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神無月も終わった。10月から始まった主人の倉敷中央病院にも少しなれた。薬のせいであまり食欲が無い主人を連れて彼が夢に見る竹原簡保にも10月22日に、本郷の娘夫婦に迎えに来てもらって3泊4日でいってきた。29日30日の龍の大会にも、主人をシヨウトステーに3泊であずけていってきた。1年ぶりにあう龍の友達もいて楽しかった。おかげで少し主人に優しくなれるような気がする。11月9日10日は,1泊で学校時代の4人組と出かけてくる。その間に医者通いに忙しいが、とにかくこの秋を楽しみながら、主人を看取れることを喜ぼう。そうそう日帰りだけどバラ園に病院から車椅子で出かけた.ボランテヤの若い看護婦さんに一日車椅子を押してもらって、帰り他の付き添いの奥さんと、今日は私たちが楽しんだねと言って帰った。ありがたかった。土産にかつたシンデレラというバラが来年は咲いて思い出させてくれるだろう。きみさん夫婦にも感謝。彼女が見ている姑さんもデイケアーに、預けている。私は見取りの1年生だ。これから頑張ろう。でもいい時代になっている。今になって、戦中戦後に祖父をみとっていた祖母の、苦労が大変だってだろうと思えてくる。大嫌いだった婆さんがこの頃いとうしくてならない。9日10日はまたデイケアーに行ってくれる主人を大切にしょう。薬のせいであまり食欲の無い主人、やはり腹が立つけど元気で文句を行っているほうがいいんだなあと思う。まあとにかく楽しめる自分を喜ぼう。友達とお喋りを一杯してこよう。
2011年11月02日
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おかげで19日には読んだわけでもないのに偶然長女も来て又にぎやかに、お寺さんのお勤めも出来た。亡くなった人はにぎやかなのが、大好きな人だったからきっと、喜んでいる事だろう。あれから40年が過ぎようとしている。年のたっのは早いものだ。私はもう喜寿男孫2人の、花が今台所のデーブルの上にかざられている。今着ている服は孫娘の贈り物、帽子も貰った。ベットの上の花柄の軽い肌賭けはこれも孫夫婦の贈り物、歳が行くのもまんざらでもなし、主人も神戸の孫がお酒を送ってきて、まんざらでもなさそうだ。内視鏡をかけて病院に行って22日は、晩酌はだめといわれて、1年ぶりぐらいにお酒を抜いた。晩酌の楽しみをまっている主人のためには気の毒だが命あっての楽しみだから、仕方がないだろう。27日にもう1度倉敷中央病院に行く。28日には日帰りで友達と京都に行く。久し振りの京都だ楽しんでこよう。27日の結果が悪くても、治療をすればいいんだから、でも良いに越したことはないけどね。病院はいっも大勢の人たちがいる。何人もの人たちが、命を救われている事だろう。歳が行くと治療費も安い。長生きしてくださいといわれているようで嬉しい事だ。まあせいぜい頑張って早く逝った人をうらやませたいものだ。もちろん子供も孫も曾孫も元気で頑張ってね。9月の末にバーべキューが出来るかな?出来るといいな。
2011年09月24日
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19日にはお寺さんが彼岸まいりに来るという。この頃何もしてないのに忙しいと思ったら人並みに医者に通っているのに気が付いた。手を折ったのも少し落ち着いたし、大腸のポリープも10月まで大丈夫になって、食欲も戻ってきた。見る見る太るだろうと思っていたら今度は、主人のほうが胸のレントゲンに、ひっかかった。玉島のかかりつけの、進藤先生が倉敷の中央病院に,紹介状を書いてくださる.久し振りに行った病院の大きくなったのに驚きながら、主人と一緒に2回行く。まだ2回予約がある。台風は頭の上を通過したけどなんのひがいもなかった。主人の倉敷の娘の家は雨のために床下浸水をしたという。大変だった事だろう。でも老人2人の我が家は大丈夫だった。車椅子を押して、病院を歩くのも大変だ。あちこち広い病院を行ったりきたりして、1万歩歩いていた。13日の火曜日に行って、14日と15日は、主人はリハビリに行っている。くたびれていると思うが休む問いは無い主人に、ほめるのは癪だが感心している。本当は温泉にでも、いきたいのだが、医者がよいが、いそがしい。でも元気なのが何よりだ。つくずく元気が一番と思える今年だ。まだまだすずしくならないが、朝夕涼しくて中秋の名月も、ゆっくり部屋の中で見せてもらった。夕方は虫の声がやかましいほどする。朝は山鳩が鳴いて起こしてくれる。若ぼんさんにももう息子さんが出来たであろうか?19日には聞いてみよう。でも食欲の秋には気をつけよう。
2011年09月15日
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7日にはお寺さんが来て茶屋町に全員集合。曾孫は今年生まれた季葉(とわ)チャンまで入れて7人、77歳の私の曾孫たちだ。お寺の若ぼんさんも、孫らと変らない歳。結婚して、9月には男の子が生まれるという。1年生になってお経が読める子、季莉さん、来年は中学生になる風花ちゃん、3年生の岳君、遥さん、妹の蓮さん、男の子の朔さん、孫沢山だった我が家は、今曾孫沢山である。孫7人も、曾孫7人も、曾祖父の顔は知らないが、こんなに揃って墓参りに来てくれて、喜んだ入る事だろう。皆で草もとって暑いのにご苦労サンだったね。暑い夏が吹き飛んだような気がしたよ。11日に岡山にカルチャの短歌に行ったらなんと15人も休んでいた。暑いのと盆前の、忙しさで休みが多かったのだろう。主人は温泉に竹原に行きたそうだけど、チョつと、私はこの夏ばてている。今日は広島の如水館が、かつて昨日は関西が甲子園で勝つて、嬉しいんだけど、2校が会う明日はどちらを応援しょうかと、ちょっと悩んでいる。金光学園が今年は岡山大会で、優勝戦で逆転まけした,関西を、応援するかな。9月には友達と京都に日帰りで行くその前に主人と竹原にマツタケでも食べに行かないと、楽しみの少ない主人がかわいそうである。早く涼しくなってほしいものだ。腱鞘炎の千恵さん重くなつた季葉ちゃんの守り大変だね。少しずつ日にちがたっと直っていくから無理しないでね。拓さんが直してくれた戸が又外れたよ。裕也君暇になったら来てね。敦子さんが鬼の小さい面くれるといっていたので貰ってきてね。皆暑いけどがんばろう。
2011年08月16日
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まだ少し左手首に違和感は残っているが、少しずつよくなっていく感じがする。元気が当たり前と思っていた私だったので、落ち込み方も激しかった。でも生来の能天気の楽天家は、少しずつ頭をもたげてきた、明るさだけがとりえの自分を取り戻しつつある。東北の人たちを思うと、とにかく今を楽しんで生きようと思う。10月には又大腸の検査もあるが、今まで持病がなかったのが不思議なぐらいで、3日から7日まで竹原の簡保に行って温泉に、入っては昼寝ばかりして、日に4回もしていたら何だか元気が、沸いてきた。行きは電車で本郷まで帰りは家まで娘婿に送ってもらって、バリヤフリーの家に帰って、不服など言ってだめだとおもった。行きの電車に尾道で人身事故が在って、松永で1時間、電車が止まった。警察の検証がまだでという車内放送を聴きながら、美しい尾道の町を思っていた。電車が動きでしてからも線路の上に亡くなった人がいたんだと思った。糸崎の海は曇り空に島々がかすんで、今にも雨が振りそうだった。娘のところに寄ったら、88歳の姑さんが杖も突かずに元気に歩いていた。人事でも嬉しくなった。みんな行く道なのだから元気で老いて行こうと思った。14日は岡山でのカルチャー先生は80歳だけど、大きな天眼鏡を片手に、暑くて講座生の10数人休んでいるのに、講義をしてくれている。20数人ガンバつて入る。帰り高島屋のバーゲンで服を買い、ケーキとコーヒーをのんで、友達4人と楽しい一時をもった。やっぱり元気で長生きしなくてはと、思った。
2011年07月15日
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この1ヵ月半で人生が変った。もちろん大腸のポリープはもう1度とって2度入院したがそれよりも、83歳の車椅子の主人と77歳の私が快適にくらせるついのすみかができたことだ。あれほど反対した主人がうそのように快適さを、日日言う。裏の物置を撮ってつくつた寝室は朝から明るく日が差してなんとも快い朝起きが出来る.隣の暗い和室も今は寝室とつなげて10畳の洋室に、台所の12畳とつないで、ものをかたずけた部屋は、車椅子でも中をくるくる動けるのだ。ついでに居間から風呂場に通路を作って車椅子でいける夫の風呂嫌いもなおつた。玄関の和風のとこなども取って昇降機をレンタルで入れたおかげで主人のリハビリの行きかえりも本当に楽になった。こんな事ならもう少し早くしておけばよかった。私も主人も楽になったんだと思う体が楽になると、心も豊かになる。相手を思いやる事も出来る。優しくなれた自分ともう一つ嬉しかったのはこの家を改造してくれたのが、わが孫だったことだ。キコリヤさんのリホウムは、どうしてと頼んだわけではないが、不自由な主人を手助けしながら、こうすると楽だろうと彼なりに考えてしてくれたのだなと思う。リホウムのときは、彼に頼んでやってください。とにかく快適な暮らしを車椅子の主人と楽しんでいます。有難うね孫のキコリヤさんとバイトをしてくれたもう一人の男孫よ。もう10年元気で生きられそうだよ。
2011年06月11日
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左手首を折って、3か月やっと主人の車椅子が押せるようになった。その間に大腸癌の検診に引っかかり、いっも元気なことを当たり前のように思っていた自分が、すっかり落ち込んでしまった。おかげで何処も何ともなくてやっと何時もの元気を取り戻した。少しだが体の悪い人の気持ちが、わかったような気持ちになった。そして元気な体に生んでくてた縁の薄い母親に感謝している。母親にそだてられていない私を、子供の気持ちが分かっていないと叱った孫も1晩の入院にかけっけて泣いてくれた、娘にも感謝である。来るなといっても心配でと泣く娘に、なんでも自分でしてあまり人に頼らないのも、やはり頑固婆さんなのだなと思った。孫に教えられる歳になったのだとしみじみ思った。連休ぐらいには家のバリヤフリーも終わりそうだ。孫とも毎日会うこともなくなるだろう。でも楽しい2か月だった。とにかく自転車の後にのせて、幼稚園に送った孫と、25年ぶりに、大人の彼と一緒に過ごせた2か月本当に楽しかった。いい思い出だったよ。まだまだ4人の子の子育てに大変な彼だが頑張ってほしい。出来たら貴方が長女の風化ちゃんの結婚式に泣く姿を見たいものだと思う。やっぱり意地悪婆さんなのである。
