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【送料無料選択可!】さよなら、お母さん 墓守娘が決断する時 (単行本・ムック) / 信田さよ子/著
私は、3人の娘たちを育てました。
もうとっくに成人して、
27歳、25歳、23歳になります。
小学校へ入るまでは一生懸命でした。
必死で、食べさせて、着替えさせて、お風呂へ入れて、寝させて・・・・・・
でも、生活させるだけで精いっぱいだったので、
一人ひとりと十分向き合えたかなあと今は思います。
母親として、私はとてもいい加減だったなあと、
いつもどこかで、娘たちに負い目がありました。
周りのお母さんたちはとても教育熱心で、
引け目をどこかで感じていました。
真ん中の娘が小学3年生だったころ、
夏休みに緊急学級懇談会の連絡が回ってきて、
参加してびっくり!
娘のクラスが学級崩壊状態だと、
初めて知りました。
他のお母さん方はみんな知っていたんだ・・・・・・。
学級崩壊であることより、
私がそのことに気がつかなかったことのほうがびっくりでした。
そして、
娘の漢字学習ノートが真っ白だったことも、
ショックでした。
娘に・・・どうして?と尋ねると
ママに言ってもどうもできないしね……ですって!
上の娘が中学3年の最後の個人懇談会。
先生が娘に、
「よく辛抱したね、偉かったね。」と・・・・・・
私は「???」
娘はどうやらいじめにあっていたらしい。
上靴を何度も隠されて、
とうとう最後はどこからも出てこなかったとのこと。
私は何にも気がつかなかった。
先生は知っていて、
上靴の代わりに体育館シューズで過ごす許可を与えてくれていたらしい。
娘にどうして?と聞くと
そんなあほなことする人は大体わかってるし・・・・・・
ママに言っても仕方ないしね・・・・ですって!
一番下の娘も・・・・・・
私は母親として失格だなあと、
いつも思っていた。
でも、
どうしたって、
娘たちのことすべてをわかるなんてこと
到底できそうもないし・・・・・・
そういえば、
朝ごはんも作らない母親だったなあ~~
朝が弱くて、
私自身、ずっと朝ごはんを食べない習慣だったし……
娘たちはいつからか、朝は自分ですること、になっていました。
あ、でも私お弁当だけはちゃんと作ってました。
うちのあたりは中学校給食がなく、
中学、高校と、三つのお弁当を作ってました。
って、当たり前デスケド・・・・・・
だから、
この
『さよなら、お母さん』
にでてくる母親のようなこと
私、ちっともできなかった。
でも、確かに、この母親が良い母親だと思っていたし、
そうでないといけないんじゃないか、
私はダメダメじゃん・・・・・って。
信田さよ子さんの本に
『母が重くてたまらない』があります。
これは娘のほうからみた母ですが、
私の場合は、
自分が母であることが重くて重くてたまらないと
思っていました。
『さよなら、お母さん』で
信田さよ子さんは、
娘のことすべてわかってるなんて、
胸張って、自分が立派な母親だって言えるのって
どこかモンスター・・・・・・なのだと、
書いています。
そうか、
もしかしたら
私は、
私でいいのかもしれない……。
『「私は」という主語を取り戻そう、
ママでもなくお母さんでもない、
同じ女性として娘とつながろう』
この本の最後のほうで、
信田さよ子さんが、
母親に呼びかけています。
「私は」という主語は、
私はもう手に入れています。
娘たちにはそれぞれの人生があり、
それぞれ尊重されなければいけないと知っています。
でも、
同じ女性として、
娘とつながっているだろうか……
今上の娘は結婚して
真ん中の娘は仕事の都合で
家を出ています。
下の娘だけが家から仕事に行ってますが、
娘たちのことが
ときどき
どうしようもなく心配になって
胸がドキドキして
眠れなくなる時があります。
でも、
私からは電話をすることはありません。
一人で勝手に心配しているだけです。
そんな時、
自分が母親としてダメダメだったことを思い出してしまい、
余計眠れなくなってしまい……
これからも、
こんな夜を何度繰り返すのかなあ……と
やはり、
私は私の中の母が重くてたまらない……
もう、ほころんでいます。
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