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うぉぉぉー久々使い方を忘れてしまっていますが...それにしてもものすごい世の中になりましたね。2012年のマヤ暦の終わりも近づいてきてますが、人類は終わりはしませんが、生き方を問われるようにはなってくるのでしょうね。覚悟を持って自分の道を進むことが必要な時代になりました。さてさて、そんなタイミングで、私の大好きだった「夢をかなえるゾウ」のパート2が発売されるようですさっそく予約を入れましたきっと楽しいと思いますよちなみに前作の時はこんな紹介をさせていただきましたって、リンクのさせ方がわからなくなってしまった(苦笑^^;)タケ侍の1000日修行 夢をかなえるゾウ 2008.02.01 まで行ってちょーだい。それでは
2012/12/05
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今の世の中は、100年に一度の大不況と言われていますが、一体この先どうなってしまうのだろう?今、誰もがそんな不安や恐怖を持っていることと思います。おそらく今現在、そしてこれから来るであろう深刻な事態を、正確に読める人などいないのではないかと思います。先日、朝倉 慶という人の、「大恐慌入門」という本を読みました。現在何が起こっているのか、そしてこれから何が起こりうるか、とても分かりやすく書かれた本でした。しかし、その一方で、事態の深刻さへの理解が深まれば深まるほど、これから起こりうる事態への恐怖は募るばかりでした。本の内容を冷静に読み解けば、世界の破綻は免れないと思えます。テレビでお気楽な未来の展望をしゃべってる経済学者の方々は、その深刻さから目をそらしているのか、本当のバカなのか分かりませんが、かなりピントがずれていると思えてなりません。今、安部芳裕という人の「金融のしくみは全部ロスチャイルドが作った」と、「日本人が知らない恐るべき真実」という本を読んでいます。ユダヤ系秘密結社とか、フリーメーソンとか、イルミナリティとか、陰謀論者の妄想と、全くこういった内容のものを認めようとしない人も多いのですが、信じるか信じないかは個人の自由として、こういう内容のものも知っておいて損はないと思います。この辺りの内容は、我々の生活レベルからは全くかけ離れておりますので、はっきり言ってどーしょーもない世界の話なので、この場で熱弁をふるったところで、妄想癖を疑われるくらいですので止めておきます。が、それでも世の中のいろいろなことを知った上で、自分の立場に置き換えて、どのように考え、どのように行動すればよいのかという、自らの指針とすればよいのではないかと思います。いずれにせよ、やはりどう考えても、世界の経済の悪化は避けられないと思われます。では、そんな世の中の中で私たちはどのように生きていけばよいのか?それは、生き方の価値観を、改めて見直してみることだと思います。何が本当に大切なのか?何を本当に大切にすればよいのか?どのような生き方をすれば幸せになれるのか?ここで重要なのは、自分を中心に考えるということです。カッコつけて、世の中のために、人のために、とかはまずは置いておいてください。まずは、自分が幸せに感じることが重要です。今世界が狂ってしまったのは、すべて「お金」を中心に世の中が動いているからです。「お金」がすべての社会になってしまったからです。そこは、もっと、もっと、もっと.....という、欲望の底なし沼です。もうすぐ、お金では解決できない世の中が来ると思われます。どんなにお金を持っていても、役に立たない社会がやってくると思います。その時、世界は終焉に向かって一気に加速を始めるでしょう。あっ、これは私の勝手な妄想なので気にしないでくださいね。にしても、今どのように人生の価値観を変える必要があるのか?それは、「お金」に偏りすぎたものの見方・考え方を変えることです。これが本当の「CHANGE(チェンジ)」だと思います。あれが欲しい、これが欲しい、お金がない、時間がない.....。本当にそれほどまでに欲しいものなのでしょうか?それは、本当になくてはならないものなのでしょうか?それを手にすることで本当に満たされるのでしょうか?では逆に、あるもの、持っているものを考えてみてはどうでしょうか?お腹が空ば何か食べるものがある、寒くなれば何か着るものがある、雨風をしのげる家がある、暗くなれば明かりがともせる、毎日お風呂にも入れる、オンボロでも車がある、薄型ではないけどテレビがある、洗濯機もある、電子レンジもある、冷蔵庫も、ストーブもエアコンも、自転車だって、ゲーム機だって、パソコンだって、携帯電話だって、な~んでも持っています。そして、温かい家庭だって、愛し合える家族だって、信頼しあえる友だちだって、よ~く考えれば、何でも持っているんです。そりゃ~立場が違えば、すべてとはいきませんが、よ~く考えてみれば、私たちは様々なものを持っているんですね。もっと新しいものを、もっと高性能なものを、もっとデザインのかっこよいものを、もっと.....。その欲望が、今までの経済社会を発展させてきましたが、一方で、世の中を狂わせてきたのも事実です。「足るを知る」日本には、こんな素晴らしい言葉があります。今、この言葉の意味を深く理解する最高のチャンスではないでしょうか。そして、世の中を良い方向へシフトしていく重要なタイミングではないでしょうか。家族との愛情や、友だちとの信頼関係などには、本来一銭のお金も必要ありません。もっと自分の中の、自分の周りの、小さな小さな幸せに目を向けることが大切なのではないでしょうか。自分が満たされるときって、それは決して「お金」の力だけではありませんよね。自分が満たされているとき、自分以外の人への思いやりが生まれます。「足るを知る」ことで、自分が満たされ、自分が満たされることで、思いやりが生まれます。自分が満たされた人が増えることで、思いやりの連鎖が生まれます。どうかモノや金ではない、自分の周りの小さな小さな幸せに目を向けてみてください。時間はすべての人々に平等に与えられています。その時間をどう使うかは、個人の自由です。お金は持っていなくとも、時間はみんな平等に持っています。わかりますか?この意味が?話を元に戻しますが、これからとんでもない世の中がやって来ます。必ず来ます。その時、どう生きるか、どう対処していくのか、すべての人々が考える必要に迫られます。生き方の価値観を変えなければ、生きられない時代がきます。今までの「お金」に偏りすぎた考え方を変えなければ、その間 もがき苦しむことになるでしょう。そのことに気がついて、価値観をチェンジできた人だけが、幸せに生きることができるのだと思います。でも、人間の価値観なんて、すぐに変えられるものではありません。長年慣れ親しんできた、居心地の良い考え方が、それはそれは楽で気持ちが良いです。それでも、変えざるを得ない時が来るようです。強制的に変えさせられるのと、覚悟を決めて自ら変わるのとでは、大きく結果が違ってきます。私は、本を読むことをお勧めします。今からたくさん時間ができる人が増えるでしょう。そうでない人も、本をたくさん読むことを勧めます。時間ができれば、とにかく本を読むことを勧めます。できれば、良書がいいですが、初めはジャンルは何でもいいです。だんだん感性が磨かれて、自分に一番ピッタリの本に出会うようになります。本をたくさん読むことで、自分の中の新しい価値観に出会ってください。テレビはウソばかりです。テレビの中や自分の周りの自称?評論家もデタラメばかりです。自分勝手な価値観で凝り固まっています。そう、自分の周りは「チェンジ」できない人ばかりだと思ったほうが良いです。「チェンジ」できるのは、自分の力のみです。素晴らしい師匠に出会えれば、それが一番最高です。ですが、その方も、その方の価値観で偏っています。本が一番安全で近道のように思えます。そこから自分の中にいる神様が、きっとヒントを与えてくれると思います。教えを請うのにお金を要求するような宗教団体には決してお金は払わないで下さい。本当の宗教は、自分自身と考えることが大切です。神様は自分の中にいるという考え方がもっとも理解しやすいです。この辺りのお話はまたということで。「足るを知る」 と心得る訓練をする。そして、「生き方の価値観を変える」 努力をする。そのために、「本をたくさん読む」 ことをお勧めします。そして、「自分の中に答えを求める」、その結果、「自分の中に幸せを見つける」 ことができるのではないかと思います。ありがとうございます。
2009/01/26
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TVドラマの「夢をかなえるゾウ」のエンディングにかかる シーモって人の、「Continue(コンティニュー)」って曲、 よ~く聞いてるとすごい良い曲で、めちゃめちゃ歌詞がいいですね どーも おっさんになるとラップ調の曲についていけず 食わず嫌いの傾向があったんですけど この「夢をかなえるゾウ」はお気に入りの一冊で、それがテレビドラマになったものだから見てまして、 クラッシック曲「威風堂々」にラップを乗っけて、おもしろいことするなぁ~ くらいにしか思ってなかったんですけど、 サビの部分の、「負けたら終わりじゃなくて やめたら終わりなんだよね」ってとこが ズドーンってきて、 You Tubeを検索してみたら、あったのでじっくり聞いてみたところ、 思わず涙してしまいましたよ いや~、めちゃめちゃ歌詞がいい ♪負けたら終わりじゃなくて やめたら終わりなんだよね どんな夢でもかなえる魔法 それは続けること♪ がんばってるすべての人たちに聞かせてあげたいそんな曲ですね。 続けた人にしか理解できない、やった人にしか出会えない、 そんな境地があることを、伝えたいな~と思うことがあります。 自分自身、今の仕事を何度やめようと思ったか、何度放り出そうと思ったか、 でも、今こうして、自分が幸せを感じることができるのも、 続けてきたからだと、心から思えます。 他にも、 ♪出来ないからやらないんじゃない 出来ないからこそやるんじゃないの? 格好悪くても やってみようよ 君が思うより 君は強いんだよ♪ って部分があるんですけど、 子どもにもよく話するんですけど、 出来ないことがさみしいんじゃなくて、 出来ないと思って、やろうとしないことがさみしんだと。 出来ない時の、苦しさや辛さがあって、出来た時の喜びが心から感じられるのだと。 自転車だって、なわとびだって、水泳だって、野球だって、 出来ないときは、泣きながら、ふてくされながら、怒りながらやってたけれど、 出来始めると、うれしくて、楽しくて、放っといても練習してたじゃないかって。 出来るようになると、その時の喜びを忘れてしまいがちなんだけどね。 だからこそ今のその気持ちを大切にするんだよって。 「初心忘するべからず」ってやつですね なんだってそれと同じなんですよね。 格好悪いって思うのは自分の勝手な思い込みで、それを見てる方はがんばってる人を見て、 案外かっこいいって思ってたりするもんなんです。 ♪時にバカにする奴もいるだろう ならば見せてやれ悔し涙を そして笑え むしろチャンス 言ってやりなよそいつに「サンキュー」♪ ♪泣いた後でも問題ない 格好良いじゃん 隠すのもったいない 顔をあげて 毅然とした態度で 最高の大声で叫べ♪ そしてやり抜いた時には、曲の中のこのフレーズが、理解できる時がくると思います。 ♪負けたら終わりじゃなくて やめたら終わりなんだよね どんな夢でもかなえる魔法 それは続けること♪ やれる やれる まだまだやれる!!大変な時にこそ、大きなチャンスもあるもんだ。 感謝と謙虚の気持ちを忘れずに、 自分のため、大切な誰かのために、がんばってみよう !!きっと良いことがあるよ♪ありがとうございます。
2009/01/24
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今朝読んだメルマガの中に素敵な一文があったのでご紹介。 「自分の運命が、 技術や能力よりも、 偶然や幸運など、説明のできないことで決まることのほうが多い ということに気づくには、時間がかかります。」 ホントにその通りだと思います。こういうことに気がついた人は、すべてのものに感謝する生き方が できるんだと思いますね。今上手くいってるのは、すべて自分の実力だと思ってる人、 上手くいってないのは、すべて他人のせいだと思ってる人。 そんな人が多いですよね。みんなそんな道を歩んで大人になっていくのだと思うけど、 その域から、早く脱出して、感謝やお陰さまでの生き方をすると とっても楽になれるんだと思います。 でも、一つ注意が...。斉藤一人さんがおもしろいことをおっしゃられてましたが、 「 実るほど頭をたれる稲穂かな ってことわざがあるけど、 最近は 実ってもないのに感謝だ謙虚だって頭だけでやってる人がいるの、 実ってもないのに垂れてたら、これは病気だからね、 こーゆー人って気持ち悪いの。 」 って なるほど納得!! だから反抗期があったり、虚勢を張ってみたり、突っ張ってみたり、 一見無駄なような人生の中にも、いっぱい意味があるんですね。 そういうことを頭ごなしに否定してはいけないということなんでしょうね。 いろいろな経験の中から、いろいろな道を歩んでみて、 本物の感謝って見つけられるのでしょうね。 周りの人のお陰で今の自分があると思うと、みんなみんな大切な人ですね。 ありがとうございます。
2008/12/15
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世の中には、ただただ世界の平和と人々の幸福な暮らしだけを祈り続けている人がいる。今の坊主や新興宗教の教祖などは、檀家からお金をせびり取るだけの、私腹を肥やすだけの似非宗教家ばかりであるが、本来の宗教とは「祈り」なのだと思う。友人の勧めで「浅川嘉富」と言う方のホームページを拝見させていただいたのだが、( こちら→ http://www.y-asakawa.com/index.html )実に興味深い内容のものばかりです。そこで紹介されているのが「比嘉良丸」氏でした。まだ私も詳しくは知らないのですが、大変興味をそそられ、早速本を注文させてただきました。また、ご紹介させていただきます。他にも、命がけで地球を守る活動をされておられる方を知っていますが、こういう方々のお陰で、我々は守られているのだと真に感じることがあります。まっ、あまり関心のない方にとっては、キチガイじみた宗教臭い話だけですけどね。以前に、ジュセリーノ氏を紹介しましたが、2008年9月13日にマグニチュード9クラスの地震が東海地方もしくは中国で発生するとの予言があります。あと数日です。私は一応情報として友人知人にはお知らせし注意を促しています。この前後数日も含め、できるだけ外出は避け、もしもに備えることをお勧めします。信じるか信じないかは本人次第です。私は一応備えをしようと思っています。だだ、ジュセリーノさんの予言がここのところ当たらなくなってきています。これはジュセリーノさんにとっても願ったり叶ったりなのです。そのために公的機関に常に情報を発信し続け、一人でも多くの人々に危険を回避してもらう事が彼の目的とするところです。私が思うに、このような予言が回避される要因の一つに、祈りの人々の「祈り」のお陰があるのだと思います。そんなアホなと思われるかもしれません。でも私はそのような日の当たらない所で、自我を持たない人々の活動があることを信じます。目に見えない力によって、生かされていることに感謝できます。9月13日、何もないことを心から願います。私一人では何もすることはできませんが、それでも世の中が少しでも良い方向へ向かうために、小さな小さなちっぽけなものかも知れませんが、そんな想いを寄せたいと思います。我々は、この荒んだ世の中で、どう生きるべきかを、神様に問われているのかもしれませんね。一人ひとりが小さなことから良いことに想いを寄せるそんなほんの小さなことからで世の中は変わり始めるのかも知れませんね。良い想いを心に描きましょうね。ありがとうございます
2008/09/09
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今更ながら、「ホームレス中学生」を読みました。映画の番宣のようなものを見てつい気になって。ベストセラーにもなり、評判は良いのは知っていましたが、芸能人の本というのはどーも中身がなさそうで、今までもほとんど読んだことがなかったです。感想はというと、読み終わるまでの2時間ほどの間に、何度ポロポロと涙をこぼしたことでしょうか。感動をいただきました。文章も、編集者が作ったような感じはなく、(注 : 本の中には編集者が、インタビューや講演テープなどから原稿をつくり、 専門家の手で読者が喜ぶような、いわゆる売れる本に上手にまとめられ、 本人には出版許可だけもらって販売しているようなものもたくさんあるようで、 だから芸能人や有名人の本はあまり好きではないのです。)田村氏の言葉で、田村氏らしい表現で、いかにも素人が書きました風な文章がとても好感が持てて、だからこそ、何かみょーに伝わるものがあって、感動とともにあっという間に読み終えました。ただ一言いわせてもらうなら、ちょっと話がドラマティック過ぎて信じられへんな、というくらい、不幸の中に、ラッキー&ハッピーがありすぎな感じでしたね。というのが、人間関係。とっても温かい人たちに囲まれていたお陰で、主人公は愛や感謝の意味を知ることができ、生きる勇気を与えられ、本当に人情味溢れる物語で、だから読む人の心をつかむんだなと感じました。「3丁目の夕日」などもそうですが、人情味のない現代社会に生きている自分たちだからこそ、そういう人情味溢れる世の中に憧れるのかもしれませんね。また、「お母さん」への想いを通して、自分の生きる意味に気づいていく姿に感動した人も多いのではないかと思います。女性の中には、男がお母さんに思いを寄せる姿は、すぐに「マザコン」という言葉で気持ち悪いように表現しようとしますが、私は、人は男も女も、基本的にはある意味「マザコン」で良いのではないかと思います。ある人が僕に話してくれたことがありました。母の存在は「愛」そのものであると。「お母さんはね、あなたがいるから幸せよ。」「お母さんはね、あんたが大好きよ。」幼い時にそう言って抱きしめられた記憶だけで、十分に生きる支えになってきたと。父は、尊敬の対象であったけれど、母の存在は「宇宙愛」であることに気づかされたと。その方は、お母様が亡くなられたときに、失意で何も手に付かなくなったそうです。それほどまでに、母の愛は深いのだということを知らされました。元気で生きていると、会えば小言ばかり言われてうるさい存在だったりしますが、いつでも会える、また今度ね、って、ついつい粗末に扱ってしまいがちです。でも、本当に心から自分のことを心配してくれているのも「母」なのだと思います。特攻隊へ行った兵士の手紙には、その多くが母への想いが綴られています。まさに死ぬときには「お母さーん!」と叫んで突入していきます。小さい子どもが、何か困ったことや、苦しいことに直面したときまず「お母さん助けてー」と言うでしょう。愛にすがりたい時は、必ず「母」なんですよね。これは、余談ですが、女房と息子のことで話をしていたときに、「ゆーくん、お母さんのこと好き~?って聞いたら、嫌な顔するんじゃ~。」って。「怒るば~するけなぁ~、って言うんよ~。」と、私と息子の仲に嫉妬気味に言っていたのですが、そこで私も一言。「そーよーても(そう言ってても^^;)、どーせ最後はお母さんなんじゃけー。」「特攻隊も死ぬときはお母さーん!って言うし、助けを求めるときはほとんどお母さーん! って言うんて。お父さーん!って叫ぶ奴はおらんのじゃって。」と言うと、ニンマリと喜んでおりましたわ。内心は、「ハッハッハ!オレの方が勝っとるぞ~!おまえになんか負けるもんかー!」って思ってましたけどね。(笑!)でも、その割には、マザコン的に感じるものはどーも嫌いらしく、別に私はマザコンではないけど、私がする母の話などには積極的には乗ってきませんな。(困)これが嫁と姑の関係なのでしょうな。(^^;)女っちゅうもんは、どーもめんどくさいですな。って、話が完全に脱線しておりますが、そーいうことで、「ホームレス中学生」、よかったら読んでみてください♪
2008/04/17
