あたしはあたしの道をいく

2006.07.04
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カテゴリ:
勇者の証明



「人間の証明」「新・人間の証明」「青春の証明」に続き、

やはりこれも戦時中のことを描いています。

でも意外なことに、推理ものではありませんでした。



現代(戦後50年って書かれてるから、今より10年位前?)

にそれなりに名を成した、渋江という作家が主人公。

彼は気まぐれに受けた検査で余命半年の死病宣告を受ける。

そして思い出したのが、人生の起点になったとも言える、

少年時代の長い旅路のこと。





軟弱だとかスパイだとか非国民だとか、

そんなレッテルを貼られて学校で苛められていた、

渋江を含む少年4人が、ドイツ人母娘の住む館へ忍び込んだ。

そこで彼らは母親から娘(ザビーネ)を長崎の祖父のもとへ送るよう、頼まれる。

その晩、少年たちと娘に見守られて母親は亡くなる。

遺言のような頼みを、彼らは聞き入れ、長崎への旅に出る。



長崎への旅の最中、何度も敵の攻撃にあう。

まず、出だしからして空襲で住んでいた場所が壊滅的被害を受けた日。

焼け跡の東京や大阪を歩き、乗っていた列車が敵機の攻撃に遭う。

それらのエピソードはどれも残虐で、戦争の悲惨さを伝えてくれるものだった。



だけど……。





広島の朝。

いつものように、戦時中という非常時でありながら、

それなりに平和な、よく晴れた暑い夏の日。

広島が目覚めて、活動を始めたのを見計らって落下してきた「リトル・ボーイ」。

その日、広島はヒロシマになった。





「もうやめてくれ~~~~ッ!!」って思った。

あたしたち広島人は、幼い頃からヒロシマを教えられる。

夏になると、いたるところにヒロシマを見ることが出来る。

今年も、原爆死没者名簿の記載が始まった。

これから8月6日に向け、色んな所でパネルなどの展示会があるだろう。

8月になると色々な団体が物々しくヒロシマを目指して集まるだろう。

そして、8月6日になると、快晴の空へ向って鳩たちが飛び立っていくだろう。

それは、広島に住むものなら無縁では居られない、ヒロシマの記憶。

それはあたしたち広島人の意識にしっかりと刷り込まれている、常識。



これを読むのは、辛いです。

あたしね、ヒロシマを描いた作品ってあんまり読んだことが無いんだ。

峠三吉も知らないし、「うましめんかな」を書いた詩人(名前度忘れ中)も知らない。

「はだしのゲン」も最後までは読んでない。

どっちかって言うと、敢えて避けている気がする。



被爆者はね、広島に住むものなら誰でも知り合いに一人二人居る。

原爆で亡くなった人の一人や二人、必ず祖父母世代の縁者に居る。

だから辛いんだよね、ヒロシマの記述。

ちょっとした記述でも、すぐ被爆の状況が目の前に浮かぶんだよ。

小さい頃から繰り返し見せられてきた、パネル写真や、映像。

おじいちゃんやおばあちゃんの話。

ある意味、フラッシュバックに似ている。

だから、ヒロシマの記述はとても辛い。



でもこの小説は痛快でした(笑

ヒロシマを含む、戦争被害のページを読み終わると、

痛快な子供らしい復讐劇が待っている。

これは、胸がすきます。



良い作品だった。

加藤登紀子、聞きたいなあ。






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Last updated  2006.07.04 11:52:53
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