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中年よ、大志を抱け!
物思いの季節
1、 「ポプコン再び」
僕らのオリジナルバンドは、春の定期コンサートに向けて、とりあえず、僕、S、Yのオリジナルを1曲ずつ計3曲と、残り2曲はビートルズを練習しようと言う事になりました。M子は、私は作曲なんて出来ないけど、ビートルズがしたい、と言ったからでした。
M子はオリジナルをする事についてはそれほど積極的ではなかったので、彼女を口説いてバンドに入れた僕らとしては、彼女の希望もかなえないわけにはいかなかったわけです。ま、ビートルズはいっぺんちゃんとコピーしたいと思っていたので、それはそれでよかったんですけどね。
それで、僕とSとYはそれぞれオリジナルを、M子はビートルズを何曲か持ってきて、全員で選曲をして曲を決め、練習しはじめたんですが、そのうち、SとYとM子が、それぞれの友達が別の大学の学園祭実行委員をやっていたので、そのつてで、他の大学の学園祭でゲスト出演出来るかも、と言い出し、一応テープ審査があるからということで、さらに気合を入れて練習したわけです。
春の定期コンサートが終わると、M子が、今度は全曲オリジナルで行きましょうよ、と言いました。M子は、僕らが真剣なので、全面的に協力したいんです、と言うわけです。
また、秋には、他の大学の学園祭に3つ出る事になったので、ビートルズの他にも、チャゲ&アスカや佐野元春などの、受けのよさそうなものを何曲かすることにもなりました。
ちょうどその頃、Hが、「今年のポプコンにもう一度自分の曲で出たい」と言い出し、キーボードを弾いてくれと僕に頼んできました。
僕は、なるべく自分のバンドに専念したいと思いつつも、他に2つほど掛け持ちをしていたので迷いましたが、下宿に入る時にちょっと借金をしていたHの頼みを断ることができず、一曲だけだから、とOKしました。
ところが、僕がHのバンドでポプコンに出ることになると、YとM子が、私達もせっかくオリジナルをやってるんだから出ましょうよ、と言い出し、Sも、一回くらい出とこうよ、なんて言うんで、結局僕らのバンドもポプコンに出ることになりました。
ポプコンには、僕のバンド、Hのバンド、そして、サークルの同級生である博多めんたいロックギタリストBと、小さな巨人と言われたドラムのAと、セミプロバンドのボーカルをしていたNちゃんを中心とした、Bのオリジナルをするバンドが出る事になりました。
また、同じ大学からは、前回2次予選まで行った例のコミックバンドもいました。
で、一次予選会当日。
Bのバンドは渋いロックで、かなりいいと思ったんですが、予選落ち。マニアック過ぎると言うことでした。
Hのバンドは、歴史に埋もれていった人の死をいたむという内容の、非常に重厚なアレンジのフォーク調の曲で、音は素晴らしいが、歌詞が独断的で暗く重たすぎるということで予選落ち。しかし、アレンジがよかったからということで、ベストアレンジ賞とか言うものをもらいました。
僕らのバンドは、僕の作曲した歌をやりましたが、審査員の一人が、個人的には好きな感じだと言ってくれましたが、やっぱり落選。しかし音は良かったからと言うことで、ベストドラム賞をもらいました。
予選会のあと、審査員の一人で、僕らの曲を個人的には好きだと言ってくれた楽器屋の店長に呼ばれました。
店長は僕らにまず、「ドラムはすごく良かったんだけど、今日は惜しかったね」、と言い、楽曲や詞については、結構好きなタイプだったんだけど…ともう1度審査の時と同じ事を言い、「まあ、もう少し工夫した方が良かったんだと思うけど、個人のレベルで言うなら、作曲者がこれでいいって言うのなら、僕は別にそれについてどうこう言う事はないんだよな。まあ、審査員として言うなら、ポプコン向きじゃなかった、ってことかな」、と言いました。
そして、「今後の課題としては、第一に演奏だよね。演奏技術に関しては、君たちは決してうまいとは言わないけど、聞くに耐える最低線はじゅうぶんクリヤーしていると思う。でも、コードとリズムがきちんと合ってればそれでもういいって訳じゃないから、印象に残るギターリフとか、リズムの決め所をもっと入れないとね」と言うわけです。
「次に歌声だよね。断言児君の声はソフトで高音がよく響くし、音程もしっかりしてるけど、しっとり感っていうか、セクシーさって言うか、そういうものが足りないと思うんだよね。息の出し方に問題があるかもしれないから、吐いた息が全て声として出るように練習をして、歌いこみをもっとしないとね。ハモリは、Y君の良かったね。今日出たバンドの中では一番コーラスは良かったと思う。ただ、ハモリのアレンジが、月並みすぎるね。単純にメロディーの上に重ねてるだけだったから、もっとハモリのメロディーに工夫が要るね。」と言うわけです。
