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こんばんは。前回まではこんな感じでした。今日はドサ廻り編を・・・。新年早々、私たちは新天地で何を作って暮らしを立てていくのかを、見定めるためにアポの取れた市町村を回りました。皆さん、突然の変わり者の訪問を快く(少なくとも私にはそう思えました)受け入れてくださり、色々なお話、教訓を聞かせていただきました。いくつか御紹介しましょう。≪農業編≫1.コメは初期投資が大き過ぎるし、年1度しか収入のチャンスがない。2.クチのあるものは休みがない。3.野菜、きのこは年に何度か収入の機会がある。4.売れないとお金にならない。5.土地はなかなか買えない。6.公的支援のあるところは基本的に過疎地である。1.は当然です。二毛作が出来る地域以外は年1度しかチャンスがありません。とてもリスキーです。2.は畜産(養鶏、養豚、牧場)ですね。これも至極当然です。3.は作柄などを考えて周年出荷が可能になります。4.はある意味、一番大切なことです。売れなければ意味がないのです。売り先も考えないといけないんです。5.は土地に対する日本人の考え方でしょうね。先祖からのこの土地を他人になんて・・・、ということです。6.も当然ですね。人口の流失が激しいところほど、手厚い援助がある感じです。(その当時)次に≪生活編≫1.収入がなくてもお金は出て行く。2.初年度は赤字になるので、事業資金とは別に生活費が必要。3.壁に耳あり、障子に目あり。1.ははっきり言って予想以上でした。まず、税金等・・・。前年の収入で計算されるので、無収入の身でありながら会社員時代の所得でいろいろ計算されます。そんな状況ですから、失業保険は必ずもらわなければ・・・。これも大変でした。最終的に嫁さんは研修期間中に役場にアルバイトに行く事になりました。2.も予想を越えてました。田舎は物価が高い!!!お店の競争がないからです。おまけに移動にガソリンがいります。野菜をおすそ分けしてもらっても、家計の足しになるか、ならないか・・・。たまにはお肉なんかも食べたい・・・・。でも、お肉のおすそ分けなんてありません。笑3.はびっくりです。とにかくなんでも良く知っておられます。私たちのことを・・・。目立つんですね、やはり。変化に乏しい地にとって、格好の話のネタです。で、結局、1回目は岐阜県を中心に、2回目は山陰から山口、広島を経て四国と、回りました。聞いた話や自分達の感じた事などを鑑み、方針を決定しました。作物は野菜。養鶏を併用し、無農薬有機農業を目指す。その当時、脱サラ百姓のほとんどが目指した、まさにその道でした。その夢を実現させる為に、私たちは四国に渡ったのでした。 続く貴方の夢は?クリッとすれば、叶うかも・・・。
2006/09/29
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こんばんは。農場長です。今日は、息子の8歳の誕生日でした。で、親としてはお祝いの品を何か買ってやりたい・・・。本人の希望を尋ねたわけです。前から目星をつけてたらしい・・・。抜かりなし!「Nゲージが欲しい!!」大人のホビーとして十分過ぎる、鉄道模型を一位指名してきました。安くないのよ、これが・・・。探しましたがな!!!オークションで。定価の6掛けでなんとか手に入れました。面目は保たれました。ヤツはニコニコです! 仕込んだ私が悪いのか・・・?素直な息子が偉いのか・・・?クリスマスにはサンタさんに貰うものを、もう決めてるらしい・・・・。おい! 今年も来るって言ってたか?同情するなら、ポチをくれ!!笑
2006/09/26
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こんばんは。農場長です。 では、会社を辞めてから・・・。 私は退職後、すぐに主夫になりました。嫁さんはまだ勤めてましたから・・・。でも、会社を辞めると色々と手続きや雑用があり、無用に時間ばかりが過ぎていくのでした。 年金、健康保険、失業保険、確定申告の準備(年末調整をしてない為)・・・他他他。 どんどん蓄えは減っていく。退職金も勤務7年ではたかが知れてます。 一刻も早く行動しなければ・・・。 焦る日々の中で、ある時本屋で立ち読みした本に、脱サラで農業を始めた人の手記を見つけました。もう食い入るように読みました。