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もう五年近く開いていませんでしたね。またぼちぼち書こうかなと思います!
2012年12月15日
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年齢および生活の活動強度によって、基礎代謝は変わってくるというけれど、基礎代謝があがっていると、余分な内臓脂肪なども溜まらないし、代謝がよくなって体中に血液や組織液が循環性よく廻り、冷え性などにもなりにくくなるらしい。(基本、低血圧な私としては、基礎代謝を「筋肉面」からあげるまえに、体質としてあがりにくいという問題がありますが)■肉体面を鍛える→基礎代謝があがり(体の「回転数」があがった状態)、エネルギー消費が効率的になる、、これって、脳の活動にも同じことが言えるのではないか?と常日頃思っていたところ、「脳が冴える15の習慣」(著者:築山 節)に、それと同じような仮説に立った臨床例が記されていて、やっぱりなぁと思いました。時間的な制約を課して、そのなかでどれだけ成果をあげるか?を考えるような習慣を持ったほうが、「脳の活動の回転数」をあげることができるということが、臨床経験からわかってきた、と書いてある。・・・・・・・あんまり頑張りすぎるのはよくないし、肉体的にも高熱のときにトレーニングしてはダメなのと同じで、禁忌事項はあるとして(精神的に弱っているとか、いろいろ)、多少の頑張り(負荷)は、脳みそにも肉体にも必要なのだろうなあと思った一冊でした。近頃、身近なコンサルタント仲間に、スポーツジム・肉体鍛錬オタクが多く、彼らは精神的にもタフさを要求されるし実際タフなので、やっぱり、基礎概念は肉体を鍛えるのも精神を鍛えるのも同じなのではないかと思っていたところでした。(という私は、運動音痴(涙)。でもちょっとずつ肉体鍛錬も頑張ってみようかなと思っては、いますが、、。。。)
2008年07月18日
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4月はじめに、夫が死亡し(ビジネスホテルで、チェックアウトされないので見に行き、亡くなっているのを発見された)、ドタバタとした毎日を過ごしてました。体調を崩したので今月から復帰です。息子もだいぶお話できるようになり、ほんとうに優しくて(ちょっと頑固だけど)いい子に育っています。本当、子育ての毎日は大変で、ついおとついも、夜間救急にお世話になりましたが(熱が40.2度で、ものすごいへんないびきだったので、、、ヘルパンギーナということでした)。そんなこんなで、私の母にはおんぶ&抱っこ状態でお世話になっております。・・申し訳ないけど、息子が大きくなるまでこの状況は続く・・と思われ・・。でもだんだん年老いていく母に代わり、極近に住む妹夫妻にお世話になっていくように思います(汗)。昔は、人のお世話になるのなんて・・と、つねに肩肘張って生きてきましたが、ここにきて、滅茶苦茶、周りの人に頼りまくりです。、、仕事も、「出張もなんでもカモン」→「できるだけ都内近縁にしてほしい、あまり遠くにしょっちゅう出かけたりもしたくない」という、守りスタイルをしたい旨伝えたので、これから仕事を選んでいる場合ではないので、なんでもござれ、になること覚悟です。雑用をこなし屋・・ででも何でも、とにかく今は最優先事項が「都内近縁」なので、この条件を満たしてくれるのなら「なんでもやります!!」でいくしかありません。。。ということで、専門エリアは絞込み→なんでも屋に逆戻りしていく可能性高い感じです。
2008年07月15日
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2007年12月付けで、新しい会社に移りました。いままでずっと導入支援を行っている某アプリケーション会社です。久しぶりに生産管理のチームに戻ってきて懐かしいと同時に、激記憶が飛んでいます・・巷で見かけたら、声をかけてくださいな。(って顔写真出してないから、ほぼ100%わかりませんな)
2008年01月07日
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どんな人間でも、「あだ名」をつけてもらえるって、くすぐったい気持ちの裏で、けっこう嬉しかったりするんじゃないかなって思う。(明らかに侮辱した呼び方のあだ名だったら、イヤだろうけど)ということで、我が家の観葉植物(全部室内なんですけど)に「ニックネーム」を付けて呼ぶことにしました~~・私よりも背丈の大きなカポックは、“カポック”ってなんとなく博士というか格式っぽい発音だと思ったので、『博士』と呼ぶことにします。・80cmぐらいのポトスは、『ポッポくん』、極小の8cmぐらいの卓上ポトスは『ポンちゃん』と、ちょっとありきたりな呼び方で。・75cmぐらいの幸福の木は、ハッピーにちなんで、『はーちゃん』(ちょっと安直すぎるかも・・・)。・寝室の1mぐらいのサンセベリアは、『セベりん』で。いずれも熱帯の植物なので、毎日は水遣りが必要ないのですが、毎日出来るだけ(心の中ででも)声をかけている。再び、人間に例えると、いくらその住居の“主”がしっかり&どっしりしていても、自分と全く無関係に生きていると判っていたら、その集団に対する求心力というのか、忠誠心というのか、が生まれてこないと思うから。、、植物を動物に例えるのはどうかということもあるけれど、私は、人間であっても動植物であっても、「脳」だけで物事を判断しているのではなく、体中の細胞が連動している「意識」のようなものもあるのではないか?と思っているので(ものすごくファンタジックな考え方かもしれないけれど、こういうふうに捉えないと、脳以外の病って、どうして致命的になり得るのか、だとか、脳で理屈がわかっているのに腑に落ちないという感覚だとか、そういったものが説明つかないように思うので。)、植物は、じっと一箇所にとどまっているとはいっても、それなりに“意識”を持っていると思うのです。せっかく縁あって“同居”しているのだから、動植物、居心地よく暮らしていければなあと思います。。。
2007年02月26日
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人により、千差万別だと思うのだけれど・・・割と粘り強いほうだと自負している私の欠点は、「執着していたものを、手放すこと」だと思う。・お気に入りのものがボロボロになっても、なかなか手放すことができない。・別れた恋人とか、喧嘩別れしたことになってる友達とか、離れていってしまった人間のことを、追いかけてしまう。・考え方とか、過去の習慣とか、今までの「定型パターン」を、手放して行動することが苦手。(数学だと、知っている公式とか定理を使いまわしてなんとかしよう、というのは得意なのだけれど、新しいものを応用する姿勢が身に付くのに、すっごく時間がかかってしまう、、)自分の好きな分野、得意な分野については、どんどん貪欲に吸収していくほうだと思うのだけれど、それも、いままでの道具でなんとかできないか、いじることが結構あったりする(反省)。(とはいっても、ITや会計は、新しい道具や決まりを使うことが大前提なので、そこは一種の「慣れ」で、対応できるのですけどね。)今の時代、フットワークの軽さも重要な要素なので、なんとか良い面を残しつつも、どんどん様変わりしていく時代に遅れないように、自分の中の気持ちの切り替えポイントをいくつか、意識的にもうけられるようにしなきゃな、と思う今日この頃です。
2007年02月23日
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大分、ブログ文化も国内で浸透してきて(いい意味でも、悪い意味でも・・・過去のどこかの航空会社社員のように、企業に属する人は色々と考慮すべき点も多いのが難点ですが)、とても参考になる記事も、ブログの一文として発見できることも多くなってきたように思う。(反面、使えそうなビジネスページをクリッピングしようとしたら、有料ページにリダイレクトされそうになることも多いけれど。)ここのところ、GREE、mixi、LinkedInの3つのSNSを漂流してみている毎日です。何よりも、クローズドコミュニティなので、とてもくだけた会話が出来ることが利点(どうでもいいような日常茶飯事、今日どこどこの何々が安かったとか)だし、「足跡」から、誰が見に来たのか、“正体”を察することができるのがうれしい。(アクセス数が莫大に多い人は、違うかもしれませんが、、、)とはいうものの、GREEとmixiに関していえば、匿名性も高く、本当に実在する人物なのか、自分の「マイミク」(直接コネクションのある人物)以外はわからないところが怖い。この点に関しては、LinkedInの場合は(リクルーティング(人材募集)している外人さんが多いけど・・)、実名だし、直接コネクションのある人物の延長線上の人にしか見えない部分も設定しやすいので(mixiにも、どの程度まで情報を公開するかの段階はあるのだけれど、「友人まで」「友人の友人まで」といった平面的なところが使えないと思います・・検索絞込み機能が手薄。)、自分が何を誰に向けて公開しているのか、が把握しやすい&交友関係の広い人がコネクション上にいても、「いろんな人に筒抜け」状態が防げるのがうれしい。名刺交換しかしていなかったり、仕事上で関わりが出来ても、そのあと全く関わりを持たない相手の名刺をずっとファイリングしておくことの意味って、どうなのだろうか?!と思ったりもする今日この頃ですが、ファイリングしておいて、ふとしたときに再会し、「はて?どこかで会ったことがあるような・・・」と自宅に帰ってから探しまくり、見つけたときの懐かしさ(そのころの周辺事項を思い出したりします)もひとしおだったりするので、かなり古い(10年以上?20年近い??)名刺なども、書棚の奥のほうに持っていたりします。スキャニング&ファイリングソフトもあるようですが、勘を頼りにした探し物のときには苦労しそうなので、いまだマニュアル・ワークに徹しています。ここまで書いていて、長い間連絡をとっていない人と、色々と(相手にとっては迷惑だったりもするでしょうが、、、)連絡をとったり、話を聞きに奔走してみたくなりました。新しいものを見つけていく作業も楽しいですが、昔のモノやつながりを見直すと、意外とそこに新しいものがあったりしますよね。当時は気付いていなかったこと、または、その時点から互いに変化したポイントなど、その理由はさまざまだったりもしますけれども。。
2006年12月22日
