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使用パソコンが 旧型ですので、 2月6日(土)までの書きこみで、しばらくこのブログはお休みです。六ヶ月ほどで再開したいと思っています。 ご愛読 ありがとうございました。 【吾妻鏡】(2月6日) 加藤塾@塾長のブログよりhttp://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十八巻 元久二年(1205)六月小二十日丙午(晴れです。鶴岡八幡宮の臨時のお祭りです。夕方になって、畠山六郎重保が、武蔵国菅谷館から到着しました。これは稲毛三郎重成入道が呼び寄せたからだそうな。)「二日酔いそれとも違う朝寝には 訳あり昨日のホンワカ続き」(山葵) 【吾妻鏡】(2月5日) 加藤塾@塾長のブログよりhttp://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十八巻 元久二年(1205)六月小一日丁亥(れです。将軍実朝様の祈願として、鶴岡八幡宮で一日中続ける大般若経一部を略読みのお経を上げさせました。お布施は、紺色に染めた絹五十反で、三浦平六兵衛尉義村が、これを負担しました。)「ひなまつりもうすぐ春が来るという いが饅頭がもう店先に」(山葵) 【吾妻鏡】(2月4日) 加藤塾@塾長のブログよりhttp://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十八巻 元久二年(1205)五月小二十五日壬午(御所において、五字文殊(五つの髻で敬愛)のお像を祈りました。指導僧は寿福寺の筆頭葉上坊律師栄西だそうです。)「冬しょうぐん退去した日は柔らかい 焼いた御餅がそれを教える」(山葵) 【吾妻鏡】(2月3日) 加藤塾@塾長のブログよりhttp://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十八巻 元久二年(1205)五月小二十四日辛巳(太宰府天満宮安楽寺の領地である筑後国(福岡県)岩田庄(小郡市上岩田)と田島庄(同朝倉市田島)については、神社の坊さん達が泣き付いてきたので、その采配は、今日地頭職を神社関係者の社家に与えましたとさ。)「手袋が今日はいります冷たい日 自転車こぎの息真っ白に」(山葵)
2016年02月02日
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【吾妻鏡】(1月31日) 加藤塾@塾長のブログよりhttp://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十八巻 元久二年(1205)五月小十八日乙亥(鶴岡八幡宮内と三島神社を修理させました。また、鶴岡八幡宮や三島神社のお神楽用の舞装束が、古くなったので、新しく新調しようと、御家人に割り当てました。図書允清定が担当してこの命令書を書いて出しましたとさ。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね>「四度C最高温度がこれくらい 外はつらいよ豊橋風が」(山葵) <>【吾妻鏡】(1月30日) 加藤塾@塾長のブログよりhttp://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十八巻 元久二年(1205)五月小十二日己巳(美作国(岡山県真庭市神)の神林寺の境内に、故頼朝様の追善供養のため、三重塔を建立しようと思われました。そしたら、寺の坊さん達が材木の調達などを要求しました。それなので今日、美作国内の木材を切り出す山から切り出して使うように、命じられましたとさ。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね >「寄せ鍋はつくね白菜とうふ入り 今週又も寒さの予感」(山葵) <>【吾妻鏡】(1月29日) 加藤塾@塾長のブログよりhttp://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十八巻 元久二年(1205)五月小三日庚申(世間の物騒がしさもすっかり静まりました。集まって来ていた御家人達は、命令によって殆どが国元へ帰りましたとさ。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね >「うのいちの先付け刺身煮物よし 締めは浅利の汁でおひらき」(山葵)<うのいちTEL 053-463-2477浜松市中区中島2-1-9>【吾妻鏡】(1月28日) 加藤塾@塾長のブログよりhttp://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十八巻 元久二年(1205)四月大十二日己亥(将軍実朝様は、十二種の和歌を作って詠われましたそうな。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね >「ビスクとは何の料理かわからずに オマール海老のスープを飲んだ」(山葵) <>
2016年01月28日
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【吾妻鏡】(1月27日) 加藤塾@塾長のブログよりhttp://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十八巻 元久二年(1205)四月大十一日戊戌(鎌倉中が騒々しい限りです。近場の連中が群れ集まり、武装を準備していると噂が流れています。また、稲毛三郎重成入道は、普段武蔵国の稲毛庄に謹慎していました。最近舅の遠江守北条時政殿に呼ばれて、部下達を連れて鎌倉へ出てきました。人々は、何かありそうだと怪しんでいるとのうわさがあります。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね>「牡丹雪一時間ほど降って去る 白い恋人追っかけまわし」(山葵) <>【吾妻鏡】(1月26日) 加藤塾@塾長のブログよりhttp://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十八巻 元久二年(1205)四月大九日丙申(京都警察権限の検非違使で左衛門少尉源朝臣佐々木左衛門尉定綱法師が亡くなりましたとさ。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね >「喫茶には寒さ嫌いの客が居る 珈琲付きの避難場所かも」(山葵) <コーヒーハウス オカダ>【吾妻鏡】(1月25日) 加藤塾@塾長のブログよりhttp://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十八巻 元久二年(1205)四月大八日乙未(将軍実朝様は、鎌倉中のお堂を巡りました。馬に乗り水干姿です。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね >「一万を落としたはずと冗談を 千円札は確かにあるが」(山葵)<>【吾妻鏡】(1月24日) 加藤塾@塾長のブログよりhttp://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十八巻 元久二年(1205)四月大七日甲午(佐々木判官定綱は、病気が重いので出家しましたとさ。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね >「一玉が五十円とは安すぎる キャベツ作りの悲鳴が聞こえ」(山葵) <>
2016年01月23日
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【吾妻鏡】(1月23日) 加藤塾@塾長のブログよりhttp://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十八巻 元久二年(1205)三月大二十五日壬午(勝長寿院の領地の上総国菅生庄の十二郷については、今日半分分けしました。六郷を筆頭の分とし、残り六郷をお供の坊さん達の分として与えましたとさ。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね>「六時からオープンしてる喫茶店 店はらんぷで深夜までやる」(山葵) <平成28年1月15日オープン らんぷ TEL 0532-74-8100 豊橋市西幸町字古並258-12>【吾妻鏡】(1月22日) 加藤塾@塾長のブログよりhttp://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十八巻 元久二年(1205)三月大十六日癸酉(坊門信清様から、扇三十本と櫛箱が送られてきましたとさ。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね >「塩鮭の切り身たくさん買い求め 焼く蒸す鍋に八面六臂」(山葵) <>【吾妻鏡】(1月21日) 加藤塾@塾長のブログよりhttp://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十八巻 元久二年(1205)三月大十二日己巳(あちこちの荘園の年貢の納期については、これが決められているのに、どうかすると滞納をするので、今後は、国の遠い近いによって、その納期をお決めになられましたとさ。宗掃部允孝尚が担当しましたとさ。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね >「寒い日は豆腐とツクネ買ってきて しばれる夜にチゲ鍋メニュー」(山葵)<>【吾妻鏡】(1月20日) 加藤塾@塾長のブログよりhttp://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十八巻 元久二年(1205)二月小三月大一日戊午(将軍実朝様は、寿福寺の住職の居所方丈と鶴岡八幡宮筆頭の部屋へ行かれました。仏法を聞いたり、蹴鞠を遊んだりしました。源右近将監親広・右京進中原季時達がお供をしましたとさ。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね >「ミッチーの友達が来た水曜日 花びら餅も食べずに帰る」(山葵) <>
2016年01月18日
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【吾妻鏡】(1月19日) 加藤塾@塾長のブログよりhttp://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十八巻 元久二年(1205)二月小二十一日乙卯(武蔵国土袋郷(埼玉県川島町)の年貢は、永福寺の住職の生活費の領地とする。遠江守北条時政殿が命令を出しましたとさ。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね>「畳み替え襖も替える一月は 来客ありの予行練習」(山葵) <>【吾妻鏡】(1月18日) 加藤塾@塾長のブログよりhttp://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十八巻 元久二年(1205)二月小十七日乙巳(将軍実朝様は、鶴岡八幡宮へお参りです。これは、中将を貰ったお礼のためです。相州義時・駿河守中原季時以下の数人がお供をしました。安達右衛門尉景盛が太刀持ちです。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね >「寒いので布団の中でいつまでも 遠い昔だ成人式は」(山葵) <>【吾妻鏡】(1月17日) 加藤塾@塾長のブログよりhttp://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十八巻 元久二年(1205)二月小十二日庚子(先月二十九日の京都朝廷の辞令が届きました。将軍実朝様は右中将に任命され、加賀国の次官加賀介を兼務されました。大夫属入道三善善信がこの書面を御所へ持ってきました。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね >「朝食後サイレン音で騒がしく 南栄のあたりうろつく」(山葵)<>【吾妻鏡】(1月16日) 加藤塾@塾長のブログよりhttp://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十八巻 元久二年(1205)二月小十一日己亥(将軍実朝様は、鶴岡八幡宮へのお参り〔年明け初めて〕は、何時もの通りです。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね >「甘酒とぜんざい今日はピッタリだ 鏡開きで寒い一日」(山葵) <>
2016年01月14日
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【吾妻鏡】(1月15日) 加藤塾@塾長のブログよりhttp://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十八巻 元久二年(1205)正月大八日丙寅(御所で般若心経を唱える儀式です。指導僧は、真智坊隆宣。馬を始めとするお布施がいっぱいです。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね>「あったかいコーンスープが欲しいけど 朝の五時ではまだ望み薄」(山葵) <>【吾妻鏡】(1月14日) 加藤塾@塾長のブログよりhttp://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十八巻 元久二年(1205)正月大五日癸亥(将軍実朝様は、正五位下に任命されました。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね >「たけがわのテニス職員顔合わせ おすそ分けです磯辺餅食う」(山葵) <>【吾妻鏡】(1月13日) 加藤塾@塾長のブログよりhttp://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十八巻 元久二年(1205)正月大四日壬戌(将軍実朝様が、尼御台所政子様のところへ訪問しました。引き出物があったそうです。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね >「のんびりと正月気分で過ごしたが メトロノームの振り子を速め」(山葵)<>【吾妻鏡】(1月12日) 加藤塾@塾長のブログよりhttp://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十八巻 元久二年(1205)正月大三日辛酉(千葉介常胤が将軍に御馳走を献じる垸飯などを献上しました。そのあと、新年初めて弓を射る弓始め式があり、射る人は六人。一人二本づつ五回射ました。一番が、和田平太胤長対藤沢四郎清親。二番目が佐々木小三郎盛季対市河五郎行重。三番が筑後六郎八田知尚対荻野次郎景員。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね >「カフェオラポ ハイファイ通信可能です ID番号掲げてあって」(山葵) <カフェオラポ TEL 0532-35-7866豊橋市東美幸町長山36-2>【吾妻鏡】(1月11日) 加藤塾@塾長のブログよりhttp://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十八巻 元久二年(1205)正月大一日己未(遠江守北条時政殿が将軍に御馳走を献じる垸飯と引き出物の馬や剣などを献上しました。その役をする人は、御剣が小山左衛門尉朝政。弓と戦闘用の矢が三浦平六兵衛尉義村。行縢と沓が足立左衛門尉遠元。馬五頭を引いたのは、一頭目が佐原太郎経連と長井太郎。二頭目が筑後六郎八田知尚と同じ筑後九郎八田知氏。三頭目は足立八郎元春と春日部二郎。四頭目は長沼五郎宗政と結城七郎朝光。五頭目は相馬五郎義胤と東平太重胤。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね >「シーパレスリゾート二階のレストラン バイキングにてローストビーフを」(山葵) <ル シェル TEL 0532-32-8811豊橋市神野新田町ミの割1-3>
2016年01月10日
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【吾妻鏡】(1月10日) 加藤塾@塾長のブログよりhttp://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十八巻 元久元年(1204)十二月大二十二日己酉(御台所坊門姫に仕え、共に来た家来の男女数人が、地頭職を貰いましたとさ。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね>「仏鑑寺毘沙門天の堂内は冷たい風と温もりの陽が」(山葵) <>【吾妻鏡】(1月9日) 加藤塾@塾長のブログよりhttp://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十八巻 元久元年(1204)十二月大十八日乙巳(尼御台所政子様の祈願で七観音像を描かせました。それが先だって奈良から届きました。今日、尼御台所政子様の屋敷で開眼供養の式を行いました。指導僧は、金剛寿福寺の住職葉上坊律師栄西です。仏への願を書いた願文は、源仲章様が考案しました。実朝様の御仏との縁を結ぶため参られましたとさ。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね >「新しき年の初めのためしとて 先へ飛んでるもう如月に」(山葵) <>【吾妻鏡】(1月8日) 加藤塾@塾長のブログよりhttp://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十八巻 元久元年(1204)十二月大十七日甲辰(将軍実朝様は、前大膳大夫大江広元の家へおいでになられましたとさ。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね >「ベルギーといえばワッフル思うけど テロのニュースだこれは食えない」(山葵)<>【吾妻鏡】(1月7日) 加藤塾@塾長のブログよりhttp://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十八巻 元久元年(1204)十二月大十日戊戌(将軍実朝様の妻となる御台所坊門姫が、到着されましたとさ。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね >「うーめんもサラダもついた喫茶店 麻生田町の交差点脇」(山葵) <茶花 豊川市麻生田町高畠1>【吾妻鏡】(1月6日) 加藤塾@塾長のブログよりhttp://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十八巻 元久元年(1204)十一月二十六日甲申(将軍実朝様は、先日来絵師に命じて、京都で将門合戦の絵を描かせていました。。今日、それが届きました。掃部頭入道中原親能が手筈を整えて調達したのです。二十巻あり、漆塗りに金粉をまき散らした蒔絵の箱に納められています。特に大切にされてるそうです。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね >「東京の娘を連れてゆきこさん お茶飲みながら嬉しさものみ」(山葵) <>
