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☆ 岡野真規代(元吉村医院助産師)さんのスライド&トーク ~宇宙の中の命~ 性別を超え人間誕生にまつわる心に響くお話です。 男性の方でも思わず感動の涙が・・・・ 日時 5月31日(木)PM1:00~3:00 参加費 2000円 ☆錬堂さんの健康セミナー ~身体との対話~ 自分の身体との対話をしながら健康になる方法を学びます。 日時 5月31日(木)PM3:30~6:00 参加費 3500円 岡野さん錬堂さん両方ご参加の方は5000円 場所 天空の館302号室 (名古屋市西区則武新町3-1-63 ラドーン則武) (地下鉄亀島駅から徒歩5分) 連絡先 川嶋初代 携帯 090-5613-8418 アドレス hasu87.824@docomo.ne.jp
2007.05.15
朝、突然、言葉がやってきたので、 お届けします。 「無力と微力の二人の天使」 その街に二人の天使が舞い降りた。 その街に降りてから天使は十月十日眠り続けた。 目を覚ますと、天使は自分が天使であることを忘れていた。 天使が舞い降りたその街はゴミだらけの街だった。 あまりにものゴミの多さや、人の心に天使は悲しくなった。 一人の天使は自分を無力と呼び始めた。 一人の天使は自分を微力と呼び始めた。 無力の天使の口癖は 「私だけがゴミを拾ってもしょうがない」 微力の天使の口癖は 「私は私が出来ることをやってみるわ」 無力の天使はゴミだらけの街を見て絶望を感じて 街から目をそらして、毎日空をながめていた。 微力の天使は一度は絶望を感じたものの 一日一個、ゴミを拾い始めた。 一年後、無力の天使は空の素晴らしさをいっぱい知った。 朝日の美しさ、夕日の美しさ、虹がかかった時の素晴らしさ。 一年後、微力の天使は微笑んだ。 街から365個のゴミが無くなった。 それから一年、さらに無力の天使は空の素晴らしさをいっぱい知った。 空や雲の変化を面白いなと見つめていた。 その頃、微力の天使は毎日「ありがとう」って言いながら毎日を過ごしていた。 それは、微力の仲間がいっぱい増えたから。 「一緒に拾うよ、私の力も微力だけど、一緒にゴミを拾うよ」 10人の微力達が一緒に拾った。 一年たったら3650個のゴミが無くなった。 それから、一年、無力の天使は空の美しさだけでなく、 街の美しさにも気づき始めた。 街がピカピカになっていた。 なんと、街では1000人がゴミを拾っていて、 一年間で365000個のゴミが無くなって 大変の意味が変わっていたのです。 微力の天使は言いました。 「始めはゴミを拾うのは大変でした、 でも、今は拾うゴミを見つけるのが大変です」 って笑いました。 この街はある日から、ゴミを拾う人も増えたけど、 ゴミを捨てない人も増えたのです。 あの人が拾っているゴミは私が捨てたゴミ。 私はゴミを拾うことは出来ないけれど、 ゴミを捨てるのをやめよう。 微力の天使は誰も否定をしませんでした。 微力の天使は自分が出来ることをやっただけなのです。 無力の天使の心に変化が生まれました。 無力の天使の心から絶望が消えていったのです。 そして、無力の天使も「ありがとう」を言いました。 ゴミを拾ってくれてありがとう。 お礼に無力の天使は微力の天使に空の美しさを教えてあげました。 次の日、二人の天使はゴミを拾いました。 正式には、ゴミを探すために歩きました。 しかし、ゴミは見つかりませんでした。 夕方になると、空がピンク色になりました。 素敵な空を見ながら、二人の天使は幸せを感じました。 ぴかぴかの街と、美しい空を見ながら 二人の天使は二つのことを学びました。 自分を無力という天使は言いました。 「あなたが動いてくれたから、この街は天国になったんだ 天国は動いたら創れるんだね」 自分を微力という天使も言いました。 「私は下ばかり見ていたから空の美しさを知らなかった。 でもあなたが空の美しさを教えてくれたから気づけたことがあるよ。 それはすでにここは天国だということ」 今はすでに天国 そして、動けばさらに天国が増える。 二人の天使は少しだけ 自分の背中に翼があることに気づけました。 あなたは天使だよ。 あなたこそ天使だよ。 みんな天使だね。 この言葉を読んでいるあなたも天使。 そう、みんな天使。http://mixi.jp/view_diary.pl?id=376061018&owner_id=6422056
2007.03.17
明日10時30分から竹炭窯の取り出ししますと、早川さんから連絡が有りました。竹炭、竹酢液をご希望の方はおいで下さい。早川さんのご厚意で無料です。場所は岐阜県中津川市落合です。希望される方は連絡下さい。詳しい場所(地図)をメールにて送ります。
2007.03.14
間もなく出前が届いた。A子「お母さんは、お父さんが帰ってくるのを待つから、先に食べてね。」息子「えっ?どうしたの?いつもは先に食べるのに。」A子「今日は、お父さんといっしょに食べたい気分なのよ。お父さん、お仕事頑張ってくれて、疲れて帰ってくるからね。一人で冷めた親子丼たべるの、寂しいでしょ。」息子「じゃー、僕もお父さんといっしょに食べる!三人で食べる方が楽しいでしょ。」A子「ほんとうにあなたは優しい子ね。お父さんに似たのね。」息子「なんか変だなー。いつもお父さんのことを、『デリカシーがない』とか言ってるのに。」A子「そうよね。お母さんが間違ってたのよ。お父さんは、優しくて男らしくてたくましくて、・・・男の中の男よ。」息子「勉強しないと、お父さんのような仕事くらいしかできなくなっちゃうんでしょ?」A子「ごめんね、それもお母さんが間違ってたのよ。お父さんの仕事は立派な仕事。世の中の役に立ってるのよ。それに、お父さんが働いてくれてるおかげで、こうやってご飯食べたりできるんだからね。お父さんの仕事に感謝しようね。」息子「お母さん、本当にそう思う?」A子「うん、思うよ。」A子がそう言った時の息子の笑顔は、その日で一番嬉しそうな笑顔だった。子どもは本来、親を尊敬し、親をモデルして成長する。A子の言葉は、息子に対して、「お父さんを尊敬してもいいよ」という許可を与えたことになる。息子はそのことが何よりも嬉しかったのだ。しばらくして夫が帰って来て、三人で冷めた親子丼を食べた。自分の帰りを待っていてくれたことが嬉しかったのか、夫も上機嫌だった。冷めた親子丼を「うまい、うまい」と言いながら食べていた。夫が風呂に入っている間に、息子が眠りについた。A子は息子の寝顔を見ながら、心の中で「ありがとう」を唱え始めた。その言葉の影響なのか、心の底から感謝の気持ちが湧いてきた。『この子のせいで私は悩まされてると思ってきたけど、この子のおかげで大切なことに気づけた。本当は、この子に導かれたのかもしれない。』そう思っていると、息子が天使のように見えた。いつの間にか、涙があふれてきた。(ほんとに今日は、よく泣く日である)間もなく電話が鳴った。出てみるとFAXであった。母の字で次のようなことが書いてあった。--------------------------------------------------------------------------------A子へ今日のことお父さんから聞きました。お父さん、話しながら泣いていました。お母さんも嬉しくて涙が出ました。お父さんは、「70年間生きてきて、今日が一番嬉しい日だ」と言っています。晩ご飯の時に、いつもお酒を飲むお父さんが、「酒に酔ってしまって、この嬉しい気持ちが味わえんかったらもったいない」と言って、今日はお酒を飲みませんでした。次は、いつ帰ってきますか。楽しみにしています。母より--------------------------------------------------------------------------------「晩酌を欠かしたことがない父が、お酒を飲まなかったなんて。」自分が伝えた言葉が、父の心をどんなにか幸せな気持ちで満たしたのであろう。A子の目からは、またもや涙があふれていた。「どうした?泣いてるのか?」風呂から出てきた夫が聞いてきた。A子は、その日起きたことをすべて話した。朝、B氏に電話をかけたこと。午前中は、父への恨みつらみを紙に書きなぐったこと。午後、父に電話して和解したこと。「そうか、お父さんも泣いてはったか。」夫も、目に涙を浮かべながら聞いてくれた。そして、息子がいじめっ子から謝られたこと。「ふーん、不思議なこともあるもんやな。Bさんのやり方は、俺にはよくわからんけど、おまえも楽になったみたいでよかったな。」続けてA子は、泣きながら夫に謝った。そして夫も、泣きながら聞いたのだった。次の日、A子はB氏に報告して、心からのお礼を伝えた。朝一番で夫からも電話を入れていたようだ。B氏「ご主人からも電話もらいました。お役に立てて何よりです。あなたの勇気と行動力を尊敬します。さて、これからが大切です。毎日、お父さまとご主人と息子さんに対して、心の中で『ありがとうございます』という言葉を100回ずつ唱える時間を持って下さい。」その日の夕方のことである。「ただいま!」元気な声で息子が帰って来た。「お母さん、聞いて!今日ね、友達から野球に誘われたんだ!今から行ってくるから!」息子はグローブを持って飛び出していった。A子の目には、またもや涙がにじんでいた。声が詰まって、「行ってらっしゃい」の一言が言えなかった。(THE END)最後まで読んで頂きありがとうございます。私は目から汗を流しながら読みました。素晴らしい話でしたね。
2006.01.28
「感謝したいこと」に連鎖して「謝りたいこと」も浮かんできた。「感謝したいこと」と「謝りたいこと」を書きながら、涙が浮かんできた。「私は、こんなにも愛されていた。反発する私を、愛し続けてくれていたんだ。許せないという思いにとらわれていたから、その愛に気づかなかったんだ。そして、こんなにも愛してもらいながら、私は父に何もしてあげてない。親孝行らしいこともほとんどしていない。」自分が父親の仕事を尊敬していなかったことにも気づいた。父親の現場監督の仕事に対して、「品がない」とか「知的でない」とか思っていた。父親が仕事を頑張り続けてくれたおかげで、自分は大学まで行かせてもらえたのに。そのことを初めて気づいた。父親の仕事に対して、尊敬心と感謝を感じた。そして今、自分の夫の仕事に対して、「知的でない」というイメージを持っている。自分の夫に対する「教養がない」という嫌悪感をともなうイメージは、父に対して持っていたイメージとそっくりである。自分は、夫に対しても感謝できることがたくさんあるはずだ。そんなことを考えながら、続いて、「父に対して、どのような考え方で接したらよかったのか?」というタイトルの紙を用意した。これについては、すぐに文章が浮かんできた。「父の言動の奥にある愛情に気づくこと。自分が不完全な人間であるように、父も不完全で不器用な人間であることを理解すること。してもらっていることに感謝をすること。愛してもらうだけではなくて、自分から愛すること(父を喜ばそうとすること)。そしてその上で、イヤなことはイヤと伝えて、おたがいが居心地いい関係を築くこと。」これはまさに、これから夫に対してするべき考え方だ、と思った。働いてくれている夫。自分の人生のパートナーでい続けてくれている夫。自分は夫に対して感謝することを忘れていた。夫に対して、こんなに素直な考え方ができるのは初めてかもしれない。これは父に感謝できたことと関係があるのかもしれない。今日は夫に感謝の言葉を伝えよう。そんなことを考えているうちに、外が薄暗くなりかけていることにA子は気がついた。思えば、今日は家事らしきことをほとんどしていない。朝の9時ごろB氏に電話してから、1日中自分と向き合っていた。「晩ご飯の用意、どうしよう?」そう思った時に、息子が帰ってきた。息子「ねえ、お母さん聞いてよ!」A子「どうしたの?何かいいことあったの?」息子「C君知ってるでしょ。実は昨日、C君に公園でボールぶつけられたんだ。」A子「あっ、あー、そうなの。C君って、あなたを一番いじめる子だよね。」息子「さっき公園から帰ろうとしたらC君が公園に来てさー。で、『いつもいじめててごめんな』って言ってくれたんだ。」A子は「そうだったの!」と言いながら、まるで奇跡でも体験しているような気持ちになった。そして、心から感謝の気持ちが湧いてきたのだった。A子は、夕食の準備をするより息子と話そうと思い、出前を取った。出前が届くまでの間、A子は息子に次のようなことを伝えた。「今まで、あなたのことに口出しをし過ぎてごめんね。これからは、なるべく口やかましくしないように気をつけるからね。そして、お母さんの助けが必要な時は、いつでも遠慮なく相談してね。あなたのことを信頼してるからね。」息子は本当に嬉しそうな顔をして、「わかった、ありがとう」と答えた。やはり息子は、母親に信頼してもらいたかったのだ。「今日は、なんか変だなー。いいことが続くなー。」と息子が続けた。A子も幸せな気持ちになった。
