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先日、62歳になったのだが、たまたま自撮りし写真を見てびっくりした。肌が異様に汚いのである。シミや吹き出物みたいのがわんさかあるし、肌はたるんでいるし、おまけに耳の穴に黒い毛まで生えていた。 僕はどういうわけか、、肌がきれいだといわれる故ことが多くて、その気になっていたので、この写真には心底驚いたのだ。たしかに、日焼け止め塗らずに海で泳ぐなんて しょっちゅうだし、肌が乾燥したときに、二ベアを塗るくらいのことしかしてきてないから、当然といえば当然だけど。 女房に写真見せたら、肉眼で見るよりかなりひどいと言っていたから、かなりシャープに強調されているのだろうけど、実はこのくらい傷んでいるのだということだと解釈するべきなのだと思った。 気づかないうちに、確実に僕は老化していたのだ。 でも、それは素直に認めるとして、せめて65歳になるまでは、年寄臭くならないようにすると決めた。 肌のケアも人並みにやるし、身だしなみにも気を付けるようにする。さっそく、化粧水とシェーバーを購入した。頭皮のかさぶたも気になっちたので、皮膚科に行き薬を処方してもらった。 実はゴールデンウイークあたりから筋トレを始めている。相変わらず腹は出ているし、体重もむしろ増えているのだが、確実に筋肉もついてきている。 懸垂のできる体に戻すことが当面の目標だけど、ひょっとすると、もうできるかもしれない。 昔は簡単にできていたプールサイドに身体を持ち上げることも3回に1回ぐらいしか成功しなくなっていたのだけど、今は、多少タイミングがずれても強引に腕力で身体を持ち上げることができるようになった。65歳までの日々を、たるみきった身体を元に戻す機関だととらえたいと思う。
2024.11.10
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今回はやばかった。スイムは45分制限時間ギリギリ。多分43分くらいでクリア。自分では快調に泳いでいるつもりが、どんどんみんなから引き離される。最初の折り返しの500mあたりでは、ほぼ独泳。すぐにコースをはずれようとするのを見かねてか、ライフセーバーの方が近づいて、方向を教えてくれた。ラストの500mあたりで前方にひとが見えず、さすがにこれはタイムアウトするくらい遅いのではないかと思い始めた。これまで僕は30分くらいで泳いでいたから、遅いとは思うけど、制限時間は気にしたことがなかった。 ここが問題だ。自分では、むしろこれまでより快調に泳いでいるくらいのつもりだったのだ。結局、このライフセーバーの方が最後まで付き合ってくれ、そのおかげで僕はひたすら泳ぐことに専念して、なんとかゴールできた。それで、この成績だから、この方がいなかったら、間違いなくアウトだったと思う。最下位でランに。最後尾の車を後ろに従えスタート。ほどなく一人抜いて最下位はまぬかれたものの、ラスト1.5㎞で左ふくらはぎに違和感。これをこじらすと大変だと、精一杯セーブしたものの、ものの100mもいかないうちに激痛。あとは、根性でゴール。小雨交じりのベストコンデションと、親切なライフセーバー、いろんな幸運が重なってのギリギリの完走だったと思う。 感謝しかない。
2024.07.15
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通勤時間が短くなったのを利用して、少し寄り道をして地域のスポーツセンターに通うようになった。筋トレ用のマシンがいくつかおいてある。それらを一通り30分ほどやって帰宅するようになった。わずか30分だが、なまり切った体に効果は大きい。先日も、たぶん持てないだろうなと思った丸太を持ち上げることができた。10年前の筋力を10としたら、5くらいまで落ちたのが、7くらいまで復活した感じだ。始めて7週間くらいだけれど、少しずつ見た目も締まってきているように思う。7月にはアクアスロン参加を決めている。このままがんばりたい。
2024.06.23
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ちょっと、落ち着いて考えてみたほうが良いのではないかと思った。年齢だ。今年62歳になる。多分、今と同じ感覚で動けるのはあと、10年くらいじゃないかと。ちらっと思ったのが食事だ。僕は昔から、食事に関しては関心が薄い。なるべく安く済ませたいと思う気持ちが強く、外食の時はまず、値段の安いものから(笑)、おいしいものを食べたいというより、まずいものを食べたくないという思いも強いから、これなら大丈夫というものをみつけたら、いつもその店、同じメニュー。 でも、自分がまともに食事できるのがあと10年と考えたら、これはよくないのではないかと。今更だけど。食事の回数も計算できるし、外食の回数となればさらに限られる。それに10年は僕が勝手に持っているだけで、1年かもしれない。そうかんがえると、少しでも安くという選択は間違いじゃないかと思いだしたのだ。僕の中では、ながらくランチの基準は500円(笑)さすがに今は、ラーメンやお好み焼きでも1000円に近いレベルだから、1000円でおつりが出るくらいが基準になっているけど、これを2千円にしてみようと思う。僕的には大革命だ。随分贅沢な気分で食事ができそうな気がする。 もう一つは体力。 コロナからほとんど走ってないからフルマラソンを走る体力はすでにない。というか、気力がない(笑)でも、ハーフマラソンは、再び完走できるようにしたいと思っている。 とりあえずは、7月のアクアスロンに向けて身体を鍛えていきたいと思っている。 体力面はそんな風に、今からでもじわじわ上昇させていくつもりだ。 最後にお金と時間の使い方。これをじっくりと考えたい。
2024.05.11
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新しい勤務校では2年生の担任となった。孫のようなものだが、ほんわか、のんびりムードでいけるかと思いきや、なかなか大変なクラスらしい(苦笑)さて、これまでの経験を生かすことができるか。。
2024.04.02
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意外なことに、来年度は異動となった。以前1年通った学校で、その時は本当にブラックだったから、複雑な気分なのだけれど。職員も子供もみんな代わっているから、以前とは違うと期待したい。今の勤務校だって、まったく同じ環境なのに立場が変わっただけで、天国から地獄(笑)。何がどうなるかなんて分からない。どんな学校でも静かに受け入れよう。自分が自分の人生を少しでも良くするために、あれこれ考えて選択し、行動していると思っていたけど、それは違うなと最近強く感じている。いろんな偶然(必然?)が重なって、ただ、起きることが起きている。自分が選んだことなんか実は一つもなくて、僕らにできるのは、なるべく素直にその流れにのって、起きたことに静かに対処する。そうすれば、勝手にうまくいくようにできているんじゃなかろうか。確実なのは、通勤時間が往復で2時間近く短くなること。この時間を有効に使いたい。
2024.03.20
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冬休みが終わり5週間経過。残り5週間余り。もう、カウントダウンの心境だ。よくここまで凌いできたと思う。「これもまた過ぎる」だ。
2024.02.12
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なんとか冬休みに突入。ここまでよく持ちこたえたと思う。毎日、想定以上のことが起きるので、あれこれ心配したり、問題が起きないように手を打ったりすることを一切あきらめた。(苦笑)ただただ、たんたんと、起きたことに対処するだけだ。11週間、そうやって過ごしてきたことになる。「起きることが起きる。それ以外のことは起きない。自分が選んでいるのではない。ただ、起きることが起きているだけ。」11週間のおかげで、この考え方が、ストンと腑に落ちている。これは今後の人生も楽にしてくれるような気がする。お過去の後悔と、未来への不安をほとんど感じることがなくなったからだ。1日、1日を乗り切るのが精いっぱいということかもしれないけど(笑)冬休み開けはケセラセラだ。なるようになる。なるようにしかならない。これまでの経験では、どんな状況であろうが、冬休み開けの2か月余りは、あっという間に過ぎ去ってしまう。まあ、たとえそういかなくても、無理だと思えばさっさとやめるなり、病休とるなりするつもりだ。そこは、これまでと違い、還暦プラス1年の気楽なところである。とにもかくにも、この11週間の自分は、本当によく頑張ったとほめてやりたい。この冬休み、しっかりリフレッシュさせてやるつもりである。