こうしてひとしきり楽曲についての批評が終わった後、店長は僕に、「君は今いくつ?」と聞きました。
「22才です」と答えると、「22才か・・・ポプコンみたいなコンテストで優勝してプロになりたいっていう人はさ、もっと早い段階で芽を出してるんだよね。若い子達がみんな優勝を目指してるんだよ、その中でやってかなきゃならないんだもん」と言うわけです。
僕が「じゃあ、僕は、例えば、プロを目指すとしたら、もう遅いんでしょうか?」と聞くと、「う~ん、ダメって言うわけじゃないんだよ。35才を過ぎてプロになる人とか、40歳になってデビューしてる人とか、いないわけじゃないもんね。だから、歳だから全くダメって言う事じゃなくって、こういうコンテストで上を目指すのは難しいってことだよ。どう?正直言って断言児君、数年前と比べてさ、音楽的なセンスって変わってる?・・・楽器の演奏とか、作曲ってのはそりゃうまくなってきたんだろうけど、感性って部分じゃあんまり変わってないんじゃない?こういうコンテストってのはさ、新しい、誰も聞いた事のない音楽を見つけるためにやってるんだ。だから、古いスタイルじゃダメなんだよ。何々みたいな、って言うような、過去のバンドや曲にこだわってたり、追っかけてるようじゃダメなんだ。好きな音楽にあこがれてるだけでは、その音楽の二番煎じにしかならないんだもん。だって、レコード会社は、新しい物を売らなきゃならないんだもんね。」と言うわけです。
そして、「ところでさ、断言児君、君たちがコンサートする時ってさ、君達だけを見に来る人っている?」と聞くわけです。
「つまりさ、君たちの音楽にほれてるって言う人がさ」と言うわけです。
・・・僕らの音楽にほれてる人・・・・たしかに、毎回のコンサートで僕らを見に来るって言う人はいました。しかしそれは友達だから、てのが理由なわけで、僕らの音楽にほれこんで、っていうのとは違うと思いました。
で、「さあ・・・」と言うと、「今日、予選を通過した高校生のバンドさ、彼ら、ライブするたんびに結構お客さんが来るんだよね。彼らの音楽を聴きに来る人がさ。断言児君の好きなチューリップだって、ビートルズだって、アマチュアの時から大勢の人に人気があったでしょう?」と言うわけです。
たとえコンテストに受からなくたって、聞いた人のほとんどが支持してくれるようなバンドなら、プロになれない事はないと思う…と店長は言いました。そして、「要は、お客さんを呼べるバンドかどうかって事だよね」と、アドヴァイスを結びました。
帰り道、とにかく飲もう、という事になって居酒屋に入り、飲みながらいろんな話しをしました。
BとAは、「俺ら全然落ち込んでないもんな、もともとポプコンで優勝しようなんて思ってなかったし、プロになろうとも思ってないし、ライブじゃ結構盛り上がってるし、全然どうって事ないよ。」と言いました。彼らは、名古屋の、ロックをやるライブハウスで、定期的に出て結構人気があったのでした。
Hは、「俺は、ポプコンなんてこういうもんだと思ってたし、俺なりに思い描いていたような音が完璧に近い感じで出来たから、いい記念になった。一応、満足してる。詞についてなんだかんだ言ってたけど、あれは、あの人の考えだもんな」と結構喜んでいました。
僕は、店長の言葉が心に残っていて、みんなに、「なぁ、俺の歌って、どう思う? 少しくらいは、いい?」と聞くと、BとAは、「嫌いじゃない」と言いました。「って言うか、俺ら、断言児とは趣味違うもん。すごく好きだとは言えないけど、聴くのもイヤだって訳じゃないんだ。・・・つまり、嫌いじゃないって事。」なんて言うわけです。「俺らの場合、嫌いじゃないって事は、結構いいと思ってるって事だよ」などとフォローも入れてくれたりして・・・
Hは、「まあまあな曲だと思ってるよ。俺には、ああいう曲は作れないからうらやましいくらいや。・・・でも、もっと演奏と声が良ければな、とは思うな、正直言って」と言いました。
M子は、「私の好みはもっとハードな物なんですけど、みんなで練習してるうちに好きになりました。…時々一人でも歌ってます。これって、馴れかな?」などと言うわけです。
Yは、「なに弱気になってるんです?いい曲に決まってるじゃないですか。そんな事悩むよりも、店長さんが言ってたみたいに、アレンジ、もっと考えましょうよ。」と言うわけです。
なんだ、つまりは、そんなによくないって事か? と思ったんですが、それはまあ、自分でもなんとなく感じてた事で・・・