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ミクシーで素敵な詩にご縁させていただきました。醍醐千里さんという方の、「魂の約束」という詩です。シビレました。感動しました。ぜひご覧下さい。ミクシーに登録されている方は こちらから → http://mixi.jp/view_diary.pl?id=248585382&owner_id=1027700醍醐さんのホームページは こちらへ → http://www.geocities.jp/shicago3137/ 「魂の約束」 醍醐千里 私たちは生まれるとき、神様から魂をいただきました。 みんなその魂を、自分の真ん中においています。 魂は磨けば磨くほど光ります。 漢字の練習を一生懸命しました。 魂は昨日より光ります。 電車でおじいさんに席をゆずりました。 魂は昨日より光ります。 弟におやつをあげました。 魂は昨日より光ります。 今日はごめんねが言えました。 魂は昨日より光ります。 あの人にありがとうが言えました。 魂は昨日より光ります。 努力をすることや、誰かや何かに優しくすることは、 魂を磨きます。 けれど 努力をすることや、優しくすることだけではなく、 楽しいこと、うれしいことも、 魂を光らせることが分かりました。 友だちと楽しく大笑い。 魂は昨日より光ります。 誕生日のプレゼント。 魂は昨日より光ります。 楽しいことやうれしいことも魂を磨くと知って、 私はなんだかホッとしました。 ある日、そうじをさぼって友だちと遊びました。 友だちと楽しく大笑い。 けれどその日、自分の中の魂を見て驚きました。 あんなに楽しく笑ったあとだったのに、 魂は、光るどころかくもっているのです。 ある日、友だちからネックレスをもらいました。 お店から盗ってきたネックレスだと言います。 ほしかったものなので、 よく考えもせずにそれを受け取りました。 その夜、魂を見てみたら、その日もまた魂は、 昨日よりくもっていました。 ある日、一人が言いました。 ねぇ、あの子、はぶかない? あっという間に、その子はひとりぼっちになりました。 私は、その子をひとりぼっちにさせる側にいました。 その輪の中で私には、急に仲間が増えました。 新しくできた仲間とともに、 おもしろおかしく過ごしました。 そんな日々を送る中、 私は久し振りに、自分の中の魂を見てみました。 私の魂は真っ黒になっていました。 私は、自分の魂の色を見て、 とてもおそろしくなりました。 楽しいこと、うれしいことの中にも、 魂をくもらせること、 魂を濁らせることもあると分かりました。 楽しいこと、うれしいことには、 2種類あると分かったので、 これからは、 気をつけていかなければならないと思いました。 * 毎日魂を磨き、 毎日魂の様子を見ているうちに、 私は不思議なことに気がつきました。 磨いたつもりのない日でも、 魂の輝きが、増しているときがあるのです。 そういう日の一日を振り返ってみると、 その日は、きれいな花を見たり、美しい夕焼けを見たり、 そういう日だったことが分かってきました。 映画を見たり、本を読んだり、音楽を聴いたり。 そういうことでも魂を、磨くことができるのです。 楽しいことやうれしいこと、 目にした景色や、聞こえてくるメロディ、あたたかな言葉。 その日その日のなんでもないことも、 私の魂を磨き続けてくれたのです。 * できるだけ魂を光らせようと、毎日を送っていましたが、 ある日、私は少しだけ疲れてしまいました。 夢の中で私は、神様に会いました。 夢の中で私は、神様に聞いてみました。 神様、私はいつまで魂を磨けばいいのですか。 私の魂は、いつ完璧に美しくなるのですか。 神様は言いました。 あなたは、あなたの最後のひと呼吸まで、 魂を磨き続けなさい。 みんなその約束をして、地上に生まれているのですよ。 でも、神様、磨き終わらないうちに、 最後のひと呼吸がきたら、 どうすればよいのですか。 心配しなくて大丈夫。 あなたの魂は、最後のひと呼吸のとき、 必ず、最高の光を放ちます。 神様、私にはその自信がないのです。 あなたは、毎日魂を磨いています。 だから大丈夫。 最後のひと呼吸のとき、 魂はそれまでで一番美しい姿を見せてくれます。 何も心配いりませんよ。 あなたの魂は毎日、昨日より輝きを増しているのです。 ときどき、自分の魂を、離れたところから見てごらんなさい。 あなたの魂があなたの体を越えて、 まわりに光を与えていることにも、 気づくことができるでしょう。 このごろでは、あなたの魂の輝きで、 道を明るくする人も増えてきました。 さぁ、戻って、魂を磨いてきなさい。 毎日を楽しくうれしく感謝の気持ちで送るのですよ。 そうするとあなたの魂は、キラキラと光を強くしていきます。 あなたがここに来るのは、まだまだずっとずっと先。 あなたの人生を、楽しんでいらっしゃい。 あなたがどんなに素晴らしい魂を持って、ここに帰ってくるか、 私はそれを楽しみにしています。 * 目が覚めた私は、 それまで気づかなかったことに気づきました。 昨日より今日。 今日より明日。 私の魂は輝きを増し続け、毎日新しく生まれ変わります。 そして必ず、その日の魂が1番光る魂。 少しの努力、優しい気持ち、 そして うれしいこと、楽しいこと。 日々の中に散りばめられた美しいもの。 神様との約束を思い出したので、 私は、なんにも心配しないで、 毎日を送っていくことができそうです。 なんにも心配しなくても、 私の魂は、昨日より光ります。 光り続けます。 (完)
2008/03/14
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映画「アース」を見に行ってきました。あっ!行かなくっちゃ!って思ってネットで調べたらここら辺では、イオンのMOVIXしかやってなくて、しかも夜の上映しかなかったので、どうしようかと思ったのですが、やっぱりDVDで見るよりも、この映像は映画館で見ておかなければ!!、と思いあまり乗り気でない子どもも引きつれ、一家4人で行きました。最終日ということもあり、夜だというのに結構家族連れもいて、その関心の高さを感じましたよ。映画はナレーションに従い淡々と進み、子どもは退屈してすぐ寝てしまうかなぁ~と思いきや、その美しい映像や、迫力に、何かを感じたのか、じっと見入っていました。...........途中まで。 (o´д`o)=3夕食も済ませて19時30分からの上映、おぼっちゃまはさすがに退屈して、ラスト30分くらいは爆睡。娘も、1時間を過ぎたあたりからややお疲れ気味。逆に驚いたのが、女房が最後まで寝ないで起きていたこと。w(°0°)w オォー 予想はしていましたが、ドンパチやるわけでもなし、ヒクヒク泣けるような感動ドラマがあるわけでもなく、美術館で美しい絵をみるようなものですので、そりゃー子どもにとっては、家でポケモンでもみよーるほうがええですわなぁ。それでも、それでも おとーさんは、何か心で感じてもらえればと、この映画を見せたかったのですな~。なのに、なのに、なーのに、帰路の車の中では、爆睡中に起こされ、ご機嫌斜めの息子と、帰ったら宿題せんといけんって、ややフテ気味の娘で、素敵な?映画の話題で盛り上がることもなく、ちょっとさみしいおとー様でありました。せっかく、せっっっかく、子どもに美しいものをみせてあげようと思ったのに......。(´△`)↓ ガッカリかくして、タケ侍家のセレブな一日は終わったのでありました。映画「アース」見てね♪ホントすごい良いですよ♪http://earth.gyao.jp/
2008/03/07
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「惑星 X」 って聞いたことがありますか?ほとんどの人が 「なんじゃそりゃ?」だと思います。太陽の周りを惑星がグルグル回ることを「公転」と言いますが、海王星よりさらに外側を公転している惑星があることが続々と確認されているとのこと。「X(エックス)」ってのは、「未確認」という意味でつけられているそうですが、その「惑星X」が、2012年に太陽に最接近するらしいのです。はい、ここで、「2012年」という年号についてご存知の方はピンときたと思いますが、「2012年」がどしたの?って方は、ぜひ一度「マヤ文明」とか「マヤ暦」についてちょこちょこっと調べてみていただければ面白い発見があると思いますよ。いわゆる、「2012年12月22日 人類の終焉の日」と予測される日のお話です。(この前のジュリセリーノの予言といい、悲観的な話ばかりでスミマセ~ン。)次元上昇とか、フォトンベルトに突入とか、ちょっと変わった人たちのお話かとおもいきや、案外無視することのできない内容なのですよ。で、話を「惑星X」に戻しますと、この惑星Xは、太陽の周りを3600年かけて1周しているそうで、今、それが海王星の外側で発見されたと、先日もニュースでやっておりました。ニュースでは、発見されたという内容だけで、接近しているなんてことは言ってませんが。このタイミングで、私は、「5次元世界への超扉~イベントホライゾン2012」 エハン・デラヴィ著 (徳間書店) 571円という本を手にしてしまい、あ~れ、ビックリ!!!まさに...という訳でございます。この「惑星X」が太陽に接近していて、その影響で、太陽に異常が起こっていて、それがここ数年の、異常気象や地球の温暖化など、環境問題にも様々な影響を及ぼしていると。で、2012年には太陽に最接近して、いろんなことが我々にも起こってくるというお話。スピリチュアルとか、アセンションとか、フォトンベルトとか、そういう言葉を、初めて耳にされるような方には、この本は全くアンビリーバブルな内容で、オカルトみたいな感覚を受けられると思うので読むだけ時間の無駄になってしまうかもしれませんが、精神世界に少しでも興味のある人は、読んでみると面白いと思います。めんどくさいんで(ゴメンネ^^;)、内容について詳しく紹介しませんが、私も「ふ~ん。」「あぁ、やっぱりそーか。」って感じで、なんと申しましょうか、「感じ取る。」って感じでしょうか、そんな読み方でいいのではないかと思います。こういう内容の話は、親、兄弟、夫婦でさえも、考え方や感じ方がなかなか合いませんから、相手を無理やり自分に合わそうなんて、絶対に無理ですから、そんなこと思わずに、そんなことに時間と労力を使う前に、感じ方の合う人と仲良く楽しめば良いだけのことなんですね。だから絶対に言い争いや、もめ事は起こらないのがホンモノなんだと思います。ということで、(ホントはマジオススメなんだけど、まぁ変な話だから...)今日もなんだかよくわからない話でスンマせ~ん。
2008/03/05
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ニューウェイズというネットワークビジネスの会社が営業停止処分を受けましたね。テレビで詐欺商法だなんだとボロカスに言われてます。確かに今回摘発された連中の手口は詐欺そのものです。刑事罰受けて消えてくれればいいような人たちです。(こういう奴らは、何度でも悪いこと繰り返します。 詐欺に対する刑が軽すぎますね。)ですが、私は ネットワークビジネスそのものは肯定的なんです。実は 私もやってますから。(笑!)ネットワークビジネスをあからさまに悪く言う人の多くは、やったことのない人、少しかじって失敗した人、知り合いに誘われて嫌な思いをした人、知り合いがネットワークビジネスをしていて、そいつがスゲー嫌な奴という人.....。(笑)そんなとこころでしょうか。まー、いずれにせよ、とにかく偏見がひどい。ほとんどの人が、ネットワークビジネスと聞くと、ネットワークビジネス → マルチ商法 → ねずみ講 → 詐欺という風に理解してしまいます。「何の努力もせず、他人を利用して、お金を稼ぐ人々。」と思っているようです。まっ、必ずしも100%そうではないとは言いません。だって、今回のニューウェイズのような奴らもいることは間違いないのですから。それも、少なくない比率で。あーいう一部のバカのせいで、ネットワークビジネスはいつまでたっても世の中に正当に評価されないんですね~。今回、彼らは絶対にやってはいけないことをやっていました。一つ目は、「儲かる」という誘い。二つ目は、「他社の批判」。三つ目は、「病気が治る」という説明。これらは、詐欺商法の典型的な手口です。ネットワークビジネスに関わる人間で、これらを声高に謳っている連中はお金だけが目的のネットワーカーという人たちです。自分さえ儲かればいいという、悪質極まりない人たちです。まず関わらない方がいいでしょう。詐欺師は、ホント言葉巧みにその気にさせますから、とにかくそのような人物とは、近寄らない、関わらないのが一番です。これホントです。さて、さて、しかし、お金が目的じゃないのか? と言われれば、その通りで、お金が欲しいからビジネスとして取り組むわけです。ですが、お金”だけ”が目的か? と言われれば、そうではないと否定させていただきます。お金だけが目的で取り組むと、まずこのビジネスはうまくいきません。この入り口を間違うから、被害者が生まれ、悪評が後を絶たないのです。なぜなら、素人が、いきなり流通(商売)の世界に入って、すぐに成果を出そうなんて考えが甘すぎです。そんなに簡単に、お金を儲けられるハズがないんです!!!お金を稼ぐということがどんなに大変なことか、世の中の仕組みがどうなっているのか、どんな人たちが関わっているのか、世の中にはどんな種類の人間がいるのかなど、そんなことが何となく分かるようになって、初めてお金が稼げるようになるのです。おそらく、タチの悪い人にご縁した人は、ここに行き着くまでに、多額のお金を使わされて、悪いイメージを持ったまま、やめていきます。ネットワークビジネスだけではありませんよ。インターネットの中には、「儲かる!」「稼げる!」という誘い文句の情報があふれています。副業の紹介、アフィリエイトや情報商材。それらも、高額でノウハウを購入したものの、結局トライしないまま放置状態、もしくは中途半端なままやめてしまい、時間とお金を無駄にしただけ、そんな経験者も結構おられると思います。誰にでも簡単に、何もしないで儲かる。そんな話は、絶対にありませんから!!!でもね、キチンと勉強して、努力すれば、収入をあげることは可能なんです。お金を稼ぐゲームではないのですから、お仕事(事業)として取り組むのであれば、それなりのマナーや常識が必要なのは当たり前です。本気でまじめに取り組んでる人もいっぱいいます。そのような方たちは、勉強熱心ですし、礼儀正しく 誠実な人も多いんですよ。ネットワークビジネスという職業で、人を判断するのは良くないと思いますね。ちょっと話が変わりますが、仕事をやっていて、商売をやっていて、「成功とは何か?」と、聞かれれば、みなさんはなんと答えるでしょうか?おそらく、ほとんどの方は「お金持ちになること。」と、答えるでしょう。正解です!でも、お金持ちって、一体いくら稼いだらお金持ちなんでしょう?月収100万円? 年収1000万? 3000万円? それとも1億?お金持ちの基準なんて、人それぞれですよね。ここにみんな騙されるんです! 自分に不釣合いな、大きな収入を想像させられるから自分に不釣合いな、大きな出費をさせられてしまうのです。大きな家に住みたい、かっこいい車に乗りたい、高級ブランド品を身に付けたい、毎年海外旅行に行きたい、etc...。そうですよね~、その通りです。でもそれらは、本当にその価値をよく理解していて、心の底から本当に欲しいと思っているのでしょうか?もし、この地球上に、自分ひとりしか居なかったとしても、同じように、大きな家に住んで、ブランド物を身に付けて、と思うでしょうか?確かにたくさんお金があればあるほど、より快適な暮らしが出来るでしょう。でも、みなさんが理想とするほど 今現在お金を持っていなくても、みなさんはもうすでに 十分豊かな暮らしを送ってはいませんか?まだまだ足りませんか?そもそも、足りないと思っているものは、お金ですか?本当は、もっと他のものが欲しいのではないですか?時間だったり、愛情だったり、信用だったり、そして、自分への満足度であったり.....。他人と比較するから、必要もないものが欲しくなるのではないですか?優劣の基準を、”物(もの)”に置くから、どこまでいっても満たされないのではないですか?他人ばかり見て、人をうらやむから、自分に必要のないものまで求めて、自分をどんどん見失っていくのではないでしょうか?自分にとって何が一番必要なものなのかを知りさえすれば、決して騙されることもないですし、道を外すこともないです。明確に答えを持つことは難しいです。難しく考えなくても、何となく思う、それくらいでも良いのだと思います。でも、人間は 楽な方へ楽な方へ行くようにできちゃっているようで、だんだんブレが生じてきます。その時に、自分の軌道修正をするために必要なのが、自分の 「信条」 とか 「信念」 だと思うんですね。「これでいいのか?」「今の自分はこのままでいいのか?」「オレは間違っていないのか?」って、自問自答する時間というのが時には必要です。まぁ、大抵は、放っておいても勝手にそういうときがやってきます。その時は真剣に向き合ってみることです。こういう時間を大切にする人は 自分を大切に出来る人だと思います。自分を大切に出来る人は、他人も大切に出来る人です。悩み苦しみ自問自答する時間こそが、自分自身を強く、そして豊かにしてくれます。そう思えば、真正面で受け止めることができるでしょ。忙しくてそんなこと考える暇もないって?それは仕方がないですね。でも、僕は「 会社辞めてでも作るべき 価値のある時間 」だと思いますけどね。(本気にしないでね。^^;)でね、要は、今日 僕が 何を言いたかったかといいますと、ネットワークビジネスが良いとか、悪いとかではなく、”お金”を稼ぐために一番大切なことは、 「信用なのだ!」 ということだったんです。(前置き長げ~.....関係なさそうな話バッカじゃんてか ^^;)信用を得ようと思うと、一朝一夕では不可能なんですね。「 継続は力なり 」 って言いますが、「 継続は信用なり 」 なんですね。毎日毎日の小さなことの積み重ねが、時間とともに大きな財産となるんです。これは資産評価できないくらいの財産となるのです。副業とか、起業とか、考えてる人には、ここに価値を見い出して欲しいんです。お金を稼ぐこと以上に、多くの信用が得られる喜びを知って欲しいのです。仮に、大した収入を得られなかったとしても、「ありがとう。」「助かったよ。」「あんたが言うんなら大丈夫じゃろ。」って、どれだけの人から言ってもらえるか、これは何にも代えがたいことです。それには、当然、時間と努力が必要です。信用に値するだけの人格が必要です。やり続けた人しかその喜びを味わえません。やり続けるためには「覚悟」が伴います。「覚悟」ができた人は、必ず成功します。コツコツコツコツ続けていけば、必ず驚くほどの成果につながります。多くを求めない結果として、多くを手に入れることになるのです。そういう風に取り組める人こそ、ネットワークビジネスは最良の副業(または本業)となるでしょう。(なんだ、結局 これが言いたかったのか? って言わないで下さいね。^^;)どのような人とご縁するかで、人生は大きく変わります。これは間違いありません!人生は出会いです。悪い人にも必ずご縁します。(笑!)その時に、早く気づいて、早くその縁を切ることです。そして、高い授業料を払ったと思ってあきらめることです。そして、コツコツ努力をし続けるなら、また良いご縁に恵まれます。最後に一言、こういう世の中ですから、次なる一手を持つことは大切ですよ。副業するのもよし、資格の勉強するのもよし、本を読むのもよし、一日に1時間でも、30分でも、自己投資する時間を作りましょうね。新しい挑戦は、自分に自信がつき、新しい自分を発見する最良の方法ですよ。長くてゴメンね。(苦笑^^;)ありがとうございます。
2008/02/22
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ジュセリーノってブラジルの預言者ご存知ですか?ついこの間テレビでも特集やってたらしいんだけど、見損なってしまった。残念、無念...。的中率90%ってホントかウソか知りませんが、とにかくスゴイらしい。小さい頃から、夢で見たものが現実に起こる「予知夢」として、その内容を政府や公的機関などに手紙などで知らせてきたそうです。ブラジルの学校の教師で、予言でお金を取ったりはせず、あくまでも自分の見た予知夢が世の中のために役に立てばという想いで、活動を続けてきたそうです。その的中率の高さから、最近になってマスコミが取り上げるようになり日本でも話題になるようになったとのこと。過去に的中させたもので有名なものは、1995.3.20 地下鉄サリン事件2001.9.11 世界貿易センターへのテロ攻撃2004.12.26 インドネシア スマトラ島沖地震 津波2007.7.16 中越沖地震2007.10 アル・ゴア氏ノーベル平和賞受賞などなど。信じるか信じないかは個人の自由なんですが、私は、これから未来の予言を見ても、当たるだろうなと思います。その内容はかなり悲惨なものですが、これらのことはかなり高い確率で現実に起こってくるであろうと”予測”されます。現実に今起こっている世界の現象からみても、環境問題に関する予言は、ある程度その知識を持つ人であれば想像できるような内容ではないかと思います。その内容とは、2011 水不足が原因で戦争が始まる(アラブ方面)2013 出血性デング熱により、7300万人の死者が出る可能性がある2015 ヨーロッパ全土にて大干ばつ 地球規模で大干ばつ (2017年)2021 日本は摂氏56度に達する可能性がある(2021年までに)2023 世界の3人に1人は水不足で苦しむ恐れがある2024 100mlの水の値段は石油1バレル(180?)より価値を持つようになる2029 世界中に鳥インフルエンザが蔓延し 数千人規模の死亡をもたらす可能性がある2033 ヨーロッパで高濃度の酸性雨が降り、多大な被害をもたらす(8.15)2039 イタリア・ベニス 押し寄せる水によって破壊しつくされ消滅する(3.19)2040 「世界の肺」と呼ばれるアマゾンの熱帯雨林消滅 2043 約80%世界の人口が減少する(2043年までに).......................................。あなたは、「どーせ、予言でしょ?そんなのありえねーし!」「誰かがそのうちどーにかするでしょ?」な~んて、いつまで平和ボケの状態でいられるでしょう.....。知らぬが仏。知らない方がいいかもしれませんね。ただ~し、ジュセリーノ未来予知ノートの73ページ1行目より、こんなことが書かれている。「 環境問題について、私の予知夢は 若干の希望をも指示している。IT技術が発達している今日 、もし 科学者が情報交換を積極的におこなって環境問題に取り組めば、まだ比較的初期段階にあるバイオテクノロジーに革命がおき、大きな進展を見せるだろう。自然環境を回復する新しい方法が生み出され、農業が活気づく。」みんなで力を合わせてがんばりましょう~!!!参考文献■『未来からの警告(ジュセリーノ予言集1)』■『ジュセリーノ未来予知ノート』
