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オキナワの中年
金城哲と沖縄ー「ウルトラQ」を中心として
金城哲夫と沖縄ー「ウルトラQ」を中心として
大野 隆之
一、はじめに
「ウルトラマン」のチーフライターであり、初期ウルトラシリーズの中心人物であった金城哲夫が、ウチナーンチュ(沖縄人)であった、という事実は、現在ではよく知られている。むしろ近年金城を語る時に、「沖縄」がキーワードに入らないことは、珍しいくらいである。しかしそれらの論考を読む中でしばしば疑問に感じるのは、論者がいっている「沖縄」とは、一体何であるのか、という点である。「沖縄」、それは争いを好まぬ優しく純粋な人々が暮らす島である、もしくは、皇民化政策から地上戦を経て米軍基地に押しつぶされている気の毒な場所である。犯されたユートピア、そこからやってきた才能ある若者が、人々に夢を与え、去っていった。これは現在再生産されている新しいオリエンタリズムではないのか。
本稿は金城哲夫の初期作品、特に「ウルトラQ」のシナリオを中心に、多面性を持つ表現者であった金城において、「沖縄」がどのような意味を持っていたのかを明らかにしようとするものである。金城と沖縄の問題が論じられる時、しばしば「ウルトラセブン」第四二話「ノンマルトの使者」に収斂していく。地球の先住民族であったと主張する「ノンマルト」は人類とウルトラセブンの手によって殲滅されてしまう。この作品が描く正義の相対化は、単に子供向けのヒーローものという枠組みを越え、様々な分野で取り上げられているが、帰郷すべきか、という苦悩を持ち始めていた時期に書かれたこの作品については、あえて触れない。そうではなく最も仕事を楽しみ、相対的に自由に書いていた時期に焦点を当てることにより、金城哲夫という表現者の、多様な側面が明らかになるだろう。そして願わくは、金城にとっての「沖縄」そのものが持っていた多義性についてもまた明らかにしていきたい。
二、チーフライター・金城哲夫
金城哲夫はテレビのシナリオライターとしては、これまでも突出して語られてきたといえる。三冊も伝記が書かれる(一冊は連載のみで未刊行)ライターは、他に例を見ない(1)。この関心は、ひとつにはウルトラシリーズという、戦後サブカルチャーを代表する番組の黎明期をささえる中心人物であったということもあるが、没後、より注目を集めた理由は、その数奇な生活史にあると言えよう。東京生まれのウチナーンチュ。帰郷と戦争体験。高校から上京し、ウルトラQからウルトラマンの中心人物として、圧倒的な視聴率をあげる。ところが復帰目前の時期に突然の帰郷。晩年の苦悩と、三七才という若すぎる死。これはまさにドラマと言っていい。実際これまでの金城に関わる言説の多くは、突然の帰郷と悲劇的な死にあてられてきたと言える。向谷進のルポ「ウルトラマンの死」(2)や山田輝子による伝記『ウルトラマン昇天』(3)などのタイトルはきわめて象徴的である。
その一方表現者としての金城の評価は、単純な賞賛ばかりではない。例えば金城の後輩にもあたるシナリオライター會川昇は、次のように述べている(4)。
心引きつけられたのは、金城作品よりもむしろ上原正三氏や市川森一氏の作品であったことを告白して おくべきだろう。両氏の当時の作風は、若さがむき出しとなった意欲的なものであった。(中略)それらに共通しているのは、強烈な作家意識、テーマ意識である。(中略)金城の脚本は、基本的に作家主義の呪縛から大きく離脱している。
このようなとらえ方は熱心なファン達には共有されており、金城=明快な娯楽作品という見方は一般的である。マニアはよりテーマ性の高い作品を好む傾向があって、金城において、例外的に作家性が高いとされるのが「ノンマルトの使者」なのである。
會川は後に自らも他人の脚本に目を通す経験をすることにより、金城の評価がかわったと述懐しているが、この点は作家金城哲夫を考える場合において、あるいはテレビドラマという表現ジャンルを考える上で大きな示唆を与えてくれる。
