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「明日とれるぞ~!」と赤くなりかけたトマトを見て、楽しみにしている…のに、次の日、必ずといっていいほど何かに食われている。虫か病気か???…なんと犯人はカラスだった。「このヤロー!!」でも見張っているわけにはいかない。敵は頭がいい。農作業のプロ…親戚に聞いてみた。「カラスの模型が効果あり。」ふ~む、そんなものがあるのか。持ってきてくれるというので、お願いした。次の日、早朝「奴」は届いた。1日仕事だった私が、気付いたのは夕方。夕立が降っている。なんと「奴」は紛れもなく「本物」だった。「グロイ、グロすぎる…。」私は袋の中の「奴」を確認することすらできない。早朝仕留めてくれた「奴」をそのまま葬り去ること恩をあだで返すようなものだ。1日たった「奴」は、異様な悪臭を放つ。「うぷっ 誰か助けてくれ~!」3本の棒からぶら下がった「奴」はまさに何かの儀式かいけにえか…。わずかな収穫しかない畑の代償としては大きすぎないか。トマトを買ってきたほうがどんなにましか。これでは畑に近寄ることすら恐怖だ…。半日たって、畑を見下ろす電線で、「アーアー」カラスが鳴いている。どうやら仲間に知らせたのか。あれから1日。カラスがめっきりいなくなった。恐ろしすぎるが、すごい効果。人間とは恐ろしい。1日たったら、畑にぶらさがる「奴」になんとなく「慣れ」が生じてきた。まあ、「奴」の周辺の草取りは、まだ勇気が出ないが…。「奴」はいつまでこうしておくのか…。
2006.07.16
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とうとう最後まで顔を見ることができなかった。見てしまったら、その姿が目に焼きついてしまいそうで。また、畑に出たらばあちゃんの姿を探してしまうだろうな。「もうすぐ顔をだすかなあ」って。ばあちゃん、ちゃんと見てて欲しいな。
2006.07.11
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久しぶりに書いてみることにした。畑の先生だった隣のばあちゃんが昨日亡くなった。あっという間だった。3日前うちの縁側で世間話をしていたばあちゃん。いっつも畑に出て行くと、何かしら畑で仕事をしていた。小さいころから知っているけど、もう随分年だったんだよね。「仕事しながら、よくやるよ。」いつもそう言って、声をかけてくれた。どんなにさぼって草ボウボウになっていてもそう声をかけてくれた。畑にいるのが当たり前だったばあちゃん。分からないことは、全部聞けた。いつでも聞けた。ほんとにもういないのかなあ。また、畑に行くといつものように仕事しているんじゃないかなあ。残された自家用には広い畑。きれいに手入れされた畑。誰も同じようになんかできない。ずっとこのままでいて欲しい。ばあちゃんの作品が畑いっぱいに広がっている。
2006.07.09
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ご無沙汰しています。1年間とちょっと気になったこと、心に留めておきたいことを、書き込んできましたが、思うところあって、ブログからしばらく離れようかと思います。文章を書くことが楽しいので、いつの日かまた復帰したいと思います。ご閲覧くださった皆様、コメントをくださった皆様、ありがとうございました。
2005.12.12
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私たち保育者や教育者は、教室の現場で子どもたちの立場に立った語りかけや教材を工夫する。そうすることで、ちょっと難しいことでも、子どもたちを引き込むことができる。しかし、親の療育が目的となる遊び教室では、必ずしもそれは当てはまらない。…ということに突然気付いた。関わる遊び教室はほとんど保健師、保育士、心理士…子どもに関する専門分野が集まる。だから、それぞれの立場で、子どもたちがどうすれば活動に乗ることができるか、考え教材や環境を整えようとする。ことばの教室ではむしろそれは強く、色々な課題に取り組めるように、簡単課題から引き上げ課題まで、目を引くように工夫する。養護学校でも、できる能力を最大限引き出せるように、補助具や手立てを講じる。この癖がすっかり付いてしまっていた。教室では健診等で問題行動が認められた子どもたちも、1、2回の参加で問題を感じさせることが、少なくなってしまう。集団に馴染めないと思われた子どもたちも、何となく集団に溶け込んでしまう。楽しく、テンポ良く…。どんなに手ごわい子どもたちも、グッとひきつける技は、やはり何百回も遊び教室をこなしている私の特技といえる。これは一見、すばらしい教室、支援者のように見える。私もそう勘違いしていた。親たちに自分で考えて工夫する余地を奪っていたのではないか。考えなくてもポンポン回りが上手く乗せてくれる。考えなくても良い手立てを先に出してしまう。先回り先回りしていて、自分で考えずに依存する気持ちをさらに強めていたのではないか。一緒にやっている年配の保健師さんや心理士の先生に、ずっと言われている意味が良く分からなかった。子どもたちは環境を整えてやればできないと思われることもできるようになる。この気持ちには変わりない。その環境を整えてできたのだから、集団に入れたのだから、どうしていけないのか分からなかった。それはこちら側の自己満足だったんだなあ。突然気付いて恥ずかしくなった。なんで分かるまでこんなに時間がかかるのか。もっと環境が整わない状況で、どう工夫すべきか問題提起していくべきなんだ。是非、今日から試してみようと思う。
2005.11.21
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先日またムーブメント教育の研修会にお邪魔させてもらった。私はムーブメント教育も好きだけど、ムーブメント教育の先進者小林芳文先生の人柄が好きだ。何よりプラス思考。ちょっと難しいかなと思うことでも、環境を与えてあげることでできる機会を作ることが何よりも大切だと常に言っている。実践の中でも、決してマイナスなことばは出てこない。対象は就学前の障害を持つ子どもたち。今回もカラフルなフープ、形板、ゴムバンドが次々と登場してくる。それぞれ毎回新しい使い方が紹介される。この教室の研修会に参加させてもらってかれこれ4年目くらいになるかなあ。還暦を過ぎてもいつも汗をかきかき、明るく元気に動き回る。実践中この遊びが何にいいのか、実に分かりやすく、理論的に説明してくれる。それは常に前向きに子どもに接して行こう…というエールに聴こえる。先生に会うと私もこうなりたいなあ…と本当に思う。自分の子どもに障害がある…これだけでも深刻なことである。どうしていいかわからないことである。深刻を一緒に深刻と受け止めて、支援していくのと、深刻なことだけど、一緒に楽しくやろうよ!気楽に話そうよ!というのとどっちがいいんだろう。遊び教室のスタッフの話し合いの中で、親に対して「子どもの身の丈にあった関わり方が下手。」とか「大人のほうが言われたことしかできず、応用がきかない。」とかそんな意見が頻繁に出てくる。…確かにそうかもしれないけど、それが現実なら、それに合わせた方法を考えるしかない。子どもの目の高さでものが見られない大人に、いくら目の高さで見ることの大切さをことばで説いても実行できるかどうかは怪しい。ならば道具でも歌でも、なにか具体的な媒体を使って、いつの間にか目の高さになっているという工夫を支援者は考えなくちゃいけないと思う。そして本人が意識していなくても、実行できているときに評価すると、初めて実感として分かる…それでいいと思う。大人だってほめられたいし、評価もされたい。いい評価を受ければやる気にもなる。子どもと一緒だと思うんだよなあ。私は物事を深刻に考えるのが苦手だ。それは現実から目を背けているのかもしれない。本当の解決になっていないのかも知れないな…とも思う。でも、深刻になったところでいい結果が生まれるとはどうしても思えない。どんなにつらい状況でも、何かいい方法はないか探すことに力を注ぎたいと思ってしまう。障害児を育てることが決して暗いことじゃないと気付いて欲しい。教室に来たときはお腹の底から笑わせたいと思う。どんなに大変なときでも、絶対いいところを見つけたいと思う。親子の教室なので子どもの変化以上にお母さんのいい変化を見つけたいと思う。ムーブメント教育の研修は、いつも私がどうしたいかを再確認させてくれる。
2005.11.17
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前回雨で見送った秋の散策。なのに午前中だけ雨マーク。絶対これは行くな!ってことかい??大慌てで雨用のプログラムを考える。準備に手間をかけた分、中止となるとガクッとくる。しかし、開始直前。「おおっ向こうの空が明るくなってきた。」「よ~し決行だ!」次男がどうしても付いてくるという。小学生の参加の仕方について疑問を持っている手前、簡単にいいよとはいえない。今日は旦那も久々に休みだし、「小さい子の教室だからだめだよ」と言った。なのにどうしても行きたいという。珍しいなこんなことと…と思いながら、いくつかお約束をした。・ママはお仕事だから、一緒には遊べないこと。・小さい子の教室だから遊んだり助けてあげたりすること。・お手伝いをすること。「守れる?」「うん守れるよ。」そこまで言うのなら…ということで連れて行った。実は以前、自分でやってきて、走り回っていたことがあったので、すごく不安だった。今日もやっぱり自分が遊びたい小学生が参加していた。急遽、散歩に行けることになったので、息子とその子に準備を手伝ってもらうことにした。今まで同じ立場で遊んでいたが、小学生としての役割を持ってもらうことにした。息子のほうが1学年上、増してや同学年以下の子には,仕切るタイプなので、その子に声をかけながら、2人でいい仕事をしてくれた。これは使えるな。息子もなかなか役に立つではないか。距離は短いが、途中で立ち止まりながら4つのゲームをした。・目を閉じて「何が聞こえる?」・いろんな種類の葉っぱを集めて、同じものを探す「見つけてみよう」・自然の中には「どんな色」があるかな。・最後はおやつを見つける「宝探し」。小学生の自然体験塾でやったプログラムが役に立ったなあ。ひとつ聞こえる度、ひとつ見つける度に、先生にシールを貼ってもらう。ただ何となく歩く散策もいいけど、みんなと歩くときにちょっとアクセントがあるだけで、ずっと新鮮に感じるね。久しぶりに参加することができたお母さんに「ほんとに楽しかったあ~。」と言ってもらえて、とっても嬉しかった。おやつを食べているとき、いい雰囲気だなあ~としみじみ思ってしまった。
2005.11.12