2008/02/18
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今朝メルマガで入ってきた節約情報をプレゼント。もうご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが、この4月から、自賠責保険がドーンと安くなるとのこと。車検のときなどに、2年分とかをまとめて支払っている場合が多いのであまり気にされたことも無いかもしれませんが、車検って高いよな~とは感じておられるハズ。その3割以上をこの自賠責保険(別名、強制保険)が占めているんですね~。大した補償も無いのに。同額の任意保険に入れば、かなりの補償がつけられますが、こればっかりは仕方がない。強制ですから(^^;)さて、さて、いくらくらい下がるのかと言いますと、ジャン!!・ 普通車 30,830円 → 22,470円 (▲8,360-)・ 軽四輪 25,000円 → 18,980円 (▲6,020-)・ バイク(250cc超) 20,240円 → 13,400円 (▲6,840-)・ バイク(~250cc) 14,460円 → 12,080円 (▲2,380-)・ 原付 (~125cc) 10,140円 → 8,790円 (▲1,350-).....これくらい。多いと思うか、少ないと思うかは個人差があると思いますが、なんせこの世知辛い世の中、わずかでも節約は大切ですよ~、みなさん!が、しかし!!私のように、ついこの間、車検済ませたよ~ (´Д`;)ガーン という方、ちょっと面倒ですが、4月なってから、新しく安い方の自賠責保険に加入して、その後に古い方の自賠責保険を解約すると、保険料が返ってきて、差額分を得することができるそうです。それっぽっちのことで、 面どくせー!!! って言ってるアータ!アータのような人に限って、お金が貯まらないで年中ピーピー言うとるのですよ!こういうところで無駄をしっかり抑えて、使うときにはパァァーっと使う!これ大事ですよ! ( ̄∇ ̄)v (あまり私は偉そうに言える資格は無いのですが...。)あと、生命保険はホント払いすぎてる人が多いので見直しを勧めますよ。特に親戚とか友だちとかから付き合いで入ってる人、絶対損してます!(笑)浮かしたお金で、家財保険を掛けた方がいいかも?(災害に備えて)それと、携帯電話は2台目持ってもソフトバンクをうまく利用するとお得?かな?スカイプとか知ってます?インターネットのタダ電話。これも便利!ネットバンクは新生銀行がオススメ!支払いはなるべくカードにするといっぱいポイントたまって結構すごいよ。ちなみに僕はライフカード。(ポイントでETC車載器を2台もタダでもらっちゃったし)それと、う~んと......。あっ!どこのガソリンスタンドが安いかを考える前に、車には乗らないこと.......!!? おれは何屋や?ということで、今日はこのへんで。(ここ4、5日ほど病魔に侵されておりまして、今日あたりボチボチ復活です。☆^▽^☆)
2008/02/15
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さて問題です! 私の生活必需品は何でしょう?正解は、............糸楊枝。えっ?読めないって?いとよーじ!英語で言うと、デンタルフロス。 (おれって、知識人!?)我が家では、通称「ハクソトリキ」 (意味分かった?)うわっ!!汚ねぇー!!って 今 言った?(確かに下品、スンマセン。^^;)2年位前に、奥歯が痛くなって治療して”かぶせ”をやりかえたのよ~。そーしたら、そこの歯医者がヤブで、スキッパになってしまったってわけ。もーーーそれ以来、何か食べると、はさがって、はさがって。(はさがるって言うよねぇ?)気持ちワリ~のなんの、気になって、気になって、わかってくれる?この気持ち?糸よーじ持って出かけるの忘れた日は、食後は、仕事になりません!!まさに、奥歯に何か挟まったような...って感じで。家の食卓にはもちろんのこと、車の中、かばんの中、スーツのポケットの中、ありとあらゆるところに、糸よーじアリです。もう手放せマセン。って、こんなこと、ブログで言うことか?.......。(^^;)クソ~、あの歯医者、精神的苦痛とかで、慰謝料請求すんぞ!とか申しておりましたら、夕食が出来たようです♪ささっ、ご飯、ご飯♪
2008/02/08
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「輸入小麦30%値上げ」原油の値上がりの影響が顕著になってきましたね。30%値上げって、ちょっと凄すぎです。めん類やパンなどの値段がどれだけ変わってくるのでしょうか?戦後お米を食べなくなった日本人にとって、お米の文化を見直す良い機会になれば良いと思いますが、もう日本の農業の事態は深刻化しています。小麦製品の普及に伴い、お米は政府によって減産させられ、日本の農業は衰退し...この話はまたにしておいて、この小麦相場の高騰の原因を1.バイオ燃料の利用が広がり穀物需要が急増2.中国などの経済発展に伴う食糧需要の増大3.オーストラリアの干ばつによる不作など地球規模での気候変動と新聞では報じていました。そう、ここでもやっぱり中国が絡んでくるんですね~。今の中国はホント要注意なんです。いろいろな意味で。世界の食糧事情は、中国の出方次第で大きく狂ってくると思います。その時、食糧自給率40%の日本は、食糧の輸入が困難になっていき、もっともっと食品の価格が高騰してくることでしょう。自国が食べれないのに、外国が食糧を輸出してくれるでしょうか?これまで、農地を求めて世界中で森林伐採が進められてきました。地球温暖化を加速させる大きな原因の一つです。今、アマゾンまでもが森林伐採がすすんでいます。アマゾン川流域の熱帯雨林は、人間が作り出す二酸化炭素を吸収して、酸素を作り出してくれる地球に残された最後で最大の空気清浄器とも言える役割を担っています。そのアマゾン川流域の熱帯雨林伐採の急加速の背景には、バイオエタノールの需要拡大があります。バイオエタノールの原料となるトウモロコシの値段が上がり始め、アメリカの大豆農家が、トウモロコシへ生産を切り替え始めているとのこと。実は大豆も不足状態がすすんでいます。トウモロコシも高騰が進み、飼料の価格が上がり、日本の畜産農家も大打撃を受けています。その大豆不足を補うために、アマゾンの熱帯雨林を伐採して大豆畑を作り始めているそうです。その大豆をめぐって日本と中国が争奪戦を繰り広げているそうですが、今バブルで沸いている中国にはお金があります。こうして、日本の商社も、世界から食糧を調達できにくくなっているのが現状のようです。日本の大豆加工食品、豆腐や納豆などにも近いうち影響が出てくるでしょう。こうした大豆畑の急拡大が進む中で、アマゾンの熱帯雨林がなくなり、地球が滅んでいくのが先か、大豆、小麦などが輸入できなくなり、食糧難で日本が滅びゆくのが先か、いずれにせよ、このままでは地球の破滅は間違いないでしょうね。
2008/02/03
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夢をかなえるゾウ去年の秋に本屋さんで何気なく買ったんですが、これがもう最高に面白い!どこにでもあるような自己啓発本と同じように思われがちですが、読みやすさ、おもしろさでいくと、今までたくさん読んできた本の中で、ベスト10には確実に入ります。ゲラゲラ笑わせながら、涙と感動までさせます。ちなみに私は、本を買うのが趣味???というくらい、本を買います。読んだかどうだか分からないけれども、この10年で1000は行きませんがそれに近い本を”買っています”。(くどいようですが、読んだかどうかは別です。^^;)「成功した~い。」「お金持ちになりた~い。」「人生を変えた~い。」ということで、誰しも一度や二度はこうした自己啓発本を手にしたことがあると思います。もういっぱい読んだわ、と言う人も、そんなんもん、と~にあきらめとるわ、と言う人も、きっと新鮮に感じる内容だと思います。この本に登場する インドの神様 「ガネーシャ」。関西弁丸出しで、ハチャメチャな日々を送るこのインドの神様が、時には、その言葉は非常に意味深く、水がスポンジにすーっと吸い込まれるように、的確に、段階的に、そして何よりもあきさせることなく夢をかなえてくれるようです。この本は、まさに芸術品と言ってもいいかもしれません。ぜひぜひご覧下さい。おすすめです。私は、この本を読んで以来、ガネーシャの大ファン!!!インターネットで検索したら、輸入雑貨でガネーシャの置物などを売っているのを発見してソッコー買っちゃったくらいですから。(笑)最近本屋さんで、平積になっているのをよく見かけますが、なんとその帯に、「2008年 テレビドラマ化」なんて書いてあるから、これビックリ!2008年、今年はガネーシャブームが起きますよ~♪乗り遅れるな!(笑)
2008/02/01
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もうお聞きになられましたか?ギョウザのニュース。真面目な中国人の方には申し訳ありませんが、今中国は本当に危険です。今回のギョウザのような事件は、世界中で起きているもののホンの一部です。日本でも、中国野菜やうなぎ、落花生など、農薬を始めとする様々な有害物質が含まれていることがニュースでも次々と取り上げられましたね。でもまだみなさんは中国産のものを買っていらっしゃいますよね。怖いもの知らずというやつですね。今回のギョウザで、死者が出るかどうかはわかりませんが、海外では、咳止めシロップで多くの子どもが死に至ったり、ペットが数千匹も死ぬような事件が起こっているのだそうです。いずれも薬やペットフードなどの原料に、表示を偽って毒性の含まれるようなものを使用したり、有害物質が含まれていたことが原因だったそうです。これまでも、中国のモラルの無さは様々な形でご存知だと思いますが、今、中国は経済バブルの中で、お金がすべての拝金主義社会に陥ってしまい、お金のためなら何でもやる的な風潮になっているのだそうです。中国人も食べない中国製品。2007年6月に中国で開催された「東方科学技術フォーラム」のなかで、中国で先天的な障害を持って生まれる新生児が、年間100万人にも達し、平均すると30秒に一人の割合で生まれているという現状分析が報告されたそうです。また、その100万人という数字は、生まれた直後に障害が確認された新生児の数であって出生後しばらくたって見つかった障害者の数は含まれていないとのこと。原因は不明としているものの、明らかに有害物質による環境汚染が原因です。中国人富裕層の人々は中国製品を食べないと言いますから、全く恐ろしい話です。この中国の環境汚染物質は、食べ物から、衣類から、薬品から、おもちゃまで、ありとあらゆるものに含まれて、日本に輸入されてきます。また、偏西風に乗って、黄砂に含まれて、有害化学物質は空からも降ってきます。昨年の夏に、お客さんからこんな一言を聞いたことがありました。「今年はオキシダント警報がまたでたんよ。温暖化で暑いからかなぁ?」と、変だなぁ~と怪訝な感じでお話くださったのを思い出しました。実は、暑さなどのせいではなく、どうやらこれも中国が原因のようなのです。光化学スモッグとは、光化学オキシダント(主成分はオゾン)が、日光(紫外線)にあたって発生するものなのだそうです。これが出ると、目やのどに痛みが出たりします。工業地帯などの工場が多い地域では、よく耳にされると思います。今、急成長を遂げている中国は、環境のことなどお構いなしです。工場からモクモクと垂れ流される公害物質が、偏西風に乗って、私たちの頭上から降ってきています。雨が降れば、”超”酸性雨となって、日本という国土を汚染していきます。山林は枯れ、田畑は作物ができなくなり.....ということは現実に進行しているのです。汚染大国の影響を避けることは不可能な域に来ていると言えるでしょう。中国は今、いろいろな意味でホント怖いです。中国のバブル崩壊も、秒読み段階か?と言われています。中国バブルの崩壊を機に、世界恐慌がおこると予測する評論かもいます。中国は深刻な水不足状態です。あの黄河が干上がっているのです。北京オリンピックに供給する水の確保にも不安が出てきているそうです。オリンピックが終わっても、水不足が解消されなければ、食糧難に陥ります。自国の食糧自給のために、食糧の輸出を制限し始めます。これは日本にとって良いことかも?でも食糧自給率40%の日本は、食べ物がなくなります。なんて、考えればキリがありませんが、とりあえず最後に一言、「それでもみなさんは中国製品を買いますか?」ってことですね。と言っても、原料で入ってるものまで確認する術がないですよね。ホントに困った問題です。
2008/01/30
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転んでもまた立って、転んでもまた立ち上がって、脱水症状でフラフラになりながら、歩くことさえままならない状態で、転んでも転んでも、起き上がり、歩けばいいのに、決して最後まで走ることをあきらめず、最後は笑顔でゴール。昨日の大阪国際女子マラソンでの 福士加代子選手。仕事から帰ってニュースでしか見れなかったんだけど、感動で涙しました。プロ選手であれば、”次”に備えて、棄権したりするのが普通なのでしょうが、最後まで走りきるその姿に、感動したのは私だけではないと思います。結果はどうあれ、フルマラソン初出場にして、すばらしい走りを見せましたね。「競技場が見えてからの後の記憶がなかった。」と言いますから、そのゴールへの執念というか、ランナーとしての魂は本当にすばらしいと思います。そして家路につくインタビューの中で、「感想?おもしろかったかな。」といつものビックスマイルで答える福士選手。本当にかっこいいです。目標を決めて、スタートしても、すぐにコースをそれてしまう私たち。問題が起こると、簡単に走るのをやめてしまう私たち。転んだら、立ち上がることを簡単にあきらめてしまう私たち。まだ試合は終わってないのに、簡単に棄権してしまう私たち。そしていつしかゴールする瞬間の、自分のキラキラした姿が想像できなくなってしまっている私たち。人生もマラソンのようなものではないでしょうか。がんばったらがんばっただけ、やり遂げたらやり遂げただけ、確実に、絶対に、自分の自信につながり、生きることへの勇気となり、自分の人生の豊かさになると思います。そしてそれが周りのみんなも豊かにします。昨日の福士加代子選手の姿に、心から感謝します。私だけでなく日本中に元気と勇気をくれたと思います。ありがとうございます。
2008/01/28
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あまりに久しぶりなんでブログの使い方がわからない...。昨夜は久しぶりに雪が積もって、夜だと言うのに投光器まで点けて子どもと大はしゃぎしてしまった。目の前の公園に、デッカイ雪だるまを作ってやろうとしたけど、非力な私は途中で転がせなくなって、やむなく断念。あまりに寒いので早々に家に入っていたら、子どもたちがとてもかわいい雪だるまをいっぱい作っていたので思わずパチリ。お地蔵さんのようでかわいいでしょ。
2008/01/21
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何度かこのブログでも取り上げた「山口県光市の母子殺害事件」今朝のニュースの映像を見て、弁護団のあまりにひどい主張内容に呆れてものが言えなかった。「甘えたかっただけ?」「精子で生き返ると思った?儀式?」「誤って締めすぎた?」.....バカにしとんのか?この裁判の主任弁護人を務める「安田好弘」は「オウム真理教事件」「和歌山カレー殺人」「耐震偽装事件」などなど誰もが避けようとする弁護をあえて引き受ける変わり者であるが、本件における彼の目的は、犯罪者の弁護という手段を使って、自らの「死刑廃止論」を全うしたい目的のために、犯罪者を利用しているようにしか見えてこない。昨日の公判でも明らかに弁護の内容はバカバカしく、被害者の本村さんをあまりにも侮辱したものである。犯罪者の死刑さえ回避できれば裁判の内容などどうでもよいという姿勢に怒りを覚える。私が本村さんの立場なら、この21人こそ死刑に値する犯罪者と主張するであろう。こんなヤツラが弁護士のバッジをつけて正義ぶってるのに腹が立つ。めちゃくちゃ頭にくる。に反して、本村さんの冷静な態度、筋の通ったコメントに、心から敬服した。どうかこの本村さんの8年間の人生を無駄にしないで欲しいと思う。死刑廃止という持論を通す目的のために、いたずらに裁判を混乱させるのはいい加減やめてもらいたいと思う。いずれにせよ、テレビをみているほとんどの人は、この裁判、そして弁護のあり方に怒りを覚えているでしょう。そして、本村さんに同情の想いを寄せていることと思います。妻子を惨殺され、死刑廃止論者に裁判を悪用され、8年間という長い長い年月を戦ってこられたその姿は、今後被害にあわれるであろう方々に、大きな勇気を与えるものと賞賛いたします。頭のイカレタ弁護士の奇奇怪怪なテクニックに惑わされることなく、司法の正義のあり方に期待します。でなければ、今後ますます増えるであろう凶悪犯罪に、我々はどう立ち向かっていけばいいのでしょう。アメリカ社会のように武装し自衛するしかなくなります。あだ討ちという形で、被害者の無念を晴らすしかないのでしょうか。加害者よりも、被害者の家族の苦しみをもっと考慮するべきです。幸せな家庭が、ある日突然、犯罪者の欲望のために壊される。その被害者の方々は、一生報われることはないのです。その気持ちをもっと深く汲み取ってあげられる法、そして社会であって欲しいと願います。
2007/05/25
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この家に引っ越してきてから4回目の春。 今年もツバメの夫婦がやってきて、子育ての様子を見せてくれました。 玄関先に巣があるので、家に出入りするときには必ず見ることができるので、 毎日ツバメの様子を観察するのが毎年この時期の我が家の日課です。 子供たちも毎日学校に行くときには、そ~っとドアを開けて、 毎朝ツバメの様子を見てから登校します。 何匹産まれたよ、大きくなったねぇ~、かわいい~と、とても喜んでおります。 そして今日、大きく育った3羽の子供たちが巣立っていきました。 昨日1羽巣立って行き、今日またふっと気がつくと残り2羽が巣立って行っていました。 ちょっとさみしい気もしますが、去年は1羽も育つことなく終わってしまったので、 無事3羽が育ってくれたことにとても喜びを感じます。 家の周りでは、数羽のツバメたちが飛び回っています。 巣立ったヒナらしきツバメが、電線の上で親ツバメからエサをもらっている様子を 偶然見ることができました。 ツバメはこの後どう生活するのか気になって、調べてみたところ、 ツバメの生態を綴ったとてもわかりやすいHPがあったので、勝手に紹介しちゃいます。 ここです→http://www48.tok2.com/home/kochihara/tsubame/t_seitai.html それによりますと...まぁ、詳しくはご覧下さい。 ちなみに、我が家のベランダの下?中?には、すずめも巣を作っています。 すずめはツバメのようにフレンドリーでないので、巣も見ることができませんし、 従ってピヨピヨと声はすれども姿を見ることはできません。 親鳥も、私たちの姿が見えるときには、巣に戻ってきません。 ずっと周辺を飛び回ったり、木の枝につかまって居なくなるのを待っています。 実に可愛げのないヤツラです。(笑) 今年も一つの楽しみが終わってしまいました。 残念なような、うれしいような、でも、心温まる時間をもらえたツバメさんたちに感謝です。 また来年もいらっしゃいね!
