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離れて暮らす娘への誕生日プレゼントが決まらないと夫が数日前から困っていたので 週末見てあげるからとの約束どおり朝からネットを立ち上げて ストールやアクセサリーの小物を物色し、手配した。あたしの誕生日に贈り物がなくなったのは いつからだっけ?なのに娘のは ちゃんと用意するってどういうこと?!とぶちぶち言いながらも そんなに心底イヤってほどじゃないのはきっと彼女たちに直接会う機会が持てた後 あたしの気持ちに余裕が出たせいだろう。良い子たちなのだ。基本的に。性善説の立場にたつあたしはそう考える。夫の嫌いな青じそが入っていないかと 用意したちらし寿司をチェックされ「さすが」と言われたことだって こわ~とおののきながらも 笑い話に出来る。敵じゃない。彼女たちが敵対心剥き出しにしてこなかったとかそういう立場上のことだけでなくあたしは あたしに自信を持てたというか。それは大きかった。そう つまり 彼女たちはまだ 敵に値しない。オンナとしても。人間としても。それはともかく 困り果てた夫は「娘」「父」「プレゼント」「誕生日」などのキーワードで検索したらしい。そしたら 父から高校生の娘へのプレゼントに下着を贈りたいのだが・・・という相談がやたら出てきたらしくて 驚いたという。どんな下着を贈りたいというのか。世のお父さんたちよ。
2009.10.17
手術は無事成功したという医師の説明を受け 麻酔から目覚めた父と会話を交わしその管をたくさんつけたままの姿と その思っていた以上に痩せた彼の身体に 幾分ショックを受けながらもひとまず安心、あとは回復を祈るばかりと あたしは思っていた。だからこそ 連休は天気もよさげだし娘のバイトが休みの日に合わせて 日曜は父の病院にみんなでお見舞いに行くとしても初日、つまり今日は ここのところ遠ざかっている山へでも行こうと思っていたのだ。勉強しなくちゃという焦りも見ない振りをして わくわくしながら行先を決定し のんきに地図を眺めていた。てっきりもう 癒着を防ぐために父はせっせと歩く練習をしている頃だと思っていたし仕事をして学校に行って あたしはすっかり普通の日常に戻っていた。 まさか もう一度 お腹を開くほどの事態になっていようとは。しかも夜中に。これでもう落ち着いたはず、と 電話越しに母は言う。知らなかったこととはいえ あたしがぬくぬくと布団で眠っていた頃夜中の病院の待合室で さぞかし心細い思いをしたに違いない。その声には疲れが出ている。ごめんね。お母さん。とりあえず山は取りやめて 今日は病院へ向うことにした。
2009.10.10
自慢じゃないが あたしはそのひとの良いところ(客観的にみてどうか、ではなく 個人的に好印象、という意味)を すぐに見つけられるという特技がある。だから恋に落ちようなんて思ったら それはすごく簡単な作業なのだ。その部分をズームアップして 自分自身を洗脳していく。例えばそうだなふっと笑ったときの目尻のシワが優しげで たまらなく好きだ と思いこむ、とか。黒板に 定規も使わずにあんなにまっすぐに線がひけるなんてしかもめちゃめちゃ達筆で「素晴らしいです」と答案に書かれたその字こそ素晴らしくてきっとすごくバランスのよいひとに違いない、素直で育ちがよいはず、と思い込むとか。シャツのデザインがさりげなく凝っていて しかもお腹も出てなくて 同年齢か少し上の世代ではないかと思うのに お洒落じゃん、オジサンじゃないじゃん 素敵だわ、と思いこむとか。まあ そんなわけであたしは 意図的に恋をすることにした。好きなヒトには 自分を認めてもらいたいと思う。たくさんいる生徒の中から 少しでも彼の目に留まる存在でありたいと思う。すなわち ミニテストや実力テストでよい点をキープするため常に勉強せねばならない。ましてや授業中の居眠りなんざ ありえない。もちろん どんなに仕事がつまっていても 彼に会うため必死に通うはず。よし。それでいこう。同じような理屈からいくともしも上司に恋でも出来れば 少しは仕事にも張りが出るはずなのだが残念ながら それは無理。どうしたって無理。思い込めなきゃ 恋は成立しないのだ。
2009.10.04
通信生のみを対象にしたスクーリングが今度あります、と今日の授業で講師が紹介していた。なんせあたしのとっている授業は 録画対象の先取り講座でときどき講師は カメラに向ってしゃべる。「ここから録音はいりますね~」と言った途端微妙に声のトーンが変わるんだよなー って毎回思っている。で、そのスクーリングでは なんと懇親会があるそうな。いやそれがメインではないのはわかっているんだけど 正直少し羨ましい。だって教室生たちは 週に2回も顔を付き合わせているというのにお互いに一言も交わさず ただ黙々と集まって黙々と散っていく。ピリピリした雰囲気が感じられて 例え見知った顔が同じ電車の同じ車両に居合わせようともとてもじゃないが話しかけられたもんじゃない。なんとなく席も固定化されているし 休み時間の雰囲気も重たいし「みんなで頑張ろうねっ」ってことには 当然ならないわけで。基本的に人間(おしゃべり?)が好きなあたしとしては これが結構ツライのよ。いーなー 懇親会。通学講座でも せめて忘年会とか設定してくれないかなー。(普通無いものなの?)だが いくら懇親会が羨ましくても あたしに通信は無理だ。どうしたってモチベーションがもたない。今日は何を着て行こうかと まったく税理士試験に関係ないそんなことが仕事の後 1時間強も電車に揺られて通う原動力になっているのだと言ってもきっと男性諸君には信じられないだろう。だけど 実際のところ そんなものなのである。体験で受けたビデオ通学ですら あたしはダメだった。飽きちゃって飽きちゃって ごそごそ違うことをやりだす始末。通信で学んでいる人々ってほんとすごいよなあ。
2009.10.01
産婦人科医と 乳がんの検診に関わるひとは(特にマーモ。寄せて集めるからね) 心理的な抵抗感から なるべくなら女性がいいと言うひとは多い。10代で初めてかかった産婦人科の医師が女性だっただけにあたしもこれまでずっとそう思ってきた。が 今日その考えを覆す。紹介されて行った大学病院の医師は男性でここでは合併症があるひとしか手術出来ないから、と 隣の市の関連病院を紹介されその足で向った 指定された病院の医師は女性だった。どちらも同じように 内診とエコー(超音波)の検査をしたのだが上手かつ丁寧だったのは ダントツに最初に行った大学病院の医師 つまり男性の方だった。医師の人手不足から 女医を増やそうという動きがあるという。それは大いに結構なことだとは思うのだけれど女性である以上 患者からは必然的に 優しさとか細やかさとか柔らかさとか温かみとかそういったものが 男性医師以上に期待されてしまうのだという事実を自覚すべきだ。そもそもの期待があるだけに 欠けていた場合の失望感と言ったら 男性医師の比ではない。もちろん あたしも女性の看板を背負っている以上自覚せねばなるまい。
2009.09.29
これまで受けた資格試験は そのほとんどが鉛筆使用のこと、だった。税理士試験がボールペンでなくてはならないとは知らず初めてのミニテストを受けたとき 普通にシャープペンで解答してしまったのだが後ろからまわってきたほかの人の解答用紙を目にして もしや と思う。慌てて文房具屋で吟味することとなったのだが これが大変だった。キャップ式はいちいちめんどくさい。黒だと 問題用紙に書き込むのに問題文と区別がしにくい。太すぎると桁数が大きいときマスに入らず苦労する。グリップがいいとインクが黒のものしかなかったり書き味がいいと太すぎたり もうほんと 帯に短し たすきに長し。で なんとかかんとか 今は サラサに落ち着いている。ちょっとクリップが主張しすぎていて あたしの細身の筆箱の中で邪魔なのだがなんといってもこのブルーブラックの色味がお気に入り。ところがここのところ いよいよインクが無くなりつつあり書き味がてきめんに悪くなった。慌てて追加購入せねばと ネットで探す。文房具って単価が安いからどうなのって思ったけれど送料無料になるラインが 以前より確実に落ちてきている。運送屋さんのコスト削減って もう限界ラインまで来てるんじゃなかろうか。ワタミの社長(いま会長?)が佐川急便で資本金をためた話を先日の講演でしていたけれどこれじゃいまは昔ほど稼げないかもしれないな と思う。いろんな種類のものを試し書きするのは やはり店頭でやるしかないけどあたしの場合 一度商品を定めてしまえば リピート買いはほとんどネットで済ませている。なんたって パジャマで買えるし 時間も選ばないし いいとこだらけなんだけど問題は 夜間すら留守がちの我が家 いくら時間指定していても不在扱いになってしまうことも多くて 運送屋さん ほんとごめんなさいってこと。そんなわけで どうやら常連(問題児?)の部類に入るらしく自宅以外で運送屋さんに会っても なんと名前を呼ばれ挨拶されるほどだ。頻繁に届く荷物に かなりうんざりしている夫は昔小さい頃は 「お届けモノです」ってインターフォンがなるとなんだろ、なんだろってわくわくして兄弟みんなで玄関にかけつけたもんだが、とはんこを持って玄関に向うとき 決まっていつもそうぶつぶつ言うのだった。
2009.09.27
子宮をなるたけ残したいかどうか と問われれば それは子供をまだこの先産む気があるかどうか という意味なのだろう。年齢的にはぎりぎり可能なのかもしれない。でもあたしたちは ふたりの間の子供をつくろうとは思っていなくてそれぞれに2人ずつ子孫を残したわけだから 社会的義務やら責任やらは一応果たしたとも言えるわけだしいまさら 育児やりだしたら山にも行けなくなるし何よりお金ないよねえ という結論を出して つまりずっと避妊をしている。だけど互いにきっと できちゃったらそのときはそのときで当然産んで育てるしまたあの若かりし頃の貧乏に戻るのも大変だけどそれもまた人生の面白さなんじゃないの というスタンスがどこかにあった。だが いざ子宮を手放すということは どこかに抱えていたそのこのひととの子供を産んでみたいというオンナとしての本能的な願いや可能性を未来永劫奪われることでもある。その覚悟が 果たしてあたしにあるのか。子供を産む前にそれを強いられたひとからみれば 贅沢な悩みだろう。あたしは一応 母となり その上での選択であるのだから。昨日検査の結果が出て その病院では手術できない場所に筋腫があることがわかった。来週紹介された病院に行く。繁忙期前の手術を望むなら きっと早々に結論を出さねばならないだろう。夫には おまえは理屈っぽいくせに結論が無茶苦茶だと言われることが多々ある。きっとそれはあたしが 子宮でモノを考えるからだとなんとなく思っていた。あたしにとってそれは 男性が女性を侮蔑したときに言う それとは違い男性には出来ない女性だけがもつ特権としての 誇らしげな言葉の響きを持っていた。その子宮を失ったとして あたしはこの先どこでモノを考えるというのだろう。
2009.09.26
ここ数年ずっと結婚したいと言い続けている女性が 関与先にいる。毎月伺う度に 現況を報告してくれるのだが料理合コンに行ったり 友達に紹介してもらったりいわゆる婚活と世間で呼ばれるものを一生懸命頑張っているようなのになかなか上手くいかない。何人かのお付き合いしていた男性たちの話もときどきちらほら聞いたのだがどれも長く続かない。とうとう三十路にさしかかり 田舎のお母さんまであんた腰すえてちゃんとせな、と 結婚相談所の入会を勧めに上京してきた。こういっちゃなんだが 彼女はお世辞にも美人の部類には入らないしセンスもスタイルも魅力的とは言いがたい。机の上の状況や書類の管理からして どうやらあまりまめな方でもないと思う。独り暮らしなのに料理もほとんどしないと 自己申告していた。となると 売りこむべきものは この決して飾らない性格ではないかとあたしはひそかにずっと思っていたのだ。仕事は不器用ながら一生懸命やるし なんたって素直だ。子供だと言ってしまえばそれまでだが 表裏が無いとか計算高くないとかこの自然体っぷりを 相手が気疲れしなくていい と思ってくれれば・・・とそんな男性と縁があることをひたすら願ってきた。何年もずっと毎月1回とはいえ顔を合わせ ときどきは一緒に食事にも行ったりしてきたわけで友達ではなくても あたしだって彼女には幸せになってもらいたい。だがそれにしたって このくしゃみは あまりにも自然体過ぎるだろう。なんのためらいもなく 語尾まではっきりはあぁっくしょい。だもんな~。一緒に食べたほか弁のゴミが 女性とは思えない状態だったときにもその割り箸はせめて箸袋に入れてから とか その食べかすは出来れば端にまとめたら とかつい口に出しそうになるのを必死にこらえたものだが。今回ばかりはつい 「練習しようよ」とアドバイスしてしまうほどそれは豪快だった。実態がどうであれ 女性は男性に幻想をいだかれてなんぼ な気がする。似たような状態の我が娘に 帰るなり口を酸っぱくして厳重注意したのは言うまでもない。頼むよ。