金城は初期ウルトラシリーズにおいて、チーフライターの重責を担っていた。一話完結型の連続テレビドラマにおいては、しばしば複数のライターがシナリオを担当する。チーフライターとは自らの作品のみならず、他人のシナリオにも目を通し、全体的な設定と矛盾していないか等を確認する役割を持っている。さらに当時の関係者などの証言によると、金城は単にシナリオのまとめ役という枠組みを越えた、権限と責任を負っていたようである。例えばTBSの当時のプロデューサー栫井巍は次のように語っている(5)。
金城(哲夫)くんと基本路線を決めた。後は水戸黄門の印籠じゃないけども、何かあったら栫井がこういってると、彼に決定権を渡した。彼は脚本以外に現場の企画担当をしてましたから、その方が映画出身 のスタッフに通用すると思ったわけです。
また怪獣デザインを担当していた造形作家成田亨は「ほとんど金城哲夫さんと僕との相談だけで、デザインはどんどんいっちゃうわけです。一対一で」と回想している(6)。
金城は当時の一般的なテレビドラマの二倍から三倍という、莫大な制作費をかけた番組において、テレビ局と現場とをつなぎ全体を統括するという役割から、怪獣のデザイン決定という細部まで、ほぼ全般にわたって関わっていた。金城が実質的な初期ウルトラシリーズの原作者であるとみなされる所以である。
一方、マニア達の印象に対して、製作監督達は、違った角度から金城のシナリオを評価している。「ウルトラQ」の前身「UNBALANCE」の企画段階においては、後に直木賞作家となる半村良をはじめ、福島正美、光勢龍など当時のSF作家としてはそうそうたるメンバーが参加していたが、彼等の案について、長く「ゴジラ」の本多猪四郎のもとで助監督を務めた梶田興次は次のように回想する(7)。
日本SF作家協会の方々のアイディアはよかったんです。ですが、脚本になっていない一番大事なことは絵になるような脚本ですね。我々にはそれが一番欲しい。(中略)シナリオを誰に書かせるかっていうと、金城哲夫がかろうじてまぁ、シナリオらしい形に出来るくらい。
実際「UNBALANCE」の原案のうち、「ウルトラQ」において日の目を見た作品は、大半が金城によるものであった。このことはシナリオというものが、小説のように最終的には読者においてイメージ化される活字メディア、さらには最終的には演出による解釈を受けるとしても、原則として表現されたセリフは忠実に再現される戯曲とも異なる水準を持っていることを示している。シナリオとは具体的映像への過程である。金城同様沖縄出身のシナリオライター上原正三は、あるひとつの視覚的イメージから逆算して、物語を構築するという金城の方法、またその才能に対して驚嘆を示している(8)。
この方法論は、黎明期のテレビメディアにおいて成功するためには不可欠な要素だったと考えられ、事実金城は視聴率という数字を残した。が、本稿の議論においては、映像に対して物語が従属するという意味で、やはり作家性の希薄化という側面を否定出来ない。このような、ある意味「器用」なライターにおいて、自己の持つ「沖縄」という問題は、どこに行ってしまったのか。金城の才能のうち、最も注目に値する「多様性」という側面についても、同様の問題点がある。
三、金城哲夫の多様性
金城がシナリオライターとして、しかもひとつのシリーズを支えるチーフライターとして、最も重要視したのは多様性だった。次に示すのはしばしば引用される、円谷文芸部日誌(一九六六年四月四日)の一部である(9)。
娯楽映画とか怪獣映画とか言われるが、少なくとも我々は既成の概念で仕事をとらえ、マンネリで仕事をしてはならない。シナリオは特にそうだ。傑作とは、現状を打破しつ旧来のものにプラス・アルファの魅力をもたらした作品であると思う。娯楽であれ怪物であれ、作る側の情熱である。