2023.12.24
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30数年前、田舎に移住してから、ずっとお付き合いさせていただいている一家がある。僕たちより半年ほど前に横浜から移住されたB家である。ご主人は僕より一回り上だが、奥さんは僕と同い年。子供も我が家の子供たちと年齢が近い。ゆうこさんは、そこの長女で、小さいころからとても落ち着いていて、だから、みんなから、ゆうこちゃんでは無く、ずっとゆうこさんと呼ばれていて、僕もずっとそう呼んできている。小さいころから、僕のことをおじちゃんと呼んで親しんでくれていて、なんとなく相性がいいんだろうなあと思っている。ピアノが上手で、B家恒例の新年会では、リクエストするとなんでも引いてくれて、酔っぱらった僕はそれに合わせてハープを吹いたり歌ったり。そのゆうこさんが、ドイツで出産、帰省しているというのでB家に会いに行った。B家は、ご主人が建築士。アフリカやヨーロッパで仕事をしていたということで、グローバルな一家である。ゆうこさんも、大学を卒業後、ドイツにわたり、ドイツの日本企業に就職、日本人の旦那さんと結婚。今回1週間ほどの帰省に呼んでくれたというわけである。まあ、この赤ちゃんのかわいいこと。抱いてる間中ニコニコしてくれて、最後は僕の胸ですやすや寝てくれた。僕の脳内は幸せホルモンの洪水である(笑)本当にありがたいことである。
2023.12.10
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10月から学級崩壊のクラスの担任となり、悪戦苦闘。1日が終わればへとへとだ。正直、メンタルもかなりやられている。この苦難を乗り切ったら、人間的に成長する? 乗り切れず、病気休暇とかになったら、思いもかけない展開がある? 価値観の転換を求められている?よくわからないけど、一つだけ腑に落ちている考えがある。「事は、ただ起きている。」ということだ。「自分で選んで自分で起こしているのではない。」ということだ。だから、たんたんと起きた出来事に対処すればいいということだ。うーん、これを感得させるための苦難なのか?なんにせよ、これまで、8週間なんとかしのいできた。あと3週間で第1ピリオドは終了である。
2023.12.02
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11月22日、正月の混雑期を避けて東北から次男が帰省。とにかく元気そうで安心した。それにあわせて、長男、長女一家も集まり、にぎやかになった。久しぶりの子供たち、孫たちの再開だ。ありがたいことである。
2023.12.02
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作業小屋の屋根が傷んでいる。ひどい雨の時は雨漏りしていたので屋根の上に上がってみた。アスファルトシングルなので、一部剥がれているのではないかと思ったが、最上部の1列がすべて剥がれアスファルトルーフィングも、その一列分だけきれいに破れてはがれていた。つまり、ここから侵入した雨水がルーフィングの下を伝って雨漏りしたということになると思う。断熱の強化もかねて、シングルの上からオンディリュインという、アスファルトの波板を貼ることにした。手順も慣れたものだし、施工も楽だ。ただし、身体が動かない(泣)軽々上がれた屋根も、台がなければ自力でよじ登れない。下から波板を投げ上げるのもパワー不足。10年でこれだけ衰えたのかと愕然とした。加齢ももちろんだが、身体がなまっているのだと思う。真剣にトレーニングしたいと思う。
2023.11.23
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母屋の風呂が完成して、ちょっと気をよくしている。久々のDIY.システムバスなので、結構こまかくきちんと作らないといけないわけで、ルーズな僕には向かないと思ったけど、何とか完成。断熱には気を配り、おかげで、洗い場も実に暖かい。システムバス本体が18万円。中古のボイラー2万円。(これは設置初日異臭がしたので新品7万円を慌てて購入したが、異臭が収まり、このまま中古のボイラーを使い続けるか、新品に付け替ええるか思案中)その他数万円で、トータル30万円以内で快適な風呂を得ることができたことになる。で、次の予定。味噌づくりの作業場兼ゲストハウスのつもりで作った建物をきちんと整備すること。これは使用目的がはっきり決まった。盆、正月、子供たち家族が集まった時の宿泊場だ。今現在でも、大人7人、子供4人。今後増えることはあっても減ることはない。これが快適に過ごせる場にする。まずは、盆。そのために。トイレの設置。シャワーか、ドラム缶風呂のような遊び心のある体を洗える設備。エアコンの設置。断熱処理。キッチンの整備。寝床の確保。wifi、テレビの設置。これらを盆までに仕上げること。これまでどっちつかずだった建物の使用目的がはっきりした。スキルもあるし、資金もある。なんとかなるはずである。
2023.11.20
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還暦過ぎて心がけていることがある。それは、決めたことに身を任せてみるということだ。これまで僕は、一度決めたことを直前で変更することが多かった。その結果どうだったかはやってないほうの結果がわからない以上考えても仕方がないのだが、少しでもいいほうを選択したいという心の働きを止めてみようと思ったのだ。自分の言葉に責任を持つ。その時の判断を信頼する。どういう結果になろうが受け入れる。おまけの人生である。そのほうが、計算しつくすことに心を砕くより、案外、思いがけないことが起こったりして楽しいかもしれないと思うのだ。
2023.11.11
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産休の代わりの先生は見つかったのだが、僕が引き続き5年生の担任を続け、僕の選科の仕事をその先生が引き継ぐことになった。学級崩壊の立て直し中だから、途中交代はよくないとの判断。フォローに入ってくれている先生方の授業が成り立たなくなっている状況。僕は、僕が寝てても子供たちだけで授業が成立するように育てた幸せな授業をすべて代わりの先生に引き渡し、崩壊したクラスの立て直しに専念することになった(涙)毎日が戦場。1日終わればへとへとだ。それでも、警戒してギャンギャン吠えたて、噛みついていた子供たちが、話は聞けるようになったような気はするが、まだまだ気は抜けない。また、人生修行に戻されたかも。毎日、起きることがただ起きる。それ以上でもそれ以下でもない。淡々と進むだけだ。
2023.11.11
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4月から、夢のような勤務が続いたのだが、ここへきて急転。5年生の担任がめでたく産休に。ただし後任が見つからないため、僕にお鉢が回ってきた。内々にはずっと言われてきていてある程度覚悟はできていたのだが、11月末からの予定が、一気に早まり明日からとなった。正直気が重い。以前の大失敗が頭をよぎる。同じ5年生。荒っぽく落ち着きのない雰囲気がよく似ている。保護者も難しい人が多いと聞く。崩壊寸前、実質的には崩壊しているクラスだと判断している。ただし、以前と違う点もたくさんある。・学級崩壊の恐ろしさを僕が身をもって知っていること。・専科の授業を通して学級の実態を前もってつかんでいること。・管理職の理解があること。・周りの先生の協力体制があること。・仕事の配分に配慮があること。・期間が半分・担当教科も半分。担任の雑務も教頭先生がかなり受け持ってくれる。前代未聞のバックアップ体制。女性の校長先生だけれど、本当にすごい人だと思う。ここまでやってもらってやらんわけにはいかんだろうというのが今の心境だ。自信はないけど(笑)頑張れワシ!