2016年01月04日
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【吾妻鏡】(1月5日) 加藤塾@塾長のブログよりhttp://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十八巻 元久元年(1204)十一月二十日戊寅(故遠江左馬助北条政範の下男たちが京都から帰り着きました。先日の六日に東山の鳥辺野あたりに葬ったそうです。実は、亡くなる前の晩の四日に平賀武蔵守朝雅の六角東洞院の屋敷で、宴会の最中に主の平賀朝雅と畠山六郎重保とが口論になりました。しかし、同僚の連中が二人をなだめ、無事に分かれたと、今日噂が流れましたとさ。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね>「里芋の保存方法確かめる 穴ほり暗い土中がええと」(山葵) <>【吾妻鏡】(1月4日) 加藤塾@塾長のブログよりhttp://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十八巻 元久元年(1204)十一月十八日丙子(頼朝法華堂の剣を始めとする宝物類を、法華堂責任者に返しました。洲河には、お褒めの言葉があり、褒美を上げるようにとのことでした。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね >「白山の駅から板橋方面へ 馴れた土地でも移動はつらい」(山葵) <>【吾妻鏡】(1月3日) 加藤塾@塾長のブログよりhttp://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十八巻 元久元年(1204)十一月十七日乙亥(頼朝法華堂の宝物を、先々月の九月に盗まれたので、探し求めまて、あちこちへ知らせたところ、武蔵の国で、須川の地頭が犯人を捕まえて、今日、軍事警察の侍所長官の和田左衛門尉義盛の家へ来ました。宝物は全て探し求め、これを一緒に持ってきましたとさ。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね >「寒い日はバンホーテンのココアあり 温まるため一杯を飲み」(山葵)<>【吾妻鏡】(1月2日) 加藤塾@塾長のブログよりhttp://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十八巻 元久元年(1204)十一月十三日辛未(遠江左馬助北条政範は、先日の五日に京都で亡くなりましたとの伝令が着きました。この人は、遠江守北条時政殿が今とても可愛がっている牧の方が生んだ子供です。将軍の奥さんを迎えに行くため、先月京都へ向けて出発し、先日の三日に京都へ着きましたが、途中で病気になり、重大な結果になりました。わが子を失った父母の悲しみ嘆きは、ほかに比べるものが無いほどなのです。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね >「輝くかイルミネーション街の夜 表参道ケヤキ並木が」(山葵) <>【吾妻鏡】(1月1日) 加藤塾@塾長のブログよりhttp://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十八巻 元久元年(1204)十一月九日丁卯(将軍実朝様の病気が治ったので穢れを洗い流す沐浴の儀式をしましたとさ。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね >「昨日より活き活きしてるこの顔は 新しい年しあわせ掴み」(山葵) <>
2015年12月29日
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【吾妻鏡】(12月30日) 加藤塾@塾長のブログよりhttp://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十八巻 元久元年(1204)十一月七日乙丑(笠置寺の解脱上人の使いが到着して申しあげました。「先月の十五日に礼堂が完成しましたので、開眼供養の式典を無事に終わることができました。」とのことでした。これは、将軍実朝様の寄付についてお礼を申しあげるためなのだそうな。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね>「クリスマス ローストチキンに負けました買ってかっての声に押されて」(山葵) <>【吾妻鏡】(12月29日) 加藤塾@塾長のブログよりhttp://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十八巻 元久元年(1204)十一月五日癸亥(子の刻(午前零時頃)従五位下行 左馬権助北条政範が亡くなりました。〔年は十六。この時は京都に居ました〕)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね >「正月のためにお酒を準備する 蓬莱泉とスーパードライ」(山葵) <>【吾妻鏡】(12月28日) 加藤塾@塾長のブログよりhttp://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十八巻 元久元年(1204)十一月大四日壬戌(伊勢の国での三日平氏の乱で取り上げた領地へ任命された地頭が、武力に物を言わせ、伊勢神宮への年貢米を横取りしたと、神社から訴えてきました。その土地は、伊勢の国に散在する田畑です。元は平氏が管理してきた土地だけれども、神宮への年貢を納めていたことははっきりしているので、図書允清定を担当として、前例を守って納税するように、今日、命令を出しましたとさ。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね >「赤福の土産をさげて母帰る 伊勢神宮の小さな糸が」(山葵)<>【吾妻鏡】(12月27日) 加藤塾@塾長のブログよりhttp://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十八巻 元久元年(1204)十一月大三日辛酉(将軍実朝様が、少々具合が悪いそうです。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね >「ベゴニアの花は机の上にあり サンタが来たのは今でも不思議」(山葵) <>
2015年12月25日
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【吾妻鏡】(12月26日) 加藤塾@塾長のブログよりhttp://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十八巻 元久元年(1204)十月小十八日丁未(全国の荘園や郷や保の地頭達が、戦争の手柄にもらった事に付け込んで、前例を無視して上級管理者への年貢を横取りすると、国の管理者国司や上級荘園主の領家などから訴えが出てきているので、今日検討をしました。領地の田んぼも管理者としての職も、以前の現地管理人下司職の権限の範囲内で処理すること。この命令に従わなければ、地頭職を変えてしまうと命令をお出しになりましたとさ。右京進仲業と清原図書允清定が担当だそうです。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね>「抽選であたると母は言ったけど まわり冷ややかエアコンの下」(山葵) <>【吾妻鏡】(12月25日) 加藤塾@塾長のブログよりhttp://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十八巻 元久元年(1204)十月小十七日丙午(大隅国(鹿児島県)の正八幡宮(鹿児島神社)が訴えてきたことについて、裁決を行いました。これは、頼朝様の時代に、掃部頭入道寂忍中原親能が正八幡宮の地頭でしたが、神社が文句を言うので、その地頭職を止めました。その後、神社領三か所に三人の地頭を任命した所、年貢を納めないので社殿建設工事が出来ないとの事でした。それなので今日、それらの地頭職を辞めさせる事にしました。帖作郷の地頭は肥後坊良西です。荒田庄の地頭は山北六郎種頼です。万得名の地頭は馬場入道浄賢だそうです。大江広元が担当します。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね >「大垣に雪舞ありとラジオ告げ 伊吹の山の息づかいあり」(山葵) <>【吾妻鏡】(12月24日) 加藤塾@塾長のブログよりhttp://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十八巻 元久元年(1204)十月小十四日癸卯(坊門前大納言〔信清卿〕の御嬢さんを将軍実朝様の奥さんとして、京都から下っていただくために、お迎えの人々が京都へ上りました。それは、左馬権助北条政範・結城七郎朝光・千葉境兵衛尉常秀・畠山六郎重保・筑後六郎八田知尚・和田三郎宗實・土肥先次郎惟光・葛西十郎・佐原太郎経連・多々良四郎・長井太郎(時秀カ)・宇佐美三郎助茂・佐々木小三郎盛季・南条平次・安西四郎などです。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね >「昔からあった感じのゆず煎餅 タイムスリップ高知とくさん」(山葵)<>【吾妻鏡】(12月23日) 加藤塾@塾長のブログよりhttp://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十八巻 元久元年(1204)十月小十日己亥(風が激しく吹き、雨が盛んに降ってます。申の刻(午後四時頃)には雷が二三度鳴りました。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね >「頼まれて切り干し大根買って来る 佐藤さんちの安値のキャベツ」(山葵) <>
2015年12月22日
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【吾妻鏡】(12月22日) 加藤塾@塾長のブログよりhttp://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十八巻 元久元年(1204)十月小六日乙未(亥の刻(午後十時頃)大地震がありました)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね>「一丁の豆腐余って考えた すき焼き鍋は夕食メニュー」(山葵) <>【吾妻鏡】(12月21日) 加藤塾@塾長のブログよりhttp://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十八巻 元久元年(1204)八月小二十一日辛亥(晴れました。将軍実朝様は、昨夜突然思いついて、相州義時の屋敷へ行きました。すぐに帰ろうとしたら、主人が引き留めました。今夜は月食だと云うことなので、仕方なく泊まりました。主人はことのほか喜びました。その間に、工藤小次郎行光がその場に居て、話すのには「京極太閤藤原師実さんが関白の時、白河院が宇治に出かけました。帰ろうとしましたが、遊びが終わっていなかったので、泊まっていくと言い出しました。そしたら、明日帰るにのは、宇治から京都は北に当たる。方角が悪いので避けて今日帰った方が良いんだそうです。師実がえらくがっかりしていたら、行家が喜撰法師の和歌を引用して、今宇治は都の南ではありません。辰巳(東南)の方角ですと云いました。それなら明日でもよいと、その日のお帰りを止めましたとさ。今日の月食も、天の配慮なんでしょうね。」と云いました。義時はとても感心して喜びましたとさ。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね >「丘の上茶店みたいな喫茶店 ウエイトレスとママは言うけど」(山葵) <秋日和 豊橋市大岩町北山260-5>【吾妻鏡】(12月20日) 加藤塾@塾長のブログよりhttp://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十八巻 元久元年(1204)九月大十三日戊寅(頼朝法華堂での法事を終えました。灯りを灯す時間になって、泥棒が筆頭の大学房へ入り、頼朝様ゆかりの宝物類を盗みました。すぐに幕府へ走って知らせましたので、留守居当番の連中に命令して、犯人を捜させましたが、逃げ終えて行方が分からないとの事でした。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね >「戸を開けた驚く先にペンキ塗り 白の刷毛持ち頭まっしろ」(山葵)<>【吾妻鏡】(12月19日) 加藤塾@塾長のブログよりhttp://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十八巻 元久元年(1204)九月大二日丁卯(将軍実朝様は、馬二頭〔瓦毛と栗毛のぶち〕を奉納品として伊勢神宮の内宮と外宮に奉納しました。新藤次俊長と和泉掾景家がこれを連れて今朝出発しましたとさ。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね >「風と雨予想どうりの天気なり 暖かいのがちょと気にかかる」(山葵) <>
2015年12月17日
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【吾妻鏡】(12月18日) 加藤塾@塾長のブログよりhttp://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十八巻 元久元年(1204)九月大一日丙寅(将軍のそば近くに仕えている連中十余人の官職を受けることについて、これを推薦されましたとさ。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね>「新札で払いを済ます十二月 禊終わった師走の風が」(山葵) <>【吾妻鏡】(12月17日) 加藤塾@塾長のブログよりhttp://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十八巻 元久元年(1204)八月小二十一日辛亥(石清水八幡宮の領地の河内国高井田について、将軍用の御祈祷料の年貢地にして、地頭を止めさせました。石清水八幡宮の管轄とするようにと、今日伝えさせましたとさ。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね >「大福とおはぎは餅屋の得意もの 三個 五個などすぐ売り切れて」(山葵) <八町もちや>【吾妻鏡】(12月16日) 加藤塾@塾長のブログよりhttp://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十八巻 元久元年(1204)八月小十五日乙巳(鶴岡八幡宮の生き物を放つ放生会の儀式です。将軍実朝様は兄の喪中なので、八幡宮に任せました。夜になって将軍実朝様は、中秋の名月に誘われて、由比ガ浜へお出になられ、一層の船をしつらえて、六・七人の楽団員を呼んで、皆良い音楽を奏でました。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね >「ハトポッポそれよりうまい鳩サブレ 鎌倉小町豊島や製」(山葵)<株)豊島屋 TEL0120-20-8102鎌倉市小町2-11-19>【吾妻鏡】(12月15日) 加藤塾@塾長のブログよりhttp://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十八巻 元久元年(1204)七月大二十三日癸酉(将軍実朝様の嫁取りについて、幕府の会議では足利前上総介義兼の娘にしましょうかと決めましたが、気に入りませんでした。京都へすでに申し込んでしまっていました。それなので、そのお迎えの用意について、今日内輪での話し合いがありました。付き添う侍たちについては、将軍直々の希望として人数を決めました。風貌の良い若い勇敢な武士を選ぶようにとの仰せでしたとさ。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね >「番組の中の人生相談は 隣の家との離れたこころ」(山葵) <>
2015年12月14日
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【吾妻鏡】(12月14日) 加藤塾@塾長のブログよりhttp://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十八巻 元久元年(1204)八月小三日癸巳(今日、鎌倉中の寺社の領地について、その裁決がありました。左京進中原仲業を、永福寺の事務長に任命しました。一つは、寺の中の規則を采配し、一つは寺の領地の年貢の未納をはっきりとさせるように、命じられました。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね>「午後五時にテニス仲間の年忘れ 自分の年も羊の年も」(山葵) <二升五合TEL 0532-48-3973>【吾妻鏡】(12月13日) 加藤塾@塾長のブログよりhttp://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十八巻 元久元年(1204)七月大二十六日丙戌(安芸国壬生庄(広島県)の地頭職について、山形五郎為忠と小代八郎との訴訟しており、守護の宗左衛門尉孝親の提出した文書に基づいて、今日将軍の前で採決をしました。遠江守北条時政殿と大江広元が御前に参りました。それは、将軍が直接政治向きについて内容を聞き決済をし始めだからです。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね >「ボウリング ピンの値段は二千円 十本セットで二三万円」(山葵) <モノの値段 (株)彩国社H27/12/24発行>【吾妻鏡】(12月12日) 加藤塾@塾長のブログよりhttp://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十八巻 元久元年(1204)七月大二十四日甲申(左衛門督頼家入道様の家来が片田舎に隠れて反乱を起こそうとしている。それがばれたので、相州義時は、金窪太郎行親等の部下を派遣して、あっという間にこれを殺させてしまいました。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね >「水曜にかぶせた所の歯が取れて 電話で頼む一番予約」(山葵)<>【吾妻鏡】(12月11日) 加藤塾@塾長のブログよりhttp://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十八巻 元久元年(1204)七月大二十三日癸酉(将軍実朝様の病気が治ったので、穢れを落とすため沐浴をしました。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね >「北方へ乾麺の蕎麦送る日は 日中よりも冷える風吹く」(山葵) <>
