オキナワの中年

オキナワの中年

沖縄文学と方言



 近代沖縄文学における方言使用は、感性的で具体的な方言と、公式的で抽象的な共通語との言語的な距離に葛藤(かっとう)してきた。


 早くは山城正忠の「九年母」(明治四十四年)にみられるが、ニュアンスを伝える程度でしかない。大城立裕は「亀甲墓」(昭和四十一年)で実験方言と称し、方言使用を試みた。これは沖縄を描くというテーマ論的な要求と、本土に理解される作品を書くという意思との、折衷的な形態だと言える。


 東峰夫の「オキナワの少年」(昭和四十六年)は既に半ばヤマト化されてはいるものの、当時のコザの会話をかなり忠実に再現して、表現者たちに大きな衝撃を与えた。漢字とルビという日本語ならではの表現法を工夫し、その後の沖縄小説に多大な影響を与えている。


 近年、会話部分における方言使用はかなりスタンダードになってきているが、当初の切実さを失い、誤った形で無反省に用いたり、もしくは単に沖縄らしくするためというような安易な使用に対する批判も出ている。



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