2023.10.15
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自分を信頼する。自分を守ってくれるものを信頼する。加島祥三さんの言う「求めず、受け入れる」ということ。これが今の僕の課題。簡単そうだけど、これまでの僕にはなかなかできなかった。大体、そっちを選ぼうとするとものすごい恐怖心がわいてきて、直前で敵前逃亡するのが常だった。幸い、還暦を迎えることができて、今の人生はおまけだと思えているので、結果的にどうなろうが、流れに従おうという気にはなれている。結果、それが正解なんだと思う。例えば。3月に書いた現在の勤務校。その時聞いた条件は、片道60㎞の通勤距離、多分4年生で、20名くらいのクラス担任。こりゃ帰宅は連日8時過ぎ。数年前はかなり荒れていて1年間に担任が5人代わったクラスもあると聞いていた。と、いうことで、1年間持たないかもしれないという不安もあり、ぎりぎりまで得意の敵前逃亡を考えていたというのが正直なところだった。ところが、ふたを開けてみると、担任ではなく理科。体育、図工の専科。担任を持つことなく約100名の全校児童に授業ができる。雑務がないので思う存分教材研究、授業の準備ができる。楽しい授業ができるから、子供たちも慕ってくれる。ますます授業が楽しくなる。の好循環。もともと得意分野だが、運動会や水泳関係など、体育分野の仕事を一手に引き受けてもほぼ定時に帰宅できている。前回、疲労困憊した長距離通勤も車の性能が上がっているのだろうか?あまり気にならない。と、いうことで、過去最高の快適な状況。これは全く予想しなかったこと。加島祥三さんの「過去や未来を考えて行動しない」というのは、こういうことなんだなと思う。湧き上がる不安や、損得勘定に打ち勝つこと。多分、そこが頑張りどころなんだと思う。
2023.08.15
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来年度の勤務校が決まった。ちょっと厳しい。通勤距離60㎞。とはいえ、田舎道だし、便利な道路乗り継ぐので、1時間少しの距離。人数も20人近く、30人から40人近くが普通であるが、10人以下に慣れた僕には大人数である。そもそもの話は、もっと近くの教科担任の話だった。親しい先生だったので、海の近くの小規模校の話をしたら、その隣のこの学校の話を出されて、いや、それは違うといったけど遅かった。じつは、10年前に2年ほどお世話になった学校だったのだ。もう、あの長距離通勤は耐えられないと伝えたのだけれど、、いつも思うのだけれど、結局、自分が選んでるわけじゃないんだね。合理的に考えれば、そもそもの話から比べると、仕事量は倍以上になる。仮に担当がよく知らない人だったら、こんな通勤距離ははなから考えないだろう。でも、たまたま親しい人だったから、結構楽しそうに通っていたことを知っている。で、最初に電話を受けたのは入浴中、しかもかなり酔っぱらっていたから、そんな偶然がたくさん重なって、この結果、出会いとなるわけである。電話があるとわかっていたのに、酒を飲んでたわけでもないし、あてにしてた人がいなくなった事情を知っていて、その学校の隣の学校の話題を出したわけではない。すべては偶然の重なり。でも、合理的に考えて、明らかに不利なこの話を断り切れずに受けた時。そんな悪い気はしなかったから、多分、間違いではないのだろう。損得では測れないものもある。受けたからには最後までやり切りたい。子供たちにもよかったと思ってもらいたい。老体にむち打ち、ファイト!である。
2023.03.21
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とうとう、定年の年までお世話になった。臨時なので、定年はないし、退職金も雀の涙ほどしかないだろうが、まあ、世間的には定年の年まで勤め上げたことになる。40歳でスタートだから、20年間。基本、1年契約の派遣社員みたいなものだから、毎年この時期になると次の話が来るか、胃が痛くなる思いで待った。途中から、2年同じ学校にいられることができるようになり、最近は4年間。随分楽になったが、失敗すると次の話は無いと思っていたから、ある意味、本務者よりハードだと思う。農業ではとても食べていけない状況で、4人の子供たちも一番お金のかかる時期だったから、必死である。勿論、正規になれればいいと思って、年齢制限がなくなってからは採用試験も受けたが、5度も落ちた。これは、今でも腑に落ちない。なんせ、僕が体育主任で活動した学校が、県の体力つくり最優秀校に選ばれ、そのことを面接で聞かれ答えた時も面接で落とされたのだから(笑)実績の残せそうな人を面接で選ぶのかと思っていたので、すでに実績のある人間を落とすのは、理解できないとおもって、諦めた。まあ、結果的にはこの年まで恵まれた学校で仕事ができたし、今後は再任用の本務者より高い給料で働けるので、むしろ良かったのかもしれないと思うことにした(笑)どちらにせよ、後、数年頑張ってみるつもりである。先日、担当の先生から来年度の打診があった。昔一緒に働いたことのある信頼できる先生なので、すべて一任した。一任するといった以上、どんな無理難題に思えても引き受けるつもりである。さて、どんな出会いがあるか、期待半分、不安半分。
2023.03.19
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一時は介護を覚悟した母が、奇跡的な回復を見せている。年末に異変を感じて、すぐに包括支援センターに相談。兄弟とも連絡を取り、バックアップの体制を作った。実際に要介護の認定となった。しかし、週に1度は顔を見せるようにしてから、みるみる回復。最近は、卵焼きくらいは調理もできるようになった。母のために借りた介護ベットも、今は父が使っているようである(苦笑)私が帰る時も、こたつから出ようとしなかった母が、庭先まで出て見送ってくれるようになった。子供たちに心配をかけまいとする母心かもしれない。だとしても、やはり元気な母の姿を見られるのが嬉しい。
2023.03.19
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加島祥三の「受け入れる」という詩集を繰り返し読んでいる。というか、正確には朗読したものを何度も聞いている。少しずつ、その態度に近づけているかなと思う。一見、不利だと思うことも、いったんはきちんと受け止めること。「始めの自分」を信頼すること。これは、本当に怖いし、勇気がいる。でも、おかげさまで無事還暦を過ぎた。本当にありがたいことだと思う。これから先は、おまけのようなものだと思っている。守りに入る必要もない。僕は、高校時代に大きな失敗をしたと思っている。信頼する勇気が持てずに逃げ出してしまった。受け入れる勇気を持てずに小狡く立ち回った。その後も、形や大きさを変え、何度も再チャレンジのチャンスを与えてもらってたんだなと思う。そのたびに、僕はやはり、逃げて、狡くやり過ごしてきたような気がする。2年前、嫌でも受け入れ、向き合わざるを得ない事態が起きた。逃げたくても逃げられなかったのだ。本当に怖かったけど、結果は思いがけずオーライだった。この小さな成功体験が、僕を少しずつ変えてくれている。そして、この体験を与えてくれたのは僕の子供たちである。本当に感謝しかない。