これは「ウルトラマン」の企画段階から、いよいよ制作へと向かう時期のものであり、いわば「ウルトラマン」のチーフライターとしての決意表明といった意味のある部分である。比較的自由度の高かった「ウルトラQ」に対して、「ウルトラマン」の場合は、怪獣出現→戦闘→ウルトラマンの勝利、といった基本構造をふまえざるを得ず、当然「マンネリ」という危険が高くなる。しかも後年シリーズを重ねるに従い増加していった、ウルトラマンの能力や光学処理などの多様化によって戦闘場面自体を複雑化する、という手法は最初の「ウルトラマン」の段階では、まだそれほど用いられていなかった。必然的に毎回、これまで現れなかったタイプの怪獣が出現し、これまでに無いストーリーが試されなければならない。金城は、製薬会社が提供であるために「薬品」は用いられない、食事時の放映のため、グロテスクなイメージは使えない、といった様々の縛りの中で、怪獣がどのように出現するか、という部分に心を砕いていたようである。
現在、原案、シナリオ、サンプルストーリー等を一覧するなら、金城がどれほど多様化という才能に恵まれていたか、よくわかる。後年積み重ねられていったシリーズは、「ウルトラ兄弟」といったような大胆な設定変更を行い、変身後も人間としての価値観・判断力を有するようになるなど、基本設定では様々な試みがなされ、技術革新によって戦闘シーンなどは必然的に多様化、高度化していったが、一話のみを切り離した場合、その基本的な発想は初期ウルトラシリーズで出尽くしている、とみて差し支えないほどである。
先にも述べた通り、この多様性が、金城の作家性を希薄化させるひとつの要因となっている。例えばその多様性が最も顕著な「ウルトラQ」においては、人類の科学の進歩、宇宙開発に警鐘を鳴らすような「宇宙からの贈りもの」と、これに対して科学者の決断と新技術が事態を解決する「マンモスフラワー」との対立。あるいは周辺に追いやられる「怪獣」に限りない同情を示すように見える「五郎とゴロー」に対して、在地的には神とあがめられていた「怪獣」を人間の力で克服する「南海の怒り」。これらのモチーフは論理的には排中的であって、それ故にこそ単なるバリエーションではなく、本質的な多様性を生み出すことに貢献している。その一方、金城の真意はどちらだったのか、という疑問が生じてくる。これまでは、周縁への同情こそが、沖縄出身の金城の本音だとみなされることが多かった。しかし事態はそう単純ではない。
「ウルトラマン」においては、金城単独のシナリオとしては、ウルトラマンが直接怪獣を殺すことは少ない、といった指摘がある。これは事実である。しかしここから金城は「怪獣」に対して限りない同情を抱いていたと結論づけるのは早計であり、例えば「科学特捜隊」の任務に対する責任感を主なモチーフとする「オイルSOS」では、ウルトラマンは瀕死の「怪獣」にあっさりととどめを刺している。確かに一見すると「まぼろしの雪山」や「恐怖のルート八七」のように、「怪獣」を殺さないタイプの回の方が、金城の作家としての本音を示しているようにもみえる。しかし金城作品としてはこれまであまり注目されたこと無い「オイルSOS」にしても、金城にとっての切実なテーマだったのである。先に引用した四月四日の「文芸部日誌」には、前段がある(10)。
映画の仕事は各パートがそれぞれの責任の下に結集し、プロデューサーの進軍ラッパに歩調を合わせないかぎり、たとえ一歩たりとも遅れたら全体のバランスが崩れてしまう。コンバットではないが、映画の仕事は軍隊に似ている。一人のミスが全体を死に至らしめることを反省しないわけにはいかない。傑作といわれる映画のなんと少ないことか。
これは金城が「軍隊」という組織に、必ずしも単純な反感を持ってはいなかった事を示す貴重な資料であって、ここで提示されるチームワークの尊重は、そのまま「オイルSOS」のテーマになっている。さらにこれは「ウルトラセブン」における、軍隊という組織の中ではぐくまれる友情、というテーマにつながっていくのである。現在定説になりつつある「ウルトラセブン」の設定は金城の意に添うものではなかった、というとらえ方は、一面的に過ぎるように思われる。
「まぼろしの雪山」にみられるように、武力を持って「怪獣」を殲滅することに対する批判も金城によるものなら、軍事的な組織における責任感というのも金城によるものであった。片方が本音で、片方はチーフライターとしての職務というように、単純に割り切ることは出来ない。金城の多様性とは、単に職責から出たものではなく、その本質なのである。そしてこの多様性、もしくは多義性は「沖縄」というものにもむけられていた。次節では初期作品の中から「南海の怒り」をとりあげ、金城哲夫における沖縄の両義性をみることにする。
