて私が小学生の時にあった連絡網みたいにシンプルで、簡単で、みんなにできて安否を確認できて、困っていることが分かるようにできたらいいのに。個人情報の壁で見つからない。法律ってなんだろう。 工場が津波でやられてしまって日本にエンシュアがないので、台湾のALS協会が送ってくれた約1.5トンのエンシュアが、税関で薬事法により返還されてしまった。法律って、本当に私たちを守ってくれるんだろうか。こんなときに。とても悔しい。JJも「俺悔しい!」って言うんだ。 でも変だな。イスラエルの医療団が被災地に入っていてそこの薬が強すぎてうちの先生たちや、MRさんが動いて日本の薬をなんとかゲットしていたぞ?その薬は薬事法でどうなんですかいな。おかしいな。
2011.04.13
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JJ来ました。成田から、高速バスで仙台へ。私はALSの支援で頭ムキーってなってていつものようにデートじゃないし彼は私を休ませたいし・・いつ喧嘩になってもおかしくないかもとひやひやしてます。物資の検品を手伝ってもらってヘルパーさんに津波の被害にあった患者さんに渡してもらう。JJもお手伝い。 JJは、ホッカイロやチンするごはん。山で使える固形燃料、懐中電灯や電池、ゴーストバスターズもびっくりなウィンドブレーカー?おしっこやら醤油やらを通しても飲み水に替えられるボトル、 コンパスなど、本当に私の骨を拾いに来たのではないかと思えるようなサバイバルキットを用意して来てくれました。(笑 仙台は復興が進んでいてラーメン屋でラーメン食べたら「韓国の俺の友達は俺がラーメンでデートしてるなんて信じられない・・」と言ってました。どんな報道してるんだ。韓国・・・。 急な依頼でこれにSkypeで飛び入り参加しました。~NEC難病コミュニケーション支援プログラム~ITで支えて、音楽で励まそう!http://www.rescue-ict.com/index.htmlなんでかJJも。(笑わくさんと会えてうれしかった。 仙台の状況は相変わらず。患者さんの居場所や困っている人の情報も不透明で病院関係者や、ドクターたち、支部にも連絡したけどどこも物がいっぱいあって、必要としている人が分からない状態。もどかしい。 まだまだ余震が続く中で1か月後に大きな余震が来るとか3か月後に来るとか、そんなうわさが経ち始めている。とりあえず私たちは、ママンの家で落ち合う約束をした。 あー、仕事忙しい。さすが病院。みんな締め切りには容赦ないな。。。
2011.04.05
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年度末と被災地応援などの事務処理に追われる病院秘書サクライヨーコです。今日は雨。私は放射能より、濡れたマンホールのほうがよっぽど怖いので今日は地下鉄通勤。原付初心者ですから。最寄りの駅から地下鉄が止まっていてバスが出ていると言うので、駅まで行くと長蛇の列。列の人にこのバスはどのルートで仙台駅まで行くのか聞いても並んでいる人すら分からない事態。ま、いいや。次の駅まで歩こうと思って歩いて行ってもすごい人。いつもと違う景色や、地震の影響なんかも見れてちょっとした散歩気分。地下鉄の駅員さん超頑張ってた。頑張れ、仙台市地下鉄。帰り定期の払い戻しに行ったら金額に納得いかなくて文句を大声で言ってるおっさんもいたけどそれを注意するおっさんもいた。 職場の先生も避難所への往診を頑張っていて、 避難所からの電話をつなぐのも各病院に震災のお見舞い文を載せてFAXを送るのもMRさんから、寄付された薬剤や薬の写真付き説明書を受け取るのも診療できない私にできる大事なお役目。 秘書の仕事も一生懸命やりますが今日はうれしいことに、ALS患者への大阪・東京から支援物資の連絡が。そして静岡の患者さんやご家族、支援者からの支援物資を、今日、仙台駅で受け取りました。静岡の看護師のIさん、静岡のALS患者のYさん、どうもありがとう。私は私のネットワークで必要としている人に必ず届けます。いろんな人の協力で、誰かの気持ちが私のもとに届いています。私はこれをちゃんとつなげなければ。大阪の作業療法士のHさん、ありがとう。東京のぽんちゃんのママ、ありがとう。ところで、支援物資に ワインが付いているのは、やっぱり良く飲むと言う印象なんでしょうか。 土曜日にJJが韓国から来ます。地震で割れなかったペアのシャンパングラスで落ちついたら二人で無事を祝って乾杯します。
2011.03.31
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職場、こんなんなってます。これは5階の写真。うちは9階で他の建物とつなぎ目がないのだけど5階はつないである部分がこんなんなってます。 仙台では倒壊の恐れがある建物には赤札。注意してねが黄色札 大丈夫な建物は青札が貼られていますが、これでもうちの職場は黄色です。 今日やっとエレベータが動きました。これで雑誌を運べるな。 ご飯食べに実家に帰ったら、ALSの患者さんの津波に立ち会ったヘルパーさんで東京からの支援物資をたくさん持たせました。津波で1階から2階に逃げて、アンビューで夜を明かしボートで救出され、そのまま病院に運ばれたけれど病院からは物資はもらえずヘルパーさんも自費で入って各々持ち寄って家族が倒れそうになりながら、何とかやっているのに病院からは出て行ってほしいと言われているそうです。家に帰れる日がいつになるか分からないし近くにアパートを借りて生活しようとしているけれど生活していた場所にあったものはずべて水の中。たまたま、東京のドン、ぽんちゃんのママから電話が来て静岡の看護師さんが物資持って来てくれるそうなので職場で落ちあって、また物資を運ぼうと思います。そろそろ物流も動き始めたから、CIL団体さんとも連絡取って流動食のストックを確認。 そして、入院中でもヘルパーが使える通知をもらってヘルパーに転送。うちはカンファまでやって落ちついたけどせっかく命が助かったのに、苦しんでる患者さんはいるんだ。 でも、助けて欲しいと言われなければ物がたまるだけで、どこにも送れないんだよ。私の知ってる患者さんは支援者が多くてネットとかで交流があるけどそうじゃないおうちもたくさんある。多分郊外ならなおさら多い。 誰か困っている患者さんを知っていたら教えて欲しい。どこでも届けるよ。 積極的に介入できないおうちみたいで、もどかしいけどヘルパーと連携取ってがんばる。あの津波を乗り切った奇跡だもん。幸せが待ってなきゃ駄目なんだって。
2011.03.29
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朝から震度5弱の宮城県沖地震。そして恐怖の初原付出勤。道路は大渋滞でした。ガソリンスタンドに並ぶ車であふれてて車の間をすいすいいけるわけもない初心者は20分弱で着くはずの道を一時間かけて出勤しましたよ。やっと駐輪場についたら、エンジンかけっぱなしでういーん!「うひょーーーーーー!!!」早速転倒しました。土で良かった。職場は散々な状態でエレベータも止まり暖房も止まっていました。棚と言う棚が根元から折れて、書類は全部床に。椅子もぐにゃりと曲がっていてテレビは割れ目が。私が座っていた机も、倒れてきた棚の重みでヒビが入っていました。キャスター付きの家具は全て大丈夫。1台だけパソコンが起動できない。歴代の教授の写真も一枚落ちていた。11日に半端にした書類や、送別会の色紙を発掘して要らないものはこれを機会に捨て、溜まった200件のメールを読み、一日があっという間に過ぎて行きました。うちは眼科ですが、先生たちは救援隊を組み、各避難所へ往診に。コンタクトレンズと洗えない手で感染症が増えてメーカーさんにお願いしてコンタクトの洗浄キットをそして各大学へお願いして不要な眼鏡を避難所に救援物資として出すこと。