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2015年01月27日
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カテゴリ: 模倣犯
映画館で2回目の鑑賞。
原作を先に読んだ友達と観に行きました。
色々な意味で済まんかったです・・・。
映画・原作、大いにネタバレしております。









「鑑賞3回目」


7月1日月曜日。今回はお友達と見に行きました。
宮部さんファン、原作がとても気に入っていた彼女にとっては、森田版「模倣犯」はどうやら受け入れられなかったようです(~_~;)。
確かに、原作を愛している人には、そういう捉え方をされてもしょうがない映画ですよね。
原作が後になった私でさえ、不満は色々ありますから。


それはもう、一気に彼を有名監督へと押し上げた「家族ゲーム」からしてそう。
この「模倣犯」の中で山崎努という映画俳優の体を借りた有馬義男という人物が象徴していたものは何でしょう。
一つは「被害者の家族」。
原作では他にも登場した、ピースと浩美の犠牲になった被害者の家族の役割を一身に引き受けていた。
そしてもう一つは、物語中唯一の「父親」。

ピースを「悪」、有馬さんを「善」と分ける意見もあるようです。
でも有馬さんは絶対的善人というわけではないと思う。
人よりいくらかは正義感も強く、精神的にも頑丈な人ではあるだろうけれども。
それよりもこの映画の中でたった一人の父親だったと言える。
古川氏も、鞠子の父親という肩書きだけですもんね。
「僕は百合子のことを考えますから、お父さんは真智子のことを考えてください」。

有馬さんだけが、とにかく娘を守りたい、家族を守りたいという想いを持ち続けた人でした。
鞠子のハガキを偽造したこともそう。
原作にはそんなシーンはありませんでしたね。
果たしてこの行為が正しいのかどうかは別として、そこにはただ娘の心を慈しむ父親がいました。

それがピースから赤ちゃんを託されるというラストに繋がるのでしょう。

(それはあの子供が鞠子が産んだんだという、勝手な前提に基づくものですけど・・・)
また、真一君を家族として守るという未来にも表れている。
ピースと浩美には「じーさん」なんて呼ばれてましたが、有馬さんは「親父」なんですよ、私の中では。

ピースと有馬さんの対決にストーリーが絞られてしまったため、塚田真一君の物語は希薄になってしまいました。
視点を変えて、彼を主人公にしても充分作品になりえるはずです。
自分の家族が殺されたことに対する負い目、引き取られ先のおじさん、おばさんとの関係、それに樋口めぐみとの確執、ガールフレンドの久美ちゃんとのこと、そして和明の妹、由美ちゃんやピースとの対峙。
そんなこんなをばっさり切り取ってしまったせいで、多少彼の言動が唐突になった感はぬぐえません。
せめて、佐和市の事件の折、自分がふと漏らしてしまった言葉が家族を死なせてしまうきっかけになったんじゃないかという、その心の葛藤だけでも、どこかに盛り込んで欲しかったなと思うのです。
それによって、滋子さんへピースのことを調べるようにという説得の場面や、 最後の有馬さんに対する「でも、終わらせてください」という願いが一層活きてきたんじゃないかなあ。

前畑滋子さんはなぜああいう設定に変えられてしまったんでしょうか。
いえ、監督の気持ちは分かるような気がするんですよ。
つまりはマスコミの怖さを体現する役割なんでしょう。
ピース自爆後のモノローグ、「私はこのために犠牲を払ってきたんだろう」。
そう言いながらも、夫が命を奪われた別荘をファインダー越しに見た時の指の震えは抑えきれない。
それなりの意義は伝わってきます。
でも・・・もう一つ消化不良だったんだな。

ただし、原作の滋子さんにも私個人としては抵抗感がある。
好きか嫌いかといわれると、嫌いかも(~_~;)。
全く理不尽な理由なんですけどね。言ってみれば・・・近親憎悪。
しばらく前、文章を書いてお金をもらっていたこともある私には、なんだか辛い描写もあったんですよ。
自分の意思と反した文章を書かなければならないこともあるストレスと、自分が書きたいものを書くために生ずる使命感を通り越したエゴイズム。
そして自分の書いたものにだんだんと自信を失くしていく焦り。
そういう感情を見ていると、「うぐう・・・」と来てしまって。
それに・・・原作版旦那の昭二さんも好きになれなかったからかな~。
私が滋子さんのような境遇だったら「あんな旦那はいらねーっ」と思ってしまうんですよ(~_~;)。
だから、全く個人的理由からの嫌悪感です、はい。

あと、3回目の鑑賞で一番じっくり見たいと思っていた別荘でのピース・浩美・和明のシーン。
あの、中居クンがたった一度自分の芝居を取り上げてもらった、と言ってたところです。
野球選手の物まねを一生懸命に演じている和明の背後に忍び寄るピースに気付き、浩美は思わず「やめろ、ピース!」と襲撃を制する。
ピースはそのままゆっくりと後ろ手を床につけてしゃがみこみ、二人をしばらく見てから乾いた笑いを発し、「どうして僕のレベルに来てくれないんだ。僕はいつも普通の奴に計画を邪魔される」と告げる。
それを聞いた和明が「普通の人間バカにするんじゃないぞ、ピース」と一言投げ放ち、浩美は黙ってピースを見る。

セリフだけを読むと、明らかにピースが二人を見くだしています。
でもスクリーンに映っているのはピースを見下ろしている浩美・和明と二人を見上げるピース。
予告編で聞いた時に「な、中居クンの笑いじゃないぃ~」と背筋がぞっとした哄笑と、ピースの目の色と、この位置関係から、私はピースの喪失感を感じたんですがどうでしょう。
意識的にか無意識にかは分からないけれど、これで浩美を失ってしまったと痛感した。
映画では、ここからピースの「自分では分からない何か」への渇望が始まったわけですよね。

話は戻りますが「象徴」について。
3回目にして私がひっかかった新しいものは「時計」と「抱擁」です。
有馬さんと滋子さんに、まるで形見を渡すように時計を返した形になった意味。
鞠子の時計が壊れていたかいなかったは確認できなかったけれど、滋子さんの元に戻ってきた昭二さんの時計はしっかり時を刻んでしましたよね。
時間の流れが意味するところは何でしょう。
そういえばオープニング・エンディングは回る地球だったなー、なんて。
それから・・・ピースと由美ちゃんとの抱擁と、最後の有馬さんと真一くんの抱擁との対比。
全く温度の違う抱擁でしたね。
頼る者と頼られる者とのシンクロの差がそこに出ているようなシーンだったと思います。

最後に妙な読後感ならぬ鑑賞後感(←こんな言葉ないって・・・^_^;)。
ピースの遺書に忠実にバイク便を発送し、子供を公園に置いたのは誰?
あんな男のために尽力する人物が果たしている?
金で雇われた誰かということも考えられるけれど、バイク便はともかく、ピースの死後少なくとも数日は赤ちゃんの世話をし、あんなところに置くことまでするかどうか。
そう考えた時にふと浮かんだのは、原作と違って生き残った彼女。
彼女はピースに心酔し、迷いを抱く暇もなく事件が終わろうとしている。
有馬さんも真一くんも、滋子さんもどうにか決着をつけようと一歩を踏み出した。
でも彼女はどうなんだろう。もしかして・・・彼女が原作の「樋口めぐみ」となり得るとは思えないだろうか。





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最終更新日  2015年01月27日 20時48分16秒
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