2007/05/22
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小学校4年の息子は少年野球をやっています。昨年、3年生のときに学校のスポーツ少年団に入部させていただいたのですが、野球をやりたい!と言う子供のためにはとても良いことだ、と、思う一方で、毎週毎週土曜も日曜もと、お世話が大変だ!と考える親の心中は複雑なものがあり、どこのスポーツクラブでも様々な問題があるようです。この親のわがまま?が、クラブに参加する子供の数を減らしている要因の一つになっているのですが、確かに子供のお世話をする大人にとっては、大変な労力を要するものであると思います。我が家でも、息子のスポーツ少年団入部に関しては夫婦でいろいろ話し合いをしました。小学校のスポーツ少年団くらいですと、年功序列型の選手の決め方なので、どんなに上手くても、試合に出られるのはどうしても6年5年が中心となります。となると、入団しても2年くらいの間は試合にも出れず、息子もそうだが、親も楽しみがない。そして、何よりも困ったのが、土日のほとんどが野球となることである。我が家には、6年生の女の子もいるわけで、土日のほとんどが野球となると、家族で遊びに行くこともできない。中学校くらいになると段々親とどこかへ出かけるという機会も減ってくるだろうし、今のうちに楽しい家族の思い出をいっぱい作りたいのに、野球のせいでどこにも行けなくなる。な~んてことをいろいろ考えながら、話し合いながら、この一年間やってきました。3年生の間の1年間は、私はスポーツ少年団の方には関わらないということで、お茶当番や子供の送り迎えは、ほとんど女房まかせにしていたのですが、小さな組織の中でもいろいろな問題があることあること。その多くは、保護者の中から出てくる文句や小言、主義主張というところですが、まあ世の中いろんな人がいるもんです。(苦笑^^;)スポーツ少年団という小さな組織に2,3年も子供と参加していると、段々態度もでかくなり、私物化しちゃってるわけではないのでしょうが、かなり勘違いしてしまってる方々もいらっしゃりまして、そういう人たちが作り出す雰囲気が、新しい人を入りにくくしてしまってるのではないかと思うわけで.....。仕事が忙しくてお世話にいけないお父さんやお母さんは、いつも人任せで、自分がお世話に行けないことに後ろめたさを感じ、たまに休みが取れたとしても、試合や練習など、我が子の活き活きとがんばっている姿を見に行きづらいようです。これでは本末転倒、スポーツ少年団のあり方も問われます。もっとサポートする側の保護者間の意思の統一、助け合いの配慮が必要だと思いますね。主体は子供にあるのに、親が自己主張しすぎる傾向にあるのが、子供のスポーツクラブなんでしょうかね。いろいろな話を女房から聞きながら、腹を立てたり、がっかりしたり、女房ともスポーツ少年団との係わりに関してよく口論になりました。結構、大人たちの間での見栄とプライドの火花がパチパチしていて、何だか感じ悪ぅ~って、私もなかなか入っていきにくかったです。女性の方には申し訳ないのですが、お母さん保護者の集団って嫌いなんですよね~。ちゃぶちゃぶチャブチャブおしゃべりしている”おばさん”の塊って、気色悪いんです。(笑)大抵の場合、ろくなこと話してないですから。去年1年に関して言えば、スポーツ少年団に引っ張りまわされすぎて、家のことや娘のことが疎かになる女房に相当頭にきてましたね。無駄に時間ばかり長くて、帰りが遅い時などよく喧嘩になったものです。女房は女房で、野球のお母さん仲間ができて楽しくやってるのに、旦那にいちいち文句言われてあっちも相当頭にきていたことでしょう。でも常に私が言うことの中に、息子と娘に平等に接しなさいということがあります。日ごろの会話でも、野球の話ばかりになりがちなところを、上手に話題を娘の話しに切り替える気遣いなどをうるさく言います。絶対子供たちに疎外感を与えてはならないと。人は必ず、楽しい方楽しい方へといきます。楽な方へ楽な方へと行くものです。そしてそんな時は必ず、周囲への配慮に欠けてきます。自分しか見えなくなり、周りへの気遣いがいい加減になってきます。子供の心はとてもデリケートです。些細なことでポキッと折れてしまうことがあります。その時はたいしたことなくても、トラウマとなって心に残ってしまうこともあります。「いい加減に扱われた。」と、子供に感じさせない配慮は、親には必要だと思います。大人になると、子供の気持ちがわかりません。だから分かろうとする努力が必要です。体験したことのないことは、実感として理解できません。だから一緒になって体で感じようとする努力が必要です。できる人には、できない人の気持ちがわかりません。何でこの程度のことができないの、と腹を立てる前に、その人の目線に合わせて一緒に考えてみる努力が必要です。そして、そのことに感謝する気持ちが大切なのでしょうね。子供たちや、できない人たちのお陰で、大変多くの学びをいただいているのですから。子供とのかかわりの中には、本当に多くの気付きと学びがあります。今度は、春からスポーツ少年団デビューした私の奮闘?をご紹介します。乞うご期待!
2007/04/21
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自分は孤独だ、って感じたことがありますか?私は、自営業という職業柄か、いつも「孤独」を感じる時があります。家族もいて、友達もいて、仕事仲間もいて、お客さんもいて、なのに、孤独感に押しつぶされそうになることがシバシバあるんです。不安で不安でたまらない。そんな感情がわけもなく込み上げてくる時があるんです。誰も自分のことなんか理解してくれない。そんな勝手な思い込みで、一人で暗く憂鬱な気持ちになる時があるんです。誰も助けてくれやしない。まるで、世の中を敵に回して生きているような気持ちになる時があるんです。そりゃまあ営業なんて仕事をしてると、嫌なことも多々あるわけですが、何か問題や壁にぶつかった時、特に人間関係で不調和が出てきた時などは、ドーンと落ち込みもひどく、ウツ状態になってしまいます。いやウツなのかも...?始めは相手への怒りや不満だったりするのですが、そのうちこれは自分が引き起こした問題で、悪いのは自分なんだ、という風に、自虐的思想になっていき、それが見事?ハマッてしまうとドーンと底まで行ってしまうのです。実は先日も激しいウツに襲われて、かなりやばい状態まで行ってました。(笑!)きっかけはちっちゃなことです。(今から思えば。)それがドンドンドンドン悪い方へ悪い方へとハマッてしまい、もうダメだ.......、ってところまで行きました。その時にポチポチと書き残したのがこれ。 ↓ ↓ ↓ (恥ずかしいんでちょっと小さい字で...)切れちまった。自分の中の何かがプッツリと切れてしまった。何もかもがもう嫌になってしまった。もう何に怒ってるのかさえもわからねぇ。あらゆるすべてのものに腹が立つ。そしてそれはいつしか失望へと変わり、無気力が僕をつつんだ。今までの自分は何だったのだろう?結局オレには今みたいな不貞腐れた人生がお似合いなんだろう。変わろうとした。変わりたいと思った。でも誰もオレを認めようとしねぇ。ずっとずっと戦ってきたこの勝負に、ついに心が折れてしまった。もう立ち上がる気力もねぇ。あぁ、もうなんもしたくねぇ。誰にも会たくねぇ。誰も信じられねぇ。変わらなきゃって、人から認めてもらわなきゃって、我慢に我慢を重ねてがんばってきたけど、所詮オレはどーあがいてもこの程度なのさ。ボケーっと何にも考えてないようでも、頭の中をグルグルグルグルいろんなことが回ってる。怒り、失望、不安、妬み、悔しさ...そんな感情で埋め尽くされてる。最悪。何のために生きているのか。何度も何度も考えさせられてきた。自分の存在意義を知りたくて、いろんな模索もやってきた。自分なりに納得して、生きる勇気を持てたこともある。生きる意味を感じたこともある。でもそれはいつだって、わかったつもりでいただけ。答えがわかったら、もう生きてる必要はないのかもしれない。いろんなものが見えてしまう。いろんなものの意味が感じ取れてしまう。そんな気になっていただけ?この無気力感は、自分が生み出したもの。自分の中にある感情に恐怖を感じる。自分はどうなってしまうのだろう...(とまぁ、自分で読んでみても、なるほどなるほど、 オレらしい文章だわと苦笑いです。^^;)この翌日、事態を重く感じた女房が話ししよう、って。女房と2週間くらいまともに口も利いてなくて、ここがギリギリのタイミングだったのかもしれません。話をしようとした途端.......、涙がドーッと溢れ出し、号泣。すねた子供が、母ちゃんに優しくされ、ワーッと泣き出す感じのやつ。恥ずかしいったらありません。夫婦生活至上?最も悔やまれる?瞬間でした...。(恥)ここで話すのも何なんですが。(オレはアホか?)今までブログで偉そうなことをノタマッテきましたが、所詮この程度の男なんです。お恥ずかしい...。ただ、この時間が持てたお陰で、立ち直ることができたのは事実です。苦しい、つらい、不安だ、今まで自分一人で抱え込んできた感情を、いろいろ女房に聞いてもらい、話し合うことで、背負っていた荷物が降ろせたような気がします。女房相手じゃろくな答えは出ないんですけどね。ナハハ~。なんてことを言ってるからダメなんでしょうね~。(苦笑)けど思うんです。やはり人生は「孤独との戦い」だと。人生のどんな場面に置かれても、結局答えを出すのは自分なんだと。助けてくれる人がどんなに周りに居ようとも、最後に答えを出すのは自分自身なんだと。その答えに正解も不正解もないのでしょうが、自分の出した答えに従いながら前に進むしかないのです。これでいいのか?これでいいのか?常に自問自答の人生です。不安で不安で、その気持ちに押しつぶされそうになりながら、それでも自分なりの答えを見つけながら前に進むしかないのです。そして、その不安な感情のほとんどは自分の思い込みであることに、そのことに後になって気づきます。でも、その時間や過程を乗り越えることで、自分なりの答えを見つけるのかも知れません。だから、男はつらいよ~、なんて泣き言も、言えばいいんだと思います。ホントに泣いたっていいんです。(私はやってしまいましたから。ハハ...^^;)デトックスが流行ってるくらいですから、体の毒素だけでなく、心の毒素も出さなきゃやっぱり病気になります。自分の気持ちが正直に出せる人ってうらやましいです。どこかで格好をつけて、弱みを見せないように、”無理”をしてしまいます。もっと裸の自分が出せる生き方がしたいものです。とりあえず、辛いことがあったら、みんなでドンドン泣いちゃいましょう!ハッハッハ~!
2007/04/18
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人は、不合理、利己的です。 気にすることなく、人を愛しなさい。 あなたが善を行うと、利己的な目的でそれをしたと言われるでしょう。 気にすることなく、善を行いなさい。 目的を達しようとする時、邪魔立てする人に出会うでしょう。 気にすることなく、やり遂げなさい。 善の行いをしても、おそらく次の日には忘れられるでしよう。 気にすることなく、し続けなさい。 あなたの正直さと誠実さが、あなたを傷つけるでしょう。 気にすることなく、正直で誠実であり続けなさい。 あなたのつくりあげたものが、壊されるでしょう。 気にすることなく、作り続けなさい。 助けた相手から、恩知らずな仕打ちを受けるでしょう。 気にすることなく、助け続けなさい。 あなたの中の最良のものを、この世に伝えなさい。 蹴り返されるかもしれません。 でも、気にすることなく、最良のものを与え続けなさい。 マザーテレサお久しぶりに、ブログに帰ってまいりました。(笑!)昨日、超越敏先生のところへお邪魔したときに、「タケ侍さん、ええハガキが届いたけぇ見せてあげるわ。」とそこに、このマザーテレサの言葉が書かれていました。深い、実に深い言葉だなぁ~と感動し、早速ブログに載せちゃおうとインターネットで調べてみるとなんと、この言葉は、「ケント・M・キース」さんという方の「逆説の10カ条」から引用されているそうです。いずれにしても、マザーテレサも感動したこの言葉に、救われた人も多いことかと思います。とらわれない心、し続けることの大切さ、人生の意味をみつけるためのヒントがいっぱい詰まった言葉ですね。いや、正しく言うなら、人生の意味は、”見つけるもの”ではなく、”見つかるもの”、でしょうか?「し続ける」ことで、「し続ける」ことの中に、人生の意味が見えてくるのでしょうね。「し続ける」ために、自分の信じる道を歩み続けるために、勇気を与えてくれる言葉ですね。すべての出会いに感謝。ありがとうございます。
2007/04/12
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映画 「 不都合な真実 」、先日、この映画の存在を知って、早速観に行ってきました。平日ということもありますが、100席ほどの映画館に10人くらいしかいませんでした。人々の環境問題に対する関心の薄さを物語っているように思えました。この映画は、地球温暖化をテーマに、アメリカ元副大統領のゴア氏が、現在の地球環境に警鐘を鳴らすドキュメンタリーとなっています。環境問題に関心のある方も、また関心のない方も、観れば衝撃を受けることでしょう。あってはならない現実、起こってはならない事実に、目を背けたくなるのではないでしょうか?私たちが享受している便利で快適な生活を、変えざるをえない現実が、もう私たちの目の前に迫っています。まさに 「 不都合な真実 」 です。一体誰にとって不都合なのでしょうか?企業?政治家?それとも国家?いいえ、私たち自身、自分自身にとって不都合なのです。一人の人間として、この現実を知った時、私たちは今どう生きるべきかを、改めて考えさせられるでしょう。いや、考えなければ、人間として生きる価値は無いと言えるかもしれません。それほど、深刻な内容なのです。それほど、重大な事実なのです。話が大きすぎて、まるで他人事のように考えがちになります。一見、後ろ向きな、マイナス思考なテーマで、もちろん楽しいようには到底思えません。今現在自分が手にしている、便利さや快楽、あるいは富といったものを手放すような方向の話にすらなってきます。以前に「あなたが世界を変える日」という本を紹介した中にも、こんなフレーズがありました。私たちは、「自分の富をほんの少しでも手ばなすのが怖い。」のだと。もっと、もっと.....。こうした生き方が、このような社会をつくってしまいました。もう十分。今が幸せ。このような満ち足りた感覚をもつことは人間にはできないのでしょうか?地球環境の現実。ぜひ知っておくべきです。ひとつでも多くのことを知り、自分に戒めるべきです。どう行動を起こすかは、個人個人の問題です。自由です。他人から強制されてするというのでは根本的な解決にはならないでしょう。少しずつでも、自分のできることからトライしてみる、これが良心というものではないでしょうか?「子供たちの未来のため」なんてキレイ事は正直もう必要ありません。そんなタテマエ的なキャッチフレーズは、もう嘘くさいばっかりで、結局他人のせいにして自分のできない理由をつくるのです。ごめんなさい、私自身がそうでしたから。自分のためにやればいいのではないでしょうか?自分の魂が喜ぶことを、コツコツする。それが「生き方」なのではないかと思うのです。魂の修行は、”自分のために”善行を積む。その自分のための先に、わが子や、家族、大切な人々がある。そうですよね、この方がわかりやすいですよね。あなたは 「 不都合な真実 」 から目を背けてこれからも生き続けますか?このタイトルは環境問題についてだけでなく、まさに今の世の中を表したピッタリの言葉ではないでしょうか?本も出版されています。手元に置いておくことで、問題意識を持続させることができるのでは?
2007/02/03
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と~ちゃんのためなら、エ~ンヤコ~ラ♪か~ちゃんのためなら、エ~ンヤコ~ラ♪という、フレーズ。美輪明宏さん(当時丸山明宏)の歌だったんですね~。「ヨイトマケの唄」という昭和40年に発売された歌だそうです。サザンの桑田圭介氏とか、槇原敬之氏とか、いろいろな方がカバーされていますが、テレビで美輪さんが、この歌への想いを語っているのを聞いて、改めてこの歌のすばらしさを感じました。愛がいっぱい詰まったすばらしい歌です。しみじみ聴いてみて、本当に感動します。職種はどうであれ、家族を支えるために働く親の姿、一生懸命に生き抜こうとするするその姿こそが、子供たちに深い感動と大人への尊敬の念を残すのだと思います。そうして子供のころに培った感性が、人を思いやるやさしい心を作るのだと思います。私たちは、恵まれすぎた生活環境の中で、格好や体裁ばかりを気にするようになり、生きていることへの感謝や、多くの方々からいただいている愛というものを見失い、何かというと、不平不満・愚痴ばかり口にしています。また、生きるために一生懸命になることを、何か恥ずかしいもののように思う、そんな大人が増えてきたのかも知れません。そうした風潮が、子供たちの心から、生きるという意味を知るチャンスを、奪い取っているのかもしれません。仕事があるだけでもすばらしいじゃないか、毎日ご飯がたべられるだけでありがたいじゃないか、家族が一緒に暮らせるだけでこんな幸せなことはないじゃないか。こんな風に感じながら日々を送っている日本人がどのくらいいるのでしょうか?子供たちは親を見て育っていきます。周りの大人たちを見て育っていきます。私たち大人が、子供たちにたくさんの愛を与えもしないで、子供たちがたくさんの愛を育むことができるわけないじゃないですか。な~んて、偉そうなことを言ってしまいましたが、ホントに子供たちはかわいいです。子供から尊敬される大人になれるよう、がんばります!子供のため~なら、エ~ンヤコ~ラ♪ヨイトマケの唄【作詞・作曲】丸山明宏 父ちゃんのためなら エンヤコラ母ちゃんのためなら エンヤコラもひとつおまけに エンヤコラ今も聞こえる ヨイトマケの唄今も聞こえる あの子守唄 工事現場の 昼休みたばこふかして 目を閉じりゃ聞こえてくるよ あの唄が働く土方の あの唄が貧しい土方の あの唄が 子供の頃に 小学校でヨイトマケの子供 きたない子供といじめぬかれて はやされてくやし涙に くれながら泣いて帰った 道すがら母ちゃんの働くとこを見た母ちゃんの働くとこを見た 姉さんかぶりで 泥にまみれて日にやけながら 汗を流して男に混じって 綱を引き天に向かって 声をあげて力の限り 唄ってた母ちゃんの働くとこを見た母ちゃんの働くとこを見た なぐさめてもらおう 抱いてもらおうと息をはずませ 帰ってはきたが母ちゃんの姿 見たときに泣いた涙も 忘れ果て帰って行ったよ 学校へ勉強するよと言いながら勉強するよと言いながら あれから何年 たった事だろう高校も出たし 大学も出た今じゃ機械の 世の中でおまけに僕は エンジニア苦労 苦労で 死んでった母ちゃん見てくれ この姿母ちゃん見てくれ この姿 何度か僕も ぐれかけたけどやくざな道は 踏まずに済んだどんなきれいな唄よりもどんなきれいな声よりも僕を励まし なぐさめた母ちゃんの唄こそ 世界一母ちゃんの唄こそ 世界一 今も聞こえる ヨイトマケの唄今も聞こえる あの子守唄 父ちゃんのためなら エンヤコラ子どものためなら エンヤコラ
2007/01/17
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~続きでーす!この最初に手を合わせた選手の名を・・・ トマソンといった このトマソン選手・・・今大会では4得点をあげ デンマークを決勝トーナメントに進出させた立役者である あの日本代表・小野選手と同じオランダ・フェイエノールトに所属することでも有名な彼 彼は少し神経質の面を持ちあわせているのだが、非常に心優しい青年だ トマソン、彼の優しき一面をもう一つ語りたい それはある握手会でのことである デンマークというチームは前述したように 練習を公開し、和歌山県民との交流を積極的に行った 練習後は地元サッカー少年たちとミニサッカーを行い 握手会、サイン会もたびたび行った そのひとコマの話である あの日も、いつものごとくサイン会が行われた 気さくなデンマークの選手たちを県民も大好きになった あの日もデンマーク選手たちのサインを求め長蛇の列が出来上がっていた 気軽にサインをするデンマーク選手たち もちろんトマソンもその中にいた その最中のことである トマソンの前にある少年が立った 彼はトマソンの前に立ちつつも・・・少しモジモジしていた 後ろに立っていた母親らしき人が彼を促す 「ほら!早くしなさい!」と彼に言っていた トマソンも少し「変だな」と思ったのでしょう 通訳を通じ「どうしたの?」と彼に聞いた 意を決した少年は、ポケットから一枚の紙切れを出し、トマソン選手に渡した それは学校の英語の先生に書いてもらったものだという 英語で書いた、その紙切れにはこう書いてあった 「ボクは小さい頃に、病気にかかって 口と耳が不自由です・・・耳は聞こえません、話せません・・・ だけどサッカーだけはずっと見てきました、大好きです デンマークのサンド選手とトマソン選手が好きです 頑張ってください」と・・・ その手紙に通訳も・・・その場にいた我々記者も驚いた 言葉が出なかった・・・ だが、トマソン選手はニッコリと微笑み少年に・・・ 「それなら君は手話はできますか?」と・・・ 手話で語りかけた その『言葉』に驚く少年と母親 再度聞くトマソン・・・ 「手話はわかりませんか?」と・・・ それを見ていた皐月パパはトマソンに英語で言った 「ミスタートマソン、手話は言語と同じで各国で違うんですよ」と彼に言った 手話を万国共通と思う人が多いのだが 国によって違う、ましてや日本国内でも地方によって違う 「そうだったのか・・・」という顔をしたトマソン そして彼は通訳にこう言った 「ボクは彼と紙で、文字を通して話をしたいのですが手伝ってください」と言った 微笑んで「わかりました」と答える通訳 トマソンは「後ろの人たちにも彼と話す時間をボクにくださいと言っておいてください」とも言った 後ろで順番を待つ人たちは何も文句を言わなかった・・・一言も文句を言わなかった・・・ 彼らに「2人の時間」をあげたいと他の人たちも思ったのでしょう そして通訳を介し、少年とトマソンの『会話』が始まった 「君はサッカーが好きですか?」 「はい。大好きです」 「そうですか。デンマークを応援してくださいね」 「はい。あの聞いていいですか」 「いいですよ。何でも聞いてください」 「トマソン選手はどうして手話ができるんですか?正直、ビックリしました」 この少年の質問に彼は答える 「ボクにも君と同じ試練を持っている姉がいます その彼女のためにボクは手話を覚えたんですよ」と・・・ その彼の言葉をじっくりと読む少年 そしてトマソンは少年に言った 「君の試練はあなたにとって辛いことだと思いますが 君と同じようにあなたの家族も、その試練を共有しています 君は一人ぼっちじゃないという事を理解していますか?」 この言葉に黙ってうなずく少年 「わかっているなら、オーケー! 誰にも辛いことはあります。君にもボクにも そして君のお母さんにも辛いことはあるのです それを乗り越える勇気を持ってください」とトマソンは言った このやり取りに涙が止まらない母親 この光景を見ていた我々記者も涙した その場にいた人たち、その2人を見ていた人たちも涙した そして、トマソンは最後に少年にこう言った 「ボクは今大会で1点は必ず獲ります その姿を見て、君がこれからの人生を頑張れるように ボクは祈っておきます」 この言葉に・・・この少年は初めて笑顔を浮かべた 「はい!