2011年04月21日
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何とギブスは、3週間で半分となりその間2週間、外に行くときは人が当たるといけないから、半分のギブスをつけて行けと言う。50日たってもよくはついていませんという若き医者は、手術をしなかった私に、意地悪をしているのかなんて思ったりしながら少しずついえていくようだ。今日は久し振りに娘と食事に行く。楽しかった。腕を追ったおかげでバリヤフリーの改装をすることになって、孫が毎日来てかたずけをしてくれた。おかげで雪の日に7人目の曾孫を見に行く事も出来た。7人の孫のいる私に7人目の女の曾孫が出来たのだ。7人の孫はまだ結婚してないのも3人いる。私の曾孫は果たして何人出来るのだろう。そして何人にお目にかかれるのだろう。この赤ちゃんの花嫁姿は私はお目にかかれないだろうなと思いつつ、雪の中を、福山の病院に連れて行ってくれた私の初孫に感謝である。この初孫は4人の子持ちそして孫7人の大将である。婆さんが手をおつたぞ見舞いに来いと孫たちにぐう例をかけて皆が続々と来た。婆さんまだ死なないよといったが皆やってきた。今は仕事に来ている彼と昼のランチたべにいくのが楽しみ娘夫婦の事彼のオトンおかんのこと、夢さんの話4人の子供の話聞くのも楽しい。もうしばらくこの楽しい時間を楽しみたいものだ。まだ痛い左手だが、たまに皆にいたわられるのも捨てたものでもない。正月にあえなかった亜矢さんとも会えた祖母ちゃんと抱きつかれだら、いつか反対に抱きしめられていた。末の孫のしょうたくんとは会えてない。手がよくなったらランチにいこうね。
2011年02月26日
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怪我などしたことの無い私簡単に思っていた。1週間もあれば直るだろう。医者に行って驚いた事は、ギブスをして首からてをつつて何と3週間、気をつけないと後から指が動かなくなって手術するぞといわれその上何と不自由な事散々である。物を切るときも左手を添えないとパン一つ切れないという事を初めてしつた。生まれて初めてのこの怪我で体に入らないものはないとこの年になってしつた。そして人も親切もよく分かった。スーパーのレジの人は、袋に買い物を入れてくれる。病院の会計の人は財布からきちんとお金まで出してとってくれた。うれしかった。ひとの情けをしみじみ感じている。今も孫が買い物に行くかと仕事開けに来てくれた。
2011年01月26日
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今年もきました。一日の客2時ごろから来て買い物の手伝いやらもつて来たフライを揚げたり、忙しくたちはららくきみさん2月には初孫も出来る、その長男夫婦は岡山の赤ちゃん本舗に行く長女の佳世さんは、旦那は仕事できていない。千葉で就職をした亜矢さんも仕事、末のしょ太君とできみさん一家は、パチンコに行く旦那も入れて6人、その後に来た敦子さん一家は、長男夫婦と孫4人長女の加奈さんに孫2人、末っ子の拓さん、小学生以下の子供を入れて11人、パン屋さんの仕事が終わってきたのりちゃん一家が夫婦に長男の和君夫婦に、長女に麻美ちゃん夫婦に、孫が2人8人、最後に来たのは智ちゃん夫婦に、12月に5日に結婚式をあげたばかりの、長男祥平君とサツキチャンの新婚ぴかぴか夫婦に、大阪にいるのりと君に結菜ちゃんで、6人、ソロバン入れないと分からないぐらいの正月客の囲まれて、主人は大満足で、酒を飲んでいる。31名の客にわれら夫婦33名、よく飲んでよく笑って智ちゃん一家は泊まり、酔いつぶれたしょうたくんも泊まり7人が、泊まり、今年の一日は、おわった。3日、のんびりかたずけて、残り物ばかり食べているが来年も、もつと増えるかな?などと考えている。主人も元気でわたしも元気で、子や孫や曾孫の顔を、見たいものだ。来年も頑張るぞと主人といって正月3日を、昼から飲んでいる。皆が元気で来てくれると,元気もらえると思う.ちなみに主人は今年83歳になる。わたしは77さいになる。孫の和君が背筋の伸びたおばあちゃんに負けないようにしなくてはといってくれた。空気の綺麗な松江に生まれた恵美さんのアレルギーが父親譲りの和君の優しさに仲良くて、涙ぐましかった。美由紀さんのよっぱらいもよし。
2011年01月03日
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13日には金光の障害者の研修旅行バスで瀬戸大橋を渡ってよ島に行き、児島ホテルで昼食その後渋川の水族館に行って帰る。体の悪いものたちばかり雨が降ったが皆楽しそうだった。14日は3泊4日で大久野島に、主人との旅駅に頼んで時間も決めていたのに、私のミスで財布が無い車椅子で主人は外からやいやい言う。やっとイスの下に財布を見っけたときには約束の時間は過ぎていた。ひと汽車送れて駅の人にも迷惑をかけてけど、無事4時ごろ忠海からおおくの島に船で着き迎えの休暇村のバスには車椅子ごとかいて乗せていただいた。呉線はエレベーターが無いので心配だったが、1時間に一本の呉線では殆どが駅側のホームに、止まるとかで、三原駅から駅員さんが来てくれたり帰りは朝の間は駅員さんがいて3分の三原駅の乗り換えも、二度のエレベータ乗り換えもエレベーターを開けて待ってくれる駅の人たちのおかげで無事乗り換えて昼には帰ることが出来た。乗り換え3分の車椅子を電車に載せて送ってくれる駅員さんがぼうしを脱いで汗を拭いているのが、本当にありがたかった。いっもは家の中ばかりの主人が、ウサギの餌をやる私に群れる何十匹のうさぎを窓越しに見たり、船のとうる海を見たり、夕日の海に沈むのを見たり、私は温泉ばかり入っていたけど、楽しかった。昔孫たちが小さいとき行ったときは、戦時中毒ガスの実験に使われていたウサギたちの子孫は、足や手のないウサギがいた。そのウサギたちの子孫は元気でウサギと旅人しかいないこの島でみんなにかわいがられて、体の悪いのもいなくて、飛び跳ねていた。もこもことした、ウサギの温かさが手に残っている。人の住んでいない休暇村でみんなの親切を、ぬくぬくと感じてきた。今日は元気に主人はリハビリーに行った。
2010年12月18日
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一番末の孫が、入院をして2週間、もう明日は退院だという。若いと元気がいい。就職をして、1か月十二腸潰瘍で一人暮らしをはじめたばかりの孫が入院をした。五日目に行ったのだが、水のようなおかゆと水のような味噌汁に、塩が少し、点滴をつけて腸には管をつけていながら、腹がけったと、売店までいつたが、食べてはいけませんと看護婦さんに言われ、かわいようだとかえる。25日に、岡山のカルチャに行く前に寄ると、もう管は無くて、外出許可をかいている。驚くほど高い棚のうえで23歳の彼の大きさに驚く。看護婦さんもすごい所で書いているねと、びっくりしていた。タクシーで彼が見ていたに「よっきん7」に出ていたケーキ屋さんに行く。2人でケーキセットをたべて、何と2個もぺろりと平らげて、お土産に買って高島屋まで行って、おにぎりの小さいのも買って、分かれた。少々心配していたが予定どうり明日は退院だと電話がはいった。若いという事は、本当にいい名と思った。今度ケーキ屋さんに来るときは彼女を連れてくるなんて、彼女もいないのに行っていた。でもはやく彼女ができるといいがなと思った。婆馬鹿と言われようが、キット彼にもいい人ができるだろう。十二月四日には、結婚式に広島までゆく。幸せそうな2人がこの間来た。きつといい家庭をきづくだろう。12月には大久野島に、主人と釣りでもしてこようと思う。戦争中には毒ガスをウサギで研究した島だ。来年はウサギ歳、地球は滅びるなんて簡単に言う人もいるが、孫も曾孫も沢山いる私は、戦争の無い平和が続いてほしいと思う。毒ガスの実験に使われたウサギの子孫にもしっかりお願いしておこうと思う。
2010年11月28日
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千恵さん申し訳ない。田口のほうの長男のお嫁さんが恵美さんなの申し訳ありません。お腹の子が足の形や手の形でけるなんて、本当だけど怖いね。まだお腹の中でけっているうちはいいけど、そのうち出てくると、目をはなせなくなるから、大変だと思うよ。いまのうちにのんびりしておいてください。お風呂に入れたり、お乳を飲ませたり、おしめを変えたりしっかり覚悟をしておくことです。何て脅かせているけど今思うとあの頃が一番楽しかったかな?まあ、先輩に4人も子持ちの裕也君がいるから、あれあれといっているうちにおおきくなるかな?千恵母さんはどしっとしているし、実家と婚家先のばあさんが、2人控えているからしやわせだよ。私はきみさんの婆さん姿を楽しみにしている。敦子さんは6人だけど、きみさんは初めてだから、ちょっと見ものである。敬三さんも爺さんになるね。野球の出来る男の子もいいね。思うだけでも楽しいよ。この頃小さい子を見ると嬉しくなる。男も女の子もいいよ。皆可愛いものね。まだ独り者も沢山入るから時間の問題だと思う。考えてみると、加奈とこの旦那の名も佳世とこの旦那の名も知らないなと思った。ごめん千恵さん忘れないからね。あそうだ手帳を買っておかなくては、もうすぐ年の瀬だね。予定は手帳にかいておかなくては今年は外国にいけなかったけど10年パスポートを取ったから、来年はいけるかな?鬼に笑われても楽しみにしておこう。十二月14日から3泊で、孫たちの小さい時にいっも行っていた大久野島に行く事にした。主人と魚釣りでもしよう。来年は九州新幹線もつくから何処かえゆかうと思う。鬼に笑われようとも?いいだろう。温泉に行くぞ。来年も、、、、