2015年12月10日
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【吾妻鏡】(12月10日) 加藤塾@塾長のブログよりhttp://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十八巻 元久元年(1204)七月大十九日己卯(酉の刻(午後六時頃)、伊豆国から伝令が着きました。昨日〔十八日〕左衛門督頼家入道様〔年二十三〕が、伊豆の修禅寺でお亡くなりになりましたと報告しましたとさ。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね>「年明けの新年会を浜松で うのいちの店今から予約」(山葵) <うのいち 浜松市中区中島2-1-9>【吾妻鏡】(12月9日) 加藤塾@塾長のブログよりhttp://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十八巻 元久元年(1204)七月大十五日乙亥(将軍実朝様の病気は、まだ治る気配がりません。そこで鶴岡八幡宮で大般若経をきちんと読み上げる法要を始めました。八幡宮の坊さん達が行いました。駿河守中原季時が、代参として八幡宮寺へお参りしました。三日の内に成就するように命令を出しましたとさ。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね >「師走とはいい得て妙なり人は走る 羊急いで猿のところへ」(山葵) <>【吾妻鏡】(12月8日) 加藤塾@塾長のブログよりhttp://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/愛十八巻 元久元年(1204)七月大十四日甲戌(未の刻(午後二時頃)将軍実朝様が、急に具合が悪くなって下痢をしました。皆心配して集まってきましたとさ。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね >「マーガリン使っていないこのパンは トランス脂肪酸がゼロとは」(山葵)<べっぴん食品 まるも(株)TEL 082-876-2227>【吾妻鏡】(12月7日) 加藤塾@塾長のブログよりhttp://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十八巻 元久元年(1204)六月小二十日辛亥(臨時のお祭りなので、将軍実朝様〔右少将に先の三月一日に任命されました〕は、鶴岡八幡宮へお参りです。馬を二頭奉納しました。流鏑馬や読経は何時もの通りです。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね >「外郎は日持ちしないがたまに買う 薩摩芋いりほのかな甘さ」(山葵) <中原屋 TEL 0532-41-0041>
2015年12月05日
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【吾妻鏡】(12月6日) 加藤塾@塾長のブログよりhttp://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十八巻 元久元年(1204)六月小八日己亥(伊勢平氏をやっつけた褒美について、追加して決定があり、前回褒美に漏れていた連中の加藤太光員以下が喜びました。亡くなった平氏の領地は散在する彼らの名のついた田んぼだそうです。北條時政殿が命令しましたとさ。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね>「冷えた朝歩く姿もやや凍り 直線形の足の歩みに」(山葵) <>【吾妻鏡】(12月5日) 加藤塾@塾長のブログよりhttp://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十八巻 元久元年(1204)六月小一日壬辰(将軍実朝様の祈願として、今日中に愛染明王の像を三十三体造らせました。すぐに開眼供養の式を行いました。指導僧は荘厳坊退耕行勇だそうです。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね >「寒くって風のある日はちぢこまる 気持ちを溶かすあかりひとつが」(山葵) <>【吾妻鏡】(12月4日) 加藤塾@塾長のブログよりhttp://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十八巻 元久元年(1204)五月小十九日辛巳(故右大将家頼朝様の花押(サイン)で発出した文書について、先日の将軍実朝様の質問に対し、持っている多くの連中は、これをご覧に提出しました。その内、小山左衛門尉朝政・結城七郎朝光・千葉介成胤は、それぞれ数十枚を提出しました。その他の人達は、一通から二・三通でした。これを皆写し取っておかれました。その時の裁決の政治方針を知るためなのです。大江広元が勧めましたとさ。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね >「傷むからエアコン温度を十七度 二十度シーでは林檎が持たん」(山葵)<>【吾妻鏡】(12月3日) 加藤塾@塾長のブログよりhttp://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十八巻 元久元年(1204)五月小十六日戊寅(尼御台所政子様は、金剛寿福寺で法事を行いました。祖父母の追善供養だそうです。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね >「食事時御免くださいお客あり 少し待ってとかき込みご飯」(山葵) <>
2015年12月01日
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【吾妻鏡】(12月2日) 加藤塾@塾長のブログよりhttp://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十八巻 元久元年(1204)五月小十日壬申(伊勢平氏をやっつけた褒美について、その裁決がありました。大江広元と問注所入道三善善信がこれを指示担当しました。平賀武蔵守朝雅は、伊勢国の守護職に任命されました。また、伊勢平氏たちが管理していた領地や水田を与えられました。伊勢と伊賀の二つの国の守護は、山内経俊が元の職でしたが、平氏が攻めてきた時に、一時の軍勢力を恐れて逃げ出したので、替えられたのです。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね>「休み明け喫茶ハッピーゆとりあり 自分の席が広く使えて」(山葵) <> 【吾妻鏡】(12月1日) 加藤塾@塾長のブログよりhttp://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十八巻 元久元年(1204)五月小八日庚午(朝廷を通して国司たちから訴えがあったので、審議裁決をする課題があります。それは、山や海での狩猟者は国衙へ税金を納める事、製塩事業者は三分の一だけを地頭への納付分とし、その他の滞納を止める事、節の行事に用いる飲食物の焼き米の税金は、国司の取り分である事、以上の三つについては、一つは国司の交付文書に従う事、一つは先例に合わせ、処理をするように地頭に命令を出しました。三浦左衛門尉義村と右京進中原仲業が担当だそうです。また、伊勢国の伊部郡の郡長印部文章生行綱は、夜中に伊勢の代官所へ押し入った者として疑いがあるので囚人として預けられていましたが、その夜討は平氏の若菜五郎などの行為だと分かり、仲間から自白状に出たので、行綱は罪がありませんので、その裁決があって今日、許されました。その上、本来の領地を従来通り管理するように、遠江守北条時政殿が命令を出しましたとさ。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね >「伊勢海老の残酷焼きが食べたいと 八十八の母がぽつりと」(山葵) <>【吾妻鏡】(11月30日) 加藤塾@塾長のブログよりhttp://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十八巻 元久元年(1204)五月小六日戊辰(平賀武蔵守朝雅の伝令が続いてやってきました。先月二十九日に伊勢の国へ着きました。平氏の雅楽助三郎盛時と子や甥たちは伊勢六ケ山に砦を造り、数日は戦っていましたが、平賀朝雅が盛んに攻め立てたので、彼らは防戦に耐えられず負けました。今度の反逆の一番の張本人若菜五郎は、砦をあちこちに築いております。それは、伊勢国の日永(四日市市)若松(鈴鹿市)南村(四日市市)高角(四日市市)関(亀山市)小野(亀山市)などです。しかし、仕舞には関か小野で命を取られましたとさ。この何度かの戦いのいきさつや軍兵の手柄などを詳しく書いてよこしました。山内首藤刑部丞三郎經俊と瀧口六郎達は、最初は平氏のすさまじい兵力を恐れて逃げ出してしまいましたが、後になって平賀朝雅に出会ったので、一緒に戦ったと、同じようにこのことも書いてよこしましたとさ。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね >「オンボロの車だけれど三菱のランサー走るうすぐらい朝 」(山葵)<>【吾妻鏡】(11月29日) 加藤塾@塾長のブログよりhttp://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十八巻 元久元年(1204)五月小五日丁卯(曇りです。鶴岡八幡宮の端午の節句の臨時の祭は何時もの通りです。将軍実朝様のお参りは無です。大江広元が幣を奉納する代参だそうな。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね >「井原にて最中求肥の菓子六個 金光堂の市電通りも」(山葵) <金光堂 村松宏和TEL 0532-61-6001豊橋市平川町5>
2015年11月25日
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【吾妻鏡】(11月28日) 加藤塾@塾長のブログよりhttp://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十八巻 元久元年(1204)四月小十日癸卯(晴れです。平賀武蔵守朝雅の伝令が到着して申しあげました。「先月の二十三日に京都を出ました。しかし、伊勢平氏が鈴鹿峠の関所を塞いだので、険しい山道をたどれば、たとえ戦いをしなくて済むと云っても、とてものこと人も馬も通れるものではありませんので、美濃国を回って二十七日に伊勢国へ入りました。作戦を練って今月の十日から十二日まで戦いをしました。まず進士三郎基度の朝明郡冨田の屋敷に攻めかかり、しばらく戦い基度と弟の松本三郎盛光・四郎某・同九郎を殺しました。次に安濃郡へ攻めて、岡八郎貞重とその子供や同族を攻撃しました。それから多気郡に行って、庄田三郎佐房とその子供の師房と戦いました。彼らもついに負けてしまい、河田刑部大夫を生け捕りました。これで浪々の連中が両国を占領しましたけれど、たった三日にすぎませんでした。その残党の連中は伊賀の国におりますが、なおも攻め取ろうと思います。」とのことでした。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね>「メタボかも チェック項目三つあり 血糖 脂質に血圧はかれ」(山葵) <>【吾妻鏡】(11月27日) 加藤塾@塾長のブログよりhttp://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十八巻 元久元年(1204)四月小二十日癸丑(御家人の中に、頼朝様自らサインをした命令書を持っている連中が、結構います。提出して見せてほしいと仰せになりました。それらを写して置いておきたいからです。図書允清定が担当して取り集めましたとさ。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね >「キスがありニギスがあった魚市場 値段で格を決める人間」(山葵) <>【吾妻鏡】(11月26日) 加藤塾@塾長のブログよりhttp://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十八巻 元久元年(1204)三月大二十九日壬辰(駿河以下三カ国の検地について、先日決めたばかりですが、尚もその検討をして延期にしました。それは、去年から新将軍の政治はじめなので、民衆をいたわり大事にすべきなので、出来るだけ年貢や勤労奉仕の人数を減らしてきました。それなのに今年検地をしてしまうと、農民の気の休まる暇がないでしょう。そこで良い政治を行うために、しばらく延期することにしましたとさ。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね >「ブレザーの左の袖がほころびた 修理不能を告げるテイラー」(山葵)<>
2015年11月22日
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【吾妻鏡】(11月21日) 加藤塾@塾長のブログよりhttp://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十八巻 元久元年(1204)四月小十日癸卯(晴れです。笠置寺の解脱上人の使いが先日到着しました。この笠置寺に弥勒磨崖仏を礼拝するための礼堂を再興するために、将軍実朝様の寄付をしたいと云ったからです。それで今日、砂金を始めとする宝物を使いに与えました。ただし、寄付目録は無しだとさ。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね>「モヤシ入り味噌汁一杯飲んだ後 シナノスイート 次郎柿食べ」(山葵) <>【吾妻鏡】(11月25日) 加藤塾@塾長のブログよりhttp://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十八巻 元久元年(1204)四月小一日甲午(駿河・武蔵・越後の国等については、尚も検地をきちんとするべきなので、文章生三善宣衡・右京進中原仲業・明定(坂上?)を現地へ派遣させるように、取り決めました。大江広元・図書允清定が担当です。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね >「豆腐屋のわけあり品のその理由 日付印字が消えてるだけで」(山葵) <>【吾妻鏡】(11月24日) 加藤塾@塾長のブログよりhttp://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十八巻 元久元年(1204)三月大二十九日壬辰(今日、尼御台所政子様の生きてるうちに死後の冥福を祈る仏事の満願の日です。指導僧は寿福寺の主葉上坊律師栄西です。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね >「八時まで雨が降ってたコートにて 楽しむ前に排水作業」(山葵)<>【吾妻鏡】(11月23日) 加藤塾@塾長のブログよりhttp://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十八巻 元久元年(1204)三月大二十七日庚寅(将軍実朝様は、勝長寿院へお参りです。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね >「コーヒーとサンふじ林檎ミカン柿 丸が並んだおやつテーブル」(山葵) <>
2015年11月20日
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【吾妻鏡】(11月21日) 加藤塾@塾長のブログよりhttp://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十八巻 元久元年(1204)三月大二十二日乙酉(九州の年貢について、掃部頭入道寂忍中原親能が数値を監督するように、云い伝えましたとさ。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね>「日本酒で男山とはどんな酒 小さいコップでちびちび飲んで」(山葵) <>【吾妻鏡】(11月20日) 加藤塾@塾長のブログよりhttp://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十八巻 元久元年(1204)三月大十五日戊寅(幕府の御所で、天台宗の禅定についての講義を始めました。尼御台所政子様がお聞きになります。将軍実朝様もご出席になりましたとさ。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね >「ハッピーの喫茶に見かけぬ顔があり 昔の人の顔見世と知り」(山葵) <>【吾妻鏡】(11月19日) 加藤塾@塾長のブログよりhttp://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十八巻 元久元年(1204)三月大十日癸酉(今日、尼御台所政子様の生きてるうちに死後の冥福を祈る仏事の満願の日です。指導僧は寿福寺の主葉上坊律師栄西です。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね >「大福と馬鹿にしてたがあら甘い 八町もちや変わらぬおやつ」(山葵)<>【吾妻鏡】(11月18日) 加藤塾@塾長のブログよりhttp://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十八巻 元久元年(1204)三月大九日壬申(晴れです。京都の平賀武蔵守朝雅の伝令が着いて、報告するのには、「先だっての事ですが、雅楽助平惟基の子孫達が伊賀の国で蜂起しました。中宮長の同じ平度光のせがれたちも伊勢の国で蜂起しました。それぞれ、鎌倉への反逆だそうです。この二つの国の守護人をしている山内首藤刑部丞三郎経俊が、事情を聴こうとしたら、有無を言わせず戦い仕掛けてきました。山内経俊は、軍勢が少ないので逃げ出してしまったので、叛逆の連中は東海道の鈴鹿の関と、伊賀越えの八峰山を封鎖してしまったので、京都へ行けなくなってしまいました。」だとさ。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね >「サンふじがやっと来ました果物や 手頃な物を七個手に入れ」(山葵) <中村青果(株)TEL 0532-52-2281>
2015年11月17日