四、「南海の怒り」小論
円谷時代の金城哲夫にとって最も自由に書けたのは「ウルトラQ」の時期であろう。テレビ局サイドの要求として、原則として怪獣を出さなくてはならなくなり、当初の企画であった「UNBALANCE」に比べれば一定の制限を受けたのであるが、それでも必ずヒーローと怪獣との格闘を含まなくては成らない「ウルトラマン」「ウルトラセブン」に比べれば格段の自由度があった。
実際に放映された「ウルトラQ」完成版において、金城がシナリオを担当した作品は以下の通りである。
「五郎とゴロー」「宇宙からの贈りもの」「マンモスフラワー」「SOS富士山」「甘い蜜の恐怖」「クモ男爵」「ガラダマ」「ガラモンの逆襲」「一/八計画」「二〇二〇年の挑戦」(千束北男と共同執筆)「南海の怒り」「二〇六便消滅す」(山浦弘靖と共同執筆)
このリストは放映順であり、「ウルトラQ」は放映前に全て完成していたため、制作順とは異なっており、さらにシナリオの発想の順序に至っては不明な点も多い。従ってこの順序で、金城の発想が推移したものではないことを確認しておきたい。
これらのシナリオのうち、最も明瞭に沖縄との関連が現れているのは「南海の怒り」である。この作品は「ウルトラQ」の作品の中で、最も古い時期に企画されたもののひとつであり、「UNBALANCE」の企画書の段階で「大蛸の逆襲」として提案され、プロット集の「美女と大蛸」を経、「ウルトラQ」の段階で「南海の怒り」準備稿から決定稿へと至った。(11)
上原正三の『ウルトラマン島唄』では、「大蛸」という発想から「美女と大蛸」段階のストーリー展開を、金城が即興で形作っていく様が描かれているが、これは上原の記憶違いでないならば、いたずら好きだった金城が、一定の時間をかけて形成したものを、あたかもその場で思いついたかのように振る舞ったか、もしくは自分のシナリオの発想スタイルを上原にわかりやすく伝えようとしたものであろう(12)。
各段階の変化を概観するならば、最初期の「大蛸の逆襲」の段階では、単に巨大な蛸退治といったアイディアだけだったものが、「美女と大蛸」の段階において「コンパス島」という南海の孤島が設定され、恋人を失った美女の復讐譚の要素が加わる。この最初に「怪獣」のイメージを示し、そこから人間ドラマを構築していくという展開の仕方は、上原の前で即興として演じられたものと同様である。次いで「南海の怒り」準備稿の段階で、共に家族を大蛸に殺された、島の女性と日本人の漁師という対が出現するのだが、さらに重要なのは、「島の掟」というモチーフが付け加わったということである。準備稿には冒頭に次のような表現がある(13)。
南海の秘境に棲む悪魔のような大蛸に肉親を奪われ、復讐の鬼と化した若い漁師が、島の掟を破って彼に協力する美女と敢然と大蛸に闘いを挑む南海の物語
決定稿および、完成版はほぼこのプロットを踏襲している。ちなみにコンパス島という名称の島はアメリカ、メイン州ペノブスコット湾に実在するが、これはおそらく全くの偶然であり、戦前から同時代にかけて、日本でもしくはアメリカ映画などで、何度も作品化された「南島」のイメージを継承しているとみなしてよいだろう。決定稿には美女アニタの描写として「ドロシー・ラムーアのような瞳の美しい島の娘」とあり、直接的には映画「タイフーン」(Typhoon 1940 米)のイメージを受けていると見られる。
怪獣がしばしば「南方」から出現することについては、既に長山靖生の考察がある(14)。長山は明治から表現されてきた、南方オリエンタリズムをつぶさに追い、近代日本人の持つ原初的なユートピアへの憧れと、支配の欲望を指摘している。
映像としては出てこないのであるが、金城はウルトラQにおいて他にも南島を描いている。「五郎とゴロー」における「イーリャン島」がそれである。この島はかつて戦争に蹂躙されながら、現在では大猿(異形の他者)と共生している地上の楽園として描かれており、これはまさに長山の指摘するユートピアの表象である。