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自分のことを棚にあげて、「あの人の個性と合わないんだよね」とか、ちょっとした行き違いやぶつかりから、人を毛嫌いしてしまうことってあるような気がする。少し視点を変えると、自分がこだわっていることが、全体からみると割りに取るに足らないミスマッチポイントで、逆にそこを乗り越えたらうまくコラボレーションできる相手だったりすることに気付くこともたまにあると思う。「嫌な感じ」を受けた人がいるとして、そういう人を毎回迂回していたのでは、自分の世界を狭めることにもなるし、なによりも、自分の成長の機会を避けることになってしまうのだなと、そういう人に遭遇して、はじめに感じた“壁”を乗り越えて得た自分の価値観の深み(という私はまだまだペーペーなので、そんなこと言えた柄でもないのですが)や、その人を通じて得た情報などを考えるとその貴重さを親身に感じることがある。これからも、何かそういう人間関係上の「壁」を感じたときにも、くじけたり迂回したりせずに、立ち向かっていこうと思う。
2006年07月17日
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寝る直前に瞑想をしたり、セルフイメージ改善に役立てて静かな気持ちで自分の将来像を夢想したりするのって、とても効果的らしい。私も以前、仕事がもの凄くハードで睡眠時間がない時期、気付くとそういう「幸せな気持ちで入眠」するゆとりがなくなっているなあ~って事が続き、次第に身体の調子が崩れていった経験を思い出す。寝起き直後、仕事や家事育児に取り掛かる前のほんの少しの時間、自分なりの時間をもって、外の空気を吸いながら紅茶を飲んだりすると、その一日の行動プランも優先順位や行動の所要時間がすんなり頭の中で整理できて、有意義な一日を過ごせたりもするなって思う。それぞれ、ほんの15分程度の時間が・・長い一日(その日、翌日)を大きく左右するなあと感じることしきりだったりする。だから、この2つの時間帯はこれからも大切にしていきたいなと思うのでした。、、、、とはいうものの、育児奮闘中は、私の計画時間で物事がまったく進まなくて、息子の体内時計(食事時間だけでなく、睡眠時間もね。)や行動に大きく影響される・・というより、育児中心に毎日が回っているので、なかなかそれどころではない毎日だけど(^^;)。。・・・とインフルエンザに先週月曜から息子が、先週木曜から私がかかってしまい、寝込み親子もしています(汗)。
2006年03月13日
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http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=4249&media_id=2 「自分ひとりで生きているわけではないこと。」行き詰ったときは、静かに自分を客観視してみるのって大切なことだと思った。 表題のリンクは、今朝から流れている悲惨なニュース「友達の母親が、幼稚園児2人を殺傷した事件」の日記リンクです。 生まれたてのときは、自分の生命維持のために、自己主張しか出来ない。「僕が僕が」「私が私が」を中心に、だんだん言葉も出てくるわけで重要なステップではあるけれど、そののちには「あなたが」「彼が」「彼女が」の二人称に発展して気持ちを汲み取る技術、それをもって社会性が身についた、ってことになるのだと思う。その喜びを分かち合う段階に入り「私たちが」という社会行動が身につくのだと思っている。 だけど、いまだに第一段階でおとなになってしまう人間が世間には多いのだ、(ひょっとしたら、精神を病んでしまってそうなっているのかも、、とも思うけれど、、)ということを、悲惨な事件を通して実感させられることがある。 弱肉強食、とはいうけれど。 昔の武士精神では、他人を踏みつけてまで自分を生かすという意味で、この言葉を使ったわけではないと思う。 いま、子どもたちの道徳観をどうしようかという議論がなされていて、道徳の授業の時間を長くしたりとか、カウンセリングを取り入れたりとかってよく聞く話だ。でもその前に、何の「道徳教育」もされてこなかった、いまの若いオトナたちに、そういったことを自主的に学ばせる必要があるのではないか、と思う。勿論、机上の空論にならないように、実習的なものがあればと思う。 リサイクルを大切にしたり、教育費用や税金問題を積極的に国民に還元する国々が、ヨーロッパ諸国で増えてきている。(米国はそういった意味ではかなり後れた国だと思ってる)。。昔ながらの、形はどういったものであれ、社会を創り出してきた個々のあり方・精神論を大切にしていきたいと思う。もちろん、自分の子供には、なんだかんだ知育を詰め込む前提にこのような人間性の素地を整えてあげておきたいと思う。
2006年02月17日
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私を含め、いろんな意味で「万能や」(なんでもや)さんになっている人って、案外、日本人には多いのではないかと思う。でも何かを達成するための助けが上手になるだけで、自分がトップになるには、向いていない指向性だと最近思った。何が自分のやりたいことなのか。長期・中長期・短期でもう一度練り直す必要があるなといつも思う。(企業の事業計画も、少なくとも月次ごとには見直すわけだし、一個人であっても最低限それぐらいの頻度は必要なのだろうなと思う)最近、「○○○をかなえたい人の手帳」「○○○を目指すひとの手帳」など色々でているが(そういう手帳も全て月次単位にメッセージやらワークシートやらが入っている)、ワークシートを埋めて満足していてはたんなる暇つぶしになるので、自分が最終的になにを実現したいか、そして現ステップではまずなにを達成したいのか、具体的なことを書き込む必要があると思った。(○○○部分があまりにも高い目標のときは特に。)
2006年01月30日
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個人的に実感することなのだけれど、物欲(あのブランドのアレが欲しい、、車はアレが欲しい、、、などなど)が高まっているときって、即物的な世界にはまり込んでいるからなのか、対人的な謝恩の気持ちが薄れているような気がする。目的意識がどの方向に向かっているのか、たまに立ち返ってみると、モノに意識が向かっているときは、得てして、博愛精神が薄れている感覚で、直線距離で目標を達成しようとしている気がする。そう思うと、実証された科学の枠組みって、西洋の唯物論の発想(神様が一人しか居ないってすることも、仏教のように、神様仏様(万物の神様と自分の先祖を大切にする)と異なるんだな、どっちが正しいというのではなく、私には後者のほうが身近なのかも、と振り返ったりもする今日この頃。)って、唯我独尊になりがちなのではと危惧することもあるので(西洋の城壁って、自然との融和をもとにした日本の住居と異なって、排他的な感じでしょ)、、、東洋的な視野を大切にしたいなと思うことがある。でもスピリチュアルな世界についてのスタディって、英国が結構栄えてたりするわけで、そのあたりがちょっぴり謎だったりもする。自分が今、生かされているんだという気持ち。たしか聖書にもそんな言葉があった気がする、、、そんな感覚を忘れず、個性が自分と違いすぎて(たまに似すぎて嫌な人もいるけど笑)ぶつかる相手がでてきたときには、そんな人物とであわせてくれたことを、天に感謝できるようになりたいなと思う。なかなか、そうはいかないけどね・・・・そこを踏ん張って、プラスの関係に持っていければいいなと、理想論で終わりです。
2006年01月13日
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巷でそこそこ出版物が増えてきた「マインドマップ」(漫画「ドラゴン桜」では「メモリーツリー」という名前で似たようなのが出ていました)。おおもとの本を立ち読みしたのち(30分も立ち読みしている人、迷惑だっただろうなー。。。)、一冊簡単な解説本を買い、自宅でちょこっと試し書きしてみた。米国の小学校~中学校時代に、毎日の宿題として、翌日授業で習う範囲を読み、それをバブルチャートに書き出す・・・というのがあったため(とくに理科と社会)、それで慣れているので、割と簡単に書けた。そのあと別の紙に正規化されたバージョンを書いてみる。そうすると、さらに情報やアイデアが湧き出てきて、こりゃいいなあと思いましたです。便利だわー。でも“流行もん”すぎて、日ごろ人と話すときとか会議のときに使うのが照れくさい。このプライド、どうしたもんかねえ。。。
2005年12月22日
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人はイメージした人になれる力があると言う。(裏を返せば、思ってもいない人間には成れませんよ~ってことだ)自分の素質・資質を見直した上で、きちんと自分のありたいイメージを磨いて進めることって大切だと思う。小手先を正すことも必要だけど、あまりにも自省の念が強い人になってしまうと本来の全体イメージを忘れてしまうことになりかねないので、ハウツウ本に溺れ過ぎないようにしたいものです。(ハウツウ本を読まずして自分がファーストトライをするのは、自分の得意分野だけにしたいけど。。。だってリスク量が違うと思うのです。何も知らないでやるのと、多少試行錯誤したひとの話を読んだ後で自己流にやってみるのとでは。)直感とか発想と、イメージをつかさどっているのはどちらも右脳だそうだ。ってことで晩秋の夜長に、仕事復帰の準備をしつつ、少し読書タイムを持とうと思いました。
2005年11月10日
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快と不快で判断するとはいえ、素材感の趣味嗜好って千差万別だなーと思う。素材感とひとくちにいっても、それこそWebページの壁紙からパソコンのハコ、家の家具からジュータンまで色々だけどね。低反発枕もあれば高反発枕もあり、毛足の長い(ふかふかだったりヒモ沢山が出ているみたいなのだったり)ジュータンもあれば、よく見かける短めジュータンもあり。ツルツルピカピカの家具もあれば、木目ザラザラの家具もあり。機能重視型もあれば、装飾重視型もあり。最近は携帯電話の表示形式すら、標準型とPOP型があったりする。なんでもそうだけど、選択肢が広がったからといっても「いつものアレ」趣味嗜好が決まっている人にとってはあまり関係なかったり。でも日本の若い世代って情報キャッチ&即取り入れが上手いので、あっといまにトレンドが変わりかつそれに乗っていく人がいるので、どんどん“種類”を取り入れないとやってけないんでしょうね。トレンドに乗っていけるパワーって、最近すこしくたびれ気味の私からすると、嫉妬まじりに「自己流がさだまってないからだ」と思うのだけれど、何事も、模倣からスタートするのよね。確か。なので、選択可能な種類が多くあれば、それを色々と味わってみて、実感してみて、自分の思いを更に深めることが出来ると思うし、より具体的に趣向が固まってくると思うので、いい体験なのではないかと思う。何事においてもそうだと思うの。自分の世界観を明らかにするには、まずは色々体験してみることがいいのではないかしら。(若いうちにだと思いますが。時間のなくなってきた年いってからはアウトプットでいきたいものです。)