2006.01.28
今考えてみれば、それも父の愛情からだったんでしょうが、当時は負担でしたね。今、息子も同じ思いなんだと思います。私の押し付けがましい愛情が負担なんだと思います。」B氏「あなたが子どものころ、本当はお父さんに、どんな親でいてほしかったんでしょうね?」A子「私を信頼してほしかった。『A子なら大丈夫!』って信頼してほしかったです。・・・(しばらく沈黙)。私、息子を信頼していなかったと思います。『私が手助けしないと、この子は問題を解決できない』と思っていました。それで、あれこれ問いただしたり、説教したり、・・・。もっと息子を信頼してあげたいです。」B氏「あなたは、お父様の辛さも理解し、息子さんの辛さも理解されましたね。では次に、ご主人とのことに移りましょう。朝お電話をいただいた時に、『あなたの大切な息子さんが人から責められてしまう原因は、あなたが身近な誰かを責めてしまっていることです』とお話したのを覚えていますか?」A子「はい、覚えています。主人を尊敬できないという話をしました。」B氏「ではもう一度、ご主人に対してどんなふうに感じておられるか、話してもらえますか?」A子「どうしても、主人に対して、『教養のない人』とか『思慮の浅い人』というふうに見てしまうんです。息子のことにしても、私がこれだけ悩んでるのに、根拠なく楽観的なんです。それで主人に対しては、グチこそはぶつけますが、ちゃんと相談したりすることはありません。主人がアドバイスなどしてきても受け付けられないんです。」ここまで話しながらA子は、自分の夫に対するスタンスが、父親に対して取ってきたスタンスに似ていることに気がついた。A子「私が父に対して取ってきたスタンスと似てますね。」B氏「そうなんです。女性の場合、父親に対してとってきたスタンスが、ご主人に対してのスタンスに投影されることが多いんです。ところで、お聞きしていると、ご主人は息子さんのことを信頼されているようですね。」A子「あっ、そうですね!そうか、主人のそういうところを見習うべきだったんですね。息子は主人に対しては、けっこう本音を言っているみたいなんです。息子は信頼されてると思うから、主人には心を開くんですね。私は主人のよいところをまったく見ていませんでした。」B氏「なるほど、そんなことを感じられたんですね。さて、では宿題を差し上げます。やるかどうかは自分で決めてくださいね。今日の午後、『父に感謝できること』と父に謝りたいこと』という2種類の紙を作ってもらいましたよね。その紙に、お父様に感謝できることと謝りたいことを、書き出せるだけ書き出して下さい。紙は何枚使ってもOKです。それが終わったら、もう一つ紙を用意してください。その紙のタイトルは、『父に対して、どのような考え方で接したらよかったのか?』です。これは過去のお父様との関係を後悔するために書くのではありません。これからのご主人との接し方のヒントが見つかるはずです。そしてもう一つ、息子さんが夜眠られたら、息子さんの寝顔を見ながら、心の中で息子さんに『ありがとう』を100回ささやきかけてください。どうですか、やってみたいですか」A子「はい、必ずやってみます。」電話を切って間もなく、息子が帰ってきた。息子はランドセルを玄関に投げると、いつものようにグローブとボールを持って、公園に行った。『昨日、友達に追い出されたというのに、この子は、また公園に行くの?』A子の心は心配な気持ちでいっぱいになった。A子は、その心配な気持ちをまぎらわすように、宿題に取りかかった。父に対して感謝できることがたくさん思い浮かんだ。・現場監督のきつい仕事を続けて、家族を養ってくれた。・私が子どものころ、夜中に高熱を出したことが何度かあったが、その都度、車で救急病院まで連れて行ってくれた。(肉体労働をしていた父にとって、夜中はしんどかったはず)・私が子どものころ、よく海や川に連れて行ってくれて、泳ぎを教えてくれた。・子どものころ私はメロンが好きだったが、毎年の私の誕生日には、メロンを買って帰って来てくれた。・子どものころ近所のいじめっ子にいじめられていたことがあったが、その子の家に抗議しに行ってくれた。・私は私立大学に入ったが、文句を言わず学費を出してくれた。(当時のわが家にとって、大きな負担だったはず)・私の就職先が決まった時に、寿司を出前で取ってくれた。(とても豪華な寿司だった。その時私は「寿司は好きじゃない」と言って食べなかった。父はしょんぼりしていた)・嫁入り道具に、高価な桐のタンスを買ってくれた。
2006.01.27
出てみるとB氏であった。B氏「どーも、Bです。今、40~50分くらい時間ができたので電話しました。さっきは、次の予定が入ってたので、お話の途中で電話を切ったような気がしまして。」A子「実は私、父に電話したんです。電話して本当によかったです。ありがとうございました。Bさんのおかげです。」A子は、父とどんな話をしたかを簡単に説明した。B氏「そうでしたか。勇気を持って行動されて、よかったですね。」A子「私にとって、息子がいじめられてることが最大の問題だと思っていましたが、長年父を許していなかったことの方が、よほど大きな問題だったという気がします。息子の問題のおかげで父と和解できたんだと思うと、息子の問題があってよかったのかな、という気すらします。」B氏「息子さんについてのお悩みを、そこまで前向きに捉えることができるようになったんですね。潜在意識の法則というのがありましてね、それを学ぶと次のようなことがわかるんです。実は、人生で起こるどんな問題も、何か大切なことを気づかせてくれるために起こるんです。つまり偶然起こるのではなくて、起こるべくして必然的に起こるんです。ということは、自分に解決できない問題は決して起こらないのです。起きる問題は、すべて自分が解決できるから起きるのであり、前向きで愛のある取り組みさえすれば、後で必ず『あの問題が起きてよかった。そのおかげで・・・』と言えるような恩恵をもたらすのです。」A子「そうなんですね。ただ、息子の問題自体は何も解決していないので、それを思うと不安になります。」B氏「息子さんのことは、まったく未解決なままだと思っておられるんですね。もしかしたら、解決に向けて大きく前進されたのかもしれませんよ。心の世界はつながっていますからね。原因を解決すれば、結果は変わるしかないのです。」A子「本当に息子の問題は解決するんでしょうか?」B氏「それは、あなた次第だと思いますよ。さて、ここで少し整理してみましょうか。あなたにとって、息子さんのことで一番辛いのは、息子さんが心を開いてくれないことでしたね。親として、何もしてやれないことが情けなくて辛いとおっしゃいましたね。その辛さをこれ以上味わいたくないと。」A子「はい、そうです。いじめられてることを相談もしてくれない。私は力になりたいのに、『ほっといて!』って拒否されてしまう。無力感を感じます。子どもの寂しさが分かるだけに、親として、何もしてやれないほど辛いことはありません。」B氏「本当に辛いことでしょうね。ところで、その辛さは、誰が味わっていた辛さなのか、もうお解かりですよね。」A子「えっ?誰がって・・・(しばらく沈黙)」その時、A子の脳裏に父の顔が浮かんだ。そうか!この耐えがたい辛さは、長年父が味わい続けたであろう辛さだ。娘が心を開いてくれない辛さ。娘から拒否される辛さ。親として何もしてやれない辛さ。私の辛さといっしょだ。この辛さを、父は20年以上も味わい続けたのか。A子のほほを涙が伝った。A子「わかりました。私は、私の父と同じ辛さを味わっていたんですね。こんなに辛かったんですね。父が嗚咽したのも分かります。」B氏「人生で起こる問題は、私たちに大事なことを気づかせるべく起こるんです。」A子「あらためて父の辛さが解かりました。息子のおかげで、解かることができたんだと思います。息子が私に心を開いてくれなかったおかげで。」B氏「息子さんもお父様もあなたも、心の底ではつながっています。お父様に対するあなたのスタンスを、あなたに対して息子さんが演じてくれたのです。そのおかげで、あなたは気づくことができた。」A子「息子にも感謝したいです。『大事なことに気づかせてくれて、ありがとう』って気持ちです。今まで、『どうしてお母さんに話してくれないの?』って心の中で息子を責めていました。」B氏「今なら、息子さんの気持ちも理解できますか?」A子「そうか!私が子どものころ、口うるさい父がイヤでした。いろいろ口出ししてきたりするのがイヤでした。
2006.01.27
A子は、午後1時を回ったところで、B氏に電話をした。B氏「お父様をゆるす覚悟はできましたか?」A子「正直なところ、その覚悟まではできていないかもしれません。だけど、できることは何でもやってみようと思います。ゆるせるものなら、ゆるして楽になりたいとも思います。」B氏「では、やってみましょう。お父様をゆるすのは、他でもない、あなた自身の自由のためにゆるすんです。紙を用意してください。そして、上の方に『父に感謝できること』というタイトルを書いてください。さて、お父様に対して感謝できるとしたら、どんなことがありますか?」A子「それは、まず、働いて養ってくれたことですね。父が働いて稼いでくれたおかげで、家族も食べていけたわけですし、私も育ててもらえたわけです。」B氏「それを紙に書き留めて下さい。他にもありますか?」A子「うーーーん。私が小学生のころ、よく公園に連れていって遊んでくれましたね。」B氏「それも書き留めておいて下さい。他には?」A子「それくらいでしょうか。」B氏「では、別の紙を用意して『父に謝りたいこと』ってタイトルを書いてください。さて、お父様に謝りたいことは、何かありますか?」A子「特に浮かびませんが、あえて言えば、『心の中で反発し続けたこと』でしょうか。ただ、心から謝りたいという気持ちにはなれませんが。」B氏「実感がともなわなくてもOKです。形から入りますから。とりあえず、今おっしゃったことを書き留めてください。」A子「書き留めました。で、形から入るといいますと、何をやればいいのですか?」B氏「いいですか、今から勇気の出しどころです。もしかしたら、あなたの人生で、一番勇気を使う場面かもしれません。私が提案することは、あなたにとって、最も抵抗したくなる行動かもしれない。実行するかどうかは自分で判断して下さいね。今から、お父様に電話をかけて、感謝の言葉とあやまる言葉を伝えるのです。実感が湧いてこなかったら、用意した言葉を伝えるだけでもOKです。『父に感謝できること』と『父にあやまりたいこと』の2つの紙に書き留めたことを、読んで伝えるだけでOKです。伝えたら、すぐに電話を切ってもらってかまいません。やってみますか?」A子「・・・・・。たしかに、今までの人生で使ったことがないくらい、勇気を使わないとできませんね。でも、これが私の悩みの解決に役立つなら、それだけの勇気を使う価値はあるんだ思います。だけど、難しいですねー。」B氏「やるかやらないかは、ご自分で決めてくださいね。私も、一生に一度の勇気を使う価値はあるとおもいますけど。それから私は、次の予定がありますので、このあたりで失礼します。もし実行されたらご連絡下さい。次のステップをお教えします。」A子にとって救いなのは、「形だけでいい」ということだった。「謝る」ということについては、気持ちがともなわない。「悪いのは父親の方だ」という思いがあるから、自分が謝るのは筋違いだと思う。だけど、書き留めた文章を棒読みするくらいならできそうだ。それならば、やってみた方がいいに決まっている、と思えた。A子は「電話をかけよう」という気になってきた。そして、電話をかけようとしている自分が、不思議だった。こんなきっかけでもなかったら、A子が父親と電話で話すということは、一生なかったかもしれない。結婚して間もないころは、実家に電話をして父が電話に出たときは、すぐさま「私だけど、お母さんにかわって」と言っていた。しかし今は、「私だけど」と言っただけで、父の「おーい、A子から電話だぞ」と母を呼ぶ声がする。父も「A子から自分に用事があるはずない」ということわかっているのだ。しかし、今日は電話で父と話すのだ。「躊躇していたら、ますます電話をかけにくくなる」と思ったA子は、意を決してすぐに電話をかけた。電話に出たのは、母だった。A子「私だけど」母 「あら、A子じゃない。元気にしてる?」A子「うん、まあね。・・・ねえお母さん、お父さんいる?」母 「えっ?お父さん?あなたお父さんに用なの?」A子「う、うん。ちょっとね。」