南トルコ・アンタルヤの12ヶ月*** 地中海は今日も青し

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(7)聖なる泉


《ヒッタイトの足跡を訪ねる旅―第1回》 (2003年8月の旅の記録) 

(7)聖なる泉


翌朝もひんやりとした空気が湖畔に満ちていた。
今日はこの旅の主目的である、エフラトゥン・プナール(プラトンの泉)を朝一番に訪ねる予定である。
プラトンの泉といっても、古代ギリシャの哲学者とは何の関係もなく、重要な神事を執り行うためのヒッタイトの聖なる泉であった場所である。
トルコでは、エフラトゥン(プラトン)は賢人かつ奇跡的な仕事を成し遂げた人物として伝えられているため、アナトリアには、ここ以外にもエフラトゥンの名を持つ場所が少なくないとガイドブックには書かれてあった。
ヒッタイト人は、ここ以外にも同様の聖泉を数多く設けていたと考えられるが、残念ながら現在も残る聖泉は、唯一ここくらいのものなのだ。

ベイシェヒルの町から湖の東岸に沿った道路を北西に20km。うっかりしてあるはずの茶色い標識を見逃し、10kmも通り過ぎていることが判明。慌てて取って返し、そろそろと思われる地点で農家の人に道を聞いた。
すると、すぐ手前にある農道の方が近いから、そちらを行きなさいというアドバイス。
しかし、道の入り口を見て断念。トラクターの轍もくっきりと残る泥道なのだ。
そのまま数キロ進むと、やはりあった。茶色の標識が。そこから泉までは約4km。
一応アスファルトはしてあるが、右も左も黄金色に色付いた麦畑の中を走る農道である。
ところどころに昔ながらの木造りの井戸が高い背を伸ばしている。
やがて前方に、写真や記録映画で見ていたあの泉が現れた。

エフラトゥン・プナール


写真からは周囲の環境や風景まで伺うことはできず、ガイドブックにも「巨大な岩のブロックで構成されたモニュメントが天然のプールの中に建設されている」としか書かれていなかったので、それが現在でも“生きた泉”であるとは予想だにしていなかった。
おおよそ、溜まった水は淀み、水量も少なく、泉としての面影はないだろうと。

車を降り、正面から近付こうと先に進むと、目の前に美しい小川が現れてきた。
小川の周りには草花が生い茂り、川底には水草がそよぎ、産卵のためか、川面を驚くほど多くのとんぼや蝶などの昆虫が飛び交っているのだ。
水はあくまでも清らかで、モニュメントのすぐ裏手からこんこんと尽きることなく湧き出している。
岩のブロックによって四角く形成されたプールの中の水は、さすがに水草の繁茂ですっかり緑色をしていたが、私が近付くとあちらでもこちらでもピョンピョンとカエルが飛び跳ね、覗き込むと無数に泳ぐオタマジャクシの姿が見えた。
まるでここは、何者にも邪魔されない植物と小動物にとってのユートピア、小さな桃源郷であるかのように思えた。

花咲き、蝶の舞う小川


小川の上にかけられた板を渡ると、そこにはライオンの像が横たわっていた。
もともとここに置かれていたものなのか、別の場所に置く目的でここまで運ばれ放置されたのか、後世の誰かによって持ち去られようとしたのか、中途半端な位置に斜めに残されたライオン像。
神々の姿を彫った、全部で14のブロックで構成されたモニュメントは、神殿の基盤として建設されたものだったのか、そのままでは意外にこじんまりした印象だ。
ガイドブックや本の記述の通り、ファスルラルで制作された巨大な岩の神像がその上に乗せられるはずであったと考えると納得がいく。
神殿はこんこんと湧き出る泉のちょうど真上に建設される予定か、されたはずで、湧き出た水は途中まで岩のブロックで堰き止められた水路となっているにもかかわらず、その後自然のままに放置されたのか、破壊されたのか、途中から植物の繁茂するただの小川となってプールの前を流れ、畑の中へと続いていた。

ライオン像


私の頭の中に、ある想像が浮かんできた。
このモニュメントの製作年代はBC1300年から1200年の間だろうと推測されている。
アナトリアの大部分を支配した強大なヒッタイト帝国の終焉は、BC1200年から1180年の間と推測されているが、1209~8年には「海から船でやって来た敵」との戦いに敗れ、最後の皇帝であるハットゥシリ2世は、藁をもすがるように神々や先祖を祀る新たな施設を次々に建設していたという。
もしかしたらこの聖泉も、建設半ばにして帝国の崩壊からか皇帝の心変わりからか、途中で放棄されることになったそんな施設の一つだったのかもしれないと。
帝国の最も輝かしき時代の名残でなく、終末期の最後に花開きかけて萎んでしまった徒花。
目の前を占めるこの美しい場所からは、そんな歴史の暗い面影は微塵も読み取れなかったが。

花が咲き、虫たちが舞う清冽な湧き水のほとり。どんな意図の下に建設されたものであろうと、ヒッタイト人もこの場所に精霊の存在を感じ、その湧き出る水を神聖なる力の源と信じたがゆえに、神を祀る聖なる場所と定めたに違いない。
夢か幻か。
その風景はキラキラと光り輝く残像となって、私の瞼にいつまでも焼き付いた。

 つづく

(8)湖水に浮かぶ



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