あけやんの徒然日記

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あけやん2515

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2020年02月12日
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カテゴリ: 野球
かつてパ・リーグを代表するチームだった南海ホークスが身売りして消滅したのが1988年のことでした。今から32年も前の話になりますね。かつての本拠地だった大阪球場はなくなり、その跡地にはなんばパークスができていますが、その一角に南海ホークスのメモリアルギャラリーがあるのをご存知でしょうか。



 1938年に誕生した南海ホークスの輝かしい歴史の紹介とグッズが展示されています。
 写真は、南海ホークス最後の監督だった杉浦忠さんのユニフォームです。このユニフォームは、南海の黄金期だった1950~1960年代をイメージさせるようなものです。



 1950~1960年代の南海ホークスは、パ・リーグに敵なしの強さだったのですが、日本シリーズでは巨人に勝てずに敗戦。その後は、同一リーグの西鉄ライオンズに勝てずに日本シリーズに出場することもできなかったのですが、1959年に後に監督となる杉浦忠さんの38勝4敗という驚異的な勝ちと、日本シリーズでも4連戦4連投して4勝0敗のストレート勝ちで巨人を倒して日本一になりました。
 写真は、その時のペナントです。亡き父は戦後すぐからの南海ファンだったので、おそらく大喜びしたのでしょう。



 そういう歴史をこのように紹介しているのですが、1973年に南海ホークスとして最後のリーグ優勝した時の監督のことが書かれていません。1969年に就任した飯田徳治さんのことは書かれているのに・・・。



 また、南海ホークスに在籍した主な選手の紹介もあるのですが、キャッチャーをつとめた名選手の写真も名前もありません。それも、最初から在籍していなかったようで違和感すら覚えます。
 その名選手とは、昨日亡くなった野村克也さんです。野村さんは、南海ホークスの歴史に欠かすことができない選手のはずなのに、なぜこんなことになっているのか。古い野球ファンの方はご存じですよね。

 その原因というのが、1977年に起こった当時監督の野村さんの解任劇にあるんです。当時愛人関係にあった女性(のちの夫人)とともにチームを好き勝手なことをして現場を混乱させ(公私混同なんて言われました)、その責任を負わされたと言われています。


 そして今日、どのような状況になっているか見に行ってみました。そんないきさつがあっても、南海ホークスの歴史を作った紛れもない人だから、野村さんの展示はないけど南海側としてのコメントがあるかと思ったのですが、それもありませんでした。

 野村さんは「鶴岡さんに追われた」というようなコメントをしていたと思いますし、南海側としては野村さんの勝手な振る舞いがその後のさらなるチームの低迷、身売りにつながったと思っているのかもしれません。結局どちらも歩み寄ることもせずに終わってしまったのは、とても残念です。

 個人的には、昨日のブログにも書きましたが、野村さんは野球選手として監督としては素晴らしい人だったと思いますが、それ以外はなんだか残念だなぁって思ってしまいます。





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最終更新日  2020年02月13日 01時28分21秒
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