「南海の怒り」に表現される「コンパス島」も基本的には長山が数多く挙げている南方オリエンタリズムの表象をでるものではないのだが、ここに大きな問題がある。なぜなら山之口貘の代表作「会話」や、柳宗悦の民芸運動に見るように、しばしば沖縄は「南方」の範疇にあり、金城哲夫自身がウチナーンチュであるということである。すなわち金城はオリエンタリズムのまなざしを受ける立場でありながら、「南」を描いたということになるのである。
この作品において金城は、島民の名称として、かつての沖縄の男子の幼名として非常に一般的であった、タラー(太郎)、ジラー(次郎)を用いている。これは、金城哲夫の円谷シナリオにおいては、現在わかっている範囲では、最初のウチナーグチの使用である。金城は一見すると冒険あり、恋愛ありの痛快娯楽劇としか見えない「南海の怒り」において、当時としては(上原以外)誰も気づかないようなひっそりとした形で、「コンパス島」と沖縄を重ね合わせていたのである。
「コンパス島」が典型的な南方オリエンタリズムの表象として描かれていること、そしてそこに沖縄が重ね合わせられていることを確認した上で、「南海の怒り」をとらえ直すならば、そこには「近代化」への意志という、当時もなお沖縄が抱えていた問題が浮上してくる。この回の事実上の主人公「雄三」が、「航空自衛隊」(15)の支援を受けながら、島民にとっては悪魔であり、神でもあった大蛸、スダールを倒すのは、まさに前近代的なタブーを克服することになるからだ。「コンパス島」は「イーリャン島」と異なり、単なるユートピアではない。きわめて閉鎖的な空間であり、家族を殺した大蛸を神とあがめねばならないという「掟」に縛られている。しかしこの「掟」は必ずしも不合理なものとは言えず、作品中では「つまり、あの大蛸は外敵を防ぐ防波堤にもなってるってことだ。島の人たちは閉鎖的だが、平和は維持されている」と説明されている。つまり「スダール信仰」は近代的ではないが、それなりの秩序だったのである。そこに外部から訪れた存在が大きな革命を起こし、新しい秩序を作っていく。
完成版ではカットされているが、「南海の怒り」シナリオ末尾には「あの二人がコンパス島を楽園に作りかえる日が来るわ」というセリフがある。この場合の「楽園」とは言葉面だけみるならば、文明から遠く離れた理想郷ということになるのかもしれないが、作品全体構造からいえば、「雄三」の使命は広義の近代化という事になるだろう。作品内では、伝統行事である島の相撲大会で優勝し、次期島主として目されていたジラーが、大蛸との闘いで死亡するというモチーフがあるため、実質的には雄三が島の支配者に成ることは確実である。「南海の怒り」には王権の交代という神話的モチーフが含まれているのだ。雄三によって島民達はスダール信仰を克服し、人間がこの島の主人になるのである。
沖縄の人間は全て善良であり、そこには近代によって失われた豊かな人間性が存在するという、現在もう一度形成されつつある、新しいオリエンタリズムの視点から見れば、むしろ沖縄の表象は「イーリャン島」に近いということになるだろう。確かに沖縄には、かつて悪しきものとも共生するという発想があった。よく知られているのは、天然痘をチュラガサ(清ら瘡)と美称でよび、「宿も軽く まこときよらがさや 今年さらめ」(琉歌全集二六九〇 天然痘よ 今年は軽く宿を取り、お通り下さい)とうたうような発想形態である。
その一方で「南海の怒り」に見るような、外部からの他者が共同体を変革するといった為朝伝説も古くから存在している。この伝承について比嘉実は、大和からわたってきた数々の先進的な人材、技術の象徴であると解釈しているが、時代が下って、いわゆる琉球処分以降の沖縄の歴史とは、近代化と同一視された大和化への道のりだったのである。
ここで注意すべきは、しばしば誤解されがちなのであるが、近代化=大和化という流れは、沖縄戦を経ても基本的にはかわらなかったという点である。金城の四才年上で、ほぼ同世代とも言える岡本恵徳は、自らの思想遍歴を次のように述懐している(17)。