・・こんなに大変な時期に、お休みして申し訳ないな。先生たちは「サクライ!無事だったか!お母さん大丈夫だったか?」と暖かい言葉をかけてくれました。出勤日数や、日当直の調整はこれから。退職の手続き、入局の手続きなどどんどん忙しくなりそう。ドクターには配給があるようで、今日はなぜか生卵だった。どう使うんだ・・・。 帰宅後はカンファレンス。きのこの人数が激減するのとヘルパーとの夜勤の調整や今後の申請中の支援費が取れるかどうかなどパワフルなケアマネで不思議と彼女と話すと気持ちが楽になる。他の事業所の方もいらしたので東京からの支援物資を分ける。意外なことに、タオルが一枚もない利用者がいるという。 終了後は、きのこ達と具だくさんシチューを作って食べました。ご飯になると、母は邪魔しないようにコールを慣らさないように頑張るあまりピピピピピピピピと、慣らしてしまう。それにアフレコをつけて「みんなご飯だから慣らさないようにしなくちゃ・・・慣らさないように・・ああ!鳴っちゃった!!」と言うと学生も爆笑、母も爆笑だった。間違ってスイッチを慣らすことをうちでは「狼コール」と呼んでいるけど学生も笑いながら「鳴っちゃいましたか?」と聞くとママもなぜか大笑い。やっぱりみんなでご飯っていいな。こうやって原付で家に通って、みんなでご飯作って食べるっていいな。やっぱり胃袋からつかまないと!ときのこ達。みんなでご飯作って食べて、これからも楽しいきのこを継続しよう。こないだの、大学での講演を、きのこの大学でできないか先生に相談してみた。あれは学生向けだから、きっと看護学生にもいいはず。平日でも原付なら、仕事抜けていけるよね。きのこの輪を広げちゃうんだもんね。大学のパンフに載ったので試験の時に「きのこ隊に入りたいです」と言う学生もいるらしい。 前向きに考えれば前向きな明日。明日のこと、来月のこと、来年のこと。そうやって楽しくやっていけたらいいな。 そう言えば来週のこと、韓国からJJがやってくるかも。前向きな未来に向けて、私も一歩一歩がんばろ。
2011.03.28
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私の家の周りでは明かりがともりコンビニも開いているところがちらほら。お菓子屋さん、食堂、レストランの前でもテーブルを置き、売り子が立っている。手書きや印刷された「頑張ろう!宮城!頑張ろう!東北!」の張り紙。スーパーも午後なら並ばなくても買える。肉はとっても高いけど、野菜は良心的。ほうれんそうは叩き売り。うちはおととい水が出た。ガスはまだだけど、ホットプレートでもんじゃ焼をしたりする。 近所では、地震で壊れた建物はあるものの、道路もデコボコがあるが修復され、瓦の工事が入り始めている。 復興している、人が生き生きしている、そんな状況の仙台。 東京の10個以上年の離れた従兄夫婦が、気仙沼の叔父さん叔母さんを訪ねて9時間かけてやってきた。うちにも食料や生理用品を、姉にもおむつを持ってきてくれた。「おー!ヨーコちゃん!元気そうで安心した!相変わらずだな!実家が流されて、今は家の前にでっかい船があるってさ。今、弟の家に両親連れてった。母さんは知り合いの人が車でうちまで逃げてきてさ、ここでも危ないから、駅まで車で逃げたんだ。ホームまで行っても津波が来て、柱にしがみついて助かったって。今は、流された金庫と貯金箱の心配してる。元気だよ」 地震発生時、塩釜の呼吸器をつけた患者さんのところに入っていたヘルパーさんがきた。「ヨーコさん!無事でよかった!私、地震が来た後、もう津波が来るって思って患者さんを2階に避難させたの。もう1階まで水が来て、3tトラックが流されて行くのが見えてもう、あのトラックがぶつかったら終わりだと思った・・。爆発の火もいくつも見えて、あの火が来たら終わると思った・・。もうここまで来たら絶対に一緒に生きようと思って手がしびれてもアンビューしたわ。カニューレが外れて、カフがしぼんでて、吸引カテーテルを切って差し込んで口から息を吹き込んだの。近くの家の屋根にしがみついていた人が、夜に一人、朝に一人いなくなっていて、もう力尽きてしまったんだと思った・・・。私たちはボートで助けられたけど、車が通れるところまでの長い距離を歩いたわ。」学生たちが、うちでミーティングをしていて「この子たちはそういうこと分かってるの?って思ってしまう。きっとわかってないんだわ」と言った。 きのこ隊Aちゃん、妹が石巻で看護師をしている。避難所では、朝昼晩に出される食事は、小さなチョコレート一個。避難所から別の避難所に移動するときには水に人が浮かんでいるのに何もできない。家に帰ってから、お父さんがお酒を飲んでいることに激怒し5日間は申し訳なくてご飯を食べることができなかった。 「後輩が流されたんですよ。運よくっていうか、遺体は見つかったんですけど・・」 一万人以上の人が一瞬にして消えた津波。それがすぐそこで起きたことなんて、まだとても信じられない。 どう、理解したらいいんだろう。なんて言ってあげたらいいんだろう。うれしい半面、申し訳ない気持ち。 復興していく町の様子に喜びながらもなんだろうこの、湿った綿のような気持ち。きっと近ければ近いほど重く現実を目の当たりにするほど、深い。
2011.03.26
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こないだ講演をした大学の偉い先生がこれからスイッチの調整などを担当してくれるNPO法人の人をつれて来てくれた!無事でよかったと言ってくれてスイッチの調整が大変になっていることを話すと動画で、眼鏡でできるスイッチを見せてくれて ママが使えるように検討してもらうことになった!こんな時なのに!!!ありがたーい!! 家で避難生活をするKちゃんは家で雑用をやってくれて お昼には牛丼を置いてきた。私は学生を送り届けたら、コンビニが開いていたのでタバコげっとん。やっぱり商品は少ないけど、当たり前なことが元に戻っていくのがうれしい。うれしいからなんか余計なもの買ってしまう。晩御飯にカレーとシチューをストーブで作って待ってるKちゃんに甘いものを。 原付を買いに、社長と一緒にあちこち回る。バイク王やってなーい!!中古は軒並み売り切れ。Vespa超かっけー!(買わないけど)でも、初心者だから新車!メイドインジャパンがいい!と社長。あちこち回った結果、販売している人がわざと高く吹っ掛けてこないし親切にいろいろ教えてくれたところから購入することにしました。SuzukiのLet’s4 赤いぜ★土曜日納車。練習するね! スノボのグローブで行こうっと。 家に帰ったら、ママに大学の同級生からお見舞い金が届いた。多分ベッドの後ろにある花嫁道具の桐ダンスが倒れたと思ってるんだろうなとメールをすると、ママン「うちは瓦がガタガタになっただけでなんでもありません」と書いてから、ん?と考えて削除。ママ、一応地震のせいで停電したし断水したしガスも出ないからここはやっぱり被災地なんだよ・・・。そりゃあ、海から遠いから津波の影響は全くないけどさあ・・ママの頭の中ではここは被災地ではないみたいで、苦労してました・・・(笑 こないだの講演に来てくれたママの友人が、石巻の人でいろいろいただいたお礼にハラダのラスクを送ろうとしていたら「被災地域のためキャンセルさせていただきます」と言うお知らせが来た。よく見たら、石巻市湊町。津波の被害を大きく受けたところだった。もしや、まさかと思いながら 行方不明者リスト、死亡者リストを検索して、避難所リストも確認する。避難所リストは手書きで、1000人も見て確認しなければいけなかった。私では見つけることができなかった。Googleの消息情報では「湊町地区は壊滅状態」と書かれていて探している人がいるだけだった。私も情報求むと記入して2時間後、避難所リストから名前を見つけてくれた人がいた!よかったー!!!きっとラスクをまた送りますからね!! 安心したところで、自分を検索したら自分も消息情報リストに載っていたことに気付いた。。みんな本当にごめんね。心配掛けて。