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「あそこの嫁は遊んでいる。」そんなことばがまだ根付いている地域。要するに2世帯3世帯の多く、家にじいさんばあさんがいるのに、嫁も働きにいかずに家にいるだけで言われてしまう。家事も子育ても立派な労働…。なのに、外で働いて実質的にお金を稼いでこなければ、働いたことにはならない。留守を預かる、じいさんばあさんは孫の面倒を見るのは当たり前。外でバリバリ働きたい人にとってはいいが、働きたくない人、自分の子どもは自分で見たい人、にとってはストレスの何者でもない。そんな人にとって、仕事は人に言われて「働かせられている」と考える。「働かされている」から仕事はしんどい,。家に帰ってきても家事も子育てもままならない。「家に帰ってくると疲れてくるから何にもできないじゃないですかあ~」まあ、ごもっともではある。だけど、いない間孫に手を焼くばあちゃんは欲しいままに菓子をあげ、機嫌を損ねないためにビデオやテレビを見せる。それに対して、母の怒りが沸騰する。言うことを聞かなくなった子どもが駄々をこねて大泣きすると、旦那や舅から静かにさせろと言われる。…何がどうなっているのかただただ悪循環でどつぼにはまっていく。そうやって大きくなった子どもが教室に訪れるときは、事態が結構深刻だ。どこをどうしていいのか、原因は分かるが、解決策は…。とりあえず母の不満を聴き入るしかなかった。はあ~。
2005.11.09
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1週間参観週間と言うことで、小学校の授業を観て来た。兄弟何となく両極端の授業だった。別に落ち着かないとか、授業が成立しないとかでは全くないんだけど、「静」と「動」…。その違いはなんだろうと考えた。「静」は学年のせいか…落ち着いている??いやいや、何か大学の講義を聴いているみたいなんだよなあ。「動」は子どもたちとのやり取りがある。だからいつの間にか引き込まれる。「静」の授業。正直子どもたちよく聴いているなあ…。と感心してしまった。…おやちょっと待て、ホントに聴いてる?前の友だちを鉛筆でつついている君…!「動」の授業。算数の授業だったが子どもたちもよく手を挙げる。でもやっぱりクラスの中で理解度がかなり違うことに驚いた。一番後ろの子が、何度説明されても、練習問題をやっても理解できなかったらしく、「全然わかんないよ~」とつぶやいた。覗いてみると、根本的に分かってないらしい。しばらく様子を見ていたが、おそらくそんな子が半分はいたようだ。決して複雑なことは要求されていないんだけどなあ。先生もこれだけいるとじっくりひとりずつは無理だろうな。「どうしようかなあ」と思ってしばらく見ながら、ちょっと手助けをしていたが、中途半端な手助けだったので、上手くいかず、泣き出されてしまった。「やばい」本腰入れて手助けしてめでたく先生にマルをもらった。「できたねえ!」一緒に喜んで見た物の、あとクラスの3分の1はまだ分かってなかったみたい。こりゃ大変だ。「静」の方。先生との距離を感じるのは私だけかなあ。体育で器械体操をやったが、今時の器械体操の授業に驚いた。親の欲目か、息子がちょっとした技をきめたとき、大喜びしてしまった。他の子どもができたのを見ても素直に「すごいねえ~。」それに対して嬉しそうな顔。大したことないのか、余計なことをしているのか、先生からはほめることばがあまり出てこない。先生もっと喜怒哀楽があってもいいんじゃないの~。すっごい真面目な先生なんだよねえ。悪いことは悪いと教えてくれる。でも、ゆとりというかあそびというかちょっと足りない。ほめことばも機械的に聴こえてしまう。まあ特に問題があるわけではないので、どうのこうの言うことでもないし、どうやら親が感じている息子の評価と先生の評価というのも違うらしい。先生にとって自分は協力的な親とも言えない。だから授業を観たからって、先生に何かをいっていいものなのか分からない。「静」の授業…。やっぱりつまらないよなあ~。
2005.11.07
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教育委員会主催の山登りに参加した。低学年は保護者が引率しなければならないので、やむなく参加。息子より明らかに体力がないのだが…。いやーマジにきつかった。しかし、久々の達成感を味わった。登ってるときはきついけど、また登りたいなと思うのは不思議だよねえ。********最近、日記サボってます。記録には何となく残したいけど、ブログを続けるべきかちょっと悩んじゃってます。サボっている間に、いつの間にか2万アクセス突破してたなあ。
2005.11.06
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この間幼児の遊び教室なのに小学生の参加…について書いたんだけど、あの数日後、参加している小学生にバッタリ道であった。うつむき加減に一人で下校していた彼は、私の顔を見るなり、笑顔になって手を振ってきた。あの小学生たち、自分の居心地のいい居場所を探している子どもたちかもしれない。土曜の午前と言えば多くの小学生たちは習い事をしていたり、友達と遊びに行ったり、幼児の教室に好んではいかないだろう。息子も彼らと同じ学年だが、一緒に参加したいとは言わない。彼らにとってそこが心地よいのならそれはいいだろう…。と歓迎したいが、やっぱり体の大きさ、遊び方は幼児とは違うので考えちゃう。*************今、小学生が彼らの生活の大部分を占めている教室内で上手く自分の居場所を見つけるのは、大変なことだと思う。もちろん私たちの時代にもそれなりに試練はあったけど、今ほど価値観や誘惑が多様化していなかった気がする。+αで小さい頃から我慢したり、人付き合いの上手い方法を学んだりする機会も減っているように思う。打たれ強くないのに、過度の試練が降りかかる。真面目にやっているのに、そうでない子に巻き込まれる。「自活力」言いも悪いもきちんと判断して、流されない心。一人ひとりがしっかりしないとあっという間に崩れてしまう。我が子にもそれだけの力を蓄えてやることができるだろうか。
2005.10.28
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日記結構さぼってますなあ…。色々頭の中で今後のことについて空想が駆け巡っている。空想を空想で終わらせないために、具体的にしていかないとなあ。…ちょっとすごいこと考え始めて、一人わくわくニヤニヤしている今日この頃。(変なことじゃないよ)このひと時がたまらないのよねえ~。さて、これから親子レク。息子のクラスでアスレチックに行く。池に落ちないようにしないとなあ。
2005.10.28
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対象を3・4歳児に絞った遊び教室。年齢を絞ったのにはわけがある。今日は散策の予定だったのに、雨が降り出して、急遽新聞紙遊びになった。最近、徐々に小学生の兄弟を連れてくる親子が増えてきた。どうしても見る人がいないとか、手伝う気持ちできてくれる分にはかまわないが、自分が楽しむつもりで来ていたり、逆に同じ空間にいるのにつまらなそうにしていたり、3・4歳児と小学生では動き方が全然違う。はしゃいで走りはじめると、衝突して吹っ飛ばされてしまう。つまらなさそうにされると、雰囲気が悪くなってしまう。正直小学生にとっては物足りない内容なのは分かっているが、だからといって合わせるのも変である。時折、ここは3・4歳児の教室であり、できるだけ対象年齢以外の特に小学生の参加は考慮願うようにお便りに書いたり言ったりしている。…いまいち通じていない…というか悪いと言う気もなく、お兄ちゃん、お姉ちゃんも楽しみにしているんです…と言われてしまう。「そうですか~そりゃよかったあ。」(連れてこないでなんて面と向かって言えないよ察してくれ~)飲み物タイムは決めているので、小さい子達はGOサインが出るまで我慢している。なのに途中で小学生が勝手に飲んでいるのには驚いた。親が注意すべきでしょ~。こちらもその時々お約束を伝えるが、本当は無用の指示だ。あまり多いと活動が中断してしまう。上手に遊べている親子はその辺の境界線がきちんと守られていることが多い。兄弟がいても連れてこないし、ひとつひとつのお約束にちゃんと耳を傾けてくれる。***************やはり小学生の姉を連れてきている親子がいる。実は彼女は1年生から不登校。現在3年生。学校にはほとんど行かない中で、この幼児のための教室に来るだけでもすごいことなのかもしれない。なのに母からは全く離れず、楽しんでいると言う感じでもない。姉がこの調子なので、妹も同じように母から全く離れない。1年生の時点で相談を受けているので、私も対応がまずかったなあ~と責任も感じている。「行きたくない」と言われれば困ってそのまま休ませてしまう。はじめは息抜きだった外出が、平日でもいつでも出歩くようになってしまった。解決の糸口をつかむため病院や教育センターに相談に行ったりもしている。けど、正直母は子の言いなり。根本的な生活のリズムをつけるために、ここでも優柔不断ではいい方向には行かないような気がする。小さいうちに解決できたはずの問題をますますこじらせてしまったようで、何かこの先を見るのが恐ろしくなってしまう。もっとつらい結果になりませんように…と願いしかないのか。
2005.10.22
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もともと発音が気になるからと私と話すことになった親子。なるほど絵がないと何を言っているのか聴き取れない。さすが母にはわかるらしい。3歳児健診ではことばや発達の相談があったとき、できるだけ家で手軽にできる方法を伝えて、それでもやはりという親子を教室に誘う。この発音の原因は何かな…といろいろお伺いしていていたら、出てくる出てくるいろいろと…。どうやら落ち着きがなく、聴こうという気持ちもないらしい。面接中、渡したクレヨンで紙にお絵かきを始めた我が子に驚いていた。****************この頃同様な心配を抱えるお母さんたちと話していて、どうも根本的な価値観が違うのではないかと思うことが増えてきた。「座ってご飯が食べられないんですよ~。」…では座れるように何かしているのか。「おじいちゃんおばあちゃんが間食させちゃうんですよ~。」…ではあなたは?「全然言うこと聴いてくれなくて…。」…真剣に怒ってますか?「朝起きてくれないんです。」…起こしてますか?「ビデオばっかり見て、止めると怒ってしょうがないんです。」…そうしてしまったのは誰?ちなみに…以降は心の声である。子どもが思うように育たないことが、子どもや周りの人のせいになっていてそのくせ自分の生活は変えない。これ全部生活のお約束事と捉えられる。**************先日我が息子が悪さしたのでいくつか約束を交わした。一度約束をしたことは断固と姿勢で守らせてやる!と意地になっている。そのうちのひとつが早朝マラソン。自慢じゃないが私は朝が弱い。…といっているのはただの言い訳かもしれないが。しかし、一度約束したことはきちんと守り通して達成感を持って欲しい。こちらもしんどいけど付き合う。こちらも真剣なんだから、お前も真剣になれ!ことばでは言わないが伝わって欲しいものだ。…と思って頑張っている。今日からは旦那まで巻き沿いになっている。約束をしたことを守るって、したほうもさせたほうもしんどいものだと思う。約束が面倒だから、いいかあと境界線が甘くなったり、口約束で終わってしまったり、そんな子育て増えてませんか???と思うのは私だけ?