2010年11月13日
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祭日だけど主人はリハビリ孫夫婦と食事に行く。いつも行くところが休みだったり満席のところもあって、初めてのお店に行く。初めてお目にかかったお腹の、曾孫さんに初対面の挨拶をして、ボリュム満点の食事をする。沢山食べる孫たちにはもってこいかもしれない。恵美さんが今まで中で、一番綺麗に見えた。女って母親になるときが一番綺麗なのかなと思った。もちろん幸せだからだと思う。圭ちゃん頑張れよ。おかしかったのはまだお腹の中で女か男か分からないのに何と圭祐も両方の爺さんたちも野球をさせるといっているそうだ。なんと言うおとこどもだ。まあ初めての孫を待つ長女の家では3代続きの野球一家だから仕方がないけどな?本当にそうなったらなくなった圭祐が1度は酒を飲みたかったという爺さんが喜ぶだろうな?頑張れよ新米父さん来年の2月にはお父さんなんだから、何やかやありながらも長女のところも、子供たちは出て行ってもとの静けさに戻ったことだろう。迷った10年パスポートもとつたから又何処かに以降ね。みのうの紅葉を見に行こうと、言い出した私がいけなくなってと持たしは明日から出かける。私はいけない。10月に富山の高岡に万葉祭りに行ったとき、ご近所さんに火事があって、主人をショウとステーに預けないと心配で出かけられなくなった。旅のお誘いはいっでもいいが早めにしてほしい。彼をあづけてのんびりと行きたいものだ。主人の忘年会もいくつかある。年末は忙しい。でも孫たちよ水曜と土曜日の暇な時には寄ってくれ。食事ぐらいはおごるから電話してね。げんきなばあさんより、風花、岳、季利、朔、遥、蓮、次の曾孫の名前は、何かな?来年2月のお楽しみ
2010年11月06日
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くたびれたなどとは思っていなかったのに何と温泉に入っては眠りよく眠る主人が、あきれるほど、寝て帰った。おかげでもとの元気婆さんに、よみがえったようだ。孫の亜矢さんは船橋に、就職した。頑張れよと思う。むう18年も昔主人の3女の、お産で何日かいた事がある。もうその子が今年大学生になった。血はつながつていなくても、あの子の産声を聞いた日のことは忘れない。亜矢さんも、頑張れよ。あんた足し姉妹の産声は、三原でお産をした、しょうたくんだけきいていないだけだからね。今度はきみさんも初孫が出来る皆楽しみだね。14日に同級会にいってきた。喜寿の同級会30人ぐらいやっぱり淋しい。88歳の恩師に後2人先生のほうが元気なのかなとおもった。でも最後は80歳で又会おう。何て話になった。病気子供を亡くした人、長く生きていると何か抱えている。だも久し振りに昔に返ったようで、皆に、元気を貰った気がする。次も元気で参加できるといいな?でもこれは希望であってなんともいえないが、とにかく明るく前向きで生きてゆきたいものだ。一番上の曾孫の、風花さんの、花嫁姿を見たいなんていうと、この前父親の孫の裕也君がおかしな顔をした。きっと嫁になど行かしたくないのだろうな。そういえば加奈ちゃんと裕也君の嫁さんのくれた可愛いマフラーが出来るように肌寒くなってきた。敬老の日も捨てたものでもないな?可愛くして出かけてやろう。元気でなくては優しくもなれないものね。
2010年10月23日
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10月は忙しかった。2日から3日にかけて、高岡に万葉祭りに参加した。龍の全国大会に参加したのだが、富山県の高岡で、万葉人の服装をして、ちなみに私の服装は薄いピンクの肌着に緑の袴上着は濃いピンク、天平の昔に返って。万葉集を1首朗詠したのだ。なんと万葉全巻を3日3晩高岡の古城公園の水上ステージで全国の万葉フアンが、集まって歌うのだ。何ともいえないよい気分だった。夜は雨晴海岸の温泉「磯はなび」とまつて、あくる日は、国庁跡の、お寺に、大友家持の後を訪ね満足して帰ったらなんとご近所が火事で2軒と事務所が1件焼けていた。地蔵様の横でおかげか反対に風が吹いていて、我が家は、無事だった。私は旅のときに2回も近くが焼けている。5日は倉敷の芸分館に来た文楽を見て、年末には早いが忠臣蔵の6段目に、西宮恵比寿の「釣女」一人大笑いをして帰る。就職浪人の孫2人もいっぺんに方好きそうだ。よかったなと思う。ちょっと残念だったのは末の孫のしょうたくんが、我が家に下宿をしそうにあったのだが?まあ近いところで部屋を決めたようだ。長男の圭祐さんところの恵美さんのお腹の赤ちゃんはもうセンチでは測れないように大きくなっているようだ。この暑い夏をご苦労サンでした。元気な赤ちゃんだと思うよ。少しにぎやかになっていた長女の家もまた静かになってちょっと、淋しいかな?14日は、3年ぶりの同窓会、もう最後というのに先生を入れても35人、歳が行くとだんだん淋しくなる。でも白山の麓の会場のビラ讃岐は、わが故郷に家にも近い。楽しんでこようと思う。行きたくても体の都合で行けない人もいるのだから
2010年10月12日
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涼しい事がこんなにもらくだという事を知る。22日には花ちゃんが御墓参りにくる。11時前に讃岐から来た妹と会う。2人で御墓まいりに行って、爺さん婆さんの話をする。彼女は爺さん大好き人間で、お盆にこれなかったと誤っていた今年の盆は姑さんの17回忌で、あった。90すぎてなくなったしゆうとめの17回忌は4人だったと、言っていた。25日には鹿児島の娘のところに行って大阪から来る孫娘と曾孫に、初めてのご対面をするそうだちょっと楽しそうだった。2人で山下清展など見て、昼御飯を一緒にして帰っていつた。いっもつまらないが口癖の妹が、娘と喧嘩したといいながら、明るかったので嬉しかった。そういえば19日に彼岸まいりに行って私も、むすめや孫とちょっとやったけど、やっぱり楽しかった。たまには喧嘩もいいものだ。敬老の日の、お祝いも貰ってちょっといい感じ、例のとうり5人の曾孫がうじゃうじゃとお経を唱えて、何だかにぎやかにお彼岸まいりも終わった。娘よ。やはり孫も有難うといって、おかんにほめてもらいたいのよね。いっまで立っても子供は子供、でも頑張ってくれているからいいじゃないの。峠のお母さんの事も、4人の子持ちの息子の優しさだよ。花ちゃんとこのおばあさんの17回忌は花ちゃんとひとみさんと、けいちゃんと豊ちゃんというおばあさんの娘の4人だったんだって、まあ頑張って孫6人と、子供3人とかかわってください。皆が元気でうじゃうじゃいることも楽しい事だよ。圭さんの5センチの赤ちゃんも10何センチになっているということだ。とにかく私は元気で10年パスポートを取ったから、娘たちよ。また旅に誘ってくれ。楽しみに待っているからね。10月のはじめは万葉を歌いに行く11月にはみのうの紅葉を見に行く予定。
2010年09月23日
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竹原簡保に、29日から3泊で出かけて、帰ったのが9月の一日。マツタケの産地丹波笹山に近く生まれた主人はマツタケ料理を食べないと秋が来ないもちろん国内マツタケなんて出てないが、ヨウは何処でもいいようだ。マツタケ懐石というだけで飛びつく。若いときはマツタケ取りには自信があったようだ。とにかく出かけた。今度はしょうたくんが送ってくれた。お風呂にも入りに来て、食事もした。やはり末っ子は可愛い。帰って一日置いて3日は病院4日は主人はリハビリー、私は笠岡の歌会、5日は休みで6日は生協の主人の役員会、昼まで我が家で5人ほど、昼から30数年ぶりに千葉の主人の甥が訪ねてくる酒飲み家系の突然変異で酒が飲めない.でもよく喋り,よく泣いて帰った。61歳なのに7歳の時病気でなくした主人の姉の母の事を言うと涙ぐむ。25歳の1一人娘が冷たい目で見ると、又涙ぐむつくづくいい人間だと思う。夜大阪に帰る。3日で4箇所のお墓まいりなどして帰る。8日は成人病院に,のりちゃんと麻美ちゃんの赤ちゃんを見に行く。出来て3日ぶりの赤ちゃんは小さくて怖いようだでも3100くらいの大きい男の子である。9日は岡山のカルチャ暑い暑いといいながら、何となく日はたって朝晩は涼しくなってきた。明日はともに歌の講演会に行くのだがずいぶん楽になったような気がする。この調子で涼しくなるといいな。とにかく朝から夜までクーラーの部屋にいると、何だかお魚になったような気分だ。そういえば長女の、足いたは直っただろうか?来年の2月にはおばあちゃんになるのだからしっかり治して初孫を抱いてお守もしなくてはね。忙しいけど頑張ってね。孫の嫁さんの千恵さんも暑くて大変だろうけど頑張ってね。もうしっかり虫も鳴いているよ。
2010年09月10日
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26日ひと月ぶりに岡山に行くカルチャも10人お休みだった。この暑さに参った人も沢山いるようだ。短歌講座も万葉講座も受けて、暑いけれどスカッとしてかえる。21日には亡くなった人の二十年祭も終わった。亡くなった人の顔も知らない曾孫や、孫もいて14人、にぎやかに故人を偲んであげられたと思う。これは生きているもののけじめかもしれない。とにかく金光様のお掃除にも行き地蔵盆もすんだ。暑かったねと、皆に声をかけているがもうツクツクボウシも泣き出した。草むらではバッタが飛んで細々と虫も鳴き出した。残暑は厳しいというが、でも1歩1歩秋がちかずいてくるだろう。竹原の簡保からマツタケ会席の案内が来た。丹波に近く生まれた主人は、マツタケだけはかがせない。温泉大好きな私もこの夏のくたびれ休めと29日から3泊で行く事にする。暑いが主人の車椅子を押して出かける事とする。25日には孫の裕也君が来てゆっくり仕事の話し子供の話しもする。大変とは思うが、彼は明るい。この暮らしにくい世に4人も子供を作って、明るく暮らしている裕也君頑張れと思う。そういえばカナダから帰ってウガンダに行った亜矢さんはもう元気で帰っているかな?5センチほどのお中に子供を抱えている孫嫁も、この暑さを頑張っているのかな?まだフリーターの彼も厳しい世の中だけど、頑張ってね。その母さんも頭痛いと思うけど、親譲りの楽天家ぶりできりぬかてくれ。体だけは大切にしてね。10月の末には、同窓会もあるようだ。幼な友原のみいちゃんは昨年長男をなくした。残暑見舞いの文字が不安をさそう。出てくるかな?出てくるといいなと思う。子供たちよ親より早く行くなよ。頑張って長生きするからな。覚悟していてくれ。
