ユダヤが解ると真実が見えてくる

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2012年02月20日
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カテゴリ: ユダヤの基礎
「自由」なる言葉は、さまざまの人間集団に、あらゆる種類の権力、あらゆる種類の
権威、さらには神や自然の掟に対してまで闘争することに入らせた。このため、われ
われがわれらの王国を実現したあかつきには、群集を血に飢えた獣に改造する暴力的
概念であるこの言葉を、われわれは、目に触れる辞書からは抹殺するであろう。
 獣たちは血をたらふく呑んで腹がふくれると眠り込むので、鎖につなぐのはいとも
たやすいというのは事実である。だが、血を呑まさなければかれらは眠らず、引き続
き闘争を続けるであろう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
プロトコール 四

    共和国の諸段階。非ユダヤ人のメーソン員。自由と信仰。国際産業競争。投
      機の役割。拝金教徒。

 どんな共和国もいくつかの段階を経る。その最初は、かなたこなた、右に左に攪乱
された盲目の群集の狂瀾が猛威を振るってやまないことから始まる。次はデモゴギー、
つまり民衆煽動である。ここから無政府状態が生じ、無政府状態は必然的に専制に向
う・・合法的とも明白とも言えない専制、専制の総本山、目には見えず密かに姿を隠
し、にもかかわらず目立ってそれと解る、あれこれの秘密組織の手による専制、その
活動は幕の蔭であらゆる代理人の背後で働くだけに、手きびしいことでも平気でやる。
それら代理人たちは交代するので、不当に襲われないばかりか、秘密の勢力を効果的
に助けている。しばしば交代するおかげで、長期活動の報酬が節減できるのである。
 見えない勢力というものを転覆する位置にあるのはいったい誰か? ここにこそわ

目標の前に立てられた屏風として隠密裡に活動するが、わが勢力の活動計画は、その
所在すら人民には全く謎に包まれたままにされる。
 しかし、自由が神に対する信仰や人類愛に支えられ、平等思想と結びつかないなら
ば無害なものであり、人民の安寧幸福になんら害を与えず、国家経済の中に居場所が
あってもよろしいが、平等思想は自然法則にもとるものであって、平等思想が一段下

区の保護のもとにあり、地球に対する神の支配に従う牧師の手に導かれ満足して敬虔
に歩んでくれるならいい。そうでないからこそ、われわれは信仰という信仰をむしば
み、ゴイムの心から神の摂理と霊魂なるものを引き離し、代わりに損得勘定と物欲を
入れることが絶対不可欠なのである。
 ゴイムに考えたり留意観察したりする暇を与えないためには、かれらの気持を工業
や商業に向き放しにさせなければならない。そうしてこそ、国民という国民が利益追
求に没頭し、そのあげくにかれらの共同の敵に気をとめなくなるだろう。重ねて述べ
るが、自由がゴイム社会をきっぱりと崩壊滅亡せんがためには、投機を産業の基礎に
しなければならない。その結果、産業が国土から引き出したものは、いくつかの手を
通り抜けて投機に手渡される、すなわち、われらが階級に転り込むであろう。
 他人よりも優位に立とうとする激烈な闘争と、経済生活に加えられた打撃とは、薄
情冷酷きわまりないな社会を生み出すだろう、いや、すでに生み出している。かよう
に社会は、政治・宗教など高度のものに対する反発を強めるだろう。かれらの生きが
いは唯一、利益、すなわち金を集めることである。かれらは金があれば手に入る物質
的喜びを求めて、まぎれもなく拝金教徒と化すだろう。次いで時至れば、高尚な目的
のためでもなく、また、富を得んがためですらなく、ただただ特権ゴイム憎しのため
に、ゴイムの下層階級は権力をめぐるわれらの競争相手、ゴイムの知識人たちに逆ら
ってわれらの指導に従うであろう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
プロトコール 五
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    強力に集中化した政府の樹立。メーソン員による権力奪取の方法。国家間の
      一致が不可能な理由。ユダヤ人の「宿命」の国家。金・・国家機構のエ
      ンジン。批評の役割と「ショー」団体。言説混乱による疲労困憊。世論
      を制御する法。個人の独創性の処置。超政府。

 いたる所で腐敗が広まっている社会、富者だけが詐欺同然の悪賢い奇策に富んだ社
会、たるみ切った社会、道徳が進んで守られるのではなく懲罰厳罰によって維持され
る社会、信仰心や愛国心が無国境主義的信念に一掃された社会に、どんな種類の統制
支配なら適用できるか? あとで述べるような専制支配以外に、どんな支配形態なら
このような社会にあてはめられるか? われわれは社会の全勢力をこの手に掌握せん
がため強力に集中化した政府を樹立しようと思う。われわれは新たな法律によって、
国民の政治生活すべてを手加減することなく律しようと思う。それらの法律は、ゴイ
ムが許してきた寛大とか特典とかを一つづつ全部取り潰すだろう。いかなる時にもい
かなる場所でも、行動や言葉でわれらに盾突くゴイムを一人残らず一掃する立場で臨
み、専制ということの強力さを遺憾なく発揮するのが、わが王国の特徴である。
 私が述べているような専制は、時代の推移にはそぐわないという意見も聞くが、事
実は正反対であることを証明しよう。
 人民が王は神の意志を純粋に体現した者だと見ていた時代には、なんの不平不満も
鳴らさずに王の専制権力に従った。だが、人民には権利というものがあるという考え
をわれわれがかれらの心に植えつけてからは、かれらは王座に座る者を単に普通の人
間とみなし始めた。 神権による王 の聖油は人民が見ている前で王たちの額から消
えうせてしまい、われわれが人民から信仰心を奪った時に、権力の強力な力は飛び散
って公共の所有権となり、われわれがそれを押収したのである。