応援しますから、頑張ってください」と少年は言った そして、サインをもらい、その場をあとにする少年と母親 ボクの取材に母親は目に涙を浮かべて言った 「あんなことされたらデンマークを応援しないわけにはいかないですよ 日本と試合することになっても、私らはデンマークを応援しますよ」と 涙を流し、笑いながら言った・・・・ そして、このトマソン・・・少年との約束を守り、得点を決めた 1点どころか、彼は4得点という大活躍だった こんなトマソン、デンマークを見た皐月パパも いっぺんにファンになってしまった^^; 1次リーグ、フランスという前回覇者と同組だったデンマーク 彼らをボクは応援した・・・ もちろん和歌山県民も応援に訪れた 試合が韓国であろうとも彼ら和歌山県民は応援に駆けつけた オルセン監督は言った 「試合会場が韓国であっても、和歌山の応援はわかった あれが我々の力になった」と・・・ 和歌山県民の応援も実ったのであろう フランスと同組のA組みながらデンマークは2勝1分け 見事1位通過を決めたのである そして、向かえた決勝トーナメント1回戦 場所は新潟スタジアム、相手はあのイングランドであった スタンドからは「ベッカム!!!!」という声が至るところから響いていた その声に皐月パパは叫ぶ 「ダニッシュ・ダイナマイトで・・・にわかイングランドファンを黙らせろ!」 「ベッカムがなんぼのもんじゃ!頼むぞ!デンマーク」と叫んでいた^^; だが・・・この応援も届かなかった 和歌山県民の想いも通じなかった デンマークはイングランドに0-3という予想外のスコアで敗れてしまった その日の和歌山県には雨が降ったという 県民の涙雨だったのかもしれない・・・・ 負けはしたが、和歌山県民はデンマークというチームを誇りに思っていた 「よく頑張った!」「後は快く母国に帰ってもらおう!」という言葉が彼らの合言葉になった・・・ だから、彼らは行なった デンマークお疲れさま!会なるものが宿泊先のホテルによって仕切られた そこに駆けつける多数の県民 会場にはあふれんばかりの県民が駆けつけた その催しに「ありがたいことだ」と言ったオルセン監督 もちろん選手たちも全員出席した。あのトマソンもその場にいた そこでトマソンは見つけた・・・『あの少年』を見つけた 少年と母親もその会に出席していた 少年と母親の元に、通訳を携え近寄るトマソン トマソンの姿に気づいた母親は頭を下げる 少年はトマソンへ笑顔を向ける そして、トマソンは少年にこう語りかけた 「せっかく応援してくれたのに負けてゴメンね」と『紙』で語りかけた これに少年は答える 「お疲れ様でした。負けたけどカッコよかったです それに約束どおり点獲ってくれたからボクは嬉しかったです」と・・・・ 「ありがとう」と言うトマソン そして、この少年にトマソンは言った 「ボクから君に言える言葉はこれが最後です。よく聞いてください」 「はい」 「君には前にも言ったとおり、試練が与えられている それは神様が決めたことであり、今からは変えられない ボクが言いたいことわかりますか?」 「はい」 「神様は君に試練を与えたけど、君にも 必ずゴールを決めるチャンスを神様はくれるはずです・・・ そのチャンスを君は逃さず、ちゃんとゴールを決めてください」とトマソンは言った この言葉に少年は笑顔満面の顔でトマソンに「はい」と言った そして2人は・・・ 「さようなら」 「頑張って」 という言葉を残し彼らは別れを告げた 最後に2人は仲良く写真におさまった 飛びっきりの笑顔を浮かべファインダーにおさまる2人 この写真は少年の宝物になることだろう トマソンに出会ったことによって少年は『前へ進む』に違いない・・・ 彼の転機になることを皐月パパは祈ってやまない 小さな少年、心優しきトマソンに これからも栄光あれ・・・
2007/01/07
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友だちがミクシーでちょっといい話を見つけたと送ってきてくれたので、ご紹介させていただきます。ホントに素敵なお話です。では、どうぞ!2002年日韓ワールドカップでの、デンマーク代表チームの心温まるエピソード。(文字数オーバーのため一部省略。ゴメンナサイ...。) そして、このデンマークが今大会のキャンプ地を和歌山県に決めた キャンプ地の説明は今ここではしませんよ^-^; テレビでキャンプ地のことは何度か流れていたと思うし・・・ 例を上げれば・・・そうですね 遅れてばかりで有名になったカメルーンと中津江村 ベッカムフィーバーでわいたイングランドと淡路島 これらが有名でしょう・・・ そして、和歌山県であるが・・・他の立候補地と同様に和歌山県側も誘致に必死であった デンマークへ何度も訪れた。この苦労が実りキャンプ地決定の知らせを受けた この一報に和歌山県の関係者は涙したという 和歌山に決めた理由は「日本のほぼ中心地であり、関空に近いから」という それだけの理由だった・・・(・。・) デンマークと和歌山県民の交流を語りましょう 読者の方々でもデンマークってどんな国?と普通は思いますよね? 「どこにあるの?」「デンマークのサッカー選手で有名な人は?」と 思うでしょう・・・これが普通ですよ^^; アメリカ、イングランド、イタリア、スペインほど日本に名前通ってないし デンマークという国の存在自体は知っていても どんな国民性なのか?どのような人種なのか?って普通は誰も知らないものです もちろん、これは和歌山県民のほとんどが同じであった 和歌山の街中ではこんな会話が交わされたという 「今度のワールドカップでデンマークって国が来るらしいけど知ってた?」 「それは知ってるけど・・・誰か有名な人いるの? イングランドのベッカムとかイタリアの男前集団みたいに有名な人いるの?」 「う~~ん・・・知らない。 だけど世界で有名なんやったら、一度は練習見に行こうか?」 デンマークの練習を訪れた人は『この手の会話』がきっかけとなった人たちばかりであった 最初、いわゆる『野次馬』的な人が多かったのは事実である 最初の見学者は数百人程度であった、しかしこの数字が日々増えていった この数字が増えた理由には以下のことが一番大きかったと思う ワールドカップ出場国のキャンプ地での練習というものは 非公式、非公開が通例であるが、デンマークは違った (イングランド、イタリア、スペイン、ブラジルといった強豪国はほとんど非公開でしたね^^;) 練習初日からデンマークチームの意向で全ての練習を公開した さらに練習後には見学に来ていた地元サッカー少年たちを招きいれ 一緒にミニサッカーを行ったりもした この評判を聞きつけ、デンマークというチームが 「むちゃくちゃフレンドリーで気さくな人たちばかりやで!」という口コミも相当あったという そして、この翌日から見学に訪れる人が徐々に増えていった 初日はわずか数百人だった見学者が翌日には2000人 その翌日には2500人、そのまた翌日には3000人が訪れた 練習後には気軽にサインに答える選手たち 監督も練習後にはサッカー少年たちを招きいれ練習を指導したりもした この監督にある記者が聞いた 「他国は練習を公開しないで、試合に備えていますけど デンマークはこれでいいのですか?」と聞いた すると、このデンマーク・オルセン監督はこの記者にこう答えた 「我々の強さは練習を秘密にしたところで変わらない 絶対的な自信をもって試合にのぞむだけだ 何より、キャンプ地を提供してくれた和歌山の人たちが 喜んでくれることはどんどんするべきなんだ・・・ 試合も大事だが、この交流も大事にしたいと選手全員も言っている」 このオルセン監督、この発言だけでも『いい人』をかもしだしているのだが 彼のエピソードをもう一つ語ろう ホテル入り初日のことである デンマークチームが来日し、ホテルでの歓迎セレモニーを受けた後 再度、宿泊先のホテルの支配人と料理担当のコック長が監督の部屋へ挨拶に訪れた 「これからの数日よろしくお願いします」という言葉とともに 彼ら、支配人とコック長にはもう一つ言っておきたい・・聞いておきたいことがあった 彼らにはもう一つ『心配のタネ』があった・・・ それは食事の問題であった ホテル側も選手たちには万全の状態で試合に臨んでほしかった 食事が口に合わない・・・それが原因ということだけは避けたかった 他国の宿泊先ホテルに連絡をすると、食事でかなりもめたということを聞いていた 「口に合わない」「母国の材料で調理してくれ!」といった文句を 言われたという事を彼らは聞いていた・・・ デンマークが宿泊したホテルの支配人はこう言った こういったトラブルだけは「どうしても避けたかったんですよ」と それゆえ「最初に監督さんに聞いて、チームの意向を聞こうと思って 挨拶にいったんですよね」と言っていた その想いから、支配人とコック長は監督の部屋を訪れた そして通訳を介し、監督に聞いた 「食事で何かご要望とかはございますか?」と支配人は聞いた するとオルセン監督はこう答えた 「一切お任せします そちらが用意される料理を我々はご馳走になりますと・・・」 この言葉に驚いた支配人とコック長 「いや・・やはり母国デンマークの食事の方がいいんじゃないでしょうか?」 「こちら和歌山をキャンプ地に決めたときから、食事も そちらにお任せしようと私と選手たちは言っていた。選手も理解している 全てをあなたたちにお任せします」 「あの~~他の国とかのホテルにお聞きすると・・・ 食事はやはり母国のほうが好まれると聞いたものでして・・・」 この言葉にオルセン監督はこう言った 「他国は他国、我々は我々です」 この言葉に支配人は 「あの言葉で本当にホッとしましたよ・・・滞在中は無事に過ごせていただけると あれで思いましたね」と言っていた さらに、オルセン監督はコック長に向きなおし、言い出したという 「我々は料理をあなたに全てお任せします。よろしくお願いします」 緊張しながらも「はい!こちらこそよろしくお願いします」と答えるコック長 そして、コック長に聞くオルセン監督 「和歌山で有名な食材は何ですか?」と彼は聞いた この質問の真意がわからずもコック長は監督に答えた 「和歌山では魚が有名です、カツオという魚が特に有名です」と・・・ するとオルセン監督は微笑みながらコック長に言った 「それでは、そのおいしいカツオを我々に食べさせてください あなたが腕をふるって、おいしいカツオを選手たちに食べさせてやってください」と言った この言葉にコック長は大変感激した 「世界の代表監督が、あんないい人だったからね~~ いっぺんでデンマークのファンになりましたよ!」と言っていた この食事に対する『良き姿勢』は監督だけではなった 選手たちも同様だった 最初の食事を迎えた時、ある選手が通訳に聞いた 「デンマークでは食事するとき神への祈りをするのだが 日本では食事始める時に何かするんですか?」と聞いた デンマークは国民の9割がプロテスタントである 神への祈りを終えてから食事を始める この選手は日本ではこれの代わりに何かするのか?と聞きたかったのである これに答える通訳 「日本でもキリスト信者は神に祈ってから食べるけど たいていは手を合わせて『いただきます』と言ってから食べます」と答えた すると彼は・・・ 「こうやるの?」と通訳に聞きつつ、手を胸の前で合わせた これに通訳は「そうそう!その両手をもう少し上に上げて!」と言った その言葉に彼は顔の前まで手を上げる 「そうそう!」と答える通訳 そして彼はその姿のまま、コック長の方へ向き頭を下げた それを見ていた他の選手たちも彼にならい、手を顔の前で合わせた この時から、食事のたびに手を合わせる選手たち コック長は言った 「今の日本人でも『いただきます』『ごちそうさま』言えないヤツが多いのに 外国の人にあんなことされたらね~~むちゃくちゃ嬉しかったですよ」と・・・ この最初に手を合わせた選手の名を・・・ トマソンといった まだまだ続くよ!
2007/01/07
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今年もとうとう終わってしまいました。本当にいろいろありました。これまでの人生の中で一番いろいろ考えた年かもしれません。でも、それだけに、生きることの尊さ、家族のありがたさ、私を理解してくださるみなさま方に、心から、心の底から、感謝の気持ちを感じることができたのかもしれません。「この世は魂の修行の場」、なんてことをよく言いますが、であればこそ、生きるってことは、ありがとうの連続なんでしょうね。どんな幸せな出来事も、どんな不幸な悲しみも、人生の結果として、すべてはありがとうにつながっているのかな?なんて思っちゃったりします。どんな出来事に対しても、ありがとうと言えたとき、良かったと思えたとき、すべての過去は、幸せな出来事にかわるように思います。今日は朝から大掃除をしましたよ!まずは自分の部屋、トイレ、車、犬、それと女房が気がつかない細かいところ。やり始めると、もう止まりませんね。(苦笑!)女性って、表面的な部分の掃除はササッ~って上手ですけど、結構”ザツ”なんですよね。なんてこと言ってると、シバかれそうですが、高いところとか、隅の方のホコリがたまってる所とか、少々擦ったくらいじゃ落ちない汚れとか、あんた嫌味か~と言われるくらい、見つけてしまうものですから、今日は、がんばってしまいました。トイレなんか、ピカピカ!いつもお世話になってありがとうございます~、な~んて心をこめてやりましたよ。ホントにホントに。車洗うときでも、今年もホント助かったよ、ありがとう~、ってな具合に。バカみたいですけど、ほんとそれくらい気持ち込めて掃除すると、終わった後の達成感は爽快です。まっ、普段からちゃんとやってればいいことなのでしょうが、まっ、一年の締めくくりということで、気持ちも入るっちゅーものではないでしょうか!いや~、本当に今年一年に感謝です。ありがとうございました。明日は、毎年初詣に行く神社に、お礼参りです。一年間の締めくくりです。 ↑(見てね!)ありがとうございました。来年2007年も、みなさまにすばらしいことがいっぱいいっぱい起こりますように。ありがとうございます。
2006/12/30
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今日、農家のお客さんから、突然荷物が送られてきた。それは以前私がお客さんに差し上げた、商品のPRのために配布する販促品だった。なんだっていきなり送り返してくるのか分けがわからず、「荷物が届きましたけど、どうかされましたか?」と尋ねると、「タケ侍さん、わしらあの後話し合って、タケ侍さんとは”さよなら”することに決めたんじゃ。」と。...................。唖然として、「どうかされましたか?」と尋ねると、どうも、前回のブログで恥をさらしたお話の内容の中の、同業者のおばさんが発狂して、わたしのお客さんの農家さんたちに、何かとんでもないことを吹き込んだようなのだ。お客さんにしてみれば、商品に魅力があるのであって、誰から買おうが、誰の成績になろうが関係はない。そこに、販売側のゴタゴタを持ち込まれても、迷惑なだけで、それならいっそこの仲間内には入らないで欲しいという。それは、その通り、ごもっともである。しかし、もっと驚くことが、私が社内に問題として取り上げたことが、いつの間にか卑怯者扱いとなり、今回の件に関して、盗人のおばさんでなく、私の方が悪者になってしまっていたのである。信じられない話である。一体どのような話をすれば、このような考えにさせることができるのだろう?お客さんも、私の至らぬ点をいろいろとご指導くださったのだが、キレイごとを言う私の意見は、木っ端微塵にされ、生き抜くためにはどんな汚い手を使ってでもやるくらいの気概がなければならないというような話にまで発展し、結局のところ、今回の件は、私が積極性に欠けることが原因???のような、よく理解できない内容で結論付けられてしまった。おそらく、話の核心は、そうではなく、何か私の想像もつかないようなあの手この手で、お客さんがおばさんに洗脳を受けてしまったのだろうと思っているのだが...。これ以上の言い訳は、負け犬の遠吠えになってしまうのでやめることにする。真面目にやっているものが悪者にされ、詐欺のような行為をしている者が、認められる。自らの体験をもって、社会の矛盾を感じた日でした。私は、この話し合いの後、そのお客様の関係者の皆さんへ、「大変ご迷惑をおかけしました。」と一軒一軒お詫びの電話を入れつつも、何でこのようなことになったか未だ理解できないままでいます。私のお客様のところへ、同業のおばさんがお金欲しさにちょっかいをだしてきた。それを私が、問題として取り上げた。それにキレたおばさんが、暴れ始めた。..........。状況はどうであれ、お客様にとっては、そんな内輪もめのようなことは、気分が悪いだけのこと。そのことについいてだけ、「嫌な思いをさせてしまい、本当にすみませんでした。」とただ素直に謝るしかないのでした。もうお客様の仲間内では、なんだかわからないまま、話が進み、「タケ侍とは付き合いをやめてしまおう。」ってことになってしまっているのだから、今更言い訳もできないし、する必要も無いと思った。すべては、自分自身が引き起こした問題。すべては、自分が至らぬがゆえの出来事。すべては、これから自分が成長するための必要な出来事。目の前に起こるすべての現象は、必要必然。どんな理不尽なことにも、感謝する心が持てた時、自らが一歩成長できるときと、信じています。このおばさんは、私にとって菩薩様なのだと、私を成長させてくれるために、あえて醜い姿をさらしてくださっているのだと、心から感謝できたとき、また新しい自分の始まりなのだと、信じていこうと思います。でもね、最後に一言だけ言わせて!!この売り上げダウンは、マ~ジきびしいっすよ~!!!あっはっはっ~、がんばるしかないっすかね~。うんうん、「良い事をして忘れる!」(by 石川 洋)これしかないっす!ただね、お客さんの中には、「私は、タケ侍さんに頼むけんね~。これまで通りよろしくね~。」と温かい言葉をくださった方もありました。思わず、涙がこみ上げて、「ありがとうございます。」の声がかすれました。救われた瞬間でした。本当にありがとうございます。
2006/12/27
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久しぶりの登場でーす。笑ってごまかすしかありません。あしからず.....。突然ですが、こんな場合、みなさんならどうされるでしょう?仕事のお話です。あるお得意様(農家さん)のところへ、いつものように世間話をしに伺いました。やぁ、いらっしゃい!とにこやかにお迎えいただき、野菜のできなど、お話を伺っておりましたところ、ふと、いつもご愛用いただいてる商品が置いてあるのが目に留まりました。あぁ、ご注文いただいたのだなぁ、ありがたいなぁ、(商品の注文は、通常お客様から会社に直接していただけるので、 我々営業マンは後でご購入を知る場合が多いのです。)と、思ったのもつかの間、商品につている送り状のラベルに、なっ、なんと!!!同業者のおばさんの名前が.....。絶句............。そうです、私のお客様のところへ、勝手に商品を売りに持ってきていたのでした。プチプチっと切れそうになり、怒りで足が震えるのを感じましたが、どうにかこうにかお客様の前では冷静を保ち、その場を後にしたのですが、すぐに、他のお客様へも確認の電話を入れてみると、数人の方のところへも持っていっているとのこと。最近どうもご注文が少なくなってるなぁと思っていたら、このおばさんがちゃっかり自分で仕入れたものを、他の同業者のお客様へ、直接売り歩いていたのです。この同業者、70過ぎのおばさんなのですが、「わたしにゃ、怖いものはねぇ~」が売りの、販売のプロ。この方の言動を見てると、詐欺師に近いですが。(笑!)実は、このおばさん、私とは関わりも深く、同じグループの仲間のような存在なのですが、このおばさんのご協力もあって、売り上げも助けていただいてきたという経緯があるのですが、あまりに過激な言動に、自分の信用問題に関わると、距離を置くようにしていました。これまでおそらく私のお客様も、なんでタケ侍さん、あんな人といるんだろう?と、思われた方もいらっしゃったことと思います。私も、その方のお陰で自分の売り上げ(数字)が保てると、切るに切れず、どこか悪に媚びてるところがあったのだと思います。情けないです。反省!このおばさん、とにかく売れれば何でも良しのような勢いで、とにかく強引な話口調で行くので当然のことながら、時間と共に人から嫌われ、お客様も仲間もどんどん離れていくのですが、そんなことはお構いなし、一度縁ができたら、ダニのように離れない。それが自分のご縁だろうが、他人のご縁だろうが、できたご縁はすべて自分のものという考え。トラブルを起こしてはどこかへ消え、またほとぼりが冷めたころにふらっとやってきて混ぜ返す。この仕事でうまく稼げるようになってからというもの、それまでの価値観が一変してしまったのか、お金がすべてというような言動になっていきモラルも常識も無い、一歩間違えば「詐欺師」とも言えるような人になってしまったのです。そんな人に狙われてしまった私は(私だけではないか。苦笑!)、半ノイローゼ気味。もともとは、道徳もよく”ご存知”で、宗教的ものの見方ももよく”ご存知”で、言われることは誰も反論できないようなすばらしいことをおっしゃられる方なのです。ですが、戦ってみて正体が暴露されてしまった。よく”ご存知”だけの、知識を悪用するタイプの人でした。実は、9ヶ月ほど前に、こうした同じような事実が判明し、その時は会社側とも相談し、徹底して対策を講じ、どうにかこうにか刀を鞘に納めたのでしたが、またまたこうして懲りもせず同じ事を繰り返すという、まさに病気です。その時、正体を見たのですが、我々の抗議に対して反抗してくるその言動は、尋常ではありませんでした。この人には、道徳観も、倫理観もまったくない、常識では話が通じなかったのです。そして、今回また同じような事態に!!が、しかし、今回は、それほどぶち切れ、というわけでもありませんでした。あきらめも多少あるのでしょうが、多くの方の助言もあって冷静さを取り戻すことができています。こんな場合、普通であれば、訴えてやるくらいの勢いで向かっていくのでしょうが、それはマイナスのエネルギーを増長させるばかり。確かに、お客様を次から次へと取られていけば、私も死活問題です。給料がでなくなります。ですが、こんなキチガイや詐欺師のような犯罪者を相手に、立ち向かっていっても自分が疲れるだけで、解決に至ったとしても、自己満足で終わるだけのこと。怒っても、怨んでも、憎んでも、苦しい思いをするのは、自分だけなのです。相手(犯罪者)は、そんなことお構いなしで、夜もグッスリお休みです。一種の病気ですから、自分がしたことの判断がつかないのです。そんなものを相手に、思い悩んでも、何も解決に至らないのです。それよりは、このようなものの登場で、自分の人生をより豊かにすることができたと、マイナスのエネルギーをプラスのエネルギーに変えて、自己成長のために使うほうがすべてがうまくいくと思うのです。(実際にはかなりキツイです。苦笑!)確かに、怒りの炎は完全に消えてはいないかもしれません。でも、怒っているとイライラし夜も眠れなくなり、家族や仲間、大切な他のお客様などへ悪影響を及ぼしかねません。健康上にも本当に悪いです。マイナスのエネルギーが拡大する前に、スパッと切り捨て、新しい未来へ進むほうがどんなに得策か。私は、今回このおばさんを、こう思うようにしました。私が間違った方向に進まないように、過などを犯さないように、私を救ってくれるために、自らゴキブリのような嫌われ役をし、私を幸せにするために、醜い人生を送ってくれた、”菩薩様”だったんだ~!と。怒るなんてとんでもない。ありがとうございます。ありがとうございます。ついでにもう一回、ありがとうございます。(文面中に、まだまだ怒りの炎がチラチラしておりますが、お許しを!笑!)ゆるすということ、ほんとーに、難しいテーマです。