2023.03.19
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2022年は、波乱の年末となった。30日、長女から、コロナ陽性の報告。これで、孫3人との年越しは断念。昨年は孫の保育園でクラスター発生の報告があり、宿泊先の温泉から全員でPCR検査の正月だったから、つくづく長女はコロナと縁がある、なんて言っていたら、31日は妻からコロナ陽性の報告。帰省していた次男次女と、長男家族、予定の半分の年越しとなった。30日にはフロントガラスに飛び石のヒビ割れ。6万5千円程度の思わぬ出費。踏んだり蹴ったりの年越しであるが、コロナに関しては、妻の軽い発熱を除いては、みんな無事であるし、車のトラブルにしたって、ここ何年も大きなトラブルはなかったので、このくらいは良しとすればいい。むしろ、なにかのサインと受け取って、慎重に行動するようにしようと思う。
2023.01.01
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先日、実家に寄ったら母の姿が見えない。父に尋ねると、「ありゃ、もう駄目じゃ」「起きてこん」泣きそうな顔で言う。「どこにおるん?」「隣の部屋の布団で寝とるが、起きてこんのよ。」僕は、隣の部屋の布団で冷たくなっている母を想像して、すぐに行った。幸い、声をかけると、すぐに起きて、「なんでもない」と、言い、身体を起こしかけた。安心して詳しく話を聞くと、風邪をこじらせてから、起きるのがおっくうになり、毎日昼過ぎまで寝たきりとのこと。毎朝5時過ぎから、ゴソゴソ家事を始め動き回っていた母がだ。そういえば、と少し思い当たることがあった。前回訪ねた時、いつもは山のようにご馳走を作って待ち構えてくれていた母が、その時は、店の総菜が、少しだけ。帰る時も、いつもは止めても外に出て見送ってくれるのだが、その時は、少し腰を浮かせかけたが、止めるとそのまま座り込んでしまった。布団の母と話しても、全く生気がない。父によれば、認知ではないかと。とりあえず、ろくなものを食べてなさそうだったから、なにかおかずを作りおいて帰ることにした。台所にたったが、全く料理をした形跡がない。前回訪ねた時あたりから、もう、母は、台所に立っていないのではないかと思った。聞けば、父が適当に総菜を買ってきて、ホットプレートで温めて食べているとのこと。母は殆ど口にしてないと。とにかく、僕が作った料理だからと、一口だけ食べてくれた。ただ事ではないと思ったが、どうすればよいかわからない。とりあえず、帰宅して女房に話すと、薄々、異変に気付いていたとのこと。義妹が、包括支援センターの話をしていたと。早速翌日、包括支援センターに電話。2日後には訪問、面接。さすがに、プロだ。様々な情報や手立てをアドバイスしてくれた。生気のない母も、話しているうちに、だんだん元気になる、メンタルの問題ではないかと思った。父は耳が遠い。会話には苦労する。身体の調子を崩し、家に閉じこもり切り。これが続けば、誰でもおかしくなる。兄弟にも連絡して、とにかく頻繁に尋ねることにした。あれこれ調べるうち、認知症かもしれないが、老人性の鬱の可能性が高いと思った。親孝行、したい時には、親はなし。これは、死別のことかと思っていたが、そうではない。今の状態では、温泉にすら連れていくことができない。そうなる前に、動くべきだったのだ。まだ、回復の可能性は十分あると思っている。できるだけのことをしようと思っている。
2022.12.24
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長男が音頭を取り、僕の還暦祝いをやってくれた。近くの温泉宿で一泊。子供たち5人、孫4人、そして女房。赤い帽子にちゃんちゃんこ。プレゼントの腕時計。心のこもったメッセージの寄せ書き。メッセージは涙で読めない。これ以上の幸せがあるだろうか。感謝しかありません。
2022.11.06
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大体、正解の道を歩もうとするときには勇気を試されることが多いということを知っておくこと。そしてその道を怖くないふりして淡々と進むことだ。思いがけないことが起こるのはそんな時だ。予想もできなかったことが起きて思いがけず、うまくいく。怖くなって逃げたときは何度も試される。限りある時間大切に使いたい。
2022.11.06
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還暦迎えて、やっと簡単なことに気づけたような気がする。加島祥三さんのいう、「本来の自分」と「第2の自分」本来の自分は、宇宙とつながっていて無条件の愛で時分を幸せに導いてくれる。第二の自分がは、社会的な自分、自我というやつで、過去の経験や、未来の予測から、合理的に意思決定しようとする。損得勘定で動く自分だ。普段はこの第2の自分が自分を動かしている。けど、たまに直感的にとか、勢いで、とか、なんとなく、とか行動してしまうこともあって、それが、多分、本来の自分からのサインなんだと思う。それから、過去の後悔とか、将来の不安とかが、過度に働いて、間違った行動をしようとしたときも、本来の自分はサインを出してくれた。必然的に、本来の自分からのサインは、その時の自分としての合理的判断に反することが多い。だから、本来の自分からのサインに応じることは、かなり勇気がいることでもある。だから、根性なしの僕は、これまで何度も大事な場面で本来の自分からのサインを裏切ってきた。家族全員のPCR検査で始まった今年は、この本来の自分に徹底して従おうときめた。この時も本当は検査を拒否しようかとも思ったのだが、(濃厚接触者の濃厚接触者という立場だったし、当時は、もし万が一陽性でも出れば職も失いかねない雰囲気だった。)が、娘の迅速すぎる判断と行動力で、抗うこともできず検査を受けざるを得ない状況に追い込まれた(笑)結果、全員陰性で、事なきを得た。後味も良かった。これまでの僕は、前言撤回が多かった。本来の自分に従い、即断する癖に、後から損得勘定の自分が出てきて、恐怖心を煽る。それに負けて前言撤回となるのだ。その仕組みが分かったから、今年は一度決めたことはそれで行くように心がけている。損を承知で、失敗を承知での心意気だ。で、結果は、「思いがけず」良かったとなっている。予想とは全然ちがう結果が待っているのだ。いい方を変えれば、僕の損得勘定の精度はかなり悪いともいえる(笑)僕の判断なんてその程度の物なのだ。随分簡単なことにやっと気づけたような気がする。なんとなくとか、勢いでとか、まあ、よく考えた末にでもいいのだけれどそんなふうに一度決めたことは、怖くなってもやってしまえばいいのだ。こんなに簡単なことだったんだ。
2022.10.31
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長いと思った10日間も終わってしまえばあっという間か?昨日は、ランニング、軽トラのバッテリー交換、資源ゴミの搬入と、結構充実していた。今、資源価格が高いのか、タイヤ付きの鉄ホイールも引き取ってもらえて助かった。今日の天気は不安定そう。さて、何をしようか?