2005.10.21
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ことばの教室には外国からの移住者もちらほらいる。英語圏ならともかく、アジア圏で日本語も?だが英語はもっと??と言う方も多い。今日訪れた親子は母はタイ人と父はバングラディッシュ人。家庭での共通語は日本語。しかしこれがかなり怪しい。日常会話はなんとかこなすが、語彙数はかなり少ない。子どもと一緒に学習するが、親の知らない単語はやはり子も知らなかった。彼女たちはこれからも日本で暮らしていく意思がある。ならば、未就学の子どもはまず集団保育の場に入り、日本語環境におく必要性がある。お母さんもそれを望んでいたので、福祉課から教育委員会に連絡を取って、保健師さんたちが一生懸命今後の手続きのやり方を説明する。ひらがなも何とかなので、母も困っちゃうだろうな。子どもに話しかけるときいつもタイ語になる母を見て、保健師さんが盛んに「意識して日本語を話すように」言っていたが、日本語しかまともに話せない私からすると、それはすごいことである。これからここ日本に住む覚悟ならそんなのんきなことも言ってられないのか。母の兄弟は日本人と結婚していて、どうやらその家族を頼って日本で生活している。文字も言葉も風習も違い、しかも物価の高い日本にどうしてそんなに住みたいのか。それでも母国より住みやすい理由があるのだろうか。それともそうせざる得ない理由があるのか。英語が全く分からないところからも、高い水準の教育が受けられる環境ではなかったのだろうと思う。このお母さんも話してみるととても明るくて、いい感じの人である。幼稚園に願書が出せることを聞いて、安堵したのか表情が緩んだ。今度は子どもとともに母の日本語教室が必要になりそうである。何よりそれが子どもに一番いいようである。
2005.10.21
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教室で遊びが終わった後、子どもは自由遊び、親は勉強会…と言う時間がある。この勉強会は私が中心になって行わなければならない。息子のことがあって、本当に自信がなくなってしまった。「子どもの可能性を信じて…」なんてとても言えたもんじゃない。過保護、過干渉。これらは子どもの自立を大きく阻害する。これは分かる。では、逆。自立させるため、親は極力手を貸さない。これで子どもたちは自立するか…?答えは「ノー」である。「自分でやってごらんなさい。」「ほら、できるでしょ。」のことばかけは、やはり過干渉。何も言わないのは、放任。私はおそらく、その放任に近いことをしていたのだから。仕方がないから、事件の詳細は述べず、今回のことで自分が思ったことを素直に話すことにした。そしたらみんなとても真剣に聞いてくれた。小学生のことなのに、幼い我が子のことと置き換えて聞いてくれた。それで、またひとつ気付いた。お母さんたちは、先生に完璧は求めていない。完璧じゃ面白くない。失敗してこそ成功があることを知っているほうが、数倍も説得力がある。今の若いお母さんたちは、以前と比べて何か違う…。といろいろなところで耳にするけど、多分感覚的には私と近い。前回宿題にしたペープサートもほとんどの人が我が子のために作ってきてくれた。話せばわかるんだよ。段々親近感が沸いてきたもの。一生懸命聞いてくれたお母さんたちに私は救われた気がする。
2005.10.19
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家庭内でショッキングな事件が起きた。…といっても突発的に起きたわけではなく、ジワジワと起きていた。内容は親としても恥ずかしくて、書くのもためらってしまう。事件は兄の方が起こしていた。兄は弟と全く違って、物静かではあるが、自分のことは自分でして、小さい頃からそれ程世話の焼ける子ではなかった。お手伝いも嫌そうな顔を少ししても結局やってくれていた。土曜日に事件が発覚して以来、今までの行動を思い起こすと、そういえばおかしい…という場面が次々と思い当たる。彼は自分の机の上の整理整頓も言われなくてもしっかりやるので、本や鉛筆が分類されて、整然と並んでいる。集めているトレーディングカード類も何かの規則に従って束ねてある。我が家には子ども部屋がない。故意に作らなかったわけではなく、部屋の構造上作れない。せめて机だけが彼の好きなものを置く空間と言うことで、その部分にはあえて触らないようにしていた。彼も勝手に机を片付けることを嫌がっていた。私は彼を信頼していた。…と思っていた。後で思うと、ちゃんと見ていなかったのでは。これは信頼と言う蓑に隠れた、放任だったのではないか。彼の机の中には買ってあげた覚えのない、ゲームやおもちゃ類がたくさん隠されていたのだ。(ちなみに万引きではない)知らないうちに大量のゲームを制覇していた。それらの軍資金の出どころは、旦那に渡すお小遣いを入れる袋からだった。…そういえば旦那が最近使い込むの早いなあと思ってはいたけど。ゲームを大量にやることがどうなることか、常に彼には話していたつもりではあった。ある程度は節目に買ってあげていたが、言われるがまま欲しいままには買い与えなかった。ゲームをするときも見えるところで時間を決めてとルールも作ってきた。…そういえば最近漢字の覚えがやたらと悪い。お願いしたことが1回で聞けない。目がおかしい。トイレが長い…。等々いくらでも思い浮かぶ。勉強意欲がなくなったり、常にかったるい感じでいたのには気付いていたので、そちらのほうばかりに目をとらわれて、もっと深い部分を考えようとしていなかった。蓄積された量から相当長い月日が流れている。なんでこうなるまで気付かなかったか。悪いことをした彼を叱るよりも、気付かなかった私たちにほとほと情けなくなる。きっと彼は大丈夫と安心しすぎて、ちゃんと見てあげていなかったんだと思う。信頼する…ということばはカッコいいけど、放任と紙一重だなあ。だからって何でも干渉しろではなく、信頼して見守って、ちゃんと評価して…。彼はわかっていたんだと思う。私たちがちゃんと見ていなかったことを。子育て支援に関わる仕事をする私が、自分の子どもに対してこんなんでいいのか!一気に自信がなくなってしまった。漢字の苦手な彼のために、漢字カードを作った。その時初めて学校の教科書を見る。こんなことやっていたのか…。漢字に前向きではなかった彼が、そのカードを見てやりたがった。叱られた後なのに、一緒にできることを楽しんでいる。そういえば今までやらないことに腹を立て、思うようにやっていないことに憤りを感じた。自分でできるはずなのに、こちらの時間も割かなければいけないことも負担に感じていた。いつの間にか何かを見失っていたんだなあ。自分も楽しみながら、当分彼と真剣に向き合おうと思う。自分がいつまで続くか…実はそれが一番心配なんだけど。
2005.10.18
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この辺では信頼の厚い小児精神科医の研修会に行った。私が担当している子どもたちの多くもお世話になっている。私自身先生とお会いするのは1年以上ぶり。発達を見てくれる、見られる小児科医は県下でも数少なく、先生のところには新しい患者さんが次々訪れる。超の上に超がつくほど多忙な毎日を送っていることだろう。なぜ先生のところに県下から集まるかと言えば、先生は診察にたっぷり1時間はかける。子どもと遊んで、お母さんと日頃の様子を話して、こんなに丁寧に見てくれる小児科医なんてなかなかいない。ことばの教室から紹介した子どもが予約でいっぱいで診てもらえない…と言っていた。そのことを直接聞けた。診てもらえないわけではなく8ヶ月待ち。やっと病院に行く気になっても半年以上先の予約だと、気持ちにも変化が起きてしまう。実際にそんな例もたくさん見てきた。ある県の某有名病院では、3年待ち。3歳だった子は、就学を迎えてしまう。親にとっても療育に関わる者としても、病院と言うのはひとつの糸口を見つける上で非常に重要な場所だ。研修会の後の質問には、養育に対しての疑問、関わり方の疑問が多かった。もしかしたら、療育機関や保健センター等にちゃんとつながって、適切なアドバイスが受けられる、中間的な場所があれば解決しそうなことも多かった。親たちは常に疑問にぶつかって、誰かに聞きたくて仕方がないのだと思う。中間的な場所。私が保健センター事業としてやっていることばの教室はまさにそういう類のものであるが、絶対的に日数もやっているところも少ない。何といってもこの地域には療育センターとなの付くところがない。全くの発展途上地なのだろう。もっとそのような場所ができ、親たちも選択肢を持て、いつでも相談できるようになったら、先生ももっと楽になるのではないかと思った。現在はその部分も小児科医に求めてしまっている。…発達を診る。一長一短に身につく技術ではない。後半に後継者についての話が出たが、病院に行って診断をするという考え方が浸透してきたのも、ここ最近だそうだ。診断が全てではないが、その子に合わせてやり取りをすれば、伸びるというのが実証さてきたからだと思う。やっと芽が出てきたところなのかも。研修会に出て、益々中間的場所の存在の必要性を感じた。
2005.10.15
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子どもが障害を持っている…それだけであきらめていることって結構あるんだと、改めて感じるケースが続いた。一人は来年度就学。小学校に行きたいのか、養護学校がいいのか。普通クラスがいいのか、障害児クラスがいいのか。母も決めかねている…というかわからないという感じ。療育手帳ももらって、保育所で先生が一人付いているが、障害を持っていると言う意識はいまいちない。自閉症と言う診断もあわあわと受け止めている。障害児クラスの見学へようやく腰を上げ見に行ったが、クラスの子どもたちの様子を見ながら、「我が子はここに入るしかないのか…。」彼らと一緒に勉強することには抵抗を示している。かといって普通クラスでの勉強を強く望んでいるわけでもない。人に「障害児クラスがいいですよ。」と言われれば、「わかりました。」と障害児クラスに入り、「療育手帳を取った方がいいですよ。」と言われれば、「わかりました。」と取りに行く。どこか客観的。自閉症だから、どこをがんばろうと言う感じでもない。今まで「のれんに腕押し…」と言う感じであった。母は我が子に障害がある…といわれた時点で、魂が抜けてしまったのではないかと思う。どこかどうにもならない無力感に襲われたのではないか。ショックすぎて、霧の中を歩く状態になったのではないか。就学の話をしながら、障害児クラスに我が子を置くことにどこか納得いっていないように思われた。がんばって平静を保っているが、目には涙が浮かんでいる。彼はいわゆる重度の自閉症ではない。高機能に近い。しかし母があきらめてしまったことでできる能力が十分引き出されずにいる。障害児クラスか普通クラスか、白か黒か。通級というグレーがあることを彼女は考えたこともなかったようだ。いわれるがままではなく、要求していくことも可能だということを話した。しかし、これは子どもの今の姿をきちんと理解してこそなのかもしれない。********もう一人。ダウン症の彼女は再来年度就学。なのにまだ保育園にも幼稚園にも行っていない。教室に来て約半年。当初はことばもほとんどなく、未だ歩行も困難。しかし、この半年の成長は著しい。母も身体的にも知的にも遅れを持つ我が子の成長をあきらめていたのだと思う。教室に訪れるまでも、しばらく月日が必要であった。教室に来て、やればやるだけ伸びる我が子を見て、ようやく学習させることの大切さを実感したのだと思う。あと1年。保育所への就園を勧めた。母は「こんな子でも入れてくれるのでしょうか。」と戸惑った。「入れて欲しい」という前に「きっと入れない」と、決め込んで行動を起こさなかった。行動を起こす前にあきらめていること、まだまだあるように思える。彼女は人懐こい。刺激を受ければ受けるほど、めざましく伸びている。親があきらめてしまうことが、どんどん可能性を摘み取ってしまう。しかし、障害があってもあきらめなくていいことを、知らせることができなかった周りの人間も罪に思える。親が全て悪いんじゃない。幸いこの教室に来てくれたから、情報や方法を教えることができたが、このようにあきらめている人ってもっともっといっぱいいるような気がする。障害があるからできない、迷惑かけちゃいけない…と考えて、どうしたらよいか分からない人がいっぱいいるような気がする。