 加えるに、巧妙に仕組まれた学説と詭弁により、社会生活の制約やその他ありとあ
らゆる方便により、あるいは、ゴイムにはまるで解らない手段を動員して群集や個々
人を支配する技術は、他の技術と相並んでわれらが支配の中枢である専門家がもとも
と手中にしていたものである。分析、観察、精緻な計算に育てられ、この種の熟練技
術に関してはわれわれには肩を並べる者がいないこと、練り上げられた政治行動と固
い結束のどちらかではわれわれの競争相手がいないのと同じである。いるといえば、
イエズス会だけはわれわれと比べられるだろうが、われわれは無分別な群集の目には
見える組織として存在するとは信じられないように工夫してきた。その裏でわれわれ
は終始一貫秘密の組織を維持し続けてきた。カトリックの首領であろうとシオンの血
を受けたわれわれの独裁者であろうと、専制君主は専制君主であることに変わりはな
い。が、神の選民であるわれわれにとっては、このことは無関心ではいられないので
ある。

 ほんの一時は、われわれが全世界のゴイム連合にうまくしてやられることもあった
やも知れぬが、ゴイムの間には今では決して取り返しのつかぬほど深く根を張った不
一致があるので、われわれはついぞ危険にさらされずにいる。われわれは、ゴイムを
宗教的・人種的憎悪によって個人も国民も対立反目応報を繰り返すように仕組んだ。
このことを過去二千年にわたって営々と積み重ねてきたので、手が付けられないほど
劇しいものになっている。これが、われらに腕を振り上げたとしても、支持してくれ
る国はどこにもただの一国もない理由である。われわれに対抗する同盟を結べば自分
が不利になることを、どの国も肝に銘じているからである。われわれはあまりにも強
力である・・われわれの力を逃れおおせるものはない。国家はわれわれの蔭の関与な
しには、ほんの些細な協定を結ぶことすらできないようになっている。

 Per Me reges regnant.(王は我によりて支配する)。預言者たちによれば、われわ
れは世界のすべてを支配すべく神自身に選ばれたのである。神はわれわれがこの使命
を遂行できるように、われわれに天与の才を授けられた。仮に反対陣営に天与の才が
授けられたとしたら、われわれに闘いを挑んでいたであろうが、駆出し者というもの
はしょせん古くから定着している者には太刀打ちできない。われわれとかれらのと闘
いは、この世が始まって以来見たこともないような熾烈を極めたものとなったであろ
う。さよう! かれらの天才は現われるのが遅過ぎたのである。すべての国家機構を
動かす車輪はエンジンが駆動する。エンジンはわれらの手中にある。国家機構のエン
ジンとは・・金である。わが学識ある長老たちが創造した政治経済学は、長期にわた
って資本に君主のような威信を与えてきた。
 資本、それが束縛なく相携えて力を発揮するには、存分に工業と商業の独占がはか
られねばならぬ。そのことはすでに世界のあらゆる隅々で、見えざる手によって実践
に移されていることであり、そのことは人民を圧迫する助けとなろう。今日では、人
民を武装解除させることは、戦争に赴かせることよりも重要である。さらに重要なこ
とは、われわれの都合からいえば、人民の焔を抑えることよりも燃え上らせることで
ある。さらに重要なことは、他人の考えを根絶するよりは、その考えをすばやく掴み
とりわれわれに都合がよいように翻案することである。われわれの役員会が採択して
いる原理に次のことがある。非難によって大衆を意気阻喪させること、抵抗心をかき
立てるまじめな思考をさせないようにすること、心の力を空理空論の論争にそらさせ
ること。

 いつの時代でも世間の人民は、個人も同様であるが、言論と行動とを混同してきた。
競技場で見ることに満足しているが、約束されたことが実行されているかどうかを考
えてみようとする者はめったにいなくて、もっぱらショーを見るだけで満足してい
る。。そこでわれわれは、人民の利益が進歩に向っていると声高く証明するショー団
体を作るだろう。
 われわれは、あらゆる問題について、リベラルな顔つきを装おって全政党に入り込
み、聞き手が嫌になるほど喋り立てて、弁論に対する嫌悪を植え付けるだろう。
 世論をわが方に引き寄せるには、あらゆる角度から意見続出させ、相反する説をい
くつも並べ立て、ある期間、十分ゴイムの頭を迷路に迷い込ませて、一番いいのは政
治上のことには何も意見をもたないことだと思い至らせなければならない。政治のこ
とは一般大衆には解らない。なぜなら、大衆は自分たちを導く者を通じてしか理解で
きないからである。これが第一の秘訣である。
 統治に成功するのに必要な第二の秘訣は、次のことにかかっている。すなわち、広
い範囲にわたり国民の欠点、習慣、情欲、市民生活の状態を増殖させ混沌に陥れ、そ
の中にあっては自分がどこにいるのか見当がとれない有様にさせると、その結果、人
民相互の理解ができなくなる。これこそ別の意味でわれらにとっては有利なこととな
る。すなわち、諸党派の中に軋轢の種子を蒔き、まだわれわれに従わおうとしない集
団を撹乱し、どの程度のものであれわれわれの仕事を妨害するような個人の企てに対
して片っ端から気勢をそぐことになるのである。個人の企てほどまたとなく危険なも
のはない。その裏に天才があろうものなら、このような企ては、われわれが軋轢の種
子を蒔いた人民何百万人にも勝る力を持つのである。われわれはゴイム社会の教育を
指導する際には、かれらが何か創意を示す徴候があれば、いつでも気力を失って絶望
してしまうように仕向けなければならない。自由奔放な活動というものは、別の自由
奔放さに出会うと無力になる傾向がある。





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最終更新日  2012年02月20日 20時12分00秒
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