2011.03.25
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今日は幼馴染ヘルパーちゃんと午前中ガソリンの旅。帰ってきたらママが風呂にちょろちょろの水をためていて「お風呂に沸かせば入れるわよ!」って・・ママ・・・気持ちはとってもありがたいけど娘は、苦労して灯油取ってきたのね・・・お風呂なんか沸かしたらあっという間に無くなっちゃうよお。。と言うとのんきに笑ってた。(笑この鈍感力が生きる力なんだよ。きっと。うん。(と思って自分を納得させる) 午後はお父さんで建設業の社長とガソリンの旅。ボランティアで海沿いにも入っているそうだ。多賀城、気仙沼はひどいと言う話も聞こえた。午後は全滅。ケーキ屋でケーキ買ったら牛乳をもらったので幼馴染にあげる。家に置いたら、学生が2センチ残して腐らせちゃう(笑お昼はなんと回転ずしが開いていて、ごちそうになった。まじで、太りますって! 個人のスーパーも開いていたけど豚肉がグラム230円!?キャベツは250円・・でも食べさせたい欲求でがっつり買っちゃう。学生がライフラインが復活せず一人行く場所がなくて、お菓子を食べて生活してると言うので2日間、うちに置いて一杯食べさせることにした。この日はキムチチャーハンと水餃子★韓国のスパムも使えるわー!! ご近所にシャワーも借りれて、よかったね・・・きのこKちゃん。 これからきのこ隊が少なくなるし曜日固定にできないかとケアマネからも言われていて今後の活動について話し合った。やっぱり私の送迎に恐縮するきのこ達。 そうだ!原付を買おう!運転自信ないけど、地下鉄通ってないし公共交通機関なら40分かかるけど原付なら15分で着く!10年以上反対してきただけあって(転ぶから) ママは「何言ってんの?」って顔。でも緊急事態ですから!と押し切る。練習する!明日も社長とガソリンの旅だから、いろいろ詳しい社長と探しにいっちゃうぞ!思い立ったら即実行!
2011.03.23
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この日はメモをほとんど取ってない~~~!!またガソリン灯油ゲットの旅。携行缶を持って家に入るヘルパーさんの分や取りに行けない近所の人たちにも。 夜の学生は、先生が迎えに行ってくれて、イチゴやジュースやお菓子を持ってきてくれた。私が月曜から一時間遅刻早退して、自転車で職場へ行って送迎もやろうと言う話になったのだけど先生は「女の子は自転車に乗っていても危ないのよ。大丈夫?」と心配している。学生も、私が仕事を遅刻早退することに恐縮しちゃってる。自転車坂道ひどいからなあ・・。何かいい方法ないかなあ。。 夜は焼き肉!豚カルビ。3人で感動しながら肉を食べる。きのこも遠慮なくたくさん食べるようになったので、振舞いたい欲求が満たされる。 ・・・・みんなが節電頑張ってると言うのに、ホットプレートで焼き肉して・・ごめんなさい。。 25日までアパートも断水。まだ地震直後のまんま。職場に連絡して25までは休ませてもらうことにしたものの職場も、片付けしかできない状態みたい。エレベータも、暖房も止まってジーパンで仕事してる様子。片付けできなくて申し訳ないけどみんな、家が優先だよと言ってくれた。月曜日には仕事復帰したいな。女川や志津川や相馬に行ってる先生もいるし私も頑張らないと。
2011.03.22
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今日もガソリン灯油ゲットの旅。幼馴染ヘルパーちゃんと、その娘ちゃんと一緒。姉ちゃんもガソリンがないと言うしもし赤ちゃんが病気になっても病院に行けないようではだめだから牛丼とおむつとママからラスクを持って姉のアパートに行ってみた。灯油はある?と聞くと「放射性物質が危ないから、換気できないでしょ?ホットカーペットで生活してるの」・・・・・・・。食料は旦那さんが外用の雨合羽にマスクに眼鏡に手袋をして取りに行っているらしい。アパートの近くまで行って電話すると「身体の放射性物質を払ってから家に入ってほしいの」と言われた。ピンポンしたらすごーく時間をかけて旦那さんが出てきた。姉は遠くから手を振っていた。 おむつと、牛丼とラスクなどを渡してガソリンを車に入れてあげた。幼馴染ヘルパーちゃんの娘ちゃんがトイレに行きたかったんだけどとてもトイレを貸してくれと言えるような雰囲気ではなかった。が、牛丼はしっかり食べたそうだ(笑あたしはばい菌かー!!!??牛丼返せー!!最初の子供だし、信じると疑わない姉と、歯磨き粉や、芳香剤でお腹を壊す旦那だから、しょうがないよね。多分姉だけじゃないかも。。変な宗教に引っかからないといいな。。。 韓国料理屋で豚カルビとチヂミとビビンパ弁当をゲットして機嫌を直す(笑今日買った牛丼は10個だった。 牛丼買いに並んでいると、「この肉で肉じゃが作ろうかしら」って言ってるおばちゃんもいた。 今日から持ちかえりだけじゃなく、普通に営業していてその場で食べたほうが肉の量が多かった・・・いいなー。 うちに入ってるヘルパーさん(三姉妹)のお父さんが避難入院していてお母さんがもう倒れそうになりながら付き添い介護してると聞き緊急措置としての病院のヘルパー付き添いについての書類をツイッター通じて東京から送ってもらった。「ヨーコちゃん、ヨーコちゃんママ、きのこがんばれ!」と書いてあった。ありがとう!!でも結局、ガソリン不足で、病院にいる患者さんには派遣してくれない事業所がほとんどで何とか近場のヘルパーさんを確保して、家に帰ることにしたそうだ。 家に帰ってから一度もコールで目が覚めない。はしゃぎすぎかな。。
2011.03.21
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ガソリンめぐり。灯油めぐり。朝から、韓国で買ってきたホットックを作って食べる。今まで、なんでJJは女の子が喜ぶものをプレゼントしてくれないのかと思ったことがあったけど今回本当に韓国のプレゼントで助かっている。えごまの葉っぱの醤油漬けの缶詰、ヨモギパット、ダシダコーヒーミックス、ミスッカル、フリーズドライのスープなどなど。盗難防止で車に積んでいたら、うちから持ってきた醤油がこぼれていて香ばしい車になってしまった。「しょうゆーことー!」って言われた。(笑正しい使い方だわ。(笑 学生は車での通勤であればOKと先生に言われたのでなんとしてもガソリンをゲットだ。家の灯油が地震でこぼれて全然ないので灯油もゲットだ!幼馴染ヘルパーちゃんと灯油、ガソリンの旅。開いている店は行列。あちこちの被害を見る。古い建物ほど壊れているし、近くの家具屋は崩れそうだ。ケーキ屋さんがホワイトデーのたたき売りをしていて生チョコゲット!ケーキもゲット!すきやが開いていて、1家族5個までなので、家でまだ作業をしているきのこたちとヘルパーに購入。肉!肉!東京からの支援物資を取りに障害者団体の事務所へ行ったらガソリン40L、ラコール2箱、灯油18Lいただいた。ありがたい。きのこの車持ってる子に20L分けた。これでだいぶ楽になる。 支援物資を全部検品して、リストを障害者団体、往診の病院にFAX、訪問看護師もリストをコピーして、ヘルパーしている患者さんの娘さんへも送った。支援物資の中に、名前のついた小さな水筒が入っていた。「何が使えるかわからない!」と思っていれちゃったのかも。それはこちらで保管しておこう。 台所の水がちょろちょろしか出ないので、玄関脇の水道で洗濯の水を運ぶ。楽しい。脱水ボタンで一回水を捨てちゃう機能いらねえ!!やっと貯めた水が~~~~!!!
