オキナワの中年

オキナワの中年

0~10



 注文原稿全て終わって、今日から自分の好きなことが出来る。で、ウルトラマン研究。私の肩書きでは特撮とか、そういったことを論じても誰も相手にしてくれないので、シナリオ論ということになる。
 現在の手持ちの資料は非常に貧弱なので、しばらくは先行研究の確認。

『ノンマルトの使者』金城哲夫、宇宙船文庫 1984.9
これはチャチイ。確かもうちょっとちゃんとした選集があったと思うので、チェック。

『ウルトラマン昇天』山田輝子 朝日新聞社 1992,8
金城の伝記。実はまだ読んでいない。参考文献欄充実。

『ゴジラとヤマトとぼくらの民主主義』佐藤健志 文芸春 1992,7
 サブカルチャー論の先駆的論考。内容おもしろい。この人がその後何か書いていないかチェック必要。

「私の思い出・戦争・金城哲夫・ウルトラマン」 上原正三 『うらそえ文芸』第8号 2003,5

 他に『ウルトラマン研究序説』というのを持っているが、これは完全にパロディー本。空想科学読本系と同じなので、却下。ウルトラマンの場合出版件数自体は異常に多いので、その中からいかに有効な情報を拾い上げるかが重要。

初日はこんなものか。


☆ウルトラマン研究1 6月5日(木)

略年譜作成

1937 昭12 上原正三誕生
1938 昭13 金城哲夫誕生(東京)父、忠栄 母、ツル子
1945 昭20 敗戦
1952 昭27 サンフランシスコ講和条約
1954 昭29 金城上京、玉川学園入学
1956 昭31 上原中央大学文学部入学
11962 昭37 金城「絆」(TBS純愛シリーズ)でシナリオデビュー。俺が生まれた年
1963 昭38 金城円谷プロ入社、企画課長
1964 昭39 「WOO」放送予定→中止
1966 昭41 1月2日~7月3日 「ウルトラQ」第28話はS.42.12.14
        7月17~42年4月9日 「ウルトラマン」
1967 昭42 10月1日~43年9月8日 「ウルトラセブン」
1969 昭44 金城円谷プロ退社、帰沖。上原も退社、フリーに。
1971 昭46 4月2日~昭和47年3月31日 「帰ってきたウルトラマン」
       上原チーフライター。
1972 昭47 沖縄本土復帰
1976 昭51 金城没(37才)

 これを作ると何となく安心する。60年代はもう少し精密化する必要がある。

 追加資料
『金城哲夫の世界 脚本集[沖縄編]』金城哲夫の世界実行委員会編 1993,2 パナリ本舗
 「沖縄編」ってことは「ウルトラ編」もあるのか?なんかなさそう(涙)。明日調べてみよう。「金城哲夫作品一覧」は充実。文献目録も良い。

『金城哲夫 ウルトラマン島唄』上原正三 1999,10 筑摩書房
 除籍くんもお薦めの一冊。場合によると上原氏に焦点を当てる可能性もあるので、その意味でも重要。
 以上2冊はうちの図書館にあったもの。

ネット
ウルトラQ
http://homepage2.nifty.com/ultraq/

帰ってきたウルトラマン
http://www.geocities.co.jp/Technopolis/5418/

初期ウルトラマン総合サイト、優秀
http://homepage3.nifty.com/umt/index.htm

 サブカルチャーの場合ネットも侮りがたい。上記はいずれも充実。何度も訪れることになるだろう。

その他、未入手のうち気になるもの

「沖縄を愛したウルトラマン・金城哲夫の生涯」玉城優子『沖縄タイムス』連載らしい。レファランス不十分だが、これは簡単に手にはいるだろう。

『怪獣使いと少年』切通理作 1993、7 宝島社
 初期ウルトラマンを代表する四人のライター(金城哲夫、佐々木守、上原正三、市川森一)について書いてあるらしい。切通氏というのは小林よしのり批判や、軽い恋愛本などを書いている人だと思うが、予断は禁物。タイトルからいっても、絶対スルー出来ない。ただ宝島社か・・・いやな予感がするな。このために国会に行くのは避けたい。