Sは、「俺は気に入ってる。けど、曲なんて好みの問題だから、Yが言うように、あんまり深く悩んでもしょうがないよ。とりあえず、もう少し煮詰めようよ。」と言うわけです。そして、「あの店長も昔はプロになりたかったんだって」と言いました。「今でもバンドやってるそうだけど、・・ほら、こないだあそこのスタジオ借りたろう?その時俺に、君らのバンド、いいなぁ、なんて言ってたもん。結構気に入ってくれてるんじゃない?」と言うわけです。
僕は、ふ~ん、店長も昔夢が挫折したりしたのかもな、と思いました。そして、色々彼が僕らに言ってくれたのは、つまり、僕らを激励してくれてるって事なんだと、いいように受け取る事にしました。
こうしてちゃっちゃと明るさを取り戻した僕は、「それにしてもよぉ、S、俺達の音楽を聞きに来てくれるお客さんを作らなきゃだめだよな」と言い、明日からの活動について考えようとしました。
「自分なりのベストを尽くせばいいってもんじゃない」・・・夢がついえたOさんの言葉が、真実味を帯びて迫っていました。
2、「ライブハウス」
ポプコンが終わり、秋の定例コンサートが終わり、自分の大学や他の大学の学園祭が終わった後、一次予選の時に楽器屋の店長に言われた事が気になっていた僕は、「やっぱりライブハウスだろうな」と、メンバーに言いました。
Sは、「ライブハウスとなると名古屋まで出ないといけないけど、あっちの様子は良く分からないから今度偵察に行こうか?」、と言い、「近場じゃ、あの店長の店でやってる定期コンサートに出してもらうっていう手もあるぞ」と言いました。
それで、とりあえずその楽器屋のクリスマスコンサートに出してもらう事にして、SとY、M子とともに名古屋のライブハウスを偵察に行く事にしました。
まず同じサークルのB達がひと月に1~2度出ているライブハウスに行きました。音的には僕らのレベルでも行けると思いましたが、B達も含めて、他の出演者はみなハードなロックをやっていて、お客さんもそういうものを見に来てるので、ちょっと僕らの音楽の感じじゃないということでそこはやめました。
次に、後輩が2人でギターの弾き語りをしているライブハウスに行きましたが、そこはフォーク専門で、ドラムやらなんやら置けないので没。
次に、先輩がギターで歌ってるところに行きましたが、そこはもっと狭く、没。
次に、プロも時々来ている有名なライブハウスに行って見ました。僕らが行った時には、ポップスっぽい音楽をやるアマチュアがやってましたが、うまかったですね。かっこいいし。お客さんもたくさんいました。
Sは、「すごいな、プロみたいじゃん。やっぱり有名な所は違うな」、と言い、「俺らにはまだちょっとここは無理だな」、と言いました。店の人にチラッと聞いて見ましたが、やっぱり、出るのは簡単じゃなさそうでした。
そこで、まず、楽器店でがんばろ、と言う事になり、ポプコンの第一次審査の会場だった楽器店が主催するクリスマスコンサートに出ました。
終わった後店長に、名古屋のライブハウスをまわってみたことを話すと、「この近くには本格的なライブハウスはまだ無いけどさ、そのかわりカラオケの店があるんだ。そこに、宴会専用って言うか、30人くらい入れる、小さなステージのある部屋があるわけ。僕らも時々そこで仲間達と飲みながらちょっとしたバンドの発表会をするんだけど、そこなら、お客さんを集めて演奏が出来るよ。ただ、会場を貸してくれる店だから、楽器もアンプもみんな自分たちで何とかしなきゃならないし、もちろんお客さんを集めるのもね。」と言うわけです。
そこで、その店に行ってみました。店の人は、スケジュールを見ながら空いてる日を教えてくれ、「都合のいい日にどうぞ。ドリンクやおつまみの持ちこみはダメですよ、こちらで買ってください。」と言いました。
僕らは、僕らともう一つの、2つのバンドで自主コンサートをしようかと話し合い、歌バンドじゃないKのバンドを誘ってみました。Kは、以前僕やSと一緒にバンドを組んでいましたが、今はフュージョンバンドをしていました。
僕は、K、そういう誘いに乗るかな?と思ってましたが、Kは、出る出る、と二つ返事でOKでした。彼ももうすぐ4年生。春の定期コンサートが終わったら、後は就職活動に専念するつもりだったので、いっぺんくらいは自主コンサートして見ようかと思う、ということでした。
すると、それをHが聞き、「俺ももう4年生、出来る時にコンサートをしておきたいから出してよ」、と言い、まあいいか、と言ってるうちに、「じゃ、俺達も」、とBとAが言い出し、結局4つのバンドでコンサートをすることになりました。
当初僕らが思っていたのとはちょっと形が変わってしまいましたが、僕らのバンドのM子のように、それぞれのバンドを手伝っている後輩を除いて、3年生が全員出るコンサートになったわけです。