2010年08月27日
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長女が本郷から来て車で茶屋町まで行く。例のとうり次女の子供が3人その孫たちが5人まつている。それでも曾孫の一人は、熱が出ているそうでいっもより一人すくない。11月には結婚すると言う。若ぼんさんは、教本の読めないちびたちに教本をとられて、でもにぎやかにお盆のお勤めが出来た。来年中にはお父さんになれますかなんて勝手な事を聞いたりして、でも嬉しそうに若ぼんさんはかえっていつた.思えば長女が中3次女が中1だった。まだそのときは、若ぼんさんのおじいさんが来ていた。親子3人の、父親が急になくなった家は、本当に淋しいものだった。長女が、結婚してして4人の子持ち次女が結婚して3人の子持ち、あれよあれよといううちに次女の子供2人が、結婚して6人の孫が出来、長女の方も遅まきながらいま5センチというおなかのなかに孫が、出来ている。お寺さんも、お父さんから若ぼんさんにと、3代目になっている。若いときは皆スーマートだった娘も娘婿たちも、皆よい貫禄である。大きいおじいさんの腹の上に1歳の、れんさんがニコニコと座っているのは、何ともほほえましい。後はにぎやかに食事をしてお墓にまいって帰った。孫もひ孫も知らない人には気の毒だが、のんびりまだまだできる曾孫たちを見届けてゆくとショウ。先に行って人は、故郷にかかった瀬戸大橋も知らない。もちろん外国も知らない。私は昨年もカナダに行かせて貰った。やっぱりいきているほうが特だよ。あちらに行ったら孫の事も曾孫の事も話してあげるからね。
2010年08月11日
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まごむすめにはかなわないがと言いながら、娘も婿と仙台に息子の野球を見に行ったという。笹かまぼこのお土産が沢山送られてきた。私も半世紀以上続く友達にせかされて、鷲羽ハイランドホテルの、新聞に載っていた1万円歩っきりブランに申し込んだ。案外に料理もよかって皆喜んで帰った。中高と一貫した学校時代の友達だ。4人席が並んでいた時代に、すぐ帰れる友達だ。今日8月の5日から、孫の結婚式にオオストラリヤにいく友、9月には北海道に行く友も皆並んで露天風呂から海を隔てて見える故郷讃岐の讃岐富士を見て、幼い日に帰った。帰りは昨夜の鬼太鼓をたたいたお兄さんに下津井まで送ってもらって、離れがたい友は岡山まで来て、昼食をして、四国に2人が、帰っていつた。帰り岡山の友は宝くじをみんなの分まで買って、発表を楽しめという。当たったら又皆で旅をしょうという。何だか嬉しくて涙が出た。こんなすばらしい仲間は60何年かけて出来たのである。皆は孫がいて、子ずかいがいる話をしたけど彼女には孫が居ないのだ。でもそんなことは皆知っているから、遠慮しないで言い合える。仲間なのだ。やっと暑中見舞いが出来た。今年は遊びすぎて忙しい。明日は病院に主人と行き、あさっては、笠岡の歌会。日曜日はお寺さんが来るという。まだまだ暑い夏は忙しそうだ。まあ孫に負けないように頑張るかな?
2010年08月05日
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暑い暑い日がつづいていて、それでも男孫が二人来て、冬物の布団の洗濯に行ってくれカナダから帰った孫娘がお姉ちゃんと来てくれたり21日には一人で大阪の文楽を見に行ったり友達の踊りの会を見に出かけたりと暑い暑いといいながら、出かける事が多い夏である。娘の旦那のお母さんが無くなったりして、おなじ歳ぐらいの、母の一緒の姉を訪ねようという気になって花ちゃんの車でたかまつで探したのだが見当たらない。仕方がないので妹と2人で屋島の健康ランドに行く。昔よく行った所だが久し振りに行くとのんびりした。主人のリハビリの留守を出かけて帰るまでには帰ってきた。久し振りの故郷はやはりいいものだ。帰ったら妹より電話で義理の姉の久美ちゃんは入院しているという。あまりよくないらしいのでまた水曜日に見舞いに行く事にする。自分も歳がいくと周りも歳が行くという事がまだ私には、分かっていないようだ。28日には高松29日30日は、友4人と児島のわしゅうハイランドホテル31日は岡山で歌会月末まで忙しい日が続くようだ。まあ元気で頑張れる事は、しやわせなのかな。暑いけど、皆頑張れよ。カナダがえりのあやさんはあつさがみにしむだろうな?
2010年07月25日
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そういえば昨年の7月にはカナダの亜矢さんの部屋で、はじめての時差ぼけにダウンしていたっけ?外国にはあまり行っていないが40台の後半には妹とヨーロッパにも行ったが若かったからか何ともなかった。もう外国はいけないと思っていたのだがなんと主人が、ショウトスイーに、行ってもいいという。週2回のリハビリーにもなれて、何だかいい調子らしい嬉しくなってパスポートも、もうすぐ10年が来る。更新をしなくてはと、うきうきしている。だれかさそってくれないかな?何だかそわそわしてくる。10月の龍の全国大会も来年2月の万葉の会の高千穂の夜神楽も、行けばいいよといわれて、狐につままれたようだ。きつと主人も病院慣れがしたのだろう。とにかく安心して何処にでも行ける。車の運転をやめた主人なのでもう遠くはいけないと思っていたから、昨日は万歳である。亜矢さん帰ってきたらいろいろ話し聞かせてね。いい経験できてよかったね。今日は昔の写真をひさしぶりに見てみた。長女が亜矢さんのお姉さんの佳世さんの赤ちゃんのときの写真を見てびっくりした。なんといまの佳世さんそっくりなのだ。本当に驚いた。あっこさんは2段腹で、足のつめを切るのにお腹に力を入れてひっこめるなんて、歌作っているけど、成人式の振袖姿のそそとして、わが子ながら美人である。驚いたり笑ったり一人でした。今度着たとき皆見てみろ。四人子持ちもおじさんもかわいいかわいいちびちゃんである。曾孫達は父さんじや無いというだろうな?
2010年07月10日
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私も少々惚けてきたかな?何てまだまだそうは思ってないよ。孫の圭祐君が1,5センチほども子供が奥さんの千恵さんのお腹にいるときいたとき、初孫の娘と同じにやったと思って書いたつもりが消えていたようだ。7人目の曾孫である。元気な子が生まれるといいな。とにかく元気で、いなければ、曾孫7人の結婚式をみて、何て欲が出てくる。玄孫を見てなんて欲どうしくなるから、まだまだ孫は万分しか決紺していないから曾孫も増えていく予定である。きっとそのうち名前が覚えきれなくなる事だろう。またまた月末から竹原に行く。偶然に車に乗せてくれるご夫婦がいて、29日30日7月一日と3泊で出かけた。とも夫婦は、2泊だったが40年もご夫婦をしていながら、奥さんが、「いま君」と旦那さんを呼んで仲のいいご夫婦だ。朝4時から請け負った田んぼの田植えをして、3度の食事も作るいま君である。インシュリンを打つ奥さんは、食事のたびに血糖値を検査する。でもとても明るい。生きていてくれるだけでいいといういま君にも、奥さんにも見習わないといけない事が沢山ある。人間生きていくだけでも、大変な人もいる。優しくなろうよと夫にも話す.昭和一桁頑固だが黙ってきいているときは、少しは分かっているようだ。圭祐君大丈夫だと思うけど口に出さないと分からない事もあるから奥さん大事に頑張ってね。もうすぐ亜矢さんの帰ってくるね。きみさんもにぎやかになるね。お婆さんもにぎやかになると、きっと嬉しいと思うよ。きみさんも頑張ってね。内緒だけどうちの旦那さん薬の管理を私がしだして、心臓も胃も大丈夫、薬の数が減ってきたよ。本人はわしは忘れないといっているけどね。
2010年07月03日
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今日はチーズケーキ作りの班会を医療生協がするというので、農協の朝市に花を買いに行く。友達に花を貰ったりして久し振りに通った道には、もう庭だけしか、空いていなかった空き家が、なんと全部蔦や木に覆われていた。今年は鳥が多くて我が家の狭い庭の木蓮にも鳥が巣を作って、にぎやかに鳴き交わしている。鶯もいっまでも鳴いている。田植えをした早苗田には、渡り鳥の白鷺がいっか住み着いて、いっばいいる。きれいだとか、いいなきごえだとかいっているうちはいいけど、つたや木に覆われている家は、何となく不気味だ。家も住む人がいなくなると、無残なものだと思う。なんてことも思ったがとにかく皆でチーズケーキを作って食べて、平穏無事に過ごしている。今日来たクリスチャンの友達が言っていた。教会の扉を、この頃は開けっ放しにできないという人らと、今までどうりに開けておこうという人が2派に分かれているという。いろいろ悪い事に、使う人がいるからだという。孫のプログに、かなうなら死んだじいちゃんと酒が飲みたかったとあった。尊敬する人は両親と書いてあった。嬉しかったね。娘夫婦よ。頑張れよ。4人も子供がいたけどこう思ってくれている息子がいるということは、うれしいことだね。私もアッちゃんが用は無いけど母さんの声が聞きたいという歌を、作っていたのにはちょっとうるうると、来たよ。まあ皆元気で佳世ちゃんのいっまでも新婚さんのような旦那をねたの日記も楽しく読ませてもらっているし、来月には亜矢さんも帰るというし、いいことも沢山あるよね。亜矢さんの結婚式まで頑張ろう。予定は何も無いけどね。
2010年06月16日