2011.03.20
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3月11日 地震発生 歩いて実家へ。バッテリーの人工呼吸器の夜。 (写真UP)3月12日 バッテリーで人工呼吸器 24時間経過 アパート 小学校での給水(写真UP)3月13日 病院へ 私と母は無事です。病院にいます。3月14日 手術室の夜 ホワイトデー JJと連絡がつく3月15日 留守電メッセージ12件 物騒な噂の中 優しさに泣いた3月16日 ずうずうしく不安 だんだん不安になってきた3月17日 一週間が経った。 取材と韓国の両親との電話3月18日 家にかえろう 従兄弟の支援活動と笑わなくなったママン3月19日 ただいま! 帰宅!きのこ大集合3月20日 ガソリン食料の旅 きのこ送迎でOK。CIL団体からガソリン灯油!3月21日 放射性物質がなんだ 姉と再会。3月22日 焼き肉焼き肉 肉って本当にいいものですよね3月23日 頑張れ仙台!ってことで寿司 食べ物ばっかり・・・太るかも3月24日 原付!そして無事でよかった! 原付購入!ママの友達が無事だったよ!3月26日 格差の心 復興する街、戻らぬ街3月28日 2週間ぶりの出勤 と、カンファレンス3月29日 助けたい 津波を生還したALS患者さんへ物資を3月31日 つなぐ 支援の気持ち、集まる。
2011.03.20
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帰りたい。 朝から、往診の先生にも連絡すると「時間かかるけど処方はできるよ。帰ってきなさ~い! ベッドについたら連絡してねー!」と言ってもらえた。きのこのSちゃん、今日も来てくれて、私が荷物を置きに帰った時母と話していてくれた。看護師さんが「呼吸器がピーって鳴るのは、何でですか?」と聞き、Sちゃんが「それは呼吸器の回路が外れたり、吸引時に外したりするからです」と答えたそうだ。ママが「死ぬわ!!!!!!!!!」と文字盤していた。あはは。笑えない。家に荷物を置きに来たら卒業生を含む10人近く学生たちが集まってくれていた。掃除してくれたり、車いす用意してくれたり、準備してくれていた。うれしい。みんな早く淑子さんに会いたい一心で自転車で来てくれた。すごく遠い子もいるのに。病院に4人で戻り、4人で移乗。看護師たちが、「ちょっと待ってください。全員集めますから」と言うものの4人もいれば十分ですと答えた。いい人たちだったけど、やっぱりALSの看護はレベルが高いのだ。 学生が坂道をあげられなくなるほどの強風でいつもの散歩より長いコースでママは寒かったはずだけどリフトに乗ったママには笑顔が戻った。 よかった。なぜかうちの番地だけ水がちょろちょろだけど近所に汲みにいけばいいよ。最後まで残ってくれた学生たちで幼馴染ヘルパーちゃんの実家でみんな8日ぶりに風呂に入る。さすがエコキュート!!みんな顔が真っ白になった(笑食べ物を山ほどもらって、また合宿のように過ごした。「ヨーコさん、この家・・食べ物がインフレです・・・」 パソコンも持ってきた。JJの顔も8日ぶり。彼は私を救出するために準備したゴーストバスターズのような衣装を着て登山道具一式をみせ私ときのこたちに「みんなありがとう。サバイブしてありがとう」って言った。卒業生のきのこのYちゃんが顧問の先生に電話するとYちゃんの顔が曇った。先生からシフトに入らないでほしいと言われたのだ。原発が怖い。放射性物質が雨になって降るかもしれない。周りは物騒になっているから夜道の自転車は危ない。 Yちゃんはすごく悩んで、「私は卒業生ですから、関係ありません」H君も「俺ももう就職して、東京から来たんだから関係ないよ」夜勤を辞めたY君も、「人が足りない日は応援で入れますよ」と言ってくれた。みんなでどうしたらいいか、考えよう。ALS協会からのメーリングリストにあった被曝についての説明が分かりやすく学生に見せたらちょっと安心していた。私も安心した。なんとかなるよ。大丈夫。家に帰ってきたんだもん。
2011.03.19
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うばい合えば足りぬ 分け合えばあまるうばい合えばあらそい 分け合えばやすらぎうばい合えばにくしみ 分け合えば喜びうばい合えば不満 分け合えば感謝うばい合えば戦争 分け合えば平和うばい合えば地獄 分け合えば極楽うばい合うと足らないけれど分け合うとあまっちゃうんだなぁみつを ・・・そういうわけで腹いっぱい食べてます。大丈夫。
2011.03.19
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避難入院から帰ってきました。私も母も無事です。 心配おかけしました。メールくれた方ありがとうございます。 毎日日記を書いていたのでそのうちアップします。
2011.03.19
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病室は夜は暖房が止まり、何度も起きる。母もそうだったみたいだ。また缶コーヒーで手足を温めた。母が笑わなくなってきた。夜は消灯が早く、小さな明かりで文字盤も難しい。私もきっとイライラしている。連絡したい人がたくさんいる。帰りたい。横になって眠りたい。 食べ物も無駄にできないから韓国のミスッカル(きなこみたいなパウダー、通常はお湯で溶かして飲みます。JJのお母さんが登山の時にときどきやるのだけど、私はときどき朝ごはんにします。)を口に入れて水を飲んで朝は簡単に済まそうと思っていたら私を心配してくれた看護師さんが、「食べるものあるの?」と私におにぎりを作ってきてくれた。 こんなにも物が少ない時に、昨日病室に来た人の家族に、心配してくれてうれしかった。 ツイッターがかろうじて病室でもつながって、一関にいる従兄弟たちが、陸前高田市などにおにぎりを1000個、支援物資などを運んでいることを知った。すごい。一関も地震で、隣の講演の灯篭が家に入ってきたと言っていたし同じ被災地であることに代わりはないのだけど、その行動力と、団結力に感動し、病室なのに涙が出そうになった。(従兄弟のブログに詳細が載っています。読んであげてください) あたしはこんなところで、支援物資も家の中で何をやってるんだよー。ママは支援物資を預かる家主(?)と言う役割があるじゃないかー。 きのこのSちゃんが遊びに来てくれて、母の介護を手伝ってくれた。ちょうど浣腸の日で、浣腸をしてくれた看護師さんはきのこの先輩だった。上手にやってくれたのだけど、いざ、出た後の処理をした看護師さんは偉い人なのだろうけれど、うちの慣れないやり方に四苦八苦されてついにシーツにこぼしてしまった。私はうまくイニシアチブを取ることができず、言いだすこともできずそのまま、言われるまま母の着替えまで一緒にやってしまった。シーツについているのだから、当然新しいパジャマにもついている。見ていたSちゃんは気がつかなかったけど、私が後で、「平おむつ引くの手伝ってくれる?」と言うと手際良く手伝ってくれた。他の看護師さんに、シーツが汚れたので替えたいと言っても洗えないからそのままでいてくださいと言われてしまう。彼女たちが悪いわけではないのはよく分かっている。「やっぱり、在宅って素敵ですね」とSちゃん。彼女が素敵な看護師になることが私たちの希望ですよ。 やっぱりもう駄目だ。帰ろう。私はもうママに我慢してって言いたくない。笑わなくなったママを見ると、病気が進行しているように見えて怖い。 後は何とかするから、帰ろう。幼馴染ヘルパーちゃんに電話したら明日なら晴れるから、車いすで帰れるんじゃないかと言ってくれた。きのこたちに何人か手伝ってくれないか、連絡をした。ケアマネも、淑子さんにもがんばってもらいましょー!って言ってもらえた。帰ろう。うちに。 病室で京都の水道水が配られて、ママに聞いてみた。ねえ、ママ、ここってやっぱり被災地?ママはちょっと考えて、瞬きを一回した。こんな鈍感な感じで、家でがんばろう。 京都の水と日記のネタ。