すなわち沖縄を後進地域として、「本土」を先進的な「近代的」なもののまさに生きている土地だと考えて、後進的な沖縄の風土や習俗、生活のあり方を否定して、中央と同質化する事によって「近代」を獲得しようという考え方は、必ずしもわたしひとりのみにあるのではなくて、伊波(普猷、引用者注)氏を先達とする沖縄の一般的な「本土」志向のあり方ではないか、という風に考えられたのである。
占領下から復帰運動への道のりの中で、沖縄には、米軍基地という問題だけではなく、いわば「スダール」として表象されるような怪物がいたのである。アメリカや日本政府がどうしたかという問題だけではなく、沖縄自身が何をなそうとし、葛藤していたのか、この観点は、これまでの金城論のみならず、多くの沖縄論において、閑却されがちである。
やがて岡本は、唾棄されるべき「沖縄」が、まさに自己のアイデンティティーの最深部にあることに気づき、葛藤するのだが、金城哲夫においては、そのような葛藤は、少なくとも在京中には表面化しない。東京生まれであり、早い時期から東京にわたった金城は、当時の多くの沖縄の青年達が直面した困難を、やすやすとすり抜けてしまったとみられるのである。正確には早い時期に直面すべき葛藤を先送りしてしまった、とみるべきかもしれないが。
五、進歩主義と「沖縄」
金城の出生地は東京であるが、それは父親が、獣医学という先進的な技術を学ぶために遊学中であったからに他ならない。金城家は沖縄にあってきわめて進歩的な家庭であったことが、伝記、殊に少年時代の状況に最も詳しい玉城優子による「沖縄を愛したウルトラマン」(18)から伺われる。例えばまだ性に対して閉鎖的な考えのつよかった沖縄の状況の中で、親から与えられた羽仁進の『思春期』を友人に勧めたり、農業の時間に「先生こういうものは、ブルドーザーでやったら一発でできますよと」と発言して教師を困らせるなど、金城は絶えず友人達を驚かすような発想を見せていたようである(19)。
金城の東京進学は那覇高校の受験に失敗したためであるが、そこから東京行きを決断するには、当時の沖縄の状況からいえばきわめて先進的な意識、家族の理解が必要であった。現在においても島から子供を送り出すことに対して、一定の抵抗感が残っているのが、沖縄なのである。
金城は当時の東京においても進歩的な教育方針をとっていた玉川学園に進学した。「(人間は、引用者注)生まれながらにして唯一無二の個性を持ちつつも、万人共通の世界をも有する存在である」、これが現在も同学園のホームページに掲げられている創立者小原國芳の理念である。金城の先輩にあたる山田輝子の著した伝記によれば(20)、この個性尊重の姿勢は単なるキャッチフレーズではなく、具体的な実践として行われていたようである。金城は東京である程度差別を受けることを覚悟していたようだが、進歩的な校風の中で学友から差別されるようなことはなかった(21)。むしろ沖縄と本土との仲介者として、積極的に活動した様子が山田の著書からうかがえる。人間信頼と個性尊重、この輝かしく普遍的な理念は、金城のシナリオにおいては、進歩の肯定、人間の肯定という形をとる。この中で「南海の怒り」にみられる、人間の勝利は必然的なものと言えるだろう。では古い習俗は捨て去られるべきなのか、そう単純に行かないのが、金城哲夫という作家の難しいところである。
玉川時代のトピックとして、もう一つ重要なのが、上原輝男を通じてもたらされた、沖縄の伝承世界の豊かさである。先に取り上げた岡本恵徳ら、沖縄の進歩的な青年達の近代志向は、常に沖縄人であることの劣等感と裏腹であり、進歩主義と己の持つ沖縄アイデンティティーはしばしば深刻な矛盾をもたらせた。しかし金城において、少なくとも「ウルトラQ」から「ウルトラマン」の時期にかけては、そのような問題は表面化しない。人類の進歩がすばらしいのと同様、今は忘れられかけている古い沖縄の文化もまたすばらしいのである。この忘れられ、周縁化してしてしまった文化への愛着は、ウルトラシリーズにおいては、しばしば破壊されていく自然、もしくはその象徴である「怪獣」たちへの愛着として現れてくる。このモチーフ上の問題については、切通理策(22)を中心に、これまでの金城論の中でしばしば強調されてきた側面であるため、詳述は避ける。