『GARVE 特集・ウルトラマンを作ったウチナーンチュ金城哲夫』 1993,7
『GARVE』などという雑誌は知らんぞ。まあ県内出版社らしいのでこれは何とかなるだろう。

実相寺昭雄など関係者の著作。多分スルーでも大丈夫だと思うが、最終的にはチェック。

それから朝日ソノラマ系のムックの中にも時々侮りがたい批評が書かれているので要注意。


☆ウルトラマン研究2 6月6日(金)

 今日は会議ばかりでほとんど何も出来なかった(涙)。

『帰ってきたウルトラマン』10話「恐竜爆破指令」11話「毒ガス怪獣出現」12話「怪獣シュガロンの復讐」のビデオを借りてきた。主な目的は金城最後のウルトラもの11話を見るため。しかし10話の上原も結構問題作。まるでウルトラマンコスモスである。シーボーズ(ウルトラマン)→ステゴン(帰ってきた)→ムードン(コスモス)という系譜なんだろうな。さらに途中見ていないシリーズに、似た構造もあるのかもしれない。しかしこれじゃあ、完全にオタクの知識比べになっちゃう。立論相当慎重にやらないと、だめだな。

 追加資料
『帰ってきたウルトラマン大全』白石雅彦・荻野友大編 2003,1双葉社
 この本は本気である。びっちり二段組みで323ページ。「帰ってきた」で、ここまでやるか?まだ少ししか読んでないが、データーはおそらく完璧。時代状況に関する細かい補注も好感。カラー図版は少ししかなく、完全に大人の読者を想定している。帯には「徹底した取材とプロファイリングで、全ての論争に終止符を打つ」とあるが、あながち大げさではない。
 私はサブカル研究本を甘く見ていたが、実際にはここまで来ていたのか。ちなみにこの「大全」シリーズは、既に17冊出ている。『電人ザボーガー大全』なんて言うのもこの水準で作られているのだろうか?売れるのか?っていうか、そもそも「電人ザボーガー」って何なんだ?

 最初からマジではあるが、これは相当腰を据えてかからねばならない。 


☆ウルトラマン研究3 6月8日(日)

 『帰ってきたウルトラマン大全』必要箇所はおおよそ読了。
 この本のスタンスは2つあり、一つは「作品」を、スポンサーや局、何より恐ろしい視聴率といった外的な力と、プロデューサー・シナリオライター・監督など内部的な力との葛藤の中でとらえるという方法論である。これはサブカルチャーを論じる際の一つの王道とも言えるものだろう。実際には文芸作品なども、編集との葛藤とかあるのだが、大家ともなればほとんど自分の意志を貫けるのであり、事情は大分違う。例えば金城の「意図」があったとしても、それが完成作品にどのように表現されたかは別問題である。この問題については慎重に考える必要があるだろう。
 本書の二つ目のスタンスは、「真剣なオタク」という面である。オタクの視線は、細部へと向かう傾向がある。特に映像的な演出にはうるさい。この面は例えば「水戸黄門の映像にタイヤのあとが見えた」的な、細かな(そうでもないか)批判に向きがちで、全体性を見失う危険があるようにも思えた。

追加資料
『怪獣学・入門』 町山智浩編 JICC出版局 1992,7
うっけ氏推薦。古本屋で発見。好著。赤坂憲雄あたりが書いている。佐藤健志氏の論考は「ゴジラと・・・」のダイジェスト板。ここから推測すれば、切通氏の論考も、「怪獣使いと少年」入手までのつなぎに使えるだろう。

ウルトラマン研究4 6月9日(月)

4-0
 『帰ってきたウルトラマン大全』はしっかりした本ではあるが、実際にビデオと照らし合わせると、「ほめすぎでは?」という印象が強まる。この本自体がDVD発売記念、という側面を持つことに留意しなければならない。