2009.09.25
先に言い訳をするならば 電車の時刻がぎりぎりでかなり急いでいた。それに荷物も 書類がたっぷり入っていて重かった。何より この日は学校のある日で朝から自分の気持ちを高揚させる必要があった。だが それにしたって。駅まで向う道 あたしを追い越しながらちょっとヤンキー崩れみたいな自転車に乗ったおじちゃんが 振り向きながら「ねえちゃん かっこいい~」って言ったのだ。「は?」一瞬 意味がわからなかった。だってあたしは よりによってとびきりフェミニンなワンピースで 今日はどう考えても「かっこいい」系のファッションではなかった。次の瞬間 そのおじちゃんといかにも夫婦者らしいおばちゃんがやはり自転車であたしを追い抜きがてら 言う。「猪木みたい~」あたしはただ 苦笑するしかなかった。今まで色っぽい歩き方だと言われたことはあっても・・・。こんな屈辱は初めてだ。だが 確かにあたしはそのとき 大股の急ぎ足で ヒールの音を響かせながら大きなかばんを肩にかけ腕を振る勢いで 姿勢も正しく 闊歩していたに違いない。客観的にその 「猪木みたいな」自分の姿が 容易に想像できた。女性らしいファッションであるならば余計 それは奇異に映るだろう。気をつけよう。どんなに急いでても。ほんとに。
2009.09.24
昨日は実力テストだった。世間がシルバーウイークだろうがお構いなしに専門学校は 淡々とその決まった曜日に授業がある。前の時間に配られた補助問題でも トレーニングでも 総合問題形式のものがなかなか最後の納税額において正解を導き出せずにいたあたしは 結構焦っていた。個別問題と違って 総合問題はまとまった時間を作り出せないと取り組めない。1題60分前後のその時間の捻出を なかなか出来ずにいたことが 総合問題に慣れない原因のひとつだとはわかってはいたのだが。しかし なんとしてもこの実テは結果を出さなくてはならない。何故ならば・・・なんでだっけ?合格するつもりなら上位三割をキープするのが必須だと夫に言われたから?質問に優しく答えてくれるちょっとイケメン気味な講師に実は気に入られたいから?ひそかに勝手にライバルと決めた彼女に負けたくないから?うーんと。なんだっけ?まあとにかく 帰省していた下の娘を施設に送り届けた後のこの日。夫は山へ 娘は友達と映画へ と出かけて誰も居なくなった静かな我が家で思う存分勉強しようと 必要最低限の家事だけこなしてホンダのホームページを見た後は ほとんど机に向っていた。そしたらば。集中力だけは自信のあるあたしあっという間に時間は過ぎて 気がつけば夕方。出かけなくてはならない時間に。洗濯物すら取り込んでいる余裕はなかった。授業が終わって帰ってくれば23時をまわる。夕飯はチャーハンでも作っていくねと言っていたから と彼は期待して冷蔵庫を開けたらしいのだがほとんど具の無い前々日の残りのカレーと冷やご飯をあっためて独り食べたのだとか。ごめん。罪滅ぼしに 今日から出社の彼のために朝ごはんを用意してから寝た。先に寝ている彼を起こさないように 深夜なるべく音を立てずに台所に立つ。何せ起きてから5~10分でご飯を食べ始めるのだ。朝魚を焼いていたら間に合わない。温めなおすぐらいが関の山。・キャベツとえのきとわかめの味噌汁・かまトロの照り焼き・蒸しかぼちゃにもやし・きゅうり・ハムのポン酢和え(ミニトマト添)・十六穀米ごはん粗食だけど バランスを考えた食事を家族には用意したいと思う。それは心の健康にも大事なことだと思うのだ。だが 果たしてそれは税理士試験と両立できるのだろうか。
2009.09.22
あたしが現在乗っている車を購入するとき新車買うなんて馬鹿馬鹿しい、と中古車で探すよう強く主張したのは彼だった。確かにその後 バンパーは前二回 後も一回お取替えをし洗車をほとんどしないまま山へ繰り出したりしているせいで足回りだのドアミラーだのに 虫だか泥だか落ちない汚れもこびりつき例え新車だったとしても あっという間にその価値は下がっていたはずでまあ 結果的にはそれでよかったと思ってはいる。この冬4回目の車検を迎えようというこの車を買い換えるかどうか という話が昨日持ち上がった。なんせ夕方のスーパーで「半額」とか「○%引」とかいうシールに弱い彼のことエコカー減税が気になっているらしく 新車で買って長く乗るかい?とあたしに聞く。これはチャンスと目を輝かせて あたしは早速今朝起きてすぐホンダのホームページを開いた。何故かって言えば 彼はこれまた「売れているモノ」=「いいモノ」の思考が強くこの提案は 売上ナンバーワンを維持し続けている(らしい)フィット限定での話だったからだ。ちなみにあたしは 欲しいときに買うのが原則で値段が下がったかどうか は彼ほど購買理由にはならない。欲しい服に出会ったとして バーゲンまで待つ、という発想はない。ましてや みんなが持っているもの、はなるべくなら持ちたくない。ひとと違うものを愛用したいと思う。売れているから、というのはあたしの中で動機につながらないのだ。だが あたしはあたしの信念を曲げてでも この機会を逸したら 彼と一緒に居る限り一生新車を買えない気がして焦りにも似た気持ちで情報収集に動いたのだ。明るい鮮やかな色の車が売れているそうだがホームページ上で見る限り フィットの赤はいまいちパッとしない。あ この特別仕様車の色ならいいんじゃないの~ と(たぶん少しでも「他人様と違うもの」の意識が働いているにちがいない)見積もりを うきうきしながら計算させてみる。そんなにオプションつけたつもりもないのに 210万ちょっと。うーむ。どっから出るんだ?このお金。来年満期の保険があるし 次の車検まであと2年乗るかなあ。いやでもそうしたら新車買わせてもらえないよなあ。13年超の古い車を下取りに出して 新車購入へ動いている関与先は 確かに今年ちらほら出てきている。関与先には 「先にエコカー減税ありきではなくて資金繰りに関して目配りしてから検討を」とかなんとか えらそーに言うくせにいざ 自分のこととなると これだもの。ああ どうしよう。どうしよう。
2009.09.21
『理想の妻』一、夫の好き嫌いを早く呑み込む妻一、快活で愛情たっぷり従順で優しくて上品な妻一、どことなく初々しい感じのする妻一、家政とお料理が上手で糠味噌臭くない妻一、機転が利き利口ぶらない妻一、何事にも理解と同情を持とうとする妻一、仰ぎもので理解、コセツカぬ妻一、話し上手、聞き上手の妻一、飾り気と身だしなみの良い妻一、世の中に追わぬだけ、修養なつとめる妻『理想の夫』一、ニコニコしていながら締まりのある夫一、仕事を楽しみ家庭の和楽を与える夫一、言い出さぬうちから妻の心をわかる夫一、生活に不安を与えぬ夫一、男らしく同情心に富んだ夫一、快活で気品の夫一、何となく大きな感じのする夫一、親に孝行、目下に親切な夫一、時代の進歩に伴って進む夫一、無断で外泊をせぬ夫一、慈愛と寵愛を常に持ち合わせている夫『元海書』より職場で一番の若手が 入籍した。女性だらけだというのに 独身ばっかり(バツイチ含め)の我が職場ようやく、である。唯一の前例(あたしのことね)にのっとって 本日お祝いの食事会。そうだ。担当している関与先の事務室に貼ってあったあの言葉を彼女に贈ろう、と思い立ち ネットで検索してようやく見つけたのだが。元海(お坊さん?)の書いたものからの出典、という解釈でよいのだろうか。その関与先は ご主人を亡くした後 おかみさんがひとりで店を切り盛りしている。壁に貼ってある紙はもうかなり黄ばんでいて セロテープもカピカピでおそらく ご健在の頃から夫婦で頑張っていた頃から そこにあるのだろうと考えるとなんとも言えない重みがある。理想の夫婦像なんて並べみたところで 実は傍からどう見えるかなんて関係ないし。お互いがお互いを尊重し 必要として 一緒に生きていけるならどんなかたちだっていいのだろうとは思うのだ。糠味噌くさかろうが、生活に不安を与えてしまう事態(=失業)になろうがそんなことは余計なお世話である。そういったことを含めてなお 寄り添って生きていくことに価値があるわけで。でもまあ これは ネタだから。三つ指ついて迎えてた時代の古くさい夫婦像なんじゃないのと言ってしまえば それまでだけど どこかにいまに通じる精神的な根っこはあるだろう。ただね。渡した途端 「夫」側の条件ばっかり見ている彼女に みんなで笑いましたとさ。
2009.09.16
父が金融機関に勤めていたおかげで あたしはずっと転校生生活だった。履歴書を書けば 入学と卒業ですべて学校名が違う。それぞれの地に思い出があり 自分の生い立ちと重なりだから「出身地」とか「故郷」とか そういったものを尋ねられても困惑するのだ。それでも「幼なじみ」と呼べる存在があたしにあるとすれば小学校の後半をともに過ごした彼女たちだろうか。そこは学校から遠く離れた団地で 遊ぶ相手が限られたせいか放課後も休日も いつも同じメンバーで濃密な時間を過ごした。今思えば ずらっと並んだあの建売住宅を購入し移って来た親たちもきっと同じような生活レベルであったと思うし そういった意味でもベースが共有され 関係が確立しやすかったに違いない。その団地の子供であるということは 半強制的に万年弱小チームのソフトボール(少年野球の少女版)のメンバーでもあるということで毎週日曜日には朝から団地の遊水地でドロだらけになっていた。運動音痴のあたしは この練習が非常に嫌いだったのだが守備はともかくバッティングでは4番を任され 逃げるわけにはいかなかった。なんせ絶対数が足りなかったのだ。あたしたちはきっとあの頃 それぞれに何かを学んだはずだ。中学にあがるときに遠くの地へ移ったあたしを除く3人の仲間はまだ実家がそこにあるために ときどき顔を合わせていたりもしていたらしいのだがあたしはすっかり年賀状だけの付き合いになっていた。それがふとしたきっかけで昨年 その中のひとりと久しぶりに会いそして今日 幼ない子供連れのもうひとりも交えて代々木公園へ。身軽でショートやセカンドだった彼女は 可愛い盛りの2歳になろうかという男の子の母となり相変わらずの細い身体で ひょいと子供を抱きかかえる。高校の同級生だったひとと結婚したのだそうだが 長男だというのでじゃあゆくゆくは同居?と訊くと まったく考えたこともなかったという相変わらずの のんびりさばさば天然っぷり。サードを守っていた彼女はといえば 都会のOL独り暮らしを全うしていてさすがにお店にも詳しく(おかげで美味しいランチにありつけたのだが)最近親からのプレッシャーが激しすぎて 実家に行くたびに喧嘩だと嘆いていた。だってその程度のひとと見合いしてもね、というので じゃあ結婚はしなくてもいいと思っているのかと尋ねると それはそれで諦められない、とこれまた相も変わらずの優柔不断っぷり。足が遅くてファーストだったあたしだって子育てがもうすぐ終わりそうな年齢となってもなお やはり何も変わらないのだろう。どんな道をたどろうとも 経験を積もうとも性格なんてものは小学校時代と比べてそうそう変質するものでもない。だからこそ こんなに時をおいてまた顔を合わせても 安心して心を開いてまるで昨日ランドセルを置いて遊んだ続きのように いろんな話をしてまた明日会えるかのように 別れていく。友人とはいっても お互いに何かあっても 助け合えるような距離感にはない。たとえ失っても 自分たちのいまの生活になんら影響を与えないつながり。こうした遠くゆるやかな人間関係を 果たしてなんのために保とうとするのだろう。セカンドとピッチャー兼務の運動神経抜群だったクールなもうひとりの仲間は関西へ嫁に行ったきり 誰も消息を知らない。会ってどうするというわけでもないのに やはり遠く彼女の幸せを願いいつか会えたらと思う。