母 「まあ、それは珍しいことね。ねえ、お父さんに何の用なの?」A子「えっ?えーと、ちょっと変な話なんだけど説明するとややこしいから、お父さんにかわってくれる?」母 「わかった、ちょっと待ってね。」父が出てくるまでの数秒間、A子の緊張は極度に高まった。すっと父のことを嫌ってきた。父に心を開くことを拒んできた。その父に、感謝の言葉を伝え、あやまるのだ。ふつうに考えて、できっこない。しかし、息子のことで悩みぬいたA子にとって、その悩みが深刻であるがゆえに、ふつうだったらできそうにない行動を取っているのだった。もしも、その悩みから解放される可能性があるなら、わらにもすがりたいし、どんなことでもする。その思いが、A子を今回の行動に向かわせたのだ。父 「な、なんだ? わしに用事か?」A子は、自分では何を言っているかわからないくらいパニックしながら話し始めた。A子「あっ、あのー、私、今まで言わなかったんだけど、言っといたほうがいいかなーと思って電話したんだけど、・・・えーと、お父さん、現場の仕事けっこう大変だったと思うのよ。お父さんが頑張って働いてくれて、私も育ててもらったわけだし。あのー、私が子どものころ、公園とかも連れて行ってくれたじゃない。なんていうか、『ありがたい』っていうか、感謝みたいなこと言ったことないと思うのよ。それで、一度ちゃんと言っておきたいなと思って、・・・。それから私、心の中で、けっこうお父さんに反発してたし、それもあやまりたいなと思ったの。」ちゃんと「ありがとう」とは言えなかったし、「ごめんなさい」とも言えなかった。だけど、言うべきことは一応伝えた。父の言葉を聞いたら、早く電話を切ろう。そう思った。しかし、父から言葉が返ってこない。『何か一言でも言ってくれないと、電話が切れないじゃない』そう思った時に、受話器から聞こえてきたのは、母の声だった。母「A子!あなた、お父さんに何を言ったの?」A子「えっ?」母「お父さん、泣き崩れてるじゃないの!何かひどいこと言ったんでしょ!」受話器から、父が嗚咽する声が聞こえてきた。A子はショックで呆然とした。生まれて以来、父が泣く声を一度も聞いたことはなかった。父はそんな強い存在だった。その父のむせび泣く声が聞こえてくる。自分が形ばかりの感謝を伝えたことで、あの強かった父が嗚咽しているのだ。父が泣く声を聞いていて、A子の目からも涙があふれてきた。父は私のことをもっともっと愛したかったんだ。親子らしい会話もたくさんしたかったに違いない。だけど私はずっと、父の愛を拒否してきた。父は寂しかったんだ。仕事でどんなに辛いことがあっても耐えていた強い父が、今、泣き崩れている。娘に愛が伝わらなかったことが、そんなに辛いことだったんだ。A子の涙も嗚咽へと変わっていった。しばらくして、また母の声。母「A子!もう落ち着いた?説明してくれる?」A子「お母さん、もう一度、お父さんにかわってくれる?」父が電話に出る。父「(涙声で)A子、すまなかった。わしは、いい父親じゃなかった。お前にはいっぱいイヤな思いをさせた。うっ、うっ、うっ、(ふたたび嗚咽)」A子「お父さん。ごめんなさい。私こそ悪い娘でごめんなさい。そして、私を育ててくれてありがとう。うっ、うっ、うっ(ふたたび嗚咽)」少し間をおいて、再び母の声。母「何が起きたの?また、落ち着いたら説明してね。一旦、電話切るよ。」A子は、電話を切ってからも、しばらく呆然としていた。20年以上もの間、父を嫌ってきた。ずっと父を許せなかった。自分だけが被害者だと思っていた。自分は父の一面だけにとらわれて、別の面に目を向けようとはしなかった。父の愛、父の弱さ、父の不器用さ、・・・これらが見えていなかった。父はどれだけ辛い思いをしてきたんだろう。自分は父に、どれだけ辛い思いをさせてきたんだろう。いろいろな思いが巡った。「まずは、形から入ればOKです。気持ちは、ついてきますから。」と言ったB氏の言葉の意味が、ようやく分かりかけてきた。「あと1時間くらいで、○○○(息子)が帰ってくるな」そう思った時に、電話が鳴った。
2006.01.27
夫は、その日、「お前の方から直接電話してみろよ。話を通しておいてやったから」と、その名刺を渡してきた。A子「どうして私が、そんな知らない人にまで相談しなきゃいけないの。あなたが直接相談したらいいじゃない。」夫 「俺が心配なのは、お前のほうだ。○○○のことで、ずっと悩み続けてるじゃないか。だから、そのことをBさんに相談したんだ。」A子「私に問題があるっていうの?私が悩むのは当然よ!親なんだから。あなたは一日中トラックに乗ってりゃいいんだから気楽よね。実際に○○○を育ててるのは私なんだからね。あなたはいっしょに悩んでもくれない。そのBさんに相談なんてしないわ。どうせその人も、子育てのことは何も分からないに決まってるわ。」そう言ってA子は、その名刺をテーブルの上に投げた。しかし、昨日の出来事(近所の奥さんから聞いた話)があって、A子はすっかり落ち込み、わらをもすがるような気持ちになっていた。「こんな辛い思いをするのはイヤだ。誰でもいいから、助けてほしい。」そう思ったときに、B氏のことを思い出したのだ。幸い名刺はすぐに見つかった。息子が学校に行って1時間くらい経ったころ、意を決してB氏に電話をかけた。その時A子は、その日に起きる驚くべき出来事を、想像だにしていなかった。受付の女性が出て、B氏に取り次いでくれた。A子は自分の名前を告げたものの、電話に出てきたB氏の声がとても明るかったので、「こんな悩み事を相談してもいいのか?」という気持ちになった。次の言葉がなかなか見つからなかったのだが、B氏のほうから声をかけてきてくれた。「もしかして□□君の奥さんですか?」「はい、そうなんです。」「あー、そうでしたか。はじめまして。」「あのー、主人から何か聞かれてますか?」「はい。ご主人から少し聞きました。息子さんのことで悩まれてるとか。」「相談に乗っていただいていいのでしょうか?」「今1時間くらいなら時間がありますので、よかったら、この電話で話を聞かせてください。」A子は、自分の息子がいじめられたり、仲間はずれにされていることを簡単に話した。そして、前日にあった出来事も。ひととおり聞いて、B氏は口を開いた。「それは辛い思いをされてますね。親としては、こんな辛いことはないですよね。」その一言を聞いて、A子の目から涙があふれてきた。A子が泣き始めたのに気づいたB氏は、A子が落ち着くのを待って続けた。「奥さん、もしあなたが、本気でこのことを解決なさりたいなら、それは、おそらく、難しいことじゃありませんよ。」A子は、「難しいことじゃない」という言葉が信じられなかった。自分が何年も悩んで解決できないことだったからだ。だけど、B氏の言葉が本当であってほしいと願う気持ちもあった。「もし解決できるなら、何だってやります。私は本気です。だけど、何をやれば解決するんですか?」B氏「では、それを探りましょう。まず、はっきりしていることは、あなたが、誰か身近な人を責めているということです。」A子「えっ?どういうことですか?」B氏「話が飛躍しすぎてますよね。まず理論的なことをじっくり説明してから話せばいいんでしょうが、それをすると何時間もかかるし、私もそこまでは時間がないのです。なので、結論から話します。理論的には根拠のある話なんで、後で、参考になる心理学の本など教えます。結論から言います。あなたが大事なお子さんを人から責められて悩んでいるということは、あなたが、誰か感謝すべき人に感謝せずに、その人を責めて生きているからなんです。」A子「子どもがいじめられるということと、私の個人的なことが、なぜ関係があるんですか?何か宗教じみた話に聞こえます。」B氏「そう思われるのも、無理もないです。われわれは学校教育で、目に見えるものを対象にした物質科学ばかりを教えられて育ちましたからね。今、私が話していることは、心理学ではずいぶん前に発見された法則なんです。昔から宗教で言われてきたことと同じようなものだと思ってもらったらわかりやすいと思います。私自身は何の宗教にも入っていませんけどね。」A子「その心理学の話を教えてください。」B氏「現実に起きる出来事は、一つの『結果』です。『結果』には必ず『原因』があるのです。つまり、あなたの人生の現実は、あなたの心を映し出した鏡だと思ってもらうといいと思います。例えば、鏡を見ることで、『あっ、髪型がくずれている!』とか『あれ?今日は私、顔色が悪いな』って気づくことがありますよね。鏡がないと、自分の姿に気づくことができないですよね。ですから、人生を鏡だと考えてみて下さい。人生という鏡のおかげで、私たちは自分の姿に気づき、自分を変えるきっかけを得ることができるのです。人生は、どこまでも自分を成長させていけるようにできているのです。」A子「私の悩みは、私の何が映し出されているのですか?」B氏「あなたに起きている結果は、『自分の大切なお子さんが、人から責められて困っている』ということです。考えられる原因は、あなたが『大切にすべき人を、責めてしまっている』ということです。感謝すべき人、それも身近な人を、あなた自身が責めているのではないですか?一番身近な人といえば、ご主人に対してはどうですか?」A子「主人には感謝しています。トラックの運転手として働いてくれているおかげで、家族が食べていけてるのですから。」B氏「それは何よりです。では、ご主人を大切にしておられますか?尊敬しておられますか?」A子は、「尊敬」という言葉を聞いたときに、ギクッとした。A子は、日ごろから夫のことを、どこか軽蔑しているところがあったからだ。A子から見て、楽観的な性格の夫は、「思慮の浅い人」に見えた。また、「教養のない人」にも見えた。たしかに、A子は四年制の大学を卒業しているが、夫は高卒である。また、それだけではなく、夫は言葉ががさつで、本も週刊誌くらいしか読まない。読書が趣味のA子としては、息子に、「夫のようになってほしくない」という思いがあったのだ。A子は、そのこともB氏に話した。B氏「『人間の価値は教養や知識や思慮深さで決まる』と思っておられますか?」A子「いえ、決してそんなふうには思いません。人それぞれ強みや持ち味があると思います」B氏「では、なぜご主人に対して、『教養がない』ことを理由に軽蔑してしまうんでしょうね。」A子「うーーーん。私の中に矛盾がありますね。」B氏「ご主人との関係は、どうなんですか?」A子「主人の言動には、よく腹が立ちます。喧嘩になることもあります。」B氏「息子さんの件で、ご主人とはどうですか?」A子「息子がいじめられていることは、いつもグチっぽく主人に言っています。ただ、主人の意見やアドバイスは受け入れられないので、主人にちゃんと相談したことはありません。おそらく、私にとって主人は、一番受け入れられないタイプなんだと思います。」B氏「なるほど。もう一つ根本的な原因がありそうですね。ご主人を受け入れるよりも前に、そっちを解決する必要があります。」A子「根本的な原因ですか?」B氏「はい、あなたがご主人を受け入れることができない根本的な原因を探る必要があります。ちょっと伺いますが、ご自分のお父様に感謝しておられますか?」A子「えっ?父ですか?そりゃもちろん感謝してますが・・・」B氏「お父様に対して『許せない』という思いを、心のどこかに持っていませんか?」A子は、この「許せない」という言葉にひっかかった。たしかに自分は父を許していないかもしれない、そう思った。親として感謝しているつもりであったが、父のことは好きになれなかった。結婚して以降も、毎年の盆・正月は、実家に顔を見せに家族で帰っている。しかし、父とは、ほとんど挨拶ていどの会話しかしていない。思えば、高校生のころから、父とは他人行儀な付き合いしかしてこなかった。A子「父を許してないと思います。だけど、父を許すことはできないと思います。」B氏「そうなんですね。じゃあ、ここまでにしますか?お役に立てなかったとしたら、申し訳ありません。それとも、何かやってみますか?」A子「私の悩みの原因が、本当に父や主人に関係しているんでしょうか?」B氏「それは、やってみたらわかると思いますよ。」A子「わかりました。何をやったらよいか教えてください。」B氏「では、今から教えることをまずやってみてください。お父様に対する『許せない』という思いを存分に紙に書きなぐって下さい。怒りをぶつけるような文書で。『バカヤロー』とか『コノヤロー』とか『大嫌い!』とか、そんな言葉もOKです。具体的な出来事を思い出したら、その出来事も書いて、『その時、私はこんな気持ちだったんだ』ってことも書いてみてください。恨みつらみをすべて文章にして、容赦なく紙にぶつけてください。気がすむまでやることです。充分に気がすんだら、また電話下さい。携帯の番号も教えておきます。」A子にとって、そのことが、息子の問題の解決に役立つのかどうかは疑問だった。