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3日に竹原より帰って4日には主人と病院に月に1度の受診、5日は笠岡の歌会、6日は敦子さんと拓君と中央病院にお見舞いに行く。もう危ないという人だが1度はのぞいてみようと思っていたので、出かける。拓君とも久し振りだ。一緒に食事してから出かける。いつも私の膝に乗って抱かれていた拓君が私を上からみをろしている。髭を伸ばしてもうすぐ25歳という。でもその目は私の膝の上に抱かれていた拓君の目だ。仕事をやめている彼、沖縄にいってくるという。人生長いのだからそれも好いのかななんて思えるようになった。見舞いに行った彼女は、私より2歳年上、拓君は私からも彼女からも、血を引いている。娘婿の産みの母親だ。もうものも言えない。うつらうつらしている彼女を見ていると、何ともいえない気持ちになったでも生きているうちに会いたいと思ったのだから、それもいいかと思った。こうして人はなくなっていくのだ。悲しいけれど現実だものね。敦子さんがねいちゃんがパチンコで勝ったから、買ってもらったという服を着ていた。涼しそうだったぞ。竹原には車に乗れなくなった旦那の気晴らしと私の食事作りの手抜きでご馳走を食べに行くのだから、あまり気にしないで思い立ったら、いっでも行くから、旦那を大切に、そして自分も体に気をつけてね。病院には産んで育ててはいない、まつ君の弟さんご夫婦がきていた。何も分からない母親に、母ちゃんあっちゃんたちが着てくれたよと言っていた。2人しか産まなかった子供だが、私の2人の子供も孫7人の元気でいっか私を贈って暮れよなと思う。もちろんまだまだ死なないからね。7日には生協の役員会と、貴女の教えてくれたケーキ作りがかっやくしているからね。ショウとステイに、預けて何処かに旅しょうね。
2010年06月09日
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温泉暮らしも3泊もすると、退屈だなあと思うのだが、このたびはさすがの初子さんも、上の方に蛍が飛んでいるよといわれても出かける気にならない。5月27日28日と大阪行き主人最後の障害者全国大会に42名出席前日は神戸でミュージックグルメ船コンチェルトに乗って中華バイキングを、食べながらフルートとピアノの演奏に「花」とか歌ったりして、楽しい大阪湾クルーズを楽しんで車椅子も、3台だったけど大方は杖をついたものばかり、みんなたのしそうだつた。泊まりは神戸市やわせ村、震災の後行った時には仮設住宅が累々と建っていたのに、広々とした緑豊かな運動公園になっている。その日は満員で京都の養護学校が、修学旅行に来ていた。バリヤフリーの宿で旅行が出来るのは本当に嬉しい事だ。ちなみに31日から行った竹原で、いっもの部屋が空いていなくて1晩だけ普通の洋室に入った。何とトイレと風呂場が1段高い。そのうえ手すりが無くて、1晩だけで部屋を変ったが、いつものバリヤフリーの部屋のありがたさをしみじみ感じた。JRも若い女の駅員さんもいて楽に旅行が楽しく行ける。小さな本郷駅でも一日に5、6件は介助を頼まれるという。話は変るが三河安城市から友達が故郷の小学校の通学路を歩きたいという。小学校の3年までしか学校に行けなかった彼女の今生の夢だというから付き合うことにした。家庭に恵まれなくていじめっ子だった彼女と取っ組み合いの喧嘩をした。でも彼女にとってはなっかしいらしい。いろいろ話をしょうと思っていたのに、ドクタストップがかかったという。旅なんてとんでもない。死んでもいいのかと、言われたという。一緒に歩くよというと喜んでいたのに
2010年06月03日
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80を過ぎた主人が、18年がんばってきた会を今年は辞める。それは分かっていたのだが11日の金光の総会でご苦労様と、感謝状を戴いた。その後思いがけず、今日まで、ご苦労様とバラの花を30本私が戴いたのだ。本当にびっくりした思いもかけなかった。内助の功だって、周りを見回すと18年前に会を作ったときにいた人らは、奥さんだけになっている。ご主人を支えて自分も足を手術して、主人亡き後も、自分が障害者になっている方も沢山いる。赤、黄、ピンクと、3本ずつを、ご主人に供えてと、さしあげた。皆私の先生だった。気の付かない私だが、ご主人の為に頑張っている人、自分の体の不自由を、又病と付き合っている人、さまざまな人を知って、私が少しでも優しくなれたとすれば、こんな皆をしったからかもしれない。そうなると喧嘩ばかりしている主人だが、ありがたいと思わない徒と思った。でもそのすぐ後でもう喧嘩をした。まあ夫婦はライバルかな?どうも2人ともなかなかまけられない。13日はカルチャ、先生も80近くになったはずだ。先生もせいとたちにまけられないとおもっているのかな?会から手を引いたけどまだ大阪の全国大会に27日と28日に行く。43名神戸港の遊覧をして中華バイキングとかで、皆楽しみにしているようだ。26日が82歳の誕生日と言う主人と31日から竹原に3泊で行く。総会ばかりで4月5月と忙しい主人が待ち構えているから、やつと忙しい役が終わったので、先月からは協同病院の役員会が我が家で1ヶ月に1回あるそうで,私のケーキずくりもまだまだお休みにはならない。でもそれが元気の本かな。大阪に行くことにもなれたから、文楽が年、京都にも春秋ぐらいは、主人のリハビリーの日に、日帰りで出かけよう。これは希望である。
2010年05月15日
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白石島は昔から行きたかったのに笠岡に歌会に二十年近く通っていながら、フエリーなどちかくにみながら笠岡諸島には、1度も行った事が無かったけど、やっと念願がかなって、一番近い白石島にわたれた。350人ぐらい人が住むのに、幼稚園児はなんと4人、猫の子1匹目にかからない路地を歩いて、開龍寺というお寺まで行ったが海は美しかった。工場なんてない島だから、エメラルドグリンの海は沖縄の海を思わせた。魚も美味しくて一日のんびりしたけど、すむのには不便だろうな。そういえば拓さんが沖縄に行きたいといっているようだ。若いといいな。2日には、つくづく母系家族と思う。娘2人孫娘2人、曾孫も来たのは1歳と4歳の娘である。今も4歳の孫娘遥さんの作ったビーズの腕輪をしている。「おそろいだからねお風呂に漬けたらだめよ」と、4歳の彼女に念を押されたビーズの青い花のついた腕輪が手に巻きついている。彼女には赤いお花がついている。大事にしないと今度来るときまで覚えているような気がする。そうそう白石島に行きたかったのは白石踊りというのが島にあって、編み笠をかぶって情緒豊かに舞うというのを知ったからだ。フエリー乗り場にある1件のお店といっても、売っているのは手ずくり海苔と天草と荒芽だけだったけど、そこのお兄さんが、那須与一の歌が1時間半ぐらいかかるので、それを踊ったりするから覚えるだけで大変なのだという。那須与一は讃岐の壇ノ浦で、平家の船の扇を弓で打ち落とす話だが、瀬戸内の海は船で往来していた昔は、あしこちにあるのかな?平家の落ち武者が踊るような踊りらしい。いつか見てみたいものだ。もう観光用にしか踊っていないようだ。私は源氏びいきだってのに、先祖の墓に平氏書かれていてショックを受けた日があった。
2010年05月05日
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21日は自分の誕生祝に、予約した文楽に行く。久し振りのいい天気に、主人のリハビリより一足先に8時12分の電車に乗る。なんと霧のため9分遅れの電車で11分乗りかけ時間のレールスター光に乗り込んだときは本当にほっとした。9時44分新大阪10時半開演の文楽にセイフ2列17番何と隣の席は若い外人さん隣に和服の可愛い娘さんが来て、手を握りながら時々い居眠りをしている。「妹背山婦女庭訓」妹山背山の段、悲恋の若者たちの首を打たれて添えるのだが、桜満開の吉野川に隔てられた、子を打たねばならの親の嘆きと、吉田蓑助の使う雛鳥の可憐さに、泣けた。吉野川を雛人形の嫁入り道具とともに雛の駕籠に首を乗せての嫁入りは、日本の文化とおもった。満足して帰って22日にカルチャの後の万葉集の講義はなんと妹山背山、舞台ばかり思い出して、いい気持ち、何処かで祖父がよかっただろうと笑っているようだ。23日は筍を戴き卵を買ってきてくれた家にお金を持っていくと出かけたのはいいがそこに見えているところなのに道を迷って、迷路のような住宅地になんと1万4000歩の散歩、大阪でも難波から日本橋まで歩いても1万歩足らず、ちょっと草臥れた。相変わらずのあわてものだ。財布を落とした長女は私に似ているのだろう。でも何とか生きているからね。気をつけろよ。私もこないだから筍を焦がし、はんせいしている。バナナを入れたパンを作っていて、ふろにいっていてブザーの音を聞き違えて又コネから焼きなおしたが、ふわふわに焼けてよかった事もあるけどね。桜はもう葉桜になったけど春だなあ躑躅もボタンもタンポポも、山吹エニシダ藤の花、道を歩くと嬉しくなってくる。元気で頑張ろう。娘たちよ。子育てが終わったと思うなよ。まだ親孝行が残っているぞ。
2010年04月24日
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昔大勢の家族で住んでいた二十年も前に、毎日朝タイマーでパンを焼いていた。加奈ちゃんの姑さんが買ったパン焼機の話を聞いて、俄然焼く気になっていたら、テレビの通販が待っていたようにあって早速買う。1斤焼いては、3日で食べる。メニューが沢山あって、くるみ、黒糖、卵に、今日はベーコンたまねぎ、楽しく焼いている。今は食パンだが、そのうちレシビを、全部作ってみるぞ。カルチャに、もう少しの主人の役員会と忙しいが、14日15日と、妹と高松で落ち合って、南淡路国民休暇村にいってきた。車に乗る妹だが歳のせいで、有料道路は、いやだという。高松から高徳線で池谷、その後鳴門行きのワンマンカーで鳴門駅から淡路に橋を渡るだけなのに、なんと一日に4便のバス4月一日から2便減ったそうで、1時半ごろに乗らないと6時ごろまで無い。しやわせに14日はお天気で、鳴門大橋を見ながら、露天風呂を満喫した。言って帰っただけの旅だったが、ツワーとは違ってのんびりゆっくりだった。お互いに歳を寄せたと思うでもお互いに元気だから、こうして旅が出来るのだから、親の縁は薄かったけどいい遺伝子を貰っているのかな?何て言いながらのんびりしてきた。リハビリーに、14日はいって15日は留守番の主人に感謝、21日には、大阪の文楽劇場主人のリハビリーの日は私のストレス解消の日、何て勝手に思っている。まあいいか。又車椅子を押して温泉にでも連れて行こう。この間は、桜並木でと、車椅子を押していったのだけど、家にかえつてのんびりがいいなんていうからビールに缶酎ハイ花見弁当を食べた。今年の桜は少し寒かった。でも今年も桜は見事に咲いていた。大和心のようには、ぱっと散らないで、まだ名残の桜が散っている。
