三人寄れば文殊の知恵

三人寄れば文殊の知恵

電話の不便さ



電話の発明者はベルといわれていますが、そのベルと同じ日に
電話の特許を申請した人物です。

残念なことに、グレイの申請はベルより二時間遅かった。
したがって電話の特許はベルに軍配が上がりました。

グレイは電話の発明により、人々が手にするであろう「時間」に
敗れたと言われましたが・・・

私は電話があまり好きではありません。
もともと話自体が得意ではありませんし、相手の表情が見えないと
なんとなく不安です。(顔色はわかりませんがー笑)

法事などを電話で頼まれますが、いまひとつ不安です。
たまに、その不安が的中して、用意してあるべきものが、
足りなかって困ったりします。

葬儀を受ける場合は、お寺に来て欲しいとお願いします。

葬儀はお寺として受けますので、僧侶に頼んだとしても
本尊様にお参りしてもらうのが本義と考えています。

また、間違いがあってはいけないので、
直接話をしたいところですが。

しかし、最近なかなかお寺に来ていただけないことがあります。
さすがに車で30分以上かかる方の場合には、どうしても
来て欲しいとも言いにくいところがあり後日、またお参りに
来ていただく場合もあります。

ところがお寺から、わずか100メートル位のところに
住んでいる方から

「忙しいので行けない、電話で打ち合わせしたい」

と言われてしまいました。(苦笑)

お互いに知っている間柄であれば、電話でお話してもいいのですが、
初めての方でしたので、大丈夫かな?と思ってしまいました。

電話がもしなかったとしたら、

「わざわざ来てください」

と私がお願いするまでもなく、葬儀を依頼する方は必ず
お寺にやってきたでしょう。

お寺の本堂の雰囲気に触れるだけでも、密教の教えが少しは
伝わるはずです。
施主を始めとする喪家にも、葬祭場に僧侶を呼んでお経を上げて
もらうだけとは違ったものが生まれるはずです。

そう考えると、電話が出来たために、佛教上は不便になったと
言わざるを得ません

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