オキナワの中年

オキナワの中年

面影と連れて/目取真俊


 全編女性の一人語りで構成されたこの作品の文体は、一見すると戦後生まれの沖縄女性の言葉遣いを忠実に再現した俗語的な表現でありながら、同時に高度に様式化されている。それはゴーゴリの「外套」あるいは泉鏡花の「化鳥」などを彷彿(ほうふつ)とさせる水準に達しているといっても差し支えなかろう。随所で語られる沖縄の自然の鮮やかさは、読むものを引きつけ、止むことがない。水の流れ、日差し、御嶽(うたき)の鳥や小さな虫すら、まるで眼の前に実在するかのように立ち現れている。沖縄戦への言及が拒否されているのも、この作品の特徴である。戦争は既に語り得ぬ過去として完全に封印されてしまっている。逆に語り得ないからこそ、その沈黙はあまりにも重い。
 作品は、昭和三十(一九五五)年前後に生まれた、ある薄幸な女性の生涯である。皇太子来沖中の火炎瓶投下事件や、海洋博に対する期待の大きさとその後の幻滅など、生々しい復帰後の現実が語られつつ、同時に寓話(ぐうわ)であり、幻想小説である。寓話でありながら、寓意が明らかでないという目取真文学の特徴は、この作品でも大きな謎(なぞ)を投げかけている。


 例えば名前すら与えられない主人公を、沖縄そのものの象徴であるということはたやすい。しかし彼女は同時に男たちの欲望の対象としての女であり、いじめの対象であり、さらに家族の疎外を引き受ける存在であるという、現代社会の普遍的な問題を、小さな体で引き受けている。そしてその疎外ゆえに、彼女は死者と語り合うという特権的な能力を持っているのだ。すなわち彼女は徹底的にリアルでありながら、むしろそれゆえに幻想的であるという希有(けう)の存在なのである。


 さらに読者に衝撃を与えるであろう、この作品のあまりにも酷薄な結末は、幻想が現実を救えるか否か、という厳しい問いかけを発している。(大野隆之・沖縄国際大学助教授)


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