しかし、それを疑って何もしないよりも、可能性があるならやってみようと思った。A子は、「今の悩みを解決できるなら、どんなことでもしよう」と思っていた。それに、B氏の話には、根拠はわからないが、不思議な説得力を感じた。A子は電話を切ると、レポート用紙を持ってきて、父に対する思いを、思いつくままに書き始めた。自分が子どものころは、なにかと口やかましい父だった。夕食が説教の時間になることも多かった。また、子ども達(A子と兄弟)が自分の思い通りにならないと、すぐに大声で怒鳴りつける、そんな父だった。「お父さんは、私の気持ちなんか興味ないんだ!」と、そう思うことも多かった。お酒を飲んだ時に、仕事のグチを言うところもイヤだった。また、建設会社で現場監督をしていた父は、砂や土で汚れた仕事着で帰って来て、そのまま食事をすることが多かったが、それもイヤだった。A子は、父に対しての気持ちを文章にしていった。気がついたら、父に対して「人でなし!」とか「あんたに親の資格なんかない!」とか、かなり過激な言葉もたくさん書いていた。ある出来事も思い出した。自分が高校生のころ、クラスメイトの男の子と日曜日にデートをしたことがあった。その男の子と歩いているところを、たまたま父に目撃され、後で問いただされて説教されたことがあった。両親には、「女の子の友達と遊ぶ」と嘘をついていたのだが、父はその嘘を許せないようだった。その時の、父の言葉は今も覚えている。「親に嘘をつくくらい後ろめたい付き合い方をしているのか!お前は、ろくな女にはならん!」思い出しているうちに悔し涙が出てきた。悔しさも文章にした。「お父さんがそんな性格だから、嘘もつきたくなるんでしょ!自分に原因があることも分からないの?それに『ろくな女にならない』って、なんてひどい言葉なの。私がどのくらい傷ついたか知らないんでしょう!あんたこそ、ろくな親じゃない!あれから私は、お父さんに心を開かなくなったのよ。自業自得よ!」書きながら、涙が止まらなかった。気がついたら、正午を回っていた。書き始めて2時間近く経っていた。十数枚のレポート用紙に、怒りを込めた文章が書きなぐってあった。容赦なく書いたせいか、それとも、思いっ切り泣いたせいか、気持ちがずいぶん軽くなっていた。
2006.01.27
「友人からからのメール」という件名のメールを友人からもらいました。友人に転送したところ、鏡の法則読みました。非常に良かったので、他の人にも回します。有難うございました。また、お願いします。ありがとうとの返事がありました。うれしかったので著作権侵害になるのかどうか分かりませんが、ものすごくいい話なので、ここに載せさせて頂きます。「友人からからのメール」という件名のメールを下さった友人のAさんありがとう「鏡の法則」 野口嘉則(このお話は実話ですが、登場人物の職業などを多少変えてストーリーを設定しています)A子(主婦、41歳)には悩みがあった。小学校5年生になる息子が、学校でいじめられるのだ。いじめられるといっても、暴力まではふるわれないらしい。友達から仲間はずれにされたり、何かあると悪者扱いされたりすることが多いようだ。息子は、「いじめられてるわけじゃない」と言い張っているが、息子を見ていると、寂しそうなので、A子は胸が痛むのだ。息子は野球が好きなのだが、友達から野球に誘ってもらえないので、学校から帰ってきたら一人で公園に行って、壁とキャッチボールをしている。2年くらい前には、息子が友達といっしょに野球をしていた時期もある。当時のことなのだが、A子が買い物の帰りに小学校の横を通りかかったとき、グランドで息子が友達と野球をしていた。息子がエラーをしたらしく、周りからひどく責められていた。チームメイト達は、容赦なく大きな声で息子を責めた。「お前、運動神経がにぶ過ぎだぞ!」「お前のせいで3点も取られたじゃないか!」「負けたらお前のせいだぞ!」A子は思った。「たしかに息子の運動能力は高くない。しかし、息子には息子のいいところがある。とても心が優しい子なのに。」A子は、自分の息子のいいところが認められていないことが、悔しかった。そして、ひどいことを言うチームメイト達に対して、自分の息子が笑顔で謝っているのを見るのが辛かった。その後まもなく、息子は野球に誘われなくなった。「お前はチームの足を引っぱるから誘わん」と言われたらしい。息子にとって、野球に誘ってもらえないことが、一番つらいようだ。A子へのやつ当たりが目立って増えたことからも、それがわかる。しかし息子は、辛さや寂しさを決して話してはくれなかった。A子にとって一番辛いのは、息子が心を開いてくれないことだった。「僕は平気だ」と言い張るばかりなのだ。A子が、「友達との上手な関わり方」を教えようと試みても、「うるさいな!ほっといてよ」と言ってくる。「転校しようか?」と持ちかけた時は、「そんなことをしたら、一生うらむよ!」と言い返してきた。息子の状況に対して、自分が何もしてやれないことが情けなく、A子は無力感に陥っていた。そしてある日、学校から帰宅して公園に行ったばかりの息子が、不機嫌な顔で帰ってきた。「何があったの?」と聞いても、「何もない」と言って教えてくれない。真相は一本の電話で明らかになった。その夜、親しくしているご近所の奥さんから電話がかかってきたのだ。「A子さん、○○○君(A子の息子の名前)から、何か聞いてる?」「えっ?いいえ」「今日、公園でうちの下の子どもをブランコに乗せていたのよ。○○○君は、いつもの壁にボールを投げて遊び始めたわ。するとね、○○○君のクラスメイトらしい子たちが7、8人くらいやって来てね、『ドッジボールするからじゃまだ!』って○○○君に言うのよ。しかも、その中の1人がボールを○○○君にぶつけたのよ。○○○君、すぐに帰っていったわ。私としては、その場で何もできなくて、申し訳なかったと思ってね。」A子は愕然とした。「そんなことを私に黙っていたなんて。」そんなつらい思いをしていながら、自分に何も言ってくれないことが悲しかった。その日は、あらためて息子から聞き出そうという気力も湧いてこなかった。翌日、A子はある人に電話をかけることを決意した。その人とは、夫の先輩に当たるB氏だ。A子は、B氏とは話したこともないのだが、1週間前に夫からB氏の名刺を渡された。B氏は、夫が高校時代に通っていた剣道の道場の先輩である。夫も20年くらい会っていなかったらしいが、夫が最近街を歩いていたら、たまたまばったりと出会ったということだった。久々の再会に盛り上がって喫茶店に入り、2時間も話したらしい。B氏は、今は経営コンサルタントを仕事にしているそうだ。夫の話では、B氏は心理学にも詳しく、企業や個人の問題解決を得意としているとのこと。そこで夫が息子のことを少し話したら、「力になれると思うよ。」と言って名刺を渡してくれたそうだ。
2006.01.27
仕事用のホームページ 楽しい家族の会 開設しました。(楽しい家族の会 有限会社 を設立しました。)まだほとんど準備中です。徐々に記入していきますのでよろしくお願い致します。 http://www.tanosiikazoku-no-kai.com/
2006.01.22
半年ぶりの登場です。上記の小鳥の絵は70才から市の文化センターでの講座で絵画を始められて現在84才の独り暮らしの女性が描かれたものです。ほのぼのとした心温まる絵で私は大好きです。いっぺんにファンになっちゃいました。町内の郵便局で昨年の今頃展示されていて、すごく気に入ってしまいました。そこに貼ってあった、その展示に関する中日新聞の記事を郵便局の方にコピーしてもらってきました。私の愛妻にこの人がどこの人か聞いた所(私は養子のため町内の事はあまり分からないんです)なんと、私と生まれ故郷が同じで勤務先の近くに実家がある女性でした。それで以前、出勤する時、この女性をその実家へ乗せて行ってあげた事が有る女性でした。最近、又乗せて行ってあげた時、この絵の話をして、家まで絵を見せてもらいに行きました。大変素晴らしい絵ばかりで、ほんの一部をお借りして、ここに載せさせてもらいました。 ただ、50kバイト以下でないといけないので、また、サイズが大きすぎますので、今日はこれ1枚です。たくさん描いて見えますが、タンスにしまってあるそうです。もったいないから、多くの家庭で飾って頂くといいのですが。展示会を開いて手頃な値段でお分けしたいと思っています。また、この方の同級生で趣味で額を作っている方があるそうなので、その方に額を作ってもらい、その額に入れて、お手軽な値段でお分け出来るといいなあ。 額がこれまた素朴で素晴らしいんです。庶民的な絵と額で家庭を飾れたら、ほのぼのとした、温かい家庭になるでしょうね。
2005.07.06
私は先頭を行く戦艦のブリッジで夕暮れを迎えた。視界が悪く断片的に霧がかかっていたため、艦長もブリッジに残り、状況を見守っていた。暗くなってから間もなく、ブリッジの見張りが次のように報告した。「艦首の右舷側の進路に光が見えます」「停止しているのか、船尾の方向に動いているのか」と艦長。見張りの答えは、「停止しています、艦長」・・・艦長は信号手に命じた。「その船に対し、信号を出せ。衝突の危険があるため、20度進路を変更せよ、と」相手からの信号が帰ってきた。「そちらの方が20度進路を変えるよう助言する」艦長は再び命令した。「信号を送れ。私は艦長だ。20度進路を変えるように」すると、「こちらは二等水兵だ。そちらの方こそ20度進路を変えるように命令する」と返事が返ってきた。艦長は怒り出し、「信号を送れ。こちらは戦艦だ。20度進路を変えろ」と叫んだ。点滅する光の信号が返ってきた。「こちらは灯台である」我々は進路を変えた。
2005.01.11
平和ボケ日本女性よ目覚めよ!, 2004/11/28 レビュアー: 貿易会社海外駐在員管理職の男性。部下の女性が貸してくれた本書はまさに驚きの書であった。職業柄欧米の女性の逞しさは良く知っているが、日本人女性の中にもかかるバイタリテイーを持った女性がいた事は嬉しい限り。子供を生む事を躊躇している女性には是非一読をお薦めする。それから隣国の某俳優を追っかけまわしているような平和ボケした貴方、そんなヒマとお金があるなら本書を読んでこの著者のせめて100分の1でも世界に目を向けて、今自分に何が出来るか、よく考えて欲しい。 何事もポジティブシンキングで!, 2004/11/18 レビュアー: 京都 自立した女性のとっても前向きな生き方に、たくさんパワーをもらえる本です。私自身の生活とのギャップに驚かされる部分(笑)もありますが、こういうライフスタイルも世の中にはあるんだな~と羨ましくなったり、感心したり…。かなり楽しめます! 現在妊娠中の人はもちろん、旅行好きな人、海外生活をしたい人、そして消極的になりがちで、ついついお家に閉じこもっちゃう人にはお薦めです。 読み終わったら、人生前向きに生きていかなきゃ損だと感じてる自分にきっと気づくでしょう!!(amazon より)
2005.01.09
7日に紹介した「飛んでる妊婦!」の著者(みゆきりん さん)からのコメント香港在住の元フライトアテンダントの著者が書く、SARS真っ最中の香港でのクレイジーな妊婦生活と出産、産休中毎週のように飛行機に乗って旅行した東南アジア、オセアニア、日本、ヨーロッパなどがわかる妊婦放浪記です。母親がハッピーだとベイビーもハッピー。これが一番の胎教”だと信じて、妊娠中も妊娠前とほとんど生活を変えなかった様子は日本の妊婦雑誌からすると妊婦失格ですが、そんなことも気にせずに好きなことをやり続けたある妊婦の日記です。毎回の健診の記録や少しずつ形になっていくベイビーの超音波の写真もあります。またニュージーランド人のだんなとの深い夫婦の絆、インド人の親友との国籍を超えた友情関係、両方の両親とのあたたかい家族の絆などから人間関係について考えさせられます。今までの人生の中の半分以上を海外で過ごした著者の価値観やポジティブ志向、まわりの人との接し方からある一人の女性の生きかたがうかがえます。妊婦さんをはじめ、だんなさんの妊夫さん、旅行好きな人、何でもいいからポジティブになりたい人におすすめします。読んだ後は必ずパワーアップできるはずです。
2005.01.08