2005年10月22日
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「手段」は「目的」ではないし、マイルストーンをGOALと錯覚してはいけない・・・と思う。教育方針を例にとって見たいと思う。最近、早期教育マニアになりつつ私としては、自らへの戒めを込めて、振り返っておきたいし。“英語で××・・という言葉が咄嗟に出るようになった”“まだ××歳なのに微積分もできるようになった”、、、というのは技術力UPを指しているのであって、そのコの、基本能力UPを暗示しているにすぎないことを忘れないようにしたいと思う。技術力UP(よく巷で最近「アプリケーション的な能力」(とりあえずの技術力)とも言われている、、、なんかちょっと軽いはやり言葉みたいでびみょうに変(笑)と思うのは私だけかしら。。。「OS的能力」とか「ハードウェア的能力」は、さらに時代の流れに沿ってその都度身に着ける「アプリケーション的能力」より基礎能力を指すらしいです)は、どんな場合にも重宝する「粘り強さ」や「組立て力」(論理構成力)や「その分野の知識への基礎的適応能力」を身に着けた結果であって、かつ、こういう小手先技術をGOALと錯覚してはならないと個人的には思う。将来、就きたい職業などが明らかになってきたときに、その職業に就くために必要な基礎能力ができていればいいなあと思う。ついつい、親バカをしてしまうと、“この子はお医者さんにさせたい”など、親が勝手に具体的な夢を設定してしまうことがある。そういった「GOAL」は将来本人にまかせるとして、GOALの3歩手前に必要な人間性や基礎スキルを自然と身に付けさせることが出来たらいいなあと思う。無くて七癖、というように、環境が作り出す個性ってあると思うので、どうせ、無意識にでも影響を与えているのなら、少しでもプラスの方向の影響を与えてあげたいと思う。(切羽づまった教育詰め込みではないような・・心を広く暖かくしつつ知恵をつけてあげられるような・・って言葉にすると、なにげに、型にはまってますがーー;)
2005年10月12日
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夏場の、植物やら動物や人間、そしてアスファルトや地面からの蒸気が蒸すシーズンがだいぶ終わり、涼しくなってきた今日この頃。このあいだ知人と話していて「あのひとはオーラがある。というのってどういう基準?」みたいな話題になった。浅草のゲーセンに「あなたのオーラ写真が撮れます!」という怪しい機械があって、一度撮ってみたことがある。ダンナは全体的に緑色で、私は内側強め黄色+外側は紫。強さの配置は、ダンナの緑が画面いっぱい写ってて、そのわりには私の周りの色とは干渉せず。・・・なんかその機械によると、それぞれの色に意味があったような気がするのだけれど、すでに忘却のかなたです。私は自分でみえないから信じられないのだけれど、ひとによっては、人間それぞれの周りにこういう光のオーラがみえるらしいですね。みえるひと、どんな風に見えるのか、それと色の意味、かんたんに教えてくださいまし。ちょっと興味あるわ。(って興味あったって、私には見えないに代わりは無いんだけど。)でもふつうの5感のひとつ、嗅覚。けっこう人気のある人間って、そのひと自身の体臭プラス、人工的なシャンプー・ボディーローション・オードトワレのあるなしを問わず、そのひとの近くにいくと、“なんかいい香り”がするなあって思う。何故なんだろう?。1) 日頃から「いい汗かいてる」ので、いわゆる毛穴が詰まった、びみょうに毒素たっぷりの汗をかいている人ではないのだと思う。私も経験あるけど、汗のかき始め、とくに運動不足のときって、ベターッとした感覚的にもいやな汗だ。2) 気負っていないので「緊張(萎縮)した冷や汗」の量は少ないここ一番頑張ってやろうとか、はじめての人前でのトークのときって、緊張(萎縮)していて、へんな汗をかくことってあると思う。そういうときの汗って、冷えてから、“うあ。汗くさ。”と自分で思ったことがある。3) 自分の体臭と、バランスのいい匂いを知っているこれはプラスアルファの人工的な匂いを身につけるとき、ちょっとは意識してほしいと誰でも思うはずだ。香水の匂いになれていない鼻が多く、湿度が高くてすぐに匂いが伝播する日本国内で、プアゾンをたっぷり着けている人ってちょっとキモワルだと思うのは私だけではないはず。欧米人のあのチーズ臭いまったりした体臭と、すぐに汗がかわく乾いた空気の気候でこそ、きつめの香水はマッチするんじゃないかなあ。日本人には日本古来のビャクダンだとかヒノキだとか樹木のほんのりとした香りがいいんじゃないでしょうか。(柑橘系で、、、ゆずとか、かぼすとか、日本古来からあるもの以外・・・レモンとかオレンジとか、グレープフルーツとか・・・は、それ単体で匂いをかぎたいと思うのです。だって日本人のばあい、緊張したときの汗のにおいが限りなくレモンなど欧米のかんきつ類に近いと思うんですよね。だから、はじめから、いくら「スポーティ」だからって身にまとわなくってもいいと思う。ジントニックのような、欧米のひとっぽい香りを足した柑橘類なら、そのひとの匂いとマッチしていないことを忘れさせる人工的な「人間ぽい、いい匂い」になるとは思うけど。)4) 適度な清潔感があり、残り香にいやみがないなんで「汗臭いにおい」がいやなのかというと、本来のそのひとの匂いが、ばい菌の増殖や発酵を経ることで、異質な匂いになっているからだと思う。それを防ぐのがひごろからの清潔感(ばい菌が繁殖していない様子)だと思う。清潔感の究極は、洗った直後の匂い(=石鹸のにおいや、湯上がりのお湯そのものの匂い)。某シャンプーのラインナップは石鹸そのものみたいな匂いがするけれども、ロングランヒットなのはそのせいだろうなーと思います。とくに清潔に気を配り始める若い頃は、この清潔感そのもののスタートラインの匂いが、けっこう人気よね。
2005年10月03日
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息子の予防接種・ラッシュが続いているので、ミルク/おむつ/ねんね表に記入。すでにこの表、私の仕事のスケジュールもたくさん書き込んでるので、ふつうの手帳みたくなってきています(汗)。種類:平均接種期間(うちの息子の予定OR実績接種)BCG(重症の結核):3ヶ月~6ヶ月(3ヶ月なりたてて接種済み)三種混合(DPT=ジフテリア・破傷風・百日咳):3ヶ月~7歳6ヶ月に3回接種+追加接種、さらに11歳で追加接種。間隔は3~8週で。(うちは1回目4ヶ月弱、2回目4ヶ月強で接種。つぎは6ヶ月の初めを予定)ポリオ(小児まひ):3ヶ月~7歳6ヶ月に2回接種+追加接種を小学校年齢で。(今日1回目。つぎは来年1月を予定)麻疹(はしか):1歳~7歳(うちは保育園に通い始めるので、7ヶ月で自己負担接種、1歳になってから無料接種で追加接種を予定。)風疹(三日はしか):1歳~(1歳になって麻疹を接種したのちに接種を予定)インフルエンザ:6ヶ月以降が対象。1~3週間の間隔で2回接種。家族も接種が推奨される。(うちは11月初め+月末に、家族でそろって接種を予定)ほかにも任意接種で、おたふくかぜや日本脳炎、もし希望するならB型肝炎などがある。集団接種は平日だし、個別接種で病院にいくとしても、平日しか予防接種はやってなかったりする。んだもんで、通勤復帰するまえにある程度うけておかないと~~と焦り気味。ポリオ(小児まひ)などは、東南アジアで流行している程度で、日本ではほとんどみられないと言われているけれど、公費負担接種。アメリカのルーズベルト大統領がポリオで車椅子だった記憶があるので、やっぱり将来のことを考えたら受けておいたほうがいいのかなーと思う。アメリカのとある町で「ゴキブリ撲滅運動」が功を奏してゴキブリが一匹もいなくなった町になったとたん、子供にポリオが流行したことがあるらしい。赤ちゃんはハイハイで地面をなめてるんだけれど、そのときにゴキブリ生活圏内だった場合、ポリオ菌(?)をゴキブリが撒き散らしているので自然となめて、抗体ができていたらしいのだけれど、ゴキブリ撲滅のため、抵抗力が落ちたのだそうだ。清潔にしすぎるのも、弊害があるものなのね。日本脳炎は夏に流行性のある病気(6~10月)で関西に発症例が多いらしいけれど、全国的に80%のブタが菌を持ち(夏場)、蚊が媒介しているらしいので、ちゃんと受けなくちゃね。(感染しても発症するひとが少ないといってもね)将来、寿命100歳説があるらしいけど、どうなんでしょうね。エイズも一応特効薬あるらしいですものね。(貧民層は購入できない価格のため、爆発的流行は阻止しづらいらしい。でもヨーロッパのみなさんも、避妊の手段として、低用量ピル&リングがはやってるらしいので、コンドーつけないらしいので、けっこう流行りが食い止められないらしい。ヨーロッパで恋愛をするみなさんも、B型肝炎の予防接種はもち必須ですが、いろいろ気をつけてくださいませ。)
2005年09月28日
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一昨日、会社から自宅まで23km、ママチャリ(前に子供乗せる台、後ろに特大の買い物カゴ)で4時間超で帰宅。途中でギブアップするかと思ったけど、「本当に被災したら~~」という心持だと達成できるものなんですね。(普段、まったく体を動かしていません私。)思ったのは、出産に比べたら突如23km自転車走行のほうが、かんたんだったわ、ということでした。いまのところ筋肉痛もなく、次は被災グッズと息子を乗せて23kmを走ってみようと思ったりしているところですが、ひょっとしたら途中でばてちゃうかもね。(途中でばてた場合、ダンナに車で迎えに来てもらい、自転車+人間を搬送して自宅へ、という予定)実際に走行してみて気付いたのは、地図で確認しているのと、実際に走ってみるのとでは感覚が違うということ。ちょっとした「普段みなれていない道すじ」で迷ってしまい、+8kmぐらいのロスをしてしまいました。(トータル31kmぐらい走行してしまいました。)実際の被災時は、ビルが倒壊していたりするだろうので、さらに道がわかりづらい&走行距離が伸びることがあると思うので、徒歩で帰宅を予定しているみなさんも、実際に歩いてみることをお奨めしますよ。思っているよりも時間がかかったり(ひょっとすると途中でへたばってしまい、2日かかっちゃうことが判明するかもです)、坂道を発見しあるべき帰路を見出すことができるかもしれません。帰宅に時間がかかる可能性のあるひとは、食料&水を確保することが大事ですよね。ダンナには、出勤時かばんに、カロリーメイトと150ccぐらいの水を常備するように薦めています。(未確認。チェックしないとね)