2009.09.13
アフリカがマイブームなわけではないはずなのだがこれもまた 場面はアフリカから始まる。それだけ映画の背景として選ばれる機会が増えているということか。夫が借りてきた約束の旅路を観た。これはあくまで少年が主人公なのだが彼をとりまく女性達の強さが 際立って美しい。過酷な状況の中でも冷静に機会を伺い いざその時が訪れたら幼い息子に「行きなさい」と力強く宣言する生母。瞬時に状況を判断し 見ず知らずの子供から差しだされた手を覚悟をもって受け入れ自分の子として必死に守り抜こうとする 実の子を失ったばかりの母。その肌の色や生い立ちから受けている差別・中傷を知るや否や その場で声を張り上げ彼の頬をなめ上げ抱きしめ それがどんなに愚かなことか周囲に訴える養母。肉親も捨てるほど 自分が愛しているのは彼自身であり ユダヤ人でも白人でも黒人でも 彼が何者かだなんてそんなの関係ないのだ と打ち明けてくれなかった彼の臆病さをなじる妻。どの女性たちも 強靭な忍耐力(ここでは粘り強さと置き換えてもいい)とともにたくましい行動力や的確な判断力、揺るぎ無い信念を持ち合わせ 彼を支えていく。それが印象的な映画だった。ん~。それにしても 今日は 一日勉強するはずだったんだけど。だめだな 自宅で休日勉強するなんて無理だわ。結局 平日出来ない家事をやったり 夫のテレビに付き合ったりで終わってしまった。「あゝモンテンルパの夜は更けて」の話から だんじりのドキュメンタリーまで泣きながら観てるんだもの あたしってば かなりのんき。強制的に場所を変えよう。今度から。
2009.09.12
刺青が入っているひとはだめだとか(女性に人気の眉毛のタトゥも含み)ペースメーカーをつけてるひとは無理だとか閉所恐怖症のひとは難しいとかそんな話は今までも聞いたことがあったけれど検査の前に注意書きを読んでいて つい目を奪われた。・・・かつら?検査室に入る前に外してください、と羅列してある中に書かれている。身に着けている貴金属や時計は気軽に外せてもこればっかりは ねえ。うーん。どうしても外したくないひと(=知られたくないひと)はつまりMRIが受けられないひと ということになるのか。そうそう休んでばかりもいられないので この検査は夜間も可能だとういうから 本日夜の8時で予約をとっていた。大きな音ががんがん鳴っているっていうのに(耳栓もするんだけど)あたしってばつい すやすやと寝てしまって。動いちゃいけないって言われたのに 自分のビクンっていうので目が覚めること数回。だって 規則的な音なんだもの。夕飯食べた後だし 眠くもなります。しかし痛みもなく 放射線も気にしなくてもいい検査だなんてなんて素晴らしいんでしょう。磁気を使うということと 体内の水分がどうやら大事らしい ということまではなんとか理解できたもののなんかわかんないけど すごい、で済ませてしまおう、ということで。ちなみにカラーコンタクトも金属で色をつけているから 外さないとダメなようです。
2009.09.11
「関与先から帰ってきたら 消毒してください。絶対にインフルエンザにかからないよう 十分注意してください。私も 電車のつり革は指1本でしかつかまらないほど 気をつけています。」上司からお達しがあったのが数日前のこと。いつの間にか 事務所に消毒用アルコールジェルが買われていた。そりゃあ気をつけるけど 「絶対」ってのは無理じゃないの~?そもそも繁忙期にどんぴしゃで寝込むよりいまの時期にかかって抗体作っといたほうがいいんじゃないの~?そんな矢先に 夫がなんか調子悪い、と帰ってきた。熱がある。ひえええええ。もしインフルだったら・・・一生責められるかも。夜中に隣のベットで彼が咳をするたび びくびくしてついには耐え切れず マスクをして寝たあたし。翌朝 少し下がっていてほっとしたけれど結構プレッシャーになってますな。
2009.09.08
小学生のとき以来だと思う。答案に『Very good!』と書かれて 2回目のミニテストが返ってきた。なんかこう懐かしさに心がくすぐられ 頬が緩んだ。帰ってきてそう夫に言ったら どうもピンときてる顔じゃない。そうか。『大変よく出来ました』世代だったか。実は先週の1回目のミニテストは 超なめてかかって1問落とした。相続人とか相続分だなんて今更このあたしに聞く~?なんて上から目線で流した挙句 ミスってるんだから世話ない。以前読んだその道の書籍に スタートしたばかりの9月のミニテストや実力テストは 満点で当然、と確か書いてあったと思い出し ちょっと焦ったわけで。はい。素直に簿記論からいきゃーいいのに 相続からです。
2009.09.07
同年齢で初産だということは 高齢出産に間違いない。いくら母子手帳に「マル高」マークが押されなくなってもめざましい医療の進歩があったとしても人間が進化したわけではないのだから 出産適齢期というのは変わらないのだそうだ。それでも何ら問題なく 元気な赤ちゃんが生まれたとの高校時代の友人からの知らせ。もうひとりの友人と一緒に 一ヶ月にもならない赤ちゃんと 母になった彼女の顔を見に お祝いに行った。ご主人似の女の子を抱かせてもらいながらもう二十年近くも前にもなるあたし自身の出産の記憶の糸をたぐっていく。片手で抱けるほど軽くて 泣き声もまだ小さくてこんなにも癒される存在だったのかと思うのは あたしが年をとった証拠か。それとも我が子ではない 傍観者であるが故の気楽さか。当時のあたしにそんな余裕はなかったなあ としみじみと感じ入る。どうか幸せな人生を、と 親である友人やご主人は当然のことお祝いにかけつけて 生を受けたばかりの彼女を抱き上げた誰もがそう願うだろう。三十数年前は あたしたちだってきっと その幸せを願われながら抱き上げられた。その時点でまったくの白紙だったそれぞれの人生は 色んな色を重ねていって今に至る。両親をはじめ 祝ってくれた誰もがその後のそれぞれの人生など予想もつかなかったはず。「どうかお願いだから嫁に行ってくれ」と母親に手紙を書かれるぐらい心配されていたこの友人は 昨年結婚、今年出産ととんとん拍子に幸せを重ねている。あんなに子供はまだ要らないといっていたご主人だときいていたのにいざ生まれてみたら 相当な親ばかっぷりだという。もうひとり 一緒にお祝いに行った友人は数年前 略奪婚とも言える熱愛ぶりだったにもかかわらず ご主人以外の男性の子供を宿し 産むこともかなわず とうとう離婚が成立。莫大な慰謝料を抱えつつも 相手の男性と静かに暮らしている。あたしはといえば 子供なんて産まない、結婚なんて一生しないで生きていく、と豪語していた高校時代を卒業した途端のできちゃった婚で親を泣かせ挙句の果てに 一生しないどころか 2回も結婚してしまった。それぞれに違うかたちの幸せを見つけながら 生きているあたしたちにもやはりこの娘のこれからの人生なんて予想もつかないのだ。だけど どんなかたちであれどうか幸せになって欲しいと 心から願う。
2009.09.06
娘はバイト 夫は富士山。だったらゆっくり勉強すればいいのに どうも体調がよくなくて近所のレンタルビデオ屋が安い日と思い出し 仕事から帰る途中久しぶりに寄ってみた。韓流のコーナーがやたら拡大しているのに驚きつつ何かのコラムで読んで 以前から観たいと思っていたこのDVDをようやく探し出した。社会派ラブストーリーという肩書きで サスペンスに分類されている。今 目の前に手を差し伸べれば 助けられるかもしれないひとがいてだけど そのひとりや ひとつの家族をその瞬間救い上げたところで気が遠くなるほどの援助が必要な人全体の膨大な数は 社会の構造は何も変わりはしないのだという現実が 横たわっていてそのとき 自分はどうするか。主人公の妻テッサが 退院するときにたまたま隣のベットに居合わせた何十キロも遠方から歩いてきている人たちが帰る姿を車の中から目にして 彼らを送っていこうと主張するとき。他の部族の襲来に居合わせた主人公ジャスティンが飛行機で逃げようとしたぎりぎりのタイミングで 幼い現地の子供を一緒に乗せて行きたいと 機長に懇願するとき。映画の中の設定のようなことでなくったってこの日本でもあたしたちは 常にきっとそういったことと隣りあわせで生きている。ふとした場面で その問いをつきつけられて せめて なんの迷いもなく切り捨てられる神経を持ち合わせた人間にはなりたくはない。アフリカの陽射しがまぶしい映画だった。正しいということ残念ながら あたしはテッサのように それだけを生きる基準には持てない。だけど他人の命の重さを 自らの利潤のために無視するような生き方は決してするまい。どんなにお金持ちになっても。(なれないけど)どんなに権力を持っても。(持てないけど)なんたって友愛社会だもんね。鳩山さん。どうぞお忘れなく。
2009.09.05
夫が明日 会社の仲間と富士山へ行く。日帰り登山なだけに出発が早い。朝の2時には家を出るからと 仕事から帰ってきてから慌しく用意をしていた。お昼ごはんをどうしよう、と言う。自分でおにぎりを握るつもりだったけど 時間が無い、と。じゃあ途中のコンビニででも買って行ったら、と提案したのに夕飯(急き立てられたので焼きうどんなのに)の残りを持っていく と言い出す。はあ~ しょうがないな 作っておいてあげるよ。要するに出かけるまでに用意してあればいいんでしょう、これからご飯炊いて 寝る前に握っておいてあげるから とりあえず早く寝なよ。あたしが仕方なくそう言うと 彼は子供のように嬉しそうな顔をしていそいそと寝床へ向った。10分後には大の字でめでたくいびきをかいている。ああ まだ愛は生きている。胸のうちで 密かにそうつぶやく。前の結婚生活を9年で破綻させたあたしはそろそろ1年半になろうかという今の夫との結婚生活が 果たしていつまで続くのか自分の気持ちを確かめながらおそるおそる暮らしているところが どこかにある。愛なんてものは 気がついたときに枯れていたら手遅れなのだ。どんなに水をやったところで 生き返りなどしない。正直めんどくさいけれど山で梅干おかかのおにぎりがどんなに美味しいかも 知ってるし。あたしは明日も仕事なんだけどねー とかぶつぶつ言いながら彼の好きな卵焼きや 塩もみしたきゅうり ドイツ人も一緒だというからソーセージも焼いて 簡単におかずも準備した。愛するひとが喜んでくれると思うからこそ 妻は夫のお弁当を用意できるのだよ、男性諸君。さて。勉強しよう。
2009.09.04
PSA検査で数値がひっかかっていた父の精密検査結果がわかる日だった。あいにく授業がある日で 落ち着いて話をしている時間がない。学校の駅に着くなり歩きながら電話をかけ 夕食代わりのパンは休み時間に流し込むことにして授業が始まるぎりぎりまで階段で話をきいた。案の定 がん確定。今のところ骨やリンパへの明らかな転移が認められないということが救いか。前立腺がんと診断される人が多く身近にいるせいか(なんせ我が事務所の上司も!)もしくは 我々にがんに対しての免疫がついたからなのか本人も周囲も 何年か前の大腸がんのときほどの深刻さではない。それでも 少なからず不安はあるだろう。なんとか5年 再発がなかったとほっとしていただろうに(今回は転移ではなく全く別のがんということなのだ)なぜ自分ばかりと嘆きたくもなるだろう。それでも 冷静に医者の話を受け止め 放射線治療か 手術か の選択に もう少しゆっくり考えて結論を出したら、という医者を制してその場で即断を下したという。我が父ながら あっぱれである。ただしその日はあたし 自分の胃カメラとエコーの予約が入っている。ごめんね お父さん 立ち会えないかも。PSA検査は 何となく今年初めて受けてみようと思い立ったという。虫の知らせというのだろうか。理由など説明できなくても そういった勘は 大事にしなければと思う。