インターネットでご縁を頂いた元海外駐在員で現在香港在住の方の娘さんが 妊娠中の生活を本にされて出版されました。 その名がなんと 「飛んでる妊婦!」 本当に飛んでる妊婦の生活です。 私はまだ最後までは読んでいませんが、 少なくとも私が知っている妊婦の生活とはかけ離れた生活をされました。 文字通り飛んでる妊婦なんです。 今、妊婦、又妊夫の方が読まれたら、その後の生活が変わるかも。世間の常識と非常識とはなんなのか、わからなくなります。とにかく、この様な生活でも確実に素晴らしい子供が生まれるんですね。 そして、きっとこの子は幸せな人生を送ることが出来るでしょうね。 本当は読み終わってから、ここに書こうと思ったのですが、読めば読む程、少しでも世間の常識にしばられた妊婦生活ではなく、 より楽しい妊婦生活、妊夫生活を送ったほうが・・・・・・、 と思い今日書く事にしました。 amazonにて 飛んでる妊婦! で検索していただけば、著者のコメント、本の内容、この本を読まれた方の感想が読めます。 日本に住む日本人として、ドキッとする感想です。 目が覚める感想です。
2005.01.07
知人の家に行こうと電話をしたのですが、つながりませんでした。連絡が取れなかったのですが、留守でも渡すものを置いてくればいいので出かけました。 留守だったので、子供さんに預けて帰りました。この家から少し離れた所にお寺があり、チョット見たら笑顔の観音様の像が有ったので、車を止めて境内へ。ぶらりと見学。お賽銭を入れると子供が返事をすると書いてある子供の像。さっそく、財布を出したら、携帯が。先ほど行った知人から。今帰ったとの事。戻って行って、会って来た。このお寺のおかげですぐ戻る事が出来た。お寺さん(観音様?)に感謝 ありがとう ありがとう ありがとうもう一度お寺に寄って、お賽銭を奮発。かわいい子供の声を聞く事ができ感激。そこの境内にかわいい子供の絵が貼ってあり、こんな言葉が。そばにいるだけで 心がやすらぐ そんなあったかい ひとになりたい 私もなりたい(これは笑顔358の声)
2005.01.05
人生を「つらい」「悲しい」「つまらない」と言っていると、「わかりました。じゃあ、早く死んじゃいましょう」と、体が反応する。「うれしい」「楽しい」「幸せ」「 ありがたい」と言っていると、「じゃあ、もっと長生きしちゃいましょう」と内部の修復さえ自らが始めてしまう・・・・。そういうことがわかったら、「肯定的に生きる」ことが、単なる精神論ではないことに気付きます。否定的に生きると「損」、肯定的に生きると「得」なのです。 この本はそういう話ばかりです。(小林正観さんの新刊本 「究極の損得勘定」のはじめに より)
2005.01.04
初鶏や 地震台風モーケッコー 落風これは漫俳というのだそうです。毎年この様な素晴らしい句を頂いています。ありがとうございます。
2005.01.01
5年ほど前、ある本で「ひとりの先生が「あなたは素晴らしい力を持っているのよ」と接した結果、それまで劣等感の固まりだったような子供たちが驚くほど変容し、力を発揮していった」というエピソードを読んで衝撃を受けました。 その少し前に、心理カウンセラーの先生から、うつ病で入院していた女の子に「あなたはあなたのままでいいよ」と伝えたら、その子が「生まれてから今まで一度もそんなことをいわれた事がなかった・・・・・・・。嬉しい・・・・・・」と一晩中泣き通していたという話を聞き、これにも大きな衝撃をうけました。「そのままのあなたでいい」「あなたには素晴らしい力がある」と言ってもらえず、心を閉ざしてしまっている子供がたくさんいるのであれば、子供にそういうことを伝え続ける人になりたいなぁ・・・・・。そう考えはじめている時、小林正観さんのアドバイスから”才能を発揮した人たち”の生い立ちを調べる作業が始まりました。
2004.12.30
あるメルマガより ありがとう通信第42号 平成16年4月25日発行○ おかげさま 私たち、一人一人が今、ここに生きているという確率は、どれ位でしょうか。 その可能性は、0と言ってもいい位、ごくわずかなものだと思います。 両親が知り合うことはなかったら、私は生まれなかった。 祖父母たちが知りあうことがなかったら、私は生まれなかった。 また、両親が知り合えたとしても、私という人間が生まれるという確率は、天 文学的というより、無限に近いほど、わずかなもののような気がします。 私たちがこうして生きていられるのは、ものすごい奇跡であると感じます。 そして、ある出来事が起こるのも、奇跡と呼んでいいのかもしれません。 今、一つの出来事が起きたとして、その前に数え切れないほどの一つ一つの現 象がなければ、この出来事が起こらなかったのです。 先月の話です。 そもそもの始まり(さかのぼれば、もっともっと先があるのですが)は、突然 、仕事を手伝っていただける方が現れたため、休日が増えました。 丁度、休日になった最初の日が連休だったもので、妻と伊勢神宮に行こうとい う話になりました。 正観さんの講演会も、伊勢で行われる予定でしたので、新刊が出来た挨拶も兼 ねて行くことにしました。 正観さんの、伊勢の前日のスケジュールを見ると、名古屋郊外での講演でした。 実は、先日「天才たちの共通項」という新刊を出させていただいたのですが、 その著者である、中村多恵子さんと会ったことがありませんでした。 中村さんと連絡を取っていたところ、その名古屋郊外での講演会に参加をする というのです。 もし、私たちが、その名古屋郊外の講演会に参加をしたら、中村さんにお礼が 言えると思い、その講演会にも参加をすることにしました。 そして、中村さんとお会いして、正観さんを駅に迎えに行くことになりました。 そうしたところ、中村さんが、「明日の伊勢の講演会には、車で送ってくれる」 と話されました。 中村さんは、その時までは、伊勢の講演会に参加をする予定は全くなかったそ うです。 それまでは、正観さんと私たちは、電車で伊勢に移動する予定でした。 そして、伊勢での講演会は、会場と宿泊施設が同じ所にあり、連絡をすると、 宿泊が可能ということでした。 そのような経緯があり、正観さんと中村さんと私たち夫婦で、伊勢まで一緒に 行くことになりました。 その日は、あまり天候がよくなく道中もほとんど雨が降っていました。 ところが、伊勢のインターを出たとたんに、パッと晴れたのです。 それを見て、正観さんが「伊勢に行くのに天気が良くないのは変だと思ってい ました」というようなことを話しました。 その時、私は、何か面白い展開になりそうだと直感しました。 正観分からというスケジュールでし たので、お参りをするのに丁度良い時間でした。 もし何らかの理由で到着が遅れたり、正観さんに急ぎの仕事が入っていたら、 一緒に行くことは出来なかったでしょう。 それで、4人で伊勢神宮の拝殿まで行き、一緒に手を合わせました。 4人が拝み終わってから、一緒に拝殿を見ていた時のことです。 拝殿の前には、本殿が見えないように白い幕がかかっているのですが、その白 い幕がゆっくりと90度まで立ち上がって、それからゆっくりと下りたのです。 その時は、全くの無風でした。これは、4人で確認しました。 この幕が立ち上がった様子は、風になびいて立ち上がるというものではありま せんでした。 幕が板のような感じで真っ直ぐ上がって、そして降りたのです。 私たち4人は、この現象を見て、目を見合わせてびっくりしました。 この白い幕が風に吹かれて、舞っている様子を映像で見たことがありますが、 この時は、風になびいているのではなく、本当に板のように真っ直ぐと立ち上 がったのです。 この白い幕が上がることにより、正面にある本殿が、真正面に見ることが出来 ました。 私は、この現象は、明らかに自然な現象には思えませんでした。 恐らく、神様は、私たち4人が来たことを祝福していると思いました。 実は、私たち4人が拝殿の前でしたことは、ただただ感謝の言葉を述べていま した。 これは、打ち合わせをしていたのではなく、神社に詣でる理由は、神様にお願 いをしに行くのではなく、「ありがとう」とお礼の気持ちを述べるためである ことを4人とも知っていたからです。 帰ってから、この話を周囲の人に話したところ、このような現象は、以前から、 ある種の人が来ると起きると言い伝えられているのだそうです。 先日、ダライラマが来た時も、同じような現象が起こったそうです。 また、次のような話も聞きました。 伊勢には、「赤福」という菓子メーカーがあるのですが、この会社は、単品の 菓子で200億円以上の売り上げがあって、単品の菓子での売り上げでは世界 一だそうです。 この「赤福」の社長は、元日にお参りに行くのではなく、大晦日の夕方にお参 りに行くのだそうです。 そして、この1年の感謝だけを申し上げるのだそうです。 また、伊勢神宮には「おかげ参り」という習慣や「おかげ通り」という通りが あります。 昔の人は、神社には、お願いに行くのではなく、感謝の気持ちを伝えに行く所 であることがわかっていたのだと思います。 これは小林正観さんが書かれた「天才たちの共通項」そして新刊の「究極の損得勘定」(この本にこの伊勢神宮での話が載っています)の出版社 宝来社の社長さん小野寺大造さんが書かれたものです。 宝来社のホームページhttp://www.358.co.jp/ にある小野寺ご夫妻の書かれている日記は読んでいる私たちをもついつい、ついてる気持ちにしてしまいます。 この日記にご縁が頂けることがついてる事なんですね。 又メルマガ(1 0 0 分 の 1 だ け 心 が 楽 に な る ツ イ て る 話)を出して見えます。 ホームページから購読申し込み出来ます。 上記の文章はそのメルマガの物です。 今年から私も愛妻と愛娘と3人で大晦日の夜に地元の神社へ1年間のお礼のお参りに行きます。「天才たちの共通項」の著者 中村多恵子さんは岐阜県にお住まいで、小林正観さんの講演会でよくお会いします。また懇意にして頂いています。以前多治見市での2次会でいや3次会まで一緒に楽しく過ごしました。3次会は3時まででした。(だじゃれでなく本当の事です。)すごく気さくで、楽しい、陽気で素敵な女性です。中村多恵子さんに「天才たちの共通項」に素敵なサインをして頂いた本をご希望の方にお分けしています。郵送の場合は本代1900円と送料290円を本に同封する郵便振替用紙にて振り込んで頂いています。近くの方にはお届けします。明日、「天才たちの共通項」の内容を紹介します。
2004.12.29
「 おはよう」 と言うと目がさめる。「いただきます」 と言うとおなかがすく。「いってきます」 と言うと元気に行ける。「ありがとう」 と言うと気持ちがいい。「ごめんなさい」 と言うとほっとする。「おやすみなさい」 と言うといい夢みられる。「あいさつ」ってうれしいな。これはある小学生の作文です。平野秀典さんがセミナーで読まれました。小学校5年生の子供に「なんで挨拶しなきゃなんないの。」と聞かれて、その子供にこの作文を読んでやったら、「あー、あいさつするは。」 と言ってそれからは挨拶をするようになったそうです。
2004.12.21
昨日、名古屋で行われた平野秀典さん(「儲けを生み出す表現力の魔法」と「感動力」の著者)のセミナーに参加させて頂きました。 5時からだったので余裕を持って出かけて行こうと思い2時に家を出る事にしていました。 1時40分頃に一応電車の時刻をインターネットで調べたところ2時22分とその後が3時頃だった。 すぐに家を出ても2時の電車には多分間に合わないだろうと思ったけれども、取り敢えず急いで出かけた。 実は著書を2冊とも発売直後に購入はしていたが全然読んでいなかったので駅で読もうと思っていた。 ところが駅に着いたのが出発2分前で2時22分の電車に乗れた。 電車はがらがらでゆっくり「感動力」が読めた。 名古屋に着き地下鉄で会場へ。 会場を確認してから、喫茶店で「感動力」を読もうと思ったが、会場の隣の店でクリスマスグッズを売っていた。 きれいだったので見に入った。 そこでクリスマスカードを見て思い出した。 静岡にいる私の愛娘に頼まれていた事を。 出産祝い用のカードを買って送ってくれるように。 それを今日名古屋へ行く前に買いに行く予定だった事を。 すっかり忘れていた。 その店にエレベーターがありドアが開いたままになっていた。 何気なく中を見たら上の階の売り場の商品のチラシがたくさん貼ってあった。 そこにカードも。 さっそく上の階へ。 可愛い出産祝いのカードが見つかった。 セミナーはすばらしかった。 感動! 感激! 感謝! 帰りに名古屋駅へ行ったら、なんとここでも2分後に電車が出発。 帰りもゆっくり「感動力」を読んで来る事が出来た。 行きの電車が2分後に出た事。 会場の隣で忘れていたカードを買う事が出来た事。 帰りの電車も2分後に出た事。 昨日もすごくついてる一日だった。 ありがとう ありがとう ありがとう 久しぶりの日記 110日ぶりの日記 ありがとう ありがとう ありがとう
2004.12.20