「○○大学4バンド合同コンサート」と名づけた僕らの自主コンサートは、こうして1月の終わりにする事が決まり、お客さんはなるべく地元の高校生や、いつもは僕らのコンサートに来ない大学生を中心に集めようと、チラシを配ったり、地元の別々の高校を出たSとYの後輩達に宣伝したりしました。
そして当日。40人くらいの人が集まってくれて、軽食やちょっとしたおつまみを取りながらのコンサートが始りました。
高校生を呼ぶので、もちろんお酒とタバコは禁止です。
4バンドがそれぞれ演奏し、最後に全員で「ヘイ・ジュード」を演奏して歌いました。
最後に来てくれた人達全員と握手をし、自主コンサートは無事に終了。お世辞かもしれませんが、みんな良かったと言ってくれましたし、全曲吹き込んだテープが欲しいと言う高校生もいました。
楽器屋の店長も来ていて、なかなかよかったじゃん、と言ってくれました。
僕は、最初思ってたことと違ってしまったけれども、ま、それなりに良かったかな、と思ったわけです。
ちなみにこのコンサートは、後に、3年生主催の「4年生追い出し宴会コンサート」と言うサークルの内輪の伝統行事に姿を変えて行きました。
・・しかし、もうすぐ4年生。就職活動をしなきゃならなくなってきました。
3、「みんな去っていく」
4年生になりました。
その前の年にも例年になくたくさんの新入生が入って来てましたが、今回も新入生がたくさん入ってきました。みな口々に、このサークルではいろんなジャンルが出来るし、レベルも他のサークルよりも高いから、なんて言うんです。僕が、「ここは一番へただから俺にも出来るかも」と思った時とは状況が違っていました。弱小サークルだったのに、今じゃ音楽系サークルだけでなく、全サークルの中でもかなりの規模になっていました。
新入生の中には、「断言児さんのバンドはオリジナルで頑張ってるし、とっても楽しそうだし、うまかったんで、僕もそういうのやりたいと思って入りました」なんていう奴もいたり、「私、冬の自主コンサートにも行ったんですよ、この大学に入ったら、是非断言児さん達がいるサークルに入ろうと思ってたんです」なんて言う人もいたんで、そうか、俺らを見てねぇ…と、嬉しかったのは嬉しかったんですけどね。・・・でも、小人数だからこそあったアットホームな感じがちょっと薄まるんじゃないかという気もしてました。とはいえ、卒業していく僕にはあまり関係ない事ではあったんですけど…
さて、春の定例コンサートが終わると、4年生のほとんどは、就職活動や教育実習のためにサークル活動を隠退します。別に隠退しなくてもいいんですが、毎年秋の定例コンサートに出る4年生というのはほとんどいませんでした。
僕の同級生も、みんな隠退すると言うわけです。そんな中、Sは、「断言児、どうする?」と聞いてきました。
僕は、バンドはしたいと思いつつも、「いや、どうしようかと思ってる…」と言いました。
「お前、就職しないんか?」とのSの問いに、「そりゃするだろうけど…」と、人ごとのように言いました。
「Sは就職、どうするん?」と聞くと、俺は親父の関係で農協に行こうと思ってる、と言うわけです。
「農協?お前、農協に入るんか?」と聞くと、「いや、まだ決めたわけじゃないけど、農協なら確実に入れる事になってるんや。」と言うわけです。
「お前さ、農協で働きたいと思ってるの?」と聞くと、「だって俺、商売は出来ないだろうし、公務員にはなれないし、・・・だろ?」なんて言うわけです。
そして、「農協ならうちの近くだし、つぶれないし、親も安心するし、まあ、そんなんでいいと思ってる。」と言うわけです。
そして、「だから、断言児が秋のコンサートにも出るって言うなら、俺、やってもいいよ。」と言うわけです。
僕としては、自分はともかく、Sが将来の事を決める大事な時期に、Sの邪魔をするわけにはいかないと思っていたんですが、Sがそう言うんならと、そんじゃ、またバンドしようか、という事になりました。
YもM子も、いいですねぇ、じゃ、やりましょう、と言ってくれて、引き続きバンド活動をする事になりました。
まだ音楽が出来る、という事は、僕にとって嬉しいことではありました。ただ、僕は、そのバンドでは、というか、僕のバンドではプロにはなれないな、とうすうすは思っていました。作曲をしてアレンジをして歌っても、それは結局自己満足のためにしてるんじゃないだろうか、と思い始めていたわけです。
大学に入る前は、これが生きがいだ、と言える物が何一つとして無かった僕は、大学でバンドを組み、楽しさに夢中のうちに、あっという間に3年が経ちましたが、結局の所、僕は何をしていたんだろう、と思ったわけです。