ここで重要視したいのは、金城は沖縄文化を単にストーリー上の問題としてではなく、表現スタイルの要素として用いようとしたことである。
六、ユーモアについて
「ウルトラQ」が「ウルトラQ」である所以のひとつに、ユーモアがある。これは金城とTBSプロディーサー栫井巍との協議で基本路線の中に含められ、企画資料における「企画意図」の最後の部分で強調されている(23)。このユーモアの部分で、金城が大きくに参考にしたのが、少年時代に慣れ親しんだ、沖縄芝居であった。セリフまわしに沖縄芝居の技法を自覚的に取り入れようとした作品は、金曜近鉄劇場の枠で放映された「こんなに愛して」であったとされる(24)。最初に映像化された「絆」は、文部省公募脚本佳作入選作のシナリオ化であったため、「こんなに愛して」は実質的なデビュー作ということになる。
実際のシナリオにみられるユーモラスな表現が、どの程度沖縄芝居のもつ独特の世界を再現していたかについての評価は難しい。方言を用いず、沖縄独特のユーモアを表現した評される山之口貘にしても、具体的にこの部分が沖縄的だ、と抽出するのが難しいことと同様である。やはり沖縄芝居独自のユーモアは、具体的にはウチナーグチの掛け合いの中からしか生まれないからであり、これは個別文化の笑いが他言語に移し替えられるのか、という困難な問題と関わっている。しかしその試み自体には、注目すべきであろう。これは沖縄的な表現を中央の文化に付け加えようとした大城立裕が「亀甲墓」(一九六六、『新沖縄文学』)で試みようとした実験よりも数年早いのである。ただ大城の場合は、沖縄文化の表現を具体化するために実験的な方言を編み出そうとした。現在、沖縄文化からにじみ出る、独特のユーモアを自覚的に用いているのは又吉栄喜であるが、又吉もまた会話文におけるウチナーグチの力を用いている。これは、よく知られているように、晩年の金城哲夫の前に立ちはだかる、大きな問題であった。
それが現実の沖縄の表現とどれほど一致しているか、という評価は別にして、巧まざるユーモアという沖縄文化の根幹に関わる要素を、金城は己の表現の中に取り込もうと努力した、ということは確かである。これは個別的に「チブル」星人や、「ユタ・花村」といった言葉遊びよりも、はるかに重要なポイントだと言えるだろう。「ウルトラQ」においては最初から三枚目として、「一平」という人物が設定されていたが、必ずしも図式的な役割として固定されていたわけではない。本人は真剣なのだが、所作・セリフがどこかおかしいというスタイルのユーモアは、冒険活劇風の「南海の怒り」においては「南」という天才的な語学力を持つ通訳にあてられている。「南」という命名は沖縄を志向しているとみてよいだろう。ただしファンのサイトや研究本などで、この回のトピックとしてしばしば話題になる、the endを、明瞭に「ザ・エンド」と発音する「関」デスクのセリフは、シナリオでは「ジ・エンド」となっており、これは関役の田島義文のアドリブかと思われる。そうであったとしても、このような遊びのゆるされる世界を作ったのが、金城であることは論を待たない。
ユーモア感覚は次作「ウルトラマン」においても受け継がれる。「一平」の役割は「イデ」が継承し、そのキャラクターは企画書段階で決定していた。それ以外の登場人物が、時にユーモラスな言動をとる、といった点も受け継がれている。「ウルトラマン」放映以前の「ウルトラマン前夜祭」として、子供に怪獣をせがまれたサラリーマンが、円谷プロに怪獣を盗みに来るという、コミカルな「ウルトラマン誕生」というショーが行われているが、この脚本もまた金城哲夫によるものであった。