2010年04月17日
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22日ご近所さんに救急車が来てその日のうちに80歳くらいの女の人がなくなった。23日通夜、24日はお葬式に出て、25日は岡山にカルチャーに行き帰りは万葉の会もあってくたくた。主人より1歳下の人がなくなって、お互いに少し鬱。でも鬱なんて言っていられない。29日には、お迎えのバスで23人の人たちと竹原に行く。のんびりとお風呂に入って、介護浴室の温泉に浸かれた身障者の嬉しそうな姿を見ると私も元気が出てきた。1泊して竹原の町並みを通って海岸線をバスに走ってもらって皆よかったらしい。体の不自由な人はのんびりと旅をするのが嬉しいようだ。温泉に入れなかった主人と後2泊してゆっくり帰る。話もして私たちも元気を貰った。四月一日に帰って、2日は主人の診察の日、病院は老老介護、夫が妻の車椅子を押し、妻が夫の手を引いて、何だか長生きも大概でいいかな等と、おもたりもするけど、子供たちに迷惑をかけまいと,頑張っている老人たちに、私も負けていられない。3日は笠岡の歌会、私より1歳下の人が1時間時間を、間違えて早く来ていた。一日休んでやっと元気になったら、主人が忘れていた生協の運営委員会があると9時半ごろ6人の人が来る。主人と合わせて7人、とにかくコーヒを出して娘に教わったくるみ餅等作って、りんごケーキも何とか間に合って、お昼に皆帰って言った。ああよかった。いっもなら主人を叱るところだが、物忘れはお互い様と今日は思った。遥さんから、なむなむの祖母ちゃんえという葉書も来てるし。ご機嫌さんの私である。
2010年04月05日
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21日には例年どうり茶屋町にきみさんもかよさんも来てお彼岸の中日のぼんさんを迎えるこれも例年どうり曾孫たちの、うじゃうじゃのお経に大人たちは負けてしまう。帰りに、裕也のきこり屋にもよる。何ともいえないお店だが、面白そうな気はした。孫も曾孫も沢山おって、きっと生きていると大喜びする人もいただろうと思った。帰ってお寺さんが彼岸なのに亡くなる人もいてといっていたとうりに組合の人がなくなる。夕方救急車が、来てその夜なくなった。くしくも昭和4年生まれの人で、満80歳、子供さん一家が、2,3年前に帰ってきていたので、残された、旦那さんも少しは心丈夫だろうと、思う。お通夜もお葬式もすんだ後で、ご近所の最近姿の見えない90過ぎの子供のない、ご主人も前に亡くなった方がお葬式も無く、遠い親類だけで親類葬とかで、13日に亡くなっていると、組合長から聞く淋しいと思う。死んでいくものは後のことなど、分からないけど、ご主人のくるまイスを押していた姿を知っていた私などは、ご苦労様とねぎらってあげたかったねと思う。淋しいものだ。でも歳はみんな行くのだから、まあ頑張らないとね。明日は竹原にみんなといって私たちは残ってゆっくり帰るつもり。ちよっといろいろ続いてくたびれているようなので、のんびりしてこよう。重箱天気は今も続いて、天気かと思っていてもすぐ雨になったり、温かいと思っていたらマイナス3度の朝だったり、だも確実に春は来ている。鶸に食べられながらも、庭の木蓮が咲き、桜の川土手には桜がピンクに色ずきはじめた。春だぞ
2010年03月28日
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この歳になって初めて重箱天気と、言うのを知る。18日は天気予報氏が言う重箱天気で、岡山は雨のようだからと、19日に墓参りに行くと妹が言う。初めに18日は仏滅で19日は大安だからなどという妹なので、まあいいかと思ったのだが本当に、19日は久し振りの天気で、爺さんも婆さんも父も、あの人も皆が守ってくれたようないい天気、墓参りばかりに会う姉妹だが、お互いに歳を寄せるといとおしくなる。留守番をしている人も居るから3時過ぎに分かれる。モンサンミッシエルは楽しかったようだ。よかったねと思う。20日は隣組の大掃除、金光様の大祭が近いので道などを掃除する。8時に農協の朝市に行って花を買って来て掃除に出て、そのあと御墓の掃除に行く。山の上のお墓は気持ちがいい。鶯も鳴いて帽子とマスクのおかげでやぶ蚊の大群に襲われる事もなく、気分よくお掃除をしてお花を祭り一人で拝んで買える。今日も何だかいい天気である。駅裏公園の桜並木には提灯がつけられた。今日ぐらいからは、夜灯が点るだろう。竹原も29日からだからきっと満開の花を見られるだろう。夜桜の花を温泉の部屋から、湯上りにぼんやり見るのもいいものだ。月が出れば又いいし、夜空に灯に照らされて、白くかがようような満開の桜もいい。心躍らせるものがある。あの世の人も花見しているのだろうかな?何だか死んでも見たいようなきがするな?かえつて来てもまだ土手の桜は散っているかな?4月1日はエープリルフル花にだまされても本望だよ。ちらちらと散る桜もいいな。
2010年03月20日
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カナダの亜矢さんは、もう少しして帰るようだ。うれしい。わがパソコンの師も動いているかなと心配しているようだ。有難うございます。友4人との旅行の写真を作って皆に手紙出したり、笠岡と岡山とに行き、詠草を出し昨日は医療生協の役員会となかなか忙しい。でも歳は年なので、金光様の掃除を忘れ、11日の岡山では帰りサンライナーは金光は止まらないのがあるので気をとられて、入り口の機械の切符を取らないで出て、親切な方に教えられたり、主人の物忘れがひどいなんて言っていられない。とにかく忙しかったことにしておこう。娘の弁当ずくりをしている友は奥出雲から山陰に卓球のグループと出かけるそうだ。同級生には負けていられない。4月の文楽は妹背山婦女庭訓通し狂言だが、3段目までだが見て帰ろう。4月21日座席も2列の17番るんるん気分である。その前に主人たちとも竹原に、妹とも何処かに行かなくては、と思っていたら妹がお彼岸だから御墓参りに行くと電話あり。お寺さんも来ると思うし孫や曾孫とは別にと思うから18日に行く事にする。やっぱり忙しい。でも桜がもう莟がいろずいてきている。川土手の桜ももうすぐ咲くだろう。花粉症の私が帽子に大きいマスクをしても、咲き出した沈丁花はいい匂いを送ってくる。なんと言ってももうすぐ春だ。あやさんもかえってくるぞ?春は曙。嬉しくなってくる。
2010年03月13日
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いろいろアクシデントがあって、三朝から帰ってプログを書いて終わったとたん暗がりでおでこをいやというほど打ってしまった。いつもの通りコンタクトが左目がない。翌日は竹原片目で温泉どまり3日してそれでも根性で日に5回の風呂に入り19日に帰り20日にはコンタクトを作りに倉敷に行き取り寄せまでに2週間はかかるといわれ、23日24日と幼友達たちと鳴門に、イセエビ懐石を食べに行く。この時期が一番安いと友が取ってくれた鳴門グランドホテルに1泊2日またまた片目のたびであった。25日は岡山のカルチヤその後、万葉講座に出て、やつとかためばかりの日々が終わった。思わないほど早く出来たので27日倉敷にとりに行く。加奈さんと曾孫の遥さんが、娘に頼まれて、旅行かばんを取りの来たので、車で送ってもらう。遥さんがいいおねいさんになっているのに驚いた。子供つて成長が早いのだなあと思った。加奈さんも早2児の母親、娘2人の幼子を育てている。こうして母も成長するのだな?自分の夢中だった子育てをしばし振り返って、私の片目生活は終わった。ちょっと遊びすぎて、くたびれている。花粉症も激しいようだから、少しのんびりしないとだめかな。昨日裏で鶯が鳴いていた。紅梅も白梅も咲いて、さくらも咲き出すとじっとして入られない。花見もしたいし、今日は4月の文楽の前売り券の予約もした。私の同級生の誕生日が同じだった友がなくなっていた。ちなみに私の誕生日は怨霊の鎮魂の日であるようだ。
2010年03月03日
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雪は降ってなかったけれど、人形峠のトンネルの前後はさすがに雪国の感じだつた.4年ぶりに行った三朝は、さすがにキュウリ夫妻の見つけたラジュム温泉気持ちがいいしお湯もかけ流しで、飲んでも美味しいのに驚いた。炭化の仲間6人芸達者もいて日本舞踊詩吟など楽しい食事と歌会だった。にぎやかさにはほどとうかったけど何だかのんびりした。皆楽しそうだった。昼過ぎには送っていただいて帰ってきたがバス3時間はくたびれた。明日は,今年は温泉に行っていないという留守番の主人と竹原の湯坂温泉に行く。温泉大好き人間の私は又ゆずかれを起こすほどお湯にいることだろう。帰るとかなさんと智ちゃんからメールともちゃんは、12月に結婚する昭平君のお嫁さんのご両親に、会いに行ったとか、子供も大きくなっても親は大変だね。加奈さんは親子水入らずの生活にもなれた来たのだろう。お雛を飾ったそうだ。春だなあ私もしっかり春を満喫しょう。ちょっとくじいた足はまだ痛いけどまだまだこんな事で、くじけないぞ。皆も婆さんに負けずに頑張れよ。今カナダでは冬季オリンピックの待つ最中、亜矢さんはどうしているかな?と思う。まあとにかく明日は車椅子を押して、本郷からしょうたくんに送ってもらおう。佳世さんの言うマルコメさんにも会ってくるか?