・・・つまりは、ただ遊んでいただけか?・・・だって、俺の音楽を必要としてくれてる人なんて、いないじゃない・・・そりゃ、キーボードを弾く人間としては、あちこちのバンドから必要とされてきたし、それに応じるのは自分の存在感を感じさせてくれる事でもあったし、楽しくもあった。でも、それは、俺でなくてもよかったことかもしれないし、たまたま俺が気安く受けるから頼まれたってだけで、俺じゃないといけないってことじゃなかったかもしれない・・・喫茶店で歌ったり、S達とバンドをしたりして、そのたびに見に来てくれる人はいるけど、それはその時やってたから見られてただけの一過性のもので、どうしても見たいって言うファンがいるわけじゃ無し…
こう思うと、いっぱしのミュージシャン気取りでいたことや、プロになるんだと言ったり、いい曲を作るんだと頭をひねったり、楽器や歌の練習をしたりしてきた事が、なんとなく異次元での出来事のようにも思えてきました。
でも…他にしたい事がないんだもん、時間がある限りもう少しだけやってみよう…と思い、プロになれないのはしかたがない。とにかく学生時代は今年で最後なんだから、心から納得できるような事をしよう、と思ったわけです。全くプロになる事に対して未練が無いわけではありませんでしたが、音楽における自分と言うものの限界を認めざるを得ない感じでした。だから、プロになれなくてもいいから、後悔はしないようにしたい、と思ったわけです。
しかし・・・親からはちゃんと就職しなさいよと言ってきてました。それで、うん、わかってるよ、とは言ったものの、したい仕事がありません。就職って言っても、これこれをしたいっていう事が無かったんです。
代理店長をしている喫茶店のオーナーからは、このままほんとの店長になってもいいよ、って言われていたし、当時やってた配達のバイトでも、卒業したら正社員にならない?って言われてましたが、ずっとそういうものを続けていきたいと言う気持ちもありませんでした。・・・しかし、いざとなったら就職先はいくつかある、とは思ってました。ただ、僕は就職ってのはころころ変えるもんじゃないと思っていたので、フリーターみたいな事はいやだとは思ってましたけどね。
とにかくはっきりと自分の行く末を決められないまま、同級生が就職活動や実習をしてる時に、相変わらずバンドとバイトに明け暮れていました。
そのうちSが、「断言児、カワイ楽器系列の楽器のおろしや音楽振興の仕事をしてる会社があるんだけど、企業説明会、行ってみない?」と言いました。
「楽器屋の元締めか…で、お前、そこに入りたいんか?」と聞くと、「断言児が行くんなら俺もそこでもいいと思ってる」なんて言うわけです。
「お前、俺が行くとか行かないとか、そんな事で一生を決めるんか?」と聞くと、「まあ、音楽関係だしな」なんて言うわけです。
僕としてもSと同じ会社なら、それはそれでいいかも、と思い、一応説明会に行ったわけです。
するとその会社では、ピアノの調律士も養成している事がわかり、入社したら専門学校にも入れてくれるというんです。
ピアノの調律士か・・・それはいいかもな、と思った僕は、Sに、俺、その会社受けて見ると言いました。Sも、じゃ、俺も、ということになり、一緒に1次試験を受けたところ合格。面接も合格。来年からはSは音楽振興事業部に、僕は調律士の専門学校に行く事にあっさり決まってしまいました。
そして、その時一緒に会社に入る事が決まった他の大学から来てた人達も、全員がバンド経験者で、入社したらバンド組もうな、と盛り上がり、まだバンドが出来る、と僕は喜んだわけです。
「なんや、就職活動って、こんなもんか・・・」などと僕は思ったんですが、当時は好景気。買い手市場で、中には、まだ受けた事もないのに「おめでとうございます。内定しました」なんて言うダイレクトメールを送ってくるわけのわからん会社もありました。・・・もちろん、有名な会社に入るのは難しかったですけどね。
とにかくもう就職の事で悩まなくても良くなったので、僕らは秋のコンサート、学園祭、冬の自主コンサートとオリジナルを中心にしたバンド活動を続け、学生生活最後の記念として、例の楽器店でアルバムのつもりでオリジナルのテープを作りました。
そして最後の試験。もともと僕は卒業に必要な最低限の科目しか取っていませんでしたし、それもまあまあ勉強してましたんで、楽勝でした・・・はずだったんですが、1科目落としてしまったんです。
理由は、試験日が、予定されていた日よりも前に変更されていたのを知らなかったんです。いつもは必ず掲示板を見ていたんですが、その時は自動車学校にも通っていて、大学にはあまり行ってなかったので、掲示板を見ていなかったわけです。
えええ!卒業できない?
