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2006.01.20
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カテゴリ: 内山の名所旧跡
ユっぴー・コスモスです。

内山《コスモス街道》の 黒田 という地区に、
「孝勇亀松之墓」という碑 があります。

今日はその碑にまつわる伝承を、お伝えしますね。

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大日方 寛(おびなた ひろし)さん著 
『続・佐久の民話』
より転載させていただきました。

(Web上で読みやすいように、ユっぴーが改行、行空けを加えていることを
 ご了承ください。)


 -------  オオカミをたおした亀松  -------

             (再話;大日方 寛)

 荒船山のふもと、佐久内山の畑には、むかし、
山からイノシシやシカがでてきて、作物を荒らし、村びとたちをこまらせた。
村びとたちは番小屋をたて、交代でつめて見張りをしていた。

 その年(天明八年―一七八〇年)の秋九月二十五日の逢月小屋の当番は、
惣右衛門(そうえもん)だった。
「不作つづきんとこせえ、ケモノに荒らされたんじゃたまらねえ。
 しっかり番すべぇ」
惣右衛門は、十一歳のむすこ亀松(かめまつ)をつれていき、
夕方近く番小屋でたき火をしていた。

「亀松、タキギ足りそうもねえな」
「それじゃ、おれ、枯れ枝でもあつめてくらぁ」
「そうしてくれや、オオカミでるといけねえで、
 暗くならねえうちに帰(けえ)ってきな」
「はいよ」

 亀松がでていくとすぐ、惣右衛門は、眠くなってムシロの上に横ずわりのまま、
ウトウトと居眠りをはじめた。

 そのとき、小屋のかげから、一ぴきの大きなオオカミがあらわれ、
入り口に近づいてきた。
オオカミは小屋にはいるがはやいか、
うしろから、惣右衛門の右足のカカトにかみついた。

 惣右衛門は、おどろいて、
「いてて!」
とさけびながら、右手でつよくはらって、ふり向いた。

 するとオオカミは、「ウォーッ!」とうなって、惣右衛門のアゴにかみついてきた。

 惣右衛門はいたさをこらえて、オオカミのほうへ向きなおり、
両手でオオカミの両耳をつかんで、押しかえしながら、大声でさけんだ。

「亀松! オオカミにやられたぁ! 早く帰(けえ)ってきてくれやぁ!」

 小屋をでて、ほど遠くないところにいた亀松は、
これをききつけてすぐかけもどってきた。
もどってみれば、
目の前でオオカミと父親が格闘しているではないか。

 白い牙をむきだし、大きく開いたオオカミの口は、父親の顔にせまっている。
父親のアゴのかみ傷からは、肉がはみだし、胸から足にかけて血まみれだ。

亀松
      父を助けに飛び込んできた、11歳の亀松少年
        ~ 上記『続・ふるさと佐久の民話』
           より 挿絵;臼田真喜枝さん

(そうだ! あいた口からノドをねらえばいい)

 そう感じとった亀松は、手にもっていたカマの、三日月形のするどい刃を、
オオカミの口の中に突きさそうとした。

と、オオカミは、首をふってたくみによけて、カマの柄にかみついてきた。
「こいつめ!」
 亀松がカマの柄をにぎった手に力を入れてこじると、
柄がミシミシと折れてしまった。

「亀松! おれのカマそこにある」
 亀松は父のカマをとって、「こんどこそ」とばかり、
大きく開いた口をねらってカマの刃を突きさした。
ところが刃の中ほどを、オオカミの歯がカチリとかみとめてしまったので、
深くはいらなかった。

(また、かまれちまった。よし口をきりさいてやる)
 亀松が力をこめてカマをひっぱると、
カマをくわえたまま、オオカミの体がどうーっと横にたおれた。
父の手もオオカミの耳からはなれた。

(それじゃ、こうしてやる!)
 亀松は、オオカミの肩に足をかけておさえつけながら、
そばにあった石をとるがはやいか、
柄をたたいて、カマの刃がオオカミのノド深くとどけとうちこんだ。

 おこったオオカミは、もがきながらも、亀松にむかってきた。
(負けてたまるもんか)
亀松は、オオカミの右の目に左の親指、左の目に右の親指をつっこんで、
思いきりかきまわした。

 オオカミは亀松をはねとばし、小屋の外ににげようとしたが、
つまづいてたおれた。

 亀松は、タキギの中にあった太めの、ぼうをとって、オオカミをめったうちにした。
さしものオオカミも、地べたにくずれおちて、動かなくなった。

 父親は血まみれのアゴと足をおさえて、あえぎながら、
「亀松、よくやった。もうしんぺぇねぇ」
と、いって気がぬけたように、ゴザの上にうつぶせた。

「とうやん、しっかりして。だいじょうぶかい」
 亀松は父親をだきおこした。
「血のでがひでぇー。亀松、ヨモギ、ヨモギ・・・・・・」
 亀松はいそいで、小屋の前に生えていたヨモギの葉をむしりとり、手早くもんで、
父親のアゴと足の傷にはりつけ、父親と自分の手拭いでしばった。
 亀松はひどくつかれていたが、父親を背負い、
暗くなった道をたどり、ようやく家にたどりついた。

 すっかり弱っていた惣右衛門も、亀松の看病で元気になり、
オオカミにかまれた傷も、五十日ほどしてなおった。

 このことが、たちまち、ほうぼうの村むらに知れわたった。

「十一歳の子どもとは思えない、あっぱれなおこないじゃ」
と、幕府の役人が感心し、江戸へ知らせたので、将軍の耳にもはいった。
幕府は、白銀三十枚をおくってほめたたえた。

 亀松は成人してから、学問の師匠になった。
亀松を慕って弟子がたくさんあつまった。
そして、
おしまれながら、七十一歳でこの世を去った。

  ------- * ------- * --------


以上が亀松の伝承です。

上のようないきさつに加え、次のようにあります。

やがて明治になってからこのことが小学校の修身の教科書へも
  載るようになった。亀松の孝勇はこのようにして当地方はもちろんの
  こと全国津々浦々にまで知れ渡るようになった。そこで郷党の人々が
  力を合わせて顕彰の墓碑を建立したのが、この「孝勇亀松之墓」の碑
  であって、碑面の題辞は幕末三舟の筆頭勝海舟であり、碑文は東宮侍
  講の中洲中島毅である。


なんとも血みどろのすさまじい戦いをした、
十一歳の少年亀松さん、すごいです!

それにしても、江戸時代には、
ここ内山にもオオカミが居たんですね・・ふむふむ。。


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最終更新日  2006.01.20 17:38:56
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