2005.10.14
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普段はとっても人懐っこくて、今日もことばの教室を楽しみにしているようで、午前中から教室の中を覗いていた。園庭で遊んでいても、私の姿を見ると手を振ってくれる。まあ集中しなくてはいけないときも、周りが気になってしまうのが彼の特徴である。課題をこなしているときも、すぐに話が脱線する。そのまま話に乗ってしまうと、とんでもないところに行ってしまうので、基本的には適当に受け流して、本線に誘導する。今日は気持ちだけでなく体も脱線する。母はどうも疲れきっているようだが、課題にまじめに取り組もうとしない彼を見ると、「ちゃんとやんなさい。」「どうしてできないの。」を連発する。そのことばに反応して、彼は益々脱線する。脱線する彼を本線に戻すコツは何よりも、否定的なことばかけは逆効果である。ちょっとでもできたところを見逃さず持ち上げながら、「おっちょっと乗ってきたな。」と感覚でつかみながら、やり取りを続ける。「よし、よし…」と思った途端、母の声が飛ぶ。一気に崩れる。「こ、こ、ここまできたのに~。」もう一人の先生によると私の顔が段々マジになってきていたようだ。子どもにイライラしたのではなく、母の声かけにイライラ…。「頼む、見守っていてくれ…。」またもや否定的なことばかけについに「大丈夫ですから。」とことばを遮ってしまった。母には悪気はない。ただせっかく課題をやってもらっているのに、まじめに取り組まないことに腹が立っているのだ。私に申し訳ないと思ってくださっているのだ。自分の経験からも、子どもに否定的なことばかけをしていいことはない。返って悪いと思われる行動を助長してしまう。それは分かっているけど、つい感情的になってしまう。人間だから、我が子だから当たり前だと思う。否定的なことばかけをしないが、脱線は許さない…これが難しい。私も心がけているが、子どもたちにはできるだけ誘導的な声かけや、「~できるかな?」という問いかけを心がけている。お気に入りのおもちゃを握り締めて片づけを拒む子には、「○○箱に入れられるの?すごいね~。」途端に得意気に箱にしまってくれたりする。集中力の続かない子や不適切な行動になりがちな子どもには、できるだけ短いスタンスでできたことを見つけて、評価するようにしている。養護学校にいたこともあり、きっと普通なら見逃しているだろうと思うことも、すごいと思える。小さなことでも見逃さないものの見方って、結構難しい。私だって「あ!見逃してた!!」ってことまだまだたくさんある。そして否定的なことばを勧誘や問いかけのことばに変える発想って、慣れみたいなところあるよなあ。彼の母も「できるかなあ~」と不安そうではあったが、そこは一踏ん張り、小さなところから始めて、ことばを置き換えるプロになってくれればいいなあ。そしたら、きっと子どもといい関係を作れるから…。
2005.10.12
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夏に対して秋の大祭。佐原には小野川を挟んで左右に夏と秋、2回祭りがある。昨年も秋は天候が思わしくなかったが、今年も怪しい天気の中の祭り。夏もいいが、秋も益々風情があっていい。私はじっくり山車を見て、佐原囃子を聴きたいのだが、子どもの目的は屋台に並ぶくじ引きやおもちゃ。どうも気が合わない。途中雨が本降りになってきたが、大きな山車に乗った人形にはそれぞれ雨よけのフードが付く。佐原の祭りには何度も足を運んでいるが、今回初めてカーブするT字路を中心に左右14台一同に並んだのを見た。各町の大きな山車がずらりと見渡す限り並ぶのは圧巻。カーブを曲がる順に、「さんぎり」の笛の音から拍子木、そしてカーブに差し掛かるまで「馬鹿囃子」…これは一丁笛で順番に引き継いで吹き続ける。カーブまでの距離が長ければ長いほど何人も交代で吹き続ける。カーブに差し掛かると笛の音が緩やかになって、大きな山車が一気に曲がる。上手く曲がれれば拍手…。いやあ~感動でした。大きなカーブはもう一ヶ所。そこでは「のの字回し」が行われる。これは以前見たことがあるが、そこには何時間も前から見物人が場所取りをして待っていた。本当は全部曲がるまで見ていたかったけど、子どもは許してくれなかった…。貴重だったのになあ…悔しいなあ。さあてこれでまた、笛の練習にも力が入りますなあ~。
2005.10.09
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前から考えているが、真剣に独立しようと思っている。とはいえ完全に保健センターの仕事は辞められないし、現金収入は貴重なので兼業独立。こんな田舎で果たして成り立つのかわからないが、自分の理想の教室作りをするなら今しかないと思っている。教室とはまあ発達支援のための個別指導ができる教室。我が家ではできないので場所を借りることも考えたが、教材の量が多い上、お母さんと話をしている間のおもちゃも運び込まなくてはならない。ついでに自分の…そう自分の城が欲しい。契約暮らしが長いと落ち着きたくなってくる。借りるか買うか。どうも買ってもそう高くないほど、田舎らしい。住めば都だ。何より近所がいい。…というわけで物件探し。何しろ今の家も実家の父の家なので、物件探しと言うのは初体験。なんかワクワクする。2階は子供用の実験室に…。いや閑静な書斎に…。どうも気持ちは違うところに行っちゃうなあ。まあ儲けはあまり考えていないし、本当に必要だと思ってくれる人だけが来てくれればいいので、商売としては成り立たないだろうが、それでも独立にはそれ相当のリスクも伴う。ちょっと気持ちが揺れているときに、久々に学生時代からの友人とメールで「議論」してしまった。時々思い出したように「議論」が始まる。実は近所だから直接話せばいいものを、メールで文章にすることで、結構本音が話せちゃったりする。メールなのでひとつ送れば返事は次の日。気の長い「議論」である。でも、その間に色々考えさせられる。あー私って実はこう思ってたんだとか、つまりこういうことなんだ…。何て気が付いたりする。「議論」できるって、大人になってからなかなかない。学生時代からのノリなので、段々熱くなってくる。今回は子育て感とか障害児・者の自立についてかなあ。まあよくそれるので。そういえば職場で「議論」することなくなったなあ。人の話をフンフンと聞いているだけか、あるいは一方的に話しているか。たまにはあるけど、ぶつかり合うほどではない。人を育てる仕事って、ぶつかり合う相手がいて、ぶつかり合うことで前進することってあるんだよね。淡々とそれぞれが仕事をこなしていたんじゃおもしろくないよ。遠慮のない友達なので時々「カチン」とくるけど、それはそれ、こんな相手がいて良かったなあ…。なんて冷静になっちゃったのは、年月のせいかしら。
2005.10.08
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半期に一度の切り替えと言うことで、新入生がたくさん入ってきた。1歳半健診からつながることが多いこの教室は、実は待機者がたくさんいる。今回の新入生はそんな待機者がこぞって入ってきた。今月の健診で誘った人たちは、また次回まで待機というのだから、まあ繁盛してますなあ。療育や親の関り方を勉強する教室であるから、そんなに人が多くて喜べるものではない。前から多いのか、最近増えたのか…。最近は母から育児にイライラするという訴えが増えてきたそうだ。私も健診に関っているところでは確実に語彙数が減っている。多動や落ち着きがないという訴えも増えている。目が合わなかったり、関ろうとするとすり抜けてしまったり…というのも増えている。子どもは減っているのに…。実際に増えたのか、見る側の目が肥えたのか。本当に障害があるのか、育児環境の問題なのか。団塊の世代。今、小さな子どもを育てる親のそのまた親は、この団塊の世代である。男女平等に社会進出。高度成長期。核家族化。元々関りにくい子どもたちなのに、親が子どもをうっとおしいと感じていたり、子育てに向いていないと感じたり、自分の自由な時間をものすごく求めていることが多い。たまたまこの教室だからそのような人も多いのかもしれないが。子どもの問題以前に親が親になれるように援助しなければならない。親なんてはじめから親じゃないんだから、子どもと一緒に親らしくなればいい。でも、基本は我が子をかわいいと思っていてこそである。団塊世代の子ども…。私はちょっと外れているけど、例外ではないなあ。確かに子育ても大事だけど、自由な時間や自己実現、社会的に認められることに魅力を感じる。子育てしながら働くことも悪いことだとは思わない。ただ大事な時期働き方をセーブすることは大切だと思う。だってもったいないじゃないの、かわいい時期子どもをながめていられないのは。結婚したらマニュアル的に子どもを作る。作るつもりじゃなかったけどできてしまったから産む。欲しくないのにいつの間にか親をやらされていることが、やはり子どもに悲劇を生む。やはり子どもは望まれて生まれてこそ幸せだなあ…と思う。それは障害あるなし関らずである。母が仕事をしていようがいまいがである。
2005.10.05
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4月にことばの教室を自主的に卒業していた子が、また復活する運びとなった。決して後ろ向きなお母さんではなく、むしろ前向き。子どものことも一生懸命受け止めて、遊び教室にいた頃から、人一倍がんばっていた。その成果があって、幼稚園でもほぼ支障なく過ごせるようになっていた。彼女は自閉の診断を受けている。やはり経験したことや毎日の生活には支障がなくとも、少し複雑なルールや問いかけには応じることが難しくなる。もうすぐ小学生。今できることをやって、うまく小学校につなぎたい。この子だけではないが、比較的高機能な自閉症であったり、ADHDであったり、一見何も変わらないように見えるから、ご両親もできればこのまま…と思う。しかし、持てる力を十分に発揮するために、ちょっとした配慮を大人がしようと思うか否かで、その子の理解度は全く変わる。親には「特別扱い」して欲しくない。という強い思いがある。「特別」ではなく「ちょっとした」…なのだが、これは白黒で言えばはっきりと「黒」なのである。黙っていれば就学指導委員会を難なく通過するはずなのに、先に相談したがため「色眼鏡」で見られるのではないかという心配もある。学校側も落ち着きがない子や配慮を必要としている子が増えている中、前もってそのような子どもだと分かれば、対策を講じようとする。実は保健センターに声をかけられながら、その後一度も訪れなかったり、親の捉え方で全く気にしなかったりして、難なく就学してしまう例なんていくらでもある。実はそのような子どもたちは後にどこかで生活に支障をきたすことになる可能性は大なのだが…。つまり、真剣な親の方が遊び教室やことばの教室に訪れるのであって、がんばった上に学校にわざわざ相談して「先入観」を持たれるのは、なんとも腑に落ちない話なのである。教室に来るお母さんから、よく自分の子どもではなく、よその子どもに気になる子がいる…。と教えてくれることがある。彼女たちは遊び教室で色々な子どもたちを目にし、ことばの教室でも関り方やそのなぜを学ぶ。だから、下手な専門家より目が肥えているといってよい。復活した彼女も小学校との連携はまだ考えていない。どんなに子どものことを認めてがんばっているように見えても、最終的に「治る」という希望も捨ててはいない。「治る」のではなく「習得していく」。根本的に自閉症は「治らない」。子どもができるようになると信じてがんばってこそ成果が上がる。「治らない」と言って突き落とすことに何の意味があるのか?とにかくやる気になったのだから、その気持ちを大事にしていこうと思う。
2005.10.04
