歎異抄を学ぶ

歎異抄を学ぶ

2007年08月12日
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カテゴリ: 私の感想・反省点
気づいたら、前回に続いて葬儀の話になってしまいました。

これで9回目の葬儀参列です。

慣れるものではないですね。改めて実感します。

特に葬儀がばんばんあるようでは実際困りますし、喜ぶべきことではないだけに、いろいろ考えます。

さて、本日は、まだこれから初七日が待っていますので待機しております。

「お盆」という期間に入り、多くの方が休暇を楽しまれているのかもしれません。

私もお常飯(じょうはん)にいきますと、多くの方の出迎えを受けます。

お常飯とは、月参りと言ったら分かる方もいらっしゃることかと思います。

毎月、亡くなられた方の命日を毎月たとえば、18日なら18日に私がお邪魔してお経を拝読するといったものです。



さて、6月に本当はこの話を門徒の方としていたのでその時に書けばよかったのですが、今になりました。

『人は何のために生きているのか?』という話になりまして、私の見解と同じ方がいらっしゃったのでその話をしていました。

この詳しい話はかなり長くなると思われますので改めて書きますが、その日一日が、一生懸命生きるって何かなって思える日になったことを覚えています。

祖父が亡くなって、今日というより先月の月末で4ヶ月を経過し、初盆になりました。

なんとなく、祖父を思い出したくても、思い出せないそんな時期になってきたのですが、今日の夢の中の出来事を残しておきます。

私が夢の中で、お常飯で一人、お経を一生懸命詠んでいると、後ろから聞き覚えのある声で一緒にお経を詠む人がいます。

どう聞いても、祖父の声です。

気になって気になって仕方ないけど、後ろを向けないという状態の中で、目を閉じて、祖父の声を聞いていると、意外に元気そうだなって思ったことを覚えています。

すると、祖父が私が気になっているのが分かったのか、移動を始めたようで声がだんだんと私の左隣へと移動していくのが詠みながら気づきました。

そして、真左に来たと思ったので、少しぐらいなら見ても、という思いからちらっと横を見たら、
黄色の光がまぶしく光って消えてしまった



どんな暗示だったのか全く分かりませんが、お盆と言うことで帰ってきたのでしょうか。

浄土真宗の考えは別として、その時思ったのが、祖父がやはり元気そうだったので安心したこと、一緒に詠んでくれるってことは力をもらった気がして、今日のお常飯にて頑張って詠めたような気がします。

人は生まれたからには、死ぬ生き物です。

誰もが避けることが出来ません。

ですが、生きるってどういうことか自問自答して回答出せるでしょうか。






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最終更新日  2007年08月12日 17時01分01秒
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