2006/12/24
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いやいや、テレビの話題で申し訳ない。コトー先生、好きなんですよね~。医者もんのドラマ自体が好きなんですが、このコトー先生もアットホームでやめられません。前作もとても好きでしたが、今回も毎回涙涙で...。何なんでしょうね、この込み上げてくる感情は?父と子や、家族のあり方、夫婦の愛、地域社会の絆、憧れなのかな?、妄想なのかな?でも、こうありたいなぁ~という姿の描写に、とんでもない魅力を感じます。人間として生きていく上で大切なもの、それは、物質による豊かさではなく、心による豊かさ。金銭的なつながりではなく、人間的な愛情のつながり。言葉では理解できるのだけれども、体がいつの間にか拒否反応を示している、そんなところではないでしょうか?僕には何もないけれど、僕にしかできないことがあるはずだ。それに気づくことが、自分がこの世に生まれてきた意味を知ることにつながるのだろう。僕にしかできないこと。それは、特別なことではなく、ごくごく普通のこと。ごくごく普通の、ありのままの自分を認められることこそが、自分の人生を幸せに生きる秘訣なのかもしれない。そんな自分でありたい。そんなことを思わせる、そんな素敵なドラマです。
2006/11/09
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父が亡くなって、もう6回目の月命日が過ぎた。月日が経つのは本当に早いものだとつくづく感じる。仏壇の前に正座し、父の遺影を見つめるたびに、ゴメンなぁという気持ちが込み上げてくる。もっと何かしてあげたかった、元気な孫の姿をもっと見せてあげたかった、もっともっと楽しい思い出を作ればよかった.....。失ってみて、人は初めて、その大切さを知る。言葉では分かっているけれど、いつかそのうち、という言い訳ばかりで、時間ばかりが過ぎていく。人のことばかり考えて、自分以外の者のことばかりに自分の時間を費やしてきた父。亡くして改めて、その大きな存在に想いを寄せ、「ありがとう。」と、心の中で一人つぶやく。何よりも家族を大切にし、子どもを大切にしてくれた。親というものは、そういうものなのかも知れない。私自身、家族を持ち、子どもを育てていく中で、自分自身の中で、何かが変わっていった。わがまま、自己中心、自分本位。両親の愛情に甘え、そんな生き方をずっとしてきた自分の中で、子どもの存在は、僕を変えた大きな理由の一つであった。それは、自分の弱さなのか?それとも、強さなのか?そんなことを問われても、自分では分からない。ただ、愛おしいと思えるその存在が、僕の中の価値観を大きく変えていったように思う。しかし、この度の父の死で、もっと何かが変わったように思う。それは、「死」、というものを、自分のことのように身近に感じるようになったことかもしれない。いつまで、この子たちと一緒に居られるのだろう?もし、明日僕が死んでしまうとしたら、今、何をしてあげればいいのだろう?もし、僕が居なくなっても、子どもたちが人生の道を外さない生き方ができるような、そんな愛を残してあげることができるだろうか?僕が居なくなったときに、どんなことを残しておけば、子どもたちは心豊かに、そして強く生きていくことができるのだろうか?そして、僕自身、その別れが寂しくないくらいの、楽しくて、そして温かい時間を共に過ごすことができたのだろうか?そんな想いが度々脳裏をよぎるようになりました。これって、病気でしょうか?何かウツのような症状なのでしょうか?お酒の飲みすぎで、ついに頭にきてしまいましたかね?決して、今現在、辛い気持ちで、思い悩んでいるわけではありません。むしろ、こんなに幸せでいいのかというくらい、家族との、子どもたちとの日々は満足で幸せに満ち足りた日々であります。この幸せは、父が、そして母が、僕に残してくれたもの、そして、それを子どもたちに残すことが、これからの僕の役目。ありがとう、お父さん。ありがとう、お母さん。そして、愛する妻へ、愛する子どもたちへ。ありがとう。
2006/11/06
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仕事中、車を走らせていて、ふと前方のゆるいカーブの先に、 腰の曲がったおばあちゃんの姿が目に留まった。ゆっくりと空を見上げ、ふうっと、何かに思いを馳せているようだ。 その傍には、一体のお地蔵さんの姿もあった。 きれいなお花が供えてあった。 おばあちゃんは、ヤカンらしきものを持っている。 どうやらお地蔵さんにお水と、お花をお供えておられたようだ。 普段は気にも留めない道端のお地蔵さん。 このあばあちゃんとの出会いの後、車を走らせながら道路わきを気にして見てみると 結構たくさんのお地蔵さんの姿がある。 きれいにお花がお供えしてあるものも結構ある。 そこには、あのおばあちゃんのような、無償の愛が感じられた。 街角や、道路わきのお地蔵さん。 そこには、何か大きな祈りとか、愛があり いつも道行く人々を温かく見守ってくれている。 そんなことをふと感じた秋の一日でした。 明日からの3連休、事故や事件がありませんように。 ありがとうございます。
2006/11/02
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心にナイフをしのばせて 奥野修司著 文藝春秋Here There and Everywhere というブログで見てどうしても読みたかった本を、今日やっと読み終えました。感想は..........................。ここのところ、毎日のように報道される事件・事故に、ウンザリさせられながらも、いつも考えるのは、こうした事件・事故に突然被害に遭われた方々、いわゆる、「 犯罪被害者 」 の方々のことでした。当然、犯人(加害者)は、逮捕され、ニュースでも取り上げられ、その様を世に曝され、法によって裁かれる。しかし、毎日のように起こる事件の中で、過去の事件はどんどん風化していき、人々の記憶から消えていく。その一方で、被害者のご遺族たちは、その苦しみを延々と引きずりながら生き地獄とも呼べる日々を歩まれている。テレビやニュースはそういうところにはスポットライトを当てようとしない。もっとも、ご遺族の方が、嫌がられるのだろうが。この本は、そうした犯罪被害者の苦しみの人生を、克明に表しています。特に最近問題となっている、「少年犯罪」の被害者であるだけに、その苦しみはさらに大きいものと言えるかもしれません。どんな罪を犯そうとも、法の下で定められた罪を償えさえすれば、すべて終わりと許されるものなのでしょうか?加害者側は、刑を終え、過去を忘れることで、苦しみから逃れることができるかもしれない。しかし、被害者側は、決してそうはいかない。癒されることはないのです。そのことを、法は(国は)理解しているのであろうか?この事件の加害者のA氏も、「少年法」により、2,3年で社会にでて、養子縁組することで苗字を変え、2つの大学を出て、現在は、なんと!「 弁護士 」 として働き、裕福な暮らしをしているとのこと。そこだけにスポットライトを当てれば、立派に「更正」した素晴らしい例であろう。が、しかし、このA氏、殺害した少年の遺影に手を合わせるどころか、ご遺族に対しても一言の謝罪の言葉もない。さらに、裁判で言い渡された賠償金もほとんど払わずに無視し続け平然としている。これが、弁護士という仕事をしているというから、信じられない。これで「更正」したと言うことができるのだろうか?日本の法律は、被害者に厳しく、加害者に優しい。???である。本書の中に、「2004年度で、日本政府が犯罪加害者の更正にかける支出は年間460億円。一方で、被害者のための予算は、年間わずか11億円。これでも相当増えたのだ。」とある。また、「莫大な予算をかけて、犯罪者の人権にはきめ細かい配慮をしながら、被害者の遺族には何のケアもせず、さらに彼らを癒そうとする手だてすら持たないということはどう考えても納得がいかない。」と続く。残酷な犯罪を犯しながら、人の命を奪いながら、国は、莫大なお金をかけて殺人者を更正させ、社会に送り出す。その一方で、被害者の家族は、大変な苦しみと悲しみの中で、身も心もボロボロにされ、何の保護も受けれないまま、その家庭すら崩壊させていく。人の命って何なのでしょう?人権って一体何なのでしょう?法律って一体誰のためのものなのでしょう?「犯罪」と「刑罰」について書いたことがあります。 ↑↑↑ 読んでみてください。その時の考えと今も変わりはありません。本書を読んで、さらに遺族の悲しみ、苦しみが深く心に沁みました。犯してしまった罪は一生償うことはできません。でも、償う努力はいくらでもできるハズです。せめて、被害者のご遺族の心がホンの少しでも癒されるまで、その償いは続いてしかるべきものではないでしょうか。この春、父を亡くし、突然家族を失う悲しみを痛感させられた。私の父は犯罪に巻き込まれたわけではありませんが、失って初めて分かるものがあります。本書を読みながら、幾度となく涙がこぼれました。不運にも、犯罪に巻き込まれ、一瞬にして幸せな家庭が崩壊していく。その苦しみを何十年という間引きずりながら、それでも生きていかなければならない。一体どうして私なの?一体何が悪いの?そんな答えの出るはずのない問いに、自問自答を繰り返しながら、死んだように生きていく。そんな気持ち、到底理解することはできないけれども、そういう気持ちを分かろうと努力することで、そういう人々が増えていくことで犯罪というものは、少しでも減っていくのではないでしょうか。そうした意味で、本書が世の中に問いかけるものは大きいのではないでしょうか。子どもたちが安心して暮らせる世の中を作って行きたいものです。心からそう祈ります。
2006/10/19
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昨日晩ご飯を食べながらテレビを見ていたら、(最近テレビネタ多いね~!テレビのことボロクソ言ってるのに.....^_^;)家電製品の歴史のような、家電製品と家族のつながりのような内容の番組をやっていて、その中のコメントに、「家電製品は家族」というようなコメントがあり、ミョーに印象に残ってしまい、ご飯を食べながら、女房や子どもと我が家の家電の歴史を語り合ってしまいました。結婚して12年、(だったかな??? ヤバイ、ヤバイ。)その間、長女が生まれ、二人目の子ども生まれ、引越しも3回もし、我が家をずーっとずーっと見守ってくれた”家電製品たち”と言えば、冷蔵庫、エアコン、照明、ん~..........。テレビ君は、今年の1月にお別れしてしまったし、洗濯機くんは、洗濯オタクの女房にコキつかわれて、とっくの昔に代わってるし、車も、エンジンがボーン!って大変な思いをしたりしながら、それでも修理して修理して頑張ったけど、おととし代えたよなぁ~、ついこの間も、炊飯器もかなり迷った末に、結局高いのが買えずに、中途半端なやつ(いや、そんなこと言っては失礼か...)買ったばかりだし~、おぉぉー!掃除機くんはまだボロボロになりながらも頑張ってくれてるなぁ~。ん~..........。???こうやって改めて考えてみると、結構壊れて買い替えてしまっているものだ。「家電製品は家族」なんて、改めて言われてみると、なんだか冷蔵庫たちが愛おしくなってしまう。結婚してから、子どもが生まれて、ワイワイガヤガヤやってきた我が家の一部始終をこいつらはずーっとずーっと静かに見守ってきてくれたんだなぁ~っと思うと、なんか思わず涙モンです。何でもお金で解決してしまう世の中だから、モノ”なんか”壊れたら買い替えればいいじゃない、って、なりがちですが、こうしてシミジミ考えてみると、身の回りのモノたちって、自分たちと生活を、ずーっと共にしてきたんだなぁ、って、本当に家族みたいに思えます。モノを大切にするって、こんな気持ちから始まるのでしょうね。大切な家族。なんかいいなぁ~。(^^♪
2006/10/18
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ウソだろ~!!!???たまたまつけたテレビ番組で、長渕剛が熱唱してる?なんだ~?この番組~?くり~むナントカ~???バラエティ~???ウソだろ~???長渕はマジモードで、しびれるような歌声を聞かせている。カラオケBOX~???お笑い芸人3人のために2時間以上も熱唱~???ありえねぇ~!アコースティックギターがこれほど良い音色を出すのかというくらい熱い演奏が続いている。信じられない思いで思わずテレビにかじりついた。涙が出そうなくらい興奮した。すげぇ~!長渕剛、すげぇ~!!!これほど彼をかっこいいと思ったことはありませ~ん。長渕剛、すげぇ~!!!かっこよすぎ!感動しました。明日、CD買いに行ってきます。(笑!)なんて単純な僕。そんな番組の最後に、剛が歌った曲。この曲にも、何度慰められたことだろ。あぁ、青春の1ページが蘇える。ありがとう。STAY DREAM死じまいたいほどの苦しみ悲しみそんなもののひとつやふたつ誰もがここあそこに しょい込んでるもの腰をおろし ふさぎ込んでも答えはNothing!ぶっ飛ばしたいほどの怒りや悔しさそんなもののひとつやふたつ殴られた痛みはTRYへのワンステップ尽きせぬ自由は がんじがらめの不自由さの中にあるくよくよするなよ あきらめないで Just like a Boyその痩せこけた 頬のままで果てしない迷路の中を人はみんな手探りしてでも Stay Stay Dreamそう Stay Stay Dream Stay Stay Dreamひねくれかけた瞳のずっとずっと奥にもがいてる もうひとりの俺がいる一番怖いものは 勇気だと知った時自分の弱さに思わず鼻をつまんだもうこれ以上先へは進めない例えば 挫折が目の前に立ちはだかるそんな夜は心で 命の音を聞けたかがこんな自分は! と一度だけからかってみなよくよくよするなよ あきらめないで Just like a Boyその痩せこけた 頬のままで果てしない迷路の中を人はみんな手探りしてでも Stay Stay Dreamそう Stay Stay Dream Stay Stay Dream
2006/10/16
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「ゆるすということ」、なんて偉そうなテーマで書き記してしまったものだから、自分にまだまだつりあわないようなことを書いてしまったものだから、その後、何を書いていいかわからなくなってしまった。(苦笑!~_~;)更新できない、言い訳。「ゆるすということ」が、人が生きていく上で、どれほど大切なテーマかは、分かっているつもりである、が、まだまだ自分には、「怒り!」「愚痴・不平・不満」をテーマにシャウトしている方が似合うように思える。お恥ずかしい話であるが.....。幸せをテーマにした内容も、多くの人の共感を得られるものであるが、不平・不満をテーマにした方が、より多くの人から共感が得られるような気がする。これって、どうなんだろう?と、思うことがしばしばある。他人の共感を得られるとうことは、ある意味、人のお役に立てているということだと思う。情報を発信し、多くの人に共感してもらえることが、人のお役に立つこと、という考えを持ってこれまでやってきました。共感を得るということは、人に感動してもらえるとか、感謝してもらえることである、その一方で、内容によっては、悪意を助長し、社会への悪影響を拡げていることになるのかも知れない、な~んて、考えてしまう私は変であろうか???ネット上の様々な情報を見させていただく中で、社会の裏側を暴露するような内容の記事に、人々が飛びつき、高い反応を示すその姿に、何か違和感を覚えるようになってきました。でも、私も、これまでそうした内容で人を引きつけようとしていたかもしれません。商売の常套手段に、恐怖を煽って商品を買わすという方法がある。読者を増やすために(人気を得たいがために)、人の深層心理をついて自分に引き寄せるという方法である。しかし、それで、人は幸せになれるだろうか?ゴシップネタで、他人をあざ笑う時間があったら、他人を批判する時間があったら、もっと自分を豊かにする方法が、人を豊かにするする方法が、他にもたくさんあるのではないかと思うのです。人々へ警鐘を鳴らすことは大切なことです。そんなつもりで様々な記事も書いてきたつもりです。心通じ合う方々が、温かい感想をお寄せくださっていることに、心より感謝しております。でも、最近、なんか違うなぁ~???って思う今日この頃、みなさんいかがお過ごしですか~?って、私”も”毎日チェックしている「あのブログ」の言い回しですね。(~_~;)今日は何なんでしょうね?ちょっと飲みすぎでしょうか?更新できない言い訳ですかね?もっと、みなさんのお役に立てる、心温まるお話ができるようがんばりまーす。
2006/10/16
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「ゆるすということ」ジェラルド・G・ジャンポールスキー著「ゆるすということ」これは、実は簡単なようで、とても難しいことです。というよりも、人生最大のテーマ? と思うことすらあります。私は、これまでの人生の中で、「絶対にゆるすものか!」と、誰かや、何かに対して、怒りや憎しみを持ったことがあります。いえ、正確には、”持ち続けてきた” と、言えるでしょう。常に心の中のどこかで、何かに対して、そんな感情を抱いてきたように思います。「正しいか」、「正しくないか」。そんなモノサシを持たれている方ほど、こうした感情に人生を揺り動かされて来られたのではないでしょうか。時には、争いごとになるような激しいぶつかり合いもありました。時には、夜も眠れないくらいストレスを感じることもありました。この壁を乗り越えなければ、また同じ問題にぶつかると、解決に向けて、正面からぶつかっていったこともありました。そして、その問題は解決したのか?と言うと、正確には解決してないと言えるものの方が多いかもしれません。何かやりきれないモヤモヤしたものを心の隅に持ち続けながら、その問題から目を逸らすことで、自分の気持ちを抑えてきたように思います。そして、時間が経つにつれ、次第にその感情が薄れて、いつしか気にならなくなっていきます。私の場合は。中には、ずーっと怒りや憎しみの感情から離れることができずに、ついには犯罪に走ってしまったり、病気になってしまう人も多くいるのではないでしょうか。「ゆるすということ」この本の中に、こんなことが書かれています。・ ゆるすことで、私たちは自由になります。・ ゆるしによって、自分の本当の姿がわかります。・ ゆるしは癒しをもたらします。・ ゆるしは自分も他人も癒します。そして、こんな一文も。・ 他人をゆるせないとき、 それはいままで目を背けてきた あなた自身を見ているときかもしれない。今、ベストセラーになっている、野口嘉則氏の 「 鏡の法則 」 も、テーマは 「 ゆるし 」 、そして 「 感謝 」 であるようです。斉藤一人氏のお話の中にも、「 ゆるし 」 に関するお話があります。どんなに許せない相手がいても、声に出して、「○○を許します。」と、3回言うのだそうです。(初めはかなり抵抗があると思います。^_^;)また、それと合わせて「自分を許します。」と、3回言います。そうすることで、その言葉に気持ちはこもっていなくても、次第にスーッと心が軽くなっていくそうです。実は、私も車の中で、そのCDを聴きながら、一人でやったことがあります。(笑!)でも、不思議と、今まで怒っていた自分が馬鹿らしくなり、心が楽になりました。ぜひ、みなさんもやってみてください。人は、常に心のどこかで、何かに対して、怒りとか、憎しみとか、憤りを感じているものです。それは、無意識のうちに心に住み着いている場合もあるようです。心の中の、それらの感情から解き放たれたとき、また新しい自分に出会えるのかもしれませんね。ぜひ一度、この 「 ゆるすということ 」 というテーマを考えてみられると、新しい発見があるのではないでしょうか。
2006/10/07
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先日、昼ごはんを食べながらボケーッとテレビを見ていたら、「ゲリラガーデナー」とういう聞きなれない言葉が耳に飛び込んできました。「ゲリラ」 + 「ガーデニング」ナハハ、その言葉の通り?、ゲリラ的に街の至る所をガーデニングしてしまう人々ということのようでした。イギリスの人々だったのですが、昼間はサラリーマンとか、普通に仕事してて、週末の夜とかになると、突如数人の仲間たちが集まり、夜中のうちに、街角の荒廃した花壇などを、それはそれは美しい花壇に変えてしまうというなんとも素敵なボランティアグループなんです。よく道路わきの植え込みなどに、空き缶やゴミがいっぱい捨ててある光景を目にしませんか?ゴミが溜まりやすい場所。ゴミをそのままにしておくと、だんだんそこにゴミを捨てる人が増えてくる。始めは一つだったゴミも、気がついてみれば山のようになっている。そんなゴミの山を、ほとんどの人は、嫌悪感を持ちながら見つつも自分ではどうにかしようとはしません。一方で、ゴミをなくすと、そこに捨てなくなる。落書きも同じですよね。トイレもそう。綺麗にしてあると、人間の心理なのか、汚すといけないと思うようです。この、ゲリラガーデナーの人々は、そんな誰もが敬遠するような汚れた場所を、美しい「花」や「植物」で、見事に芸術作品に作り変えていってしまうのです。それまでは、その汚れた場所を、足早に通り過ぎていっていた人々も、たった一夜にして出現したその美しい芸術作品に、思わず立ち止まって、心癒される一時を味わって行かれます。そこには自然と笑みがこぼれます。そこに書かれたメッセージが、また良いのです。「これからは、みなさんで手入れをしてくださいね。」、と。この一言に、多くの人は自分も参加できると気が付くのではないでしょうか。自分でやってしまうことは簡単です。他人を巻き込み、その気にさせることはなかなか出来る事ではありません。すばらしい!!!この試みは私に大きなヒントをくれたように思います。私だって、家の前の公園の草刈や木の刈り込みを、勝手にやっちゃったりしてますが、そういう意味では、「ゲリラ草刈マン?」と、呼べるでしょうか。(~_~;)自分の暮らす町を、美しくしたい。子どもたちに、心豊かな社会を残したい。そんな街づくりに一役買える、そんな活動だと思いました。地球環境の問題って、オゾンホールを何とかしようとか、地球温暖化を何とかしようとか、海や川の汚染を何とかしようとか、そんな一個人では到底不可能なことに、どうしようこうしようと悩む前に、もっと目の前にある小さな事から確実にこなしていくことが大切だと思います。ゴミが落ちてれば拾う、草がボウボウになってれば手入れする、こまめに電気を消す、水道を止める、人と会ったらあいさつをする...?、そんな、小さな小さな日常生活を大事にしてこそ、大きな取り組みが実現するのではないかと、秋の夜長にシミジミと感じたわけでありました。虫たちの心地よい音色を聴きながら、平和だなぁ~と思いながらも、日々一刻一刻と、地球の環境は悪化して行っている、この現実を忘れてはならないと思います。
2006/10/05