2011.03.18
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一週間が過ぎた。まるで曜日感覚、日付感覚がない。もーばかばかしくなって、外にタバコを吸いに行く。人の心が変にならなければいい。あたしももう飲みこまれない。 東京からの支援物資は明日届く。F兄貴によると、在宅歴が長い人は割と備蓄があり、それほど困っていないと言う。とりあえず家に帰れば、ヘルパー、看護師のつながりで少しでも配れるはずなんだけど。 食料はあとパン2個、ソイジョイ2個、リンゴ2個かあ・・・どうしようかな。って思ったら幼馴染ヘルパーから2食分と思われる量の焼きそばをもらう。私本当に食べ物に困ったことない。恵まれてる。お腹いっぱいになれば元気になる。 病院の相談員が来て、転院してほしいと言われるものの目の調子が悪かったママの目がまたカッと開いて「絶対に嫌です。ライフラインが戻ったら帰ります」と言う。家から離れたくないんだな。 ボナさんと電話。聞くとお兄さんさんは入院しないで、家族で不眠不休のアンビューしてこの震災を乗り切ったそうだ。ボナさんが100件以上メールして、ABCニュースが自家発電用のガソリンを20L3時間で運んでくれたそうだ。すごい。他の患者さんでも昼間はアンビュー、夜はバッテリーの人もいたとケアマネに聞いた。ケアマネの担当するALS患者は2人、津波に流されてしまった。さぞかし、怖かっただろう。簡単に呼吸器が外れれば死んでしまうような病気で、この震災で生きている人達は、みんな本当に頑張っているんだ。 手術室に戻ると、6人部屋に引っ越しと言われる。6Fへ。10人近く人がいて、移乗もできなかったので、ベッドをそのまま入れることになる。 そんなときに新聞社の人とF兄貴が一緒に来た。誰でもお手伝いしてもらう(笑ある程度引っ越しが落ちついてから、私の分かる範囲で話す。うちは恵まれている。もっと困ってる人はたくさんいるはずだ。そういう人たちとのつながりがない。知ってる人でもパソコンのつながりだけで携帯番号や家の場所を知らないことも多い。 落ちついて、テレビをママに見せたいけど、首を曲げないと見せられないので私は他の人のテレビを見ていた。なんだ・・こりゃっていう映像ばかり。原発原発って、なんだよ。病棟看護師さんも優しい。頼りないけど、いつでもコールを押してと言ってくれる。 談話室で電話しようと思ったら、旦那さんとお子さんが津波に流され、泳いで生還したものの旦那さんが破傷風になり入院した人の奥さんに出会った。「帰りたくても帰る足がなくて、ガソリンもないし、ここに置いてもらってるんだけどね」付き添いにはご飯は出ないので、どうしてるんだろう。近くのお店をいくつか教えるけど、並ぶわけにもいかないし・・。 消灯してからJJに電話する。「そっちに行く。留学の準備も含めて数カ月居たい。俺がお荷物になるかもしれないけど俺、ちゃんと頑張るから。」ライフラインが回復したら考えるよ。「俺~、ヨーコの国際電話のカード買ったんだよ。番号言うから書いてね」お金がもったいないじゃない。「非常時に何言ってるんだよ。何よりもヨーコが大事なんだよ。2日間連絡できなくて生死も分からなくて、俺怖かったよ。まっさまさんと、マサが俺助けてくれて、ルート考えてくれて本当にありがとうだよ!」 ありがたいね。ありがとうって言わなくちゃね。オモニとアボジは大丈夫?「超心配で、俺いっぱい準備したいのに電話がいっぱいで、電話しないでって言った」電話番号教えてくれる?と言うとJJはちょっと喜んだようだった。言葉なんか分からないけど、でも無事を伝えたい。ドキドキしながら電話すると「ヨボセヨ(もしもし)」と言うアボジの声が聞こえて、ブチっと電話が切れた。何度も何度も電話する。失礼なことはしたくないのにいたずら電話みたいになってしまった。もう一回つながった。アボジ「ヨーコだろう!?」アボジも興奮して何を言ってるか、いや、興奮しなくても何言ってるかわかんないんだけど「ヨーコだけ逃げてはこれないのか?」と言ってるのは分かった。母がいるのでそれはできませんと言う。大丈夫です。心配しないでください。と何度も言う。オモニに代わった。「大変だったでしょう?つらかったでしょう?最後までxxxxxxxxxxxx~」最後までなんだか分からなかったけど気持ちは伝わった。大丈夫。私は元気です。暖かい病院にいて、ご飯も食べています。「ヨーコ、サランハンダ!サランハンダ!」と言われて涙が出た。うちに、お金を送りたいと言われたが、それはお断りした。 椅子を3つつなげて、何度か隙間に落ちながら寝たけど心はぽかぽかになった。本日の寝どこ。
2011.03.17
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寒かった。外は雪。それでも横になれたのだ。幸せ。また缶コーヒーでママの手足を温める。もう明日にはブラックコーヒーしかないかもな。外に出るたび、入口や救急入口で、子供を抱いて駆け込む人、ここに行けって言われたから来たのにと怒る人、箱で運ばれてくる水、ママは気にするなと言うけど、心が痛んだ。意外と、気の小さいお嬢さんなのよ、と言う。 携帯は全然だめ。ウィルコムですからね・・・。ママ、あたしがんばってっから、iphone買って!と言っておく。ポットのぬるい水で母の顔を拭き、ま、いいかと私の顔も拭く。ウェットの歯磨きシートで母の歯を磨くけど、全然磨けていない。ママの歯ブラシ欲しい。「歯ブラシしなさい」と、ママが私の心配をする。そう言えば私も全然磨けていない。矯正してから頑張ってたんだけどな。よく見たら歯茎まで白い。今日も、昼の食間水の後に出れば外出してもいいだろうか。 お隣さんが何時間も並んで、ひと房しか買えなかったバナナを一本くれた。すっかり仲良くなって、家族がいないときはおばあちゃんと話したりしてたのにおばあちゃんは上の病室に移動になった。看護師は全く来なくなった。ママはおでこのスイッチを持ってきてほしいと言う。でも、おでこのスイッチで看護師が来て「音がするのはコールだ」と思ったら、呼吸器が外れても来てくれないかもしれない。