南トルコ・アンタルヤの12ヶ月*** 地中海は今日も青し

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 (6)嫁の立場


《10月―天国と地獄のあいだには》 ~2002年10月の記録

 ∬第6話 嫁の立場

それでも朝はやってきた。
私より早く起きた妹は、まず夜のうちに乾いた洗濯物を取り入れ、次の洗濯物を干したようだった。すでにコンロにはチャイがかけられている。
私は早速朝食の準備にかかった。兄がひとっ走りして、マーケットからパンや卵、ソーセージ、チーズなどの食材を買ってきてくれていた。キュウリとトマトをスライスし、チーズを小さく切って皿に盛り付け、ハチミツやオリーブを出してきて皿に空ける。一番最後に小口切りにしたソーセージを炒め、残った油で卵をスクランブルエッグにした。

ここでは私が主婦の役目を果たしていたのだ。妹たちにとって兄嫁である私は、いくら主婦としてのキャリアが短くとも立てなくてはいけない存在のようで、会ったのがまだ3度目の3番目の妹は特に、ことあるごとに「これでいい?」と私に聞いてくるのだった。
一番最後に食卓(ここでは田舎風に床の上に布を敷いて食卓にする)につき、慌しい朝食をとって率先して片付ける。もう客人然とのんびり座っていることは許されなかった。

兄と夫、子供たちは街の中心やマリーナの方へ散歩に出掛けていった。カルカンに滞在するのが初めての私だって、ついて行きたいのはやまやま。しかし・・・
食器の片付けもそこそこに、今度は家中の大掃除が待っていたのだ。
2番目の妹が冷蔵庫の中の食材を一切合財外に出した。冷蔵庫の中を洗うためだ。

トルコの女性たちは例外なくきれい好き。客が始終訪れる客間や玄関先は言うに及ばず、夫婦の寝室や子供部屋、納戸に至るまで、いつでも「さあ、どうぞ見て下さい」と言わんばかりに、徹底して掃除してある。これは普段人目につきにくい冷蔵庫や棚、引き出しの中にまで及ぶ。
何年か前、1番上の妹が日本の我が家を訪れた時、冷蔵庫の中を一目見るなり我慢できなかったのだろう、どんどん棚を外しだし、さっさと掃除を始めたのに驚くと同時に、主婦としてだらしないという烙印を押されているようで、ずいぶんと居心地が悪かったことがある。

トルコの主婦にとっては、冷蔵庫の中でさえ汚すべからざる神聖な空間なのだろう。少しの汚れも見逃さず、気付いたらいつ何時でも掃除を始めてしまう。中に仕舞った食べ物が少しでも古くなれば、容赦なく捨てる。ラップをかけずに食材や残った食事をそのまま仕舞うことが多いので、少しでも臭うのが許せないのだろう。
年に数回しか掃除せず、古い野菜が奥の方でしなびていたり腐っていたりする我が家の冷蔵庫は、トルコ女性の目にはなんと映っただろうか。

神聖な空間であるのは、流し台にも当てはまる。流し台を使う前に、まずタップリの洗剤を泡立てて、きれいに洗い清めてから調理や洗い物に取り掛かるのだ。
どうせ汚れるんだから使い終わった一番最後に洗えばいい、と考える私の目には非合理的としか映らないのだが、まるで一種の儀式であるかのように、タップリの水で洗い清める。
敬虔なイスラム教徒であれば、モスクでお祈りをする前に、顔や口、手、ひじ、足などを洗い清めてから中に入るが、このようなイスラム教の清潔思想と相通ずるものがあるような気もする。

空っぽになった冷蔵庫の中を洗剤液を使って擦り洗いしていく。仕切り棚は一つ一つ洗っては廊下に次々と並べて乾くのを待つ。
私は台所の床を拭き掃除した後、トイレ掃除に移った。
冷蔵庫の中の水分をふきんできれいに拭き取り、棚を戻し、食材を適所に収めて冷蔵庫は終了。
3番目の妹は残った洗剤液を直接タイル張りの廊下にぶちまけて、廊下の拭き掃除を始めた。これまたタップリの水で洗い流すと、最後に古タオルで水分をふき取って廊下も終了。

そこへ散歩から夫と子供たちが戻ってきた。なんと、海に入ってきたと言う。
驚いたことに、我が家の上の娘は知らぬ間に水着を持ってきていたらしく、水着姿だ。妹の子供たちは服のまま入ったので濡れねずみ状態。
慌ててシャワーを浴びさせ、新しい服に着替えさせると、最後になった各部屋の掃除機かけ。
掃除機かけが終わったところで、一息つく間もなく、すでに昼食の支度を始める時間となっていた。

 つづく

∬第7話 アンタルヤへの帰還




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