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雲ひとつない青空。まさに絶好の運動会日和。息子とともに今年度も役員のため早朝から準備に参加した。今年は長男にとって小学校最後の運動会。実は昨年度、彼の学年最初のプログラム100m走でじん帯を損傷。病院行きとなってしまった。なんとか閉会式には間に合い、係となっていた得点発表はやり遂げたものの、松葉杖をついての痛々しい姿になってしまった。なにより残念だったのは「ソーラン節」の踊りを見ることができなかったこと。全校生徒100人に満たないこの小さな学校では、遊戯は大まかに低学年、高学年に分かれる。高学年は毎年「ソーラン節」披露して、最高学年も一緒にやっているので、ほぼ確実に「アンコール」の声がかかる。だから、昨年度は2回息子のいない「ソーラン節」を見ることとなってしまった。何とも悔しかったが、一番悔しかったのは本人であろう。長男は運動は決して得意ではない方だろう。走っても、あまり上位は望めず、敢闘賞コレクターとなっている。1~3位はちゃんと数字の付いたシールをもらえるが、それ以降はみんな敢闘賞である。次男はいつも一等ねらい。敢闘賞を取ると悔しくて、そのシールを捨ててしまった。兄弟で随分違うものだ。とにかく今年は「ソーラン節」を2回見ることができた。何よりもそれが嬉しかった。けがなく参加できることが一番嬉しい。その後に上位入賞という副産物が付いてくるが、すべては参加できなくては付いてこない。「ソーラン節」をかっこよく踊る我が子に、涙がじわり…。思えば運動会前に骨折したり、当日熱を出したり、何かと毎年忙しい。何事もなく本当に良かった。***************************運動会の後、はじめて教職員とPTAの反省会というものに出てみた。正直あれほど明るい飲み会もなかなかないだろう。にぎやかと言うべきか、遠慮がないというべきか…。これがこの小学校のもつパワーなんだねきっと。田舎の小さな学校だけど、ここの学校でよかったなあ…としみじみ思った。
2005.10.01
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子どもの発達や成長って親の心理状態も環境のひとつとして大きく影響する。子どもだけを見て、発達が遅れているとか、ことばが少ないとか、気が付いて、そのことについての関り方ややり方を説明しても、親が子どもを育てるために適度に安定した心理状態でなければ、どんないいアドバイスも入らない。ましてやそのような場合、人間関係も十分にできていない、会って間もない人に言われたら、その人がどんなに優秀な専門家だろうが、聴きたいという気持ちにはならないだろう。今日のケースは1回の心理相談ではいけないのでは…と思えた。ゆっくり徐々に人間関係を作って、お母さんの心に厚く張った氷を溶かしていかなければならない。遊び教室でもせいぜい月2回。ことばの教室で2ヶ月に1回。心理なんか年間6回程度。それも毎回話す人は違う。既に面識があったり、他の教室でつながりがあったりする場合は、個人的にゆっくり話せる場としてよい。また、逆に心理相談から他の教室につながるのなら、そこでゆっくり人間関係を築けるのでそれでもよい。とにかく1回きりは難しい。電話相談のように顔が見えなかったり、24時間いつでも対応…みたいな、本当に助けを求めているとき、必要な援助だけをダイレクトに求められる方が、1回としては適しているように思う。大体年何回、都合をつけて、予約を取って相談…。予約を取ったときに本当に困っているのに、時が経つと、困っていることが解決していたり、違うことに困っていたり…なんかタイミングを逃したような感じにいつも襲われる。今日会った親子も遊びの教室に来て欲しい。もうちょっとつながりたい。時間をかけて知りたいし伝えたい。
2005.09.29
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検査の事後面談や新規の相談…本日はいつも以上に働いた気がする。こちらの教室も合併とともになくなる。もう解禁令が出たので、徐々にお母さんたちに知らせて、今後について一緒に考えなければならない。いくら新しい教室に引き継げるといっても、私のケースであるうちになんとか成果をあげたいと思ってしまう。ついつい話も長くなってしまう。受け入れ先も、今でもたくさんのケースを抱えているのに、更に増えることを余儀なくされるのだから、あまり歓迎とはいかないと思う。教室が継続されていれば、おそらく小学校に入学するまでお付き合いするだろうケースも、この機会に修了という場合も少なくない。今日も一人修了…と思ったが、やっぱりできなかった。あせっていいことないよなあ。後5ヶ月…ため息が出てくる。
2005.09.28
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今年度合併とともに消え行く発達支援・育児支援の教室。今更ながらの大盛況。私が担当してからほぼ最高に近い14組の親子が集まった。この小さな町にすればものすごいことである。ほとんどの親子が健診で声をかけたり、ことばの教室や心理相談で声をかけているので、抵抗があっても不思議はない。なのにこれだけ集まってくれるということは、魅力を感じてのことだと思う。最後の卒業式は寂しいよりにぎやかなほうがいいもんね。合併のこともあって、プラス諸事情がありまして、心理相談も最近急増。教室が始まる前と終わってからも相談が入っていた。話を聞くのも、するのもすごく集中力がいるので、終わった後はしばし魂が抜けてしまった。話を聞くときは、基本的に話している人の目を見る。「あなたの話に興味があるのよ。」という意思を無言で伝える必要がある。子どもが自由遊びをしている間スタッフが相手をして、お母さんたちと話す時間がある。この教室のお母さんたちは、結構いい人間関係ができてきたようで、その分雑談も増えてきた。14人いると、自己紹介だけでも、割と真剣に聞くのに集中力がいる。最近授業参観でも、授業そっちのけで、後ろで母たちの雑談がうるさいとよく耳にする。確かに…こういうところでもその傾向が垣間見られる。私は場慣れをしているので、「聴いてちょうだい。」光線を無言で送ることができるが、普段人前で話しなれていないお母さんが自己紹介するだけでも、どんなに勇気のいることか!それを聴いてもらえないというのは、大変なショックであり、自信喪失である。こどもの教室でいながら、ここはやはりお母さんの教室なのである。人の話を聴く習慣をまず大人がつけなければ、子どもにそれを求めるのは難しいのではないかと思う。「集中して聴こうね。」ちょっとしたことばかけでも、人間関係ができてきているので、すぐに雰囲気が変わった。さすが!あ~こんなにいい教室に成長しているのに、合併め~!やっぱりうらめしくなっちゃうよね。
2005.09.27
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世の中、運動会真っ盛りのこの時期、その合間をぬっての柔道合宿。しかも3連休使ってのみっちり2泊3日。パワフルと言うべきか、無謀と言うべきか…。貴重な休みを子どもたちの練習に費やしてくださる先生方には非常に感謝すべきではあるが、そのために3食の世話をしなければならないので、お母さんたちも一致団結しなければならない。1回のイベントならともかく、7回分の食事はまさに7回分のイベントに匹敵。常に60~70名は練習生がいるけど、お母さんたちがずっといられるわけではないから、都合をつけながらシフトを組む。今年度は役員なので、計画・準備・メニュー・調理の段取り等々…。やっぱり大勢で動くときは段取りが大切になってくる。今までの合宿の手伝い以上に疲れた~。その上、下の息子が熱を出し、合宿不参加。家と道場を行ったり来たり、旦那は部活で留守。夜は大人たちの交流も兼ね、毎晩、晩酌会…があったのだが、今回は気絶してしまった。最終日の今日は、午前でシフト終了予定だったのに、そうもいかず、結局5時半ごろまで。もうマジくたくた~。連日早朝4時半からで、自分でも「あ~よくがんばりました~。」って感じ。息子もよくやったよ。やっと終わった~と思って帰ってみると、台風で部活がなくなり、1日中家にいた旦那は、合宿で作って持ち帰った食材にも手も付けず、昨日配達された牛乳も回収せず、洗濯物もそのまま…。…キレましたよ~。そしたら旦那まで怒り出しちゃって…。ちくしょう頭にくるの通り越して泣けてくるよね…。あなたの息子のためにがんばってきたのよ!合宿にだって1回くらい顔出せよなあ…。なんか自分も疲れすぎて不安定だったんだろうな、本当に涙でてきましたよ…。そしたら病気の息子も布団の中でシクシク泣いてるの…。親が泣くと子どもも悲しくなっちゃうんだなあ。不安にさせてごめんね。しばらくふて寝を決め込んでいたら、夕飯から洗濯から明日の米とぎまで全部テキパキとやってくれていた。できるんじゃないの。これで来週、再来週は運動会だよ…。さて、とりあえず日常に戻りましょう。
2005.09.25
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遊び教室で歌を歌いながら動いていると、どうしても体力の衰えを感じる。先日久々体重計に乗り、今までの最高記録に達したのを機に、毎日歩こう!と決意した。夕方だと夕飯の支度や習い事があるので、なかなか時間がとれず続かない。なので朝早く起きて歩こうと決めた。正直朝はめちゃめちゃ弱い。旦那も子どもも6時半ごろ家を出るので、それまでを逆算すると、5時過ぎに出なくては…。何よりも気持ち次第。なんと今日で3日目。今日でやめたら本当に3日坊主^^;ここは田舎なので朝は早い。5時半ごろでもたくさんの人が歩いている。初日に近所のおばさんに会ったら、「雨振るから、やめろや~」なんて冗談を言われてしまった。今日会って、「3日続いたよ~」といったら、「雨降んないよ~」と言われた。「やっぱり。」と言われないようにしないとねえ。息子たちも虫探し目当てで、毎日起こして~なんていってるけど、ふんずけても、揺すっても起きやしない。目をつぶったまま「いってらっしゃ~い」だって。う~ん、3日前までの私の姿だ。ふとおかしくなってしまった。
2005.09.22
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公民館主催の遊び教室に呼ばれて行った。ここの公民館初めての試みだそうだ。新しいきれいな集会所。近隣は新しい住宅が立ち並ぶ。この市の社会福祉協議会は子育て支援にも力を入れて、このような遊びの場を支援しているようだ。初めての試みと言うことで、どのくらいの年齢の子がどのくらいの人数集まるのかまるで分からなかった。内容も現場に行ってから考えるという…我ながら度胸のいるお仕事じゃないの。それでも、就園前の2~3歳児…しかも15組くらいかなあ…なんて言われていたので、それなりの心積もりで臨んだ。子ども集めも保健推進委員の皆さんが、子どものいる家庭を一軒一軒回ってお知らせを配ったんだって。みんなで子育てを支援しようという姿勢がものすごく伝わる。さてさて、開けてみて本当にびっくり。集会場の一室がムンムンしている。なんと45組+兄弟がいたんだって。しかも首も据わらない小粒を筆頭に0~4歳と多彩な顔ぶれ。つまり、これだけニーズがあるってことなんだね。小さい子を抱えたお母さんたちは、交流の場や気晴らしの場を求めているんだなあと思う。特に新興住宅地や大きな都市ほどそうなんじゃないかなあ。しばし、遊びの流れを組みかえるのに、頭がフル回転してしまった。こんな場合でも場数だけは踏んでいるので、それだけは動じなくなってきた。ありがたやありがたや。皆様の笑顔と、最後の大風呂敷が上がったときの歓声に感激だった。ちょっとは交流と気晴らしに一役買えたかなあ。次回は2月…もっと頻繁にそしてずっと続くことを期待する。
2005.09.20