教授に掛け合ったんですが、ダメでした。
これはかなりショックでした、、、って言うか、すっごく恥ずかしかったんです。
会社に電話すると、卒業できないなら入社できないと言う事でした。中退ではダメなんですか?と言うと、また来年来てください…と。
Sは、けらけら笑った後、「じゃ、俺もあの会社やめる」、と言うんです。
「やめるって、お前、どうするん?」と聞くと、「農協も内定してるから、就職には困らん」と言うわけです。「もともと親は地元にいて欲しいって言ってるしさ」と。
でも、今度入る人達とバンド組むって言ってたやん?と言うと、「バンドなんていつでも組めるさ。俺は地元だから、中学、高校といっしょにやってた仲間がまだいるしね」と言うわけです。
たしかにSは、中学生の頃からベースを弾いてたので、彼のバンド仲間は大勢いました。
「けど、俺が会社に入れないからって、お前、…音楽関係の仕事がしたかったんじゃないのか?」と聞くと、「音楽関係って言っても、楽器の販売だろう?つまり商売じゃん。商売なんて俺には出来ないし、ましてや楽器を商売にするなんてあんまり気が進まない。俺は楽器のプレーヤーであって、バイヤーには興味はない。断言児が入るって言うから、そこでもいいかなって思っただけや」なんて言うわけです。
「いやお前、バイヤーて・・・なんかヤバイもん売るわけじゃないし・・もうちょっとよく考えろよ、あの会社に入れるって、お前も喜んでたじゃないか」と言うと、「もういいんだ。農協にした。」と言い、「断言児とバンドが出来ないのなら、誰と組んでも同じさ」と言うわけです。
それ以上Sにはなにも言えずに、そうか、と言いました。
親に言うと、母親は、バンドばっかりしてるからよ、なんて言いましたが、父親は学生運動に夢中になって留年経験があるので、そうか、と言い、ま、来年はちゃんと卒業しろよな、と言いました。
こうして卒業。Sは農協の職員、HとAは介護福祉士、KとBはコンピューターのソフト開発の会社、Nちゃんは商社のOL・・・と、僕を置いてみんな去ってしまいました。サークルの友達だけではありません。クラスの友達や、下宿の友達も、みんな…
YやM子など後輩達は、「断言児さん、サークルに残ってくれるんですね、うれしいです」などと言いましたが、僕は嬉しくもなんともありませんでした。
ミュージシャンにはなれそうもなく、ピアノの調律士もダメ、仲の良かった友達は去っていく・・・それが、確実に受かる予定だった科目を一科目、掲示板を見なかったために・・・
俺って…
こうして、脱力感を胸に、大学での5年目を向かえる事になりました。
4、「再会」
留年が決まった時、僕は春のコンサートに出るつもりはありませんでした。・・・というか、秋のコンサートが終わった時点で春のコンサートのためのバンドの編成を行うんですが、僕は、その時には卒業するはずだったので、自分のバンドは解散していました。また、手伝っていた後輩のバンドも、僕が抜けるということで、新たなメンバーを入れたり、別のバンドを作ったりしていたので、僕はどこのバンドにも所属していませんでした。
たしかに留年するとわかった当初は、ちょっと落ち込んだり、恥ずかしくって人前には顔を出せないと思ったり、目的が無くなったような気がしたりしてましたが、しばらくするとあと1年大学生ってのも、しかもひまが有り余ってるってのも良いかもな、いや、すごく良いんじゃない?と思えて来ました。もともと僕は非常に柔軟性に富んでいるんです。…いいかげん、と取られることが多いんですけど…
それで、今までやったことのないことをして見ようかな、と思ったわけです。…って、何をするって決めたわけじゃなかったんですが、例えば、一人旅とか、読書三昧で暮らすとか、何かわかりませんでしたが、とにかく今までと違ったことをやってみたいと思いましたし、音楽も続けたいとも思っていましたが、Sもいないし、で、とりあえず春のコンサートはやめとこうと思ったわけです。
で、ある昼休み。そうサークルの会長に言うと、「え、出ないんですか?…いや、あの、実は、○○達から、断言児さんにキーボードを弾いてもらいたいんですけど、断言児さんに頼めるかどうか聞いて欲しいんですと言われてるんです」と言うわけです。
「なんで自分らで頼みに来んのかな?」と聞くと、「だって○○達から見たら三つ上の先輩だし、そのぉ、留年されてるし、言いにくかったみたいで…もちろん、自分達で頼みに行くとは言ってましたが、僕がちょっと聞いてみるからって言ったんです」と言うわけです。
音楽系サークル、しかも軽音系ですから、先輩後輩の縦のつながりが厳しいわけじゃありませんが、僕だって、もし自分が二年生だったら、自分たちのバンドの手伝いを、4年生の先輩には頼みにくいだろうなと思いました。ましてや5年生ですもんね。
で、「あ、そうか、そりゃ言いにくかったかもね。でももし頼みに来るんだったら受けるよ」と言いました。