吸引でアラームを鳴らしても、誰も気にして覗く人はいなかったし、呼吸器のチェックには来ても、意味が分かる人と分からない人がいる。服薬のチェックは、初日を除いて誰も来ない。みんな親切だけど、ここはICUなのだ。決めた。居座るために、今日はどこにも行かない。担当看護師は誰なんだろう。いるのかな。窓もなく、本当に手術室と言う感じで、ラジオは暗いニュースで話す相手はママだけで、だんだんだんだん不安になっていく。 廊下まで電波が通じて、JJと話したけれど放射能の怖い話ばかり。「俺たちの子供のために気をつけて。外に出ないで」と言われても、きのこ達は18日には物資を取りに行ってくれるんだよ。みんな並んで水やガソリンや食料をゲットするんだよ。海外ではどんな報道がなされているんだろう。JJの両親は、何を考えるだろう。留学は、どうなってしまうんだろう。放射能怖いのは誰だって同じ。なのに、みんなに支援物資を任せて表に出ないなんて、そんなのできない。でもあたしだって怖い。 そう思って病室に戻ったら、自転車できのこのYちゃんが今日も来てくれていた。Yちゃんのお父さんは福島の避難区域から仙台に帰ってきた。「お父さん超へこんでますけどね。私ももう気にしないです。テレビ見ていられなくて、何かしたくて淑子さんに会いに来ちゃいました。」あたしはなんて馬鹿なんだと思った。 情けねえ。意外と情けねえんだよ。だって話だけで具合悪くなりそうじゃないか。今頑張らないといけないのに、ママが笑わなくなってきてるから私が笑顔でなきゃいけないのに、なんかすり減って来てるよ。もう。まだ、ここにいなきゃいけないのに。従兄の奥さんに電話で話したときにその話になって「大丈夫だよ、ヨーコちゃん、今は世界中、日本中の人が変になってるけど、そのうち落ちつくから大丈夫」と言われて、とても楽になった。 ママが「横になって寝て」と言ってくれたのでまた簡易ベッドで寝る。 ラジオでかかった「アンパンマン体操」が思いのほかいい歌だったんだと思った。 あ・・・なんか明日取材がくるみたいですけど私風呂も入ってないし歯も磨いてないしすっぴんですけど・・。 本日の寝どこ。
2011.03.16
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洗濯できないのに腕によだれがついていた・・・外は雨、怖いな。電話は通じなかった。缶コーヒーを2個買って、ママの手足を温める。意外とすっきり目が覚めた。ICUの看護師さんは浣腸が上手で、うちのやり方にもすぐ対応してくれた。ママの目の調子が悪い。文字盤が難しくなる。あんまり笑ってくれなくなってきた。「回路交換したい、フォーレ交換したい。」看護師に相談しても、みんなに物資が少なく、我慢してもらってるのでできないと言われる。「ママ、こういう事態だから、少しだけ待ってね」そんな台詞を何度か言わなければいけない自分が嫌だった。ajiさんから「海外のALS協会から寄付の申し出があるけど何が欲しい?」と聞かれた。でも何が欲しいかわからない。水が欲しいです。水が。 隣のおばあちゃんは「水がほしい、水がほしい」と言っていたけど水がたまって飲めなかったのに、今日、初めてご飯を食べた。病院食はパンとシチューとリンゴの煮たやつだった。やっぱりおかゆじゃないのは物がないからなのか?ママのようにALS患者は回復することがないけれど、回復すると言うことが、こんなにも力を与えてくれるのかと思った。家族にも笑顔が戻って、私もうれしくなった。「ばあちゃんよかったねー!戦争も乗り越えて、地震も乗り越えて、病気も乗り越えて、長生きしなきゃね!!」と大きな声でばあちゃんに言った。ばあちゃんは、入れ歯のない歯を見せて、「あたしは食べ物より、水がいいんだけんとなー!」とガハハと笑った。「ここも水がないって言うから、おばあちゃんにあげてください」とご家族に、ペットボトルの水をあげた。(しっかりばーちゃんは見ていたみたいで、やたら水を欲しがって家族が困ったけれど・・・) ラジオではライフラインのニュース、ガソリン完売のニュース、そして、「明日に架ける橋」がかかった。父が死んだ時、長い田んぼ道を帰る時に聞いた曲でJJにオルゴールを作ってもらうくらい大好きな曲だ。今度はきっと今のことを思い出すのだろう。学生からもらったおにぎりを食べた。私は人からの親切を大いに受けている。なんてありがたいんだろう。でも、ごめんなさい神様。私は梅干しが食べられません。 ママが白目で寝ているので、今日の看護師はやり手だし外出させてもらう。と言うより、電気を確認しに帰ると言って帰らせてもらった。実家に帰ると幼馴染ヘルパーちゃんが掃除していてくれた。掃除機で・・・。電気が通ってんじゃん!!ネットもつながる。電話はつながらない。何がおかしいのか、備え付けの石油ストーブがつかない・・。アパートからファンヒータを持って帰ろう。炊飯器や、食料も。多賀城あたりで泥棒が出ると言う噂があるらしく、貴重品もすべて持って、張り紙もはがした。ポットにお湯と、おにぎりと豪勢な肉入り卵焼きをもらって、アパートに行く前に駐車場で食べたら訪問入浴の車が止まるのが、バックミラーに見えた。外に出たら、訪問入浴のスタッフの責任者の方が、タンクの水を配ってくれていた。ガソリンもないと言うのに、なんてありがたいんだろう。子供が乗っていたからお菓子をあげようと思ったらお断りされてしまった。 外は雨だけど、物騒なうわさが聞こえてくる中、人の親切が暖かかった。 アパートまで行く途中、閉まったコンビニの前で止まったら携帯の電波が届いていた。留守番メッセージ、12件。「大丈夫ですか?お母さんは?連絡ください」「私は大丈夫だよ。大丈夫だよね。連絡ください」「地震大丈夫か?こっちは大丈夫だ。心配するな。また電話するよ」「JJですー。俺心配だよー聞いたら電話してね。好きです~。」そんなメッセージを聞いていたら、泣けてきた。私は、大丈夫だよ。みんな、ありがとう。 連絡取れなかった親戚たちに電話する。みんな本当に大丈夫だ。気仙沼のおじちゃんおばちゃんも、家は失ったけど生きてる。多賀城のおじさんおばさんも大丈夫。JJは、東日本には渡航禁止になっているみたいで、こっちにはこれないみたいだった。うちの職場は、老朽化が進んで立ち入り禁止になっているらしい。よかった、崩れなくて・・・。 すっかり帰るのが遅くなってしまい、食間水を忘れられていた。「ママ、大丈夫だった?」「大丈夫じゃない」「命にかかわった?」「かかわらない」「生きてればいいよー!!(笑」実家は寒すぎる。ずうずうしく居座ろう。できることはやるし、椅子で寝てもいい。ママの体温30度になってしまうよ!「石油コンビナート消火したってラジオで言ってたよ」とママン。・・・白目だったのにラジオきいてたのか。清拭は手伝ってもらえそうになかったので、ポットのお湯で顔を拭き、手を拭き、足を拭き・・・・まあいいか、と自分の顔や首や背中や足を拭いた。生きかえった。 ajiさんから、東京から仙台に支援物資を送ったから受け取ってほしいとメールがきてきのこに連絡したら、みんなで取りに言ってくれるという。私は何もできなくて、本当にもどかしい。 外でタバコをすっていたここのドクターがママが昔入院していた病院がやばいと言っていた。大丈夫だったけど、自家発電で明日まで持つか・・と言われI先生、すっげえ憎らしいと思ったこともあったけどこないだ講演できれいになったって言ってくれたしやっぱり無事でいてほしいと思った。 お隣のばーちゃんのご家族とワクワクしながら、簡易ベッドを広げて今日は横になることにした。ベッドの位置が低くて、ママの顔が見えなくて気になるけど。やっぱり私が起きると、ママが寝ていて、ママが起きると、私が寝ていた・・ごめんね、ママン。夢にはI先生が出てきた。真っ白い頭になっていた。 きっと無事だと思ってましたよ。
