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その昔(1509頃)一人の行者が「私は今より100年後再びこの世に出て人の頭になって
現れるだろう」と云い、この地の小高い山に穴を掘り入定したそうな・・。
行者の名は、本明院利長坊(りちょう坊)といった。 ・・ここがミソだよ・・ 。
穴には小さな息抜きの筒を通し天井には土を盛り、二度と外界への縁を絶ったのです。
そして穴からの読経と鉦とポンポンの木魚の音もやがて途絶えました以来村人はこの山を
「ポンポン山」 と称し・・なんと(驚!)今もその山が現存 ↓ ↓ しています。
さて100年後の慶長14年(1609)に加賀藩二代藩主「前田利長公」が高岡城入城の際
この入定の塚に接し、・・自からその再生と信じてこの塚を保護したというのです。
* どうです・・利長の読み方は違うが・・(りちょう)と(としなが)・・そして正に100年後の出来ごと・・誠にうまく辻褄が合ってはいませんか。*
あの立木の反対側は県立高岡高校のグランドです。 若い人でも知っている人は知っている野田よ。
「 おまんの墓所跡碑 」
その「ポンポン山」のすぐ近くには「前田利長公」の夭折の愛姫「満姫」の墓碑跡碑が在ります。ご位牌は高岡市片原町の「本陽寺」(Dデパート裏)にあり、本墓石は明治43年に金沢の野田山に改葬されています。*野田山墓所=加賀藩歴代の一族の墓所*です。
** なんか・・ 書いていても空々しい でも実写での お伝えでした。**