2009.09.03
何年か前に受けた大腸カメラは 記憶に残るほどかなり痛かった。それに比べれば ずいぶんましだろうと、主治医がカメラでなく「バリウム」をやりましょう と言ったときあたしはちょっとほっとしたのだ。人間ドックで 胃のバリウムは毎回やっている。それと似たようなもので注射(内臓の動きをとめるために肩に打つもの)の痛みさえ我慢すればどってことないと思っていた。まさか こんなにつらいとは。胃のバリウムが口から飲むのに対し、腸のバリウムはお尻から投与される。それは座薬なんていう生ッチョロイものじゃなくてチューブを差し込まれ そこから空気とバリウムとが流し込まれる。差し込まれるのは カメラも一緒。カメラは それがぐいぐいと奥へ進んで入ってくるときあちこちぶつかって痛かった。バリウムはといえば 一度入ってしまいさえすれば(あたしはどうしても緊張してしまって なかなか入らなくて看護師さんをイライラさせてしまったのだけれど)そこでチューブは固定され 痛みはほとんどない。問題は そのチューブを差し込まれた状態のまま(外れないように 足首にも固定される)機械の上で ゴロゴロ悶えなければならないということ。右にまわるの左にまわるの 逆立ちのような姿勢にされるのずいぶん長い間 お腹に入ってきたバリウムを感じながら動かねばならない。早くだのゆっくりだの 指示通り動くのは結構大変で高齢者の方なんぞ 筋力落ちてたら自分の体重を片手で支えるなんて出来ないんじゃないかと心配になる。そしてこの 屈辱感。チューブを差し込まれた情けない状態のまま 言われたとおりに動かざるをえない(当たり前だ)あたしをガラスの向こう側で 冷静に観察されていると思うとせめて こんなこと何でもないのよ、という表情に努める以外自分を保てる術がない。恥ずかしくて悔しくて とても目など合わせられない。やれやれと ようやく終わった後がまたしばらく大変だった。下剤をすぐ飲んだのだが お腹が痛いのにトイレに行っても出ない。昨日からの検査食で 空腹状態なのが追い討ちをかけ 気持ちが悪い。仕方がないから何か読んで気を紛らわせようと新聞を広げてみたものの 字が読めない。(遠くは見える)いきなり老眼?!とショックを受けたのだが 注射の副作用だそうだ。これじゃまるきり仕事にならないと遅刻するつもりでいた職場に電話をかけて 急遽休みにしてもらった。検査が終わって今は6時間後。ようやく落ち着いてきたかんじ。あまりの痛さに待てず 会計しないで帰ってきてしまったのだけれどいったいおいくらなんだろうなあ。昨日の胸のCTは 1万円近くもお支払だった。こりゃ高齢者の医療費がかさむわけだ。自己負担ゼロっていうのは 国家(健保)の財政を考えたら無謀だとも思うし逆に 月に何万円も 仕事してないのに払えるのか とも思うし医療がどんどん進歩してきたことは人類にとって不幸だったかもしれないとも思える。病気を治すということが まだお祓いぐらいしか手段が無かった時代には生命体として強いか 弱いか しかなかったはず。貧乏だろうが金持ちだろうが 都市部に住んでいようが地方に住んでいようが受けられる治療は皆同じで それはある意味 平等。でも 生命体としての強弱は生まれたときから差があるわけだから(例えば障害者であるあたしの下の娘は 絶対的に弱者なわけで) 最初から平等じゃないじゃないか と言われちゃいそうだけどそんなハナシは 長くなるから割愛。しばらくこのブログも放置して 遊び歩いている間に 上の娘も大学生になりいよいよ税理士試験に手を出そうと 学校に通い始めた矢先原因不明の背中の痛みに 病院通いの日々でして。断髪までして覚悟を決めたってのにいきなり出鼻をくじかれてるよ あたしってば。
2009.09.02
先週は富士山、水曜日には休みをとって雲取山、とすっかり山づいているツレアイと違って こちらはまた間隔が空いてしまっていた。しかも今年は 全然お初の山へ行けてない。それじゃあどこへ行きたいか、と問われれば やっぱり高いとこ!天気予報からすると眺望は期待できないかも(曇りのち雨)と覚悟はしつつ次の日ゆっくり休めるときでないと行けない遠方の山へ ということで 三時半起きで 日光白根山をめざす。花も終わって紅葉もまだであれば 百名山といえども少しは空いてるかも と期待して。予算の都合上 ロープウエイを使うコースはパスして 丸沼高原スキー場はスルー。だって おひとりさま1800円なんですと。ただでさえ ガソリン代と高速代使ってるんですもん。これ以上 無理。七時ごろ菅沼の駐車場へ着くと 既にかなりの数の車が停まっていて残り数台ぐらいしか置けなさそう。ぎりぎりセーフ。・・・寒い。いつの間にか秋だなあ って思いながらストレッチもそこそこに出発。菅沼~弥陀ヶ池~白根山(△2577.6)~避難小屋~五色沼~弥陀ヶ池~菅沼ほんとうは 避難小屋~前白根山~五色山~金精山~金精峠~菅沼と戻る予定だったのだが弥陀ヶ池までたどり着かないうちに ハプニング発生。なんだか頭痛がするんだよなあと思っていたら あたしが月のものを迎えてしまったのだ。山の中で、というのは かなり困る。どうせなら登り出す前になってくれればよいものを。そんな事情で 岩陰での応急処置しか出来ず ロングコースはもたないと判断。結果的にでもこの判断は正しくて 行きはよいよい帰りは痛いの状態になってしまった。残念だけど・・・まあ 仕方ない。ほんとこういうとき 女ってめんどくさい。登り口からしばらくは 道も広くて 散策コースのよう。もうちょっと狭い道になった後も やはり百名山 整備されていて登りやすい。自然林の木々も心地よいし まだ空も明るい。これで ツレアイの機嫌さえよければ最高なんだけれど昨日忘れていたことに気がついた娘の文化祭に心を残しているらしい彼としては十分楽しんでいる様子はない。最近散々ひとりで山三昧だったしねえ。弥陀ヶ池に出る。途中ハプニングがあっても一時間半。まずまずかな。ここから ぐぐっとのぼり 森林限界を超えていく。ここの岩のコケは 蛍光黄緑。(これがもしかしてヒカリコケ?)ちょっと気持ち悪くて 触りたくない。ちなみに頂上から五色沼へと降りる道には これと同じ色の無数の小さな細い青虫が。やはり こちらも触りたくない。森林限界を超えた後は 結構ガレている。油断してると落ちるぞ、落とすぞ、と いろんなことが気になって つい集中力が切れそうになる自分に言い聞かせながらがしがし登る。途中ふっと登ってきた道を振り返れば ふー絶景かな。そういうところは どうしたって足場が悪いし 後続も気になるし でなかなか写真は撮れないのだが。心に残すのみ。向こう側に 頂上らしきものを発見。あれか。あたしたちが着いたときも混雑していて 上へ上がるのをためらうほどだったが少し降りたところで昼食をとったあと ふと見ると 人間がうじゃうじゃ増えている。大渋滞。谷川岳状態。三十分早くてほんとよかった。向こう側のお宮の方へと渡り 前白根方面へと下る。さきほどのガレ場を下るより こちらのザレ場を下る方がずっと楽な気がする。登ってくる方とはそんなにすれちがわないが 湯元からなのかな。五色沼が見える。樹林帯に入った頃 ぱらぱらと雨が降り出す。お昼まではせめてもつだろうと思ったのに とぼやいているとそのうち止んだ。五色沼 というからには 五つの色をもっているはず。木々の紅葉を映した水面で 赤がゆらめく。針葉樹の緑 空の青 雲の白 そんじゃあと一色はなんだろう と勝手に決めつけた挙句に悩み これまた勝手に黄色に違いないと結論を出しながら弥陀の池へ 登り返す。これがきつかった。下半身もげそう。トイレトイレと思いながら下山するのは 両神山のとき以来か・・・。女性連れの多いコースだったし ここは本来ならもうちょっと余裕の山だろう。できれば 体調ばっちりのときに来たかったなあ。二時前には駐車場へ着き 登山口にある山小屋という店でトイレを借りる。ここのゆばコロッケはとても美味しかった。温泉は 500円という値段に魅かれて 花咲の湯へ。国道120号線を右折してから ずっと目の前を観光バスが二台も走っているものだからこのご老人達と もしや行先は一緒?!とかなりどきどきしたのだがバスは立ち寄らずにそのまま 行ってしまった。ふー良かった。ここのジェラートは ちょっと変わっている。花豆と 雪下の雫(人参)のダブルで頼んだのだが 甘さが控えめで美味しかった。地産地消は ほんとに大事なことだと思う。帰りには 新鮮なお野菜と 花も購入。大好きなみょうがとすいかをお安くゲットして ツレアイはかなり嬉しそう。山に、というより 食に満足の日だったかもしれない。
2008.09.13
残念ながらそれほどの容姿に恵まれなかったあたしは一目惚れをされるという経験が これまで知り得る限りでは ない。要するに まったく知らない相手からの告白、というドラマチックな出来事は ついにこの齢までなかった。最後にナンパされたのが既に何年か前 と考えるとどう考えてもそういう展開はもうありえないだろう。あたし自身も 一目見たそのときから恋に落ちる なんてことはなかったしそのひとのひととなりをある程度知り 相性を確かめてから ようやく駆け引き開始という どれもこれも極めて現実的な恋愛だったのだ。だから 一目惚れなんて 少女マンガの世界か せいぜい電車通学中の男子校・女子高生ぐらいなものでそのあとそれが成立する可能性なんて ほとんどなくて継続する可能性までいくと さらに確率は低くて若いときにしかできないギャンブルみたいなものだろうと思っていた。それが こんなに身近に ねえ。後輩が郵便の配達員から熱烈(らしい)なラブレターをもらったもんだから事務所は 上へ下への大騒ぎ。話したこともないし 可哀相に顔も憶えてない というぐらいだから相手は きっと彼女に一目惚れした ということなんだろう。うーん素晴らしい。話もせず愛嬌もふりまかず ただただ郵便を受け取るだけで 相手を魅了できるだけの素材に できるならあたしも恵まれたかった。きっとかなり勇気を振り絞った郵便やさん 次に来た時(定形外などで郵便物がポストに入らないときしかまず顔を合わせない)彼女じゃない人間が応対しても どうかがっかりした顔をしないで欲しい職員一同そう思っております。
2008.09.01
ここ最近 夢見が悪い。どんなに厭な夢だったのか それを目覚めた後 誰かに語ってきかせてみても自分でさえどう聞いたってそれは笑い話じゃないのかと思う内容なのだがそれでも 夢の中では本人はいたって大真面目に大変なのだ。例えば今朝は トイレットペーパーを引っ張っても引っ張っても茶色いへんなねばねばしたものがへばりついていて いつまでたっても拭けずそれどころか どんどん手にくっついて・・・ っていう かなり恐ろしい夢だった。・・・いや ほんとに。言葉にすると その悪夢っぷりが伝わらなくてとても残念だけど。先日も ひどくうなされているからと 夫が夜中に揺り起こしてくれた。そのときあたしが語ったことによると(もう忘れてしまったのだけど)なんでも アザラシに襲われたとか。しかも神社で。そして 半分寝ぼけたままのあたしはその夢を醒まして 大変な状況からあたしを救ってくれた彼に 結婚してよかったよ~ とどうやら抱きついたらしい。(これも憶えていない)悪夢から救ってくれるひとが すぐ隣にいることの心強さよ。結婚万歳!そう たとえ彼が 夢の中では助けてくれなくても。(かなり責めたらしいんだけどね)ひとり寝の心細さからは 解き放たれた はず。きっと。
2008.08.27
相続で必要なものを上司から指示され そのまま客先に伝えたのだという。そのうちのひとつ 原戸籍を 市役所でとろうと思ったらそんなものはないと言われてしまったと電話がかかってきたらしい。原戸籍(はらこせき)って上司が言ってたんですけど・・・と後輩に聞かれ ん?それは げんこせきって読むんじゃなくて?と思ってネットで検索してみたら どうやらそれで合っているようだ。正しくは「改製原戸籍」であり げんこせき でも はらこせき でもどちらでもよいがげんこせきだと 「現」戸籍のような雰囲気をもってしまって紛らわしいのではらこせき の方の読み方を使うことが多いらしい。「はらこ」と略すこともある というのには驚いた。高校生じゃあるまいし なんでも縮めればいいってもんじゃないだろうに。それにしても 便利な時代になったわけだからちょっとキーをたたけば それが何なのかぐらいは(どう読むかも含め)すぐわかる。客先に伝える前にまず自分で調べてちゃんと把握してからの方がよいのでは? と少しお局めいたことを言おうかとも思ったが なんとなくわかったふう。隣であたしが調べ始め「へー はらことも言うんだー」などと笑っていたら自分でも検索しだした。だからきっと次はもうだいじょうぶ。もう一度先方から電話があり「改製原戸籍のことだったんですねえ」とかなんとか言われた様子。おかげで 勉強になりましたとも。
