日本人が誤解している東南アジア近現代史 (扶桑社新書) [ 川島 博之 ]
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コメを作ってきたアジアの農村では人々は濃密に関わって暮らしてきた。それに対して酪農が大きな割合を占める欧米は農村の人口密度が低い。そこでは人間関係が希薄だ。
それに対して、人間関係が濃密なアジアでは、約束をいちいち紙に書く必要はない。約束を守らない人間は村にいられなくなるためである。そんな精神風土のアジアでは、人々が都市に密集して住むことを好む。
「ライダイハンは悲しい事実だが、今となっては歴史の一コマに過ぎない。そして、重要なことはライダイハンと呼ばれる人々もベトナム人であることだ。この問題をそっとしておくことは彼らのためにもなる」
という趣旨のことを語った。筆者はそこに、血を流して実力で独立を勝ち取った国の誇りを見た。
そんな原発であるが、対応が難しいのは事故が起こった時である。地震、津波、テロ、そして人為的な誤動作も事故の原因になる。
そして重要なことは、科学の用語に「絶対」がないことである。絶対事故が起きないと言うことはできない。あるのは確率だけである。そして確率とは人知が及ばない現象である。原発の価格は、安全をどの水準で考えるかによって決まる。事故の起きる確率を低くしようとすればするほど、原発による発電は高くつく。
飛行機が発達した今日、新幹線は300kmから500km程度の移動に適している。それ以上の距離は飛行機で移動する方が効率的である。また300km以下の距離ならば、自動車で移動する方が便利だ。このような事情が明らかになりつつあるので、東南アジア諸国が新幹線の建設に一生懸命になるような状況ではない。