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【吾妻鏡】(11月17日) 加藤塾@塾長のブログよりhttp://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十八巻 元久元年(1204)三月大三日丙寅(晴れました。鶴岡八幡宮の上巳の節句の神事と法要は何時もの通りです。駿河守中原季時が、幣を捧げる代参です。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね>「日本の歌を周子が聞かせてる 浜辺の歌と故郷を」(山葵) <多田周子「風のなかのクロニカル」>【吾妻鏡】(11月16日) 加藤塾@塾長のブログよりhttp://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十八巻 元久元年(1204)三月大一日甲子(晴れです。先月の二十日に建仁四年を元久元年に改元しました。又、同じ二十五日に後鳥羽上皇は天王寺へ行幸されました。これは金堂修理の開眼供養に出席だそうな。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね >「タクシーを頼むと店員は 自分で呼びなと電話機を指し」(山葵) <どんぶり会館>【吾妻鏡】(11月15日) 加藤塾@塾長のブログよりhttp://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十八巻 元久元年(1204)二月小二十八日壬戌(今日、尼御台所政子様の生きてるうちに死後の冥福を祈る仏事の満願の日です。指導僧は寿福寺の主葉上坊律師栄西です。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね >「雨が降る中を大正ロマンスが 明智鉄道きのこ列車が」(山葵)<明智鉄道(株)きのこ列車TEL 0573-54-4101>【吾妻鏡】(11月14日) 加藤塾@塾長のブログよりhttp://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十八巻 元久元年(1204)二月小二十五日己未(将軍実朝様は、江間四郎北条義時様の屋敷へお出かけです。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね >「明太子スパのサラダが艶かし 買ってしまった土曜の朝に」(山葵) <>
2015年11月14日
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【吾妻鏡】(11月13日) 加藤塾@塾長のブログよりhttp://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十八巻 元久元年(1204)二月小二十二日丙辰(備後国御調本北条(広島県尾道市)の地頭の四方田左近将監の支配を止めさせ、国衙の領地として任せるように、遠江守北条時政殿が命じました。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね>「意外にも旨いコーヒー缶にあり 冷たくしてもバリュタズスタイル」(山葵) <バリュタズスタイルコーヒー UCC>>【吾妻鏡】(11月12日) 加藤塾@塾長のブログよりhttp://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十八巻 元久元年(1204)二月小二十一日乙卯(尼御台所政子様は、生きてるうちに死後の冥福を祈る仏事を始めました。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね >「茶碗蒸しいつの時代も引き継がれ おふくろ味は秋に健在」(山葵) <>【吾妻鏡】(11月11日) 加藤塾@塾長のブログよりhttp://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十八巻 元久元年(1204)二月小二十日甲寅(あちこちの荘園の年貢については、一か所たりとも頼朝様の時代の通りに処理するように、遠江守北条時政殿が命令を出しましたとさ。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね >「混んでいる喫茶の前の道を過ぎ まっすぐ行って左に曲がる」(山葵)<>【吾妻鏡】(11月10日) 加藤塾@塾長のブログよりhttp://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十八巻 建仁四年(1204)二月小十三日丁未(頼朝様の法華堂で月命日の法事です。指導僧は摩尼坊阿闍梨だそうです。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね >「買ってきた田作り去年のものと言う 新物いつかわからぬ時に」(山葵) <>
2015年11月09日
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【吾妻鏡】(11月9日) 加藤塾@塾長のブログよりhttp://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十八巻 建仁四年(1204)二月小十二日丙午(将軍実朝様は、由比ガ浜へお出になりました。お供には江間四郎北条義時様を始めとして水干を着ております。人によって狩猟用の矢や、戦闘用の矢を持っています。北条五郎時房・和田平太胤長・多々良四郎・榛谷四郎重朝・海野小太郎幸氏・望月三郎重隆・諏方大夫盛澄・藤沢二郎清親・愛甲三郎季隆などの弓の名人が、それぞれ小笠懸や遠笠懸などの的を射ました。臨時の観覧席桟敷でご覧になりました。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね>「新しい豆腐だけれど形くづれ それでもうまいところを買った」(山葵) <株)寺部食品>【吾妻鏡】(11月8日) 加藤塾@塾長のブログよりhttp://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十八巻 建仁四年(1204)二月小十日甲辰(伊勢国の員部郡の郡長文章生行綱は、犯罪者「預かりめしうど」として預けられました。侍所軍事長官の和田義盛の訴えによります。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね >「つけたよ吟のお酒と空の酒 一升瓶でドンと立ってる」(山葵) <>【吾妻鏡】(11月7日) 加藤塾@塾長のブログよりhttp://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十八巻 建仁四年(1204)二月小九日癸卯(晴れです。鶴岡八幡宮へのお神楽の奉納は何時もの通りです。大江広元さんが幣を奉納する代参です。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね >「コートには海側からの風強し トスが流れる左へ右へ」(山葵)<>【吾妻鏡】(11月6日) 加藤塾@塾長のブログよりhttp://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十八巻 建仁四年(1204)正月大二十二日丙戌(細かい雨が降り注いでいます。夕方になって江間義時様が伊豆・箱根参りから帰られました。伊豆山走水神社から直接来られたそうです。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね >「コートには海側からの風強し トスが流れる左へ右へ」(山葵) <>【吾妻鏡】(11月5日) 加藤塾@塾長のブログよりhttp://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十八巻 建仁四年(1204)正月大十八日壬午(空は晴れ渡っています。辰の刻(午前八時頃)鶴岡八幡宮長官の阿闍梨尊暁が、将軍実朝様の健康などを祈祷するために箱根・伊豆の両権現へ出発です。江間四郎北条義時様が、御幣を捧げる代参として、同様に参ります。まず御所へ来て、公邸の南庭にかしずきました。〔お供は皆門の外で待っています〕将軍実朝様は南側の階段から下りて、庭で伊豆・箱根・三島神社へ向かって二十一度拝みました。〔それぞれ七回です〕それから義時様はそこからお立ちになり、鶴岡八幡宮へお参りをしてから出発されました。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね >「ブータンの民族衣装『ゴ』というが 西岡京治のの恩を忘れず」(山葵) <アジア45か国の国民性PHP文庫>
2015年11月05日
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【吾妻鏡】(11月4日) 加藤塾@塾長のブログよりhttp://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十八巻 建仁四年(1204)正月大十四日戊寅(晴れました。将軍実朝様は、箱根・伊豆両権現へ詣でるための精進潔斎を始めました。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね>「鮭と梅おにぎり食べる昼食に ローストチキンをひと工夫する」(山葵) <>【吾妻鏡】(11月3日) 加藤塾@塾長のブログよりhttp://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十八巻 建仁四年(1204)正月大十二日丙子(晴れです。将軍実朝様の新年のお勉強始めです。〔孝経(教養書)を読む〕源相模権守仲章が、一緒に読む先生です。この儒教の教師は、特に何か文章を発表したわけでもないので、才能があると有名ではありませんが、好きで図書類を集めて、詳しく文章博士百家九流の多方面に通じているそうです。読み合わせを終わって、砂金五十両と刀を一振りお与えになりました。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね >「かしわ餅おはぎ栗蒸し麩まんじゅう おやつの館八町もち」(山葵) <八町もちや TEL0532-55-8822>【吾妻鏡】(11月2日) 加藤塾@塾長のブログよりhttp://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十八巻 建仁四年(1204)正月大十日甲戌(晴れです。寒風が吹いています。午の刻(昼頃)になってようやく止みました。そこで新年最初の弓を射る「弓始め式」です。将軍実朝様も見学のため御簾を上げました。射手は六人で、それぞれ二度づつ五回射終えて、西の廊下で褒美をもらいました。乗馬用行縢(ローハイド)・乗馬沓・弓・戦闘用の矢などです。射ての順は、一番が和田平太胤長対榛谷四郎重朝。二番が諏方大夫盛澄対海野小太郎幸氏。三番が望月三郎重隆対吾妻四郎助光)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね >「ハムポテト野菜サラダに卯の花と 食指も動く心もおどる」(山葵)<>
2015年11月02日
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【吾妻鏡】(11月1日) 加藤塾@塾長のブログよりhttp://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十八巻 建仁四年(1204)正月大八日壬申(曇りです。御所で般若心経を唱える法会です。指導僧は真智坊法橋で、お供の坊さんは六人。将軍実朝様は公務用の南の建物にお出になりました。お布施には馬を上げました。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね>「寒い日に豆腐三丁買ってきて ややマイルドなマーボ豆腐を」(山葵) <>【吾妻鏡】(10月31日) 加藤塾@塾長のブログよりhttp://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十八巻 建仁四年(1204)正月大五日己巳(空は晴れあがって風も静かです。将軍実朝様〔去年の十月二十四日右兵衛佐に任命されました〕今年初めの鶴岡八幡宮へのお参りです。前後に従っている御家人は大勢で人垣になりました。結城七郎朝光が太刀持ちです。神宮寺で法華経を上げました。指導僧は安楽坊でお供の坊さんは六人です。その後、お布施を与えました。一人当たり絹を三匹〔六反分〕で、筑後八田太郎知重が負担しました。)江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね >「かおりさん今でもライン繋がって いると信じてスマホの画面」(山葵) <>【吾妻鏡】(10月30日) 加藤塾@塾長のブログよりhttp://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十八巻 建仁三年(1203)十二月大二十五日己未(夜中に伊勢の代官所へ押し入った者がおり、その張本人は印部文章生行綱でしたと、侍所長官の和田義盛が報告しました。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね >「一杯の珈琲だけどその中に溶けていたっけ苦い記憶が」(山葵)<>【吾妻鏡】(10月29日) 加藤塾@塾長のブログよりhttp://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十八巻 建仁三年(1203)十二月大二十二日丙辰(御所内での将軍の身の回りの雑務については、北条五郎時房が取り仕切るように命じられましたとさ。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね >「読むだけで健康になる本がある 気休めだけど一読の価値」(山葵) <読むだけで健康でいられる家庭の臣医学 東茂由著 河出書房新社 2015/11/1発行>
2015年10月27日
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【吾妻鏡】(10月28日) 加藤塾@塾長のブログよりhttp://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十八巻 建仁三年(1203)十二月大十八日壬子(人々からの訴訟の是非については、文書を提出されてから、三日もたって何も進めて居なければ、担当奉行は怠けていると処罰にするように、その規則を決めましたとさ。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね>「一本のバナナで幸福よべるなら 東京バナナはしあわせ女神」(山葵) <>【吾妻鏡】(10月27日) 加藤塾@塾長のブログよりhttp://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十八巻 建仁三年(1203)十二月大十五日己酉(尼御台所政子様の責任で、諸国の地頭の狩猟権を止め殺生禁断をさせました。清原図書允清定が担当しました。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね >「柏餅鬼まんぼた餅並び餅 一つだけよと言われたけれど」(山葵) <>【吾妻鏡】(10月26日) 加藤塾@塾長のブログよりhttp://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十八巻 建仁三年(1203)十二月大十四日戊申(将軍実朝様は、永福寺などのお堂にお参りです。仏様に合掌礼拝の儀式を執り行いました。お出かけは輿です。北条五郎時房・源右近将監親廣・前大和守山田重弘・結城七郎朝光・長沼五郎宗政・安達右衛門尉景盛・三浦平六兵衛尉義村・足立左衛門尉遠元・千葉平次境兵衛尉常秀・佐々木左衛門尉定綱・和田兵衛尉常盛達がお供をしました。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね >「蛍光のペンでラインをしろ紙に 目立ち目立たせたいの心根」(山葵)<>【吾妻鏡】(10月25日) 加藤塾@塾長のブログよりhttp://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十八巻 建仁三年(1203)十二月大十三日丁未(武蔵国衙での調布を染める工房染殿の筆頭職は、故頼朝様のご配慮どおりに、女官上野局をその職に就けておくとんだそうな。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね >「甘栗と珈琲飲んで雑誌見る 柄本佑(たすく)とあさが来た評」(山葵) <>
2015年10月22日
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【吾妻鏡】(10月24日) 加藤塾@塾長のブログよりhttp://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十八巻 建仁三年(1203)十二月大三日丁酉(晴れです。尼御台所政子様の責任で、鶴岡八幡宮筆頭の阿闍梨尊暁に命じて、鶴岡八幡宮内の塔の建設を中止しました。この塔は建立してすぐに火災にあい、八幡宮を始めとして数町も焼けてしまいました。その後、復興しようと地に設計を曳いたら幾日もしないで左衛門督頼家様が病気になりました。これは不吉な事ばかり続くので、中止とお決めになりましたとさ。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね>「空の酒東田(ひがしだ)さんが手に入れて 日曜二本の瓶詰めもって」(山葵) <>【吾妻鏡】(10月23日) 加藤塾@塾長のブログよりhttp://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十八巻 建仁三年(1203)十二月大一日乙未(晴れです。将軍実朝様の願として、鶴岡八幡宮の上下の宮で法華八講を行いました。講義をするのは安楽坊です。右京進仲業が実施責任者として宮前に居りました。尼御台所政子様は、非公式に回廊へお参りしました。〔輿を使いました〕)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね >「土曜日は喫茶の客もやや元気 豊橋祭りお天気どうか」(山葵) <>【吾妻鏡】(10月22日) 加藤塾@塾長のブログよりhttp://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十八巻 建仁三年(1203)十一月大二十三日丙戌(将軍実朝様は、馬場で、小笠懸を射ました。小山左衛門尉朝政と和田左衛門尉義盛が指導手助けをして差し上げました。それぞれ褒美に馬を与えられました。北条時政殿の指図提供です。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね >「のぶこさん来ていただいてありがとう 茶菓子松江の若草みどり」(山葵)<>【吾妻鏡】(10月21日) 加藤塾@塾長のブログよりhttp://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十八巻 建仁三年(1203)十一月大十九日壬午(朝廷から管理任命を任せられている関東御分国と相模・伊豆の国の百姓に命令して、今年の年貢の納付人数を減らしました。これは新将軍任命の治世始めとして、民百姓の勤労を楽にしてあげる良い政治なのだそうです。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね >「おにぎりの具を選ぶなら明太子 鮭と昆布も侮れないぞ」(山葵) <>