2011.03.15
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早朝、携帯の電波が外なら通ったのでJJに電話してみる。国際電話なら、もしかして。何度も何度も電話をする。つながれ、つながれ、つながった。「もしもし?もしもし?ヨーコ大丈夫なの?」彼は本当に心配して、こっちに来る準備をしていた。登山用のサバイバルキットを用意して、日本人の友達と連絡を取って。「怪我したんじゃないの?俺、行くからね!福島から行くからね!」福島原発がとっても気になるので、お願いだから来ないでと言う。「俺いろいろ準備したから、欲しいものは?何が欲しいの?俺、赤十字にもアプライしたからね。愛してるよ。サランヘ。サバイブしてね。本当にサランヘ。」私は何もいらないよ。ホワイトデーのプレゼントが欲しいな。「俺、本当は準備したんだよ。あるんだよ。」プレゼント待ってるから。大丈夫。私は大丈夫だよ。声から、彼の心配が伝わる。どんな映像が韓国には流れているのだろうか。 かろうじて倒れていない自動販売機から、缶コーヒーをかって手術室に戻ると看護師から言われた。「電気が通ったか見てきて欲しい。ベッドが足りないの。通っていたら帰ってほしい。」必要な物品もあるし、看護師に任せて家に帰った。・・・やっぱり通っていない。足りない医療物資を持ち帰る。幼馴染ヘルパーの実家では自家発電でお風呂を近所にふるまっていた。幼馴染ヘルパーちゃんは、お父さんの会社まで朝の5時から水を汲んでいるそうだ。「ヨーコちゃんも入って行きなさい!」と言われたけれどアパートに行って着替えたかったから、遠慮すると袋におにぎり、サンドイッチ、バナナ、リンゴを入れて持たせてくれた。ありがとう。 アパートまでの道のりはつい昨日までとなんだか違った。車が、なんだか怖い。譲ってくれる人もいるけれど、飛び出してくる。割り込んでくる。自転車が歩道をはみ出して、道路を走っている。(これが正しいんだけど)銀行、ドラッグストア、ガソリンスタンドと給水所の学校。駅までのすごい行列。みんな、ストレスなのだろうか。近所のカレー屋のインド人が並んで買った袋を持って歩いていた。「Are you Okey?」と聞くと「Okey!Thank you!ダイジョウブー!!」と言われた。うちの職場の中国人留学生はどうしたかな。リビア人留学生は、逃げるところはあるのだろうか。彼は日本語が分からず、赤ちゃんは先月生まれたばかり。心配だ。 病院に戻るときのこが母と話してくれていた。看護師さんからはすぐにどうだった?と聞かれた。電気も水もガスも、まだです。 ママは「浣腸したいから、下剤を薬と一緒に入れてほしい」と言う。でもやってくれるかどうかわからない。ちょっと図々しくならなきゃ駄目だよね。ナースコールがないので、ICUにいる看護師さんに声をかけないといけない。 でもちょっと図々しくなって看護師さんに申し送りしてもらった。 幼馴染ヘルパーちゃんと連絡を取り、家に帰った後の話をした。部屋を仕切って、エアコンにすれば電気が回復したら大丈夫かも・・ベッドキャスターないけど。明日掃除をしてくれるそう。彼女はすごい。本当にすごいわ。 夜にまた、面会が1人までで10分と書かれているにも関わらず夜勤を辞めちゃった学生がYくんと大将、卒業予定の学生がYちゃん来てくれた。騒ぎすぎて隣に怒られてしまった・・・(笑Yくんと大将はバイト中に地震がきて、Yちゃんは11階にいたそうだ。Yちゃんだけ髪の毛が分裂していなかったので聞いてみると、Yちゃんとこは水が出て、みそぎして髪を洗ったらしい。母も笑顔が戻る。みんながおにぎりと水とソイジョイをくれた。そして、リポビタンDと新グロモントも。・・・みんな私が何で起動されてると思ってるんだ。 今日の担当看護師からはお湯はもらえなかった。ゆっくりにして、母が体調を崩さないように。お隣の話だと、給水所で水がもらえず喧嘩が起きているらしい。ガソリン、灯油でも喧嘩。こんなことで医療物資は大丈夫なのだろうか。ママの清拭したいな・・ラジオのニュースは原発ばかりで、怖くなってきた。待合室でちらっと見たテレビは日本の報道ではないようだった。ましてや、自分の家の近くで起きていることとは思えなかった。 今日は母の顔を見ながら椅子に寝る。空調が入って、寒くてお腹を壊した。トイレも流すことができなかった。神様ごめん。ウォシュレットを使わせてください。何度も起きた。でも、カナダ行きの飛行機よりまし。ここは暖かく避難所よりは、はるかにいい生活をさせてもらえている。きっと試されているんだ。これから、どれだけ他人に優しくできるかを。 うちから持ってきた物品と、今日の寝どこ。
2011.03.14
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ラジオでは荒浜に200~300の遺体が浮かんでいると何度も何度も報じられる。市内。私が1時間半かけて通った高校から、おおよそ5キロほどの場所。到底信じられる話ではない。私は朝から来てくれたヘルパーさんと、一緒に昨日のカレーとおにぎりでリゾットして食べた。すっげえうまい。私は自分のアパートならもしかすると電気の回復が早いのではと思い吸引器を一台持って行った。つかない信号をお互い譲り合いながら曲がり、直進し、混雑を避けて迂回迂回する。やっぱり、電気は通っていない。家に戻ると、ヘルパー事業所の責任者が来ていた。「淑子さん、みんな自分のことで精いっぱいで、誰も他人のことなんか考えてくれないわよ!」「早く入れる病院があるなら病院へ行って!」彼女は、知り合いが津波に巻き込まれたと言う。母は姉とまだ連絡が取れず、姉の旦那の会社も水没。従業員が閉じ込められ爆発が起きていると言う話も。 母は姉がここに逃げてくるんじゃないかと思っていて、動きたくないのだ。 F兄貴もやってきて、市場で買ったパンをくれた。幼馴染ヘルパーのお兄ちゃんもうちにやってきた。埼玉から妹の粉ミルクを運びに仙台まで来てくれた。「おばちゃん、俺来たよ!」24時間が経過したバッテリーを車につなげてくれて吸引器もコンセントを引っ張れるようにしてくれた。「これは保険だからな。おばちゃん、頑固なのは知ってっけど。英語の塾でよく怒られたからなー俺。」母の塾の教え子とお父さんが「先生が気になって気になって」と来てくれた。お父さんが車でうちの自転車と持って帰った吸引器を持ち帰るのを手伝ってくれた。訪問看護師が来て、もう入院はできない。