2008.08.26
今月決算を迎えるお客様を訪問したので在庫表など これから準備していただく書類のリストをお渡しした。毎年のこととはいえ なかなかきっちり一度でそろう客先は少ないため決算が近くなると それぞれその客先に内容を合わせたものを作成している。ひとつひとつ説明をしていくと、売掛金の段になった途端 猛烈に怒り出す。支払いが遅れている案件がいくつかあるらしい。入金の約束が守られないことに対し 人間じゃねぇぐらいの勢いで憤慨している。しかし 買掛金や未払金については あっけなくスルー。ここは家賃の滞納も相当な金額だし水道光熱費にいたっては何度か止められるぐらいの常習犯。ちなみに 水道は一番遅くまで待ってくれるそうだ。水は生死に関わるからね、といつだったか得意げに説明してくれた。相手からもらう場合は少しでも遅れると怒り自分が支払うべきものはかなり遅れても気にせず。もちろん 資金繰りをよくするための原則は入金はなるべく早く 支払はなるべく遅く。まさにこの原則にのっとっているわけではあるがなんていうかこう いまいち腑に落ちない。あたしの中で。
2008.08.25
上の娘が転入した小学校は 一学年に一クラスという規模の学校で校長先生は すべての子供の名前と顔を覚えていた。マイペースを貫く娘にとって この転校はよかったと思う。そして 離婚したばかりのあたしにとっても。ざっくらばんな雰囲気をもつお母さんたちに助けられた。みんなずっと同じメンバーで過ごすだけにお互いの子供のことを よく知っていた。途中から加わり しかも仕事と母子家庭という事情をくんでもらって 役員も免除してもらい 授業参観を含めた学校行事にもほとんど参加できなかったあたしはいまだに顔と名前が一致しない子(と母)もいるのだけれど毎年恒例のこの母親たちの同窓会には参加させてもらっている。子供たちは 中学で私立に進む子が別れそして高校生となった今は まったく別々の進路へ向っている。母たちは 自分のたるんでしまった二の腕のことだとか娘たちのやけに濃いアイラインとつけまつげのことだとか息子たちに彼女がいるとかいないとか そんな話題で盛り上がる。もちろんここ何年かの間には 離婚したひとや 子供が高校を中退してしまったひともいて それぞれの人生は 決して平坦ではないはずだけれどもそれでも ここで笑って飲めるだけの強さを この母たちはもっている。それが頼もしい。綺麗な花束をもらい 再婚を祝ってもらった。あたしは 幸せだと思う。
2008.08.24
お風呂上りにストレッチしてるんですけど 全然柔らかくならないんです・・・。と訴えるあたしに 先生は優しく諭した。「ちゃんと毎日やってる?毎日やるっていうのが肝心なのよ。 そうすれば一日一ミリは必ずのびていくから」一日一ミリ。二日で二ミリ。一ヶ月でようやく三センチ。気の遠くなる作業だと思ったけれど よく考えれば 一年経ったら三十センチは違うわけで。定規一本分。三センチじゃなんかやる気を失うけれど そこまでいけば はっきりと成果がわかるじゃないか。よし。やってやろうじゃないの。試験勉強と違って こちらは期限があるわけでもない。身体が少々固くったって 誰にとがめられるわけでもない。レッスンのときに やけに高さのある開脚に自分でげんなりするだけのこと。それでも こうありたいと願う自分を思い描いてそこに近づこうとするならば なんとなく それはそうありたいと願う自分なような気がする。
2008.08.23
昔インド料理のカレーランチ食べ放題のお店に行ったことはあったが味の記憶はほとんどなく 豆のカレーが本場っぽいなという印象だけが残っている。だからあえて料理を楽しみに、というわけでもなくあたしたちを教えてくれている先生が踊る店が たまたま今回インド料理の店だったということなのだが。仕事を終えてすぐ向っても 到着の時間はぎりぎりだという計算だったのにおしゃべりが高じて 駅をひとつ乗り過ごしてしまったものだからたまらない。ほんと間に合ってよかった。とりあえず でビールを注文。ほかに適当におつまみになりそうなものを頼む。香草がやけに効いている健康によさそうなビーンズサラダナツメグ味?と言ってもいいほどラムくささを感じないシャミカバブすごく美味しかったチーズナンショーが始まり いよいよ先生が登場。濃いめの化粧のせいか 衣装で露出度が高いせいか レッスンのときと雰囲気がだいぶ違う。口を半開きにして間抜けな顔で あたしたちはきっと見入っていたに違いない。気がついたときには料理は冷めまくり。ウイング、アサヤ、サーベル、ジル、ベールと 小物も多用した選曲で楽しめた。でも一番楽しめたのは 向こうの席に座っていたおじさん方のグループかもしれない。客席近くに降りてきた先生が すぐそばで胸のシミー(細かく震わせる動き)をするとスーツを着たサラリーマン風のおじさんの目は そこにすっかり釘付け。その後 彼ら自身もステージ上に導かれ 一緒にシミーをやることになるのだがやはり様にはならず まるでコントのよう。一気に場が和む。知っている曲があっても 振り付けまで覚えようという意識もなくあそこまで踊れるようになるまで あと十年?二十年? というかんじ。でも 楽しそう。あれだけ踊れるようになったら気持ちいいだろうなあ。ダンサーが交代すると また今度はがらりと雰囲気が変わった。柔らかな女性らしい踊りの先生とは対照的に スレンダーな身体で力強い踊り。出番が終わって あたしたちのテーブルまで挨拶に来てくれた先生によると実力が伯仲していたり 踊りの方向性が同じダンサー同士では対立することはそう珍しいことではないのだという。生徒同士でも 鏡の取り合いとか 新旧の序列だとかで和やかな雰囲気とはほど遠い教室もあるという。その点 あたしたちの教室は 和やかで めちゃめちゃアットホーム。「ちょっと新入り、あたしたちに挨拶がないよ」なんて中学生の部活じゃあるまいし(ああそうです、呼び出されました 体育館裏)いい歳した大人がやることじゃないとは思う。そんな人間になりたかない とは思う。だけどどっかで そんぐらいの競争心がないと上達しないのでは?と内心訝るあたしに「どんなに上手くなっても あたしたちはそういう女性にならないでいようねっ」と連れの友人は 笑顔で言った。そうだ。きっと そっちの方がいいに決まっている。
2008.08.21
確かに彼女の存在が刺激になった。あたしたちのクラスに突如現れた 美しい女性。しかも上手い。夏の間だけ他県からわざわざ1時間もかけて通っているのだときいて 驚いた。習い始めて1年半だときき さらにびっくり。それじゃあ そろそろ1年のあたしとあんまり変わらないじゃないか。だのにこの差のつきよう。どういうことよ?よくよく聞けば 週に2.3回地元の教室に通っているという。対してあたしは 二週間に一回。・・・なるほど。資金力はともかく ベリーダンスにかける意気込み つまり情熱に温度差があるわけで。これじゃあ 上手くはならんよな、と反省。絶対的にあたしはレッスン量が不足している。そこで同じ先生がやっている教室が 新しく違うカルチャーセンターで始まったばかりときき早速今日 体験へ。これまでだったら 遠いから、とあきらめていたような距離なのだが電車で一時間、に比べたら なんてことない。ガソリン代さえ考えなければ、の話だけど。うーんやっぱりまだみんなお腹出してないよ、Tシャツ持ってきてよかったよ、とか まわりの様子をおそるおそる伺いながらもお盆でくっついて凝り固まったに違いない おなかまわりの肉がほぐれ 気分は爽快。激しく心臓がばくばくする動きはまだ無いけれど 岩盤浴のときのようにじっとり汗をかき 芯からあたたまり チークが要らないほど。ほんとに身体を動かすって気持ちいい。実はよりによって月のものの二日目で 頭痛と腹痛と倦怠感で仕事している間中ずっと横になりたいぐらいだったのにベリーのレッスンが終わった後には そんなのまったく感じない。帰りの車中はずっと 笑みがこぼれるぐらい楽しかった。 まだ始まったばかりのクラスだから簡単でしょ、物足りないでしょ、と先生は言うけどいやいや 技術云々の前にほんと気持ちいいです。ストレッチとか。基本動作とか。実際いっぱいいっぱいのレベルのクラスの方が 上達するんだろうとは思うけれどとりあえず 申し込んできた。これで毎週ベリーが入ることになる。繁忙期はどうするかなんてことは今は考えないことにしよう。
2008.08.19
夫は雫を入所施設から引き取って 四人で暮らしてもいい、と言う。当然あたしは働けなくなって かなり貧乏な暮らしにはなるだろうけれどそれでも食べてはいけるはずだから、と。彼は とても優しいひとでその申し出が嘘だとは思わないし ありがたいことなのだろう。でも きっとそれは無理だ。わかっていないのだ。彼女と日常を共にするということの 本当の意味が。夏期帰省に合わせて 雫の歯医者の予約を入れた昨日。あたしは仕事だったから 大丈夫だという夫に初めてひとりで通院をまかせてみた。残業必須の関与先から直帰になると あたしの帰りが遅いことについても彼は 全然問題ない 適当に食べさせてるから、と言う。この先ずっと あたしが常に雫係でいられるとは限らない。彼女の父親となったからには 一緒に暮らさないまでも 彼に引き受けてもらわねばならない場面も出てくる。そう考えて 試すようなところもあった。雫の好きなものを帰り道に調達して 家に帰ると 案の定8時をまわってしまっていてリビングでは 疲れきった顔をして放心状態の夫が だらんと椅子に座っている。話す声も力がない。伝達事項があるようなのだが 聞き取れない。雫はといえば リビング一面におもちゃを広げ 切除した歯茎から流れる血の色をしたよだれを垂れ流している。発作があったわけでもないらしい。時を同じくして リンも帰宅。彼をひと目見るなり 燃え尽きて灰になってるね、と笑う。だから無理だといったでしょう。半日ですら そんな廃人のようになってしまうのに エンドレスで続く日常を乗り切っていけるとは思えない。仕事に逃げていくようになるのは わかりきっている。言語というものに反応せず理屈のとおらない雫と 長い時間ふたりきりでいるということが どんなに煮詰まることなのか。少しは 感じてもらえたろうか。通院は やっぱりふたりで行きたいね、とつぶやいていた。今さっき片付けたばかりのトランプを よりによってまたすぐひっくり返すか、とひどくイライラしながら嘆く彼が 泣きながら 怒りながら おもちゃを片付けてきた小さい頃のリンの姿に重なる。あたしとリンは 顔を見合わせて もう一度小さく笑った。嬉しくないはずはない。
2008.08.13
