人は、書物を介してよりも、
人から直接に学んだほうが、
理解に実がはいる場合がある。
この感想は、のちの諸葛亮の学習法に活かされる。
「ふふ、
みるところは、おなじであったか。
われを知る者は、袁公路どののほか二、三人しかおらず、天下に知られた徳望などなきにひとしい。
それでも、あつかましくここにきたのは、
おのれの欲望のためではなく、
天の声に従ったらどうなるのかを、たしかめたかったからだ。
ただし 、われには天の声ときこえたものも、じつは風の音であったかもしれぬ。
それでも、かまわぬ。 人生の賭にでるときは、きっかけが要る」
諸葛亮は叔父を尊敬した。
官宦途が閉ざされても、いつかこういう日がくる、
と叔父はあきらめず、研鑽を積んできたのかもしれない。
尊敬するのなら、その点をである。
――いつ好機がおとずれるかわからない。
それが人生というものであり、それまで不遇であるのがつねである。
もっといえば、不遇のすごしかたによって、好機が生まれる。
――わたしはどのように生きたいのか。
あるいは、たれのように生きたいのか。
諸葛亮は均を連れて、県の西をながれる川のほとり に行き、
そのながれをながめながら考えることがある。
昔、父から、
「憧れをもつことだ。それは志とひとしくなる」
と、教えられた。
自分は管仲のようになりたい。
だが、管仲のように辛酸をなめたくない。
管仲のすさまじい生きかたを諸葛亮は知っている。
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