4-1
 「帰ってきたウルトラマン」のビデオ。メモ

11「毒ガス怪獣出現」(金城)
 戦争被害者を思わせる被害者達。映画「ひめゆりの塔」との類似。
 1969年沖縄基地内におけるガス漏れ事件を素材にしたと一般的に言われるが、シナリオでは旧日本軍が強調される。怪獣とともに毒ガスも克服された、ということだが、これは金城にとって沖縄戦が克服されたという解釈でいいのか?
 高校の友人達の多くが東京大空襲を経験しており、戦争体験という意味では、特権的とは言えない。戦中世代の、70年前後のイメージはもう少し確認する必要がある。彼らは「戦争体験」というステロタイプ化を受ける以前の、「私の体験」を持っていた場合が多く、必ずしも「唯一の地上戦」を神話化する地点にはいなかったと思われ、当然金城もそれがわかっていたと思われるのである。

12「怪獣シュガロンの復讐」(上原)
 「恐怖のルート87」「まぼろしの雪山」(ともに金城)を足して2で割ったような内容。しかも「まぼろしの雪山」の方がはるかに優れている。そもそも「帰ってきた」は全体的に二番煎じという印象を持っていたが、今およそ30年ぶりに見返して、その感が強まる。

37「ウルトラマン夕日に死す」38「ウルトラの星光る時」(上原)
 少年時代ブラックキングの強さだけが印象に残っていた作品であるが、今見てもそうである。ほとんど「セブン暗殺計画」(藤川桂介)の焼き直しであり、前作に数段劣るという点も同様。37話のショッキングな内容はともかく、後編38話は、愚作と断じてもいいのではないか?

 肝心の「怪獣使いと少年」を見直していないので、予断は禁物だが、「帰ってきたウルトラマン」は「ウルトラマン」「ウルトラセブン」に質的には遠く及ばない、という子供時代の印象が、強められる。これもまた一般的なとらえ方ではあるが、上原は金城に遠く及ばないという印象も強固なものになってきた。

 実はその数奇な生涯から神格化されている金城哲夫より、上原に光を当てた方が「沖縄とウルトラマン」の本質により近づけるのではないのか、というアイディアもあったし、「セブン」最高傑作説を相対化しようという意図もあり「帰ってきたウルトラマン」にしばらく傾注したが、これほど歴然とした差があっては、「帰ってきた」が論ずるに値するのか、どうか、根本から考え直す必要がありそう。

4-3『怪獣学・入門』ほぼ読了
 おもしろい。特に會川昇、佐藤健志、切通理作の金城観の違いに興味をもった。その背後に、各自のイデオロギーがある。

 佐藤は『諸君』に掲載しているだけに、反戦後民主主義の姿勢が顕著である。日本人の甘え、およびウルトラマン=米軍説は、非常に説得力があるのだが、ウルトラセブンの最終回に即して「(アメリカは)これまでのような覇権国としての負担には耐えられなくなってきているのである」などという部分は、本人、今読み返したら恥ずかしいだろうな。今や暴走し始めたウルトラマンをどう鎮めるかになっています。

 切通氏はいじめられっこだった自己の体験から出発するあたり、ある種のすごみを感じる。沖縄への思い入れもよくわかる。しかし沖縄へのまなざしが典型的なオリエンタリズムになっている点が、何とも皮肉である。上原正三へのインタビューに依存度が高いが、上原の沖縄観じたいが、故郷を長く離れたウチナーンチュのステロタイプになっていることに、この時点では気づいていない感じである。『怪獣使いと少年』アマゾンに発注した。なんかたたきがいがありそうで楽しみである。

 會川は同じ脚本家という立場から、興味深い主張を行っている。金城のシナリオに作家性が乏しい、という指摘である。上原(差別問題)や市川(キリスト教)という明確な主張に対して、金城ははっきりした主張をしないというのである。これはあるいはそうなのかもしれない。沖縄という状況から出発した作家が、なぜ全国の子供達を引きつけるような番組を生むことが出来たのか、という問題のヒントがありそうである。