2005年09月25日
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私は帰国子女(小学4年~中学3年の5年間)なので、ある程度ふつうに会話できるほうだと思う。ダンナは日本育ちなので、けっこう苦労しているみたいである。文章は読み書きできても、会話が悪戦苦闘。私がアメリカに短期単身赴任出張しているときに、遊びに来たのだけれど・・・あるとき、レストランで、"Cappucino Please." と追加注文したのだが、何故か、目の前にはあったかい紅茶が。ふたりして「???」と暫く悩んだ結果、どうやら・・・"A cup of tea, please."と間違って聞こえてしまったらしい。確かに、中国人は、「ティー」が「チー」になっていることが多々あるので、、、言われれば似ているかもしれない、この2つの文章。気付いてから、私は強く、変えてもらうことを進めたのだけれど、ダンナはすねちゃって「もー、いい。紅茶飲む。」と、紅茶をすすっておりました。・・こんなエピソードはかわいいほうかもしれない。まずは、私に頼らず、自分で注文したダンナには拍手。・・多くの日本人って、「かわりに××って言って」と英語が話せる人に頼ってくることが多いのです。対して、ほかの人種は、発音が悪かろうが、何度も聞きなおそうが、自分で堂々と話す人が多いのだけれどもね。古来からの日本人特有の、英語圏での奥ゆかしさって、きっと、「長年英語を習ってきたのにしゃべれない(と思い込んでいる)(かつ、通じないことが多い)ことへの引け目」「海に囲まれた単一言語の国なので、過去に恥ずかしい思いをしたことがないまま育ったため、プライドを傷つけられる免疫が出来ていない」の2段構えなんだろうなぁと思う。(他の理由もあるかも、ですが)もうすぐ小学校でも英語教育が導入されるらしい。賛否両論の嵐らしいのだけれど、ヨーロッパの国々では、2ヶ国語ぐらい学校で習って当たり前の国が多いみたいだし、インドなどでは、上流階級の子供は学校では全て英語で習うらしい。(家庭では、各言語らしいけど。インド自体も、地方によって言語が異なるらしい。)ということは、別に人間の生理学に反する行動をしようとしているわけではないのだろうと思う。けれども、いまの日本のなまぬるい教育制度のなかで2ヶ国語を並行させたら、日本語も英語もどっちつかずの子供が出てこないか、心配です。みなさん、どう思います?
2005年09月16日
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カラーコーディネータの方だと、配色をするときに対角カラーを組み合わせたり、ポイントに利用したりすることって良くあると思う。普段の生活にも、そういうバランス感覚は取り入れていきたいなと思った。ものごとの進め方の細やかさ・粗さの視点だとか、長期的観点と短期的ゴールの組み合わせ、スピーディーなひとと慎重なひととの組み合わせ、とかね。ファッションでの配色のまずさと同じで、偏ったり同じ柄がばかりの組み合わせをしてしまうことによるリスクって、どういう場合もあると思うので気をつけたいと思った。・・という私もあまりファッションセンスは良くないんだけど(いわゆる自己流ですねぇ。)。考えを図式化してみたときに、対角線を描いてみて、なんか中身がおかしいなーと思うときはたいてい、対極的な視野が欠けていたり、前提条件がおかしかったり、情報が足りなかったり。そいうことに気付けばいいんだけど、自分のなかで結論を急いでいるときは、完成した後で、ひとに指摘されることもあったりする。各チェックポイントを満たしているかと同時に、全体を俯瞰することって大切よね。
2005年09月15日
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立案・計画をしたのち、実践する場合に、表題の3タイプのどれに自分が該当するか、自覚することって大切だと思う。どの方法にもメリットがあり、デメリットがあると思う。素早い対応が勝負の仕事ならば、即行動をすることがバリューに繋がる場合もあるだろうし、、、通常のプロジェクトタイプなら、WBS(注意:ワールドビジネスサテライト、ではなくって、ワーク・ブレークダウン・ストラクチャー。いわゆる作業工程計画/実践対応表です)に沿って期日と成果物進捗%が適切な対応具合になって進んでいるか、課題は対応(または対応予定)されているか、など、“振り返り”ながら進むことが常識、だったりする。短期的に何か試行錯誤するときなら、走ってしまってから、一括で“振り返る”こともあると思う。状況の結果、実践の仕方が選択される、というだけでなく、改めて「あるべき」管理方法と手法を見直すことって大切だと思う。管理方法と手法にのみ、クローズアップするのもどうかと思うけどね。(管理のための管理、だけに陥ってしまうとバカバカしいものね)子育ての毎日って、不確定要素が多くて、思い通りに進まないことが多くて、けっこう忍耐力が鍛えられる気がします。それと、赤ちゃんパワーの力強いこと。朝晩問わず、「ままー。ままーー。」と目が覚めては構って頂戴の呼び声の嵐なので、体力だいぶ付いた気がするわ。自分の体調が良くないときでも、子供のことが最優先!で取り組めるもので、子供を構っているうちに、いつのまにか、元気復活っ!!となっていたり。私はどっちかというと、子供が出来た→産んだ、って深く考えず産んだ感じだったけど、毎日、多くを学ばせてくれる子供とダンナに感謝してます。たまーに(しょっちゅう?。)いっぱいいっぱいになって、ブチ切れて怒ってごめんね。反省してます・・。
2005年09月13日
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台風の影響で風が強くて、マンション高層階のうちのハンガーが4、5本行方不明。「台風の強風でもハンガーも落ちない(はず)」のひっかけ穴つき物干し竿のはずなんだけど・・・やっぱり次回からはちゃんとハンガー仕舞おう。落下先の皆さん、ごめんなさい(汗)。息子が生まれて2ヶ月ちょっとぐらいから、宣伝のよくでている某教育システムの絵本と教育グッズ、ぷらす自作のマットレス&そろそろ配送されるはずの「うんてい」(懐かしいでしょー)。そんなこんなで既に息子の部屋はグッズで埋まっています。そして毎日、絵本を数冊読み聞かせたり、単語教えたり、数の概念を教える赤丸たくさんカードを使ったりして、わりと時間を割いてるので、息子が寝静まった夜中に家事をしている状態です。週にほぼ2回ペースで、母子スイミングにも通ってるし。(スイミングをやってると腹ばいなどが安定するようになるらしい。腹ばいができたり、指先が器用になれば、体やあたまの発達にすごくいいらしい。相変わらず、「らしい」=噂でしかないんだけどね。)妹や双方の両親に“まだこんなに小さいうちから、色々やらなくても”としょっちゅう突っ込まれる感じ。ダンナは私が走り出したら納得いくところまで到着するまで、意見を聞かない人間だということに慣れてきているらしく、とくにノーコメント。「ふーん。そんなのあるんだぁ。」ぐらいです。ただ、舌小帯を切る手術というのがあって、それには反対してるけど。私は、息子に痛い事をするなら、まず私が体験してみようかとも思ったんですけれどね。(舌小帯は、優性遺伝で95%の人が大なり小なり持っているもので、これが大きめだと舌が後ろに落ち込みやすくなり、喉の扁桃腺が腫れやすくなったり、舌が動かしにくいので言葉が遅れたりするらしい。むかしは産婆さんとかが切る習慣がある地域もあったらしい。いまの医学会では切開の必要性を認めていないのだけれど、一部のお医者様では行っていて、体験者によると体調が良くなったり、(鼻の蓄膿症が治ったようなかんじで)思考能力がすっきりした、との報告もある。)私は別に「どうしても秀才にしたい」「必ずいい学校へ!」と強く思っているわけじゃないけれど、秀才にしてあげられるなら、ゆとりを持ってひとと接したり、自分の人生設計も選択肢の幅が広がるんじゃないかなー。と漠然と思っていたりする。だから、ひととおり無理強いしない範囲でやってみて、後日“いろいろやってみたけど、あんまし効果なかったかもね。あはあはあは。”でもいいかなあと思ってる。子供を萎縮させるほどやっちゃったら、思考能力のない単純ガリ勉くん、になっちゃうものね。(あー怖。)いま生後4ヵ月半ちょっと。腹ばいで腕は高ばい(いわゆるハイハイの姿勢ね)になるけれど、気持ちは進めども体は進まず。でも嬉しそうに「ダーダーダダーー」といいながらヨダレを滝のように流して笑ってます。厳密に腹ばいをガンガンやらせていないので、まだ動けないんだけど、体を動かすことが楽しい!と思う気持ちを持ったまま成長して欲しいし。本当はこの子が幼稚園あがるぐらいまでは、ずっと育児に専念したいけれど、経済的なことも、サラリーウーマンの悲しいキャリア的にも、あと2ヶ月で勤務モードに戻らないと、大変なことになるので・・後ろ髪引かれながら、少しずつ準備中。インターネットで「IR情報」とかEDINET利用して企業情報を集めたり、こうやって楽天広場日記には慣れているけれど、保育園とか育児の情報を集めるのはむちゃくちゃシロウトなので、時間がかかりまくってます。
2005年09月07日