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1992年の6月11日、ブラジルのリオ・デ・ジャネイロで、国連の地球環境サミットが開かれました。そこで、カナダ人の12歳の少女セヴァン・スズキが、世界各国の首脳を前にして、わずか6分間のスピーチをしました。その言葉は、人々の強い感動を呼び、世界中をかけめぐり、いつしか「リオの伝説のスピーチ」と呼ばれるようになりました。あなたはこのスピーチを聞き、何を思いますか?(できれば、ぜひ一度、声を出して読んでみてください。)「あなたが世界を変える日」 セヴァン・カリス=スズキ著 (学陽書房)こんにちは、セヴァン・スズキです。エコを代表してお話します。エコというのは、子ども環境運動の略です。カナダの12歳から13歳の子どもの集まりで、今の世界を変えるためにがんばっています。あなたたち大人のみなさんにも、生き方を変えていただくようお願いするために、自分たちで費用をため、カナダからブラジルまで1万キロの旅をしてきました。今日の私の話にはウラもオモテもありません。なぜって、私が環境運動をしているのは、私自身の未来のため。自分の未来を失うことは、選挙で負けたり、株で損したりするのとはわけが違うんですから。私がここに立って話をしているのは、未来に生きる子どもたちのためです。世界中の飢えに苦しむ子どもたちのためです。そして、もう行くところもなく死に絶えようとしている、無数の動物たちのためです。太陽のもとにでるのが、私はこわい。オゾン層に穴があいたから。呼吸をすることさえこわい。空気にどんな毒が入っているかもしれないから。父とよくバンクーバーで釣りをしたものです。数年前に、体中ガンでおかされた魚に出会うまで。そして今、動物や植物たちが毎日のように絶滅していくのを、私たちは耳にします。それらは、もう永遠に戻ってはこないんです。私の世代には、夢があります。いつか野生の動物の群れや、たくさんの鳥や蝶が舞うジャングルを見ることです。でも、私の子どもの世代は、もうそんな夢をもつこともできなくなるのではないか?あなたたちは、私の歳ぐらいのときに、そんな心配をしたことがありますか?こんな大変なことが、ものすご勢いで起こっているのに、私たち人間ときたら、まるでまだまだ余裕があるような、のんきな顔をしています。まだ子どもの私には、この危機を救うのに何をしたらいいのかわかりません。でも、あなたたち大人にも知って欲しいんです。あなたたちも良い解決法なんて持ってないっていうことを。 オゾン層にあいた穴をどうやって防ぐのか、あなたは知らないでしょう。死んだ川にどうやってサケを呼び戻すのか、あなたは知らないでしょう。絶滅した動物をどうやって生き返らせるのか、あなたは知らないでしょう。そして、今や砂漠となってしまった場所に、どうやって森をよみがえらせるのか、あなたは知らないでしょう。どうやって直すのかわからないものを、こわし続けるのはもうやめてください。ここでは、あなたたちは、政府とか企業とか団体とかの代表でしょう。あるいは、報道関係者か政治家かもしれない。でも本当は、あなたたちも、誰かの母親であり、父親であり、兄弟であり、おばであり、おじなんです。そして、あなたたちの誰もが、誰かの子どもなんです。私は、まだ子どもですが、ここにいる私たちみんなが同じ大きな家族の一員であることを知っています。そうです、50億以上の人間からなる大家族。いいえ、実は、3千万種類の生物からなる大家族です。国境や各国の政府がどんなに私たちを分けへだてようとも、このことは変えようがありません。私は子どもですが、みんながこの大家族の一員であり、ひとつの目標に向けて心をひとつにして行動しなければならないことを知っています。私は怒っています。でも、自分を見失ってはいません。私はこわい。でも、自分の気持ちを世界に伝えることを、私はおそれません。私の国でのむだづかいは大変なものです。買っては捨て、また買っては捨てています。それでも物を浪費し続ける北の国々は、南の国々と富を分かちあおうとはしません。物がありあまっているのに、私たちは、自分の富をほんの少しでも手ばなすのが怖いんです。カナダの私たちは、十分な食べものと水と住まいを持つ恵まれた生活をしています。時計、自転車、コンピューター、テレビ、私たちの持っているものを数えあげたら何日もかかることでしょう。2日前にここブラジルで、家のないストリートチルドレンと出会い、私たちはショックを受けました。ひとりの子どもが私たちにこう言いました。「僕が金持ちだったらなぁ。もしそうなら、家のない子すべてに、食べものと、着るものと、薬と、住む場所と、やさしさと愛情をあげるのに。」家もなにもない一人の子が、分かちあうことを考えているというのに、すべてを持っている私たちが、こんなに欲が深いのは一体どうしてなんでしょう。これらの恵まれない子どもたちが、私と同じくらいの歳だということが、私の頭をはなれません。どこに生まれついたかによって、こんなにも人生が違ってしまう。私がリオの貧民街に住む子どもの一人だったかもしれないんです。ソマリアの飢えた子どもだったかも、中東の戦争で犠牲になるか、インドで物乞いをしていたかもしれないんです。もし戦争のために使われているお金をぜんぶ、貧しさと環境問題を解決するために使えば、この地球はすばらしい星になるでしょう。私はまだ子どもだけど、そのことを知っています。学校で、いや幼稚園でさえ、あなたたち大人は私たち子どもに、世の中でどうふるまうかを教えてくれます。たとえば、争いをしないこと、話し合いで解決すること、他人を尊重すること、散らかしたら自分で片付けること、他の生き物をむやみに傷つけないこと、分かち合うこと、そして欲張らないこと。ならばなぜ、あなたたちは、私たちにするなと言うことをしているのですか。なぜあなたたちが今、こうして会議に出席しているのか、どうか忘れないで下さい。そして一体誰のためにやっているのか。それは、あなたたちの子ども、つまり私たちのためです。みなさんはこうした会議で、わたしたちがどんな世界に育ち生きていくのかを決めているんです。 親たちはよく「だいじょうぶ。すべてうまくいくよ。」と言って子どもたちをなぐさめるものです。あるいは、「できるだけのことはしてるから」とか、「この世の終わりじゃあるまいし」とか。しかし、もうこんななぐさめの言葉さえ、使うことができなくなっているようです。お聞きしますが、私たちこどもの未来を真剣に考えたことがありますか?父はいつも私に不言実行、つまり、何を言うかではなく、何をするかでその人の値打ちが決まる、と言います。しかし、あなたたち大人が、やっていることのせいで、私たちは泣いています。あなたたちはいつも私たちを愛していると言います。しかし、言わせてください。もしそのことが本当なら、どうか本当だということを、行動でしめして下さい。最後まで私の話を聞いてくださって、ありがとうございました。この本にはまだ続きがあります。ぜひ手にとってお読みになっていただければ、みなさまお一人お一人の心の中にこの話の続きが湧き上がってくることでしょう。ぜひ一人でも多くの(大人の)方にお読みになっていただきたいと思います。そして、ご自分の子どもや、みなさまの周りに居る子どもたちにも読んでもらいたいです。そして、一緒に環境問題について話し合ってみていただきたいです。子どもたちは、どのようにとらえ、どのように感じているのか。それを、大人たちは、どのように受け止め、どのように行動で示すのか。素敵な人との出合いに感謝します。素晴らしい本との出合いに感謝します。ありがとうございます。
2006/09/28
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昨日まで仕事の関係で三日間ほど勉強に行ってきました。その中で、環境ジャーナリストの方の講演を聴いた時、久しぶりに衝撃を受けました。一体、自分は今、何をしているんだろう.....。9年前、食品業界の裏側を垣間見て、とんでもない社会の実態に気がついた。そして、今の仕事にご縁し、すばらしい人たちと出会い、たくさんの本を読み、多くの学びをいただいてきた。地球の環境のこと、食の現場のこと、農業のこと、学校教育のこと。そして、政治、経済、宗教、文化などあらゆることに関心が向くようになった。それまで無知・無関心だった僕は、スポンジが水を吸うかのように、いろいろな知識や経験を、スーッと身に付けることができた。あの頃は..........。自分で言うのもおかしいが、そこには光り輝いていた自分があったように思う。輝きがあったかどうかは別としても、一生懸命で、そこには情熱があった。では、今の自分はどうであろう。ぬるま湯にどっぷりと浸かり、小手先だけの気持ちの篭ってない仕事ぶりではなかっただろうか?周りの雰囲気に流され、仕事の惰性に流され、あの頃の情熱を失ってしまっていた。1000日修行と題し、自分を改めようと取り組んでは見たものの、あっという間に挫折状態。現実は、目先の日々の売り上げの増減に囚われ、仕事の喜びすら無くしてしまっていた。仕事=志事、そして、仕事=人生。そんな想いの中で続けてきた事業に、少し自信を無くしていた。信頼していた仲間や、信じていた恩師たちが、お金に狂っていく姿を見るうちに、人間不信に陥りかけていました。どんなにすばらしいことを言っても、所詮お金がすべての人間たちなんだ...と。でも、思ったんです。もしかしたら、神様は「私自身の姿を、鏡(仲間、恩師)に映してくれた」のかも知れない、と。そう、偉そうなことを言いながら、お金に執着してるのは”自分”ではないのか!?他人を軽蔑する前に、自分自身の姿をもう一度よく確認する必要がある、そんなことに気がつきました。カッコつけた言い方ですが、「何のために生きているのか」、そんな問いを自分に投げかけながら、今の自分の姿を恥ずかしく思いました。地球の環境が、今どれほどひどい状態になっているのか?私たちは、真実から目を背けようとしています。いえ、背けながら生きているのが現実でしょう。所詮は、他所の国の出来事、自分たちにはとりあえず関係ない。温暖化? オゾンホール? ダイオキシン? 環境ホルモン?テレビも最近言わなくなった?そうではないんです。地球を取り巻く環境は、深刻の一途をたどっています。人類の滅亡?そんなマンガのような話、信じれませんよね?しかし、絶対にあり得ない話と、何を根拠にあなたは言うのでしょうか?私自身、信じたくはありません。でも、ここ数年の身の回りで起こる環境の変化を冷静に捉えた時、そして、国連などの国際機関の調査結果の報告を、真剣に考えたとき、大抵の方なら、何かを感じていただけるはずである。もしかしたら.....えっ!?.....と。そう感じても、「自分には何もできない。」、それが99.9%の方々の意見でしょう。問題が大きすぎると、自分にできる問題ではないと、あきらめてしまいがちですが、そうではなく、知らないことを知ることが、世界・人類を救うことになる。初心に返って、勉強し直します。そして行動を起こします。それは、必ず人のお役に立てると確信して、自分のできることを、自分に与えられた使命として、コツコツと行っていきます。また、一人でも多くの共感し合える人たちと、生きる喜びを分かち合いたいと思います。地球の環境という大きな視点で想いをめぐらせた時、人間関係、金銭トラブル、身の回りのイザコザ、仕事のこと、病気のこと、老後のこと、家族のこと、etc.....。今はご自身にとって夜も眠れない深刻なことでも、地球規模で物事を考えた時、自分がどれほどちっぽけなことでクヨクヨしているのか、本当に馬鹿らしく思えることでしょう。今日、今、ここから、新しい自分の出発です。がんばってみます。みなさんもご一緒に。ありがとうございます。
2006/09/23
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先日も触れましたが、佐藤一斎の「言志録」について、小田全宏氏の著書「日本人の真髄」の中にこんな一文がありました。分を知り、然るに後に足るを知る。貧しい人と言うのは、自分の分もわきまえず、大きな欲望を持つ人である。人間にとって理想を言えば、物質的にも、精神的にも両面で満たされた人であろう。しかし、そういう人はなかなかいない。金持ちになればなるほど、強欲になり心が貧しくなる人が少なくない。と。また、貧富を4つのパターンに分けておられます。1つは、お金があって心も豊かな人(富む人)。2つ目は、お金があっても「足りない」と常に思っている人(貧しい人)。3つ目は、お金は少ないけれども、豊かに思っている人(清貧の人)。4つ目は、本当に貧しくて心も貧しい人(極貧の人)。仏教の言葉に、「少欲知足」というものがあるそうです。欲を少なくして、足るを知る。足るを知れば、心の豊かさを体現することができるでしょうとのこと。「欲」がなければ、成長などしないとよく言われたりしますが、ここで言う「欲」は、「目標」や「希望」などに使われる意味合いのものではなく、ただ単に自己満足のにのための「我欲」に対する、「欲望」を意味するのだと思う。足りない、足りないという人の心というのは、ほとんどの場合、他との比較であり、自分とは、人生もモノの価値観も、全く違う人々を見て、ただただうらやましく思い、あれも欲しい、これも欲しいと思う、そんなところでしょう。違いますか?自分は自分、他人は他人。物質的な「欲」を満たそうと思うと、キリがないと思います。手に入れても、手に入れても、ますます欲しいという欲求が増すものではないでしょうか。大金持ちほど、欲を出しすぎて最後はすべてを失っていたりしませんか。それよりも、自分の心を満たしてくれるものは何か。自分とは?生きるとは?なんて、考えてみたとき、今の自分は、今の自分に満足できる存在なのでしょうか?外に欲求を向けるのではなく、内側に欲求を向けたとき、おもしろい自分に出会えるのかもしれません。よく、自分との戦いとか、自分との挑戦、なんて言うじゃないですか。そんな方々は、必ず自分と対話することをされています。自分との対話。なんか、宗教くさいことばかり申しましたが、私は特定宗教とはなんら関係ございませんのでご安心を。それでは、また。
2006/09/19
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人は、往々にして、金や権力を持ち、他人からチヤホヤされ始めると、我を見失い始める。(いや、本性を見せ始めると言った方がいいのだろうか?)この度ようやく死刑が確定したAのような新興宗教の教祖や、今日のニュース記事に出ているような、恐怖を煽り立てて人からお金を巻き上げるエセ占い師H、現在裁判中のHのような法の抜け道と称し詐欺で荒稼ぎをしたベンチャー企業家、八百長でチャンピオンになるようなボクサーKは論外として、少なくとも、彼らの出発点には、”真実”があったと思う。そして、彼らを狂わせて行ったのは、”欲”の一文字ではないかと思う。その根底には、コンプレックスというかカルマというか、何か満たされることのない何かが存在していたのだと思う。斉藤一人氏が、著書「地球が天国になる話」の中で、コンプレックス、劣等感について話されていますが、人は生まれながらにして周囲の何かしらの要因によって劣等感を持たされているということを説かれています。ちょっと分かりにくいかもしれませんが、よろしければご一読下さい。今日はこれ以上触れません。あっ、で、今日は何を言いたかったかと言いますと、私は細木数子のような人間が嫌いだと言うことです。(苦笑!)だいたい、親からもらった名前を何の権利で変えさせるんですか?私の言うことを聞かなければ、死にますよ!なんてことを言う人間にまともな者はまず居ません。(これはそこらへんのインチキ宗教団体と同じです。)人生のアドバイスをする立場の人間は、必ず相手に勇気と希望を与えなければなりません。それを、このままではあなたは終わってしまうと、切り捨てるようなことを言うものは100%偽者です。なぜなら、そこに”愛”がないからです。時々、女子高生や最近の若者に、日本古来の奥ゆかしさ的なことを説教し、まともらしいことを言っている時があるけれども、一時はすばらしいと思ったこともありましたが、今思えば、ただ本を売りたいだけかと、思います。こんな腐った女を、バンバン使うテレビ局の気が知れない。どんなアホが見ていようとも、とにかく視聴率があがってスポンサーが喜べばそれで良い、そんな風にしか感じない内容である。この前の、Kのボクシング世界戦など、番組の構成はひどいものであった。あれ以来、あのチャンネルは、見る気がしない。結果、Mもんたの暑苦しい顔も見ることがめっきり減った。インターネットが通信の世界を変えるのは、もう秒読み段階だと思うが、その前にテレビで稼げるだけ稼いでおこうというところだろうか?利権にまぶりつく醜い拝金主義者たち。テレビに日本は、日本人は侵されていく。情報操作というものの恐怖を感じる日本人は少ないのかもしれない。細木数子さん猛抗議でDVDボックスから削除…「トップキャスター」第3話 今年4月期にフジテレビ系で放送された“月9”ドラマ「トップキャスター」が、1話分を丸ごと削除した形で11月15日にDVDボックス化されることが17日、分かった。削除されたのは、占い師の細木数子さん(68)を思わせるキャラクターが登場する「第3話」。放送直後、細木さん側が抗議し、フジが謝罪していた。DVD化にあたり特典映像がつくのは今や当たり前だが、1話そっくり削除という措置は極めて異例だ。 オンエア時は11話あったドラマが、DVDでは「全10話」になっていた。 「トップキャスター」は今年4~6月にかけて放送された1話完結スタイルのドラマ。天海祐希(39)がスクープを連発するニュースキャスターに、矢田亜希子(27)がアシスタント役を演じ、平均視聴率18・3%を記録。 問題の「第3話」は5月1日に放送された「恋愛運ゼロの逆襲」。人気占星術師・宮部天花(黒田福美)とキャスターの椿木春香(天海)が番組内で対立。逆ギレした天花は、春香の運勢は最悪だと言い放ち、改名をしないと運勢が変わらないなどと要求した。しかし、春香らのその後の取材によって、天花に家をだまし取られたという被害者がいることが分かり、占いもインチキだったことがバレる-というストーリーだった。 フジでバラエティー番組「幸せって何だっけ カズカズの宝話」(金曜・後7時57分)に出演している細木さん側は、自らを思わせる占い師が“悪役”で登場したことに猛抗議。抗議を受けたフジ側は謝罪した上で、パッケージ化などの際には配慮することなどを約束して和解していた。 関係者によると、ドラマ制作サイドは「第3話」もDVDに収録するよう要望したが、同局の“政治的判断”によって削除が決まったという。DVD化の際には未公開映像などの特典がつくことはあっても、1話分がまるまる削除されるのは前代未聞。フジ広報部では「今回の件で改めてコメントすることはありません。また再放送の際にどうするかはまだ決まっていません」としている。 (スポーツ報知) - 9月18日12時34分更新
2006/09/18
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お盆休みに中学時代の友達と一杯やりました。彼らとは、年に1、2度は酒を飲むのですが、その集まりが実にすばらしい。(と、思う。)だいたいスタートはお決まりのメンツ5~6人で始まるのですが、酒が進むにつれ、「あいつも呼ぼう、こいつも電話しよう」と、数時間後にはその店の部屋では入りきれない人数になるのです。前回の時は終わり頃には20人は十分越えていたと思う。ちょっとした同窓会である。(男ばかりであるが...^_^;)私は、高校になってから、中学時代に過ごした町からは引っ越したために、仲間とは少し離れた所に住んでいましたが、突然の思いつきの呼び出しに、これほどの人数が集まることがうれしくてたまりません。今年で38歳。中学を卒業して、もう23年が経つ。白髪まじりのおっさんが、当時と変わらないテンションで盛り上がる。いや、当時はこんな風にはお互い話ができなかったかな?(なんせ私たちは危ない?人々でしたから.....^_^;)38にもなると、お互いもう立派な大人で、もう当時のことは懐かしい笑い話である。何十年ぶりかに会っても、こうして何事もなかったかのように、溶け合うことのできる友がいて、本当に幸せだと思います。実は、今回は、少人数で飲んだのだが、歴史的和解???が生まれました。(苦笑!)お恥ずかしい話なのですが、実は中学卒業前に、あるやんちゃな同級生を、当時やんちゃな僕は、ボコボコにしてしまったのであります。(反省!)それ以来、同窓会があっても、飲み会があっても、彼の姿を見ることはなかったのですが、今回の飲み会で、「Y」を呼ぼう!という話の流れになり、あせる私を尻目に「Y」に電話。「どんな顔して会ーたらええんじゃ~!!!」と、慌てふためくのもつかの間、「Y」登場。私の第一声。「おー!!!久しぶり~。あの時はすまんかったの~。」(冷汗!)握手でお互いの再会を祝うも、何かぎこちない「私」。「Y」はどう思っていたかは分からないけど、お互い、久しぶりの再会を喜べたのではないかと、照れ臭いながらミョーに喜ぶ私。いやいや、懐かしい友に会って、うれしくない奴はあまり居ないと思う...。たぶん。(^_^;)友としか味わうことのできない独特の時間がある。その懐かしさの中に、自分の歴史を見るようで、自分の存在が確認できるのかも知れない。確かにそこには友としか味わえない空間がある。ちょっと前にブログにつづった、昔の歌の歌詞。ひとりまたひとり 友は集まるだろうひとりまたひとり ひとりまたひとり何とも心に沁みる素敵な歌詞である。そしてもう一つ。その仲間の一人が、長年付き合った彼女との結婚を決意し、それまで彼のポリシーとも言える、長い髪をばっさり切り落とし、音楽フリーター?をやめ、就職を果たしたのである。(音楽フリーターと言っても、岡山じゃ超有名らしい。)これには感動した。大切なもののために、一つの道を選ぶ。身近な者の出来事であっただけに、とてもうれしかった。ちかちゃんと言うとても素敵な彼女で、本当に幸せになって欲しいと思う。かんちゃん、がんばろうな!応援するで!と言うことで、最近あった、心温まる?エピソードでした。そんなこんなで、同窓会企画がモッコリ浮上したのかもしれません。がんばって成功させたいと思います。
2006/09/15
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この度、中学校のときの同窓会をすることになりました。先日、数人のメンバーでイッパイやりながら打ち合わせ、いや? 打ち合わせをしながらイッパイ?いやいや? イッパイやるついでに打ち合わせ?(そもそも居酒屋で打ち合わせすること自体間違い? ^_^;)まぁ、とにかく、どうするよ? と、集まったわけでありますが、その席で、こんなおもしろいサイトを教えてもらいました。「ウェブ同窓会 この指とまれ!」全国の様々な同窓生が参加できるウェブサイトで、地域から自分の卒業した学校などを検索していくと、参加者(登録者)の名前がボヨヨォ~ンっと出てきます!そこには、見覚えのある名前がチラホラと。中にはめちゃくちゃ懐かしいやつの名前も出てたりするのでケッコー感動的です!まだ、使い方がよく分からないのですが、とりあえず登録して転校する前の小学校・卒業した小学校・中学校・高校・大学までちょっと欲張って登録してみました。そっ、そこには~!!!なっ、なんとぉ~!!!.........。(ここから先はご想像にお任せします。(^^♪)ウェブを通じてメールもできるらしいので、”嫌われてたり””忘れられたり”してなければ、数十年ぶりのコミュニケーションがとれるかもしれない!!??いやいや、俄然たのしくなってきちゃいました。(*^^)vと言うことで、この「ゆびとま」、お勧めいたします。同窓会やって、青春の1ページを思い起こしてください。ハイハイ!今年のお正月はみなさんで同窓会やりましょう!