アトピーを持っている 妙齢の女性のお客様がいる。調子が良さそうなときと そうでないときと 肌の状態にかなり波があって今日は 間違いなく後者だった。他の社員がみな留守にしていたので 気の緩みもあったのだろう。ふとした合間に ポリポリと服に手を突っ込む。目に見える部分だって 粉をふいてしまっていて 見るからに痒そう。お化粧だって出来ないだろうし 下着だって制約されるだろうし大変だなと同情しながら彼女の机に近づいたとき ふと呼び起こされた匂いの記憶。どこかでこれと同じ匂いを嗅いだはず。そう思って 記憶の糸をたぐれば それはあたしが中学生だった頃のこと。十年以上も前なのに 自分が彼女の名前を覚えていたことに驚いた。あたしたちは 特に親しかったわけではない。そう だって彼女に親しい友人はいなかったのだから。フケのような細かい白いものを振りまいて いつもうつむいて自分の席に座っていた。要するにそれは 彼女の はがれおちてしまった皮膚なわけで。腕も足も首も見えるところすべて ぽろぽろとむけてしまっていて いつも赤くそして その 匂い を全身からはなっていたのだ。そうか。あれは 痒みをとめるクリームの匂いだったのか。お客様の机の上にのったその容器を眺めながら 合点がいった。クラスの男の子のように 机を離して 露骨に彼女を避けていたわけではない。それでも たぶん あたしは その匂いに閉口して 彼女に近づくとき息を止めていたような気がするし何より いつもひとりぼっちだと知っていながら そのままにした。ごめんなさい。つらかったよね。今のあたしだったら もうちょっと いろんなことがわかるし 受けとめられるしきっとあなたを そのままにしたりはしない。だけど あの頃のあたしはまだ 自分で思っていたよりずっと子供で 傲慢であたしの人生は 自分次第でどうとでも切り開けると思っていた。好きなように。思い通りに。自分の力の及ばないところで苦しむ 他人の痛みなんか想像もせずに。大人になって わかることもたくさんある。
2008.08.12
繁忙期で 心身ともにすっかりくたびれ果てていた頃急に思いたち 衝動買いした金魚だった。「酸素が足りなくなりますよ」という店員のアドバイスも思いっきり無視しあの昔ながらの風鈴をひっくり返したようなガラスの金魚鉢も一緒に買い求めた。ゆらゆら揺れる様を呆けて眺めてでもいれば 癒されるかなと期待したのだ。植物を含め 生き物の世話が苦手なあたしにしてはかなり長生きしたのではないかと思う。春を越え 夏を越え また繁忙期がやってきても 相変わらずゆらゆらしていたし結婚するとか しないとか そのあたりのばたばたした時期もリビングの片隅でのんきに漂っていた。一緒に住むようになってからは 夫が餌係担当になり勝手に違う名前をつけて呼んで話しかけていた。犬や猫のようにその存在を誇示するわけでなくても水槽の水を替えるのがめんどくさいあまりに 衝動買いを後悔されてもそれなりに我が家での地位を静かに確立していたのだ。だのに あっけなく死んでしまった。昨日仕事から帰ってくると なんだかお腹を上にして泳いでいる。遠い昔 子供の頃飼っていた金魚がこれと同じ様子でそのあとすぐ死んでしまったことを思い出しもう長くはないってことだなと覚悟はしたのだが。その夜のうちに逝ってしまった。あっという間だった。金魚鉢に浮いてしまった 彼女(たぶん)をもてあましあたしはビールの酔いも手伝って そのまま寝てしまった。朝起きると さすがに家中が生臭いと娘に文句を言われ迷った挙句生ゴミと一緒に捨てた。そこには何も存在しないと わかっていても亡骸をゴミに捨てるというのは たとえ金魚でもためらわれる。これが人間ならなおさら。献体に賛成しない夫の気持ちもわかるような。つい 金魚鉢の置かれていたリビングの隅に目をやってしまう。そのうち慣れていくのが 淋しいと思いながら。
2008.08.10
結局朝の5時までかかった。カーテンの隙間から差し込む光を感じながら 本を閉じ そのままベッドにもぐりこむ。これを幸せと呼ばずになんと言おう。夫は 離れて住む娘たちと自分の実家へ泊まりに行っていて留守。リンは 夜中までオリンピックを観ていたようだし たぶん起きてきやしない。家族の食事の支度の心配も不要な 久しぶりの自堕落な休日の朝。こういう冒険モノを 誰にも邪魔されず 一気に読み通せる幸せを大人になったら失ってしまうなんて 子供の頃は思いもしなかった。寝食を忘れ好きなことに没頭するということが難しくなって どれくらい経つだろう。 ハリーポッターは リンの読書嫌いを心配したあたしの両親が話題になっていた最初の巻を これなら読むかも、と彼女に買い与えたのだった。小さい頃 本の虫だったあたしが はまらないはずがない。しかも こういう話は 先日の映画たちと違って現実の世界では起こりえないこと、として読み進められる安心感がある。もちろん登場人物たちの心理的な状態なんぞは 嫉妬だとか猜疑心だとか現実の世界でも経験するはずのことが たくさん盛り込まれてはいるとはいえ前提条件が違うと こうも穏やかにスリリングな場面でも楽しめるものなのだろうか。一番興味を魅かれたのは ゴブリンの話かな。その剣を作ったゴブリンから それを買い求めた魔法使いが死んだらその剣の所有権は 創作者であるゴブリンに帰属するはずだと 彼らは考える、という。しかし魔法使いたちは 権利は当然相続され、ゴブリンには戻らない と考えるわけでその違いが面白いと思った。モノを生み出す力の優位性 というのかな。もしそれが保たれていたとすれば あたしたちの世界はもっと違うものになっていただろう。とにかく娘がこれを読んで(受験生だというのに勉強そっちのけで読んだからには)なにかひとつでも自分の人生の肥やしにしてくれれば・・・とついつい親であるあたしは 欲を出してしまうのだが自分自身を振り返ってみてもあんなに夢中になってむさぼった トム・ソーヤシリーズだとか十五少年漂流記が 人生の肥やしになっているとは とても思えないし。ま。暇つぶし でしょう。極上の。
2008.08.09
とにかく今度はハッピーエンドがいい、と前回観たDVDツォツィのラストにご不満の様子だった夫がまたもや ひとりで勝手に借りてきた。もともと彼は 水戸黄門のようなわかりやすい話が好きでフランス映画なんか観ようものなら「これで終わりってどういうことだよ」と憤る人なのだから 無理もない。で、今回観たのは アメリカ映画。幸せのちからいや、確かにハッピーエンドだったけどね。安心して観ていられたのは 最後の5分ぐらいなものでほとんどの時間 あたしは なんかこう正視できず ウロウロしてみたり洗濯物をたたんでみたり つまり珍しく集中できなかった。これもまた格差社会のなせる業か 高校時代数学が出来た、つまり頭がいい彼であっても 思うような仕事に就けていない。もちろん 能力があっても不遇なひとは現実の社会にもたくさんいるし彼は たとえ出て行ったにしてもとりあえず一時期は妻もいて可愛い子供にも恵まれたわけで ましな方なんだろう。そこからなんとか這い上がろうと彼はもがくのだが タイミングに恵まれない。要するに あんまりツイテイナイ。観ているだけで こっちの運まで吸い取られそうな勢いだ。そして あちらこちらがアメリカ的。順番取りの図、とか 自分の売込みをかけていく図、とか小さい子を連れているから許される というわけではないにしろなりふり構わず 他人を押しのけていく。・・・なるほど。あたしが正視できなかったのは たぶんこの余裕の無さ 無神経さだ。他人の幸せなんか 二の次。嘘なんか いくらでもついてやる。あたしが あたしの子供たちが 生きていくためには それ以外のことなんか 構っていられるもんか。そういう必死さをまとっていたかつての自分を見るようで きつかったんだな、きっと。確かにそれは 素敵な生き方とは言い難い。だけど きっと その最中にしか まとえないオーラがある。月明かりのわずかな光をたよりに 必死にページをめくる彼を見ながら そう思った。
2008.08.08
残念ながら南アフリカにも格差社会があって ストリートチルドレンの問題がある。一応まともな暮らしをしていそうではあった家庭を飛び出した ツォツィは土管で成長し そしてスラムにバラックを構える少年になった。これは 彼が赤ん坊と関わるうちに、命の価値に気づき 再生していく物語と言えようか。夫が選んできたこのDVDは ハッピーエンドとは言えないまでも人間の良心だとか 愛だとか そういうものになんとか希望を見出そうとしているようなラストだったと思う。ツォツィ公式サイトだけど ひとつ あたしの中でひっかかる。もしも彼が 生まれたときから土管で育ったらどうだったのか。映画の中で回想したような 実母との記憶もなくて誰からの愛も受けたことなどなく 温もりも知らずに育った子供だったらどうだったのか。果たして 同じように小さな命と関わったとしても これと同じ結果になったろうか。例えばこの映画の中でいえば プッチャーが同じ立場だったとして、ということだ。あくまでここでは彼は脇役の設定で 人殺しを好み 最後は自業自得のような死に方をする。赤ん坊と関わることになったのが彼だったとして 同じような希望を見出せただろうか。すべての子供たちが 愛された記憶をもてますように。どこか希望と再生のきっかけがもてたときに 足がかりに出来るような。自分自身と自分の未来を 大切だと思えるような。そしてあたしは 自分の娘たちに ちゃんと核になる愛を与えてあげられただろうか と ふと不安になる。頭で考えると 途端に愛は難しい。障害者の使い方もセオリーどおりとはいえ それにしても重たい映画だったな。
2008.08.03
彼は山へ。あたしは仕事へ。夫の会社は完全に週休二日制でおまけに製造業だからお盆休みも長いときてる。有休消化だって強制に近い。対してこちらは しがない中小企業。所長の作成した年間カレンダーで休みが決まる。週休2日なんて夢のまた夢。隔週どころか 8月なんてお盆休みがあるために 土曜の休みがまったく無い。そのお盆休みだって どうも昨年より短くなっていてあたしは数えたことが無いけれど年間の休日数が毎年確実に少しずつ減っているという噂が実しやかに囁かれている。理想はといえば 土曜には山へ出かけて身体を動かし日曜には 友達と会ったり たまった家事を片付けたり ダンスの復習をしたり・・・して過ごしたいわけなのよ。そうすれば 月曜からまた頑張って仕事に励もうって気にもなるじゃないの。前の晩にいそいそ山の準備されて 腹立たしいことこの上なし、ってこともなくなり 家庭円満じゃないのさ。はっきり言って あたしを含め 今日のみんなの仕事っぷりといったら事務所の一日分の電気代とかもったいないんじゃないの?ってぐらいだった。眠い、眠いとあくびを連発し 入力は超スローモー。だいたいいつもなら手が空いた場合 それなりにファイルの表紙をつくったりなんだりなんとか前倒しでいろいろ雑務をこなすのだが それさえもやる気なし。電話もほとんど鳴らない。こんなまったりとした時間の流れの中でガツガツ仕事してたら浮くから、ってかんじ。ぎゅっと圧縮してちゃんと仕事した方が お互いのためなんじゃないの?同じだけの仕事量はこなしますから 繁忙期以外は土曜も休みにしてください。有休は何日付与するってちゃんと明示して 取得を奨励してください。残業と休みを自動的に相殺するの やめてください。言いたくても言えない ささやかなあたしたちの願い。
2008.08.02
いわゆる現況調査だ。飲食店のような現金商売でもないのに朝からいきなり税務署の職員が4人がかりでやってきたという。しかも一日居たのだという。申告書に税務権限代理証書つけてるのに税理士にまったく連絡しないってのはどうなのかって怒ってやりましたよ、と帰ってくるなり所長が言っていた。当然今日は他のクライアントとの約束やら 会議やらが入っていてそれを知ったからといってフツウの調査のように一日そこへ詰めるわけにはいかない。でもきっと先方は不安だろうから、とどうにか合い間の時間を捻出して 細切れに様子を見に行ったようなのだ。他の税理士から引き継ぐ予定になっている ちょうど過渡期の関与先だった。うちの関与先では 幸いにしてまだこのいきなりの現況調査をされたところはない。それにしても、だ。いきなりやってきて アレ見せろ、ソレ見せろ ってどうなのさ。ちょっと調べてみたところ 任意の調査だから納税者が了承しなきゃできない、らしい。でも例えそれを知っていたところで 4人がかりで不意に来られて追い返せるかなあ。給与計算しなきゃとか 請求書出さなきゃ 支払いしなきゃ とかそういう経理が忙しい日に急に来られてももちろん困るし。忙しさにかまけてわたぼこりが気になりつつも掃除してないときだったりちょっと化粧を省略した日だったり 服と靴とがイマイチしっくり来ないって日だったりそういうタイミングで来られたら もう最悪でしょ。(税務署はそういうところを見るんじゃないってのは百も承知 だとしても)あたしだったらやだね、絶対。今 日経の朝刊に連載されている小説では愛人の家に 本妻はそれを知るや否やとりあえず“いきなり”乗り込んでいった。不意打ちってのは そういうときにも確かに効果的だよなとは思うけれど。そういうんじゃなくて。願わくは 不意打ちで愛を告白されてみたい。