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先月から本当に、経済難(私が育児休暇に入ったから・・オットは限りなく自由人に近い収入&我が家は住宅ローンや車ローンが重圧なので)。ひとつき2万円強で、食費+日用品+被服費+お酒・おやつ代+医療費をまかなわなくてはならない。なので、100円ショップでカレールーを買い、28円のにんじんと38円のたまねぎと、安い冷凍豚バラ肉を親に大量に買ってもらったもののなかから少しを入れて、近くに住む妹宅からお米をもらって、3日間にわたりカレーを食べたり。(朝昼晩、朝昼晩、朝昼、って感じ)カレールーをしらたきに変えて、肉じゃがで同様に繰り返したり。298円のお惣菜を買っている主婦を見ると、贅沢できていいなーと思うぐらい、サイフがたいへんな今日この頃。でもね。息子を、おんぶひもでおんぶしながら、ユニクロ特価品&100円ショップのちょーださい(?)洋服を毎日着て散歩しながら、「これが桜の木よー」とか「大きなショベルカーがとまってるね」とかお話していると、幸せだなー。と涙が出そうになったりする。なんだか、貧しいながらも、生きている、という実感を日々かみ締めている気がする。ちょーばりばりに仕事をしているときは、ブランドの高いスーツを着て仕事をして、夜は眺めのいいレストランとかカクテルバーで楽しく友達と話しながら贅沢なおいしい食事が出来る、というのが、ステータスを感じる幸せだったし、そういうのが出来ない人生って不幸!!!と決め付けてたと思う。でも、ダンナと出会い、学歴がなくてもそれで終わりじゃないってこととか、今現在の、ちょっと苦しいけれどもぬるい幸せの中で、今までの視点からずいぶん穏やかな人間にシフトしてきたなぁと思う。「子供を連れている主婦に対する冷たい眼差し(邪魔だなーとひたすら思っていた)」とか「ブルーカラーに対するけいべつ(若いときに勉強とか苦労をしなかったから、仕方なくブルーカラーをしているんだ、かわいそうなひとたちだ、と思っていた)」が私の中で全然別の感覚に塗り換わっていった。どちらが正しいというのではなく、それぞれの世界観を見ることができて、少し、人間性が成長できたような気がする。そろそろ特売に、息子をおんぶして行かなくては。
2005年09月06日
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プロジェクトマネージャの素質のひとつに、「喧嘩の仲裁役ができるかどうか」ってあると思う。みなさんどう思います?・・いざこざが勃発しているとき、仲裁役になれる人間って、1)個人的に信頼されている・日頃から付かず離れず、個々の人間とうまく付き合っている。個々の人間の得意分野(expertise)をそこそこ理解していて(自分の深い専門分野ではないにしろ)、個人の能力を尊重している。・精神的に偏りがあまりない。・おかしなこと、間違っていそうなことを感知するセンスがある。2)団体の一員として信頼されている・表面的でなく、内面的なチームプレーを大切にしている。・比較的、みなが相談しやすいムードを持っている。・人の判断、知識、可能性をつなぎ合わせて結論を出すのがうまい。・本当に必要なものとそうでないもの、の区別が得意である。・説明するのがうまい。(自分が思いついたり、組み立てた話題でなくても、要約したり、他との関連を見出すのがうまい。)・人に対して、あまり好き嫌いがない。3)物事を動かす熱意がある・体力と精神力がそこそこに、並以上にある。・ついでにユーモアもそこそこにある。・自力だけでなく、他人を動かすという手段を最大限に活用してでも、成果を出そうとする熱意がある。・取り組んでいることに対して、肯定的な情熱を持ち続けられる。このへんの人間的なスキルがあるひとって、何か問題が起こったときに仲裁を頼みたくなるし、イコール、もし統率者(プロジェクトだったらプロジェクトリーダーとか、プロジェクトマネージャーとか)であったなら、そのプロジェクトの専門知識が多少薄くても、実は、プロジェクトを成功に導けるんじゃないかなーと思ったりする。私もこういう人間になりたい。って、プロジェクトマネージャという道もあるけど、戦略系ビジネスコンサルタントも、こういうスキルがあったほうが、うまく短期のコンサルティングもこなせるんではないかなと思う。
2005年08月27日
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集中力を養うために必要なことを実践していきたいなと思う。集中の反対は分散なので、集中「力」を養うには、おそらく、分散「力」も高める必要があるのだろうなーと思う。昔からやっていることに、たぶん日本の小学校に通った人ならば大抵休み時間に校内放送で流れたりして、やっていたことがあると思うけれど・・遠くの木などを使って、視線をZやXに流して、目の疲れを取る体操、がある。これを気付いたとき(たいてい朝夕の二回程度)やっているだけで、私の現在の視力は1.2のままです。(ついこの間まで、1.5ありましたが、妊婦時代に視力落ちました・・>_<;)いちおう私も、人並みに本を読んだりパソコンを使ったりしていたと思うし、プラス、両親および妹は近眼のため、眼鏡やコンタクトレンズを常用していますが、いまのところ私だけ視力が落ちてません。おそらく、この「目の体操」のおかげだと思います。視力が良いと、“ちゃんと勉強しているのか?!”といわれることもたびたびなので、ちょっと悲しいですが・・眼鏡やコンタクトレンズの要らない生活は、きっと必要な人よりも、ラクで快適だと思いますよん。時代の流れと共に、コンピューティングの世界も「集中」と「分散」をいったりきたりしてますね。ホストコンピュータ利用から、分散処理の三階層構成&インタラクティブ・システムソリューション・ブーム、オートノミック(自律)コンピュータ、などなど。量子力学では「粒でもあり波でもある」という概念が応用されているけれど、きっとそのうち「集中化でもあり分散化でもある」のが当たり前になるのでしょうね。、とはいいつつ、統計力学や一般力学では、ひとつの性質に(粒または波)焦点をあてることによって、物質の現象に起こる規律をまとめてたり、その効力を応用しているので、それぞれ、両面の特性はなくならず、応用化していくことになるのでしょうね。日々の生活の中にも、集中と分散を適材適所(用語使用例として変?。)に使いこなしていければなーと思う。
2005年08月17日
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建築でも医学でも「機能が構造を決定する」という言葉がある。最近やたら喉がいたいなーと思っていたんだけれども気付くと口呼吸になっているみたい。(「呆」の字の通りくちを開けて呼吸ーー;)以前から会社でも(フリーアドレス方式のデスクなので、日によって座る場所が皆違う)、たまに隣や向かいに座った人が激しく口呼吸で、唾液っぽいにおいORガムのにおいを充満させているときがあって、やだなーと思っていたのに自分がそうなっていたら!ショックです。ということで、極力鼻呼吸にするように努力しようと思う。ちなみに口呼吸が出来るのは、言葉をしゃべる必要のある人間だけで、他の哺乳類は気管支と食道に壁があるので自然と鼻呼吸らしい。人間の赤ちゃんも数ヶ月以後に壁がなくなるらしいので、そのころに口呼吸にならないよう、おしゃぶりをするといいらしい。(全部「噂(~らしい)」ですが)で、口呼吸をすると、本来鼻の奥にある扁桃で殺菌するべきものを口の奥にある扁桃腺で殺菌させようとするので、それができなくて雑菌が繁殖して、鼻炎や喘息になるらしい。怖いわー。口呼吸だけでなく、はじめの「機能が構造を決定する」を考えると、思考力があるから賢く物事をこなせるのではなくて、知的作業をするから、思考力が磨かれ、結果、知的作業の成果物が出来上がるってことなのらしい。てことは、赤ちゃんのころからちゃんと頭を働かせたり、体を動かさせたりしないとね(ツメコミ教育を薦めているわけではないけれど)。おとなになってからも脳神経は発達できるらしいので、おとなもだけどね。
2005年08月08日
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協働しながら目標を達成する(システムを導入する、業務改革を行うなど)プロジェクト単位で人を管理し動かすプロジェクトマネージャとしては、「どうやって人のモチベーションを保ち、的確に目的を達成できるか」人間のマネージメントが欠かせないと思う。家庭は一番小さな社会グループの例だと思うので、例として考えてみました。私は個人的に、ひとのおうちに訪問するのが好き。そのひとの好みだとか生活習慣がなんとなく漂う空間って、そのひとの内面を表しているような気がします。夫婦や家族の場合、家事は分担するか、奥さんが中心的に行っていることが多いと思う。“家の掃除され具合”って、その家の主人の統率力を現しているように思う。スペシャリストタイプ(瞬発力もあり、特定の自分の持分の分野については、高い能力を発揮するタイプ。自分のコントロール下の特定チームなら管理はうまいが、全体をまとめるというよりも、専門分野を正しくコントロールするタイプ。)の主人なら、奥さんの技量によって、ものすごく散らかっているおうちである場合と、そこそこに片付いているけれども主人はあまり何が何処にあるか把握していない場合に分かれると思う。片付いている後者の場合は、奥さんの片付け能力が高い良妻賢母だったりするので、たまたまラッキーだったということになるけれども、主人の問題解決能力を家庭で伸ばす機会は、失われているとも受け取れる。逆に、奥さんがお掃除が得意ではない場合、つまりものすごく散らかっているまま、放置されているときには、やはり、スペシャリストとして秀でている方である可能性はあるとしても、「PM的能力」はあまりないと考えられる。奥さんにより、ものすごく散らかって掃除がされていない場合の対応策として:1)月々積み立てて、業者に頼む。2)奥さんと自然に話し合うときに、「なんか、掃除いやになっちゃった?」とセラピストぽくカウンセリングして、悩みや不満を解決して掃除の意欲を取り戻させる。3)子供などの同居者(両親など含む)に掃除の手助けなど、協力してもらう。4)自分が率先して掃除を行い、反応を見てみる。などが考えられる。1の場合は、PMとしては対応はしているけれどコストのオーバーランが心配されるときもある。ビジネスパートナーを適切に見つけ、上手に予算管理ができるのならば、プロジェクトは進められると思うけれども、チーム内の能力が改善されることはないので、不必要なコストが内部の人間により発生し続ける恐れもある。(この場合、奥さんが持っているかもしれない掃除をする能力と家庭というチームを運営する努力は磨かれないまま)2の場合は、私は、理想的なPM的な主人であると思います。2の結果、本質的な問題点を見つけて(奥さんはパートにも出かけていて疲れている、理解してもらいたいと思っているなど)、解決する可能性があり、また、チームメンバに対する敬意も感じられるから。3の場合も、ある意味理想的なPM的な主人であると思います。本質的な能力として、奥さんが掃除が苦手(というか出来ないタイプ)の場合、ほかのメンバが協力を自然と出来るチームであるということは、主人がチームワークを維持しているということであり、チーム内で肯定的なムードが溢れているから。4の場合は、場合によっては3や2につながる可能性もあり、一概にいまいちとは言えないとは思うけれども、自分がなにか抱えている場合(とても仕事が忙しく、肉体的にきついなど)、自分がつぶれてしまう危険性をはらんでいると思います。みなさん、どう思います?あなたは、自分の素質や他人の素質をチェックするときに、どのような視点や判断基準を持っていますか?