2022.08.20
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走れた! 自分でも半信半疑だったが、昨日ブログに書いた手前、とりあえず数分でもいいから走ってみることにした。思ったより身体が軽かったので、10分で行けるとこまで行って帰ることにした。結果、15分で折り返し、距離3.7km時間30分余りのランニングとなった。正直、とてもうれしい!このくらいまとめて走るのは数年ぶりだと思う。40代、50代で中毒のように走ったおかげだと思う。身体は覚えてくれている。10㎞くらい走れる身体に戻すのは、そんなに大変じゃないような気がする。半年後あたりをめざして、ハーフマラソン復活してみようか⁈
2022.08.19
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孫たちの年代の子供たちを見ること。そりゃ、わが孫たちと戯れるのが一番だけど、小さな子たちを見るだけでも心癒される。海。これは、泳げば最高、潜れれば尚いいけど、眺めるだけでも気分が高揚する。ライブセッション。みんなの中に、ハーモニカ持って一緒に演奏。これは楽しい。自分のような音楽音痴には絶対無理だと思っていたからなおのことだ。今、好きなこと3つ。覚書
2022.08.16
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妻は職場復帰。pcrも陰性だった。僕は昨日、不用品の片づけしていて、軽いぎっくり腰(泣)タイヤ付き鉄ホイールも無料で引き取ってくれるということで軽トラに積み込みしていたら。タイヤ内に雨水が入り込んでいて予想外に重く。何日もゴロゴロしていた上に、身体の使い方もおざなり。情けない。ぎりぎり歩けるくらいの痛み。経験上こういう時は、動かすほうが楽になる。本当は、プールで歩行するのが一番なんだけど、そうもいかず。ツイッターで自宅療養関係、読んでみたけど、思ったより、症状で苦しんでいる人が多い。長期療養を嘆くより、短期回復を感謝するべきなのだろう。
2022.08.16
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帰省していた末娘、今朝早く空港へ。全く、申し訳ないことした。抗原検査で陰性を確かめて、長女のところへ少し寄っただけで、僕のコロナ陽性できっちり行動制限。まあ、その分、妻と娘は、べったり過ごせたともいえるが。僕も昨晩はバーベキューで、距離を取りながら話はできたから、これで良しとしなければならないのだろう。これまでの人生で一番長い療養、監禁?期間だ。インフルエンザや扁桃腺炎で、2,3日ぶっ倒れた時だって、こんな状況ではなかったから、たった一晩熱が出ただけで、回復後もこんなに制限がかかることが、不思議な気がする。それでも、コロナの扱いは昔に比べれば随分軽くなっているのだろう。昔だったら、感染可能期間に立ち寄った店とか、会った人とか、全部報告して、、、今はsms届いて終わりみたいだから。(まだ届かないけど)早く収束してくれることを祈るばかりだ。
2022.08.15
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保健所からの連絡はまだない。電話ならともかく、SMSでもこんなにおそくなるのだろうか?昨日、やっと帰省中の末娘と話ができた。庭で洗車中の娘と、玄関先に腰かけて、5mくらい離れての会話である。山の中だから、大きな声でなくても十分会話できる。マスクもいらん。仕事は快適とのこと。外資系だからか、とても開放的で、かといって、放って置きっぱなしというわけでもなく、とても居心地がいいとのこと。残業する人もほとんどいないそうだから、今時珍しい環境かもしれない。まあ、こいつは研究職だし、いわば、エリートだから。まあ、とにかく安心した。次男の様子も聞いた。次男はやはり大手の企業に就職していたが、昨年突然退職し、会津に行った。今流行の、地方移住、地域おこし?僕はその大先輩みたいなものだから、ちょっと複雑な気持ちだ。僕は結局は臨時の教員で食べていくことになり、自営で頑張っていたころー子供たちが小中学生だったころーは随分貧乏して苦労した。それを見ていた子供たちは多分安定第一で暮らしていくと思っていたし、僕もそれを望んでいたからね。末娘は次男思いだから、関東から会津まで車で様子を見に何回か通ったらしい。たくさんの仲間に囲まれ、実に楽しそうだったとのこと。これも安心した。仲間がいれば、なんとかなるじゃろ。さて、先ほど県の24時間対応のコールセンターにやっとつながり、問い合わせたら、保健所に電話しろとのこと。保健所に電話すると、丁寧に対応してくれた。軽症と判断された人は、保健所対応ではなく、県の一斉送信SMSに回されるとのこと。もうしばらく待ってくれということだった。電話番号入力するだけでも4日以上かかるほど込み合っているということか。
2022.08.14
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唯一気がかりだったのが、発症3日前に寄った孫たちのところ。3人の孫たちと、かなりの濃厚接触(笑)しかも、僕の車に乗せてる間に、僕のハーモニカを吹きまくっており、内心気が気ではなかった。先ほど大丈夫との連絡を受け、一安心。うれしい誤算も。体重が70㎏台に。コロナからこっち、ピーク78㎏台までいった体重を落とし続け、72㎏台まで行ったところで停滞。長らくその状態が続いていたが、今回の高熱でブレークスルー。数年ぶりに70㎏台となった。良いやせ方ではないのだろうけど、腹もすっきりし、身体も軽い。さて、強制療養も後1週間続くとなると、片付けや、楽器の練習だけでは勿体ない。なにか考えないと。。
2022.08.13
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これから残り僅かな人生、手放すことを恐れないことだ。部屋の片づけしてたら、いっぱい写真が出てきた。就農以前、家建てて農業で頑張っていたころ、学校と農業の両立、馬鹿みたいにマラソンしていたころ、そして今は学校と音楽か。4人の子供たちと最近では孫たちの成長。ステージが多いせいか、十分すぎるくらいの人生を送らせてもらったと思う。感謝あるのみだ。
2022.08.12
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何かをあきらめたり、失ったりすると、そこがマイナスになるわけではなくて、新しいものが入ってくるのだなあと思う。何かをあきらめたり、失ったりしそうなとき、そういう事態を招いてしまった自分を悔んだり、誰かのせいにしたり、何とか逃れようともがいてみたり。でも、その事態はなるべくしてなるわけで、自分が関与してる部分なんてほんの僅かあるかないかではないか。最近、そんなふうに思う。今までの僕だったら、ああすればよかったとか、こうすればよかったとか、後悔ばかりしていたかもしれない。でも、今は、まずは静かに受け入れてみる。だから落ち着いていられるのかもしれない。