するとその放課後、僕がサークル室に行くと、二年生ばっかりで組んでたそのバンドのメンバーが全員待っていて、なんだかカチカチになりながら「断言児先輩、すいませんが、僕達のバンドのキーボードを弾いていただけないでしょうか、お願いいたします。」と言うわけです。
その様子を見てYやM子が、「こんにちは!断言児先輩!」などとからかってましたが、俺も、なんか、そういう存在なんかな、などと思っちゃいました。
ちなみに、YもM子も4年生。はじめは僕に気を使ってか「断言児さんともバンドしたいです」なんて言ってましたが、僕が断ったので、それぞれのバンドで有終の美を飾ろうとがんばってました。
さて、僕にキーボードを頼みたいという二年生の彼らは、全員大学に入ってから初めてバンドを体験していて、ボーカルはまあまあうまかったんですが、ドラムとベースとサイドギターは大学生になって初めて楽器を持ったと言う人達でした。リードギターはちょっとだけ高校時代にフォークギターを弾いてたという奴で、キーボードの女の子がいましたが、彼女は小さい頃に4年くらいピアノをやっていたのでちょっとだけ弾けましたが、まあ、トータル的に言えば「初心者のバンド」、でした。で、前の年にサークルでは、定例コンサートの時にはオーディション制を導入してたので、彼らは学園祭や、その他の、学校の教室を借りてするサークルの小コンサートには出てましたが、まだ定例コンサートに出たことがありませんでした。
彼らは、「僕ら、まだ定例コンサートに出させてもらえないくらいとってもヘタなんですけど、それでもいいでしょうか?」とすまなさそうに言うので、「俺も大学にきて初めてバンド組んだし、二年生の頃はヘタだったわね。あの時オーディションやってたら、出られんかったやろうね。…今でもうまくはないけどさ。そんなこと気にしなくても良いよ。しよう、しよう。」と言いました。
「で、なにするの?」と聞くと、浜田省吾と子供バンドとアースシェーカーと言うわけです。
浜田省吾は、今ではロック界の大御所ですよね。子供バンドは、最近は役者さんとして活躍しているうじきつよしさんがリードギターとメインボーカルをしていたバンドで、「北斗の拳」2だったか3だったかのオープニングの歌をしてました。アースシェーカーは、当時日本のヘビーメタルの旗手とか言われてましたが、まあ、ヘビメタと言うよりは、どちらかと言うとポップなロックと言う感じだと思ってました。僕は3つともコンサートに行った事があったし、好きでしたし、後輩達がやろうとしていた5曲のうち3曲は以前やったことがあったので、「ああ、いいじゃん。それ、しよう。」とOKしました。
こうして彼らとの練習が始った頃、思いがけず高校時代の友人で、永遠のライバルだと言い合ってたTから連絡がありました。
Tは、「断言児、留年の気分はどうや?なあ、いっぺん東京に遊びにこいよ。」と言うわけです。
Tは卒業後、東京のある出版社に入り、編集の仕事をすると言ってました。
僕は、「東京か、中学の修学旅行以来行ったことが無いし、大学生として日本の首都も見とかんといかんやろうし、お前にも会っとかんといかんやろうし、…じゃ、お前も今忙しいだろうから6月に入ってから行くわ」と返事をし、バンドの練習と東京旅行の資金集めのためのバイトに精を出しました。
さて、練習です。毎回、「次回はどこどこまで練習するから、出来るように個人練習をしておくように」と後輩達に言ってたんですが、それとともに、YとM子に、彼らのギターとドラムを個人的に特訓してやって欲しいと頼みました。ベースとピアノは、僕がちょっと特訓みたいなことをしました。
彼らは非常に緊張した感じでしたが、真剣に言うことを聞いてくれるのでだんだんとうまくなってくるし、僕はなんだか嬉しくなって、「頑張って定例コンサートに出れるようにしような」、と励ましながら練習しました。
そしてオーディション。会長と副会長、そしてコンサート委員長というたいそうな肩書きのサークル役員が見て出場バンドを決めるわけです。「お前ら、俺がおるからって甘くしたらいかんよ」と言いましたが、…受かりました。彼らの練習の成果でした。
こうして春のコンサートは無事終了。「練習すると出来るようになるんですね。もっと頑張ります」なんて感激してる彼らに、二年生の頃の僕を思い出して、バンドって良いなぁ、とあらためて思ったわけです。
「断言児さん、ありがとうございました。秋は、断言児さん、就職活動があるでしょうから、今度は僕達でやってみます」と彼らは言いました。
「たはっ、就職活動…、そうやね…」またそんな季節が来ました。
「そうか、じゃ、ありがと。おつかれさま」と言い、僕は、秋のコンサートはちょっと止めとくわ、と言って東京に向かったわけです。
東京では、Tとの再会が待っていました。
5、「やっぱり音楽」
東京へは夜行列車で行きました。旅費を浮かせたかったのと、Tが東京に旅立つ時に夜行列車に乗っていってたので、ライバルの僕としても乗らんわけにはいかんな、と思ったからでした。
