梅の季節

梅の季節

2010/10/24
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 私教室「白熱教室」
『 正義の話をしよう。 』
    ・ハーバード大学「白熱教室・正義の話をしよう。」に触発されて、

正義とは?と問えば、正義は、公平であるか.公平でないか.の天秤測りで
ある。計り(測り)である天秤の支柱を問うているのである。
この 支柱はなにか。 について考察されることは、なかった。

この考察がないところ、
「それ、本当?それが正義?そんなのありい?」という日常生活場面場合は多聞にある。
正義の正当性について今日では、なんとなく場当たり的であるようだと、感覚的である。

今日、ハーバード大学「白熱教室・正義の…」が闊歩する。
正義とは?が、改めて問われている。

ここ・この上文に、私は、
正義とは?
正義の正当性。
と書いた、記述した。正義に正義の正当性?これ、へんです。おかしいです。???です。
辞書【岩波】では、正義と正当について、「正しい道理。人間行為の正しさ。」と、
「正しくて道理にかなっていること。」とある。双方に「道理」がある。「道理」に、正しいとただしくないが、ある。
これに疑問がある。辞書に書かれている説明を読んでこんな違和感を持つ人は少ないだろう。

しかし、違和感ない人でも、日常生活場面場合で、このへんやおかしいが
言わせる「ほんとう?」、というセリフをつい口にすることはある。

この感覚を読み解くと、「ほんとう?」と問うその心に、正義行為に対する疑問が籠もっている。
正義そのものに対して疑問があり、問い正したくなる生活場面場合は、
確かにある。ここの疑問、これが、正義に正義の正当性や、これ、へんです。
おかしいです。???です。の感覚をもたらせる。
  この感覚は正義に正当性の有無を問わせる。

  この2つと、正義と道理、それぞれに対する疑問も同調する。


 これは、「道理」がどのように理解されているかである。
「道理」は物事の筋道。【岩波】とある。
正当にいう「道理」は、「当てる筋・筋に当てて行ける」べき筋や路地(みち)を
想定できる場合場面が日常生活に多々ある。
それで、物事の筋道と理解できている。
正義にいう「正しい道理。人間行為の正しさ。【岩波】」とある「道理」は、
物事の筋道だけでは、わざわざ用いた語である「道理」に込められたその意を得られない。
正義の・義・に、正当にいう・当・ほどの具象性がない為、考えは及び着かない。

しかしながら、双方に「道理」とあるにも拘わらず辞書では、なにも感じない。
それは何故かと言えば、人は「絶対であるべき理の道」を想定する・期待する・希求する。
この希求する「絶対であるべき理の道」が「道理」であると理解するにある。
言わば、「真理」と理解しているところにある。
ここにも、ハーバード大学「白熱教室・正義の…」が闊歩する。
正義とは?が、改めて問われてる何かがある。


ここまでにみて
、
正義は、透明人間である。

であることが判った。
しかし、今、なぜ.何故、今なのか。
今、盛んに、声高にならざるをえないのか。
今、正義が必要不可欠な世紀であるから。


正義は、透明人間である。 の真相は?
私は上記に、公平であるか.公平でないか.を測る天秤の支柱である、とした。
また別には、人間の尊厳と生命の絶対尊重である、と考える。これは、あまりに抽象的である故に
T.P.O.にあってフラクタル(何処まで行っても相似形)的なズレ或いは揺れを生じさせる。
→ 正義を問う場面 ←
1.聖書に名高い「ソロモン王の裁き」
   互いに自分の子供だと主張する2人の女性の内、本当の母親を
   見分けた話。
   2人の女性が、同時に子供の手をひっぱり、痛さに泣く子供の手を離した
   女性を母親である.と見分けた裁き。
2.日本で誰もが知る「大岡裁き」
   互いに譲り合って3両という大金を受け取ろうとしない町人2人に
   対する話。
   2人の町人に対し、大岡越前守が自分の1量を出し加え、2両ずつ2人に
   渡した。
   この「3方1両損」という裁き。

3.5人を助けるに1人が助からない状況の時、一人を犠牲にするかしないか。
4.格差社会
5.野球スター選手の年収10億円と大統領の年収2800万円。
6.賃金の年功序列と能力差序列。
等々がある。

例場面を並記することによって、フラクタル(何処まで行っても相似形)的な
ズレや揺れを捉え易い。
フラクタル的なズレや揺れがあるのは誰でも判る。

「今、正義が必要不可欠な世紀であるから。」というのは、
このズレや揺れが大きいのか、
フラクタル(何処まで行っても相似形)的でないのであろう。
 1~6の例をみても理解できるはず。それが何かを考察すべきだと。
 考察すべきものはある。
そこで、
正義とは?と問えば、正義は、公平であるか.公平でないか.の天秤測りである。
計り(測り)である天秤の支柱を問うているのである。
この支柱はなにか。  について考察されるべきだ.と考える。


ここにおいて、『 正義の話をしよう。 』と思う。
人の棲息に、つまり、人間・社会を形成する生き物にとって、
不可欠と、正義を設定した。その話をしよう。
 「 正義の話をしよう。 」の目的は、
   正義?の定義はなにか。定義はあるかないか。
というよりも正義の存在意義が、
   「人の尊厳と生命の絶対尊重である」ことを明確にする。
   「人の尊厳と生命の絶対尊重である」ところに正義はある。
ここにあるはず。






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Last updated  2010/10/24 06:05:36 PM
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