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とっても久しぶりの日記更新。プロバイダーを交換してたら、インターネットにつながらなくなってしまった。PCに頼らない生活と言うのもたまにはいいもので、おかげでゆっくり本を読むことができた。教室に養護学校のときからよく知っている子が来る予定だった。その子は直接担任していたわけではなかったが、クラブ活動等が一緒でよく知っていた。養護学校ではちょっと見かけないタイプの子だったが、高等部3年生であと卒業までわずか1,2ヶ月と言うところで、結婚するからといって、退学してしまった。その後文化祭等で見かけることがあったが、会うたびに子どもがひとりずつ増えていく。その後離婚。今は3児の母となっている。いずれも年子。その子たちがいろいろ気になるということで、教室に訪れる予定だった。予定だった・・・と言うのは、結局来なかった。一見何で養護学校に通っていたのかも分からないような子だったが、いつも男の子の話題が多く、かなりの関心を示していた。離婚しても働くわけではなく、実家で養ってもらっている。実家もちょっと疑問に持ってしまうような生活状態。離婚したはずの旦那が入り浸っていたり、その他にも同居人がいたり・・・。子どもを連れた彼女に再会したときは、乳母車に下の子を乗せ、上の子と寄り添って歩き、「あ~立派にママしてるんだなあ・・・」と感心していた。「今度健診で会おうね~」なんて声をかけていた。しかし、子どもが次々に生まれているのは、幸せな家族の姿ではなかった。単に家族計画ができず、経済的なことや養育のことまで考えが及ばないまま、やることだけやっての結果だったのだ。避妊を勧めても応じないそうだ。結果本当に次々・・・3人の子どもは運よくこの世に生を受けたが、その後そうなることさえできなかった子もいるのだ。養育過程でも色々なことがあり、言語環境が整っていないと言うこともあるのだろうが、教室に誘っている。子どもを作る作らない、産む産まないはもちろん家庭の問題であり、本人たちが決める問題である。しかし、産んでから親として生活の保障や環境を整える義務がある。それができないとわかっている状況であっても、強制的に避妊させることは人権問題である。しかしこのままでは彼女自身もボロボロになってしまう。私たちにできること。それは生を受けた子どもができるだけ力を発揮できるように、サポートしてあげることだけなのかなあ。母親を知っているだけに、いたたまれない気持ちである。
2005.09.16
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行政がくるくる変わったり、人員削減が行われる中、少ない人数で多くの業務をこなさなければいけない、保健師さんたちは大変なのだろう・・・。今回から今まで2時間たっぷりかけていた、教室のカンファレンスがたった30分になってしまった。しかも、教室後母の相談に乗っていた私は、正味10分・・・。あんまりだよ~。いくら雇われの身としても、これはいただけない。教室では設定遊びの後、おやつ~自由遊びと流れ、自由遊びの間に「母親教室」が行われる。今まで母親教室では栄養士さんことばの教室の先生、保健師さん等々テーマ別で交代で話をしていた。私は遊びを回すのが中心で話の役割からは外れていた。・・・というか大勢の前で話すのはあまり得意じゃない。遊びはくるくると勝手にことばが出てくるのに、いざ話してくださいと言われると頭が真っ白になって、吃ってしまう。なのに朝いきなり、「今日から前に出て話してください。」とご指名・・・。仕事ですから・・・と思いながら、頭はそのことでいっぱいになっちゃったじゃないの。今日は「教室の持つ役割」みたいのを話したんだけど、思いがけず、みんな一生懸命聴いてくれた。意見を求めるとき、マイクを向けてもちゃんと発言してくれた。人のこといえないよね。私も自信持たなきゃ・・・。自分の思いを話すとなんか教室の雰囲気が変わったように見えるのは私だけか?話し合うってことすごく大事だと思う。初母親教室の反応も聞きたかったのに、30分じゃどうにもならない。大きな集団ほど、話すことでお互いを知り合ったり、子どもについての共通理解をするために時間を割くべきだと思う。大きな自治体ほど縦割りだと聴くが、ここはすっごく大きいというほどでもないのに・・・。これが役所と言うものなのか。このままじゃちょっと寂しいな~。
2005.09.07
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久々の遊び教室。新メンバーも3組加わり、手をつないで丸くなったら部屋いっぱいになった。今日は雨。この辺では稲刈りや芋の収穫に追われる時期だ。雨と言うことで、久しぶりに作業を休んで来てくれた親子や、本当だったら稲刈りだけど、参加してくれたお父さんもいた。こんなににぎやかになったのも久しぶり。あと半年で合併。吸収合併ということで、私が関っている教室はみんな新しい自治体に移行される。・・・新自治体の方が見学と引継ぎに訪れた。いよいよ現実的になってきた。こんなににぎわっているのになあ~。新自治体にも遊び教室はある。しかし、大きな自治体なので「育児支援」と「発達支援」とどちらかの教室に分けられる。人数が多いことや、様々な課題を考慮してこのような形にしたのだろう。従って、継続する場合の振り分けが要求される。振り分けって難しい・・・。振り分けること自体いいのか分からない。今、遊び教室やことばの教室で何度も関った子どもたちだからこそ、どちらがいいかたくさんの情報や観察したことから考えられるが、入る前にどちらにするか考えること自体すごいと思う。子どもには先天的に発達の遅れがなくとも、育児環境により、ことばが遅れたり、ADHDに似た行動が見られたり、自閉的な様子が見られたり・・・ということは大いに考えられる。しかし「郷に入れば郷に従う」他ない。今更ながら、えらいことになっちゃったなあ~。どうしてくれるんだい!
2005.09.06
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夜の高速を飛ばして行った。池袋サンシャイン劇場。正確には首都高がめちゃめちゃ混んでいたので飛ばせなかったが。「スケッチブックボイジャー」は再々演なのだが、今回初めて観る。ダブルキャスト「ジェミニ」と「アポロ」のうち、「ジェミニ」を観た。何が何でも西川さんと大森さんのコンビが観たかったんだ~。やっぱ元祖って感じであのテンポにあの間や空気。懐かしい感じがしながら、以前より数段も精錬された感じ。とにかく全編アップテンポ。まさにジェットコースター演劇。真柴さんの夕顔も王女といいつつしっかりおばさん臭くて(ごめんなさい)味があって良かったなあ~。最近時代劇や心に訴えかける作品が多い中で、「これこれこれがキャラメルよ~」と思える作品。何か懐かしい感じがしたのはそのせいだったんだね。・・・とパンフの加藤さんの文章を読んで「なるほど~」と思った。大人から子どもまで・・・まさしく息子も前回からすっかりはまっている。2時間しっかり観ていたのもその証拠。この演劇を観ちゃったら、他のを観たとき物足りなく感じちゃうかも・・・。
2005.08.31
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毎年わんぱくキッズでは夏休みに夜のプログラムを組んでいる。今までキャンプは勿論、ナイトハイク、ファイヤー、肝試し、花火大会・・・。今年度で主催者を降りてしまった私にとっては、全体に気を回す必要も半減し、純粋に参加者の気持ちだったので気楽なもんだった。夕方から雨の予報だったということにも全く無頓着に臨んだ。ただ、プレーパーク内は基地作りや穴掘りの成果がここかしこに見られ、昼間でさえ穴にはまることもある。ましてや夜の暗闇の中ではどうなることか、心配だった。今年度から特に中心となったプログラムは組まず、フリープレーパークで企画ものでも、参加したい人は参加する・・・とあくまでも自由意志によるものだ。昼間ならいざ知らず、視界が限られた夜にそれがどれほど通用するのか、半信半疑ではあった。しかし子どもたちは昼夜関係なく、行動範囲が変わらないところがすごい。小さい子の参加も多いので親の目もある。さすがに真っ暗になってくると、明かりの元での活動が目立ってきた。今回は肝試しと花火が企画されていた。やっぱり、中心プログラムがあるとそれに頼りたくなってしまうのが、大人というものか・・・。しかしはじめは手持ちぶたさだった子も、時間を追うごとに何かしら楽しみを見つけて、友達と関っているから不思議だ。大きなかぼちゃをくり抜いて作ったランタンでいたずらをしている子。木っ端で船を作って、基地におかれたバスタブに溜まった水に浮かべて競争する子。廃車で作った基地の屋根に上って寝転がる子。夜のパークをひたすら走って、穴にはまって喜んでいる子。・・・2時間半の予定を大幅にオーバーしてもほとんどの子が帰らずに遊んでいた。暗くなってから、友達と遊ぶなんて小学生にとってはやっぱりミステリアスな体験なんだろうな。かく言う私も我が子たちもすっかり楽しんじゃったけどね。片付けだけ一通りやったけど、昨年度まで企画から一緒にやっていた友だちに何か「悪いなあ」という気持ちと、今年度も続けていることに「がんばっているなあ」と言う気持ちと・・・。でも、「参加者はおかげさまで楽しんでるよ」という気持ちは、昨年度まで味わえない気持ちだったので、伝えたいなあと思った。
2005.08.28
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台風上陸。まさに今日の会場はその台風に突っ込んでいく。途中は1級河川と小さな河川に挟まれた道路をひた走ることになる。ちょっと大雨が降っただけで、道路すれすれの湖のようになってしまう。この道を通らないと倍の時間がかかってしまう。「あ~まじで行くんですかあ。」とどうも乗り気になれないうちにもう家を出なければならないギリギリの時間になってしまった。「よし覚悟を決めるか。」そこへ保健センターからの電話。結局午前は日程調整をして中止。午後からのみ実施になった。小さい子どもが通ってくるのだから、この判断は正しいと思う。「あ~助かった~。」なんて思っていたが、普通市役所でもお店でも、どんな天気だって災害だって、休めない仕事っていっぱいあるんだよね。台風が来ていたのだから、みんな保育所などお休みしたのかな?と思いきや、ほとんどの家庭が「行って来ました。」の返事。保育所もまた天気に左右されている場合ではないお仕事である。つい台風が来たり、大雪が降ったりすると、子どものように休みたくなってしまうが、そうは行かないのよねえ。自分は甘いなあ~なんて思っちゃった。*************今日はお医者さんの卵が研修に来ていた。ここの教室、看護婦さんの卵や保健師の卵、いろんな人が研修に来るんだ。去年来たお医者さんの卵は、見事国家試験をパスし、今年小児科医になったんだって。小児科医が減っていたり、発達を見ることができる先生が少ないと言われている中で、ことばの教室に興味を持って研修した先生が小児科医になってくれると、すごく嬉しい。言語聴覚士も同様。小児を見られる人が少ない。いつもお世話になっている大きな病院も最近お辞めになった言語聴覚士さんの後を探して、再開のめどが立っていない。こんなに求めている人が多いのにな。ことばの教室でも遊び教室でもどんどん覗きに来て、もっともっとこどもに近づいて欲しいなと思う。
2005.08.26