和歌山県の南端に「大島」という島があります。 この島には日本で一番古い石造りの灯台があります。 明治23年9月16日、和歌山を台風が襲いました。 午後9時頃、大島の沖合いで大きな爆発音がしました。 灯台守は、嫌な予感がしました。 その時、台風で舵の効かなくなった木造軍艦が 灯台に向けて押し流されてきました。 全長76メートルもの大型船です。 船は、板切れが流されるように、風と波でどんどん近づいてきました。 やがて、海岸の岩場に打ち付けられて真っ二つに裂けました。 乗組員は海に放り出され波にさらわれました。 真っ暗で荒れ狂う海にどうすることもできなかったといいます。 一人の水兵が岩場に打ち上げられました。 かすかな意識の中で、灯台の明かりが見えました。 「あそこにいけば助かる!」 急に力が湧いてきました。 40メートルもある崖をよじ登り、ようやく灯台にたどり着きました。 水兵の服はもぎ取られ、彼は裸同然でした。 全身傷だらけで真っ黒に腫れあがっていました。 灯台守はその水兵を見つけましたが外国人で言葉が通じませんでした。 そこで「バンコク信号書」を見せ、トルコ人であることがわかりました。 そして船はトルコ海軍の軍艦であることもわかりました。 灯台守は応急手当をし、他の水兵の救助のため、村人を呼びに戻りました。 電灯もない真っ暗な夜道、人一人がやっと通れる道をひたすら走りました。 村人たちと灯台に戻ってくると、10人ほどのトルコ人がいました。 全員傷だらけです。この村は50軒くらいしかない貧しい村でした。 村人は総出で崖を降り救助をしました。 遠い国からやってきて、見知らぬ日本で死んでゆく水兵を見て、 村の男たちは泣いたそうです。 「一人でも多く救ってあげたい!」 「死ぬな、元気を出せ!」 そして助かった人は69名でした。 この船は「エルトゥールル号」といいました。 救助された人は寺と小学校に収容されましたが、 村には電気、水道、ガス、電話などはありません。 井戸もなく、水は雨水を貯めて使っていました。 サツマイモとみかんを栽培していました。 これを対岸の町、串本でお米と交換して生活する貧しい村でした。 各家庭にニワトリを非常食として飼っていました。 このような村に69名の外国人が収容されたのです。 生まれて初めて見る外国人をどうしても助けたいと村人は思いました。 台風で漁ができず、食料はすぐに底をつきました。 「もう食べさせてあげるものがない」 「どうしよう」 一人の婦人が言いました。 「ニワトリが残っている!」 「でも、これを食べてしまったら何もなくなる・・・」 「大丈夫、お天とう様が見守ってくださる。 」 村人は最後に残ったニワトリを料理して水兵たちに与えました。 こうして、トルコ人は一命を取り留めたのです。 村人は遺体を引き上げ丁重に埋葬しました。 この遭難の報は和歌山県知事に伝えられ、 そして明治天皇にまで言上されました。 明治天皇は直ちに医者、看護婦の派遣を指示し、さらに礼を尽くし、 生存者全員を軍艦「比叡」「金剛」に乗せてトルコに送還なされました。 日本全国から弔慰金が寄せられトルコの遭難者家族に届けられました。 この話には後日談があります。 その事件から100年近く経った1985年3月17日の出来事です。 湾岸戦争でサダム・フセインが、48時間後にイラン上空を飛ぶ すべての飛行機を打ち落とすという命令を下します。 イランにいる日本人はあわててテヘラン空港に向かいました。 しかし、すべて満席で乗れない・・・。 日本政府の対応も遅くパニック状態になったのです。 その時、2機のトルコ航空機が到着し、日本人215名全員を乗せて 成田に向けて飛び立ちました。タイムリミット1時間15分前でした。 なぜトルコ航空機が来てくれたのか? 日本政府もマスコミも知りませんでした。 前駐日トルコ大使、ネジアティ・ウトカン氏は言われたそうです。 「エルトゥールル号の事故に際し、日本人の献身的な救助活動を、 今もトルコ人は忘れない。そのご恩返しです。 私も小学生のときに歴史教科書で学びました。 トルコでは子供たちでさえエルトゥールル号の話を知っていますよ。」 とのこと。 情けは他人のためならず・・・ 自分さえよければ、と言う風潮の現代においては、なおさら、 自己犠牲をしてまで、他人のためにできる人たちの素晴らしさを感じます。( これは今日のメルマガ『 副業で年収7倍!私が31歳でセミリタイアした方法! 』に載っていた話です。そのまま載せさせて頂きました。ありがとうございます。)実に素晴らしい話ですね。自己犠牲をしてまで、他人のためにできる人たちも、もちろん素晴らしいのですが、その恩を100年たった今も忘れないで、今以て後世に伝えていくトルコの人達。そして恩返しをするトルコの人達。笑顔358の目に汗が。最初にメルマガを読んで目に汗が。是非この日記にも書かせて欲しいとメルマガの発行をして見える【自由人どっとこむ】畑岡宏光様(有限会社MSI 代表取締役)に使用依頼のメールを書く時、又目に汗が。ご自由にお使い下さいとの返事のメールで又目に汗が。そして今も・・・・・・。本当に今日はよく目から汗が出る 素晴らしいよき日です。ありがとうございます・ありがとうございます・ありがとうございます追伸父に言われていた畑のジャガイモも愛娘(中二)と二人で半分掘る事が出来ました。愛娘のなっちゃん ありがとう・ありがとう・ありがとう。残りは来週。来週もお願いね、なっちゃん。そうそう、掘り終わって部屋へ来たとたんに大雨が・・・。掘り終わるまで待っててくれたお天気さん ありがとう・ありがとう・ありがとう
2004.07.31
毎日、毎日、「暑い、暑い。」 と、言っていませんか。 ついつい言ってしまいますよね。 それで暑さはやわらぎますか。 よけいに暑くなりますよね。どうせ暑いのだから、暑さを受け入れ、暑さを楽しみませんか。 いい汗かくほど、風呂へ入って汗を流した後は、よりさっぱりした気分を楽しめますよね。 と書いている私は、実は下着だけで、扇風機は強で・・・・。 夏の暑さに感謝。ありがとう。ありがとう。ありがとう。今日また「ありがとう」を実践される方が増えました。 うれしい。たのしい。しあわせ。ありがとう。今日もらったメール(「ありがとう」を口癖にしたい方)の最後に「笑顔さまに雪崩のごとくよきことが起こりますように」と書かれていました。「皆さまにも雪崩のごとくよきことが起こりますように」
2004.07.29
うれしい・楽しい・幸せ。大好き。愛してる・ついてる・ありがとう が好きな言葉です。これを意識して言っていると本当にそうなるから不思議ですよ。これの反対の言葉を言っているとやはり本当にそうなるから、不思議です。それから、見返りを求めないで人に与える、与え続けると返ってくる、与えられる、これも不思議です。
2004.07.04
ありがとうございます- うちはお寺なのですけど、お金をねだられたり賽さい銭せん泥どろ棒がいたりします。それにもどうぞどうぞと差し上げて、(マイナスを)消けしてもらっているんだとするのが良よいのですか? ありがとうございます: 段階がいろいろあるのです。一番上の段階は本当の無抵抗主義です。キリスト教きょうならイエスキリストです。上着も与えた下着も盗られたというんでしょう。右のほほを打たれたら左のほほを出して打たれよと。ほんとうにそこまで無抵抗主義になれれば大きい神さまの力がそこに加わるのです。そうしたら本当の意味で気付くはずです。そうして自分の過去世のマイナス・因縁を全部消してもらえるのです。 どんなマイナスが出ても過去の借金なのです。借りがあるのです。それを借金取りが今現われているという感じなのです。本当は自分のほうから前の世の貸主を探して利息つけて恩返しに行かなければいけない。これは大変なのです。だから向うの方から利息を軽くして借金を催促にきてくれているのです。大恩人からそういうふうに来てくれているのです。だからそういうマイナスの姿も過去の恩返しです。借金返しです。 だから「ありがとうございます」と本当は感謝するのが一番良いのです。それで盗っていかれるんだったら盗っていかれた方が良いのです。でもそこまで感謝したら、そうかそうか良くわかった。それじゃ全部免除しようとなるかもしれない。お金を置いていってくれるかもしれない。本当の生き方は無抵抗主義で感謝する事だと思うのですけど。それ以上絶対に悪くはならないのです。(ありがとう協力隊のホームページより)
2004.06.17
素敵な女性の要望にお応えして、「楽しい家族の会」改め「笑顔」これだけでは照れくさいから、恐れ多くも「358」を付けさせて頂き(本当は笑顔はもう使用されていました。)「笑顔358」にさせて頂きました。今後とも 笑顔 を末永くよろしくお願い致します。
2004.06.10
楽しい家族の会 って長すぎて呼びにくいんですね。私は呼んだ事が無いから気が付かなかったのですが。「楽ちゃん」とは「楽しい家族の会」の頭の文字からそうしたのであります。小理屈・へ理屈なんでもありと、簡単な出題にもことさら小難しいコタエをでっちあげるインテリ派。アメリカの某大学から博士号までもらっている。第一番に手をあげる突撃精神にもご注意。先輩どころか師匠にまで毒舌を吐いて、腹黒い男の異名をとるのは大喜利の高座だけ。楽屋ではきわめて礼儀正しく、メンバーの信頼も厚い。(笑点のホームページ 三遊亭楽太郎さんの紹介文より)という三遊亭楽太郎さんとそっくりだから楽ちゃんにしたのではありません。念のため。そうそう初めて知ったのですが、楽太郎さんと私は年令が・・・。ビックリ。そうそう「楽ちゃんの楽は楽しいの楽ですが「たの」と読まないで「らく」と読んで下さい。「らくちゃん」です。よろしく!と書きましたが、笑顔さんがいいのでは、という案が出ました。見た目からつけるのなら足長おじさんとかハンサムさんがぴったりだと思いますが。そう思うのは私だけでしょうか。(あったり前! あっそう)笑顔さんはちょっと照れくさいけど、そう呼んでもらえることはいい事ですね。ありがたい事ですね。うれしい事ですね。それに笑顔・・・え顔・・・えー顔・・・いい顔 あっ、見た目にぴったりじゃあ、これに決定。これからは、いい顔さん・・・いや えー顔さん・・・いや え顔さん いや 笑顔さん。そうです、私が今から笑顔さんです。よろしく!6月8日は最高の一日でした。岐阜県多治見市で開催された、小林正観さんの講演会に参加。5時に退社して会場へ。今までと違う道を行ったら、ちょうど開始時間にぴったり。今までは10~15分位、遅刻していたのが、ちょうどに到着。席についていたら、なな、なんと、知人が「車のライトが点いていますよ。」と知らせて下さいました。知人といっても私の車はもちろん、ナンバーもご存じないはずなのに。お聞きしたところ、車の中の紙に私の名前が書いてあった、とのこと。車に戻って見ると、車から降りる直前にふと何気なくカバンから出して置いた紙に私の名前が。本当についてる。紙を出した事も、ライトが点いてる事に気づいて頂いて、中を見て下さった事も、本当についてる。ライトも点いてる、私もついてる。笑顔感謝トイレ掃除この3点セットでついてる人生、素晴らしい人生、面白い人生になるそうな。やっぱり、そのとおり!そして3次会でスプーンが曲がってくれた!!!。最高の一日でした。またまた いいご縁をたくさん頂き、ありがとう ありがとう ありがとう。
2004.06.08
6月1日の日記に〈下駄の鼻緒が家を出たとたんに切れるのは「ついてる」からだそうです。もうこんな時間だから続きは明晩書くことにします。〉と書きながらいまだに書いてないですね。だって明日の晩に書くんだから、今日は書かない。なんてな事は言いません。今日書きます。家を出たとたんだから、鼻緒を直すにも家で直せばいいし、なんなら靴にかえる事も出来るし。なんとでもなりますよね家を出たとたんに切れるとは縁起が悪いなんて思わないで、ついてる、ついてる。なんとついてることか。そうなんです、ついているんです。私もついている人生を送っています。昨日 長野県の松本市で開催された正観さんの講演会に行ってきました。先日飯田市で出愛った、ココメさんに会えました。2次会では素敵な女性にお茶やジュースをついで頂きました。一段と美味しかった。長野県の女性ってどうしてあんなに美しいのでしょうね。水がいいからなのか、空気がいいからなのか、長野へ行くのが癖になりそう。(岐阜県の女性も美しいですよ。 一応そういっておかないと・・・・・)また面白い人が多い。会場の建物がチョット複雑で、会場の階へ行く為にエレベーター乗ったのですが、何階でおりればいいか分からない。3階で乗ろうとした女性がうろうろしながら、「すみませ~ん、3階って何階ですかあ~」と聞かれた。難解(なんかい)な質問で、聞かれた方も悩んじゃって「・・・・・・・・・・」この方も正観さんの講演会に見えた人でした。そうそう昨日の講演会では振り袖の由来を仕入れて来ました。留め袖も。講演会の内容はまたココメさんのを読んで下さい。簡潔明瞭、さすが編集長!