 その他、オウム事件で失脚してしまう島田裕巳であるが、古代以来のヒーローとウルトラマンを比較していておもしろい。確かにヤマタノオロチを倒すのはスサノオなのであって、佐藤が問題とする「なぜウルトラマンは宇宙人なのに命がけで地球を守るのか」という問い自体が、非常に近代的なものなのかもしれない。桃太郎もそうだが、怪物を倒せるのは外部から来た存在なのだ。


☆ウルトラマン研究5 6月11日(水)

『ウルトラマン昇天』読了

 立派な本である。高校時代の先輩という因果だけで、七年もかけて取材するとは。七年といえば、私の沖縄文学研究の全期間と同じである。

 金城哲夫の場合、本当に人生そのものがドラマチックなために、逆に作品そのものに対しての言及が減る、という傾向があり、本書にもその傾向はある。特に「セブン」の期間は、苦悩の方に重点が置かれ、作品そのものは軽視されている。確かに「セブン」は初期ウルトラマンのなかでは視聴率が低かった。が、これは初期「ルパン三世」と同じことで、繰り返される再放送ののべ視聴率という観点から言えば、驚異的なものになるのでは無いだろうか。さらにインパクト率というものがあるとするなら、これも相当高いと思われる。

 視聴率というのをどう考えるのか、難しいところである。社会学的な関心から言えば、当然高いほど注目すべき作品と言うことになる。ことにウルトラマンの40%というのは異常であり、議論の対象となるのはよくわかる。
 一方文学研究の対象は、視聴率的なとらえ方から言えば、それほどでも無い作品が多い。むしろベストセラーというのは時代に対する過適応という傾向があり、時代が変わると急速に色あせていくケースが多い。今日日「何となくクリスタル」(田中知事)を論じるということは、文学研究では考えにくい。社会学的には有りだと思うが。

 今後どう進めるか、よく考える必要がある。大衆の無意識の反映という社会学的なスタンスを取るべきなのか、あくまで表現という水準にこだわるのか。

追加資料
http://www7.gateway.ne.jp/~okhr/
ウルトラセブン。よく読んでいないが、一見して本気度の高いページ。


☆ウルトラマン研究6 6月14日(土)

略年表ver.2.0

1937 昭12 上原正三誕生
1938 昭13 金城哲夫誕生(東京)父、忠栄 母、ツル子
1945 昭20 敗戦
1950 昭25 朝鮮戦争
1952 昭27 サンフランシスコ講和条約
1953 昭28 「ひめゆりの塔」(東映)
1954 昭29 金城上京、玉川学園入学。「ゴジラ」(東宝)
       アイゼンハワー一般教書「沖縄を無期限管理」
1955 昭30 由美子ちゃん事件(沖縄)
1956 昭31 「もはや戦後ではない」(経済白書)
       朝日新聞「米軍の『沖縄民政』を衝く」キャンペーン
       水俣病、公式確認(熊本県)
1957 昭32 スプートニク一号(ソ連)
1958 昭33 「月光仮面」(東映)「地球は青かった」(ガガーリン)
1959 昭34 皇太子(現天皇)ご成婚。『週刊少年マガジン』創刊
1960 昭35 六〇年安保、四日市ぜんそく問題化
1961 昭36 「モスラ」(東宝)
1962 昭37 金城「吉屋チルー」。「絆」(TBS純愛シリーズ)でシナリオデビュー。
       俺が生まれた年、キューバ危機
1963 昭38 金城円谷プロ入社、企画課長
       アニメ「鉄腕アトム」
1964 昭39 「WOO」放送予定→中止 東京オリンピック
       テレビ受像器一千万台突破
1965 昭40 米、北ベトナム爆撃
       いざなぎ景気(~70)
       佐藤ジョンソン共同声明(1)、佐藤首相訪沖(8)
1966 昭41 1月2日~7月3日 「ウルトラQ」第28話はS.42.12.14
        7月17~42年4月9日 「ウルトラマン」
1967 昭42 10月1日~43年9月8日 「ウルトラセブン」
       「カクテル・パーティー」芥川賞受賞
1968 昭43 「明日のジョー」
1969 昭44 金城円谷プロ退社、帰沖。上原も退社、フリーに。
       佐藤ニクソン会談72年返還を合意
       沖縄基地内でガス漏れ事件(7)、米軍毒ガスを撤去と発表
       アポロ11号月面着陸
1970 昭45 大阪万博、70年安保
1971 昭46 4月2日~昭和47年3月31日 「帰ってきたウルトラマン」
1972 昭47 沖縄本土復帰。浅間山荘事件
       「成長の限界」(ローマクラブ)
1973 昭48 第四次中東戦争、オイルショック
1974 昭49 ゴジラ対メカゴジラ
1975 昭50 海洋博
1976 昭51 金城没(37才)