2005年07月21日
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ないないない。銭がない。(例の歌にあわせて)産後休暇~育児休暇に入り、本格的にお金ピンチが迫っている今日この頃、だいぶ「節約生活魂」も気合が入ってきた。(ていうより、ない袖は振れませんものね~)慣れないながらに最近あみだした、「お金」「時間」の節約のコツ。(コツってほどでもないか・・・)いままでは、「節約するなんて貧乏くさい!!」とものすご~く思っていたけど、所詮、“庶民代表”な人間なうちは、節約しないとね。「節約したくない」が実は「節約できないから」であったりしたら大変だしね。。。。ちょっと貧乏くさいような切ないような気持ちになるけれど、こういうのもひとつのチャレンジだと思って、しばらく頑張ってみよう。・・・ずーっと続けたくなくて、金持ちになりたい!というハングリー精神も育つかも?!<食費>1)一週間分の献立を考えながら、まとめて食材を買う。肉類は使用日付を書いて冷凍保存。野菜は大根やブロッコリー、キャベツやトマト缶など日持ちするものをうしろ倒しの使用日程にして、出来合いサラダや水菜などは早めに使う。2)おやつは2週間まとめて買う。(大入りパックなどでね)オットのお小遣いを削ったので、残業時のちょっとひとつまみおやつも考慮。(会社へ持参)3)オット小遣いを削ったので、缶コーヒーやジュースのペットボトル購入が厳しいため、水筒でコーヒーや麦茶を会社へ持参。4)アルコール飲料はケース購入。必要分だけ冷蔵庫へ移して都度冷蔵。(たくさん冷やしてしまうと飲みすぎてしまうので、本数コントロール。)ひとからもらうことのある、ワインや日本酒をおいしくいただく。(いままでは棚の飾りになってたんだけどね)5)野菜は必要分しか買わない。余って捨ててしまうことが多いので・・・。とくに:たまねぎ(気付いたら芽が出ていた・・)にんにく(これも芽がでていた・・)、なす(わりと日持ちしないのよね)、きゅうり(レパートリー変えてもあまり味が変わらない気がするので飽きるのよね)<日用品>6)一般によく出回っている商品は、違う系列のスーパーを複数うろうろして底値買い(一番安い店&値段で買う)。おむつや粉ミルクは定価と底値の差が大きい!・・・7)こだわりの品は、使い方をかえる。(いままで、リンスは、まず髪につけてしばらく置いて、流すときには、洗面器にリンスを溶かしたお湯を入れておいて、それで2~3回流していた、、、ふつうにおおさじ1杯分を髪につけるだけにしたら、いままでの使用量の3分の1以下に。ちょっと髪の毛がきしむような気がするけど、タオルでパックしたりしてカバーしてみます)8)余分なものは買わない。あたりまえなんだけどね。化粧水やボディーローション、整髪料などは、ついつい無駄買いしてしまって、使い切ってないものがうようよになりがちよね。<水道光熱費>9)家にいる時間が長いときは、行動する部屋を限定する。ひろい居間にいると電気代とくに空調の使用料金がかさむので、狭めの部屋で息子とのんびりすごしています。10)こまめに電気を消す。いままで廊下と台所の電気はつけっぱなしでした・・(^^;11)歯を磨くとき・お風呂で体を洗っているときに、水を流しっぱなしにしないだけでかなり水道使用料金が浮きました。当たり前なんだけど、ついつい、ね。12)ふつうの白熱球から省エネ蛍光球に変えると、暑くないし電気代カット。耐久使用時間も延びたみたい。ただし、蛍光球のほうが単価が高いけど。13)すこしだけ暑い、程度のときは、風通しを良くして台所の換気扇を回すだけにする。空気もきれいになって一石二鳥よね。<お小遣い>14)「実質ゼロ円」の気持ちで、どうしてもなんか買いたい~気分のときは、100円ショップで“3つだけ”と個数を決めて無駄買いする。・・・こういう気分のときにデパートや衣料専門店に行ってしまうと最悪。諭吉さんが2~3枚は軽く飛んでいってしまう。。。15)食事会は基本、つくったもの持ち寄りで。プラス、月に交際費として想定している金額の半分ぐらいを目処に(それだけしかないとして)使う。お金がかかるディナーはやめて、贅沢したいときは、極力ランチで。(ランチのほうが割安)16)半年に1回の奮発デー(フレンチとか懐石とか。)を決めて、いままでの「ちょこちょこディナー」(週に1度程度とくにいみもなく外食)をやめる。もっと、いい方法あるかも。日々模索中です。
2005年07月12日
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最近はほぼ24時間、まーくん(息子)のお世話に追われる毎日。空き時間になんとか、本を読んだりネットをチェックしたりしている。1年前までと自分のなかでの考え方が大きく(全部ではないけれど)変わったなと感じる今日この頃。「利発さ(high responsivity)」「こぎれいさ(neatness)」を重要視していたけれど、計画通りにことが進まないのが育児だなーと実感中。それと、独身時代から好きだった恋愛もの(胸きゅんの感覚を忘れずにいることが、感性を豊かにしたり外見お洒落のこだわりを持ち続けることにつながるので、自分を凛と保つ手段だと思ってた)とか、子供を持ち育てることに比べると、取るに足りない小さなことに感じてしまったりしてきた。ひょっとしたら、このままでは、おばさん化街道まっしぐらになってしまうかもしれないので・・感受性の範囲を増やすことはあっても減らさないようにしたいものだわと思い直したりしている。理想にこだわる事は、目標を実現するうえでとっても大切なことだけど(特に具体的な、数値化・具現化されたものとか)、現状のなにかを部分否定してはもったいないことだなと思う。あまり認めたくない自分や他人(ここのところユトリがなくて、ぶち切れてしまう私。とか、どっちかというと好きではない=嫌いに限りなく近い人の存在とかね)は、すべて自分が招いたものだという基本を忘れがちだけど、それを否定せずに、受け容れて、そのうえで対策していこうと思う。正しく対応したからといっても、理想通り(って往々にして自己チューな考えからの結論で、本当にあるべき姿ではないときも多いかもしれないけど)に物事が進まないのは当たり前だし、人とのコラボレーションとの楽しみって、そういう「不可思議な方向に答えがころがる」ことだったって思い出さなきゃ。と育児しながら思う毎日。・・日記ちらり見てもらった人から「なんやら、、、難解やね。」といわれてしまいました。そうなのかなー。帰国子女なので、英語的考え方なとこあると思う&英語文書感覚で読めば、普通っぽいと思うんだけどなあ。日本語日記感覚でいうと、「日常風景」ぽい文章が少ないから、比較すると、くどく感じるのかも。って帰国子女をひけらかすつもりはないけれど、長年過ごしてきた場所の影響ってあるだろうなーと思います。
2005年07月01日
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毎日をなんとなく過ごしていると、このあたりの概念が薄れていってしまう。短期、中長期のそれぞれで、何を選択するのか常に考えていきたいと思う。人生は短いのだから。
2005年06月17日
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何事も、傾向を読むためには妥当なデータの取り方が必要とされる。必要としている結論や情報に繋がるようなデータをある程度の幅で取り続けないと、その中から客観的な回答を得ることは出来ないと思う。恣意的に結論を操作したいという気持ちが、データを収集する中で結論を急いで偏った方法に陥ってないか、確認し続けたいと思う。何事もそうよね。育児だってそうだし。経営分析だってそうだし。将来起こる可能性のある「リスク」を予期するために、いま何が起こってるのかを理解したり、自分の求める結論をちゃんと理解していたり、ってことをしていくほうがいいような気がします。
2005年05月06日
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昨夜が「お七夜」で、仕事後のダンナが実家へ泊まりにやってきて、賑やかな夜になりました!出産自体は、安産なのかな・・・陣痛開始から49時間後に出産で、吸引分娩(あの吸引物体あとで見たけど正直コワイ)でしたが、おしもに血腫が出来てしまって今日切ってきました(>_<;)うーむ痛かった。出産をなめていましたね。もし仮に「バンジージャンプ」と「陣痛出産」どっちかをどうしても選択しなくてはならないとしたら、確実に、「バンジージャンプ」を選択するであろう。と思います。でもそんなこんなで生まれてきた長男だけど、腕に抱くといままで10ヶ月や出産の苦しみ全部を忘れてしまいそうなほどいとおしいものなんですね。というより、“いとおしすぎて号泣”という、独身貴族で仕事をしていたころには、自称クール気味な自分が実行するとは想像もつかなかった現状。生命って偉大ですね。
2005年04月26日
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同じ現象を目にしていながら、新たな「気付き」があるかどうかは、物事に対しての“疑問投げかけ力”があるかどうかなのではないかと思った。そのように「掘り下げる力」を磨くほど、時間はかかるかもしれないが、自分のツールとして知識を使いこなし、他の知識と連動させてコラボレーションした結果、「面白く“斬新な(にみえる)”発見」としての分析結果に繋がるのではないかと思う。右から左に流れゆく情報・知識のひとつひとつにつっかかってみるのって、現在の情報が溢れんばかりの時代、それらを捌くことが重要視される時代で難しいことかもしれないけれど、情報キャッチ&理解スピードを高めるにのみならず、それを受け流さず、自己流に質問投げかけ&回答を見出してみる時間を、常にもっていたいものだと思う。そうすることにより、考え方や情報模索力に方向性が与えられ、観察力のたまもの(という言葉の意味するところは、真に必要な貴重な情報を、自分で探し出すことができるちからが、上記プロセスを実行して鍛錬された結果だと思う)という称号がもらえれば最高だと思うのでした。うちの、うさこはいつも人間並みに考え込んでいる雰囲気で、よくたたずんでいるのだけれど。何をいつも考えているのかしら。と思うのよね。