2022.08.12
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幸せであることを阻むもの。それは、何かを達成すれば幸せになれる。逆に何かがなくなれば。又は、努力の先に。という考え方だと思う。これは致し方のないことで、僕らは小さい頃からそう刷り込まれてきた。校長先生の話も、ほとんどが、「目標をもって頑張りましょう。」というものだし、僕も体育の授業では、いわゆるPDCAサイクルを意識させている。で、これは確かに楽しい。目標立てて、達成のための作戦立てて、うまくいかなかったら立て直して、うまくいったら次の目標立てて、、ただし、これはあくまで手段であって、目的ではない。そこをはき違えると、不必要に苦しんだり、逆に天狗になったり、周りに迷惑かけたり、、、頑張っても結果が出なければ、努力が足りないと自分を追い込んだり、逆にそんなつもりもないのにうまくいったときは落ち着かなかったり。流れに任せればうまくいくようにできているというのが、今のところの僕の感想だ。「自分はこんなに頑張ってるのに…」なんて思いだしたら黄信号だ。そもそも、やる必要のないこと、やらないほうがいいことをやってると思ったほうがいい。目標地点に向かってがんばってオールを漕いでいくというより、流れに任せて、周りの景色なり、難ありを全身で感じる。途中どうしても行ってみたいところがあれば、ちょっと頑張ってオール漕いで見てるのも悪くはないけど。基本はその状態を楽しむというか、生きるというか。。そんな風に考えるようになって、僕は随分楽になったような気がします。
2022.08.11
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いつか、子供たちが読むかもしれないので、覚書を。還暦直前で少し語ってみる。基本、流れに身を任せれば人生うまくいくようにできている。僕は若い頃からその真逆をやってきた。吉田拓郎は、石ころだらけの道を歩めと歌ったし、テレビの青春物は、体制側につくこと、安定を求めることを否定した。根が馬鹿なので、その辺の影響をもろに受けたのだと思う。人の役に立つような素晴らしい事とか、人と違うこととか、無茶苦茶頑張るとか。そういう特別なことをしないと、自分には価値がないと思っていたのだとも思う。とんでもないミスをしたかもと、40代のころは結構きつかったけれど、50を過ぎたあたりから、流れに身を任せればいいと思うようになって、急に楽になった。もっと早く気づいていればと思わないでもないけれど。だから、しんどいことがあっても、全然心配はいらない。流れに身を任せきれば、必ずうまくいく。一番いけないのは無理をすること。頑張ること。好きなことを夢中でやってるのは、周りが頑張ってると思っても、本人はそんな意識ないでしょ。苦しいけど、なにかの目的のために頑張ることはしなくていいと思う。むしろ、害があると思う。そんなことしてる間に、大切なことが目の前を通り過ぎてしまうよ。将来の損得勘定に惑わされないことだ。怖いけど、流れを信じること。その勇気さえあればいい。まあ、とにかく大丈夫。安心して。
2022.07.31
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ブルースハープは商品名なので、10ホールズハーモニカというのだそうだが、文字通り穴が10個のハーモニカである。結論から言うと、これが私にはピッタリの楽器。なぜかというと、絶対に変なおとが出ない(笑)例えば、キーがCのブルースだと、Fのハーモニカを使えば、どこを吸おうが吹こうが、ハズレの音が出ないのである。だから安心してアドリブができる。限られた音しか出ないという不便さが、私のようなものには便利極まりなのだ。音感もない、楽譜も読めない私には救世主のような楽器なのである。楽器にはコンプレックスしかなかった私が、うまいですね。なんて言われるのだから。。
2022.04.25
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先日、バンドデビューを果たした。ブルースバンドで僕はボーカルとハープ担当。僕以外のメンバーは皆セミプロである。僕は、音楽はとても好きだけど、はっきり言って才能は皆無。小学校ではリコーダーに躓き、中学校ではやったギターも全然ダメ。というか、まず、チューニングができなかった。二つの音を聞いてどちらが高いかとか、同じだとか、それがわからなかった。当然、コード伴奏で歌うこともできなかった。高校に入って無謀にもバンドを組み、ベースを担当したが、これも、ほかのメンバーに手取り足取りでなんとか引いたに過ぎない。それでもほかのメンバーに恵まれ、コンテストで入賞したりもした。この時のメンバーが東京でプロになり、10年ほど前に広島に帰郷。彼のイベントにチョコチョコ顔を出すうち、ライブハウスや、ブルースセッションなんかに縁ができ、とうとうバンドデビューとなった次第である。学校勤めがメインになってから、付き合いの幅が本当に狭くなっていたから、音楽を通じていろいろな人と会えるのがとても楽しい。高校時代の友人に感謝、感謝である。
2022.04.25
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AとBどちらか迷って、Aを選ぶ。問題が大きければ迷い方も半端じゃない。そして、Aと決めた後も、本当に良かったかどうか思い悩む。そして、猛烈に不安になる。そして土壇場でひっくり返す。周りは大迷惑である。これまで、何度かそういう場面があった。最初は高校受験だ。ここで自分の不安感に負けてしまったことがで、負け癖がついてしまったと思っている。その後も負けっぱなし。今回、同じような場面があり、絶対負けないことだけをテーマにした。選択が間違っていてもよしとした。一度決めたことは変えない。変えないとどうなるかを見てみたいというのが一番のテーマだ。そうはいっても生活ががかかっている。しばらく失職してもかまわないぐらいの決断が必要だった。で、結局どうなったか? 思いもかけない展開で結果オーライとなったのである。これかと思った。思いもかけない展開。信頼しきればそれがついてくる。還暦前にして遅すぎるかもしれないが、少し流れが変わるのではないかという予感がする。
2022.03.26
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今のように動けるのは後、せいぜい10年くらいかと思う。寿命が尽きていてもおかしくはない。10年なんてあっという間である。今更ながらに気が付いた。1日、1日、丁寧に丁寧に生きていきたいと思う、