 少しそれらしくなってきた。

時代背景

1,高度経済成長。初期ウルトラマンの放映期間はいわゆるいざなぎ景気にあたる。テレビ受像器の急速な普及なしには、ウルトラシリーズは成り立たなかった。

2,科学の夢と挫折。スプートニクに始まる宇宙開発競争は、「人類」そして科学の限りない可能性を示していた。国内においては新幹線の開業など、科学がやがて「人類」に限りなき未来を約束するという幻想を与えた。その総決算ともいえる大阪万博のテーマは、「人類の進歩と調和」であった。初期ウルトラシリーズにもしばしば「人類」という言葉が使われる。また特撮それ自体が、テクノロジーによるものであり、この時期の円谷プロに関する記述に必ず登場するのが、「オプチカル・プリンター」という象徴的な機械である。

 一方でいわゆる四台公害病の問題が顕在化するのもこのころである。公害病とは科学が「人類」に牙をむいたことを意味する。この矛盾も初期ウルトラシリーズを成り立たせる重要な要因である。

3,東西冷戦と学生運動
 宇宙開発とは単なる科学の問題ではなく、東西冷戦の一部を担っていた。初期ウルトラシリーズがベトナム戦争と重なっていることは重要である。
 さらに国内では学生運動が活発化し、ウルトラシリーズを担った若いスタッフ達の多くは、デモ等に参加した経験を持つ。
 ウルトラシリーズでは基本的に「人類」同士の争いは既に克服されているという前提に立っている。すなわち一方では科学の矛盾、環境問題等社会的な要因を取り上げながら、「人類」同士の争いは少なくとも表面には出てこない、というのがこのシリーズの特徴である。

4,沖縄問題
 一般に本土における沖縄問題を顕在化したのは、朝日新聞によるキャンペーンであるとされている。初期ウルトラシリーズは、祖国復帰闘争と時期的には重なっている。さらに主要なメンバーである金城がウチナーンチュであった、というのがこの研究の主要なモチーフである。


☆ウルトラマン研究7 6月16日(月)

ウルトラマンとは何であったか。

0.まあM78星雲の「光の国」から来た宇宙人なのであるが、このこと自体にそう大きな意味は無い。問題はほぼ無償の行為として、地球人を助けてくれるウルトラマンとは何者なのか、ということである。

 例えばウルトラマンに先立つ「鉄人28号」はあくまで機械であるし、ほぼ同時期に放映されていた「マグマ大使」は地球の精であるから、人間もしくは地球のために戦うのは当然である。

 ウルトラマンが人間のために戦う動機は、公開された作品から見る限り2点である。一つはうっかりとハヤタ隊員と接触してしまい殺してしまったこと。二つめは「光の国」に帰る手段が無いこと。しかしこれは命がけで戦う動機としては不十分であり、それゆえこの問題に対する説は多くある。本当はまだ内容を検討するためには先行文献の収集が不十分なのであるが、ある程度まとめておく。

1.ウルトラマンは神である。
 シリカゲル氏は「ウルトラマンは神である」と主張している。
http://homepage3.nifty.com/umt/um1.htm
 実際古代の地球でウルトラマンが「神」として信仰されていたらしい事は、第七話「バラージの青い石」(金城、南川竜)で示される。