2010年02月15日
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やっと動き出した。きしな先生という私にはパソコンの先生がいて、困ったときには来て頂くおかげさまで使い込んだパソコンが又動き出す。1月30日にもパソコンに据わっていた私が主人の帰りにしびれた足を引きずって玄関でこけてしまった。パソコンも人間も古くなったがいたわりながら、助けられながら、もう少し動きたいものだ。おかげで孫3人のプログを見られるし、時には、孫の昔話の話しにうるうるとしながら、負けないように書き込みをしてうこう。10日には足を少し引きずれながらオーストリヤ展に、岡山の美術館にいった。ものすごい人にびっくりした。帰り後楽園に行ったら梅が、咲き出していた。私と一緒に行った友は9歳も若いけど28年夫を看取っている。後楽園なんて新婚のとき以来だと聞いたときには、少しうるうるした。今日も福山から娘さんが来て、見取りをしているという。こんな時間も大切と食事もして帰る。いい一日だった。書き込みをしていたら、パソコンが固まってしまった。昼からは奥さんのいとこ会でサンロード吉備路に行く予定なのに来てくださった、きしなさんには100歳のお母さんがいる。私と同い年だがしやわせな方だ。100歳のお母さんも、いとこ会に行くのだそうだ。うらやましい。私も明日から三朝温泉つづけて、竹原の湯坂温泉19日に帰ってくると23日24日と幼友達と、鳴門にイセエビ懐石と、つづく。まあ元気でいける所には行こう。そして長生きして、娘にもう飽きたといわれるまで生きてみようか?100歳の癖に母顔をしてと、きしなさんは言うけれど?
2010年02月13日
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孫のブログに古里が移っていた.嬉しかったね.幼い日の家はなかったけれど、20日大阪に8時12分金光駅を出て岡山に着いたのが8時47分35分かかって岡山を8時58分ヒカリのレールスターで新大阪に9時44分46分で新大阪につく、地下鉄御堂筋線で難波にそこから歩いて日本橋の国立文楽劇場に着くと開場の10時半には少し前に着く。11時開演だが初春公演なので少し早く三番叟が始まる。昼御飯も文楽茶屋の弁当を30分の、休憩に食べて4時間ゆっくり文楽を見る。「めいぼく先代萩」題等もうパソコンにも出ない.お夏清十朗も、清姫が日高川を心変わりした安珍を大蛇になって追いかけるさまの、義太夫の5人と、三味腺の4人の太夫さんの、迫力に夢中になった。親の縁の薄い私に酒を飲まぬ祖父のたった一つの趣味だった義太夫は背中で聞く子守歌だった。徳島に近い讃岐に生まれて阿波のでこ廻しは、みじかなものだった。帰りの新幹線の中でも、声のよかった祖父の義太夫が、耳を離れない。6時ごろには帰ってきたが、朝起きたときも、義太夫も太棹の三味腺の音も人形の愛らしさも皆覚えていて幸せな気分、何だか元気が出てきた。4月の初春公演も元気で見に行きたいものだ。2月は14日日15日と三朝温泉、温泉に長く行かないという旦那のために16日から3泊で竹原に行く。子育てまっ最中の孫よ有難うね。又いっか何処かに皆で以降ね。東京デズニーで泣いていたあなたを思い出します。30になっても孫は孫だよ。7人の孫よ。頑張れよ。婆さんも頑張る
2010年01月21日
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孫3人のプログーを愉しくみて、佳世さんのプログーには、カナダにいる亜矢さんの書き込みもいっていて、帰りが遅くなるらしいが、元気そうなので一安心。裕也君の愉しそうなお店も見えて、これも一安心、今朝ふるさと讃岐の妹に電話をしたらなんと雪が降っていた。彼女は74歳でも毎日プールに行ってエヤロビを、している元気者でも今日は雪が積んでいるので休むという。岡山の金光は太陽が輝いている。カナダの亜矢さんは、もう雪国になれているだろうね。明日は岡山帰りには倉敷であっこさんと最後の市民劇場、17日は新年会、今年3回目で一番大きい新年会、敦子さんが短歌の結社「龍」に入って初めての新年会、嬉しいような、恥ずかしいような、親の私が恥ずかしがる事はないのだが、ちよっとばかり照れくさい。2月には三朝温泉も決まって、20日は大阪文楽と忙しい2010年の幕開きである。妹も2月のはじめに「モンサンミッセル」に行くという。私も秋には切れるバスポートまた10年更新小。まだまだ頑張りたいものね。まずは温泉行きたいという夫を竹原に連れて行くか?いつ行こうかな。竹原のお雛さん今年もあるかな?一日は町並み通りを一人で歩きたいものだ。ついでに、海を見て帰りたい。主人を楽しませて、わたしも楽しんで帰りたいものだ。ああ忙しい忙しい。元気っていいなつくづく思う。
2010年01月13日
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一日に来たのは子供たちと孫で九人、楽しく酔っ払ってダウン。3人帰って、泊まりは6人昼過ぎに5人帰って2日はなんと21人曾孫は6人よく食べてよく喋って夜皆引き上げた。3日よい正月だったという主人と人ノンビリしながらいつもの生活に帰る。今年結婚した圭祐君は10ヶ月遅れの新婚旅行に北海道に行ってきたという。楽しそうだった。今年暮れに結婚するのも、いる。曾孫の手を引いて金光様に参っている後姿を圭ちゃんがプログーに乗せていた。2歳のさくさんと、なんと歳の差は73歳、びつくりしたな?4人の曾孫を連れて夜スパーに買い物に言ってときも孫の拓さんがついてきてくれたのは、私を心配してかな?と後でしみじみ気が付いた。とにかく4人の曾孫はジュースを買うといえば、ままちのも、ぱぱちのもという。何とも優しい。大勢兄弟がいると優しく育つのかな?もう一人の遥さんは大きな赤い月を見て、ウサギさんが2匹餅つきをしているという。うれしくなるね。きこりやさんのプログヲ見て、42で亡くなった人を思った。彼もそんな生きかたしたかったと思ったからだ。長生きしてたら出来ただろうにと思う。とにかく元気で縁あっておうぜいの家族に取り囲まれていい正月だった。2歳のさくさんが大きな犬にも恐れないのは黒ラブを飼っているからだときこり屋のプログーを見て知った.孫娘の佳世の旦那の勤めるハローズの肉はみんなの人気者来年からは、おせちもとろう。拓さんは圭祐の散髪をしていた。いっか爺さんにもしてあげてくれ。国家試験おめでとうさん。いっか嫁さんだね。ますます曾孫が増える
2010年01月06日
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11月は遊びすぎて少しくくたびれ。留守番ばかりの主人が元気がないので、13日14日15日と、3泊で又竹原簡保、途中14日は、主人の会の研修会で九人増えて、飲んだりカラオケをしたり、皆楽しんで帰った。主人も私も元気になった。今日は今年で一番寒い日ででもリハビリに出かけた主人の後を朝市に花を買いに行く。霜が降って真っ白い川を鷺たちは餌を探して、鳴きながら跳んでいる。花を沢山かって家中の花瓶の花を入れ替えた。それだけでとにかく気持ちがいい。明日は荒神様の掃除24日は岡山のカルチャ27日は金光さまの掃除,これでやっと年の暮れ、まあまあ忙しいけど元気で、病院にもいか内で、頑張れているしやわせを感謝しょう。病気にならなくても.体がしんどいと打つになるのを今年初めてしった。竹原でも、私たち2人が最年長、再来年の任期で主人も支部長を辞めるという。でも今年又、全国大会の大阪、春と、秋の中4国大会の松山にはバスで1泊とまりで行くそうだ。まあ喜んでくれる人もいるから日と頑張りするか?まずは正月みんなくるかな?これるといいな?この間遥さんから手紙が来たのを、同じ年頃の子が電車のなかで、お父さんに書いた手紙を持ってお母さんとのつていて、単身赴任のお父さんに会いに行くのだと思った。前の席にすわっていたので私も遥さんの、なむなむの、祖母ちゃんえと、いう手紙を見せてしまった。あ、あ、私も孫馬鹿じゃなくて、曾孫馬鹿だなと思った。まあ歳相応かな1月二十日は大阪に文楽を予約した。まだまだ来年も忙しそうだ。
2009年12月19日
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暖かい広島に育った孫亜矢さん雪国の冬を楽しんでいるかな?それともふるえているかな?でもなかなか経験できない事をしているのだから頑張ってこいよ。もう1つ気になる事があるけど、まあこれは何ぼ思っても仕方がないことだし、世の中そういいことばかりもないだろう。きつと神様は、いいことと悪い事を間配っているのかもしれない。年末の喪中葉書に友の一人が長男の死を知らせてきた。何もいえない。私らの年代になると、さかさまごとは大変だと思う。40代50代で逝かれると家族たちは大変だろうと思う。親は変ってやれたらときっと思う。でもこれだけはどうしょうもない。とにかく元気でさえいれば又いいこともあるだろう。皆元気で年越しをしたいものだ。今年高齢者保険を使って半日ドックに行ってきた。何だかお年寄りになりましたよといわれているようで、淋しいが、少し年下の人より安いのは、大賛成だ。友に声が出なくなった人もいる。勿論病気で、寝たきりもいる。透析を受けている人もいる。年を取るということはこうしたことなのだとつくづく思う。若い者も、大変だけど歳いったものも大変なのだ。でもまあ来年は年5回文楽を大阪に見に行く事を目標にして、頑張ろう。そして欲を言えば、温泉にも何回か行きたいものである。まだまだこの世に未練たっぷりの私である。チョット偏屈の相棒とともに頑張ろう。そういえば今年は温かでまだまだ川土手の紅葉が綺麗だ。我が家の木蓮も葉は落としたが、もう白い幹から花芽が沢山出ている。12月は娘の誕生月、3月は私の誕生月、亜矢も帰るかな?
