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ラ・ロシュシュフーコと モーパッサンのよく似た 「幸福論」
ラ・ロシュシュフーコの「格言集」によれば
「人は思っているほど幸福でも不幸でもない。」
と述べている。
主観的な幸福と客観的な幸福の違いか。
モーパッサンの「女の一生」の巻末では
主人公が同じように「私の半生はそれほど幸福でも不幸でもない。」
とつぶやく。
これはモーパッサン自身の感慨でもあると想われる。
ドストエフスキーはある小説の中で
「今は、幸福に見えるが、船の底板がもしはがれてしまうなら、地獄が待っている。」
と警告する。
底にひそむ地獄と、今のときめきをあわせれば、
人は思っているほど幸福でも不幸でもないのかもしれない。
考え方の差なんてわずかなものだと思う。
しかし「今が幸せだ」との考え方と「つまらない」と卑下する考え方は、天国と地獄の差がある。
気の持ちよう
どんな状況であれ、それが容易にフレクシブルにできるが否かで、
幸福と不幸はわかれる。
どんなに辛く苦しい時だって
「あしたは あしたの風が吹く」
と歌えれば、熟睡はできる。
たとえ眠れない時だって、
「朝の来ない夜はない」と思え直せば、ストーンと穴に落ちたように眠りにつける。
「朝の来ない夜はない」と楽韓的に語ったのはシェークスピアである。
そのシェークスピアが「マクベス」の中で
「人生は歩く影に過ぎない。」
と悲しい諸行無常を告げている。
悲喜こもごも
案外、文豪シェークスピアも心の中では
「人は思っているほど幸福でも不幸でもない。
行動すれば、何とかなる。」
と思っていたのかもしれない。」
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