中年よ、大志を抱け!

中年よ、大志を抱け!

医は仁術のお医者さん



今日ご紹介する方は、ブラジルはペルナンブッコ州にある海辺の観光地、レシーフェに住む、54歳になるOさんです。

彼は、ご両親と共に戦後移民でブラジルに来られました。戦前、そして戦後10年くらいの頃の日本はとても貧しくて、国の政策としてブラジルなどへの移民を積極的に奨励していました。

彼のご両親も3人の幼い子供を連れてブラジルに来たわけです。

ところが、移民達は日本で聞いていたバラ色の移民生活とは大違いで、ものすごく過酷な農作業が待っていたわけです。

両親と一緒にまだ幼かった彼や彼の妹達も、コーヒーや綿花、果物などを作りました。そして出来た作物を市場に持っていったわけです。

彼のご両親は、勉強だけはちゃんとしておけと言い、そのためOさんは仕事を終えた後夜学へ通う毎日でした。

彼のうちに限らず、日系移民の多くは、たとえ貧しくても全精力を挙げて子供達に出来るだけいい教育をあたえてきました。たとえば、兄弟の中で優秀な子供がいるとすると、両親はもちろん、兄弟も親戚も一生懸命働いて、その子の教育費を出すと言うふうに。・・・今はちょっと事情が変わってるようですけどもね・・・

さて、彼は苦学の結果大学の医学部に入学。彼のうちは決して裕福ではなかったので、授業料の安い国立の大学でした。その後、同じ大学の医学部に彼の二人の妹さんたちも入りました。

そしてめでたく医者になったOさんは、その頃日本の援助で行われていた、彼のうちと同じような貧しい日系移民や、ブラジル人たちの為の無料診療キャラバンの手伝いを始めました。

Oさんが無料診療キャラバンを行ってる地域は、大地主制度の名残がまだ強い地域で、連邦政府の法律よりも、地域の慣習、もっと言うと、地域の有力者のありかたが法律だ、って言うような所だそうで、しかも、ブラジルでも、と言うか、世界でも有数の麻薬の生産地で、ドンパチが日常的にあるところだそうです。何が起こるかわかりません。ボランティアの人がトラブルに巻き込まれて撃たれた、と言うようなニュースがしょっちゅうあるそうです。

しかしOさんは今年で26年キャラバンを続け、今ではそのキャラバンの中心になっておられます。僕は仕事の関係上、彼と親しくさせていただいてるんですが、もうなんというか、その人柄がとても良いんです。

Oさんは、貧しくて難病を治療できない人を自宅に引き取って、無料で治療することもたびたびあるそうで、そういう彼を皆、先生と呼ぶんですが、その言葉には心からの尊敬がこもっています。

去年、彼のお父さんが亡くなったんですが、そのお葬式のとき、Oさんを慕う方々が大勢弔問に来られ、あるブラジル人が、「Oさんのお父様には、Oさんをブラジルに連れてきてくれたことを心から感謝します。また、Oさんを生んだ日本という国に感謝します」と別れの挨拶をしていました。

Oさんは現在、小さな農場を持っていて、そこにゲートボール場を作り、無料で開放してるんですが、ゆくゆくは貧しい人々を援助する機関を作りたいと、準備に奔走しておられます。

「僕は、この世にこういうことをするために生まれてきたんだ。それが出来ることが、僕の幸せなんです。」というOさんの3人のお子さん達は今高校生。みな、お父さんのようになりたいと医学部受験の勉強をしています。

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