2004.06.07
たぬきコーチさんの「ありがとう」の魔力&実践効果か?についてのたくさんのメッセージにびっくり。こんなにたくさんの方が「ありがとう」をたくさん言って下さって。どんどん「ありがとう」が広がって行けば、人類みな兄弟ではなく(だって兄弟にしては年齢が・・・・ちぐはぐ)人類みな家族、それも「楽しい家族」に!大げさではなく、本当にそれが可能な気がしている今日この頃です。たぬきコーチさんも素晴らしい方ですが、やはりこの方とご縁を頂いて見える方も素晴らしい方ばかりですね。Fruitionさんのメッセジを読ませて頂いて面白い経験をされた方を思い出しました。私は「ありがとう」を何度も・・・と言っているのですが、この方は私の話を聞いた翌日、工場で仕事中に「ありがとうございました。」を何度も言われたそうです。すると製品に不良品がいくつも出来た。あげくのはては、頭が痛くなったそうです。昼休みにふと気付かれた。「ありがとうございました」は「ありがとうございま下」で下がる。昼からは「ありがとうございます」と言おう。「ありがとうござい増す」でありがとうが増すから。と言うことで、実際昼からは「ありがとうございます」と何度も言っていたら、もちろん頭痛はよくなった、そして不良品も出なかったそうです。だじゃれで遊んでいる見たいですが、言霊という言葉がありますが、正にそのとおりなんでしょうね。素直に実践すると宇宙パワー?不思議な力?何かの偉大な力?神?の力が頂けるのか。なぜかは考えなくてもいいから、ただただ、不思議な力を頂いて、利用して、調和して、楽しい人生、楽な人生を送る事がいいのでは。最近ありがとうの回数があまり増えていないから、もっと増やそうっと。(ありがとうを言うためにカウンターで数えながら言った回数です。生活の中でのありがとうや言われたありがとうの数はカウントしていませんが、カウントするようになってからのありがとうの累積 1,380,952 回)おかげさまでとても楽しい、うれしい、ついてる毎日を送らせて頂いております。たぬきコーチさんにご縁を頂けた事、そしてその関係の方のメッセージを読ませて頂ける事、本当に私の喜びです。「ありがとう」にありがとう。ありがとう。ありがとうそして私を信じて実践して下さる方、素晴らしい現象を起こして下さる方、・・・万事に感謝。今日もたくさんの喜びをありがとう、ありがとう、ありがとう。明日はこのありがとうを、楽に楽しく生きる方法を教えて下さる方小林正観さんの講演会、吉本よりも面白い講演会、また新しい法則を仕入れて来ようっと。そして目一杯笑って来よう。自宅から会場まで200km近く、高速を使用して2時間はかかるのかな。でもそれ以上のものが仕入れられるから、採算は十分合います。とは変な表現。
2004.06.05
あまちさんが「遊」という愛と優しさに包まれる素晴らしい本を 出版されました。その際にサインとともに一言メッセージを頂きました。『人生楽笑』 そして、あまちさんは、次のようにいつも講演でお話をされていました。『楽しい時は、やさしくなれる』だから、楽しく生きていきましょう。 勇一郎は、この言葉を大事にしています。 本当に心から楽しい時は親切になれます。 しかし、イライラが溜まったり、疲れが溜まってくると 楽しさを感じられなくなり、やさしさがなくなっていくと思います。 だから、疲れを吐き出すようにとあまちさんよりため息を教えて頂きました。 そして、今までため息を吐くと同時に「あー疲れた」「あーしんどかった」 と言う言霊を吐いていたと思います、 しかし、息を吐くと同時ににっこり笑って「あ~よかった、ありがとう」 と言いましょう。とも教えて頂きました。 お陰で、勇一郎は「あ~よかったなぁー」と感謝をして過ごせるようになりました。( メルマガ 運命の人に出会い、ツキまくる 奇跡の法則 より)斉藤一人さんのテープを聴かせて頂く事が出来ました。ありがとうございます。下駄の鼻緒が家を出たとたんに切れるのは「ついてる」からだそうです。もうこんな時間だから続きは明晩書くことにします。おやすみなさい。(とこう書いておけば明日は必ず書かなければいけなくなりますから、わざと書いておきます。そうでないと最近は睡魔に全敗していますから。あっ、今日は睡魔に勝ったのだ!)
2004.06.01
頼まれ事があったら、今、持っている力でやりましょう。力を抜いて、適当に(適度に)いい加減に(良い加減に)。あなたの、今以上の力で頼まれたのではないのですから。何かを頼まれた時、「私には力がないので、とても出来ません。」と言うのを〈傲慢〉と言います。自分の腕に自信があるかないかは関係なく、頼んでくださったのなら「ありがとうございます。」とお礼を言って、自分の今の持てる力でやっていくことを〈謙虚〉と言います。(小林正観さんの著書 「楽に楽しく生きる」 より)
2004.05.29
正観さんの講演会やっぱりよかった。何がよかったのか。隣に座られた女性がよかった。チャーミングで、笑顔がけっこう、いやすごく可愛くてはともかく、千曲市で正観さんの講演会を主催された方でした。楽天日記もされて見えました。この講演会の内容も実にうまくまとめて楽天日記に書いてみえます。ぜひこの方(ココメさん)の楽天日記を読んで下さい。http://plaza.rakuten.co.jp/tanosiikazoku/diary/200405260000/#200405271817116595です。日記コメント新着のココメさんからのほうが簡単に行けますね。
2004.05.28
ある電話 お母さんの友達 「お母さんいる?」 子供の返事 「いらない」お父さんが単身赴任、お兄さんは浪人中の子供が家族の事を聞かれました。 お父さんは 「別居中」 おにいさんは 「無職」 悲惨な家庭・・・???? !!!ある病院で あごがはずれた人が飛び込んできた。 新米の先生が懸命に元通りにしようと必死。 しばらくして、やっと元通りに その時一緒に来た人が 「こんな顔やなかったんですが」
2004.05.27
今夜は長野県飯田市の峡泉さんで行われる講演会に参加します。会社を5時に退社して7時の講演会開始にぎりぎりで間に合うかどうか。また、目一杯笑ってきます。主催者の関係者でスプーンをグニョグニョと曲げる事が出来る方がみえるんですよ。いつも笑顔で素晴らしい方です。話をしたことはありませんが。私も早くああなろう。明日なろうは永遠になれません。だって明日という日は永遠にこないから。(今日が明日ですなんてありえないですから。)今夜の内容をまた書きます。今夜は書けないかも知れませんが。
2004.05.26
夕べはパソコンの前で寝ちゃいました。大事なメールを送る前に。今そのメールを送りました。遅くなってごめんなさい。そして昨日はありがとうございました。
2004.05.25

今日は、山へ行ってきました。ハイキングではなく、また登山でもありません。父が所有している山へ義父(私は養子なので家内の父です)から境界を教えてもらう為に行ったのです。父はすべてを覚えているのですが、私は覚えられないから、デジカメで撮影してきました。こういった光景はたぶん見たことがないでしょうね。ここにその光景を載せておきます。このあたりの山では東濃桧と言って良質でツヤがいい事で有名な桧を育てています。父の山の木はほとんど父が苗を植えて育ててくれている木です。でもその父はこの木を切って収入を得る事は出来ないのです。父の代では売れる程の大きさにはならないのです。多分私の子供の代に切る事が出来るでしょう。それでも父は手間を掛けて、育ててくれています。父に感謝!感謝!感謝!面と向かっては絶対言えないんです。ここに書いても絶対父が読む事は有りませんが、それでも書きます。ありがとう!ありがとう!ありがとう!