2022.03.23
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臨時教員生活、なんと20年である。結論から言えばかなり恵まれていたと思う。今の学校はブラック企業だといわれるがあたっていると思う。職員室を出るのは7時8時は当たり前、仕事が終わってなくても無理やり追い出されるからUSBを持ち帰り、家でも仕事。それでも追いつかないから、土日出勤。子供たちの暴言、暴力は日常茶飯事、モンスターペアレンツにパワハラ管理職。みんなしんどいから職員室の空気も悪い。たぶん、これが普通なんだと思うけれど、僕は1度しかこういう学校にあたっていない。この時は本当にしんどかった。もう1年いたら、確実にメンタルやられていたと思う。この時ほどではないが、ちょっとしんどかったのが2年くらいか。残りの17年は基本楽しかったし、なかでも、田舎の小さな学校で10人以下の通常級のクラス担任。こんなに楽しい毎日で給料までもらっていいのだろうかと思うような経験を6年もさせてもらった。僕なんて40人近いクラスを持たされたら、1ヶ月と持たず、ぶっ倒れるんじゃないかと思う。それにしても、残りの半分以上が特別支援クラスだ。これはどうかと思う。圧倒的に臨時の先生が多い。本当は、経験豊富で、その学校のこともよくわかっている先生が、できるだけ長く担任をするべきだと思うのだが、現実は逆だ。まあでも、そんなこと僕が言ってもどうなるものでもなく、特別支援の担任ができるということで、声をかけてもらっている立場なので、それはその道のプロであろうと思っている。来年度も、ほぼ特別支援の担任になりそうである。実は、これまでお世話になっている市とは違うところから声をかけてもらっている。そちらのほうが魅力的な話なのだが、直感に従い、今回は諦めようと思う。なんせ、十数年も世話になり、大失敗した後も声をかけてくれたところだ、腹をくくるつもりである。
2022.03.22
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僕の時は、今思えば無茶苦茶だった。仕事のあても何もなく、無料で貸してくれるという空き家と、わずか3反ばかりの田んぼだけを確保して田舎に飛び込んだ。妻と1歳の長男を連れて。失業手当が3か月くらいはもらえるだろうから、しばらくは何とかなる。その間に何か見つかるだろうという全く根拠のないプランしかなかった。田舎に行けば思いがけない仕事があるとでも思っていたのだろうか?それとも、3反の田んぼで生活できると思っていたのだろうか?しかし、不思議なことだが、全く不安は感じていなかった。それが若さということなのだろうか?ただのバカだと言ってしまえばそれまでだけれど。でも、それがあったからこれまでの暮らしがあるわけで、本当に不思議だと思う。自分ではない何かに突き動かされたとしか思えない。そして、困ったときにはどこからともなく助けが入り、本当になんとかなったのである。自分はとんでもない間違いをしでかしたのじゃないかと、不安に襲われたのは40歳くらいの時で、それまでの10年間くらいは本当に毎日が充実していて楽しかった。次から次へと出会いがあり,思いもしない出来事が起こり,退屈する暇なんてなかった。子供たちはかわいい盛りだしね。40代は苦しかったけれど、臨時教員と農業の二足の草鞋で切り抜けることができた。マラソンと水泳も自分を支えてくれた。一番頑張った時期かもしれない。50代は農業からほぼ手を引き、臨時教員の時代になった。収入は安定したし、農作業もなくなったから、楽だったはずだけど、気分的には不安定なことも多かったかもしれない。まあ、それまでは出稼ぎくらいのつもりだった臨時教員から農業がなくなればただの臨時教員、フリーターなわけで。農業から手を引いたのは、農地の賃借の更新時期や機械のこと、共同経営がうまくいかなくなったことなど、いろいろな理由はあるが、一番大きな理由は子供たちがどんどん巣立っていったことだ。農業は家族労働できるところに一番の魅力があるというのが僕の持論だ。田植えや稲刈りには僕の両親も駆けつけてくれ、3世代で作業できたことは本当に幸せだったと思う。そう、一番いい時期にほぼ20年農業をすることができたことになる。だから、やっぱり僕にはこのやり方しかなかったのだと思う。インターネットもなかったし、道の駅もなかった。今ならもう少しマシなやり方も考えられるかもしれないけど。一番の目的は家族で協力して仕事をすることで、ビジネスとして農業を成功させることは二の次の目的だったのだと思う。さてさて、そんなこんなで後1年のところまできた。僕の知り合いの先生には早期退職した人も多い。僕の父も妻のお父さんも早期退職組で、今の僕の年齢で、すでに引退していた。もちろん退職金も年金も全然事情は違うが、それでもなんだか少し肩の荷が下りたような気がしている。
2022.03.22
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次男が会社を退職した。所謂一流企業だからもったいないとは思うが、私の言えた義理ではない。賢い子だから、考え抜いてのことなのだと思う。福島の会津に行き、ふるさと協力隊に入るとのこと。3年の任期らしいから、その間に自分の道を見つけるつもりなのだろう。ここまで無傷で来ているわけだし、一度や二度の回り道なんてなんでもないとは思うが、不安定な身分のしんどさや、貧乏の辛さをいやというほど味わった私としては、やはり心配である。勿論、何度も言うが私の言えた義理ではないから、ただただ見守るだけだ。彼は彼の流れに乗って行動しているのだと思う。
2022.03.22
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流れに身を任せておけば、万事うまくいくようにできているんだなあと思う。何か自分を守ってくれる存在があって、それが流れを作ってくれているのだと思う。厄介なのは、それが時々、度胸試しの形をとることだ。流れに沿って決めたことは、たぶんそれで間違いはない。その場の雰囲気で決めてしまったことはたぶん、自分を守ってくれているものが決めてくれたことで、間違いはないのだと思う。信頼しきればいいものを、あとからあれこれ考えて、不安になり、土壇場でひっくり返してしまいたくなることもある。度胸試しというのはそういう意味だ。意気地のない僕はそうやって土壇場でひっくり返し、周りに迷惑をかけたことが何度かある。そのひっくり返したことはいい結果を生まなかったような気がするが、それは「タラレバ」話だからよく分からない。それよりも、直感的に決めたことを後からあれこれ考えて不安になる、その態度を改めようと思うのだ。1度口に出してしまったことは、最後まで責任をとる。それが今年のテーマである。