2009年12月02日
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なんと遊ぶのも忙しい。13日から万葉講座からの万葉の旅、日本があんなに山国とは知らなかった。三日間で峠を、10個も超えていた。1泊は別所温泉、いいお湯だった。2泊目は御園の花祭り、夜通し踊る村人には、ついていけず、12時近く水窪の宿に引き上げる。山ばかりの水窪の夜の星空は,美しかった.町の灯なんて少しもない。何だか神の国に迷い込んだような気がした。23人のうち2人ほど朝の4時半まで祭りを見ていたようだ。でも朝まで踊る1年に1度の村の人々の踊りは終わらなかったそうだ。黄泉の国に旅立つ人のために、鉞を振って山に道を作る赤鬼は、大きなお面をかぶって1時間近く、へとへとになるまで踊っていた。もう踊りは卒業したらしいおじいさんが若い人に混じっていつまでも踊っていた。好い旅だった。18日は一人大阪の国立文楽劇場に「芦屋道満大内鏡」を見に行く2列の18番真ん中のいい席だった。いっも可愛がってくれた祖父の背に負ぶされて、聞いた義太夫が太棹の三味線に乗って、なっかしかった。狐の葛の葉の母心に、ほろりと泣いて、大阪から、かえって来た。人間国宝の81歳の吉田文雀の、葛の葉は、すばらしかった。チョット一人泣くのは恥ずかしかったが、1歳の私を置いて帰らされた、今はなき生母が、だぶったようだ。私はやはり日本人だなと思った。日本にも古きよきものが沢山ある。主人のリハビリの日に合わせていけば、夕方6時に新大阪から帰ってこれた。新春公演の「先代萩」も見てみたいものだ。新幹線のおかげで楽しみが増えた。でも少しくたびれた。
2009年11月21日
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8日の夜、大阪の友よりメールが入る。彼女は病気で、声をなくしている。学友の旅を大阪の他の友から聞いて楽しんでおいでとメールが入った。嬉しかった。9日、伊予三島からしおかぜに乗ってくる友を岡山で迎えて、岡山とマリンライナーで来た友と4人、10時26分ひかり470号で新神戸に11時20分着、新神戸から乗り降り自由のシテイルウプバスで南京町で食事、港を回って北野を歩く。昔、孫3人連れてきたときを思い出す。3人娘は皆学生だった。今は2人の娘の母、もう一人も、結婚して残りの一人がカナダにいる。月日って面白いと思う。まずは異人館どうりで、バックを皆買う。楽しく有馬についたのだが一人体調を壊す。月に1度はテニスと卓球に通う唯一の、スポーツマンなのだが、美人薄命といっていたが、気ずかいをしすぎるほうで、夕食もあまり食べられず、でも夜は1時半まで、喋りに喋ったのだから、まあいいか?翌日も12時まで延長して、しっかり皆元気を貰ったと思う。学生時代の友達はいい。古い写真を沢山コピーしてきた友もいて、みんなの昔話の初恋もなっかしく話て、ゆっくり金泉のお湯に浸かり、40年近く続く友とは気をつかはないねといって岡山で3時過ぎに別れる。又来春と、80過ぎても続けようね皆元気でと分かれてきた。帰ってみると神戸に行った孫の娘、私の曾孫遥さんの手紙が来ていた。私は彼岸まいりでいっも会うので、「なむなむの祖母ちゃん」なのである。嬉しくかったね。13日から15日は奥三河の花祭り戻ったらゆっくり返事書くからね。遥さん。
2009年11月11日
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仕事を持つ忙しい娘たちは見てないだろうな?今から40年近く前、高一の娘と中2の娘を連れて徳島の日和佐にかめの産卵を見に行った。夜陸に上がってきた海がめは涙を流しながら、卵をぽろぽろと沢山産んで海に帰っていつた。私や家族の一番悲しいときだった。私は、勇気を少し貰ったのだが、上の娘は、「3人だけの家族だなと思うとよけいに淋しい」といった。元気だった優しい主人がぽっくりといって、お父さん子だった彼女は、淋しかったのだと思う。あれから40年、子供たちはそれぞれに結婚して子も、孫も、できた。そして私にも老後の同士も出来た。9日10日と40年来続いている、学生時代の友との旅、彼女たちは、私の若き日を知っている。きっと一人になった私を、励ましてくれたのだ。同級生との旅、又昔話を沢山してこよう。やっぱり旅は、私の一生のともになった。嬉しい事に、もう1つの私の一生の友の歌の会龍に次女が入会を決めてくれた。嬉しかった。妹のようなこれも40年近い友が、新人賞を取る時、今その会にいて、お世話になっている、娘なのだ。友のメールは嬉しいの後に、笑顔が沢山描かれてあった。私も赤いハートに、万歳と書いて送った。人生捨てたものではない。悲しいこともいっか思い出になる事もある。そして生きていると、好い友達にも恵まれる。海がめの涙は陸に上がると目が乾くからだということは最近知った。お産のときに涙を流すと感動したのだがな?チョット残念。今日は笠岡の歌会。忙しいけど楽しくて嬉しいことも沢山ある。娘たちも今を頑張れよ。
2009年11月07日
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佳世さんのプログいっも楽しく見ている。人生高々100年は生きられない。一日一日をたのしく暮らさないとね。彼女に教えられているようだ。旦那と仲良くていいね。うらやましいぞ。昨日「聾の会」の人が来て「ゆずり葉」の映画会をするので来てほしいという。十二月十二日の土曜日笠岡の保健センターに行く。年に1回の検診日も11月か?十二月と、忙しいまずは、6日主人の受診日、私もインフルエンザーの注射、もちろん普通のだが、でもしておこう。7日は笠岡の歌会、9日、10日は神戸、有馬温泉、昔の学生に帰って、4人元気にお喋りをしてこよう。十二日岡山にカルチャー、13日から2泊3日で、「万葉御園花祭り」18日は大阪文楽、なんと忙しい。でも妹が今日電話で「元気だからいけるのよ」と言う。本当にそのとうりだと思う。妹も来年春に、行きたがっているフランスのモンサンミッシェルに娘を誘ったとご機嫌だった。とにかく楽しく元気で生きたいものだ。でももちろん家族も、元気でなくては何処にもいけないものね。有馬は紅葉の季節だと思う。いい空気を一杯すってこよう。友達に電話をしたら土曜日なのに家族中でテニスにいっていた。いいなと思った。彼女からも、有馬で元気を貰ってこよう。たしまち今日は、葉牡丹の鉢うえでも買いに行くか?今年は正月を、いえでするから皆あっ待ってきてください。まだまだ元気だからね。
2009年11月04日
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母の記憶のない私におじいさんはとても優しかった。お酒の飲めない祖父は義太夫がたった1つの趣味だった。徳島に近い讃岐の生まれ、祖父の習っている義太夫が私の子守唄だったようにも思える。もちろん倉敷に文楽が来たときは見に行った。でもいっか文楽劇場で見たいものだと思っていた。簡単にその夢がかないそうだ。歌の全国大会で信太の森に、言ったとき大阪の国立劇場の文楽のパンフレット入っていたのだ。チケットセンターに電話して主人のリハビリーの日が取れたのだ。朝早く出ると夕方には帰ってこられる。嬉しくなった。大阪なんて新幹線ならほんに近い。今まで気がつかなかった。うまくいくと新春公演も見にいけるかもしれない。まずは11月18日に「芦屋道満大内鏡」葛の葉の子別れにしっかり泣いて来よう。10月の26日から3日間は竹原にいって主人孝行、11月は8日9日と幼な日の同級生との有馬温泉旅行13日から3日間万葉の旅、御園花祭り、水窪青くずれ、山住峠、遠山郷、別所温泉と嬉しくなる旅、18日は文楽この秋は楽しく遊べそうだ。元気に人に優しくと思って暮らしているといいご褒美が来るものだ.とにかく元気でこの秋を満喫しよう。
2009年10月21日
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お花を上げて家の前でとんとん太鼓をたたいておめでとうという。やっと歩けるような幼い子供を見ると、大きくなった孫たちの幼い日を思い出した。可愛かったナーと16日は障害者の中四国大会で、岡山の桃太郎アリーナーに行く。70人位で、マイクロと中型バスを、市が出してくれて、帰りサンロード吉備路で昼食を食べて、私などは、温泉にまで入って帰る。いい1日だった。主人は御礼にと、おばあさんがひざ掛けを作って皆に内緒で戴いた事が、とても嬉しかったようだ。おみやげに買っていたケーキを差し上げると、夜お姉さんの家のお祭りに来たからと、奈良ずけを沢山、息子さんの車で持つ手来て下さった。その時、車に妹さんも乗せていた。もう私の妹だから60に近いのだと、息子さんがいう。施設にいるという、その妹さんを土曜日曜には、つれて帰るのだという。80過ぎたおばあさんの笑顔がとてもいい。此方まで嬉しくなるようで、親子3人に、泣いたり笑ったりした。お母さんが、元気でおられるからいいねと、子供のような、娘さんにはなしかけた。外に出られる事が、80何歳のお母さんには嬉しいんだなと思う。そういえば我が家の路地の角の家は、90近いおばあさんが元気に一人で暮らしていたのだが施設に入ってすぐ亡くなったとかで、いま取り壊しの待最中だ。そこのご主人は交通事故で家の近くでなくなって道端に、小さい地蔵さんが立っているけど、子供さんも孫さんも遠いようだ。あの地蔵さんも、わすられていくのかなと思う。ご近所さんと、いつかわが身だねといつて壊される家を見ている。
2009年10月18日
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この頃旅に出てもくたびれが1日では直らなくなった。3日はアクワマリンで、中ノ島1週弁当を船で食べて、行きかう船の人や橋の上の人、公園を歩く人とも手を振り合って、川風は涼しいし大阪城も、ちらりとみえて造幣局のとうり抜けの葉桜も見て、満腹と、適塾、四天王寺と歩いて5重の塔の上まで上がり、極楽浄土のお庭も見て元気よく、天王寺のホテルに泊まる。76名、皆元気だ。4日は8時にホテル出発、信太の森公園から、小栗街道、葛の葉神社、泉大津は祭りの季節、だんじりが何台も出て練習をしていた。まつり好きの私は嬉しくなった。走りみこしは見れなかったが、若い娘さんのハッピ姿に、大喜びの男性の歌友いた。関空のホテルで昼御飯を食べ、オプションの奈良に行く人20名ほどと別れて帰路に着く。3日が4キロ、4日が5キロ、近く歩いていた。さすがに一番ねむれば、直っていた、くたびれが、今日やっと取れたような気がする。でも楽しかった。来年も元気で行こうと思う。まず留守番の主人のサアビスに月末には温泉に行く。来月は昔の学友と有馬温泉、半ばから万葉の勉強会の奥飛騨の旅と続いているから、まあ体に気をつけて、主人にも元気でいてもらわなくてはと、まず思っている。狐の母が子供との別れを悲しむ葛の葉の話、サーカスの足芸で見て母の味を知らない子供の私が、悲しかったことが、今も思い出される。同じ年代の先生は足芸の障子を持ち上げる、白いタイツ姿に、どきりとしたそうだ。男とはと思った。でもまあ昔の男の子はそんな事にもどきりとしていたのだろう。
2009年10月06日
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