2004.05.23
作家である三浦綾子さんの友人(三浦さんはクリスチャンでありその友人もクリスチャン)に感謝婦人と呼ばれる婦人が見えたそうです。その婦人はどんな事にでも「ありがたい事ですよね、神様に感謝ですよね」と言う人だったので感謝婦人と呼ばれていたそうです。旭川で20日間長雨が続いた事があった。その長雨で洗濯物は乾かない、牧草は育たない、日照時間は少ないというので、みんなが困った。その感謝婦人を知っている婦人が、いくら感謝婦人でもこの20日間の長雨には「ありがたい事ですよね、感謝ですよね」という言葉は出てくる訳がない、と思った。この婦人が感謝婦人に会った時に「本当にいやになっちゃいますよね、困ったもんですよね。この20日間の長雨は」と言った。その感謝婦人はニッコリ笑ってこう言ったそうです。「ありがたい事ですよね。神様に感謝ですよね。」と。「どうして、こんなにひどい長雨が続いてるのよ。」とその婦人は言った。そうですよね。どうして20日間の長雨に感謝できるのか。分かりませんよね。小林正観さんも2時間考えたけれどもなぜ感謝出来るか分からなかったそうです。この感謝婦人が答えた。「神様はもしこの20日間の雨を一度に降らせたら,ありとあらゆる川が大洪水になる思ったのですね。これだけの雨の量を20日間に分けて降らせて下さったのですね。ありがたい事ですよね。感謝ですよね。」と。すごいですね。こんな風に考える事が出来るとは。現象をこのように見る事ができるとは。見方道の家元である小林正観さんも’いえ もっと’勉強します!だって。ちなみに私は見方道アドバイザーです。
2004.05.22
夕べの続きです。車のディーラーがどうして売り込みを一切しないで売り上げがトップになったのか。それは毎日知らない人の家に行きピンポーン。「お宅の車を洗車させて下さい」と言って洗車をしてまわった。車の話は一切しないで。ただ洗車するのみ。誰かと聞かれると名刺は渡すが、やはり売り込みはしない。するとその家が車を買い換える時は必ずその人に注文の電話が入るようになったそうです。喜ばれる存在であると、神が支援をしてくれるそうです。私も喜ばれる存在でありたい。ぜひ皆さんがこの日記に書いてある事を実践され(半信半疑でしょうけれども)真実である事を実感して頂きたい。そしてこの日記を読まれた事を喜んで下さい。そうして頂くと神が私を支援してくれますから・・・・(笑)
2004.05.21
私達の人生の目的は・・・・・喜ばれる存在である事である。自分が背負っている状態は関係ない。長生きが目的ではない。周りの人に喜ばれるように今を生きなければ神は支援をしてくれない。どうしたら喜ばれるかだけを考えて生きる。経営も同じである。喜ばれる事だけを考えて経営して行けば必ず!(夕べここまで書いてそのまま眠ってしまいました。)
2004.05.20
愛知県一宮市で開催された小林正観さんの講演会からたった今、帰ってきました。またまた、楽しい生き方を再確認させて頂きました。また車のディーラーで売り込みを一切しないで売り上げがトップの人の話を聞かせて頂きました。詳しくは後で書かせていただきます。
2004.05.19

夕べ 私の心の友である坂井田博行さんから私の座右の銘です。「吾唯足知」を刻みこむように、しております。私の戒め文です。とのことで次の文章が送られてきました。実にいい話で、しまっておくのはもったいないので、友人の許可を得て、ここに載せることにしました。京都・竜安寺に「知足のつくばい」というものがあります。これは、水戸光国公(有名な水戸黄門さま)がこの寺に寄進したものといわれています。「知足のつくばい」とは、円形の石の真ん中に四角を切り込み、その中に水を入れた毛水鉢(ちょうずばち)ですが、その四角の上には「五」という字が、四角の右側には「隹」、下には「足の口がない字」、左側には「矢」の文字が刻み込まれています。これを右回りに読んで、「吾唯足知」(われ、ただ、足るを、知る)という漢文で読みます。「私は、ただ満足することを知っているだけだ」あれが足りない、これが足りないと言っている間は、決して「幸せ」になることはない。今、「私」が置かれている状況が「幸せ」の極地なのだという禅の極地を書いたものです。何も起きないこと。ただ淡々とした日々が、淡々と過ぎていくこと。何事も特別なことが起きず、くじが当たることもなく、海外旅行が当たることもなく、もちろん交通事故も起きず、大きな病気もせず、ただ普通の日々が普通に過ぎていく事。「幸せ」とは、求めて何かを手に入れることではなく、今、目の前に存在する現象について、「私」が「幸せだ」と思うこと、そこに尽きそうです。中国で初めてできたお金にも、穴明き銭には「吾、唯、足を知る」と書いてあります。動物の世界を見ると、例えば、ライオンは満腹状態のとき、すぐそばにシマウマがいても襲うことはありません。動物は足るを知っているからです。人間にはエゴがつきものですが、エゴを持った人間は「足るを知る」を知りません。持てるだけ持っても、もっとほしいといいます。エゴを発揮すると、これも魂の波動を悪くしそうです。
2004.05.18
小林正観さんに聞いた話退職する事にした営業マンが一ヶ月間商談を一切しなかったのに80人の営業マンの中で売り上げがビリからトップになった話。その1ヶ月間お得意様の会社のトイレを素手で掃除をしたのです。1ヶ月後退職しようとした頃に営業成績がトップになっていた。それはトイレ掃除をしたお得意様が会社へ注文を入れていたのです。それまで注文がもらえなかったのに。臨時収入が桁外れに入ってくる話。トイレ掃除をする。道具、ゴム手袋を使わず、素手で水の中に手首まで突っ込んでトイレットペーパーだけで洗う。私もトイレ掃除を素手でやっています。すごく楽しいですよ。やりがいが有るトイレほど楽しく出来ます。そういうトイレを見つけた時ほど、ラッキーな気分になります。最近は有料道路のトイレをさせてもらっています。時間帯によって、やりがいがあったり、それほどでも無かったり。でも楽しいですよ。12個のトイレを25分位で磨きますが、他の人で1個を30分から1時間位掛けてピカピカにされる人も有るそうです。臨時収入が今までの最高額は2億8千8百万円との事。ただしその臨時収入を人の為に使わないと次からは入って来なくなるそうです。自分が贅沢をしたり、ため込んだりすると、ダメになるとの事です。
2004.05.16
小林正観さんから聞いた話余命3ヶ月と宣告された末期癌の女性が1ヶ月でガン細胞が消えてしまった話。ある末期癌でやはり余命3ヶ月と宣告された男性の経営者が3日で癌細胞が消えてしまった話。その理由。女性の場合は、ありがとうを約10万回言った。男性経営者の場合は、120人に1分間ありがとうを浴びせかけてもらった。そして自分でもありがとうを相当数言った。ありがとうを心を込めなくても良いから年齢×1万回言うと自分が望む奇跡が起こる。年齢×3万回を超えると自分も周りも想像もしなかった奇跡が起こるとの事。実際その体験をされた方も見えます。ちなみに私は現在2002年7月15日から通算135万回です。始めた頃は日に1万回近かったのですが、最近は1000回そこそこ、もっと増やそう!
2004.05.15
本業は旅行作家。大学時代から人間の一生使わない普通の人なら約85%の脳の持っている働き、潜在能力、超常現象を旅行作家のかたわら研究をされています。そして唯物論者である小林正観さんは、現象から「うれしい」「楽しい」「幸せ」となる法則を発見されました。その話を聞きたいという人が小林正観さんにお願いして年間300回以上講演会を開催されています。また旅行作家としての著述の他に「うれしい」「楽しい」「幸せ」な人生を送ることが出来る法則を分かりやすく、かかれた著作を15冊出版されています。この本は一般の書店では出版されてはおりませんが。詳しくは明日書かせて頂きます。
2004.05.14
車さんありがとう その1毎朝、車に乗ったら、最初に「車さんありがとう、車さんありがとう」と5~6回言っております。(その後、ありがとうをカウントしながら通勤しております)以前乗っていた車は軽乗用車で、18万キロ乗っており、12月末に車検が切れるので買い換える予定でした。12月のはじめに道が凍結しており、スリップして蛇行し、道路の端に作られている花壇を飛び越して田んぼに落ちました。車は動かなくなり、車輌保険の査定をして頂いたら、全損とのことでした。おりた保険で中古の普通車が買えました。身体には擦り傷ひとつなく、もちろん痛みもありませんでした。車さんありがとう、車さんありがとう車さんありがとう その2先日民家がほとんどない山道を走っていたら、エンジンが突然止まりました。なんとガソリンがなくなっていたのです。燃料不足に気づかなかったのは初めての事でした。坂道でしたので町の方へ行こうと、行く先をかえて下り始めたところ、なんと5~600m先にガソリンスタンドがありました。車さんありがとう、車さんありがとう。
2004.05.12
通勤中に今日も小林正観さんのテープを聴いていて、思いました。この話を一人でも多くの人に知ってもらいたいと。そんな話がいくつも。テープ起こしをして、この日記に書こう。また早急に小林正観さんの事も書かなければ。今日はまだやらなければならない事が有るから、無理だけれども、少しづつでも、書いていこうと思います。取り敢えず今日は一つだけ簡単に。アトピーの子がいる家族の中には早口の人がいる。その人は早口なだけでなく、いつも早く早くと言っているでしょう。その人がゆっくりしゃべるようになると、アトピーは相当軽くなる可能性が高い。明日からもっと書こうと思います。特に小林正観さんの事は早急に書こうと思います。それでは今日はこのへんで。
2004.05.11
「天才たちの共通項」-子育てしない子育て論-小林正観さん新刊出版記念講演のCDを車を運転しながら聞いていてふと思い出しました。私の自慢の愛娘二人のうちの上の娘の話です。娘が保育園の時(多分年少組の時)保育園で描いた絵を持って帰ってきました。ちょうど今頃、4月か5月の事です。その絵はただ黒く塗ってあるだけでした。その絵を見て私はすごく誉めて誉めて褒めちぎりました。そして最後に「みーちゃん(あっ娘の名前をばらしてしまいました。どうも隠し事はにがてで。)何を書いたのかなあ」と聞いたのです。私の豊かな想像力??でも分からなかったのです。みーちゃんは「こいのぼり」との返事。それから私はまたまた褒めちぎりました。「そうだね、元気にコイが泳いでいるね。上手に描けたね」と。その後も保育園へ行った時、壁に貼ってある絵を見ると、一目でみーちゃんの絵は分かりました。何が描いてあるか分からないのがみーちゃんの絵なんです。それでも褒めちぎってあげました。そのせいか、家でもよく色々(何か分からないのですが)描いていました。ところがどんどんうまくなり、中学生になる頃には、他の同級生と同じくらいにうまく描くようになりました。(多少いや相当親のひいき目もありますが)やはり子供は誉めると伸びる。いや子供だけでなく大人でもそうですよね。私がいい例です。数年前まで文章を書く事は苦手でほとんど書きませんでした。ところがある団体に所属したとき、ほぼ強制的にこの団体が毎月発行している小冊子に原稿を依頼されました。徹夜で何度も書き直してどうにか提出出来ました。発行後、役員の方からこの団体の長の方が私の文章を誉めて見えたとの事を聞きました。又別の役員の方も別の機会に同じく長の方が感心して見えたとの事。最初はお世辞だと思っていましたが、長の方は私には直接はそれを言われないので余計にこれはお世辞ではないと確信しました。その後私が小冊子の編集に携わる事になりました。そしてあろう事か他の人が書かれた原稿を校正までするようになったのです。自信を持つとスゴイ事が出来るようになるのですね。今ではこうして文章を書く事が楽しいのです。やはり誉める事ですね。小林正観さんの話の中で、男の私はあまり話したくありませんが(でも小林正観さんも男性ですが力を込めて話されるから私も)話します。それは男はバカだから誉めるとその気になり素晴らしい働きをする。女性は平均的にかしこい。男性はバカ。でもそのバカな男が、身近な女性(母親や奥さん等)が誉めるとそのかしこい女性を飛び越して女性よりかしこくなる。素晴らしい働きをするそうです。よく考えてみると、そのとおり。残念ながら。だから世の中の母親、奥様方は男の子やご主人(たとえどの様なご主人でも)を誉める事だそうです。是非やってみて下さい。私がこんなに優れている(?????)という事は家内が私を褒めちぎるからかなあ(笑)自分でそう思う事がバカの証明(????)ついでに、女の子の場合は、母親のコピーになるそうです。恐ろしいほどピッタリの例を聞いた事があります。あるおばあさんがあまり姑さんを粗末にするので、「そんなに姑さんを粗末にしていると、自分が姑になった時今度はあなたが粗末にされるよ」と忠告したところ「私の子供は女の子だから、養子をもらう。自分の娘に面倒見てもらうから大丈夫」との事だったそうです。そして養子をもらった。当時は借家住まいだったが、家を新築する事が出来た。引っ越しの日が近づいたが娘は母になにも言わない。お婿さんが一度だけ何日に引っ越すからお母さんも準備して、と言っただけだったそうです。結局その母親はいまだに借家で一人住まい、との事でした。見事に母親のコピーが出来上がっていたのです。私の家内はいいコピー元だからいい娘に育ちつつあるのでしょう。私にとっても娘達にとってもちょうどいい家内です。そんな家内の元に養子にこさせてもらってありがとう!ありがとう!ありがとう!(ちょっとむりして言ってるかも・・笑)
2004.05.10
昨日、岐阜県中津川市立阿木高等学校の育友会長(PTA会長)最後の日でした。育友会総会で新会長と交代しました。退任の挨拶で昨日の楽天日記を読みました。昨日書いている時、感謝の気持ちが溢れてついつい目から汗?が・・・。挨拶の時又汗?が出るとかっこわるいので読む事にしました。どうにか無事に挨拶出来ました。夕方から先生方と新旧役員での懇親会がありました。昨日の日記には高校の名前は伏せておきましたが、懇親会でやはり今まで思っていたとおり素晴らしい高校である事を確信したので名前を公表する事にしました。愛娘が入学する前に恵那北中学校の先生が愛娘に「阿木高の先生は生徒一人一人に親身になって下さるからこの学校があなたにはいいと思うよ」言われた通り親身になって接して下さいました。3年生の最後の学年懇談会で父兄の方全員が一言づつ言わせて頂きました。全員がこの高校に入れて頂いて本当に良かった。この高校だったからうちの子は3年間を過ごす事が出来た。中には中学校ではほとんど不登校だったのに3年間一日も休まず登校した子もいたそうです。とにかく全員の父兄の方々がお世辞ではなく本心から先生方に感謝して見えました。そうそう懇親会で素晴らしい高校である事を確信したのは、まずある先生にこの高校は先生が親身になって下さいますが、他の高校でもそうですかとお聞きしたら、いいえ、この高校は特異です。私はこの高校へ赴任出来て本当によかったと思っています。とのことでした。又他の先生方とお話をした時も、担任の先生はもちろんですが、担任の先生でなくても私の愛娘の事をすごく良くご存じで、こういう子だったけれどもいついつ頃からこんな風に変わってきましたよ。と実に詳しく話して下さるのです。先生全員が生徒の事を見守って下さっているのだと感激しました。阿木高校の先生方、職員の方々全員に感謝!ありがとうございました!ありがとうございました!ありがとうございました!また、こういった事を実感出来る機会を与えて頂けた事に感謝!ありがとう!ありがとう!ありがとう!このように感激をさせて頂けるとは私はなんとついている事か。ついてる、ついてる私です。そのきっかけを作って下さった小林正観さんに感謝!ありがとうございます!ありがとうございます!ありがとうございます!
2004.05.09
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