2,ニライカナイの神
 『ウルトラマン昇天』において、山田輝子氏は、上原輝男教諭(後、玉川大学教授)の金城哲夫に対する影響を重く見る。上原氏はニライカナイの神が「土地に棲む、人間に害悪を及ぼす精霊達を服従させるためにやってくる」と言ったらしい(p.30)。

*この件、もっと詳しく調べる必要がある。残念ながら現時点では、そのような説話についてもチェックしていない。

 さらに山田氏は、金城の戦争体験をふまえ、次のように論じている。
「(沖縄戦中)彼はいまかいまかと救世主の出現を待ち望んでいたに違いない。おばあさんの昔語りに聞いたニライ・カナイからくるという神は、こんな時に現れるのではなかろうか」(p140)
「それ(最終回のエピソード)はニライ・カナイから訪れたまれびとが人々に祝福を与えたのち、ふたたび遠い南の空へ帰っていく姿を連想させた。このシリーズが神秘性をただよわすのは、ウルトラマンがまれびとだからではなかろうか」(p.141)

3.ウルトラマンは宇宙の米軍である
 この説は佐藤健志氏が『ゴジラとヤマトとぼくらの民主主義』において主張し、後に非常に有名な社会学者、大澤真幸氏が『戦後の思想空間』(1998.7 ちくま新書)で、肯定的に引用したものである。これは比較的よく読まれた本であるから、インテリの間では、もっとも流通している考え方かもしれない。
 大澤氏は大変立派な学者であるが、少なくともウルトラマンの記述については結構いい加減である。私より四才年上の大澤氏は、少年時代の記憶にのみ基づいており、おそらくビデオ等により再確認はしていない。
 佐藤氏は大澤氏よりは本気度が高い。佐藤氏は金城が「強い者が弱い者をやっつけるというのは間違っていますよね。僕は、もっと人間の優しさを作品の中で表現したいんですよ」と語っていたこと、さらに琉球ナショナリズムと本土へのあこがれを強く持っていたことに出発する。これを両立させるのが、「善意の強者」という概念である。
 沖縄を日本が助ける(金城)。日本をアメリカが助ける(当時の日本国民)。この同床異夢が、初期ウルトラマンの爆発的なヒットにつながった。すなわち「善意の強者」=ウルトラマン=米軍、という事になる。
 ここで注意すべきは、金城がウルトラマン=米軍と考えていた、というわけではなく、金城の博愛主義的な世界観がウルトラマンという、「善意の強者」を生み出し、それが防衛をアメリカに全て依存する日本人の心情にマッチした、ということである。

4. 今日の所は、諸説の紹介だけで、自分の考えはあまり書かない。これら諸説を考察するためには、まだまだ準備不足である。

4.1 ニライカナイについて、まだ本気で勉強していない。

4.2 佐藤氏が根拠とする 向谷進「ウルトラマンの死」『中央公論』88.5 を入手していない。キーワードとなる「強い者が弱い者をやっつけるというのは間違っていますよね・・・」というセリフは、手持ちの他の資料には載っていない。

おまけ
 どうでもいいこと。「帰ってきたウルトラマン」は最近の子供向けの本では「ウルトラマン・ジャック」と言う名前になっている。いつからなのか、と思っていたが今日ようやくわかった。
 現在、円谷プロの公式設定では、「帰ってきたウルトラマン」の本名はジャックとなっている。しかし、この呼称が初めて使われたのは、1984年の映画「ウルトラマンゾフィー」においてであった。


☆ウルトラマン研究8 6月17日(火)

1:メモ

 ウルトラマン=神について
 この場合、怪獣も神である。荒ぶる神。
 フォークロア的構造。ウルトラマンと怪獣とは、人間(日常)から見た非日常の二つの面である。鏡花風に言えば観音力と鬼神力。ウルトラシリーズは現代のフォークロアである。

 まあこれはあっているのだろうが、さんざん言い尽くされている感じ。ただ商業的な制約性と絡めると、新しい視点もあるのか?