2008.07.29
例えばジーンズをはいたとき Tシャツの裾を中に入れるかどうか。50代の男性のお客様が 奥様とその件でよくモメルのだという話で今日は大いに盛り上がった。お願いだから出してくれ、それが今時なんだから、と説得されて鏡の前で一応出しては見るものの、どうしても落ち着かず結局しまうことになる、のだそうだ。小さいときからずっと シャツの裾を出して着るのはだらしないことだと躾けられそれがすっかり染み付いているのだとういう。当然 ローライズなんてとんでもない その必要性をまったく感じない と力説する。機能性だけが重視されるのであれば みんなが作業着になっちまうんじゃないの?と思いつつ ちょっと前の友人との飲み会を思い出した。そのときのメンバーのツレアイは たまたまみんな同世代。42、3歳といったところ。まあ立派なオヤジと言っていいだろう。ちょっと目を離すと とんでもない格好をしている時がある、って話から例の シャツをインするか否かの話になった。シャツをインしてないとお腹が痛くなるって言うからすんごいイヤだけど仕方なく我慢している、とひとりが言う。そんなの 却下だね。絶対人前だったら出させるよ、ともうひとりが言う。えー それでホントにお腹壊しちゃったらどうするの?例えおなかこわそうが シャツをインしてることに比べたらマシだね。・・・お酒が入ってるもんだから みんなかなり言いたい放題。どうなんだろう。個人差はあるのだとは思うけれどあたしたちの同世代は 男性だってフツウにローライズ受け入れると思うし。シャツもインして着ないよなあ。オヤジファッションに もし世代が関係しているとするならばどこらへんにボーダーラインがあるのだろう。
2008.07.28
マンションの排水管の掃除に業者が来るというのに あたしは仕事。やむなく夫に頼むことにしたら さすがA型人間なだけあっていそいそと前の晩から準備している様子。お風呂の排水溝を覗き込み 「あれえ?最近掃除したでしょ。」と きいてくる。バカモノ。排水溝なんてものは 定期的に掃除してるに決まってるでしょうが。(もちろんさすがのあたしも毎日奥までってのはムリだけど)食事の支度や 洗濯などという家事は 目に見える日向の仕事。それだけだって主婦は結構大変だと思うけれども本当に大変なのは 目に見えない家事なのだと思う。誰にも気付かれないけれど 家族が快適に暮らせるために 必要な仕事。その地味~な仕事を積み重ねるからこそ 主婦は忙しいのよっって 声を大にして言いたい。たまには気付いて その労をねぎらって欲しい。それは社会の片隅で 地味だけど 皆が快適に過ごすために必要な仕事にもくもくと励んでいる人々にも言えること。彼らに感謝する心を 忘れずにいたい。
2008.07.26
もし胸の谷間ってものがこのあたしにもあるとするならば そこに(夫は それって胸全体ってこと?とか言いやがった。ちきしょー)どうやらあせもらしきものが出来てしまったようで。さすがにこの年齢であせもってのも ちょっと恥ずかしい。だから薬局でよい薬は無いか尋ねた時に 「お客様がですか?」と訊かれついとっさに「いえ娘が・・・」と 口をついて出てしまったのだ。ところがだ。問題は 次に続いた言葉だった。「お子さんは大きいんですよね?」ちょっと。待った。あたしはまだ 何も 言ってない。それはつまりあたしを見て だいたいそのぐらいの子をもつだろうと判断したということか。望まずして 若くして母になったあたしは 「えええ。高校生のお子さんがいらっしゃるんですかあ。全然そう見えなーい。」という他人の驚きを喜びとしてこれまで生きてきた。いや 糧として生きている とまで言っていい。それがだ。何で 子供がいるとしても絶対小さい子じゃないって決め付けるわけー!!!それを口にした彼女が どこからどうみても立派なおばさんだっただけに余計 納得がいかない。まだ若い子に言われたほうがマシというか。あきらめもつくというか。今年 あたしと同じ年齢の友人やクライアントが 何人か出産したっていうのに。かたや 初々しい新米ママ。かたや 立派なおばさん。いやあああああ。買ったのはコレたかが あせもの薬。されど あせもの薬。これで効かなかったら怒るよ。
2008.07.24
男性の愛情表現は 奥ゆかしく無くていい。日本男児といえども イタリア人を見習ってくれて まったく構わない。そう思うあたしにとって 帰り道 片手を伸ばし大きく手を振るそのひとが目に留まった。駅から流れ出す多くの人に向って その男性はゆっくり手を振りながら歩いていく。あたしは車だから すぐに彼の横を追い抜かす。彼に向って歩いていく人たちに近づいて すぐぴんと来た。絶対 彼女だ。手を振り返すこともなく 笑っているわけでもない。小走りにもならず 急ぐ素振りはない。その視線は前方につまり彼に向って固定させていないどころか ときどき宙をさまよう。それでも 口元はどこか緩んでいて その表情は 嬉しいような 恥ずかしいような 誇らしいような シアワセとはそういう瞬間のために用意された定義だとも言うべきか。その勘があたっているのかどうか気になってバックミラーのふたりを確認しようとしたら 危うく前の車にぶつかりそうになった。そんなことも知らず(あたりまえだ)ミラーの中に小さく写るその男性は ますます大きく 今度は両手を振っている。ふたりの関係性は わからない。夫婦かもしれないし 恋人かもしれない。家族かもしれないし 友達かもしれない。それがどんなカタチであれ 満面の笑みで迎えられる 迎えてくれる相手がいることの シアワセ。今夜 初めての泊まりの出張から帰ってくる彼を あたしも駅まで迎えに行こうかと。両手を振って 名前連呼して 全身で喜びを表現しようかと。そう思えるあたり あたしもシアワセ でしょ。昨日つぼみで買った百合が この暑さですっかりひらいてしまった。大きな目立つ花を咲かせても 凛とした雰囲気を漂わせて。
2008.07.23
そんな状態で 繁忙期突入。連日恒例の右手腱鞘炎を抱えつつ 8時やそこらまで残業して帰り必死にごはんつくって かろうじて洗濯して とりあえずお風呂入って とにかく寝る。それの繰り返し。つまり あたしの方こそ 主婦が欲しいわけよ。但し ちゃんと一汁三菜のバランスのよい美味しい食事を用意し(勿論 安い食材で)疲れて帰って来たときでもくつろげるぐらい すっきり綺麗に部屋を整えびしっと ランチョンマットにすらアイロンかけてくれるような。くー。オンナにとって 結婚てなに?老後のリスクヘッジ。などという答えが用意されていた 先日の飲み会を思い出しつつ。あたしたちは とにかく めんどくさいことを棚上げしてきた。これまでそれで何の不都合もなかったし。それをあえて乗り越えようってわけだ。よりによってこの 一年で一番消耗している時期に。ひー。本日 印鑑が届く。
2008.02.08
日本三奇勝だという妙義山は 大きな駐車場もあって観光名所になっている。その独特なシルエットは 高速からもそれとわかり上級コースをいくわけではないあたしたちでさえ 軽く興奮する。上毛三山の残りひとつでもあるので ぜひ行きたいと思っていたのだが岩場だから天気が悪いとダメだし ヒルの名所でもあるので季節を選ぶし でなかなか実現しなかったのだが いよいよ 決行。よい天気だった上に 紅葉もピークで 結果的に絶好の妙義山日和だった。妙義神社→金鶏橋→一本杉→石門めぐり→中間道→大の字→妙義神社市営駐車場にとめて しばらく車道歩き。時間が早いのでまだ観光目的の車は通らないようだ。うっかり金鶏橋を通り過ぎてしまい 戻った。橋の手前の右手に登山道入口がある。石段などで整備された広めの道は 遊歩道というような趣。ぐぐっと登ったあと 一本杉を過ぎるとまた車道に出る。管理事務所の前にある石門入口で 反対方向から来た団体客と鉢合わせ。ほんとは ここからが本日のハイライトの石門めぐりなわけで じっくり行きたいところだがあれの後ではかなわないと 少しスピードをあげるよう 彼から指示が出た。有名なかにの横ばい。一方通行というわけではないのに 向こう側が見えないので声などで気配を察して待ったりするのだが 混んでいる時間だと大変かもしれない。この狭いところで お尻がひっかかったら笑えないな。第一・第二・第四の石門をめぐる。(第三は通行禁止)どれも足をかけるようなくぼみが人工的に造られているようなかんじで鎖はあっても そんなに難しくはないし 怖くも無い。問題は大砲岩だった。遠くから眺めたときに そこで手を振って跳ねている人達のシルエットが見えたのだがとてもじゃないが 先端までいく勇気をあたしは持ち合わせてなかった。自分の足が踏みしめている地点より高いものがなにひとつ無いという状況は結構びびる。つかまるものが物理的にも精神的にも無いわけで。もちろん眺めはいいんだけど。中間道は関東ふれあいの道なだけあって よく整備され(すぎ)ている。団体さんにつかまってしまって 鉄階段も渋滞。なんとかかわし あずまやでお昼を食べるつもりが居合わせた山ノボラーたちが煙草を吸い出したため撤収。なんでわざわざ山まで来て煙草吸うかと しかも訊きもしないなんてと 彼は怒っている。綺麗な空気のとこほど吸いたくなるんだよねえ とあたしはいささか彼らに同情的。でもまあ 真の山ノボラーなら吸わないはずなのだ。プロのスポーツ選手が吸わないように。トレーニング効果が台無しになるもの。なんとか途中で 腰掛けられそうな岩を見つけ 紅葉を眺めながら昼食をとったあと第二見晴 第一見晴で絶景を満喫し 迷った挙句大の字コースへ。ここからが面白かった。道も遊歩道の趣から登山道のそれへと変わる。妙義神社まで下り 駐車場のトイレ(わりと個室広めで○)で着替える。生理中のため 温泉に入れないのが返す返す残念。
2007.11.25
ひとりだと気が緩んだのか 起きるつもりの時間には目覚めなかった。この季節の早朝は さすがに寒いし 暗いし で出発が遅めに。・・・と思った。たぶん。(既に一ヶ月が経過してからの記録なので記憶がさすがに曖昧)名郷→天狗岩(男坂)→武川岳(△1052)→山伏峠→前武川岳→天狗岩(女坂)→名郷名郷のトイレの横の駐車場に停めて歩き出す。西山荘の脇の道を入っていくと 壁にたくさんのランタン。夜はこの光で過ごすのだろうか。この時期になるとあちこちで過剰なイルミネーションを目にする。財政が厳しいといいつつ 寄付金を募り市をあげて公園や駅を飾りあげる。この子達の将来を考えると心配だと憂うふりをして マイホームごと温暖化に貢献する。みんなどうかしている。夜は暗いもので 灯りはもっと大切にすべきものなのに。とまあそれはともかく しばらく家々の間を縫って舗装された坂道をのぼっていくのだがこの集落は こだわって建てているなと感じる家が多い。陽の光を思う存分受け止めそうな広いテラス(ベランダ?)に 木造の山小屋風の外観暖炉や薪ストーブが似合いそうで そしてそれが 実用的な雰囲気なのに魅かれてしまう。それでいて ただ古いだけ たまたま住んでいたのがここなだけ というのではなくて我々はここの暮らしが好きで住んでいるのだ というかのような雰囲気。いいなあ ここに住みたいなあ などと思っていたら 登山口の近くに建売住宅が。ただしちょっと前述の雰囲気とはかけ離れてしまっていて フツウの住宅街にある造り。それが売れ残っている理由なんじゃなかろうか。(余計なお世話だけど)誰にも会わないなあ と思っていたら前方でいきなりむっくり起き上がるひとがいて びっくり。もしや 寝ていた? 登山道で? 尾根に出ると ごつごつ岩がお目見えして 少し雰囲気が変わる。おまけに 風も冷たい。慌てて手袋をしてみた。天狗岩は 迷わず男坂のコースへ。良い天気が続いていたし 南側だということもあるのだろう 乾いていてのぼりやすかった。足場の不安定なところもちゃんとつかまる岩があり 心配ない。こりゃ筋肉痛になるな と思いつつ 腕の筋肉をつかっているかんじがなんとも心地いい。植林部分と自然林の部分が見事にわかれているのが この季節はよくわかる。