ところが「ウルトラセブン」に入り、ユーモアは急激に減少していく。企画段階では「アマギ」が三枚目の役割を演じる事になっていたのだが、完成版のアマギは神経質な秀才タイプになっていった。個別のセリフや所作の中にはユーモアを狙った部分もあるのだが、「ウルトラセブン」は全体として、笑いから隔たった世界になっていく。また帰郷後の沖縄芝居の台本について、大城立裕は「軽み」がかけている、と指摘している(25)。「軽み」は非常に多義的な概念であり、単純にユーモアと同義ではないが、ユーモアがその重要な部分をなすことは明かである。だとすれば、金城は沖縄に接近しようとする中で、徐々に沖縄から遠ざかっていったということになるのだが、この時期の問題については稿をあらためるべきであろう。
七、終わりに
金城の実家、沖縄県南風原町の「松風苑」には、今も急死した当日のままに、哲夫の書斎が保存されている。その書棚はSFマニアのようでも無ければ、沖縄研究者のようでも無い。もちろんそれらの書物もそれぞれ収められているのだが、全体としてはごく普通の文学青年の様に、著名な純文学の書物で埋められている。なぜか野村胡堂の全集があり、意外の感もある。本稿では金城の多様性をなるべく明らかにしようと試みたが、なおも図式的な感は否めない。実際の金城はさらに、多様であった。
また本稿ではあえて触れなかった、後期シナリオの問題、帰郷の決意に影響を与えたとされる映画「神々の深き欲望」などの諸テキスト、さらには帰郷後の仕事については、これまでほとんど手つかずのままと言える。金城哲夫研究はまだ緒についたばかりである。
注
(1)金城哲夫の伝記はこれまで三冊分出版されている。
山田輝子『ウルトラマン昇天』 朝日新聞社 1992,8
玉城優子「沖縄を愛したウルトラマン」『沖縄タイムス』1993,2,1~12,24 114回にわたり連載されたが、未刊行。
上原正三『金城哲夫 ウルトラマン島唄』筑摩書房 1999,10
これらのうち山田は玉川学園時代、玉城は少年期、上原は円谷時代に詳しいという、それぞれの特徴を持っている。
(2)向谷進「ウルトラマンの死」『中央公論』1988,5
(3)山田輝子『ウルトラマン昇天』。注1参照。
(4)會川昇「金城哲夫を探して」『怪獣学・入門』 町山智浩編 JICC出版局 1992,7
(5)「栫井巍に聞く」ヤマダマサミ『ウルトラQ伝説』アスキー 1998,4 p.99
ヤマダマサミ『ウルトラQ伝説』アスキー 1998,4
(6)成田亨『特撮と怪獣』フィルムアート社 一九九六、一 p.143
(7)「梶田興次に聞く」ヤマダマサミ『ウルトラQ伝説』アスキー 1998,4
(8)上原正三『金城哲夫 ウルトラマン島唄』P.38。注1参照。
(9)『ウルトラマン大鑑』 朝日ソノラマ1987,12 p.246
(10)同前。
(11)ヤマダマサミ『ウルトラQ伝説』アスキー 1998,4 p.87
(12)同注8
(13)『怪獣学・入門』 町山智浩編 JICC出版局 1992,7
(14)同注11p.244
(15)長山靖生「ゴジラはなぜ「南」から来るのか?」注4所収
(16)シナリオ決定稿では「航空自衛隊」になっているが、完成版では当時の世論を反映したのか「国連飛行隊」にあらためられている。
(17)岡本恵徳「水平軸の発想」『現代沖縄の文学と思想』沖縄タイムス社 1981
(18)玉城優子「沖縄を愛したウルトラマン」。注1参照。
(19)同前。第二〇回。
(20)同注3。
(21)この問題については『ウルトラマン島唄』の中に、園長小原国芳から、「この琉球人め!」とののしられたという挿話がある(p.103)。描写の具体性から作り話とは思えない一方、沖縄の教育のために尽力した小原が、このようにあからさまな差別をするのだろうか、という疑問も残る。金城哲夫の書棚には、今も複数の小原の著書がおかれており、小原への尊敬は、生涯変わらなかったとみることが出来る。故人の名誉を損ないかねないエピソードを真偽の未確認のまま検討対象とすることは出来ない、という判断から、本文ではこのエピソードを取り上げなかった。
(22)切通理作『怪獣使いと少年』 宝島社 1993,7
(23)同注9 p.158
(24)同注18 第六一回
(25大城立裕「金城哲夫の沖縄芝居」『沖縄タイムス』1993,7,21
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