2006/09/14
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夜回り先生 水谷修先生のお話の中で、講演の最後にこんなエピソードをお話くださいました。ある中学校で、薬物予防の講演に行った時、講演終了後、一人の生徒さんが質問をされたそうです。「先生、私たちに悪や薬物の魔の手がこないようにするにはどうしたらいいのですか?」先生は、このように答えられました。「お前いい質問だなぁ。それはね、笑顔だよ。笑顔があふれる家庭や学校、地域に、薬物や悪なんかくるものか。」すると、もう一度その生徒さんから質問が。「どうしたら、笑顔があふれるようになるんですか?」先生は、例え話を交えながら、こう話されました。「それはね、挨拶だよ。家族や友達はもちろんのこと、道ですれ違った人や、町であった人たちと、おはよう、こんにちは、元気かぁ、と声を掛け合うことだよ。 」と。その講演の後、その中学校では、卒業までの1ヶ月の間、「クラス対抗あいさつコンクール」というのを始めたそうで、どのクラスが一番多くあいさつをしたかを競う競争をしたそうです。「今日は学校に来るまでに、50回あいさつしたぞ。」とか、「俺なんか、駅の改札で来る人みんなにあいさつして300回だ。」と言う風に。そして、しばらくして、学校宛に一通の手紙が届いたそうです。その内容は、ご近所の身寄りのないお年寄りが、一人寂しく生活する中で、朝掃除をしていると、通学途中の生徒さんがみんな「おはよう!」と声をかけてくれる。時には、ごみを運んでいると、「おばあちゃん、持ってあげるよ。」と、ごみを捨てるのを手伝ってくれたりした。それが、まるで孫でもできたようで、うれしくてうれしくて心に花が咲いたように温かい気持ちにさせていただいた。本当にありがとうございました。と言うものでした。水谷先生が生徒さんにおっしゃったことが、現実のものとなったのです。本当にすばらしエピソードだと思いました。明るいあいさつというものは、本当に気持ちの良いものです。私も、犬の散歩の際に、学校帰りの子どもたちや、すれ違う方々にできるだけ声を掛けるようにしています。中には、返事が返ってこない場合もあります。でも、きっと声を掛けられた子どもには、何かが伝わっていることと思います。そう信じています。私も、不意にすれ違いざまにあいさつをされた時に、とっさに声が出ない時があります。でも、声を掛けられた方の立場としては、何か心温まる思いが湧いてきます。そうですよね。良い地域社会を作るのに、そんなに特別なことは必要ないのかもしれません。日々のあいさつや、声掛けというものを大切にするだけでも、笑顔あふれる、心豊かな街づくりはできるのかもしれませんね。おかしな話ですが、あいさつって、やってみると、案外勇気が要るのもです。私も始めはそうでした。返事が返ってこなかったりすると、一人恥ずかし思いをしたりしてました。でも、こうして子どもたちに良い地域社会を残そうと目的をもって取り組んでみると結構がんばれるものです。そしてそれは次第にごく当たり前のように、自然にできるようになってきます。そうした大人の姿を見て、子どもたちも同じようにあいさつをするようになります。それは、本当にほほえましく、町の人々の心に、ポッと暖かい灯を灯してくれます。日ごろのあいさつや声掛け、本当に大切なことだなと思いました。
2006/09/12
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昨日、夜回り先生こと”水谷修先生”の講演を再び聴く機会が持てた。(前回の感想はこちらと、こちら。)今回は、女房・子供を引き連れ、家族全員で参加させていただいた。前回とほぼ同じ内容のお話であったが、その真剣な生き様に、改めて胸が熱くなった。その話の中で、福山市の薬物汚染の状況を聞き、これほどまで酷いものかと絶句する思いであった。広島市内での暴力団取締り規制の反動が、東へ流れてきており、しまなみ街道を経由して、四国から流れてくる勢力と混ざり、今、福山エリアが最も暴力団による、薬物汚染、売春、武器流通等の中心地として危険度が高まっているらしい。だが、こうした子供たちへの危険性は、福山だけでなく、全国的な広がりをみせているらしく、今の子供たちが、どれほどひどい環境にさらされているのか、子供を持つ親としてはぜひ時間をとって真剣に考えてもらいたいと思う。”麻薬(薬物)”と聞いて、「うちの子に限って...。」と思っている親が9割以上であろう。しかし、子供たちの世界では、かなりの割合で、その名前を耳にした経験があり、中には同級生の子が使用しているという場合もごく当たり前のようにあるという。”リストカット”と聞いて、「当然、我が家には無関係。」と思われる親がほとんどであろう。しかし、リストカットをしている子供が”いない学校”は、もう日本中に”無い”と言われているそうだ。当然、このような話を聞いても、ほとんどの人は実感として湧いてはこないであろう。それが普通である。しかし、現実に、これほど多くの子供たちが、悩み苦しみ、自らの命を絶とうとしている。他人事では済まされない現実がある。明日は我が身であるという覚悟が必要な時代である。私たち大人が、どうのようにこの現実に向き合うか、問われている。子供たちの明日を、日本の明日を、今、真剣に考えなければならない、そのことがどれほど重要なことか、理解できる大人が一人でも増えることを水谷先生は、その命を削りながら訴えて全国を講演されておられます。子どもの非行と聞いて、「そんなもの大人になったら治るよ。」と思っている大人の方、今は、ひと昔とは非行の”ありよう”が違うようです。私たちは、放っておかれても大人になるにつれて自然に社会に戻ってこれたかもしれません。しかし、今の子どもたちは、薬物にその体を蝕まれ、また、売春によりHIV(エイズ)のような死に至るような病気をもらうこともあるのです。それらは、子どもたちの責任でしょうか?いいえ、決してそんなことはありません。私たち大人が、子どもたちを非行に走らせないだけの愛を持って、子どもたちと接していなかったことが、そもそもの原因ではないでしょうか。その自覚すら感じられない大人が、今の日本社会を作りました。日本という国は確かに”物質的には”世界トップレベルで恵まれた国です。しかし、マザーテレサが来日した時に言った、「日本という国は本当に物質的には豊かな国です。でも精神的には貧しい人たちです...」という言葉が表すように、あまりに他人に対して無関心で冷たい人になってきました。それは、他人だけでなく、わが子に関しても言える事なのかも知れません。水谷先生の本の中に、こんな一節がありました。「子どもというのは、受けた愛の数が多ければ多いほど非行から遠ざかり、受けた愛が深ければ深いほど非行に入ってもその傷は浅い。」子どもに対する真の愛とはどのようなことか、今一度、大人として、社会の一員として、深く考える必要があると思いました。
2006/09/11
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少く(わかく)して学べば、則ち(すなわち)壮にして為すこと有り。壮にして学べば、則ち(すなわち)老いて衰えず。老にして学べば、則ち(すなわち)死して朽ちず。何年か前に、小泉首相が取り上げたことで有名になった言葉ですが、佐藤一斎という徳川時代の儒者の残した「言志四録」という書物の中の一節で、要は、生涯学び続けることの大切さを説いた言葉である。人は、歳をおうに連れて、勉強をしなくなる。だんだんと自分の持つ固定観念の中で、自らの世界観を持ってしまう。自分を無知な存在として、謙虚に学ぼうという向上心が薄れてくる。現実は自らの日常生活に追われ、それどころではないという人が大多数である。一方で、自己啓発書や宗教などに溺れ、頭でっかちになり、大人物気どりのバカもいる。どちらかと言うと、私なんぞはこちらの”勘違いバカ”の部類に入るのだが、こちらも低レベルで、どちらかと言うと逆に口だけ達者でやっかいな存在かもしれない。(苦笑!)こうして見ると、やはり、謙虚な学びと現実社会の中で真剣に生きるバランスを持った人が、誰からも信頼を得ることのできる 「人物」 であることは一目瞭然である。日本に生まれ、これほど豊かな時代に育ち、なぜそんなに悩み苦しむ必要があるのか?そこには常に他との比較の中で、”自分を卑しめる自分”が存在するのではないだろうか?自分の生き様を貫くだけの強い心。今の学校教育、社会生活の中には、こうした人間を学ぶという分野が無い。今日、様々な自己啓発に関する本が販売されるようになり、良く売れているということはそれだけ学びを求めている人が増えたと言うことなのか?それとも、ただがむしゃらだけでは生きていけないこの時代に、生き方の質というものを求める人が増えてきたと言うことであろうか?いずれにせよ、時代は「物質中心」から「精神中心」に確実に移り始めている。「モノの時代」から「心の時代」に変わったと言える。こういう時代だからこそ、「言志四録」のような、生き方の真理を説いた書物にスポットライトがあたるのかもしれない。「人間学」とよく言われるが、要は「自分を作る」ために「いかに生きるか」ということを学ぶ学問であり、それは、先人たちの歩んできた道を知ることであり、優れた人物の生き様から学ぶということである。今世の中は、大資本を持った企業のみが”勝ち組”と評されているが、リストラ、自動化、派遣社員の多用等により、「人を育てる」ということが失われている。多くの企業はそれに気づきつつも、業績向上のために、まだまだ転換できずにいる。このままでは、手遅れになる。人を育てることをやめ、教育にお金をかけることをやめ、このままでは必ずや日本という国は滅び行くであろう。その時にあわてなくてもよい自分を作ることが、今各々に必要な時代であると思う。あせらず、あきらめず、こつこつと自分を作ってきた人が、最後には多くの人を救える存在として生き残るのだと思います。
2006/09/08
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ボクが戦ってきたのはだれだろう他人に嫉妬したり比較して優劣を競ったり外に評価を求めたり絶対的価値は自分の中にあるというのにボクは相対的なものばかり求めていた戦う相手を外に求めていた間はボクの進歩は止まっていた挑む相手を自分の中に見つけたときボクは永遠という時の中で天に向かって歩むことを許されたのだこの詩は、日木流奈君という重度の脳障害を持った少年が書いたものである。現在彼は15歳だと思うが、これまでにも何度かテレビでも放映され話題となったことがある。歩くこともできなければ、しゃべることも、書くこともできない。文字盤を指差しながら自分の思いを伝えるしか方法がない。それでも、唯一の趣味であるという読書の中から、驚くほどの知識を得、自らのメッセージとして人々に感動を与えている。「絶対的価値は自分の中にある」人々がこの言葉の意味に気づいたとき、大きな前進を始めるのではないかと思う。まさに、「天に向かって歩むことを許される」のだと思う。人生で起こる出来事にはすべて意味がある。私たちは、不幸な状況やつらい立場に立たされた時、嘆いたり悔やんだり、時には人を羨んだり憎んだりする。頭の中では、様々な自己啓発の言葉を知っていても、なかなか「頭では分かっているのだが...」という域を出ることができない。そのために天は私たちに気づきのためのチャンスとして、様々な試練を与えられるという。それらの苦難や試練を、否定して生きるのではなく、受け入れることができた時、人は飛躍的に前進し、そこからまた新たな展開が始まる。と、私の好きな神渡良平先生の本にありました。結局、人生とは、自分の心のおきどころひとつということですね。「絶対的価値は自分の中にある」すばらしい言葉です。
2006/09/07
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2:6:2の法則と言うものがあります。人間を始めとし、生き物が集団を作ると、その内の2割が生産性の高いすばらしい働きをし、真ん中の6割は何となく周りに引っ張られるように働き、残りの2割は、あまり役に立たない存在であるというもの。 微生物の世界にもこの2:6:2の法則が存在します。善玉菌と呼ばれる人間の健康にとって大変役に立つ”良い菌”が2割、悪玉菌と呼ばれる病気や腐敗の原因となる”悪い菌”が2割、そして日和見(ひよりみ)菌というどっちつかずの菌が6割、という比率です。この絶妙なバランスの中で、自然界は成り立っています。 この中の日和見菌、どっちつかずと言いましたが、正確には強い方の味方。善玉菌の勢力が強くなると、善玉菌の働きをし、悪玉菌の勢力が強くなると、悪玉菌の働きをするという、何ともズルイ奴ら。 でも、よくよく考えると、人間界もまさに同じですね。ほとんどの人は、勢いのあるものや、流行り廃りに流されて生きているだけです。それをズルイとは言いませんが、もっと確固たる自分を持たなければ世の中を良くする事はできないのかも知れませんね。 私は、今の日本社会が悪い勢力、悪い風潮に呑み込まれて行っているように思えてなりません。6割の日和見勢力(自分の意見を持たない人々)が、赤信号みんなで渡れば...という感じで、「どーせ俺一人が頑張ったって世の中変わりはしねーよ!」「なんで俺ばっかり我慢しなくちゃいけないんだ!」、という否定的、かつ、あきらめ的な感覚を持ち始めてしまっているのではないかと危惧しています。 しかし、その反対に、本当に世の中を良くしようという人々が、2割を超えたら、その6割の日和見が味方してくれるのではないかと思うのです。過半数、5割以上を変えようとするから、果てしない不可能のような目標に思えるかも知れませんが、2割程度が目標であれば、やれる気がするのではないでしょうか。 少し話の角度を変えてみますが、これは、健康の話でも言える事なのです。2割の健康体をがっちりガードできれば、8割の健康状態が作れると言えます。例えば、腸の中は微生物がいっぱいです。ビフィズス菌や乳酸菌が優勢な腸内環境であれば、栄養の吸収、老廃物の排泄がしっかりできとても健康的でいられるでしょう。しかし、食事のバランスが悪かったり、運動不足であったり、薬に頼った生活をされていると、たちまち腸の中は悪玉勢力が強くなり、様々な病気を生み出す原因となります。パーフェクトにしようと思おうから無理が出て、それが逆にストレスになったりするのではないでしょうか。2割の健康をしっかりと維持するための食事のバランスと、生活のリズムを考えてそれを目標に健康づくりを心がけられれば、無理なく続けられるのではないでしょうか。継続は力なり!(私が言っても説得力に欠けますが...^_^;)健康でなければ、強い意思は生まれてきません。強い意志を持たなければ、周囲を動かすことはできません。周囲を動かすことができなければ、世の中を変えることは不可能です。って、そんな大それた事をする必要はありませんが、一人でも多くの方々が、健康な体と、健康な心を持つことが、結局は世の中を良い方向に導いていくのではないかと思います。そのためには2割、そう、2割の自分を磨くことを目標にがんばってみてはいかがでしょうか。そのくらいなら、継続することができ、実現させることができるのではないでしょうか。2割の自分が変わることで、周りも(6割?)変わります。自分が変われば、周りも変わる。 ↑ ↑ ↑ ポチッとな。なんだかかなり強引な話のまとめとなりましたが、今日はこの辺で。
2006/09/06
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