2005年04月12日
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産休のここ暫く、昼ごはん外食気味。(もう何時産まれてもいい時期&サイズのおなかなので、ついついおっくうで)実家周辺全てのファミレス・メニューを暗記してしまうぐらい通っているような感じ(おなかの息子よ、許しておくれ・・というより母乳がマズくなるって噂も)。すると近所の大学の学生やら、予備校生やらが長居して話し込んでいる。たいてい学生独特の傍からはどーでもいい話(といっても彼らにとっては優先度の高い話なわけで)ぽいのだけれど、口癖が人によってあるなあと面白いのでたまに耳をダンボにして聞いている。今日気になったのは「あり得ねぇよー。それ。まじで。」という言葉だった。ふと前に一緒した若くして優秀な会計士さんも同じ口癖があったなぁーと思ったのだけれど、同じ言葉でも回答利用の適用範囲と表情(イコール、言葉を発することによって意味したい内容)が違うものなのだなーとしみじみ感じた。パターン1)ファミレスの若者による:話の流れを中断し、自分の意見を述べたい場合に適用。その前の会話の内容は「ありえないこと」とは一般論としては、決して思えない内容であることが多い。パターン2)懐かしい方による:予期していた事象と異なる展開が続く苦境を理解してもらいたい、と前言者が同調を求めたときの返答。いわゆるちょっとちゃかした感じの相槌ちに近い。冷静に考えると「あり得ないこと」ってそう多いはずもないが、会話の展開を促す上では結構使える言葉なのかもしれないな~とぼんやり思いました。「なくて七癖」っていうけど口癖ってそれを使う人物をふと思い出して懐かしいよね。と取り留めのない話なのでした。
2005年04月07日
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花粉症が厳しい春になってきたみたいで、石原都知事も今年初めて花粉症に悩んでいる模様。花粉というアレルゲンに対しての抗体反応が出るからで、体内に蓄積される反応材料がある一定の量を超えると、発症するらしい。ワクチンのようなものは3年程度で実用化されるそうで(いまでも耳鼻科にいくと似たようなものを注射してくれるらしいけれど、症状がでてからだとあまり効能が無くて、1ヶ月程度事前に注射すると多少効くらしい)、花粉の出ない雄株の杉開発もされているけれど植林に広く適用され生長するまでは30年程度かかるらしい。(過去に日本は、国の政策として杉造林しすぎたらしいです。それらの造林を塗り替えるには今の林業力と回転率を維持したとして(といっても林業は徐々に衰退しているらしいので心配)、20~30年かかるらしい)近年の(というよりこの間のインタビューの)ソフトバンクIの北尾さんはなんとなく、私の憧れているコンサル先輩さまにトークが似ていて、親しみというか・・なんだか賛同したくなってしまった。(トークの波長もそうだけど、内容の展開もね)やはり「土足であがってきて仲良くしようや、という感じ」というのはきっつめの表現かもしれないが、IT系統で築き上げた若手による「金のチカラ」を強調しすぎを感じていた今回の話について私は多少、将来の行き詰まり感を感じていたのでここらで新しい波(発想と展開は新しいかどうか手の内は公開されないだろうから察する範囲になるけど)が出てきて、傍目には面白くなってきたように思う。何を成し遂げたいのか、物理的な意義は変わっていく(達成後)と思うけれども、どのような方向性を持ちたいか、信念は維持していきたいものであると思う。カネはひとつの手段であり、企業体はその道具であるとして、信念とあるべき将来像はそれらを組み合わせた社会に見出したいと思う(いきなり社会に飛びつくと宗教性というか、右派左派のようなどっちを取るかの極論になってしまうように感じるのだがそういう単純論で結論は出るとは思わないが)。
2005年03月27日
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産休に突入(バケーション気分で体重管理が大変だわ・・アセアセ)。休みの間も新聞や雑誌・本、インターネットなどで情報チェックしたりして緊張感を保っておかないと、産後明けに仕事をする気がしなくなっちゃうよ、と忠告を受けたので、これから意識しなきゃ!と渇をいれてみた。欧米人は、1ヶ月~2ヶ月のバケーションをよく取るけれど、ON&OFFの切り替えが上手なのかしら・・と考えたところで、ふと、映画でもよくあるけれど、多忙な人だとノートパソコンと電話は持参で、観光地で仕事の鬼だったりする場合もあるのだったと思い出す。(結局、仕事してんのね)やはり、完全に「On the Bench」になっちゃうのはどういう人であれ、脳の回線適合がはずれちゃうのでダメそうな気がする。仕事以外の「ひとりごっつ 情報収集やリサーチ分析」ってつまらないので適当にネット上でコミュニティ検索登録して仲間を探して「グループごっつ」しとこう。
2005年03月10日
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ものすごくラッキーなことに、フォーサイトの斉藤さん(○ッキンゼーの元パートナーさん)の講習のうち、分析力を磨くためのものを受講した。情報を正確に把握し、複数の情報を読み取る中で共通グルーピングを純粋に行うことによってどのように本質を汲み取るか、演習を通してびしびしコメントもらった。(3日間のうち最終日は妊婦のお腹の張りで欠席。あーあ。しくしく)日々色々な方の分析結果を読書したり、自分で意図的に(手持ちの駒があるからね)提案書手伝いをしたりしていると、バイアスのかかった意見がデフォルトになってしまうことってあると思う。そのような資料作りではやはり、真意で人を説得し議論し、「正しい結論」を見出す力を削いでしまうのだろうなぁと実感しました。明後日から産前休暇(いよいよ臨月!)なので時間がたっぷりあるし、大前さんと斉藤さんの本をアマゾン出荷注文してみた。NIKKEI系統情報やEDINET&財務データを転がして遊ぶときに、ちょっと意識して自分の分析力を磨きなおすように、まずは読書してみようと思う。・・・おなかの男の子は現在推定2411g。。。私の生まれたときを既に上回ってる。産むとき大変だわ(アセ)。;
2005年03月07日
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外面(他人に対しての自己アピールになる、表情や態度など)をコントロール出来ている人間であれば、内面(他者と自己との距離感や、自分のあり方について)をコントロールできるであろう(といっても野放しにエゴ強化の人もいますが・・)人間であることは察しがつく。けれども「八方美人」なひともこの定義だと該当してしまう。八方美人は付き合いやすいけど、究極の自己喪失状態ともいえないこともなく・・(自己の確立が欠けているがために人に協調しすぎてしまうなど)。“人と良い距離感を保てる外面”(さわやかさ、人当たりのよさ)はキープしていきたいなと思う。その先、自分をどこまで飾るか(華美になり過ぎない程度に、自分の好きなファッションを取り入れたり、お化粧に凝ってみたり。)は個人裁量だけど。ここのところ外見への意識が薄れてきたわ。これもオバサン化(女性現役引退)現象なのかしら。いろんなことを楽しむという意味でも、ファッションやお化粧もそこそこに楽しんでいけるといいのだけどね。
2005年02月24日
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行動に選択肢がないと気持ちにゆとりが無い場合ってよく自分で実感することがある。その例として、たまに人の言動に対して(恐らく自分の主観が一定方向すぎるのかもしれない)、イライラを感じることがある。自分の見えている世界とその人が見えている世界の接点はわずかなもの。相手の器量の狭さにイライラするときは、自分の限定された枠の中から見た相手の行動が「器量が狭く」みえているに過ぎないのかもしれない。(何か本当はすごいことを考え、または、大変な目にあっているからかもしれない・・など)そう思うことで、人の言動やものの見方に感情をはさまずに構えることができたら、と思う。
2005年02月14日
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自分の個性と同調する部分を持ちながらも、オリジナリティ溢れる人って惹かれる所があるなぁと思う。そういう人を「まね」しながら、自分の持ち味をブレンドしていきたいな~と思う今日この頃。まずは「ファンです」宣言(自分のなかで)をして、その考え方とか発想を研究してみよかなと思う。事象や概念を研究するかのごとく。事象や概念の追求は、時間軸は自分で任意に設定(というかあまり時間軸は考えていない)だけれど、人間のありかたを考えるとなると、ひとつのベクトル方向だけではなくて、自分の現在の状況と照合したり、意外と「周辺事項」の考え直しにつながったりして、新鮮。“オレ流”もありだと思うけど、いきあたりばったり(無計画っぽい感じ)で生きるよりかは、たまーに人を観察研究して自分の生き方全体を振り返るのも面白いかなと、ふと思い立った週末なのでした。
2005年01月29日
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コテ先の技術で生きている部分も仕事上はあるので(簡単に吸収模倣できるスキルを利用すること)、かつ、そういうものを複数組み合わせると、意外と解決策になったりするのだけれど。知識や鍛錬の積上げが無ければ出来ないことを大切にしていきたいと思う。信頼関係なども同じくだと思う。積上げることによりスキルや行動のの定常化を示すことが出来るわけだしね。日々流れゆく情報のなかから、自分の身の丈にあい、かつ、自分が積上げてゆきたいと思うものをキャッチしていきたいと思う。
2005年01月24日