 初期の金城の構想では、ヒーローは宇宙人ではなく、もっと土俗的な存在であった(ベムラー)。フォークロア的構造としてはこちらが落ち着く。すなわち同じものの光と闇。

 宇宙人としての「ウルトラマン」における本質的な問題は、対宇宙人よりも、対怪獣にあると思われる。人間も怪獣もウルトラマンからみれば地球の生命体である。いわば地球における「内戦」に、宇宙人が介入するという図式。
 これを乗り越えるのは、カントの「理性的存在」という概念か?
 ヒューマニズム=人間中心主義の、無批判の導入。

 ちょっと無理筋だが、キリスト教的な世界観に立つと、ハヤタは神の子イエスということになる。

 ウルトラセブンの「敵」はほとんど全てが宇宙人であるため、仮にセブンを普遍的宇宙法における正義の執行者という前提に立てば、ウルトラマンの持っていた問題は無くなる。その代わり、地球人が必ずしも正しくない場合においては、事態は深刻になる。

 (例)ギエロン星獣の復讐は、宇宙法上妥当である。ウルトラセブンは黙認、むしろこの場合はギエロン星獣の支援に回るべきである。
 反対論。何の罪が無くても、街に逃げ出した猛獣は射殺されるべきである。家庭内のゴキブリは駆除すべし。またヒューマニズム。
これが「ノンマルトの使者」の一つの問題。

 「美しい地球」=地球は青かった。
 宇宙人が侵略する場合の基本的動機。スペクトルマンのゴリもこの動機。これは地球ナショナリズムのためには有効な視点。宇宙船地球号。希有に美しい青い惑星。

2,新着資料
向谷進「ウルトラマンの死」『中央公論』88.5
コピー

3,新規注文資料
『ウルトラセブンアルバム―空想特撮シリーズ』
竹内 博 (Editor)
¥2,800 - 数量: 1

『小説ウルトラマン』
金城 哲夫 (Author)
¥840 - 数量: 1

『ウルトラマンの東京』
実相寺 昭雄 (Author)
¥780 - 数量: 1

 アマゾン。手軽すぎて癖になりそうで怖い。


☆ウルトラマン研究9 (1) 6月18日(水)

またメモ。ちゃんとした文章にするには、相当時間が必要。

*佐藤健志氏の論を批判的に発展させようとしたページ発見。
http://www.asahi-net.or.jp/~ug5k-tki/ob&og/seven1.html
 ただこれは未完成のため、ずうずうしくもメールで質問したところ、大変丁寧な返事をいただいた。川端氏に感謝。

*金城、断片的(おそらく)重要な資料

「ベムラー企画案」(1965、夏から秋)
「(前略)シリーズのヒーロー”ベムラー”は大きさ自由自在、必要に応じてゴジラの大きさにもなるという万能選手で、窮地に立った科学特捜隊に協力して、宇宙からの侵略者や原始島と呼ばれる太古の島からやってくる恐るべき怪獣を相手に壮烈な大合戦を演じるのです。(中略)神風のようなモンスターで、何処からともなく姿を現わし、隊員達のピンチを救い、風のごとく立ち去る。(中略)面白いことに、隊員たちが、ベムラーの登場を頼みにしている時は姿をみせず、ベムラーのことを忘れ、敵と必死に戦い闘って、破れかけた時に忽然と出現する」(「ウルトラマン島唄」p116)

 「カラス天狗風のベムラーには、金城が玉川学園で学んだ民俗学、伝承や土俗信仰に登場する精霊やまれびとなどの雰囲気あったからだ」(上原)
「大地パワーで地球を守るヒーローなんです」(金城)(ともに「島唄」p.117)

 TBSからの要請で、宇宙人の設定になるわけだが、この変更によって様々な矛盾が出てしまったように思う。能力・属性の面では、ベムラーとウルトラマンは全く同じである。が、大地の精霊のままだとわずかに先行した「マグマ大使」にあまりにも近づくことになったとも思う。
 あと、「神風」という比喩にも注目。