2022.03.22
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5年後くらいまでの生活を、経済面からぼんやり考えてみた。退職金もほとんどないし、年金だって少ないから、働かなくても悠々自適というわけにはいかない。でも、強みもたくさんあるなと思った。まず、住むところがある。ガタが来ているとはいえ、僕らの代は死ぬまで大丈夫だと思う。これまで通り少しずつリメイクしながら。固定資産税も、子供のお小遣い程度だから、問題にならない。借金もない。死亡保険も葬式代+αくらいは前払いで払っているから、遺族に迷惑はかけないはずだ。財産なんて残せないけれどそれは、はなから誰も期待していないだろう(笑)子供たちもすべて独立した。現金に頼らず生きる術も普通の人よりは長けていると思う。それで、具体的に生活に必要な額を考えていくと、夫婦二人食べていくだけなら、それほど心配はないなと思った。40代から、臨時の教員で食いつないできたから、年度末の契約更改の時期になると胃が痛くなるような思いをしてきた。先の見えない長い長いトンネルの中にいるような気持になった。今、目の前に出口が見えている気分になったのだ。いつか、子供たちがこのブログを読むことがあるかもしれないと思ってこれを書いている。しんどいと思うことがあると思うけど、年を取ればとるほど、生きやすくなる。これは間違いないから、安心して。
2022.03.22
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5年後ありたい自分の姿が具体的にイメージできたことで、少し生活が変わった。昨日飲んだお酒は1週間ぶりである。内心、自分はアル中になったのではないかと少し心配していたので、安心した。びっくりしたのは面白いほどスルスル体重が落ちたことで、とりあえず、レッドゾーンの75㎏は下回った。そんなにすぐ脂肪がなくなるとは思えないから、アルコールぶくれのような状態だったのかもしれない。腕立て100回は、もちろん何回かに分けて1日100回という意味だが、これはなかなか難しい。30から40回は続けているから、これは少しずつ増やしていくつもりだ。走るのはまだ怖い。2kmも走れば、膝が痛みそうな予感があるからだ。一度壊してしまうと厄介なことになってしまうのは肩で学習済みだから、地道に早歩きくらいから馴らしている。孫たちが小学校を卒業するくらいまでは、負けずに走りたいものね。
2022.03.21
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先日、自分の履歴書を見て、改めて汚い履歴書だなあと思った。高専を1年で中退して、普通高校に入りなおしているから、ここからもう、躓いている。大学を卒業後、いくつかの仕事を経て、農業。ここでも、塾の講師や、非常勤の教員のバイト。40歳くらいから、ずっと臨時の教員。これは基本1年くらいで学校を変わり、それごとに経歴を書くから、すごい数になる。20年くらいの臨時教員生活だけど、大卒で定年まで勤め上げた正規の教員の倍以上の数の学校を経験したことになると思う。普通なら、すっきり、数行で済む履歴欄が、僕の場合は数十行。ごちゃごちゃと汚い。普通の人事担当者なら、これ見ただけで、不採用決定(笑)みっともないと思うし、大学まで進学させてもらった両親にも申し訳ないと思う。一方、よく、この過程を乗り越えてこれたなとも思う。自分は本当に幸運だった。そう思うと、満身創痍になりながらも懸命に生きてきた証のようにも見えてくる。まあ、良くも悪くも、これが、僕なんだなと思った。
2022.03.21
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S・セガールの映画のうたい文句に、「無敵親父」という言葉があって思わず笑ってしまったが、同時にいいなぁとも思った。還暦を迎える今、無敵爺を目指すのもいいのではないかと思った。これから5年がかりくらいで、精神的にも肉体的にも無敵の爺になれるよう、頑張るのだ。そのあとは、自然に枯れるなり、ヨボヨボになるなりすればいい。現実はといえば、今、無敵どころが、ボロボロの状態である。コロナでマラソン大会がなくなり、めっきり走らなくなった。急に走らなくなったせいだろうか、右足親指が陥入爪になってしまい、気絶しそうな手術を受けたにも関わらず再発。結局1年近く歩くのもままならない生活が続いた。そのうえ、水泳で痛めた肩が半年近く通院したにも関わらず一向に良くならず、1年以上たった今でもまだ十分に動かせない。運動不足が長期になったせいか、今まで引っかかったことのない健康診断で、腎機能や血圧に黄信号。最近は下肢静脈瘤まで出てきてしまった。まさに満身創痍である。まだ、諦めるのは嫌だなと思ったときに出会った言葉が、無敵親父だ。肉体的には、目標は簡単だ。65歳までに、フルマラソン、スイムラン、トレイルランを完走できる身体を取り戻すこと。その過程でメンタルも強くなるだろう。どうすれば無敵爺になれるか?まずは、平日の飲酒をやめる。腕立て1日100回。このあたりから始めてみようと思う。
2022.03.14
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今年の年始は温泉で迎えた。僕の父母、妻、長男一家、次男と末娘の8人が大みそかから温泉で宿泊。父母から還暦祝いの赤いベストをもらい、可愛い孫をみながら、結構酔っぱらって横になったころ、「父ちゃん、大変!」とたたき起こされた。なんと、長女の子供の通う保育園から陽性者が3人出たとのこと。孫は濃厚接触者になる。長女一家は前日我が家に泊まっていたから、僕らは皆、濃厚接触者の濃厚接触者ということになる。さて、どうしようと酔った頭で考えていたら、末娘が、あっという間に全員のPCR検査を予約した。もし、孫が陰性なら、僕たちは濃厚接触者ですらないわけだから、孫の結果を待ってからでいいのではないかと言ったが、それでは、遅すぎるという意見に従った。しかし、万一、8人のなかに陽性者が出れば、温泉に来た人、止まった人、スタッフみんなに迷惑をかけることになると、ぼんやり考えた。次に考えたのは、僕だけ陽性。これは、孫が原因ではないから、僕個人の行動が洗い出され、それに関係する人すべて検査? 結果、みんな陰性だったので、事なきを得たが、検査前は、正直逃亡したい気分だった(苦笑)ジタバタしなくてよかったなと、今になっては思う。何かと小賢しく立ち回ることが多かったのだけれど、ことしは、どっしり構えて起こることをきちんと受け止めてみようと思う。
2022.02.19
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