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2005年08月10日
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カテゴリ: カテゴリ未分類
8月10日は、どうしても忘れられない日なのです。

何年経っても、おじいちゃんを思い出すと涙がでてくる。
今でも大好きなおじいちゃん。

穏やかで、やさしくて、
手先が器用で、
母も子供の頃から自慢のお父さんだったといっていた。

おじいちゃんは私たち姉妹を本当にかわいがってくれた。
小学生になったころ、おじいちゃんは腎臓を患い、


そのためかどうか、
一日一日を感謝するように慈しんで過ごしていたように思う。
花や季節を愛で、
私たちの成長を喜んでくれた。
小学校、中学校、高校、私たち姉妹の入学式を迎えるたび、
「●●ちゃんの晴れ姿、見れてよかった。
次の晴れ姿見るまで長生きせんとな」

足腰は弱っていても、まだまだ歩けるうちは・・・と、
毎年必ず、旅行に行くプランを練っては
私たち家族を連れ出してくれた。
どこそこの桜がきれいときけば、

ある日、病院で「ハワイでも人工透析を受けられる」
と聞いてきて、
「海外旅行もできるかもしれんなぁ」とも言っていた。
どこまで本気だったかわからないけど、
もう少し早く聞いていれば、

絶対におじいちゃんは行っていただろう、常夏のハワイに・・・。

あれは私が短大2年。
就職活動を始めた5月。
おじいちゃんが倒れ、長期入院となった。
おじいちゃんは何度かこれまで入退院を繰替えしていたし、
今回もそんな感じだと思っていた。
おじいちゃんの弱っていく姿を見せたくない一心で、
母は私が就職活動や学校で忙しいであろうことを理由に
病院には行かなくてもいいと言っていた。

私は子供だったんだと思う。
心配だったけど、
母の言葉をそのまま受け止め、
一日交代で看病に行く母や祖母や叔母を手伝うことなく、
家事を手伝うくらいのことしか出来なかった。
いや、子供なりに、大人たちがおじいちゃんの
弱った姿を見てほしくないという思いをそれなりに感じて、
「おじいちゃんに会いたい」というのがわがままに思えたのだ。
私はおじいちゃんの元気な姿だけを知っていればいいと。

おじいちゃんの具合のいい日には、
母が病院に連れて行ってくれたけど、
それは数えるほどしかない。

おじいちゃんは元気な頃、よく銀行に通っていた。
財テクなんていう大層なものではないが、
貯金をやりくりして、旅費を計算したり、
私たちの節目のお祝いやお小遣いを捻出するために、
定期にしたり、切り替えたり、こまめに通っていたようだ。
銀行の窓口の人と顔見知りになっては、
おばあちゃんはよく
「今日も○○さんっていう、恋人のとこ会いに行かはったわ(行った)」
と冗談で言っていた。
おじいちゃんは、
「○○さんは、なんとなく、Tちゃん(私)に似て、気安いねん」
と言っていた。

就職活動で一社落ちた私が、次に選んだ就職先は
「銀行」だった。
当時はお給料もよかったし、学校推薦もあったし、
諸々の条件がよかったこともあったけれど、
なんだかおじいちゃんが喜んでくれる気がしたのと、
私に似た感じの人が窓口で働いているという
おじいちゃんの言葉で、
自分が銀行で働いているイメージが沸いたのだった。

そして、晴れて内定を貰う。
病院にいるおじいちゃんには母から報告してもらった。
ほっとしたちょうど3日後。
おじいちゃんは息を引き取った・・・。

ちょうど付き添いの交代で、母、祖母、叔母がちょうど
顔を合わせたときだった。
つまり、かつての4人家族がそろって、
おじいちゃんを看取ったのだった。

うだるようなこの季節。
でも、おじいちゃんのお葬式の日は、雲が多く、
かなり暑さをやわらげてくれた。
おじいちゃんは徳のある人物だったと思う。
体を患いながらも、人には暖かく接し、
徳を積んだ人なんだと思う。
だから、この天気も偶然ではなく、
おじいちゃんがみんなを気遣ったのだと信じている。

体を患いながらも、苦しいことを乗り越えて、
私が成人するのを、就職をするまで、待ってくれたのだと思う。
私の成人式の着物を仕立てるお金を出してくれた。
出来上がっていたのにもかかわらず、母も私も、
「おじいちゃんが退院したら・・・」と病院に持っては行かなかった。
行けなかった。
お通夜、お葬式の間、タンスから出して広げておいた。
本当に見てほしいと思った。

初めての身内の不幸だったので、
初めて、も服というものを買った。
悲しいのに、母とああでもない、こうでもないと、
服を選らんでいるのはとても不思議だった。
初めて死体というものを見た。
でも、怖くもなく、嫌でもなく、
ただそれは大好きなおじいちゃんが寝ているのと同じ。
でも、そのおじいちゃんは動かず、声も出さない。
2度と名前を呼んでくれることはないと思うと、悲しかった。

今でもこの日のことを思うと涙が出る。
未だに、おじいちゃんの話をしては涙を流している。
会いたいと思う。

入院してしばらくたった6月に入った頃、
容態が少しよくなった頃私が病院へ行くと、
おばあちゃんが
「二十歳のお祝い、おじいちゃんからやで」
と、1万円をくれた。
5月は私の誕生日だったのだ。
おじいちゃんからの最後のお祝い。
今でもその1万円は実家の引き出しにしまってある。

私のかばんにはいつもおじいちゃんと一緒に撮った写真がある。
今でもおじちゃんは一緒にいて、
私たちを守ってくれていると信じている。





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Last updated  2005年08月10日 18時30分24秒
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