できたら奇跡だとイルリガートル(流動食のボトルとチューブ)で吸引する方法を伝授してくれた。みな、自転車で何件も病院をまわり、入院しているという。119番したくても、私の携帯は使えない。それを聞いた母の教え子が携帯が自宅のほうでつながったと言うので救急車を呼んでくれた。「もう電池がないんです!人工呼吸器が止まりそうなんです!」と叫んでくれたそうだ。バタバタ準備をしていたら、きのこ隊の顧問の先生が来てくれて準備を手伝ってくれた。救急車は一時間で来た。「受け入れ病院はありますか?」レスパイトをしていないから、入院病院などない。「近くの病院(歩いて10分弱)まで行って交渉してきますよ!」と救急隊員。みんな、本当にありがたい。玄関に「●●病院へいます。お姉ちゃん、来たら○○さんの家へ」と書いて貼った。いる人全員で移乗し、 救急車の中、アンビューで病院まで行き、用意された部屋はICUの手術室だった。・・・・ちょっとカッコイイと思った。写真を撮ったりした。母の体温は33度まで下がり、手術室は暑く37度にまで上がった。ここも水は出ないので、貯水から出しているそうで水は必要最低限しかもらうことができない。母の流動食+食間水だけで3Lになる。当然洗いものはできない。なんだか胃が痛い。お隣は、急性心筋梗塞のおばあちゃん。家族が代わる代わる付き添う。息子さんと思しき男性が「みんないつかはそうなるんだ。大事にしてやれよ」と言って、私に缶コーヒーをくれた。おばあちゃんはつらそうで、何度も何度も動いて点滴を止めてしまっていた。家族がいないときに、看護師さんを呼んだり、背中を掻いてあげたら喜んでくれた。外に出たら携帯の電波がやっと届いたので、メールを受信。何度も何度も何度も受信、エラー、受信、エラー・・受信メール30件、メッセージ12件。メッセージはまだ電波が悪くて聞けない。みんな心配してくれていた。みんな無事だった。よかった。本当に良かった。姉は無事、旦那さんと2日後に避難所で再会したそうだ。母の実家も無事。みんな心配していた。気仙沼のおじさんおばさん、多賀城のおじさんおばさんはまだ連絡が取れない。頑張って何人かにだけ、無事です。病院にいますとメールする。海近くの患者さんは津波がくるからと家族みんなで毛布にくるみ、車に無理やり乗せて市役所まで避難したそうだ。幼馴染ヘルパーの携帯でお互いの無事を確認した。ママは「明日には帰る。」と言う。ママは本当に状況が分かってないなー。ホントに33年前の宮城県沖地震をサバイブしたのか?? ここからは消耗戦だ。 椅子に座って、ベッドの手すりに寄りかかって寝ていたら看護師さんが「寝てください。大丈夫です」と廊下に布団をひいてくれた。 ベッドも布団も足りないから、明日は分からない。揺れる。叫び声がする。ママは眠れているだろうか。頭がかゆくて死にそうだ。
2011.03.13
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命をつなぐバッテリー2日目。 夜遅くに、うちに来ているボランティアさんがおにぎりを作って持ってきてくれた。ありがたーい!! 朝を迎えた。いつものごとく私はぐっすりお休み。しっかり朝ごはん。電気も水もガスも回復せず。ヘルパーさんが新聞持ってきてくれる。燃えた家が流されている。いつも使っている空港も中二階まで浸水。到底信じられない写真。ママもびっくり。そこから2駅の友達は大丈夫だろうか、ママの実家は、気仙沼のおじさんおばさんは、多賀城のママのおじさんおばさんは、そして姉は大丈夫なんだろうか。ママは寒くて、貼るホッカイロをタオルに貼って湯たんぽも入れて温めた。電気毛布も使えない。とっても不便。前に支援してくれていたF兄貴がやってきて、「もしかしてアンビューならやろうと思って」ありがたーい。でもまだ大丈夫。海の石油コンビナートが燃えているらしい。写真を見せてもらった。今度は吸引器の外部バッテリーが駄目になってきた。シリンジ(注射器)で吸い上げても全然だめ。こうなったらと少ない水で洗って、シャンプーのポンプでやってみたら体力要るけど結構取れそう。でも2人でやらんとあかん。だめじゃん。ヘルパーさんたちが荷物おきの部屋を片付けてくれて私がカナダへ行く前に勤めていた会社で販売していた2Lのペットボトルの水、6本入り一箱を救出。 賞味期限は2006年。勇気を出してみんなで飲んだら飲めたので使う。 アパートに帰ろうと思ったら給水所やガソリンスタンドが近くて薬局も近くて大変な大渋滞。どこも行列。迂回したら、道路がめきょってなってて、「通っていいですか?」と聞くと「通れるなら」と言われる。多分これが原因でタイヤの空気が抜ける。アパートはめちゃくちゃ。泥棒でも入ったようだ。食器が割れてて土足でないと入れない。熱帯魚は硝子の蓋が沈んで全滅。水は10cm程度になっていた。電気もガスも水も出ない。ここもか。奇跡的にシャンパングラスが無事!他はもう散々。オルたんからもらった硝子の素敵なポットもやられた。悔しい。ごめんね。守れなかったわ・・・。隣の隣の男性に声をかける。「3分の1くらいかたづきましたよー」だってうらやましい。一人で大変そうなので、韓国のポッキーとたまたまあったペットボトルのお茶をあげる。迂回して迂回して、実家に戻って屋根を確認。2Fの私の部屋がこんなことに・・・ベランダへ出て屋根を見ると瓦がガタガタでモルタルが落ちてきてる。姉の部屋の室外機が30センチくらい飛び出てる。近所の屋根も瓦がめちゃくちゃなとこもある。外壁もヒビ。少しだけど割れ落ちたところもある。家と道路の間の土がもりっと出てる。雨漏りするレベルではないと思うけど・・・大丈夫かなあ。3時から小学校のタンクの水を1人2Lまで配りますとメガホンで町内会の人が言ってまわっていたのを聞いてペットボトルで取りに行く。校庭をぐるりと囲む大行列。校庭には亀裂が走っていた。雲ひとつない青空なのに、遠くにコンビナートの煙が入道雲のように立ち昇っている。後ろのおじさんは、地震発生時、職場の外来に通っていたので奇遇だねーなんて話。前のおばさんは孫が卒業旅行に行って電車の中で閉じ込められちゃったらしい。みんな声をかけ、みんな笑った。みんな無事でよかったね。トイレ用にプールの水を汲む人もいた。体育館が避難所になっていて「カンパン・飲料水ありません」の張り紙。子供たちは駆け回っていた。1時間並んで2L。手にはしるしをつけられたけど、もう1時間並んで2Lゲットしようとは思わないよ・・・なんてみんなで大笑い。夜も学生が来てくれて、近所の幼馴染ヘルパーちゃんからカレーをもらって食べた。歯列矯正はじめて以来のカレー解禁。(笑夜またボランティアさんがおにぎりとか持ってきてくれた。やだなー震災太りしたら(笑携帯は今日も圏外。JJは大丈夫かな・・と思いつつ、アロマキャンドルで過ごす。勿論よく眠りました。バッテリー24時間経過。このまま続けられるかの不安がこんこんとつもってきてるのを感じつつ、何もないように、このまま過ぎて行くように祈った。
2011.03.12
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