なんのツテもコネもない元サラリーマンがお百姓さんになっていく・・・。 実はこの時まで、私にアテも勝算も何もありませんでした。何を作るのか?さえも決まってなかったのですから・・・。 『コレだ!』 その本に触発され、早速その手法を実行しました。 それは、目ぼしい市町村の役場に手紙を書いて、返事が返ってきた所を実際に訪れて、現実を肌で理解しようというものでした。 西日本中心に、東は岐阜から西は熊本、大分まで。当時新規就農者を積極的に受け入れている自治体の首長宛に、およそ50通程の手紙を書きました。 数日後には分厚い封筒に、パンフレットや現況をしたためたお手紙を、およそ半数の役場の担当者の方からいただき、反応のあった市町村を年明けから嫁さんと回っていくことにしました。 正月、私たちは私の実家に里帰りし、その折に私が退職し、農を志していることを父母に話ました。父母は私たちの決断を暖かく迎えてくれ、その時ある種の重しが取れた私は、酒が進み、早々に寝てしまいました。 後日聞いた事ですが、私が寝ている間に父が嫁さんに言ったそうです。「あいつは自分が言い出したことだから、なかなか引っ込みがつかないと思う。 もし失敗した時は貴方が首に縄を付けてでも、ここへ帰ってきなさい」 この言葉で、嫁さんは吹っ切れたと言いました。 嫁さんの実家にも報告に行きました。こちらでも同様に賛同してくださいました。 ただ、失敗は出来ないと新たな決意をしたのでした。 続く ほーれ、ポチポチポチポチ・・・。
2006/09/23
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こんばんは。農場長です。「人肌恋し委員会」、入会ありがとうございます。笑なんと62位になってます。びっくりだ!爆どうもありがとうございます。 さて今日は秋の夜長、私が農場長になるまでの経緯なんかを、ちょっとまとめておこうかなんて思いました。お暇ならお付き合いを・・・。 もともと独立して何かをしたいという考えは持ってました。バブルの初め、大学を卒業して食品メーカーに就職し、工場勤務になった私はその想いをいつも持ってました。ただ、その時は農業というのは選択肢のひとつでしかなかったんです。石の上にも3年とはよく言ったもので、3年もすると工場の仕事が面白くなり、責任あることもさせてもらえるようになりました。そのうちに新工場の立ち上げメンバーに任命され、彼女も出来(嫁さんです)、公私とも充実の毎日でした。結婚の日を迎え、新工場が稼動し、そのまま新工場のライン管理の仕事をしていたある日、工場長室に呼ばれた私は想定外の言葉を聞きました。「本社に転勤だ」現場仕事が肌に合っていた私は内心「勤まるかなぁ・・・」という気持ちでいっぱいでした。 新婚の私は本社でも一生懸命働きました。ただ、慣れないデスクワークで体調は思わしくなく、タバコも1日3箱にまで増えていました。 そんな日々、通勤電車の人ごみのなかで、『デスクワークは合わないなぁ・・・。 身体を動かして何かしたいなぁ・・・』という気持ちがムクムク頭をもたげてきたんです。 29歳の10月、嫁さんに意を決して話をしました。 「オレ、会社辞めようと思う。」『いいよ。 あなた下痢ばかりして辛そうだったし・・・。 今のところ、子供もいないし、二人ならなんとか食べていけると思うわ。 で、何をするつもり?』「農業をやってみたいと思ってる・・・」『農業・・・・・・?』 嫁さんは不安で一杯の顔を私に向けたのでした。 その年の12月、私は会社員生活にピリオドを打ちました。 つづく今日もいっとく?
2006/09/22
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こんばんは。農場長です。嫁さんがお風呂中の更新です。笑すっかり朝晩さわやかなこの頃、妙に人肌が恋しい農場長です。で、本日、設立いたしました!!人肌恋し委員会!早速今夜、活動予定です!!爆発!というわけで、本日、夜更かしいたしません!!!ほれ、そこ!!!「なぁ~んだ、つまんない」なんて言わない!!!!「人肌恋し委員会」入会好評受付中です!入りたい人、ここ、ポチ!!!笑これ、やってみたかったのよ。笑よろしこ!!!
2006/09/21
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