 先輩ライターへの説明
「神じゃないんです。困ったな。ウルトラマンは人の心が呼び寄せるものなんです。(中略)ですから初めから怪獣をやっつけに来るんじゃ無いんです。人間を守るために現れるんです。そうなんです。殺し屋ではありません。ウルトラマンは殺し屋ではありません」(「島唄」p129)

 それってやっぱほとんど神じゃないか、と聞きたくなる。

ウルトラマンのデザイン・成田亨
「怪獣はカオス、ウルトラマンはコスモス(中略)弥勒菩薩、百済観音など最高級の仏像が単純であるように、ウルトラマンからもカオス的要素を徹底して取り除いていった。」出典は成田亨『特撮と怪獣・わが造形美術』フィルムアート社、(「島唄」p128)

 こんな時期から後の「ウルトラマンコスモス」の発想ってあったんだなあ。

 「帰ってきたウルトラマン」18話「ウルトラセブン参上」中、ウルトラマンが太陽に焼かれそうになる場面について。
 「ことの真偽はともかくとして、このシーンに金城哲夫は憤激したと伝えられている。彼にとってウルトラマンは太陽の子、神の子なのだ。だから親である太陽が子であるウルトラマンを殺すはずがないという言い分だったらしい。これは明らかに沖縄人とクリスチャンの神の捉え方の違いである」(『帰ってきたウルトラマン大全』p97)

 ティダヌファかあ。興味深いけれど「真偽はともかくとして」が気になる。ティダヌファってそもそも王様のことだし。それから沖縄人と神といっても、キリスト教のような明確な枠組みはない。


☆ウルトラマン研究10 6月19日(木)

資料、沖縄方言語彙リスト。見落としの可能性大、お気づきの点は掲示板までよろしくお願いします。

ジラース:次郎主、次男という意味ではなく「おじさん」という意味。
マン「謎の恐竜基地」(第10話、金城)66.9.18
 これは金城シナリオで、唯一の沖縄方言怪獣。偶然とは考えにくい。ゴジラという円谷の看板怪獣の改造だけに、何か深い意味もありそう。

チブル星人:頭
セブン「アンドロイド0指令」(第9話、上原)67.11.26
 一番有名な用例。私はかつて「琉球新報」紙上で、金城シナリオという前提で書いてしまった。
http://plaza.rakuten.co.jp/tohno/003015
 この場を借りて、お詫びして訂正します。苦情電話はなかった、と思うが、万が一再録する際には、例をジラースにしよう。

ユタ花村:ゆた 沖縄・奄美諸島に古来から存在する民間の巫女・霊能者。運勢の吉凶を見たり、死者の口寄せ、先祖事などの霊的相談に応じる。女性である場合が多い。
セブン「蒸発都市」(第34話、金城)68.5.26
 除籍くんが教えてくれた。これはもう間違いなく、鉄板で意識的。ダンカンは日本語を話せないわけではないので、わざわざ設定された人物。この時期の金城の心情を考える上で重要。

ザンパ星人:地名、残波岬、読谷村の景勝
セブン「月世界の戦慄」(第35話、市川森一)68.6.2
 これは市川シナリオだけにやや疑問。偶然かも。こういうのを有りにするとバンダ星人(佐々木守)なんかも強引に入れられそう。バンダ(通常はバンタ)、海に面した崖のこと。

ヤナカーギ:不美人を指す。ちゅらさんで有名になったチュラカーギの対語
ティガ「ウルトラの星」(第49話、上原)97.8.9
 zookさんが教えてくれた。金城が物語内に出て来るという、重要なシナリオ。すぐに見なくては。

いわゆるアカデミズム系のウルトラマン論
http://www.law.keio.ac.jp/~hagiwara/ultraindex.html
萩原能久氏『ウルトラマン研究序説』の執筆者の一人。慶応大法学部教授。ポパーやハイエクの専門家のようである。

岩田功吉「さまよえるウルトラマン」(東京大学出版会『UP』1995年2・3月号)
専修大学の講師らしい。 詳細未詳。



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