待ち合わせは上野駅でしたが、Tと約束していた夕方まではだいぶ暇があったので、上野駅周辺を歩くことにしました。
ふと道端を見ると、ペットを売っている屋台が目に入ってきました。
ははァ、東京じゃ、ペットを道端で売ってるのか、と思い、見てみると、「ペルシャ犬」とか「ごまだらトカゲ」とか、聞いたことの無い動物ばかりがいました。よく見ると、ペルシャ犬っていうのは、麻色の犬が、耳の所を黒くペイントされている奴で、ごまだらトカゲと言うのは、点々とごまだらがペイントされてる奴でした。その他にもショッキングピンクやパープルで色づけされてる動物がいて、みんな変な名前が付けられていました。
なんじゃなんじゃ、と思いつつ、うわさの秋葉原やアメ横に行き、欲しかったキャンプ用品というか、サバイバルグッズと言うか、そういう小物をいくつか買い、品物の多さと安さに感心しました。
そして約束の時間。Tと3年ぶりに再会しました。
Tは口ひげをはやしており、ラフなカッコだったので、「お前、サラリーマンには見えんなぁ」と言うと、「いつもこんなんさ。」と言い、そのまま焼き鳥屋に飲みに行きました。
「で、お前、編集の仕事はどうや?」と聞くと、「忙しいけど面白い」と言うわけです。
そして、「実はよぉ、去年、パリダカに行ったんや」と言うわけです。
「パリダカって、パリ・ダカールラリーのことか?」と聞くと、「うん。俺の師匠が出場したんで、そのアシスタントでな」と言うわけです。
Tの話しによると、ダートラリーなどによく出る、あるオートバイのレーサーが彼の師匠で、Tは学生の時に知り合ったそうです。で、その師匠はあちこちをバイクで旅してはエッセイなどを書いてるそうで、Tは、2年前からその師匠の関係の出版社でバイトをしており、そのまま正社員になったということでした。
「そうか、お前、あちこち旅して、見たことを書く仕事をしてみたいって言ってたもんな」と言うと、「うん。まあ、ぼちぼち現実化したいと思ってよ」と言うわけです。
「ところで、断言児は、第2の千春になれそうか?」と聞かれたので、「第2の千春じゃなくって、最初の断言児よ。」などと強がりを言いながら、「むずかしいな、なかなかさ・・・」と言いました。
するとTは、「断言児さ、お前、東京に出てこんか?」と言うんです。
「東京で…何しろって言うん?」と聞くと、「俺の会社、人手が足らんのやけど、誰かいい人いないかな、って上の人に言われてるんや。俺は、断言児のことをすぐに思い浮かべたよ。ここは大学中退だって全然かまわんし・・・どう?」と言うわけです。
「お前の会社って、…出版社やろう?なんか、雑誌とかの編集しとるんやろう?」と聞くと、「そうや。品物の紹介を中心に、旅行記だとか、アウトドアライフとかについての記事だとか、ま、そんな雑誌の編集さ。」と言うわけです。
「編集ってか・・・」僕は突然の話しに戸惑いましたが、Tがそんなことを言ってくれるってことは、とても嬉しかったわけです。
・・・しかし、「お前の話し、すごくありがたいけど・・・俺、もうちょっと音楽にかかわっていきたいと思っとるんや。・・・すまんけど・・・」と、断りました。
Tは、「わかった。迷わすようなことを言ったかもしれんけど、御免な。・・・考えて見れば、俺とお前は同じ仕事をしない方がいいかもな。・・・うん、きっとそうだよ」と言い、あとはそれぞれの学生時代のことや、したいことについて話しをしました。
Tのアパートに泊まり、翌日は帰りました。
帰りがけ、昼だったので、有名なラーメンを食べさせてやると言われ、渋谷で一番うまい店とやらに連れていってもらいました。
40分間行列で並び、店に入ったらぎゅうぎゅううづめの席に座らされ、10分少々でちゅるちゅると食べ、タバコでも吸おうかと思えば禁煙。次のお客さんがたくさん待ってたのでさっさと出て来ました。
「T、それにしも東京って、えらい所じゃねぇか。仕事したり買い物したりするにはいいかもしれんけど、俺はこんな所にはずっと住めんぞ。」と言うと、「そやろ、だから俺もゆくゆくは八ヶ岳のふもと辺りに住んで、悠々と執筆活動をして、書いたもんはファックスとかで送りゃぁいいんだからよ、そうやって自然の近くでゆったりと暮らしたいと思っとるんや。日曜の朝はコーヒーでも飲んで、お前のレコード聞いてよ・・・」と言いました。
こうしてTと別れ、僕は電車の中で、Tの奴、自分の思い描く未来の自分になるためにがんばってるな、と思いました。そのTのオーラと言うか、放射してるエネルギーというか、そういうものが僕にも移ったようで、俺もあいつに負けないようにしないと、と思ったわけです。Tとは、僕にとってちょっとした起爆剤と言う感じでした。
とりあえず、俺はやっぱり音楽にかかわっていきたいな、と思いつつ、大学に戻りました。
続く…
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