2015年10月19日
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【吾妻鏡】(10月20日) 加藤塾@塾長のブログよりhttp://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十八巻 建仁三年(1203)十一月大十五日己卯(鎌倉中の寺社の管理指導者について、もう一度お決めになりました。右京進仲業・図書允清定にこれを記録させました。 鶴岡八幡宮は、江間四郎義時・和田左衛門尉義盛・図書允清原清定 勝長寿院は、大江広元・小山左衛門尉朝政・宗掃部允孝尚永福寺は、畠山次郎重忠・三浦平六兵衛尉義村・三善康清阿弥陀堂は、北条五郎時房・大和守山田重弘・足立左衛門尉遠元 薬師堂は、源右近将監親広・千葉境兵衛尉常秀・民部大夫二階堂行政 右大将家法華堂は、安達右衛門尉景盛・結城七郎朝光・中条右衛門尉家長)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね>「里芋がおいしい季節となった今 味噌田楽かいも名月か」(山葵) <>【吾妻鏡】(10月19日) 加藤塾@塾長のブログよりhttp://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十八巻 建仁三年(1203)十一月大十日甲戌(三浦平六兵衛尉義村が伊豆から戻りました。左衛門督頼家様の蟄居の様子を詳しく報告しました。尼御台所政子様は、悲観にくれましたとさ。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね >「誕生日祝いは紅白饅頭で フライドチキンは要らないからね」(山葵) <>【吾妻鏡】(10月18日) 加藤塾@塾長のブログよりhttp://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十八巻 建仁三年(1203)十一月大九日癸酉(将軍実朝は、大江広元の屋敷へ行きました。尼御台所政子様もご一緒です。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね >「糖質を減らして体重減ねらう しまった焼き鳥ウズラの卵」(山葵)<>【吾妻鏡】(10月17日) 加藤塾@塾長のブログよりhttp://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十八巻 建仁三年(1203)十一月大七日辛未(出家した左衛門督頼家様のそば近く仕えていた中野五郎能成他を、流罪にしようと決定しましたとさ。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね >「祭礼で横断禁止の道路あり 無理に渡って怒鳴り声聞く」(山葵)
2015年10月16日
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【吾妻鏡】(10月16日) 加藤塾@塾長のブログよりhttp://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十八巻 建仁三年(1203)十一月大六日庚午(左衛門督頼家様が伊豆から手紙を尼御台所政子様と将軍実朝様へよこしました。それは、深い山に閉じ込められて閑でしょうがないから、以前のそば仕えをよこすように許可して欲しい。又、安達右衛門尉景盛を私に引き渡し処分をさせてほしい。と書かれています。それらについて検討した所、ひとつひとついけないと決定しました。その上、今後は手紙をよこすことも禁止すると、三浦平六兵衛尉義村が使いとして伝えることにしましたとさ。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね>「鰯だま南蛮漬けを作ろうと 小さいいわし三十匹を」(山葵) <>【吾妻鏡】(10月15日) 加藤塾@塾長のブログよりhttp://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十八巻 建仁三年(1203)十一月大三日丁卯(晴れです。新将軍になられて、初めて馬を石清水八幡宮へ奉納されます。和田兵衛尉常盛〔狩衣〕が代参です。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね >「イタリアンスパを見るたび懐かしい カルボナーラは他人の顔で」(山葵) <>【吾妻鏡】(10月14日) 加藤塾@塾長のブログよりhttp://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十八巻 建仁三年(1203)十月小二十七日壬戌(武蔵国の多くの武家達は、遠江守北条時政殿に対して背くことの無いように、(将軍から)特に命令を出されました。和田左衛門尉義盛が担当しましたとさ。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね >「早生ふじの林檎のつやは自然体 傷はあるけど中身はたしか」(山葵)<>【吾妻鏡】(10月13日) 加藤塾@塾長のブログよりhttp://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十八巻 建仁三年(1203)十月小二十六日辛酉(京都からの伝令が到着して、報告しました。 「先日の十日に、比叡山の下働きの僧兵達が八王子山に群れ立てこもっているので、十五日に朝廷から軍隊を派遣し、攻めさせたので、下働きの僧兵達は引き退いたそうです。この戦いで、葛西四郎重元・豊島太郎朝経・佐々木太郎重綱を始めとする軍隊三百人が僧兵達に殺されてしまいました。伊佐太郎為宗・熊谷三郎直勝等が先頭に立って突撃しました。十九日には全国に命じて、僧兵達を捕まえるように朝廷から命令が出たそうです。このいきさつの中に、悲しむべきニュースがあります。佐々木二郎仲務丞經高と佐々木三郎兵衛尉盛綱兄弟は、朝廷からの命令を受けて、比叡山へ出発しようとした時に、四男の佐々木四郎左衛門尉高綱入道〔出家して黒い袈裟に桧の行者笠です〕が高野山から降りてきて兄さんたちに会いました。そして、高綱入道の息子の左衛門太郎重綱は、伯父の経高に従って出発するところでした。高綱入道が「わが子の戦仕度をみようぞ。」と云うと重綱は鎧兜を着て父の前に来ました。父はしばらく彼を見ていましたが、特に何とは無く、又言葉も出しませんでした。重綱は休憩所へ行きました。そしたら、経高・盛綱兄弟は、重綱の立派さに感じて「今度の戦いで、腕前を見せて名をあげ、さぞかしお褒めの褒美を貰うことに間違いないでしょう。」だとさ。高綱入道はそれを聞いて云いました。「勇敢なる兵士は、身に着ける武具をまず考えるべきである。鎧兜は軽くて薄い物、弓矢は短めで良いのだ。昔からそういわれている。ましてや比叡山の山上や坂本のあたりでは、馬ではなく徒歩での戦いには、その方法を守るべきでしょう。ところが、重綱の鎧兜はとても重い物だし、弓矢は大きなものを持っているが、持ち主に不相応なので、これは死を逃れることはできないでしょう。」とのことです。結果、この言い分どおりでした。そればかりか、ついでに戦いの学識を披露しました。盛綱はこれを聞いて、この言葉を頭に浮かべ戦ったところ、ひとつとして間違いはなかったそうです。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね >「下條屋で空のお酒を尋ねたが 霜月までは入手困難」(山葵) <下條屋で空のお酒を尋ねたが 霜月までは入手困難>
2015年10月11日
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【吾妻鏡】(10月12日) 加藤塾@塾長のブログよりhttp://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十八巻 建仁三年(1203)十月小二十五日庚申(将軍実朝様は、荘厳坊退耕行勇を招いて、法華経を教わりました。将軍のおそば近く仕える男女も一緒に聞きましたとさ。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね>「朝三時目覚めの時の静かさは コオロギ橋の音も聞こえず」(山葵) <>【吾妻鏡】(10月11日) 加藤塾@塾長のブログよりhttp://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十八巻 建仁三年(1203)十月小十九日甲寅(佐々木左衛門尉定綱・中条右衛門尉家長が、公式の使者として京都へ上りました。これは、新将軍の治世の始めだからです。関西の御家人達は、忠節を守り、謀反の心を持たないように命じました。又、誓詞の文書を差し出させるように、平賀武蔵守朝雅と掃部頭入道寂忍中原親能等へ命令を伝えました。定綱と家長の二人は先日の九日に出発式をしたのだそうです。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね >「白菜と豚肉キノコ豆腐買う 予定は豆乳なべと母言う」(山葵) <>【吾妻鏡】(10月10日) 加藤塾@塾長のブログよりhttp://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十八巻 建仁三年(1203)十月小十四日己酉(鶴岡八幡宮と箱根伊豆の二所權現・三島神社・日光山・鷲宮神社・野木宮神社を始めとするあちこちの神社に馬を奉納しました。これは、世の中が無事なように拝む為の奉納品です。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね >「家に着き玄関入るとすぐ電話 店の前まですぐ来てほしい」(山葵)<>
2015年10月08日
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【吾妻鏡】(10月9日) 加藤塾@塾長のブログよりhttp://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十八巻 建仁三年(1203)十月小十三日戊申(頼朝様の墳墓の法華堂で追善供養の法事を行いました。指導僧は真智房法橋。将軍実朝さまもお堂へお参りです。源大夫右近将監親広が布施を与える担当です。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね>「小カップ大関飲んで酔いません 話言葉が滑らかな宵」(山葵) <>【吾妻鏡】(10月8日) 加藤塾@塾長のブログよりhttp://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十八巻 建仁三年(1203)十月小十日乙巳(昨日の弓始めの射手十人を、北側の御殿の竹の内庭に呼び出されて、褒美を与えました。ある人には飾りのない刀。ある人には簡易な鎧の腹巻一両。東平太重胤・和田兵衛尉常盛・足立八郎がこれを手渡しました。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね >「ももちゃんは人見知りせずニコニコと 赤子からくる柔らかな風」(山葵) <>【吾妻鏡】(10月7日) 加藤塾@塾長のブログよりhttp://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十八巻 建仁三年(1203)十月小九日甲辰( 快晴です。今日は、新将軍の政務始め式です。午の刻(昼十二時)に、指導職の遠江守北条時政殿・大江広元以下の家政機関の事務官〔それぞれ平服です〕達が、政務事務所の席に着きました。二階堂民部丞行光が、始め式用の縁起文書を書きました。図書允清定が受け取って、遠江守北条時政殿が将軍の前へ持って行きました。事務所へは出られず、御簾の中でもっぱら見ました。遠江守北条時政殿が元の席へ戻った後で、御馳走と乾杯の儀式をしました。それから初めて鎧兜を着ました。又、馬にも乗りました。北條時政殿が手助けをしました。小山左衛門尉朝政・足立左衛門尉遠元が、鎧兜や背中にかつぐ大きな袋のホロをつける儀式や、やり方を全てお教えになりましたとさ。夜になって、将軍になって初めての弓を射る儀式がありました。北条五郎時房が担当して、図書允清定が矢の記録係です。和田左衛門尉義盛が的を献上しましたとさ。射手は、一番が和田左衛門尉義盛 対 海野小太郎幸氏。 二番が榛谷四郎重朝 対 望月三郎重隆。 三番が愛甲三郎季隆 対 市河五郎行重。 四番が工藤小二郎行光 対 藤沢二郎清親。 五番が小山七郎朝光 対 和田平太胤長。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね >「朝食に鮭がよいとの伝説で 右に習えと切り身を買いに」(山葵)<>【吾妻鏡】(10月6日) 加藤塾@塾長のブログよりhttp://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十七巻 建仁三年(1203)九月大十五日庚辰(空は晴れ風も静かです。今日、将軍〔十二歳〕の元服式です。戌の刻(午後八時頃)、遠江守北条時政殿の名越の屋敷でその儀式を行いました。大江広元・小山左衛門尉朝政・安達九郎左衛門尉景盛・和田左衛門尉義盛・中條右衛門尉家長を始めとする御家人達が百人以上も侍所の席に着きました。江間四郎義時殿と源右近将監親廣が、道具類を持ってきました。予定時刻に将軍が出てきました。髪切役をしたのは遠江守北条時政殿。冠をかぶせる役は大内前武蔵守義信でした。次に休憩所に行ったうえで、御膳に手を付けました。義時と源親廣が給仕をしました。運び役の人は、結城七郎朝光・和田兵衛尉常盛・和田三郎重茂。東平太重胤・波多野次郎経朝・桜井次郎光高です。〔それぞれ将軍のおそばに仕える身分の低い者の内、両親健在の連中を選んでこの役にしました〕次に、鎧・太刀・馬を献上しました。佐々木左衛門尉廣綱・千葉境平次兵衛尉常秀以下がこの役を果たしました。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね >「落雁と羊かん求肥の重ね菓子 出雲の景色一つ切り取り」(山葵) <出雲三昧(いずもざんまい)桂月堂TEL 0852-21-2622松江市天神町97>
2015年10月04日
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【吾妻鏡】(10月5日) 加藤塾@塾長のブログよりhttp://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十八巻 建仁三年(1203)十月小三日戊戌(平賀武蔵守朝雅は、京都朝廷警備隊長として京都へ上りました。九州に領地のある連中は、同盟者として京都に駐在するように、命令書を回覧しましたとさ。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね>「知ってたと思っていたが違ってた カミングアウトないしょを白状」(山葵) <>【吾妻鏡】(10月4日) 加藤塾@塾長のブログより http://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十八巻 建仁三年(1203)九月大二十九日甲午(れました。左衛門督頼家様〔前将軍〕を伊豆国の修善寺へ行かせました。巳の刻(午前十時頃)に出発しました。前を行く武装兵は百騎。次に女騎馬武者十五騎。次に神輿が三台。次に小間使い一人〔戦闘用の矢を背負って馬に乗っている〕。後ろの武装兵は二百騎です。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね >「園児バス着いたところに介護バス 送り送られ時は過ぎ行く」(山葵) <>【吾妻鏡】(10月3日) 加藤塾@塾長のブログより http://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十八巻 建仁三年(1203)九月大二十一日丙戌(晴れです。遠江守北条時政殿・大江広元たちの検討の結果、入道前将軍頼家を鎌倉に置いておかない方が良いと決めて、将軍に進言しましたとさ。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね >「緑色メーター下で光るもの フォッグランプとわかってほっと」(山葵)<>
2015年10月02日
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【吾妻鏡】(10月2日) 加藤塾@塾長のブログよりhttp://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十八巻 建仁三年(1203)九月大十九日甲申(亡くなった比企判官能員の残党の中野五郎能成を始めとする連中の処分について採択がありました。領地などは取り上げることにしましたとさ。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね>「雑誌記事 東京観光特集が 菊見せんべい千駄木にあり」(山葵) <東京都文京区千駄木TEL 03-3821-1215 anan 2015/9/30号 No1972>【吾妻鏡】(10月1日) 加藤塾@塾長のブログより http://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十七巻 建仁三年(1203)九月大十日乙亥(掃部頭入道中原親能が、文書にして報告しました。比叡山の下働きの僧兵達と、上級僧侶達との間で不和が生じ戦になりました。その原因は、去る五月頃に、西塔の釈迦堂に仕える下働きの僧兵と上級僧侶とが不仲になり、下働きの僧兵達は、上級僧侶とは別の温室(蒸気湯)を造ったからです。八月一日には、上級僧侶は大納言岡や南谷走井房にバリケードを設置して、下働きの僧兵を追い出しました。同じく六日には、下働きの僧兵達が、三か所の荘園管理員の在地武士達を引き連れて、比叡山にのぼり、そのバリケードに戦を仕掛け、双方に大勢の死傷者が出ました。しかし、院から停止命令が出たので、下働きの僧兵達はバリケードをほったらかしにして引き上げました。上級僧侶達もバリケードを出て京の町へ下りました。一旦は、静かに収まったのですが、同じ八月の二十八日に又もや蟻が群がるように集まりました。比叡山本院の上級僧侶達は、一つにまとまって、霊山長楽寺や祗薗八坂神社に群れて、再び騒ぎを起こそうとしているそうです)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね >「朝焼け空はきれいだ六時過ぎ 傘のマークを気にして出かけ」(山葵) <>【吾妻鏡】(9月30日) 加藤塾@塾長のブログより http://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十八巻 建仁三年(1203)九月大十五日庚辰(晴れました。頼朝様の次男の若君〔呼び名は千幡君〕が関東の総代表となりました。先日の七日に従五位下の位を授ける文書と征夷大将軍任命書が発行され、今日鎌倉に届きましたとさ。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね >「八町のもちやの売りはオハギなり 秋分の日は赤飯もあり」(山葵)<>【吾妻鏡】(9月29日) 加藤塾@塾長のブログより http://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十七巻 建仁三年(1203)九月大十五日庚辰(女官で実朝の乳母夫の阿波局が、尼御台所政子様のもとへ来て、申しあげました。「若君実朝様を、執権の遠江守北条時政殿の屋敷に置いておくのは、もっともな事ですが、どうも奥さんの牧の方の様子を見ていると、何かにつけて危害を加えようとする心が感じますので、子を守る母心としては宛てになりません。何か不祥事が起こらなければよいのですが。このことは前々からの心配事なのです。早く取り返した方が良いと思いますよ。」と云われ、すぐに答えて江間四郎義時・三浦平六兵衛尉義村・結城七郎朝光を派遣して実朝を取り返してきました。遠江守北条時政殿は、詳しい事情が分からずに戸惑っておりました。女官の駿河局を通して、こわごわ聞いてみると、成人するまでの間は、母のもとで育てますのでと、ご返事をなさいましたとさ。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね >「朝早く山梨方面 子は出かけ 人影まばらな豊橋駅を」(山葵) <>