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ちょっと感動&がんばろうと思ったできごと。お母さんには何度か会っていたが、子供をつれて教室に来たのは初めて。今日はなんとお父さんも一緒。お父さんの手にはビデオカメラが・・・。私たちとのやり取りをビデオに収めて実践しようと言う心意気だ。・・・とは言え、本日初回なので、今後のプログラムを立てるためのお話と子どもの様子を捉えるくらいなのでそんなにガンガンできるわけではない。ついでに年齢も3歳に達していないと言うことで、課題らしいものはあっという間に終わってしまった。小さい頃から病気をしたり、アレルギーを持っていたり、さらにお母さんも持病があるということで、気が抜けない子育てを経験してきた。今まではそれだけに一生懸命だったのに、ふと2歳過ぎから動きやことばも気になりだした。気に出したら止まらない。ことばの教室にくるよりも早く、発達を見る小児科に予約を取り、受診までした。お母さんは空回りするくらい、とにかく一生懸命。結果が出ないと落ち込み、心配が出てくれば、どこかにすぐにでも相談に駆け込みたい。・・・考えてみればみんなそうだよね。ここの教室はせいぜい早くて1ヶ月に1回しか入れてあげられない。だからその時うまく持ち直しても、あとの30日あまりは不安で仕方がない。そんな時いつでも相談できる場所を求めたくて、色々な場所を求めようとするのも当然である。「ここも行ってみようか悩んでるんです・・・。」お母さんはある相談機関の冊子を見せてくれた。私もよく知っているところ。「ここならよく話を聞いてくれますよ。」お母さんが前向きに考えているものは反対しない。ドクターショッピング・・・と言う言葉があるが、病気について納得がいくまで、自分に沿う病院を巡ることがある。療育機関もある程度選択肢があると、どこが一番いいのか、いろいろなところに顔を出す。これはある意味安心を求めていることだが、それぞれの微妙に違うアドバイスに翻弄されることになりかねない。今までここもあそこもといろんなところに通い、子どもがまるでアイドル並みのスケジュールになっていることケースを見る。毎日日替わりで行く場所が違うとなれば、自閉症の子どもなどにとっては、一番つらいことになってしまう。教室が終了して、夕方もう一度そのお母さんが現れた。「あれから主人と話し合ったんですが・・・保育所とこの教室に絞ってがんばってみようと思います。」「えっ!それをわざわざ言いにきてくれたんですか。」これは私たちを信頼してくれた一言だよね。責任の重さを感じると同時によ~しがんばるぞ!と思える一言だった。この子はきっと伸ばして見せるよ!「一緒にがんばりましょう!」本当に一緒にやろうね。
2005.08.24
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遊び教室では夏に水遊びを企画することが多い。3回目・・・といっても1回は台風で中止になってしまったが。夏休みと言うこともあり、家庭のお出かけ等で欠席の連絡もちらほら。今日は少ないなあなんて覚悟はしていたものの、時間になっても一組も現れない。うひょーっ今日はまさかの開店休業か?すいかわりのために買ったすいか2個をどうしてくれよう!!なんて思っていたら、徐々に現れ始めた。やばい・・・開始時間が完璧にずれてきている。どこの教室でもそうだが、小さい子どもを連れて出てくるのが大変と言うこともあるのだろう。油断していると、どんどん時間が遅い傾向になってくる。かといって1、2組しか来ていないのにはじめるわけにもいかないしね。*****************結局、いつもよりちょっと少ないくらいで開店することができた。私の遊び教室の水遊びはちょっと違うんだ。水遊び=プールと思ってその気満々できた子もいたけど、プールだけって結局水遊びをしているこどもを囲んで親は傍観者になっちゃうでしょ。だから、プールは使わない。持ち物に、お金をかけないで空き容器の水鉄砲を用意してもらう。準備するものは蛇口とホースと新聞紙にブルーシート・・・そして水を汲んだたらいやバケツ。ホース一本で水のトンネルを作ったり、雨を降らせたり、水鉄砲にしたり、いろんなことができる。これを導入に使うと、水に慣れて、できるだけ濡れずに…なんて考えていたお母さんもあきらめがつく。ブルーシートの上にこどもが乗って、周りをお母さんたちに持ってもらえば、簡易プールの出来上がり!片方ずつをみんなで勢いよく持ち上げれば、さざなみが起きてこどもたちは大喜び。水をまいたブルーシートは滑りもよく、ビニール袋を敷いてその上に座り引っ張れば、スライダー。とにかくプールがなくてもブルーシートさえあれば七変化できる。すいかわりはすぐに割れちゃうかなあ~なんて思いながら、頑丈な麺棒を用意したが、なかなか割れず、30分も楽しめてしまった。意外な子が目隠しを嫌がり、意外な子が堂々とすいかわりを楽しんでいたなあ。発見発見。絶好のプール日和で、ちょっと止まると、あっという間に水着も乾いてしまう。甘いスイカは本当にのどの渇きを癒してくれて、おいしかった~。着替えを持たずに来た無謀なお母さんたちも、そこは小さな町内。覚悟を決めて、しっとり濡れたそのままで帰っていった。大人同士、真剣に水鉄砲で戦ったのが何よりも楽しかった!
2005.08.20
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この地域は土地柄もあってか外国人の住人が多い。国籍は様々・・・とはいえアジア近隣が多い。フィリピン・タイ・モンゴル・中国などなど日本は確実に国際化しているように思う。ことばの教室にも何組か訪れている。みんな日本語が達者なら問題ないが、そうは行かないので説明に苦労する。昨年来ていた、フィリピンの親子には友人に訳してもらった英語で何とかコミュニケーションをとった。子どもは明らかに自閉症の傾向を持っていたが、それを分かってもらうために何度も説明しても、結局子育て観がかみ合わず、分かってもらえぬまま引っ越していった。本日はタイ人親子。片言の日本語は分かるが細かい部分は分からない。両親ともタイ人ではあるが、これからも日本で暮らす意思がある。彼らは外国語が母国語なのだから、その子どもは日本語が苦手なのは当然と言えば当然である。ことばの教室でこのような子どもたちを受け入れることが妥当なのか分からない。でも語彙数が明らかに少ないとか、対人関係に問題があるとかとなれば、同じ社会に生活するものとして、受け入れるべきであると思う。教室には弟が利用しているが、彼には兄がいる。兄は来年度近くの小学校に入学する。しかし、それまで保育所にも幼稚園にも行かず家で過ごす。家で過ごしている割には、日本語の発音はきれいであるが、長い文が怪しい。集団を経験していないので、協調性を持ったあそび方がどうも苦手である。兄弟でもすぐに暴言やいさかいが起きていた。彼の日本語はたどたどしい両親の日本語と、テレビで育てられたようである。この子が来年、日本の小学校でみんなと同じスタートラインに立てるのか、やはり心配である。母は事情はよく分からないが、パスポートがないらしい。なので、小学校にも幼稚園にも入れるのかどうかさえ分かっていなかった。不法滞在ではないので住民票はある。特別支援教室に外国人が在籍するケースもよく聞く。ことばの教室もどんどん外国人に対応していかなければならなくなるのだろうか。こちらもそれなりの対策が迫られているような気がする。
2005.08.18
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ばっちりお盆に旦那の実家に帰省。旦那の実家は沖縄。・・・飛行機でなければ行けないし、旦那の休みはお盆しか取れないので、ばっちりピーク帰省。義父義母の家にお世話になり、ほとんど観光客として遊んできた。とはいってもやはり帰省。家族のみではなく、そこにはもれなく義父義母、親戚のいずれかが同行していたのだが。今回は那覇には行かず、多分観光客にはマイナーなビーチに行き、やっぱりお盆なのでお墓参りをし(といっても沖縄は旧盆)親戚とバーベキューをして、充実しすぎるくらいのハードスケジュールだった。理由あって、今回が一番帰省らしい帰省だったな。おじいちゃんおばあちゃんは来年も来い、正月は来れないのかと言ってくださるが、飛行機代がやっぱり高いので今度はいつ行くことができるやら。沖縄は南国ムードで、普段の生活を忘れさせてくれたけど、夜が寝苦しいのはつらかった。家に帰ってきて、冷たい井戸水、たわわに実る我が家の野菜、田んぼから吹き抜ける涼しい風に、やっぱりホッとしてしまう。そういえば留守中に畑のゴーヤがたくさん実をつけた。今年は暑さのせいか、品種改良されたのか、今までになく、立派なゴーヤができる。スーパーで山ほど買い込んだ、ポークの缶詰でゴーヤチャンプルーを作るのが楽しみだなあ。
2005.08.17
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2ヶ月に1回の設定の遊び教室。前回デビューしたばかりの子どもたちも2ヶ月ずつ大きくなっている。前回泣いてばかりいた子も、好きなところを歩き回っていた子も少しずつ輪の中に入れるようになってくるのが分かる。2歳前後の子が多いの遊びの照準を2歳前くらいに合わせ、今日はバルーンと風船を中心に遊んだ。みんなが集まる前に風船をたくさん膨らませて、床に散りばめる。入り口で固まっている子やスッと集団に馴染めない子でも、風船がふわふわと自分のほうに近づいてくると、ふっと手を伸ばす。風船が遠のくと追いかける。そこで緊張がちょっとほぐれる。「風船」という物の媒介があることで、自然に体が動く。前回もやったバルーン。やはり回を重ねると、段々上に乗れるようになってきた。もうおなじみの子は先が予測できるので、風船を乗せたり、バルーンの上に乗ったり、率先してやってくれる。これがモデルとなって、小さい子にも連鎖する。今日はちょっと冒険で、前後に動かしたり、回転させたりを入れてみた。自分の体を倒れないように一生懸命保ちながら、この不思議な感覚を体験する。はじめ、びっくりしてお母さんに歩み寄っていた子も次第に慣れてくる。小さい子が多くなったので、設定遊びの時間を短くして、あとは自由遊び。その間に「トイレットトレーニング」の話を入れてみた。資料を一生懸命見る方も・・・。子どもの安全を見守りながらなので、じっくり・・・と言うわけには行かなかったが、ちょっとでも参考になれば・・・。トレーニング真っ盛りや、終了したお母さんたちからの体験談もいっぱい聞かれた。本当はもっとワンポイントレッスンを定着させたい。知っていれば得するワンポイント。伝えていったり、お互いテーマに沿った情報交換ができればいいなと思う。表面的な会話や親しい同士は話をするが、それ以上広げるために、テーマを作ることもたまにはいいのではないかと思う。どうやったらみんなを巻き込むことができるか、自分への課題が残ったなあ。でも何事も継続が大切。遊び+ワンポイントレッスンが定着するように続けようと思う。
2005.08.09
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夏の定番になりつつあるこのプログラム。今回は我が息子たちも柔道を休んで開始から参加。昨年は竹の節を取る所から始めたが、今回は全部準備しておいてくれた。あの節を全部取るというのは力がいるし、いい加減にやるとそうめんが引っかかってしまうので、結構気合のいる作業である。出来上がった後も傾斜をつけたり、長くコースを作ったり試行錯誤した。それからの本番だったので結構達成感はあった。でも、小さい子がいっぱいでナイフの使い方を見ながら大人がきっちりつくこともできない。何よりたくさんの作業をこなすには忍耐力もいるので、今年の場合は前日準備は正解である。子どもたちは長机を4つ組んでそこにブルーシートをかぶせたプールとトラックの荷台がそのままプールになっているのを発見すると、一目散に入っていった。水は井戸水。いくら暑いとはいえ、ずっと入っていたら冷たいと思うがそんなことにはお構いなしで、大はしゃぎである。夏はなんと言っても水を使った遊びが一番盛り上がる。頃合いよく、母たちはそうめんゆでに精を出し、正午すぎた頃、竹で作ったおわんとお箸を片手に位置につく。さすが準備万端のそうめん流しの竹は、今回は途中で決壊したり、水漏れすることなくスムーズに流れる。流している人とゆでている人は、一緒に食べることができないが、最後に子どもたちに流してもらって、目の前を流れるそうめんに追われるように、口にかきこむ。モロヘイヤとオクラの薬味はそのとろみがめんに絡み合って、とってもおいしかった。我が子は待ちに待った流しそうめんだけあって、最初から最後までずっと食べ続けていた。さぞかし堪能できたことでしょう。最後のすいかわり。さすが農園。割っても割っても、次から次へと新しい丸いスイカ。なんとも贅沢なスイカ割りであった。私も久々開始からの参加だったので、お母さんたちとゆっくりおしゃべりできて、よかったよかった。夏らしいひと時を過ごすことができた。