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男女とわず、タフに「24時間戦ってます」に仕事をしている人達に最近多く接することがある。そういう方々は“時間的制約”も“能力的リミット”(キャパシティの意味で)も無いような雰囲気を醸し出していて、なんてすごい人だろうと思う。きっとそういう方々は無意識に実践するうちに現在の行動力に至っているのかも、なのだけれど。逆に、「一点豪華主義」的な性質を持った方々もよくいらっしゃる。××に関してはものすごく詳しい、△△をやったら他に類をみない完成度で仕上げる、、、、けれども人格的に難しい面がある(チームワークが難しい)、時間観念がルーズだ、成果物が雑だ(フォーマット無視自己流、内容が反映されていない)、などなど。((わが身を振り返ると、多少なりともこっちの傾向もつよいかも・・・豪華部分があるかどうかは謎ーー;・))土壇場に強いので、メンバにひとりぐらいいると重宝するタイプ。だけれど、複数人がこのタイプだと、とってもチームをまとめるのに苦労する。かと思えば、「いつもソツなく、合格点をクリアする。けれど仕事(や作業、趣味など)は必ず割り切って“ここまで”を意識している」タイプ。こういう方々のバランス感覚は素晴らしく、幅広い視野と人脈で、割と人生自己流に楽しんでる人が多い。最後のタイプを素地にもった、真ん中のタイプにまずは成れたら良いなと思う。(相反するものでもないような気がしてきた)往々にして、何かにこだわりを持つ反面、他のことには“まぁ、この程度でいいや”になる妥協ポイントって発生していることってあると思うけれど、あくまでも守るべき「枠」は死守すべきだと思う。大きな目標のまえに、小さなコツコツがなければ積み重ねられないことを大切にしていきたい。「合格点とればいいや」の限界にしばられない・・ということだけでなく、自分で無意識に張っている妥協ポイントを自覚して、ひとつずつゆっくりクリアしていきたいなと思う。最近寒いなーと思ったり、急に暖かかったり。行動するのがおっくうになりがちだけれど、意外と「やってみたらそんなにつらくなかった」ってある。いきなり頑張りすぎるのではなく少しずつ軌道修正よね。もちろん、自分の「一芸」「伸ばしたいこと」も常に意識しながらの姿勢は忘れたくないけど。
2005年01月07日
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あけましておめでとうございます。みなさん、実家への帰省、いいですね。私は実は帰国子女(中学3年まで)なので・・そしてその前は神戸に住んでいたのですが(小学4年まで)もう実家自体も関東首都圏に家を購入し住んでいるため、「地元」感のある土地がありません。高校も、都内の私立高校へ通っていましたし。。私はノンビリ自宅で、自前おせち料理とお雑煮を食べ続けながら正月番組を見るという、とても太ってしまいそうな年始を迎えました。一応、初詣は自宅近くの氏神様の神社に行きましたけど。今年はどんな年にしたいですか?今年の抱負は。わたしは今年は家族サービスをしながらも新規顧客の囲い込みが上手く回る年にしたいと思います。最近暗い話題も多いけれど、いい感じに気流に乗っている会社お客様と向き合っていきたいです。(すこしまじめ気味。)あとは・・やっぱりいつまでも若さと張り合いを忘れないお姉さまでい続けることかな。いい感じに歳をとっていきたいものですね。若作りするでもなく、お局キャラに変貌をとげるでもなく、おばさん化するでもなく・・(^-^)今年もよろしくおねがいします。かえ
2005年01月05日
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切磋琢磨することによって思考回路は磨かれるものだと思うけれど、決してその過程で身に付けた知識量が、その思考回路の幅(提案できる戦略の幅)を示すものとイコールではない、まったく異なるものであるということを、先輩コンサルやSE皆様を見ていて思うことがある。常に「物事の色々な側面を捉え考えなおす」姿勢を忘れないようにしたい。満足することで慢心したくないものである。(個人日記にはあの社長のコンサルへの辛らつな名(迷?)コメントあり。。。)
2004年12月12日
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点数主義のみで物事を進めたり判断したりという人にはなりたくはないけれども、どういう状況下にあっても客観的なデータをもとに自分のスタンドポイントを把握していきたいと思う。全体としての「目標数値」を設定するだけではなく、実現可能な行動単位まで分解し、現実的な達成方法が思い浮かぶようにしておきたいものである。顧客がどのような判断基準を持っているのか、多彩な判断基準を意識しておきたい。手持ちの技術や戦略が実現しうる利点の素晴らしさも大切だけど、そのポイントだけに酔いしれるのではなく、多角的に見て冷静に判断し、、、今後ターゲットとしていけそうなホワイトエリアを見付けながら、リスクや必須ポイントがカバーされているか、常に最新のチェックを怠らないようにしたい。ついつい、手馴れてしまうと「そういうもんですよ」になりがちだけど・・・時代遅れな人間にはなりたくないものだと思う。適度にトレンドは抑えつつ、自分の守備範囲の技術は勿論最先端を吸収し、実践力を維持していくようにしたい。
2004年11月18日
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自分の持ち味(いい意味でも悪い意味でも)を理解して腑に落ちていることで、無駄な抵抗をせずに自力でできること&他人と協力しなければ出来ないことを見極めることってとても重要だと思う。もちろん、自己研鑽の心を持って、自分を甘やかさず、何をすれば自分の成長の糧にできるか、、、他の人間とのベストコラボレーションのなかでも考え続けたいものだけれど。私にしかできないこと。そして、「あの人」「この人」にしかできないこと。そういうものを見極めながら、互いにWin-Winの毎日を送っていけることこそ、仕事の醍醐味だと思う。惰性で仕事を続けるのではなく、レールの上しかみないのではなく、簡単な言葉になるけど、自分の個性を本当に大切にして育てていくこと、持ち味をいかすことを考えて生きたいと思う。・・ひとりごと日記に逆戻り~なのでした。お腹の子は順調に成長中(現在16週)。ツワリは相変わらずハードだけど半分弱(5ヶ月)来たさ!(嬉)。頑張ろう。
2004年11月16日
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体調一段落。ここひと月で8kg超、痩せてしまいました。普通にダイエットでここまで痩せるのって難しいのである意味ラッキー?!・・・毎日点滴に通い不健康この上ない毎日だったけどやっと開放されました。腕の血管ボロボロでちょっとキモいわ。お腹の新しい命は元気一杯のようで、超音波で見る限り、かなり人間そのままになってます。(現在13週)男の子か女の子かはまだ暫くわからないようだけど、健康ならどっちでもいいかな。少し親の気持ちになりつつある今日この頃です。ママになるといっても、仕事や自分の人生は謳歌していきたいな(素敵な人間でありたい。)と思っていたりするけれど、きっと出産後暫く数年は、そんなこといってらんないのかもね。。。少し「ママになる日」に思いを馳せた、珍しい一日でした。
2004年10月20日
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目に見えてクリエイティブな仕事をしている(斬新なという意味ではなく、何か新しいものを生み出しているという意味で)人なら、自分の作り出すものに対する自負というか、責任を肌で感じているものだと思うけれど、往々にして、「なんとなく」日々の任務を遂行しているだけだと自分の業務が生み出す結果について、ひとつずつ責任を感じることがなく淡々とこなしてしまうことが多いと思う。何かを提案するときは、その企業の全体活動からみてどういう位置にあり、他の骨子に対してどのようなインパクトを与えうるものなのか。もしくは、どのように関係がないのか。広い意味でのリスク管理って、この当たり前の視野を持つことなのだと思った。それを把握していなければ、組織の人間を説得するだけの説明責任を果たすことはできないのだと思った。やはり、「言われたことのみ何か盲目的にやる人間」を量産してしまうことが多かった過去の組織では、上層部が全体像の理解をしていても(ボトムアップだと局所的な近眼視野に陥りがちとよくいわれるので、理解すらしてない場合もあるかもしれないけれど)、それに対する説明責任を果たしていないことが多かったのだと思う。それでは組織はきっと「内部からの推力で成長」することは難しかったのだろう。せっかく組織体を築いているのだから、最大限の「うちなる力」を活用していきたいものである。
2004年09月14日
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ツワりが絶好調な毎日で、かなり行動制限される今日この頃。電車では貧血でここ数日は2度ペースで倒れホームで休み、3日ほど全く食べれず、昨日は仕事帰りに点滴を打ってきた。でも超音波写真もらえてとっても嬉しい♪るんるん気分なのでした・・子供を産むってこんな大変なことなんだなぁと初めて知った。苦闘を乗り越えてしばらくしたらやっと、お腹が膨らんできて存在感が目に見えてきて、母親の気分にどんどんなっていくのだろうなと思う。正直、つわりってこんな辛いと思ってなかったわ。そういう女性の仕事をなめた男っぽい性格をしている私みたいな人ほど、実はこういう体力勝負には弱いのだろうなと思ったりする。今までの二日酔いだとか、徹夜2連ちゃん明けだとかの苦しみってすぐに1日かそこいらで解消されて度合い的には今に比べるとなんてラクなんだろうと思う。出産を乗り越えたら、きっと肉体的な辛さに対しても少し我慢強くなるんだろうなと思ったのでした。「ハナの穴からスイカ・・ハナの穴からスイカ・・」って良く聞く言葉だけど、いまからビビっている私。
2004年09月03日
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