2015年09月28日
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【吾妻鏡】(9月28日) 加藤塾@塾長のブログよりhttp://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十七巻 建仁三年(1203)九月大十二日丁丑(鼓判官知康と紀内所行景は、京都へ帰るように命じられました。そこで、大江広元が担当して、今朝の夜明けにそれぞれ出発して行きましたとさ。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね>「サラダにもミルフィールあり惣菜が コーンと豆にレタスとトマト」(山葵) <>【吾妻鏡】(9月27日) 加藤塾@塾長のブログより http://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十七巻 建仁三年(1203)九月大十日乙亥(千幡君(実朝)を推薦して、将軍にしましょうとお決めになりました。そこで若君(実朝)は今日、母の尼御台所政子様のもとから、遠江守北条時政殿の屋敷へ移りました。輿を使いました。乳母夫の女官阿波局も同様に輿で従いました。江間太郎泰時殿と三浦平六兵衛尉義村が輿の脇に警護しました。」 )<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね >「アル中の予備軍かしらドリンカー バドワイザーの缶を欲しがる」(山葵) <>【吾妻鏡】(9月26日) 加藤塾@塾長のブログより http://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十七巻 建仁三年(1203)九月大七日壬申(晴れました。亥の刻(午後十時頃)に、将軍頼家様は出家をしました。病気の上、源氏として鎌倉を治める事が危なっかしいからです。尼御台所政子様が、配慮をして命じられましたので、不本意ながらこのような結果となりました。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね >「秋味の満喫旅を鉄道で きのこ料理と明智鉄道」(山葵)<きのこ列車 火~日5,000円>
2015年09月24日
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【吾妻鏡】(9月25日) 加藤塾@塾長のブログよりhttp://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十七巻 建仁三年(1203)九月大六日辛未(夜になって、遠江守北条時政殿は、新田四郎忠常を名越の屋敷へ呼びました。それは、比企能員を滅ぼした褒美を与えるためです。しかし、新田忠常が屋敷に入ったまま、暗くなってもちっとも出てきません。小間使いの男は、これをおかしいと思って、新田忠常の乗馬を引き連れて帰宅し、その様子を弟の五郎・六郎に報告しました。「もしかしたら、遠江守北条時政殿をやっつけるように、将軍頼家様が新田忠常に命令したことが、ばれてしまって処刑されたのだろうか」と、彼らは推測して、その復讐のため、江間北条義時殿のところへ行こうと考えました。江間北条義時殿は、ちょうどその時大御所〔頼朝將軍の御座所。現在は尼御台所政子様がおられます〕へ参っていました。それなので、五郎を始めとする連中は、走って来て矢を放ちました。江間北条義時殿の家来たちにふさがせました。五郎は、波多野小次郎忠綱に殺され、六郎が台所に火をかけて自殺しました。この煙を見て御家人達が急いで集まってきました。又、新田四郎忠常は名越を出て、自分の屋敷へ帰る途中でこのことを聞き、「これじゃ戦って死ぬしか仕方がない」と云って、御所へ行ったところ、加藤次景廉に殺されてしまいました。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね>「むき栗を一袋買い食卓に 恋の色したつがるの林檎」(山葵) <>【吾妻鏡】(9月24日) 加藤塾@塾長のブログより http://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十七巻 建仁三年(1203)九月大五日庚午(将軍頼家様の病気は、回復してきて、今頃になって元気になってしまいました。しかし、すでに若君も比企能員も滅び去ってしまったことをお聞きになりました。その怒りを我慢できず、遠江守北条時政殿を殺すように、内々に和田左衛門尉義盛と新田四郎忠常に命令しました。堀藤次親家を使者として文書を持って行かせましたが、和田義盛はよく考えて、その文書を遠江守北条時政殿に渡しました。そこで堀藤次親家を捕まえて、工藤小次郎行光が殺してしまいました。将軍頼家様はますます、お怒りと共にどうしたらよいかと心配になられましたとさ。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね >「昼食はみなと弁当刺し身付き 煮物弁当よく食べること」(山葵) <>【吾妻鏡】(9月23日) 加藤塾@塾長のブログより http://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十七巻 建仁三年(1203)九月大四日己巳(小笠原弥太郎・中野五郎能成・細野兵衛尉達を逮捕監禁しました。この連中は、将軍の縁故の威力を当てにして、普段から比企能員と親しくしていたので、先日の二日の合戦の時、比企能員の息子たちと一緒だったからです。島津左衛門尉忠久は、大隅・薩摩・日向三カ国の守護職を取り上げられました。これも比企能員との連帯責任なのです。加賀房義印は、両手を前に出し、遠江守北条時政殿の武士の控え所に来たとの事です。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね >「十月の初旬の温度部屋の中 母は一枚上に羽織って」(山葵)<>【吾妻鏡】(9月22日) 加藤塾@塾長のブログより http://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十七巻 建仁三年(1203)九月大三日戊辰(比企能員の仲間を探し出して、ある人は流罪に、ある人は死刑にと、多くの人が処分されました。妻や妾と二歳の男の子は、縁故関係の和田左衛門尉義盛に預けられ、安房国へ行かされました。今日、小御所跡において、大輔房源性〔蹴鞠名人〕は、亡くなった一幡君の遺骨を拾おうと考えて、焼け跡の死骸を探しましたが見つかりません。乳母夫が云うのには、最後に着ていた着物は、模様を染めた小袖を着ておられ、その模様は菊花の枝だったそうです。ある死骸の右脇下の小袖が、ほんの一寸(3cm)ばかり焼け残り、菊の模様がはっきりわかりました。そこでこれを拾いました。大輔房源性は頭陀袋に入れて高野山へ出かけました。奥の院に奉納するためだそうです。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね >「足がつる そんな人にはアーモンド マグネシュウムが予防になると」(山葵) <>
2015年09月21日
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【吾妻鏡】(9月21日) 加藤塾@塾長のブログよりhttp://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十七巻 建仁三年(1203)九月大二日丁卯(比企能員は言いました。「そのように武装をしていくことは、かえって守りの準備にはならない。間違えてかえって疑いを起こすもとになる。今、能員が鎧兜に身を固めた兵士を連れて行けば、鎌倉中の人々が大騒ぎをすることになるので、それはするべきではない。一つは、仏事に参加し仏との縁を結ぶことであり、一つは、将軍の相続について、話し合うことがあるのであろう。急いでいこう。」とのことです。一方、遠江守北条時政殿は、鎧兜に身を固め、中野四郎と市河別当五郎行重を呼んで、弓矢を用意して両方の小さな門に構えているように指示をしました。そこで戦闘用の矢一腰(24本)を二つに分けて、それぞれ手に持ったまま、その二つの門に立ちました。彼らは上手な弓の名人なので、この指示に従いましたとさ。天野民部入道蓮景(遠景)と新田四郎忠常は、簡易な鎧の腹巻を着用し、西南の脇の戸の内側に構えていました。しばらくして比企判官能員がやって参りました。平烏帽子(ひれえぼし)に白い水干(水張りにして干した絹の服)に葛袴(狩袴をやや裾短に仕立て、くくり緒をつけた)を着て、黒馬に乗り、家来二人雑用の下働五人がお供をしてきました。総門を入り、廊下の沓脱石に上がり、妻戸を通って北側へ行こうとしました。その時、蓮景と忠常が、門の脇から出てきて比企能員の左右の手をそれぞれがつかんで、山裾の竹藪へ引きずり込んで伏せ押さえ、躊躇なく殺してしまいました。遠江守北条時政殿は、離れへ出てこれを見ておりましたとさ。比企能員の厩務員は宿舎へ走って帰って、この様子を報告しました。それを聞いた一族や家来は、嫡男の一幡君の館〔小御所と云う〕に入って防戦の体制を整えていました。未の三刻(午後二時半頃)に、尼御台所政子様の命令で、その連中を攻め滅ぼすように、軍隊を派遣しました。それは、江間四郎義時・同太郎泰時・平賀武蔵守朝雅、小山左衛門尉朝政・同長沼五郎宗政。同結城七郎朝光、畠山次郎重忠・榛谷四郎重朝、三浦平六兵衛尉義村・和田左衛門尉義盛・同和田兵衛尉常盛・同小四郎景長、土肥先次郎惟光、後藤左衛門尉信康、所六郎右衛門尉朝光、尾藤次知景、工藤小次郎行光・金窪兵衛尉行親・加藤次景廉・同太郎景朝・新田四郎忠常を始めとする軍勢が雲霞の如く大勢で、それぞれその地へ攻めかかって行きました。比企三郎・同四郎・同五郎・川原田次郎〔比企能員の準養子〕・笠原十郎左衛門尉親景・中山五郎爲重・糟谷藤太兵衛尉有季〔以上三人は比企能員の娘婿〕達が防ぎ戦いました。死を賭して戦ったので、申の刻(午後四時頃)までかかり、加藤太郎景朝・加藤次景廉・知景・景長の加藤一族と家来たち数人は怪我を受けて後退しました。畠山重忠は、力の残っている家来に入れ替えて攻め込みました。笠原親景達は、その威力に敵対できず、屋敷に火をつけてそれぞれ若君の前で自決しました。若君もこの災難を逃れることはできませんでした。比企能員の跡取りの与一兵衛尉は、女性の着物を着て女に化けて、戦場を逃げ出そうとしましたが、道の途中で加藤次景廉に切り殺されてしまいました。その後、遠江守北条時政殿は大岡判官時親を派遣して、死骸を調べさせましたとさ。夜になって、渋川刑部丞が処刑されました。比企能員の妻の父親舅だからです。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね>「化粧水グリセリンと水混ぜる シャカシャカ振って五十五グラム」(山葵) <たのしい節約 宝島社ムック ¥720>>【吾妻鏡】(9月20日) 加藤塾@塾長のブログより http://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十七巻 建仁三年(1203)九月大二日丁卯(今朝、比企判官能員は、娘〔将軍頼家様の妾で、若君一幡の母で、以前は若狭局と云う女官でした〕を通じて将軍へ訴えて来ました。「北条時政殿を攻め殺すべきです。将軍の相続の他に、地頭職を分けることは、二つの権威が立つことになり、先へいって互いに覇権争いになることは、疑う余地がありません。子供(一幡)と弟(千幡・実朝)とに気遣って、相続争いを平和裏に治めたように見えますけど、かえって国の乱れの基となることでしょう。北条時政殿の一族が存在すれば、後になって権威を奪われることは、どうにも顕かなことでしょう。」とさ。 将軍頼家様は驚いて、すぐに比企能員を病の枕元に呼びつけて、話し合いをしました。北条時政殿を攻め殺すことについて、許可を与えました。しかし、尼御台所政子様が障子の陰で、すっかりその秘密を聞いてしまい、それを伝えるために女官に命じて遠州北条時政殿を探させました。「自宅で病気平癒の仏事をするために、すでに名越へ帰られました。」と云われたので、細かいことまで全てと云うわけにはいかないけど、多少この様子を紙に書いて、美女に持たせ届けさせました。その女官は、道を走っていって追いついて、手紙を差し出しました。遠江守北条時政殿は、馬から降りてこの手紙を読んで、とても涙を流されました。そして馬に乗りましたが、しばらく馬を止めて考えておられました。ついに、馬を方向転換させて、大江広元様の屋敷へ行かれ、お会いになられました。遠江守北条時政殿は向かい合って云いました。「最近、比企能員は、将軍の舅の権威をかさに着て、ほかの御家人を下に見ていることは、世間に知られている通りです。ましてや將軍が病気になっている今は、将軍が区別がつかないのをよいことに、何でも将軍の命令だと云って、我々を弾圧しようとしていると、はっきりした所を聞いています。このままでは危険なので、先手を打って征伐するべきだと思いますが、如何でしょう。」と云うと、大江広元が答えるのには「頼朝様が将軍の時以来、政治を助けて来たとは言われてはいます。しかし、武力については口出しをしません。処刑するかどうかは、良く考えをめぐらしてください。」とのことでした。遠江守北条時政殿は、この言葉を聞いてすぐに席を立ちました。天野民部入道蓮景(遠景)と新田四郎忠常がお供をしていました。荏柄天神社の前まで来て、又馬を止めて、その二人に云って聞かせました。「比企能員が、謀反を起こそうとしているので、今日処罰してしまおう。それぞれ討手をしてください。」天野蓮景が、「軍隊を出すことはありませんよ。御前に呼び寄せて殺しちまいましょうよ。あんな老人ひとりなんてことは無いですよ。」と云いました。自分のお屋敷へ帰られてから、このことをなお検討して、もう一度話をしたいと大江広元をお呼になりました。大江広元は思うところがありましたが、仕方なく行くことにしました。家来たちの多くが心配してついていこうとしましたが、「考えていることがあるので。」と、全て留めました。ただ、飯富源太宗長ひとりをつれ、行く途中で大江広元は内緒で飯富宗長に話しました。「現時点での世間の様子では、一番危険な時です。重大な件については、今朝こまごまと話し合いました。それなのに又呼び出されたのは、理解できません。もし思わぬ出来事が起きた時は、お前は何は兎も角私を殺しなさい。」と云った後、名越の屋敷につきました。遠江守北条時政殿との会談は時間がかかりました。その間、飯富宗長は大江広元の後ろに控え、座を立ちませんでした。午の刻(昼頃)に大江広元は立ち去って行きました。遠江守北条時政殿は、自分の屋敷で、将軍の病気がなおるようにに薬師如来の像〔最近作らせていました〕の開眼供養の式典をします。葉上坊律師栄西が指導僧をします。尼御台所政子様も仏との縁を結ぶため、いらっしゃるとの事です。遠江守北条時政殿は、工藤五郎に使いをさせて、比企能員に伝言をさせました。「深い願いをかけて、仏像の開眼供養をします。お越しになられ、一緒にお経を聞きましょう。また、そのついでに政治向きの事を打ち合わせましょう。」と云えば、「さっそく出かけましょう。」と返事をしました。使いが帰った後で、判官比企能員は、倅や親類縁の者が云いました。「普段は、怪しい計画を持っていないとは言えない。もし噂の通りなので、わざわざ使いをよこしたのでありましょう。安易に行くべきではないでしょう。それなので、あえて行かれるのなら、一族や家来達に鎧兜をつけさせ、弓矢を持たせてお供にするべきでしょう。」だとさ。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね >「秋晴れの日を選んでは墓参り 彼岸の入りまで七日ほどあり」(山葵) <>【吾妻鏡】(9月19日) 加藤塾@塾長のブログより http://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十七巻 建仁三年(1203)八月大二十九日甲子(将軍頼家様の病気について、祈祷も治療もその効果がありません。だもんで鎌倉中が大騒ぎです。自分の国に居る在国御家人が皆競うように鎌倉へやってきます。人々が考えているのは、叔父(義時)と甥(頼家)の仲に対立が生じて来たのではないか。関東の安否が疑われる時ではないかとのことです。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね >「サンつがつ手頃な価格を三個買い 秋の訪れそっと確認」(山葵)<>【吾妻鏡】(9月18日) 加藤塾@塾長のブログより http://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十七巻 建仁三年(1203)八月大二十九日甲子(将軍頼家様の御病気は、日ごとに悪化してます。それなので、鶴岡八幡宮の神前で八四千の泥の宝塔を奉納しました。指導僧は安楽坊重慶〔長官以外で一番上位の坊さんです〕、お供の坊さんが二十五人。お布施は、反物百匹。白布二百反。藍色の摺り染め三百反。色染めの皮二十枚。米四十石四升などです。大江広元・大夫属入道三善善信・二階堂民部大夫行光が担当しました。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね >「なつかしい味と感じたやせうまを きな粉が入った昔し風菓子」(山葵) <>
2015年09月17日