2005.08.07
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個別課題の子どもと集団課題の子ども。子どもに合わせて2つの設定がある。夏休みと言うことで、小学生の兄弟が一緒に来ることが多かった。7人の集団に兄弟がそれぞれ1,2人ついて来ると、なかなか大きい集団。とてもことばの教室とは思えない。それでも課題は主役に合わせているので、その間はおとなしく眺めている。・・・とはいっても大抵が1,2年生の子どもたちなので、一緒にできそうなところは誘う。この教室では課題の学習の後、みんなで遊びの時間を設けている。今日はリングやカラーお手玉を使った遊び。このときは小学生も一緒に混ざる。そもそもそんなに広い場所でやっているわけではないので、子どもたちがみんな動くとあっという間に狭くなってしまう。下は3歳から上は2年生になると、同じルールの上で満足させるのは難しい。ついでに動きのある遊びになると、小さい子がぶつかって飛ばされそうで危ない。何度も小さい子が主役・・・と自分に言い聞かせながら、お母さんたちを巻き込んで・・・整列や順番、玉拾い等々総動員で配置何とかやった。はじめ教室に入るのが嫌で、自分が持ってきた自慢のカブトムシをみんなに見せたら帰る・・・といっていた子も課題には全く参加できなかったが、遊びの最後にはリングを使った汽車ごっこにちゃんと参加していた。終わりよければすべてよし・・・か。この後個別課題の子が控えていたが、すっかり力を使い果たしてしまったような気がした。小学生の兄弟たちにはいい思い出になったことだろう(^^ゞ
2005.08.05
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療育…というよりお母さんが関りを学んでもらうための教室。…最近少々傾向が変わって来ている。育てにくい子ども。とりわけ元々自閉症やADHD傾向にある子どもは、そのまま子ども自身の成長に期待しても、なかなか結果はあらわれない。やはり彼らに合わせた育て方、接し方を知ることで、成長が見える。育て方、接し方を口で言うより、実際体験して覚えてもらおう…というのが本来の目的である。だから、まずはここに足を運んでもらうことが大切である。そのような教室であるから、声をかけられることに抵抗を感じたり、障害を持っている子が行く教室・・・というイメージをもつのはある程度仕方ない。しかし、最近その壁が低くなっているような気がする。特にはじめは抵抗があったが参加してみて、イメージが変わったとか。要するにそもそもの目的からずれ、育児サークル。楽しい遊び場という意識に変わってしまうところがある。公的に行っているので、スタッフはすべて子どもに関る専門家。おやつ代以外はほとんど参加費は無料。運営にかかわる気苦労もない。考えようによってはこんなに恵まれている教室はない。親が喜んで進んできていることは喜ばしいことである。子どもも楽しいといっていれば親もなおさら前向きだ。しかしそれには大きな落とし穴がある。元々関りにくさから誘った子どもたちなので、ちょっとがんばらさせようと言うことが、引き金となって、泣きや逃げにつながる。それは=子どもが楽しくない場所=親がつらい場所になってしまうのである。踏ん張るところをすぎれば、成長につながると言う見通しが持ちにくい。関りにくさに加えて、上手なやり取りを学んでいないと、子どもに少しがんばってみようということはしない。機嫌さえ損ねずにその場にいることが、集団適応と考えてしまう。一緒に歩くことをがんばって欲しい。・・・歩くのが嫌だから抱っこ。一緒にいただきますをしてほしい。・・・待てない子だからと言って先に食べさせる。向き合って抱っこして欲しい。・・・嫌がるので強要しない。今日は水遊びだった。水は好きだけど顔にかかるのは嫌い。自分で水をパシャパシャやるのは好きだけど人にかけられるのは嫌い。一人ではいるのは好きだけどお友達と入るのは嫌い。スタッフはもう少しがんばってみよう…と手を変え品を変え、やり取りに工夫をする。でも、「あなたが水をかけたせいで機嫌が悪くなったじゃない」「うちではできるんだからここでは強要しないで欲しい」「私も濡れたくないから、一緒に遠くにいよう」とか・・・。なぜこの教室が必要なのか。どんな教室なのか。改めて確認しなければならないと感じた。
2005.08.03
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保健師さんや保育士さんを対象にした講演会があるというので行ってきた。講師は大きな病院の神経精神科の先生。今年戻ってきたばかりの先生で、子どもも見ていると言うので、どんな先生か興味津々のところ。この病院で発達面は主に小児科の先生が診察していただけに、その役割についても知りたいところであった。講演会の内容は、ADHDとPDD(広汎性発達障害)…軽度発達障害の基本的な捉え方と関り方。一応私の専門分野ではあるので、改めて…というう感じでもなかった。とても感じのいい先生で、途中何度も質問の時間を設けてくれた。その質問を聞きながら、もしや現場は医療的援助の仕方を求めていると言うより、教育的援助の仕方を求めているのではと感じた。「自閉症だと思われる子どもが高いところを好み、このような場合どのように対処したらよいか。」「クラスに複数の気になる子の対応をどうしたらよいか。」お医者様である先生は、的は外れてはいないし、それなり行動を予測して回答はしているが、ちょっと困っているようにも見えた。保育現場の先生たちにはこのような講演会で基礎知識を持つことに並行して、きっと教育的立場からの講演会や講習会も必要なのだろうなと思った。この地域でいろいろな教室をやらせていただいているので、現場で悩んでいる子どもたちの顔が「もしや~」と浮かんでしまう。複数の近隣の町から集まってきたので、町によっても対応ややり方が違う。ただ言えることは、障害を持つ子どもたちの発達を上手に促すためには、親・医療・教育・・・どれも平等な立場でいなければいけないなあと思う。何となく医療という部分は特別で一番専門的にみられているように思う。そういう自分も「お医者様」の言ったことにとらわれている部分がきっとあるんだと思う。
2005.08.01
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柔道家にとって武道館の畳の上で試合することはあこがれじゃないかと思う。毎年全国の小学生が集まって日本武道館で柔道大会が行われる。この大会は勝ち抜いて出場できるというものではない。参加費さえ払えば誰でも参加できる。そこがいい。きっと、中学生からはこの畳の上に立ちたいと思ってもなかなか立てるものではないと思う。我が息子の道場も毎年参加している。大型バス2台借り、早朝から都会に繰り出す。勝ち負けよりもこの武道館で戦うことが大いに意義があると思う。とは言え段々欲が出て、実力もついてくると、立つだけではなくやっぱり勝ちたくなってくる。子どもたちも毎年だと、はじめは会場の大きさとネームバリューに圧倒され、硬くなっていたのが慣れてくる。息子2人も今回は選手に選ばれ戦うことができた。今年最後となるお兄ちゃんは、1回戦は当然勝つ気でいる。・・・この勝つ気持ちになっていること自体以前では考えられない。昨年初めてこの地で1勝したのが自信になった。結果は優勢負けとなってしまったが、悔し涙をこらえている姿が遠く客席から見えた。決してスポーツが得意でない息子がこの武道館の畳の上に立てることだけで、信じられないことである。「よくがんばったよ」本当に心からそう思ったよ。
2005.07.31
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今年も天皇様がやってきた。天皇様は地域にある神社を祭って、子どもたちが神輿を担いで、太鼓を叩きながら、「まんど」という竹に半紙で飾りを付けた物をもって、一軒一軒訪ねる。子どもは中学生と小学生。神輿の担ぎ手は中学生。少子化と暑い中歩き回るので、参加者が確実に減り、8人で担ぐのが厳しくなりつつある。そんなわけで今年からリヤカーと女の子の参加もOKになった。今までは男の子の祭りだったのである。昨年役員をして、現状を訴え、改善策が実った。といっても女の子の参加は一人だけだった。大きくなってからはなかなか入りにくいのは仕方ない。段々女の子の間にも浸透してくれればいいと思う。我が息子2人も「まんど」係となって、暑い中歩き回っていた。役員やおまわりさんもついて回るが、何より夜道を子どもたちだけで歩くのが楽しいらしい。昔は地域上げて、夕飯も食べさせたり、休憩所で何か出したりしていたらしいが、いつの間にか縮小されている。地域で当たり前に参加していた子どもたちも、色々な楽しみがある今日全員参加というのも難しくなっている。今までは地域に以前から住んでいた人たちが中心で、なんとなく排他的な部分もあった。せっかくある伝統行事だから、続いて欲しいと思う。今に合わせた形で、形を変えながらも守って行きたいと思う。きっと子どもたちの記憶に残るお祭りだと思うから。
2005.07.30
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ゴールデンウィーク前にまいたとうもろこしがついに収穫のときを迎えた。とうもろこしは畑を囲んで1列まいたが、一斉に食べごろになった。家族分だけ採ってまた次の日・・・と行きたいが、そんな悠長なことを言っていたら、虫に先を越されてしまうので、家族で畑に出て「とうもろこし狩り」をした。とうもろこしはなんといっても採れたてをすぐにゆでて食べるのが一番甘くておいしい。3ヶ月以上育てて、食べるのはあっという間。子どもたちも2,3本あっというまに平らげる。だけどこの採れたてが楽しみで毎年作っている。昨年はせっかく蒔いた種を無情にも耕されてしまい、あんまりたくさんできなかった。だから山のようなとうもろこしをみると「やった~!(^^)!」と思う。さてさて何度も何度もを鍋に入れ茹で上がったとうもろこし。今度は食べきれない分を冷蔵庫のどこに入れようか。
2005.07.30
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ことばの教室に兄弟で利用するというのは結構多い。まあ、どちらかが利用していれば、その弟や妹あるいはその逆も気になることがあれば聞きやすいので、それでは連れていらっしゃい…ということになる。今日ははじめお兄ちゃんが利用していて、続いて弟がデビューとなった。お兄ちゃんはADHD。課題をやるにもはじめは気が散って、軌道に戻しつつ、課題の提示の仕方にも工夫してやっていた。弟はその頃から良く動く子ではあったが、まだ小さいし、お兄ちゃんが多動な場合影響されることも多い。その弟はもう2歳半を過ぎてしまった。それでも常に走っている。ことばもほとんどない。今までお兄ちゃんに一生懸命だったが、お兄ちゃんが少し落ち着いてきたら、今度は弟が気になって、デビューとなった。彼らだけではないが、どの親も共通するところに、一人目の子どもと言うのは関りに熱が入る。壁にぶちあったって悩むことも多い。二人目ってお兄ちゃんでは気になっていたことが、見落とされることも多い。それに、一人目が何らかの先天的な育てにくさが在ると、二人目は大丈夫。と思うのは当たり前である。先天的な障害(自閉症やADHD)は遺伝するものではないと思っている。ことばに関して言えば、サ行がタ行に置き換わっている兄の弟もやっぱり置き換わっていたり、口の開きの悪い姉の妹もやはりはっきりしなかったりする。兄弟は同じ親に育てられているから、食習慣やことば環境は同じだ。そう思うと兄弟が結構多いのは、先天的なものより育児環境によるものなのだろうか。逆に考えると、育児環境が変われば改善される部分はたくさんあるということになる。兄弟と言えども今必要な課題が違うのでできれば別々にやりたい。なので、分刻みで兄弟の課題をはしごしながら、ふとそんなことを思ってしまった。
2005.07.29
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