天気がよくて 空気が冷たくて 眺め最高。秩父の低山といえども 上の方はもう雪が残っていた。武川岳山頂には11:00頃着。ベンチが四つぐらいあるが フル稼働。おにぎりをほおばりながら 地図とにらめっこして考える。このまんま戻ったら いくらなんでも面白くない。だが スタートが遅かったために 最初に考えていた大持山方面は無理そう。だいたい廃村をひとりで通るのはちょっと抵抗があるし。無論 二子山までの往復も時間的に厳しいだろうな。うーん。結局 名栗げんきプラザへ向かって 山伏峠から登り返そうと決めた。・・・のだが どこで間違ったか 尾根を伝って見晴台経由で下るはずがいつの間にやら植林の中を沢伝いに下っている。まあいいか こっちの方が速いはずだし ということでそのまま行くことにしたのだが林道に出た時点で迷った。造りかけのような道を行くと(ガードレールはあるが舗装されていない)一面のすすきに目を奪われるも ところどころ崖崩れが起きている。なんか厭なかんじ。案の定 行き止まりになってしまったので 慌てて引き返す。山の時間は早い。お昼を過ぎるともう陽が傾くような気がして 14:00ぐらいじゃ既に夕方の感覚。道に迷ったときは気分的にプレッシャーになる。林道は途中で舗装道に変わり 車道に出た。ここは歩道もほとんど無いに等しくカーブもきつく危ない。山伏峠も決して趣がある場所ではなく ただ車道のこちら側と向こう側に登山口があるのみ。前武川岳へと ここから登り返すのだ。下りたり登ったりなにやってんだ?あたし。そんな疑問がわくほど このコースは単調で面白くなかった。下山向きだな。前武川岳の付近で 朝出会った登山道に寝ていたおじさんを見かけた。今度は 登山道からはずれて 棒を振り回して遊んでいる。(ように見えた)山で会うのはほとんど山ノボラーで下りているか登っているか休んでいるかなのでこういう楽しみ方をしながら山にいる人に会うのは珍しい。天狗岩は 下るときには 男坂はわかりにくい。知らなければそのまま巻き道の女坂をすすむことになる。あたしも女坂へ。紅葉もまだ残っている。山々は連なっている。こういった休日を過ごせて なんの不満があろうか。と思っているあたりで 「ピストンにしちゃ遅いんじゃないの」と彼からメールがはいる。心配してくれるひとがいる。登れる山がある。あたしはシアワセだ。駐車場に戻ると ワイパーに集金袋がはさまっていた。車のナンバーを書いて お金を入れてください とある。・・・これって ちゃんと申告してるのか?と思うあたり いわゆる職業病。最近うちの事務所は 個人課税の調査が立て続けにあったため 余計そう思う。めったに来ない個人がこんなに続くとは、と 所長は年末ジャンボを買ったそうな。帰りはさわらびの湯に寄った。なんとあの たらいのような露天風呂を改修工事するらしい。楽しみ。寒桜もまた情緒がある。お風呂からあがると外はもう真っ暗で 満月だった。
2007.11.23
養育費の支払が完全にストップして もう1年になる。あっという間に取り決めた金額の半分になって 一割になって 月何千円の世界になってまったくなしのつぶてとなった。連絡はつくのだが 「お金ないんだよ」と毎回言われるだけでは費用対効果を考えれば 電話しない方がまし、という結論にならざるをえない。本日新聞に 厚生労働省の管轄で相談支援センターが出来たという記事が載っていたのでどんなアドバイスがもらえるものかと好奇心も手伝ってかけてみる。物腰の柔らかなおじいちゃんのような相談員の方が ゆっくり相談にのってくれた。仕事関係で少々付き合いのある司法書士の先生がこういうかんじだ。彼の事務所に一歩踏み入れると そこは別世界。独特の雰囲気が漂っている。もしかして法律系はみんなこうだとか?「もうちょっとしゃきしゃきしゃべってよ、こっちの電話代なんだから」と 相談にのってもらってるくせにイライラしたりなんか しちゃあいないけどとりあえずフリーダイヤルでもいいんじゃないの?とは思ってみたりして。結局は 調停たてろ、という話なのだ。子供ひとりあたり1200円と少々の通信費で済みますから、という。私文書での約束なんぞ役には立たないから 先方の住所の管轄の家裁に行ってください、と。そこで申し立てて もし相手が出廷してこなければ審判になるし調停でも審判でもそのとおりに実行されなければ 強制執行できる、と。でも実際は給与差し押さえするにしても 相手の勤務先に対して取立ての請求を改めてすることになるようで、出勤するところを尾行して(探偵に依頼するとか、とこともなげにいう)つきとめたり となんとまあ 気の遠くなる行程を踏まねばならない。それだけ先行投資しても あたしの場合払ってもらえる保証はどこにもない。転職先は相当給与が安くて 彼女に生活費借りてる状態らしいし借金漬けだという噂もきいた。(そうなると他の債権者との話し合いになるという)いくら回収できるかもわからないのに そうやすやすと何度も仕事休めるかっていうの。子供がいたら 離婚はすべて調停でやらねばならない、とかそういう法律でもあればなあ。(公正証書も同じ効力があるとは知っていたが 嫌がった)まあいまさら後の祭りなんだけどね。そのときは一刻を争うわけだし。子供と離れて暮らす父親 という同じ立場であってもコイビトは 調停で取り決めた18歳以後も 学生の間は続けよう、と払い続けている。進学費用も全額もった。えらい違うやん。ちゃんと別れても養育費払うような良心的な男と結婚しなさいよ、という話なんだろうけど。つまりは 見る目がなかった と。(いや だからこそ離婚に至るとも言える)そういう男と結婚した自分が悪い、自業自得だから仕方ない、と自分に言い聞かせているシングルマザーはきっと星の数ほどいるに違いない。フランスなどは 公的機関が間に立って 母子家庭へ代わりに支払い、それと引き換えに請求権が譲渡される、という。免許証の剥奪などの公的制裁をちらつかせて回収することが出来ればそりゃ本人どおしで直接交渉するより かなり効果があるだろうと思う。日本でも 児童扶養手当の削減(実質的には今回は凍結になるようだが)を進める前に本来負担すべき人間に どうやって着実に義務を負わせるか 仕組みを支援してほしい。相談窓口をおくだけじゃ 今回のあたしのように やっぱり難しいねえ で終わってしまう。それでは 母子家庭の貧乏は ちっとも改善されやしないのだ。
2007.11.19
彼がノーベル賞を受賞したとき ほとんど義務感で読み始め そして挫折した。それがどんな書名だったのかすら もう覚えていない。活字好きなあたしにとって 読むのが苦痛なほど難しい文学がある という意味ではかなり衝撃的で それでちょっと今回も手に取るのを迷ったのだ。きっかけは 新聞の小さな記事だった。彼の書いたこの本に出てくる当時の守備隊長が名誉を傷つけられた との裁判の。集団自決に関する教科書問題も記憶に新しかったし なんせ娘が修学旅行で近々行く。興味をもったあたしは これは読まなくては何も語れない と図書館で借りてきたものの あまりの字の細かさに(いや漢字の多さ?)またもや投げ出し いや逃げ出しそうになる。結局 最初から最後まで 順番どおり通しで読んでいくことはあきらめた。なるべく読みやすそうなあたりを拾いながら つなげて全体を構成する という読み方。そのあとでようやく 通しで読めたわけで。人間ドックの再検査で四つの科を受診しなくてはならず膨大な病院での待ち時間が用意されていなければ 出来ない芸当だっただろう。(しかも途中で 新聞や雑誌で気分転換をはさんだりするありさま。)この本を関係者 及び意見する人々は皆熟読したというのだろうか。ひー すごい。みんなばりばり読解力 (いや忍耐力?)あるんだなあ。最近の人は 本を読まなくなって久しいというけれどこれだけのものが読みこめれば十分だろうと思う。そういう意味では「本土は実在しない」という章あたりは比較的読みやすかったかんじ。“おりがきたら”という彼の言葉を捉えるあたり 感覚の違和感は共感できるし 論理的。そう このひとの文章は論理的なのだ。基本的に。人間の複雑な感情の動きすらも その手にかかると堅苦しくなる。だからこそ 感覚で読む(生きる、とも言う)あたしにはとっつきにくいのだろう。 この本が世に出たのは1970年。あたしが生まれた少し前。あたしはそのあと 36年間も 沖縄について深く考えることもなく生きてきた。彼が書いたこの当時と 今現在の沖縄と 何が変わったというのだろう。障害児を抱えた母親仲間に 沖縄出身の女性がいて彼女は ここでは育てにくい、と 娘を連れて故郷に帰っていった。遊びに来てね、と 届いた年賀状の写真を思い出す。行かなくては、自分のこの目で沖縄の現実を見なくては、と 思わないはずがない。
2007.11.16
何も山頂に登るだけが能ではない。大事なのは何か、を見誤らないことが肝要だ と自分に言い聞かせ不本意ながら途中で引き返した。そもそも 前日に遠方から帰宅したコイビトは あまり乗り気ではなかった。すっかり畑にでも行こうか、という気分でいるところを(予報では雨だったためすっかりそのつもりで)遅く起きたあたしが道路が乾いているほど曇りなら今から行こう、と 無理やり引っ張り出したようなものだ。低山で近場なら としぶしぶ納得させて。おにぎりを握る時間すら惜しく 途中のスーパーで買出しをしていく。スーパーが開いている時間に出掛けるなんて、と隣で彼がぶつぶつ言うのを聞こえないふり。かんぽの宿寄居に温泉の問い合わせをした際「周囲を散策する間 駐車場に停めておいてもいいか」確認をとる。散策っていう範囲内なのかはともかくとして 快くOKをもらう。その第三駐車場に停め 少しくだり 職員宿舎を過ぎてすぐ陣見山の登山口だ。かんぽの宿寄居駐車場→虎ヶ丘城址 【往復】本日の山歩きは わずかこれだけ、である。登山地図でいうところの片道1時間 標高差200メートル弱を往復しただけ。「ちっとも楽しいと思えない」という山歩きなら 体調の悪い証拠だろう。ペースがずいぶん遅いうえに 高山でもないのに頭が痛いと言い出した彼。まさか 山の中のあづまやで肩をもむはめになるとは!オモッテモミナカッタヨ。とりあえずは この虎ヶ丘城址から大槻峠までは行くつもりだったのだがここで左に折れずに つい直進のハイキングコースへ進んでしまった。ハイキングコースなだけに 下手に整備されている。ゴルフ場が見えて おかしい、と気付いて戻ったものの先刻ここでゆっくり昼食をとったこともあり 結構いい時間。ちょうどのにわか雨をここでやり過ごし やはりかんぽの宿へ戻ろう、と決めた。さすがに秩父の低山なだけあって 紅葉まっさかりというほどでもない。ここまでの雑木林の中の道は 急登は少し落ち葉が濡れてすべりやすかったものの全体的に 犬のお散歩コースの雰囲気をかもし出している。ま。森林浴したと思えば。つつじも何故かまだ咲いているし。円良田湖ぐらいは寄ろうか、という話もあったのだが いつの間にか分岐を通り過ぎてしまい寄らずじまい。結局はそれが幸いした。車に到着した途端 本格的に雨が降ってきたのだ。おかげで濡れずに済んだ。駐車場を借りた手前 当然温泉は かんぽの宿寄居へ。ここはやけに年齢層が高い。気がする。温泉の効能に“筋肉痛”を見つけ こーゆー山行の日につかってもねえ と思うがまあ そんな日もあるさ。ゆっくり歩いた分 話もできたし。さてと。どうやら山で遊んでいる場合じゃない らしい。どーしよっかねえ。
2007.11.11
「戻る」をクリックしたがために1時間半かけて書いた山行記録が あとわずか数行で完成というところで 全文消えた。もうひとつ立ち上げていた方で 温泉の検索をしていて そちらと間違えたのだ。この 脱力感。どうしてくれる。返して あたしの武尊山。あーもー書けない。我ながら力作だったのに。哀しすぎる。途中で何度もこまめにアップすればいいのよね。わかっちゃいるわよ。だけどさ。ノッテルときって そんなことすっかり忘れてるわけよ。あーもーほんとやだ。あたしのばか。乙女りんごっていうそうです。あまりの可愛さに衝動買いしました。ちきしょー。
2007.11.10
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