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【吾妻鏡】(9月17日) 加藤塾@塾長のブログよりhttp://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十七巻 建仁三年(1203)八月大二十七日壬戌(将軍頼家様の容態が危なくなって来たので、相続の取り決めがありました。関西の三十八か国の地頭職を弟の千幡君〔十歳(本当は十四歳)〕に譲られて、関東二十八か国の地頭職と総守護職を、長男の一幡君〔六歳〕に割り当てました。そしたら、一幡の祖父にあたる比企判官能員は、弟へ相続される分に憤慨して、将軍の舅としての権力があるので、北条氏からの独立心を持ち、叛逆をしようと、千幡君とその乳母夫の北条氏を滅ぼそうと考えましたとさ。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね>「ママカリの酢漬けはきっと箸やすめ お酒は無いが居酒屋気分」(山葵) <>【吾妻鏡】(9月16日) 加藤塾@塾長のブログより http://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十七巻 建仁三年(1203)八月大十六日辛亥(晴れです。大江広元さんが鶴岡八幡宮の下の回廊に着座し、神事が実行されました。流鏑馬を始めとする奉納は何時もの通りです。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね >「巻頭のグラビアページ 傘 おんな 文春新潮美を競うとき」(山葵) <>【吾妻鏡】(9月15日) 加藤塾@塾長のブログより http://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十七巻 建仁三年(1203)八月大十五日庚戌(晴れです。鶴岡八幡宮の生き物を放つ放生会は例年の通りです。将軍頼家様は病気のため欠席です。大江広元さんが代参です。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね >「台風も選んでいるか上陸地 浜松 渥美 知多半島と」(山葵)<>
2015年09月14日
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【吾妻鏡】(9月14日) 加藤塾@塾長のブログよりhttp://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十七巻 建仁三年(1203)八月大七日壬寅(将軍頼家様の容態は大変苦しそうだとの事です)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね>「白ピンク黄の最中で中ゼリー 紙ふうせんは遊びの菓子だ」(山葵) <高木屋 TEL 076-231-2201>【吾妻鏡】(9月13日) 加藤塾@塾長のブログより http://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十七巻 建仁三年(1203)八月大四日己亥(三浦平六兵衛尉義村を、土佐国の守護職に任命しましたとさ。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね >「時々の豪雨の音に立ちすくむ 出かけた人のレインびしょ濡れ」(山葵) <>【吾妻鏡】(9月12日) 加藤塾@塾長のブログより http://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十七巻 建仁三年(1203)七月小二十五日辛卯(相模権守源仲章の使いが京都から到着して申しあげました。「先日の十六日に京都に駐屯している御家人を派遣して、東山延年寺で播磨公頼全〔法橋全成の息子〕を探し出し、処刑しました。」とのことです。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね >「深蒸し茶 蒸しの時間が長い分 渋みが減って甘みが増した」(山葵)<深蒸し茶 昭和30年代初めの頃より 蒸し時間を長くしたことで、渋みや苦味が抑えられ、まろやかな味へと変わったのです。「お茶入門 宝島社ムック」>
2015年09月10日
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【吾妻鏡】(9月11日) 加藤塾@塾長のブログよりhttp://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十七巻 建仁三年(1203)七月小二十三日己丑(将軍頼家様の御病気は、かなり重態なので、複数の祈祷を始めました。しかし、占いの結果は、神様のたたりだとのことです。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね>「激突の映画をテレビで見た怖さ 姿見えないトレーラ乗り」(山葵) <1971米 激突 Duel デニス ウイーバー>【吾妻鏡】(9月10日) 加藤塾@塾長のブログより http://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十七巻 建仁三年(1203)七月小二十日(晴れです。戌の刻(午後八時頃)將軍頼家様が、急病です。かなり苦しそうです。ただ事ではありませんとさ。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね >「墓参り供えの茶碗カラス割り 二度も三度も許さないぜよ」(山葵) <>【吾妻鏡】(9月9日) 加藤塾@塾長のブログより http://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十七巻 建仁三年(1203)七月小十八日甲申(御所の蹴鞠です。〔この日以後、ほかの集まりは有りません〕北条五郎時房・紀内所行景・冨部五郎・比企弥四郎時員・肥多八郎宗直・大輔房源性・加賀房義印などが参加しました。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね >「ファックスで手書き文書を送るけど 老いた機械のローラー切れた」(山葵)<>【吾妻鏡】(9月8日) 加藤塾@塾長のブログより http://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十七巻 建仁三年(1203)七月小九日乙亥(辰の刻(午前八時頃)鶴岡八幡宮寺のお参り用の桶閼伽桶や花を置く棚の下に、鳩が一羽頭が取れて死んでいました。こんなことは今までなかったことなので、坊さん達が驚いて報告してきました。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね >「ふ饅頭八町もちやのお菓子です 奥に赤飯十五の折りが」(山葵) <>
2015年09月06日
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【吾妻鏡】(9月7日) 加藤塾@塾長のブログよりhttp://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十七巻 建仁三年(1203)七月小四日庚午(未の刻(午後二時頃)鶴岡八幡宮のお経所と回廊との屋根をつないだ上から、鳩が三羽喰い争いながら落ちてきて、一羽が死にました。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね>「大国を治めることは慎重に 魚の形を崩さぬように」(山葵) <「大国を治むるは、小鮮を烹る(にる)がごとし」老子 習近平氏がたびたび引用>【吾妻鏡】(9月6日) 加藤塾@塾長のブログより http://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十七巻 建仁三年(1203)六月大三十日丙寅(辰の刻(午前八時頃)鶴岡八幡宮の神殿の棟の上に、キジバトが一羽とまっていましたが、しばらくして地面に転げ落ちて死んでしまいました。皆、これは容易なことではないと心配しました。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね >「雨曇り時々晴れの空もよう もう生まれてる秋雨前線」(山葵) <>【吾妻鏡】(9月5日) 加藤塾@塾長のブログより http://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十七巻 建仁三年(1203)六月大二十四日庚申(大江兵衛尉能範が、使いとして京都へ上りました。これは、頼全〔全成の子〕を処刑するように相模権守源仲章と佐々木左衛門尉定綱に命令を伝えるためなのです。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね >「ひどい雨カバンバッグの底ぬらす 渇いた心に届けたいけど」(山葵)<>
2015年09月04日
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【吾妻鏡】(9月4日) 加藤塾@塾長のブログよりhttp://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十七巻 建仁三年(1203)六月大二十三日己未(八田右衛門尉知家は、命令を受けて、下野国で、阿野法橋全成を処刑しました。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね>「茶碗蒸しスプーンでなくて箸にせよ 大人のマナーの本に書いてる」(山葵) <おとなのマナー マガジンムック\852>【吾妻鏡】(9月3日) 加藤塾@塾長のブログより http://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十七巻 建仁三年(1203)六月大十日丙午(晴れです。将軍頼家様は、駿河国から鎌倉へお帰りにになりました。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね >「夏が過ぎコロッケキャベツの秋が来る 季節は移る口の中でも」(山葵) <>【吾妻鏡】(9月2日) 加藤塾@塾長のブログより http://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十七巻 建仁三年(1203)六月大四日庚子(曇りです。巳の刻(午前十時頃)に、新田四郎忠常が人穴から出て帰ってきました。往復するのに一昼夜掛かったのです。この穴は、狭くて振り返ることが出来ません。仕方なく前へ進んでいきました。又、真っ暗なので不安でなりません。そこで、主従共に松明に明かりをつけました。道の途中は、ずうっと水が流れていて足が濡れっぱなしです。蝙蝠が顔の前を飛び交い、その数は数えきれません。途中に大きな川がすごい勢いで流れていて、渡りたくても手段がなく途方にくれました。その時、突然光が当たってきたので、川の向うに怪奇現象を見ると、あっという間に家来四人がたちまち死んでしまいました。しかし、新田四郎忠常は、霊からの教えを知っていたので、主君から頂いた剣を川へ投げ入れたので、命を失わずに帰ることが出来ました。」とさ。お年寄りの云うことには、「それは浅間大菩薩のおられる場所なので、昔っからあえてそこを見に行く所ではありませんでした。今の出来事は、とても神様の御威光に恐れ多いことです。」だとさ。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね >「波が引くように喫茶の客が減る 新聞雑誌のめくる音のみ」(山葵)<>【吾妻鏡】(9月1日) 加藤塾@塾長のブログより http://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十七巻 建仁三年(1203)六月大三日己亥(晴れです。将軍頼家様は、駿河国富士のすそ野の狩場へ移られました。その山麓にも又、大谷〔これは人穴と呼ばれます〕があります。そこを確かめようと、新田四郎忠常とその家来合わせて六人を入らせました。新田四郎忠常は、剣を与えられて人穴に入って行きました。今日中に帰ってこないで日が暮れてしまいました。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね >「混ぜご飯帆立の価値に銭はらう 茶碗いっぱい夕食に出し」(山葵) <>
2015年08月30日
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【吾妻鏡】(8月31日) 加藤塾@塾長のブログよりhttp://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十七巻 建仁三年(1203)六月大一日丁酉(晴れです。将軍頼家様は、伊豆の奥山にある狩場へお着きになりました。そしたら、伊東崎と云われる山中に大きな洞穴がありました。その洞穴の行き先は分かりません。将軍頼家様は、これを確かめたくて、巳の刻(午前十時頃)、和田平太胤長に命じて中を見てくるようにさせたら、和田平太胤長は松明を掲げて穴の中へ入っていきました。酉の刻(午後六時頃)になって帰ってきて報告しました。「この穴の長さは、数十里もあります。暗くてまったく光はありません。中に大きな大蛇が一匹いました。和田平太胤長を呑み込もうとしたので、刀を抜いて切り殺してしまいました。」とさ。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね>「メークイン玉葱どれも北海道 箱の中から重さを威張り」(山葵) <>【吾妻鏡】(8月30日) 加藤塾@塾長のブログより http://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十七巻 建仁三年(1203)五月小二十九日丙申(将軍頼家様は留守ですが、隼人入道三善康清が、紀内所行景・冨部五郎・大輔房源性・加賀房義印等を招待して、蹴鞠がありました。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね >「おにぎりの具に入れるもの梅ヒジキ 北海焼き鮭ご飯に丸め」(山葵) <>【吾妻鏡】(8月29日) 加藤塾@塾長のブログより http://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十七巻 建仁三年(1203)五月小二十八日乙未(鶴岡八幡宮の坊さん達は、一昨日の二十六日から将軍頼朝様のお出かけの無事を祈る祈祷に励みました。それなので、政務事務所の負担として、お布施を与えました。白い布三十反・米を十石十合です。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね >「予報晴れしかし雨雲あさに来て 瓦をぬらす気づかぬように」(山葵)<>
2015年08月27日
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【吾妻鏡】(8月28日) 加藤塾@塾長のブログよりhttp://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十七巻 建仁三年(1203)五月小二十六日癸巳(晴れです。将軍頼家様は、狩をするために伊豆国へ出発しました。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね>「生野菜卵にトマト胡瓜あり サラダを作る材料あつめ」(山葵) <>【吾妻鏡】(8月27日) 加藤塾@塾長のブログより http://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十七巻 建仁三年(1203)五月小二十五日壬辰(申の刻(午後四時頃)、阿野法橋全成を、常陸国へ島流しにしました。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね >「かき揚げの知恵を伝授の放送は とうもろこしと粉にスプレー」(山葵) <>【吾妻鏡】(8月26日) 加藤塾@塾長のブログより http://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十七巻 建仁三年(1203)五月小二十日丁亥(将軍頼家様は、比企弥四郎時員を使って、尼御台所政子様に申し入れたのは「法橋全成が、謀反をたくらんだので逮捕しました。彼の妻の阿波局が、母上の御所へ仕えておられますね。早く呼びつけてください。色々と訪ねたいことがあります。」とのことです。「そういう政治向きの事は女性に知らせる訳がないでしょう。それなので全成が先だっての二月に駿河国へ行って以来、連絡がありません。これ以上疑いようがないでしょう。」とご返事を申されて、阿波局を出すことはありませんでしたと。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね >「むらすずめ米食う雀の舞い姿菓子に現す倉敷銘菓」(山葵)<株)廣栄堂 岡山市中区藤原60>【吾妻鏡】(8月25日) 加藤塾@塾長のブログより http://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十七巻 建仁三年(1203)五月小十九日丙戌(夜中の十二時に、阿野法橋全成〔頼朝様の弟です〕が謀反と耳に入ったので、御所の中へ連れてきて監禁しました。武田五郎信光が捕まえました。すぐに宇都宮四郎兵衛尉頼業に預けられましたとさ。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね >「ボンとらや アンパンみたいなお饅頭 買ってみたけど本家が勝り」(山葵) <>
2015年08月23日
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【吾妻鏡】(8月24日) 加藤塾@塾長のブログよりhttp://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十七巻 建仁三年(1203)五月小十八日乙酉(将軍頼家様は、鶴岡八幡宮の長官の住まいにお渡りです。伯耆少将藤原清基と源右近将監親広がお供をしました。蹴鞠があり、人数は何時もの連中でした。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね>「夕食にメロンが良いと母は言う 明日にしようと言葉をかえす」(山葵) <>【吾妻鏡】(8月23日) 加藤塾@塾長のブログより http://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十七巻 建仁三年(1203)五月小五日壬申(鶴岡八幡宮で、端午の節句のお祭りです。将軍頼家様もお参りです。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね >「八王子ラーメンそれにざる蕎麦を 時々雨の月曜ランチ」(山葵) <>【吾妻鏡】(8月22日) 加藤塾@塾長のブログより http://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十七巻 建仁三年(1203)四月大二十一日己未(蹴鞠です。伯耆少将藤原清基・北条五郎時房・紀内所行景・比企弥四郎時員・肥多八郎宗直・大輔房源性・加賀房義印が参加しました。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね >「晴れの日が続いて畑も水を待つ 土を砕いて受け入れ準備」(山葵)<>
2015年08月21日
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【吾妻鏡】(8月21日) 加藤塾@塾長のブログよりhttp://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十七巻 建仁三年(1203)四月大六日甲辰(伊予国の御家人河野四郎通信は、頼朝様の時代からずうっと、特に仕えて来たので、伊予の守護佐々木三郎兵衛尉盛綱法師の指示に従わなくても良い、特別な御家人として認めます。また同時に、昔のように国中に住む親戚や部下達を(河野水軍として)支配するようにとの、命令書を与えられました。平民部烝盛時が担当します。河野四郎通信は普段鎌倉に居ましたが、たまたま許可を得て明日国へ帰るので、将軍様はお呼びになり、この命令書を与えましたとさ。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね>「大垣の駅で牛蒡揚げ物一パック 美濃っこごんぼと名前があった」(山葵) <>【吾妻鏡】(8月20日) 加藤塾@塾長のブログより http://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十七巻 建仁三年(1203)四月大三日辛丑(鶴岡八幡宮のお祭りは何時もの通りです。将軍頼家様のお参りは無く、江間四郎北条義時様が代参です。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね >「アスパラの残りにロースの肉を巻き 再びの味戻ったうまさ」(山葵) <>【吾妻鏡】(8月19日) 加藤塾@塾長のブログより http://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十七巻 建仁三年(1203)三月小二十六日乙未(将軍頼家様〔狩衣〕は、隼人入道三善康清の屋敷へ出かけ蹴鞠がありました。人数は、北条五郎時房・紀内所行景・冨部五郎・比企弥四郎時員・肥多八郎宗直・加賀房義印・大輔房源性などです。伯耆少将藤原清基は検査薬に回りました。なんと、この頃は一日おきに蹴鞠をやってています。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね >「時折の雨に驚き小すずめは ぱっと飛び散る濡れた柵へと」(山葵)<>【吾妻鏡】(8月18日) 加藤塾@塾長のブログより http://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十七巻 建仁三年(1203)三月小十五日甲申(晴れました。永福寺での一切経の奉納です。将軍頼家様は、踊りの奉納を見るために出かけました。雲か霞化と見まごうほどの桜の満開の花は艶っぽくて、色気があり感激です。帰りがけに主計允藤原行政の別荘へお立ち寄りになり、夕暮れの鐘が鳴るころになってお帰りです。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね >「八町のもちやの休みは仏滅が多いと友人ボソッと言って」(山葵) <>
2015年08月17日
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【吾妻鏡】(8月17日) 加藤塾@塾長のブログよりhttp://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十七巻 建仁三年(1203)三月小十四日癸未(将軍頼家様の病気が治ったので、穢れを洗い落とす入浴をされました)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね>「朝食はみたらし団子と味噌汁で アサガオ呆れ昼顔になる」(山葵) <>【吾妻鏡】(8月16日) 加藤塾@塾長のブログより http://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十七巻 建仁三年(1203)三月小十日己卯(夕べの亥の刻(午後十時頃)から、将軍頼家様が病気です。そして夢のお告げがあったので、駿河国片上御厨は、地頭の武田五郎信光の支配を止めさせ、伊勢神宮の領地として寄付させました。大江広元が手続きをします。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね >「わらびもち感触とろっと口にする 風鈴うちわ絵にかく夏を」(山葵) <>【吾妻鏡】(8月15日) 加藤塾@塾長のブログより http://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十七巻 建仁三年(1203)三月小四日癸酉(将軍頼家様は、隼人入道三善康清の屋敷へ出かけました。北条五郎時房・冨部五郎・比企弥四郎時員・肥多八郎宗直・紀内所行景・大輔房源性・加賀房義印が一緒に行って、蹴鞠がありました。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね >「エアコンのフィルター掃除時間かけ 細かいホコリ歯ブラシの刷毛」(山葵)<>【吾妻鏡】(8月14日) 加藤塾@塾長のブログより http://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十七巻 建仁三年(1203)三月小三日壬申(晴れました。鶴岡八幡宮での一切経の奉納です。将軍頼家様のお参りは何時もの通りです。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね >「疲れてる時に頼んで来てもらう 山内さんが夜更けに修理」(山葵) <>
2015年08月11日
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【吾妻鏡】(8月12日) 加藤塾@塾長のブログよりhttp://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十七巻 建仁三年(1203)二月大十六日乙卯(蹴鞠がありました。北条五郎時房・紀内所行景・肥多八郎宗直・大輔房源性・加賀房義印が参加しました。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね>「湿度計七十超える数字見て コピー用紙の機嫌の悪さ」(山葵) <>【吾妻鏡】(8月11日) 加藤塾@塾長のブログより http://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十七巻 建仁三年(1203)二月大十一日庚戌(鶴岡八幡宮の宝塔(又は三重塔)の基礎を地面に描く儀式を始めました。この塔は建久三年の大火事で燃えてしまってから、何もしませんでした。今日、その跡地を地慣らしをしました。将軍頼家様も立ち会いました。遠州北條時政殿、大江広元などがお供をし、大夫属入道三善善信が総指揮者なのです。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね >「暑いから保存の容器こめの為 十五度シーが適温と聞く」(山葵) <>【吾妻鏡】(8月10日) 加藤塾@塾長のブログより http://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十七巻 建仁三年(1203)二月大五日甲辰(雨降りです。お彼岸の初日なので、尼御台所政子様は鶴岡八幡宮の神宮寺で、法華経の奉納をされました。指導僧は安楽坊で、お供の坊さんは六人でした。上質の絹や紺色に染めた絹をそれぞれ三十匹、奥州産絹反物二百反をお布施にしました。大夫属入道三善善信が指図をしました。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね >「エアコンの冷気少なく故障かな 熱い空気がじっと待ってる」(山葵)<>【吾妻鏡】(8月9日) 加藤塾@塾長のブログより http://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十七巻 建仁三年(1203)二月大四日癸卯(辰の刻(午前八時頃)、将軍の弟君〔千幡君〕が、鶴岡八幡宮へお参りをされました。江間四郎北条義時様が手助けをしました。馬二頭を奉納しました。結城七郎朝光と所右衛門太郎光季がそれぞれの手綱の上手を引き、下手は神社に仕える人〔雅楽の演奏者〕でした。午の刻(昼頃)から祭とお神楽の奉納があり、将軍頼朝様がお参りをされました。幣の奉納は何時もの通りです。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね >「右足で古釘ふんだ中村はまだすり足でハッピーに来て」(山葵) <>
2015年08月08日
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【吾妻鏡】(8月8日) 加藤塾@塾長のブログよりhttp://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十七巻 建仁三年(1203)正月小二十日庚寅(将軍頼家様は、又もや隼人入道三善康清の屋敷へ行って蹴鞠です。北条五郎時房以下の人数は何時もの通りです。数は250.120でした。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね>「巻き寿しと稲荷のコラボお昼時 海老チリひじきも仲間に入り」(山葵) <>【吾妻鏡】(8月7日) 加藤塾@塾長のブログより http://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十七巻 建仁三年(1203)正月小三日癸酉(晴れです。将軍頼家様は、隼人入道三善康清の家から帰りました。御所で、年明け初めての弓矢の行事「的始め」がありました。 射手は、一番が海野小太郎幸氏対和田兵衛尉常盛。二番が筑後六郎八田知尚対和田平太胤長。三番が諏訪大夫盛澄対望月三郎重澄(望月三郎重隆かも)。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね >「ープありサンドイッチと珈琲の ゆっくり時間日曜の朝」(山葵) <>【吾妻鏡】(8月6日) 加藤塾@塾長のブログより http://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十七巻 建仁三年(1203)正月小二日壬申(晴れです。将軍頼家様の嫡男の若君〔一万君〕が、鶴岡八幡宮へ幣を奉納し、馬を二頭奉納しました。お神楽を奉納していたら、八幡大菩薩が巫女に乗り移って言いました。「今年中に関東で出来事があるでしょう。若君は将軍を継ぐことはできません。岸に生えている樹木が、すでに根っこは枯れてしまっている。人々はそれを知らず、こずえの緑を当てにしている。」とのことでした。その後、将軍頼家様は、隼人入道三善康清の屋敷へ今年初めての外出式「御行始め」をしました。その出先で、蹴鞠がありました。伯耆少将藤原清基・北条五郎時房・六位進盛景・冨部五郎・比企弥四郎時員・細野兵衛尉〔以上は狩衣です〕等がお付き合いしました。今夜はお泊りです。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね >「ココナッツウオーター飲んで水補給 南の島の幻想をみ」(山葵)<>【吾妻鏡】(8月5日) 加藤塾@塾長のブログより http://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十七巻 建仁三年(1203)正月小一日辛未(空は晴れて風もありません。午の刻(正午頃)に将軍頼家様は鶴岡八幡宮へお参りです。和田兵衛尉常盛が太刀持ちです。回廊から遥かにお参りをしてお帰りになりました。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね >「辻褄が合うというけどこの夏は ずれて決まらず心とからだ」(山葵) <>
2015年08月03日
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【吾妻鏡】(8月4日) 加藤塾@塾長のブログよりhttp://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十七巻 建仁二年(1202)十二月二十四日甲子(卯の刻(午前六時頃)地震がありました。雪も降りました。雷が三度も鳴りました。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね>「夏野菜たくさんとって負けないと クロワッサンの雑誌の目次」(山葵) <>【吾妻鏡】(8月3日) 加藤塾@塾長のブログより http://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十七巻 建仁二年(1202)十二月十九日己未(雪が降りました。地上に七寸(21cm)も積もりました。将軍頼家様は、鷹狩用の狩場を見るために、山内庄へお出かけになりました。夜になって帰ってくる時に、堤判官知康がお供におりました。それが、亀谷のあたりで、乗っている馬が何かに驚き駆けずり回っているうちに、あっという間に古井戸へ落ちました。しかし、命は大丈夫でした。こんなことがあったので、御所へ帰ると小袖二十着を知康にお与えになりました。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね >「麩饅頭水ようかんは八町の餅屋が作り夏走り出し」(山葵) <八町もちや TEL 0532-55-8822>【吾妻鏡】(8月1日) 加藤塾@塾長のブログより http://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十七巻 建仁二年(1202)十一月二十一日辛卯(天高く晴れあがっています。今日、将軍頼家様の若君〔字名は善哉、三歳です〕が初めて鶴岡八幡宮へお参りです。馬を二頭奉納しました。比企三郎・新田六郎が馬を引いて納めました。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね >「スマホにて今どこにいる尋ねたら 空からの覗く航空写真」(山葵)<>
2015年07月30日
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【吾妻鏡】(7月31日) 加藤塾@塾長のブログよりhttp://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十七巻 建仁二年(1202)十一月九日己卯(晴れです。鶴岡八幡宮への奉納のお神楽は何時もの通りです。文章生試験合格者の三善宣衡が庭火の歌を歌いました。将軍頼家様のお参りはありません。大江広元が幣を捧げる代参です。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね>「傷ついた茄子の安売りヤマヤスで 持ってけ値段の百円売りで」(山葵) <>【吾妻鏡】(7月30日) 加藤塾@塾長のブログより http://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十七巻 建仁二年(1202)閏十月小十五日丙辰(諸国の守護人などが裁決する条件を予ねて決めてある場合以外は、どうかすると他の業務をどさくさに紛れてやらされると、ちょいちょい訴えがあります。そこで、今日ご判断がありました。もしそれが本当ならば今後はやってはならない。もし、違反するものがあれば、その職を他の者に変えるように、厳しく命令をされました。大江広元がこれを担当します。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね >「ゆっくりと旨み感じて熱い茶を 大暑の見込む湯のみ茶碗で」(山葵) <>
2015年07月27日
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【吾妻鏡】(7月29日) 加藤塾@塾長のブログよりhttp://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十七巻 建仁二年(1202)閏十月小十三日甲寅(時雨が何度か降り注ぎました。将軍頼家様〔馬に乗って〕は、思い立って急に隼人入道三善康清の屋敷へお渡りになりました。庭の木々が紅葉しているからです。雨が上がり晴れ間が出たので、蹴鞠を始めました。しかし庭には雨上がりの水たまりができていて、とてもやり難いのでしたとさ。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね>「中華蕎麦夜ざる蕎麦と夏メニュー ジャーマンポテトに串カツ用意」(山葵) <>【吾妻鏡】(7月28日) 加藤塾@塾長のブログより http://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十七巻 建仁二年(1202)閏十月小一日壬寅(今日は、由比ガ浜で何時もの様な笠懸奉納の会がありました。射手は十人が騎馬です。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね >「魚河岸も日本橋から引っ越して 大震災で築地に移り」(山葵) <関東大震災>【吾妻鏡】(7月27日) 加藤塾@塾長のブログより http://adumakagami.cocolog-nifty.com/blog/第十七巻 建仁二年(1202)十月大二十九日庚子(御所の北側の内庭に蹴鞠用の懸りの木を四隅に用意しました。全て松の木にして、人々に分担させました。それは、北条五郎時房・和田左衛門尉義盛・三浦平六兵衛尉義村・山口二郎有綱のそれぞれが日本づつ用意して、これを切って使いました。紀内所行景はその立て方の良し悪しを見ていましたが、山口有綱の分が形が合わないと嫌ったので、有綱は顔色を変えて怒りながら言いました。「数本の内、有綱が用意した木ばかりを嫌うのは、何を考えているのか分からない。京都から下ってきた連中は、多くがこのような行動が多い。まったく不当な奴らだ。」だとさ。紀内所行景は返事もせずに、それを並べ立て終えました。)<江戸しぐさの日記http://d.hatena.ne.jp/edosigusa/も読んでね >「汗かいたテニスの後の着替えにて不快指数のかたまりを脱ぎ」(山葵)<>
2015年07月25日
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